キャサリン・ヘップバーンの映画や代表作やファッションや魅力やら語ってみる。

アメリカの最も偉大な映画俳優の一人。まず、ずば抜けて演技が上手い。その登場から死に至るまでトップ女優・主演女優として60年以上名声は揺るがず、生涯通じて全盛期が続いたこと。そして1930年代から40年代にかけて、オリジナルの上にもオリジナルすぎる、ユニークかつ今見ても全く古びない、誰しも見とれ、憧れるファッションのアイコンであり続けたこと。そしてスクリーンのみならず、ライフスタイル全体に己のポリシーを貫き通したこと。華麗にして颯爽とし、知性あふれる現代派・都会派・演技派・ソフィスティケート・レディとして、人々の尊敬と憧れの的でした。間に画像をはさみながら、語らせてください!!!

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キャサリン・ヘップバーンの映画と演技と。

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皆さまにおなじみなのは「旅情Summertime」(1955)、「黄昏On Golden Pond」(1981)でしょうか。

繰り返しになりますが、ずば抜けて演技が上手い。アメリカ東部の名家の子女*1で、ブロードウェイで演技に磨きをかけ、大成功をおさめ*2ハリウッドに引っ張られた*3

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キャサリン・ヘップバーンはエネルギーに満ちている。周りを圧倒し、男勝りで勝ち気で頭が良くて回転が速くて女性としての感受性も豊か。マシンガントークでしゃべりまくり、エロキューションも最強*4

そして、小さい頃から体を鍛えていた。*5身のこなしが風の中の羽のように軽やかでキレイ*6知的で意志の強い女性の実にフレッシュで、すがすがしい美しさだった。それまでの女優にはないタイプだった。

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あどけない少女が生活のために少女のころから家族を養うとか、ハングリーな女の子がエキストラに入り、プロデューサーの目にとまるためにありとあらゆる手を尽くす。なんて経歴とは無縁だった。落下傘でハリウッドに舞い降り、演技で映画会社を、監督を、そして観客をうならせた。実に、実に、珍しいケース。稀なケースだった。たぶん、今もそう変わらない。

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そして人気と待遇はうなぎのぼりで、出たい作品、希望する共演者。ことごとくキャサリン・ヘップバーンの思い通りになっていく。

アカデミー賞の受賞は4回。アカデミー賞候補は12回。*7

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キャサリン・ヘップバーンのファッション

女性が社会に出ていくことがまだ難しかった時代の、自立した颯爽たる女性。長身(170cm)・細身のブルネット。鋼鉄の意志を持つチャキチャキの良家の子女です。個性が強すぎるし、そもそも服装には無頓着。ブランド物やデザイナーの服は選ばないし、似合わない。自分らしくいられること。服や髪やメイクに自分の行動が束縛されないこと。で、フェミニンが主流であった時代に、独自のスタイルを打ち出した。トレードマークは、マニッシュなパンツスタイル。

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パンツスタイルがトレードマーク。

今でこそ女性のファッションに欠かせないアイテムですが、1920~40年代のハリウッドでは先鞭を切ったスタイルで、しかもスクリーンの外でも当時のスラックス・パンタロン・今パンツスタイル一辺倒で押し通した唯一の存在。

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男装と言えば、マレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich 1901-1992)の代表作の1つ「モロッコMorocco」(1930)の燕尾服、タキシード姿ですね。しかしディートリッヒの路線はどこまでも妖艶・デカダンス。「女」をより一層際立たせるための演出に見える。二人の持ち味の違いは鮮明。もちろん、どちらも、時代に先駆けたモダニズム。勇気と気概の進取の精神。は共通しています。

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そしてキャサリン・ヘップパーンは胸の開いたドレスではなくハイネックが好き。借り物のようなたっぷりしたシルエットのジャケット(もっとも男性のビッグシルエットのジャケットのラインは1940~50年代の潮流でもあるのですが)。靴も男性仕立て。髪の毛はいつもボサボサ、ひっつめのまま。メイクも嫌い。ネイルなどもってのほか。

