子どもが小さいころ、育児の偉いセンセイには「お子さんをとにかくほめてください。ほめないと子どもは伸びません。」との教えを受け、小悪さばかりくりかえすお年頃「…何一つほめるところがない。」と途方に暮れてしまった。
「ほめ」といえば。よい話を聞いたので、シェアしますね。
大人をほめるには
お子さまをほめるより難易度が高い。
- 褒める人って上から目線
- 褒める人は買わぬ
- 褒める人には油断するな
- 褒める人間を敵と思え
- 褒める人間は信用できない
いったんほめ方を間違えてしまうと、本末転倒の結果になりかねない。
そして純粋に
「相手に感じ入り、先様へ自分の感動を伝えたい」
「自分の心の内にわきあがるエモーショナルな感動を伝えたい」
だけだ、ただそれだけなのだ、と自信たっぷりに言い切れるほど
大人の世界は単純じゃないし。
ほめる側にだって、「人間関係を潤滑にしておきたい」との下心あるんだろう、
と勘繰られてしまう可能性を常にはらんでいる。
コミュニケーション能力の高い人は、ここらあたりの先様への自分のヒューマニティの見せ方が自然かつお上手でいらっしゃる。うらやましい。
検査担当の部署に配属された
同僚からは、こんないい加減な奴に検査なんかできるかよ~。でっきるわけないだろぉ~。
と心底バカにしきった言い方をされての配置転換。
人を見て配属してくれればいいのに、と肩を落として着任。
できないのですが、やらなければならない。
とりあえず前の検査で何をやったのか、見てみよう。
検査は3年に1回と決まっている。3年前の検査の書類と、6年前の書類を引っ張り出してみた。
修正をお願いしても直していただいてない
見ていてけっこうびっくりしてしまったのは
前回、修正・改善をお願いした事項と前々回の事項、代わり映えしない…。
もちろん、組織の全体にかかわる内容もあるから、一部は一朝一夕にいかないお願い事項もあるものの、たとえば「この書類作っといてくださいね」なんて内容も、直っていない。
・基本非営利の事業。
・歴史は古く、地域に根差す。
・バックに「〇〇士」なんて後ろ盾をつけるだけの体力が組織にはなく構成員は父祖代々。つまり高齢化が着々と進んでいる。
・悪い人が目をつけて、組織の財産をあらかた持ち逃げ、なんて事例も実際にあるし
・目はしのきく人なら組織を乗っ取って悪事に利用したりするケースもありうる。
たいした事務量じゃないとおもうんだけど。
なぜ直さないのか、直らないのかがわからない。
そして、内容も
- 法令で必要とされている許認可がスッポリ抜け落ちている(つまり団体で決めた事項は対外的に効力をもたない)
- 契約に「〇〇約款による」との文言があるが、肝心の約款が存在しない。
- 口頭確認だけで会員名簿を修正している。
- 会費徴収名簿を作成する際に会員名簿を修正しておらず、永年にわたり繰り返されてきたことで会員名簿がメチャクチャ
- 会計経理には事務の人任せ(最悪横領されちゃうぞ! )
- 重要事項を決めた会議の議事録がプリンタ出力のみで編綴・割印がない。紙っぺらに穴をあけただけで綴られている。(改ざんされて組織を乗っ取られたらどうするの~)
- 変更手続きが確認できないのに提出された定款・規則の文言が毎回違う
とケタはずれ・常識外・とにかく激しい。
しかし必要な手続きくらいは、お願いしたい…。
そして、検査に行っても、何も変わっていない。これではいけない。
検査のやり方を変えてみる
役付きの人を連れて行く。
役付きの人には検査事項はあえて持たせず、検査先の役員さんや事務の方とじっくり、話し込んでもらい、組織の抱えている課題で言いたいことをできるだけ言っていただく。
外部の人間に言ってほしいことはないか聞く
役員さんのいないところで、事務の方に「役員さんに面と向かっては言いにくいことや実はなんとかしてほしいこともあるんじゃないですか。講評で言ってしてほしいことはありませんか。私、言いますから。」とそっと聞く。
