洋画の歴史に残るおすすめ映画女優185人をあげていく。ただし1945年生まれまで。

 

 

 

あ行

アイリーン・ダン(Irene Dunne 1898-1990 米)

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1930年代を彩った典雅な奥様女優。「シマロン Cimarron」(1931)では西部に生きるフロンティアスピリットあふるるしっかり者の美しく強い妻。「アンナとシャム王 Anna and the King of Siam」(1946)では亡き夫の面影を胸に、家庭教師として新天地シャムに旅立つ若き子持ちの未亡人。「ママの想い出 I Remember Mama」(1948)は優しく賢い大工の妻。家庭を切り盛りし、娘たちはすくすくと育っていく。そして娘たちが知ったパパとママがずーっと秘密にしていたこととは…。娘が心細かろうと、変装して病院に忍び込み、歌を歌ってあげるシーンは(もともとは歌手)涙ウルウルものです。上品で、奥ゆかしげな個性がデボラ・カーと似ていますね。この方もアカデミー賞に幾度となくノミネートされながら(5回)、ついに受賞はなかった。

 

アナベラ(Annabella 1907-1996 仏)

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全盛期は1930年代。代表作、「巴里祭」の可憐な女の子。公開は昭和8年。戦前のパリの下町を舞台にした古きよきパリとパリに暮らす市井の人々を描いた古典のフランス映画でした。アナベラは戦前、正統派清純派女優としてデビューし、パリジェンヌの香りを伝える出演作は数多く、戦後までキャリアは続き、活躍は息が長い。つつましくも親しみやすく、可憐で日本人好みですね。ハリウッドに乞われ、出演した映画がきっかけで、水もしたたる太い眉の美男スター、タイロン・パワー(1914-1958・米)と結婚していたことがあります。出演作は「巴里祭 14 Juillet」(1933)のほか、「戦ひの前夜 Veille d'armes」(1936)、「地の果てを行く La bandera」(1935)など。

 

アニー・ジラルド(Annie Girardot 1931-2011 仏)

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代表作は巨匠、ヴィスコンティの「若者のすべて」。全盛期は1950-60年代。やや暗く影のあるいわくありげな大人のリアルでアンニュイな役柄の多いフランスの女優さんです。コンセルヴァトワール出身ですので、演技力がしっかりしており、舞台に映画にテレビにショーにマルチに活躍。年を重ね、脇に回っても晩年まで出演作は数多く、一時代を築いた俳優として、訃報は大きく世界に伝えられました。出演作は「若者のすべて Rocco e i suoi fratelli」(1960)のほか、「パリのめぐり逢い Vivre pour vivre」(1967)など。「パリのめぐり逢い」ではイブ・モンタンと共演。フランシス・レイの音楽がよみがえりますね。

 

アヌーク・エーメ(Anouk Aimée 1932- 仏)

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出演作は名画揃い。「モンパルナスの灯」で夫モジリアニの後を追い、身を投げる若妻、)、「男と女 Un homme et une femme」(1966)のフランシス・レイ、「シャバダバダ、シャバダバダ、…」のテーマソングは永遠のスタンダード。目鼻立ちがくっきりはっきりしていて、ともすれば大味になってもいいはずなのに、濡れたような瞳、しっとりとフェロモン&フェミニン。果てなき抒情と女性らしさがにじみ出る、フランス女性の鑑というべきか、誇りというべきか。栄光と賞賛を浴び続けた大スター。「モンパルナスの灯 Les Amants de Montparnasse」(1958)、「甘い生活 La Dolce Vit」(1960)、「8 1/2 Otto e mezzo」(1963)など。4本全部、不朽の名作、必見です。

 

アラ・ナジモヴァ(Alla Nazimova 1879-1945 露出身 米)