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年を取ると、普通は特に首回り、肩回りが一回り丸くなり、シャープさがなくなってくるものです。ケイトは細身の長身なので、もともとの体質のなせる技か、年を取ってもダメージが少ない。そして身体を鍛えているからかバレエの修練のたまものなのか、女優魂なのか生まれながらにオーラが備わったひとなのか、立ち姿が良い。

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座った姿も良い。つまり一挙手一投足が決まり、絵になる。そして一たび大衆の前に現れればその場をさらい*8、己の流儀・スタイルを押し通す。

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無頓着なはずなのに。ファッション・センスの素晴らしさも衆目の一致するところ。時代のアイコン、でもこの言葉ではまだまだスケールが小さいかも。ケイトはいつもケイト。それで十分。

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かっちりしたスーツ・スタイル、シャツ・スタイル

もちろん、スカートだって、はかない訳ではない。キャサリン・ヘップバーンにしっくりくるのは、やっぱりかっちりとしたスーツ・スタイル。基本はシンプル、Iライン。布にある程度のハリがあり、素材を見せるタイプのコスチュームが多い。

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ドレスももちろん、着ています。

こちらは名作のほまれ高い、「フィラデルフィア物語The Philadelphia Story」(1940)から。ウェディングドレス。

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 この手のふわふわ、ヒラヒラ系のドレスはシャープ&ソフィスティケートのケイトには一見合わない気がしないでもない…。でも、前にも書きましたが、スクリーンでケイトが動き出せば、それだけで息を呑むほどに素敵なのです。なので、柔らか素材のドレスは、画像よりもスクリーン映えする。と思って見てください~。

 

他には、こんなドレスはいかがでしょうか。

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キャサリンヘップバーン 「旅情」のファッション

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「旅情Summertime」(1955)のキャサリン・ヘップバーンは、オールドミス(←こういう時代だったんです)のアメリカのワーキングウーマン。休暇を取って、憧れのベネチアにバカンスの旅。出会ったイタリア男性に心惹かれ、恋に落ちる。でも、このままでは、愛しすぎてしまう。離れられなくなってしまう。…との若くもない*9大人の、それゆえにほろ苦さの陰影が深まる男女のひと夏の出来事と行きずりの恋物語。

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巨匠デヴィッド・リーン(David Lean 1908-1991)監督の力量と水の都ベネチアのかずかずの観光名所と名シーン。キャサリン・ヘップバーンのヤンキーガールでワーキングガール。恋に臆病で今日まで独身を通してきた切なさと今一歩のところをあやうく踏みとどまる大人の分別。を強烈すぎる、立派すぎる、見事すぎるの演技で映画史にその名を残す永遠のクラシックとして燦然と輝く名作です。

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この映画のキャサリン・ヘップバーンのファッションは、ケイトにしては珍しい。ふんわりと、たっぷりと布地を使ったギャザースカートなんか着ていて、あれ、珍しいな…が本音ではあったのですが。

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きっと、アメリカでは堅実に暮らしている、きちんとした女性。胸の底にはいつも切ない思いがある。でも私は、まだ女。旅先の恋。かき乱される女ごころ…としての自分を感じさせる、フェミニンなケイト。もちろん、ステキさにため息出ちゃいます。

 

ハリウッド一の美しい愛の物語

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キャサリン・ヘップバーンは、ニューヨーク時代に結婚している。*10バツイチですね。以後、公式には独身を通しています。ハワード・ヒューズと浮名を流した時代もあったものの*11、1942年、名優、スペンサー・トレーシー(Spencer Tracy 1900-1967)と出会い、二人は恋に落ちる。しかしトレーシーには妻がいた。子供はろうあ。女優だった妻は引退し、子どもを育てている。妻の苦労を思えば離婚なんかできない。キャサリン・ヘップバーンはトレイシーの境遇を理解し、結婚は望まず、酒びたりだったトレーシーを立ち直らせ、インテリ仲間のサロンに招き入れた。夫人もできた女性で、ケイトとトレーシーの仲を認め、自分はろうあの子どもを育てることに専念し、全米にろうあの子どもの施設を作り続けるのです。