ひたすらほめる
1コ修正してほしいなら100コほめる。
役員の前で事務員をほめる
事務の方が役員さんと一緒にいることを確認して、「事務の方は本当に良くやってくださっていて、頭が下がります。優秀です。」と役員さんに向かって事務の人をほめる。
あなただけじゃないと情報提供
「修正をお願いはしていきますが、どこに検査に行ってもこのくらいの数は出るものなんですよ。」とフォローする。
しまいには泣き落とし
講評の時には「会議の記録はすべて読ませていただきました。私たちが前にお願いしていったことを検討された記録が、議題や議事録からは見つけることができなかった。お忙しいこととは存じます。その上でお願い申し上げます。私どもが申し上げたことを、どうかお心に留めていただけませんか。」と涙ながらに訴える。
けっこう、効果、テキメンだった。
少なくても手をつけやすい箇所は、すぐに動いてくれたし、
大きめの、例えば改善計画をお作りになられては。などの事項も、検討を始めてくださっている。
現場の現状も見えてくる
そして現場では
前もっていただいていた資料を読んでいるだけでは見えないことはいくつもある。
日々の会員の方々とのやり取り、毎年度の会費の徴収と督促、細かく絶え間ない事務手続きと問い合わせやクレーム対応とそれに伴う帳簿類の整備、お上(国とか県とか)からはひっきりなしにあずかり知らぬところで決まった、自分たちにはメリットの誠にみえにくい改正・改正のお達しがおりてくる。長期的な目配りもしなければならない。運営はもうそれだけでほぼ手一杯である。
直せって言われても。
さーっとやってきた検査の人が淡々と事情聴取して
「ココとココ、間違ってます。直してください。」と言いおいて帰って行く。
…「悪いトコロだけあげつらって帰った」と取られてはいないのか。
「決まってるんだから直しといてください。」
と機械的に、事務的に伝えれば仕事は終わりなんだけど。
間違いなら直すのは当然なんだけど。
直さなきゃならない、のアクションを起こしてもらうのにも
もう一押し、サポートが必要。
人の手と目と気配りが必要な分野は、あるんですね。
本心でほめなかったことは一度もない
そして「ほめる」と言ったけど、
本心でなかったことは一度もない。
検査に出かけて行って、目の前にいる役員さん、事務の方、の後ろに控える、組織を支えている何百人、何千人かの会員の方々。
伝統を守り伝えていく。決して割の良い仕事ではない。
黙々と地域のために尽くしてくださっている。
前もっていただいていた資料の、数字や記録の向こうには人がいる。長い歴史がある。
営みが見えてくる。
目の当たりにし、心打たれ、自然と頭が下がってくる。
『よくできていますね』
『これなら会員の方々も安心して任せられますね』等々の言葉かけに、大げさでなく、検査先の方は【天にも昇る】気持ちになるものなのです。
と研修の時に言われて、正直びっくりした。
ならば、たとえ書類は滅茶苦茶であったとしても、
今ここでフツフツと胸の底から敬意と尊敬を。
伝えないってテはないはずだ。
おそらくはそのテの感情を、外部の人間から注がれたことはないはずだ。
私にしかできない、そうそう誰もやってこなかったことを
きちんと相手に伝えることで、
先様にもメリットがあり、私にもメリットになる。
とできるだけ感情をむき出しにして、
がんばったがんばった! んだそうです!
まとめ
仕事していていいこと、よかったこと。
- 自分の知らない世界に行けること。
- 新しい体験ができること。
- 人の営みを肌で感じること。
そして、時折かもしれないけど、
自分と周りの人が少しずつでも変わり、
目の前の世界が急にすーっと開け、光に満ちていく瞬間、があること。