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ロシア生まれでブロードウェイで大成功を納め、故国に帰らず映画界入り。本格的な演技は格が高く映画会社は「ナジモヴァ夫人のお出になる映画」と宣伝。観客も恐れ入って鑑賞。「サロメ」とかチェーホフとかエキゾティシズムとドラマティックな映画と演技が大うけ。瞬く間に演技のできる人気スター、大スター。マリリン・モンローと同じく出自に事情があり、親戚・里親をたらいまわしされた少女時代。エキセントリックな部分もあり、サンセット大通りに住んでおり、贅沢な生活、バイセクシャルであったことなど、私生活の話題提供にも事欠かず。華やかな黄金時代の逸話は数知れず。出演作は「奇蹟の薔薇 Revelation」(1918)、「紅燈祭 The Red Lantern」(1919)、「椿姫  Camille」(1921)など。

 

アリダ・ヴァリ(Alida Valli 1921-2006 伊)

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御存じ大大大大クラシック映画「第三の男」のラストシーン、アントン・カラスのチターの響きが流れ、枯葉舞う一本道。ジョセフ・コットン(1905-1994)を一顧だにせず、現れ、通り過ぎる。今クロアチア、当時イタリア生まれですが、イタリアはもちろん、アメリカ、イギリスの各国の巨匠監督に招かれ、単なる美人女優に留まらない硬質な美貌。そして複雑な心理表現をも兼ね備え、1940-50年代の名作映画を語る時には必ず名前が上がります。「夏の嵐」は個人的にはマイ人生の映画ベスト3に絶対入れたい。「第三の男 The Third Man」(1949)、「夏の嵐 Senso」(1954)のほか、「パラダイン夫人の恋 The Paradine Case」(1947)、「さすらい IL GRIDO」(1957)など。

 

アルレッティ(Arletty 1898-1992 仏)

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マルセル・カルネ監督(1906-1996 仏)に見いだされ、「北ホテル Hôtel du Nord Raymonde」(1938)の娼婦役で主役を喰いまくり、「悪魔が夜来る Lea Visiteurs du soir 」(1942)」の悪魔の使いで男に破滅をもたらし、フランス映画のレジェンド、「天井桟敷の人々 Les Enfants du Paradis」(1945)」の女芸人ガランスが決定版。魅力全開、全盛期が30代半ばから40代というのがまた凄みありすぎ。孤高の自由奔放な魂を持ち、男は彼女をひたすらあがめたてまつり、当の本人はあくまでも蠱惑的でありながら冷やかなままで。
到底ファム・ファタール(運命の女)におさまりきらぬ壮大なスケールの戦前の大女優であり、女優史・映画史を語る時、絶対に外せない、伝説の存在です。

 

アン=マーグレット(Ann-Margret 1941- スウェーデン生まれ、米)

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もともとは歌手であり、ダンサー。美人でスタイル抜群。赤毛で、当時のカラー映画の色調に、はえるのです。1960年代のグラマー&セクシー、明るくキュートでイカしたアメリカンガールです。ちなみに5才でアメリカに移住。初期の映画はキャリアを活か音楽映画だったりミュージカル映画だったり。「ラスベガス万才 Love in Las Vegas」(1963)でエルヴィス・プレスリーと共演しています。女豹のような眼差し。瞳千両。挑発するかのダンスに男の子はもうクラクラ…。そしてノンミュージカル、「愛の狩人 Carnal Knowledge」の演技は高い評価を受け、芸域も広い。映画の同名タイトル曲が大ヒットした「バイ・バイ・バーディー Bye Bye Birdie」(1963)も代表作。

 

アン・バクスター(Anne Baxter 1923-1985 米)

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1作だけで記憶に歴史に残る女優さんって、います。アン・バクスターと言えば「イヴの総て All about Eve」(1950)が代表作。美人は美人だけど、ものすごい美人ではない。野心に燃え、大スターに近づき、取り入り、人を蹴落とす、生真面目で勤勉な女優。自分の欲しいものを手に入れる用意周到さ、暗く燃えさかる情熱。…で存在を決定づけた。建築家のフランク・ロイド・ライト(1867-1959 米)の孫娘で、お嬢様。晩年までテレビ出演を続け、キャリアは途切れることなく。ほか、出演作は「剃刀の刃 The Razor's Edge」(1946)の新時代の頭で考える悪女ぶりが好評価。アン・バクスターの出世作です。1950年代の性格派美人女優、と呼ぶべき存在。