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トレーシーは晩年、病に悩まされ*12、看病したのも、最期を看取ったのもキャサリン・ヘップバーン。しかしトレイシーが亡くなると、自らは身を引き、遺体を妻と息子にゆずりわたし、自らは葬儀には出席せず、葬儀場の近くの車の中ならトレーシーを見送った。どこからどこまで完璧なロマンスぶりに感嘆し、気が強い”じゃじゃ馬”ケイトが、愛する男性の前ではどこまでも女であった…のエピソードの数々が、また泣かせるのです~。

そして二人の仲は今では有名すぎるハリウッド有数のロマンスながら、当時、マスコミはある線以上決して言及しなかった。そうさせるだけのものが、キャサリン・ヘップバーンには備わっていたのです。尊敬と敬意を集め続けた、空前絶後の存在でした。

 

キャサリン・ヘップバーンの映画

みんな良いのですが、今探して見つけやすいもの、個人的にこれだけは。の映画など。

フィラデルフィア物語 The Philadelphia Story(1940)

キャサリン・ヘップバーンのもともとの個性は、活発な女の子。シリアスももちろん良いけれど、本領発揮は、コメディ。コメディエンヌが映える!切った張ったのテンポ軽快、目まぐるしい都会派喜劇は、スクリューボール・コメディと名付けられ、古き良きハリウッドの全盛時代にあまたの名作が生み出された。

ヘップバーンが演じるのは、大富豪のお嬢さん。結婚が決まったのに前の夫がちょっかいをかけてくる。結婚式の取材にやってきた新聞記者とのすったもんだのてんやわんや…。ケーリー・グラント(Cary Grant 1904-1986)、ジェームズ・スチュアート(James Stewart 1908-1997)との三つ巴!?大饗宴!は、見なきゃ絶対損!損!

のちにモナコ王妃となるグレース・ケリー(Grace Kelly 1929-1982)引退映画としてビング・クロスビー(Bing Crosby 1903 -1977)、フランク・シナトラ(Frank Sinatra 1915-1998)共演でミュージカル版「上流社会」(High Society・1956)としてリメイクされました。

赤ちゃん教育 Bringing Up Baby(1938)

この映画と「フィラデルフィア物語」が娘役としてのヘップバーンの極致。公開当時の評判は必ずしもかんばしくなかった。はっきり言えば、散々だった…。しかし今やスクリューボール・コメディの古典・カルトな1作として評価が高い。「赤ちゃん(Baby)」とは。キャサリン・ヘップバーン演じる大金持ちの令嬢の愛豹(ネコじゃないのよ!ヒョウなのよ!)の名前。一目ぼれしたケーリー・グラントに近づくべく、そしてケーリー・グラントの結婚式を阻止すべく、即行動!はてさて、どんな大騒ぎが巻き起こるのか…。

映画そのものも面白いけど、前の「フィラデルフィア物語」と「赤ちゃん教育」でのキャサリン・ヘップバーンの動きの颯爽たること!ヘップバーンを初めて見たプロデューサーは「私にはとてもこのやせこけた赤毛の娘を売り出す勇気はない」と天を仰いだそうな。しかし、いったんカメラが回り始めれば。誰もがヘップバーンの演技に釘付けなのです。

女性No.1 Woman of the Year(1942)