 

アン・バンクロフト(Anne Bancroft 1931-2005 米)

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「卒業 The Graduate」(1967)でダスティン・ホフマン(Dustin Hoffman 1937–)扮する青年を誘惑するミセス・ロビンソン。ニューヨークのアクターズ・スタジオ(The Actors Studio)ほかでじっくり演技を学び、「奇跡の人 The Miracle Worker」(1962)、で三重苦のヘレン・ケラーの教育に挑むにサリバン先生、「女が愛情に渇くとき The Pumpkin Eater」(1964)で浮気な夫に悩む妻…と演技力でその都度難役にチャレンジし、その都度観客も批評家をねじ伏せる超一流の演技派。イタリア系なのでやや濃い目の顔立ち。知性派・インテリ。大人の女の憂いと煩悶で向こうをうならせ続けた。このタイプは年を重ねればそれが武器になる。なおも意欲作に挑戦し続けたものの、道半ばにありながら病に倒れてしまったことはかえすがえすも残念。

 

アン・ミラー(Ann Miller 1923-2004 米)

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花開いたハリウッドのミュージカル映画の黄金時代は1930年代から50年代。1940年代のトップの女性タップダンサーは、この人です!美人ですし、脚が綺麗。明るく華やかで女性らしく、程よくグラマラスなので、踊りにパンチがある。それていて超絶技巧の、長くて美しい脚を見せての躍動感あふれる力強い踊りはさながら太陽のようと呼ぶべきか大輪の花と言うべきか。のちに舞台にも進出し、ハリウッドのみならずブドードウェイも征服した。偉大なるタップダンス・レディー。出演作は「イースター・パレード Easter Parade」(1948)、「踊る大紐育 On the Town」(1949)、「キス・ミー・ケイト Kiss Me, Kate」(1953)、「Small Town Girl(日本未公開)」(1953)などなど、数多し。

 

アンジー・ディキンソン(Angie Dickinson 1931-  米)

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この人も脚線美で売った。全盛期は1960年代。大女優、時代のアイコン、というよりは、忘れられない傑作、面白さについ引き込まれるエバーグリーンのスタンダードの映画にコンスタントに出演し、映画史から外せない存在と呼ぶべきでしょう。代表作は「リオ・ ブラボー Rio Bravo」(1959)、「オーシャンと十一人の仲間 Ocean's Eleven」(1960)、「殺人者たち The Killers」(1964)など。勿論、主役じゃない。映画に花を添える、セクシーガール。…のはずだったのですが、やっぱり、「課外教授 Pretty Maids All in a Row」 (1971)の魅惑の女教師と「殺しのドレス Dressed to Kill」(1980)のフラストレーションいっぱいの人妻、入れとかなきゃいけませんね。

 

アンナ・カリーナ(Anna Karina 1940-  デンマーク出身 仏)

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1960年代半ば、既成の映画の枠をぶっ壊せ!とばかりに現れたフランス映画の新機軸、名付けてヌーヴェル・バーグ。その先陣を切り、トップを突っ走ったジャン=リュック・ゴダール監督(Jean-Luc Godard 1930- )のミューズであった。のがアンナ・カリーナ。自由奔放でシニカル。少しボーイッシュでキュート。はすっぱで、モデル出身ファッションセンス抜群。お好きでしたら彼女のファッションを見るためだけに映画を観る価値あり、です。イブニングドレスとかではなく、町行く女の子が普通に着ている服、のはずなのですが、天性の才能なのでしょうか。何気でどこまでもカッコイイ。出演作は「女は女である Une femme est une femme」(1961)、「女と男のいる舗道 Vivre sa vie: Film en douze tableaux」(1962)、「気狂いピエロ Pierrot le fou」(1965)など。

 

アンナ・マニャーニ(Anna Magnani 1908-1973 伊)