スペンサー・トレーシーとの9作に及ぶ共演作*13の記念すべき第1作。この時ケイトは31才。元気の良い令嬢役から一歩進んだ、若妻。ヘップバーンは政治記者。トレーシーはスポーツ記者。ひょんなことから恋に落ち、二人は結婚し、ヘップバーンは”ウーマン・オブ・ザ・イヤー”(今年の女性)に選ばれて…。ハリウッドのグッド&ベストカップルと謳われた二人の名優の演技と、特筆すべきはヘップバーンのファッション。ヘップバーンの個性を知り尽くしたMGMのカリスマ・コスチューム・デザイナー、エイドリアン(Adrian 1903-1959)のドレスをまとった、世紀の知的美人を、どうかご覧あれ。

旅情 Summertime(1955)

ファッションのところで書いてしまった。でも、負けずにもう1回。今、生涯を通じてのキャサリン・ヘップバーンのただ1作、代表作はと問われれは、おそらく最大公約数のNo.1はこの映画でしょう。男女の愛は永久不変のテーマ、世界に冠たるベネチアが舞台。完璧な映像美…。紹介した映画の中では一番探しやすいはず。

黄昏 On Golden Pond(1981)

キャサリン・ヘップバーンは若い時もユニークすぎるアイコンだった。年を重ねてもアイコンであることはいささかも変わりない。この映画の出演当時、おん年74才。シワだらけ、そばかすだらけ。整形なんて馬鹿げた真似は、真の大女優は歯牙にもかけない。それでもなお、スクリーンのケイトの吸引力は変わらない。実は考えられて作り込まれているのかもしれないほつれ毛が日に透けて。老夫婦の静かな日常と。かつて仲たがいした父と娘の確執と和解。ヘンリー・フォンダ(Henry Fonda 1905-1982)との共演は、実はこれがはじめてだった。ヘンリー・フォンダと娘のジェーン・フォンダ(Jane Fonda 1937 - ) との実生活での確執は長年にわたり、この映画はフォンダ父娘の関係を地で行き、数々の名画に出演し、演技者としての実力は誰もが認めていながもアカデミー賞に縁がなかった父ヘンリーは、この映画で死の間際、5カ月前にアカデミー主演男優賞を受賞。ハリウッドの伝説の美談の一つです。

キャサリン・ヘップバーンの自伝

 キャサリン。ヘップバーンは、断固として俳優の私生活の権利を主張し*14断固として俳優の私生活の権利を主張し、大のマスコミ嫌い、インタビュー嫌いで有名。なのになぜか!?晩年、自伝を書いた!と出版当時、大評判になりました。生前は表ざたにできなかったスペンサー・トレーシーとの愛の記憶。遠い日の恋…。古き良きハリウッドと、大女優を取り巻く人々の思い出など、お宝エピソード満載。

キャサリン・ヘップバーンの写真集

 晩年、キャサリン・ヘップバーンは故郷のコネチカットに帰り、家族とともに悠悠自適のカントリーライフ。年輪を重ねても、ケイトはパワフル。そして何気ない日常が、そのままステイタスと憧れになっちゃうんだもんなあ…。昨今、シニア女性の写真集などが評判になってます。さきがけというには語弊があるかな。目の前の人生を楽しむのに夢中で、年取るなんてこと、いちいち考えていられないのです。きっと。

 

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*1:コネチカットの名家の六子の二女(1909年11月8日生)。父は泌尿器科の権威で、母はボストン市の名家、ホートン家出身。婦人参政権論者であり産児制限運動にも熱心、と筋金入り。母はホートン家に誇りを持ち、子どもたちのミドルネームにはホートンの名をつけた。本名はキャサリン・ホートン・ヘップバーンKatharine Houghton Hepburn。幼年時代はほとんど家庭教師に学び、ペンシルバニアのBryn Mawr College(母の母校でもある)を卒業。

*2:1932年、モロスコ劇場で上演した「戦士の夫」は大ヒットし、キャサリン・ヘップバーンの演技と身のこなしは絶賛を浴びた。

*3:RKO・パラマウントがキャサリン・ヘップバーンに契約を申し込んだが、返事はNO。当時ヘプバーンの週給は100ドルだったが、度重なるRKOの申し込みに、断る口実にと出した条件が週給1500ドル。RKOはこれを呑み、ニューヨークでスクリーン・テストが行われた。