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かの故淀川長治(1909-1998)さまが「一番お好きな女優は?」と聞かれ、答えは「アンナ・マニャーニ。」マニャーニはねえ、女そのものだからねえ…と感に堪えない様子で、堰を切ったようにあの名調子で、マニャーニ礼賛は続くのです。堂々たるイタリア女の象徴。イタリア女優といえば今なら別名「イタリアの宝石」モニカ・ベルッジ(1964-)、少し前だとソフィア・ローレン(1934-)ですか。のスケールを上回りますね。本国イタリアでの人気は絶大、元祖国民的大女優。その葬儀は国葬級と伝えられれています。レジスタンスに抵抗し、撃ち殺される「無防備都市 Roma, città aperta」(1945)、しゃべってしゃべってしゃべり続ける、けたたましすぎる野性味フル装備のイタリアのマンマ、そしてなぜにここまでセクシーなんだ!?の「ベリッシマ Bellissima」(1951)、ハリウッドに乞われて進出、目にもとまらぬ早業でオスカーをさらった「バラの刺青 The Rose Tattoo」(1955)。

 

アンナ・メイ・ウォン(Anna May Wong 1905-1961 米)

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ご覧のとおり、アジア系。中国系アメリカ人です。1920~1930年代、ハリウッドは世界各国から俳優を呼び寄せ、妍を競わせます。当然この中にアジア系も含まれる。当時のハリウッドが東洋人の女優に求めたキャラクターは、悪女であり、毒婦。エキゾチシズムとアンナ・メイ・ウォンの魅力と実力が相まって、出演作は数多く、人気もうなぎ上りだったのです。しかし、アンナ・メイ・ウォン自身はステレオタイプの役を演じ続けるのを嫌い、舞台に進出したり、ヨーロッパ公演を行ったり、ラジオ出演したり。時代の先駆者たる女性です。前人未到の道を切り拓いた、ハリウッドのパイオニアの一人。出演作は「バグダッドの盗賊 The Thief of Bagdad」(1924)、「ピーター・パン Peter Pan」(1924)、「ピカデリー Piccadilly」(1929)など。

 

イングリット・チューリン(Ingrid Thulin 1926-2004 スウェーデン)

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スウェーデンの舞台の大女優です。同じくスウェーデンの大監督、イングマール・ベルイマン監督(1918-2007)の「野いちご Smultronstället」(1957)や「沈黙 Tystnaden」(1963)に出演し、これらの作品が世界的な評価を受けたことで、イングリット・チューリンの知名度も一気に世界規模。年増のデカダンス、インテリジェンス、エロティシズム。ルキノ・ヴィスコンティ監督Luchino Visconti 1906-1976)の「地獄に堕ちた勇者ども La Caduta degli dei」(1969)40過ぎたイングリット・チューリンを脱がせた!?シーンでは、あまりの凄まじさに、背筋が凍りつきます。ラストシーンの仮面のような厚いが上にも厚すぎる厚化粧の死に顔も、良かったなあ。。。

 

イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman 1915-1982 スウェーデン出身 米・欧)

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説明無用かも。でも一応。スウェーデンでの映画デビューのあと、ハリウッドに渡る。清純・凄艶・活き活きとした美貌と確かな演技力でたちまちトップスターとなり、ハンフリー・ボガード(Humphrey Bogart 1899-1957)と共演した「カサブランカ Casablanca」(1942)は永遠のスタンダードに。人気の絶頂にありながら、イタリアのこちらも映画史に残る大監督、ロベルト・ロッセリーニ監督(Roberto Rossellini  1906-1977)との不倫の恋で、ハリウッドを追われる。 ロッセリーニ監督との破局後も、ヨーロッパで、そしてアメリカで、精力的に映画出演、舞台出演を続け、復権を果たし、世界の大女優としてその生涯を閉じました。ほか、主な代表作は「誰が為に鐘は鳴る For Whom the Bell Tolls」(1943)、「汚名 Notorious」(1946)など。

 

ヴァージニア・メイヨ(Virginia Mayo 1920-2005 米)

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女優さんにしては目が少し小さいような。しかしその瞳は妖しく輝き、セクシー。ダンサー出身。小顔で、グラマー&スタイル抜群&脚長&脚線美。あんまり私が、私が、私は演技派、傾向に走らず、おっとりした人柄がしのばれる。いい意味で主演男優の相手役に徹し、出演作にも名作佳作が目白押しだったりします。古きよきアメリカ「我等の生涯の最良の年 The Best Years of Our Lives」(1946)での復員兵の妻、「虹を掴む男 The Secret Life of Walter Mitty」(1947)で稀代のコメディアン、ダニーケイの相手役を務め、一気にトップへ駆け上がり、代表作「死の谷 Colorado Territory」(1949)は西部劇版「ボニーとクライド」。悪女ぶりの名演技、本領発揮のファム・ファタールを演じ、映画史にその名を残しました。

 

ヴァネッサ・レットグレイヴ(Vanessa Redgrave 1937- 英)

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この方くらい綺麗な年のとり方している女優さんいないんじゃないかなあ。今までは全盛期の写真を選んで持ってきてたのですが、この写真、使わずにいられない。なんと御年74才!俳優一家に生まれ、正統派シェイクスピア俳優の格式と演技力を兼ね備え、政治的にも確固たる自分の信念を持っている。ガラスの如き繊細さ、鋼鉄の意思の強さと激しい気性ががそのまま魅力になる。演じる役に重ね合わされ、呆然と見つめ続けたくなる女優さん。出演作は「モーガン Morgan: A Suitable Case for Treatment」(1966)、「裸足のイサドラ Isadora」(1968)、「ジュリア Julia」(1977)など。

 

ヴィヴィアーヌ・ロマンス(Viviane Romance 1912-1991 仏)

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1930年代のフランス映画を彩ったヴァンプ女優。本人もこの役柄に意欲的で、「退廃的なヴァンプより、もっと溌剌としたヴァンプをやりたい。」と語っていました。ホットビューティ。黒髪で情熱的、セクシー。カルメンのタイプですね。もちろん「カルメン Carmen」(1946)、出演しています。「地の果てを行く La Bandera」(1935)で純情可憐なアナベラやジャン・ギャバンら(Jean Gabin、1904-1976・仏)らとの名優と共演し地位を確立。「娼婦マヤ Maya」(1949)ではプロデューサーも兼ね、港に生きる女の悲哀を熱っぽく演じています。人気もキャリアも息長く、フランスのフィルム・ノアールの古典、「地下室のメロディー Mélodie en sous-sol」(1963)では再びジャン・ギャバンと共演し、今度は夫婦役を演じています。

 

ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh 1913-1967 英・米)

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あまりに美しすぎて。あまりに繊細過ぎて。そしてもろすぎて。研ぎ澄まされた究極の美貌に、言葉を失う。お互いに家庭がありながら一瞬にして落ちたローレンス・オリヴィエ(Laurence Olivier 1907-1989)との恋。愛しぬき、流産を繰り返し、結核を患い、役に埋没し精神錯乱に見舞われ、オリヴィエは子どもの産める健康な女に心を移し、去って行った。「風と共に去りぬ Gone with the Wind」(1939)、「哀愁 Waterloo Bridge」(1940)、「欲望という名の電車A Streetcar Named Desire」(1951)。映画史に残る傑作に次々と出演し、観終わって、どの映画もどの映画も、ヴィヴィアン・リーの美貌と憑依とも取れる凄まじい演技に圧倒される。燃え盛る赤い炎。冷たく燃える蒼い焔。哀しすぎる、傷ましすぎる最期。。。どこまでもどこまでも、観る者の心に強烈な存在感を刻み付ける、不滅の美貌とオーラを持った方。

 

ヴィルナ・リージ(Virna Lisi 1936-2014 伊)

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イタリアの正統派美人官能女優。イタリアのバイタリティというよりは洗練が持ち味です。グラスファイバーのようなブロンド。やや切れ長の釣り目気味。やや小柄でスレンダーでそそる肢体。イタリアで頭角を現し、「エヴァの匂い Eve」(1962)で世界の舞台へ踊り出て、ハリウッドに進出。「女房の殺し方教えます How To Murder Your Wife」(1964)で大御所ジャック・レモン(Jack Lemmon 1925-2001 米)、「クィーン・メリー号襲撃 Assault on a Queen」(1966)でフランク・シナトラ(Frank Sinatra 1915-1998 米)の相手役を務め、続く「蜜がいっぱい Birds, The Bees and The Italians」(1966)はあの!クロード・ルルーシュ(Claude Lelouch, 1937- 仏)の「男と女 Un homme et une femme」(1966)とカンヌ国際映画祭でパルム・ドールを分け合っています。