*4:ブロードウェイ時代は、発声に難ありとされ、発声法の訓練を積んだ。

*5:スポーツはヘップバーン家の教育方針の柱の一つであり、ヘップバーンは乗馬・レスリング・ダイビングまで会得した。晩年の写真集では70~80代で料理や庭仕事を難なくこなし、テニスに寒中水泳(!)している様子が収められている。

*6:ブロードウェイ時代にバレエで鍛えた。

*7:受賞歴は1933年勝利の朝Morning Glory、1967年招かれざる客Guess Who's Coming to Dinner、1968年冬のライオンThe Lion in Winter、1981年黄昏On Golden Pond。ノミネートは1935年乙女よ嘆くなAlice Adams、1940年フィラデルフィア物語The Philadelphia Story、1942年女性No.1Woman of the Year、1951年アフリカの女王The African Queen、1955年旅情Summertime、1956年雨を降らす男The Rainmaker、1959年去年の夏 突然にSuddenly, Last Summer、1962年夜への長い旅路Long Day's Journey Into Night。このうち特に1935年のアカデミー賞授賞式の際、「青春の抗議Dangerous」でアカデミー主演女優賞を受賞したベティ・デイヴィスBette Davisは「今年の本当の受賞者、オスカーにふさわしい演技をしたのはキャサリン・ヘップバーン」と語ったし、1940年に「恋愛手帖Kitty Foyle」のジンジャー・ロジャースGinger Rogersに敗れたのはおかしい。これは、キャサリン・ヘップバーンが一貫してマスコミやコラムニストに非協力的であったことも影響しており、「キャサリン・ヘップバーンは心の狭い映画人に復讐された」と言われた。)((アカデミー賞受賞・ノミネートの数も華々しいが、実はキャサリン・ヘップバーンはアカデミー賞授賞式は全て欠席。唯一の出席は1974年。友人のプレゼンターとして。初めてのアカデミー賞授賞式のケイトを出席者は総立ちのスタンディングオベーションで迎え、黒のパンツスーツのキャサリン・ヘップバーンは「よかったわ。『今ごろのこのこやってきて!』と言われなくて。」と語り、役割を終えると裏口から姿を消した。この間、15分。

*8:ローレン・バコール( Lauren Bacall 1924-2014)は「私はカルバン・クラインのスーツで決めたつもりだったがキャサリン・ヘップバーンがシンプルなパンツスタイルが会場をさらった」と書き残している。

*9:「旅情」のヒロイン、ジェーンの年齢設定は38才。演じるキャサリン・ヘップバーンは当時46才。

*10:グルノーブル大学出の株式仲買人、オグデン・ルドロー・スミス。期間は1928年から1934年まで

*11:キャサリン・ヘップバーンはパイロットの免許も持っており、飛行機の操縦はハワード・ヒューズ(Howard Hughes 1905-1976)実業家、映画製作製作者。億万長者であり、数多くの美人女優との華やかな女性遍歴でも有名。

*12:肺臓が充血するという奇病で、彼女とピクニックをしているときに発病した。その後5年間、ヘップバーンは仕事をやめて、病気のトレーシーにつきそっている。

*13:「女性No.1Woman of the Year」(1942)、「Keeper of the Flame(火の女・日本未公開)」(1942)、「Without Love(愛はなく・日本未公開)」(1945)、「The Sea of Grass(大草原・日本未公開)」(1947)、「アダム氏とマダムAdam's Rib」(1949)、「State of the Union(愛の立候補宣言・日本未公開)」(1948)、「Pat and Mike(パットとマイク・日本未公開)」(1952)、「Desk Set(デスク・セット・日本未公開)」(1957)、「招かれざる客Guess Who's Coming to Dinner」(1967)。

*14:1965年にはバージニア大学から「プライベートの権利」という本を出版している。