 

ヴェラ=エレン(Vera-Ellen 1921-1981 米)

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1940~50年代のハリウッドミュージカル黄金期のトップ女優の一人です。容姿は純情可憐。小柄で可愛い女の子。真面目に練習を積み重ねるタイプで、歌よりは踊りが本領で、そのダンスはキュートでキレが良く、かつ相手役を喰わないので、大作にいくつも出演しています。「ダニー・ケイの牛乳屋 The Kid from Brooklyn」(1946)で大コメディアン、ダニー・ケイ(Danny Kaye 1913-1987 米)と。「土曜は貴方に Three Little Words」(1950)でフレッド・アステア(Fred Astaire 1899-1987 米)と。「踊る大紐育 On the Town」(1949)でジーン・ケリー(Gene Kelly 1912-1996 米)と。「ホワイト・クリスマス White Christmas」(1954)でビング・クロスビー(Bing Crosby 1903-1977 米)と。

 

ヴェラ・マイルズ(Vera Miles 1929-  米)

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1950-60年代、もしかするとトップに躍り出るはずだったブロンド美人のクール・ビューティ。アルフレッド・ヒッチコック監督(Sir Alfred Hitchcock 1899-1980 英・米)はあの。「めまい Vertigo」(1958)にヴェラ・マイルズを使いたかった。しかし妊娠してしまい、主役はキム・ノヴァクに行ってしまい、映画は完成し、あたかもノヴァクのためのような映画、ノヴァクの代表作に数えられます。ヴェラ・マイルズにとっては、実に残念なことになってしまった。演技もしっかりしていて出演作も巨匠揃いなのです。クレジットは助演級。そして女優として映画に出演し続けるのも、確かに一つの道なのでしょうね。作品は「捜索者 The Seachers」(1956)、「間違えられた男 The Wrong Man」(1957)、「サイコ Psycho」(1960)など。

 

ヴェロニカ・レイク(Veronica Lake 1922-1973)

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1940年代のハリウッドの悪女、ファム・ファタール女優の一人。ブロンド美人。前髪を顔に落としたワンレンのヘアスタイルがトレードマーク。
第二次世界大戦の戦時中、「ヴェロニカ・レイクのヘアスタイルを真似するのはやめましょう」なんてプロパガンダ写真が残されており、当時の時代のアイコンでした。冷たい、冷やかな美女がはまり役で「シェーン Shane」(1953)のアラン・ラッド(Alan Ladd 1913-1964 米)とのコンビは、ハリウッド伝説のカップルの一つ。メンタルの弱い方で、若死にされたのが、お気の毒。出演作は「空の要塞 I Wanted Wings」(1941)、「拳銃貸します This Gun for Hire」(1942)、「青い戦慄 The Blue Dahlia」(1946)など。

 

エヴァ・ガードナー(Ava Gardner 1922-1990 米)

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1950年代を代表するアメリカ生粋のブルネットのダイナミック・ビューティであり、ホット・ビューティであり、セックスシンボルであり、大スターであり、ファム・ファタールであり…。かのエリザベス・テイラーも「世界一の美女は私じゃない。エヴァよ。」と語った。ギリシャ彫刻を思わせる完璧なボディ。ブルネットの、大人の女の貫録と香り。結婚・離婚を繰り返し、44才で年下の美男子の闘牛士をして恋に狂わせ、「僕は牛に2度角で刺された。でもエヴァは牛より深く僕のハートを突き刺した」と言わしめた。作品も、キャリアを重ねる毎にスケールアップしていくのが凄い。さすがです。作品は「殺人者 The Killers」(1946)、「裸足の伯爵夫人 The Barefoot Contessa」(1954)、「裸のマヤ The Naked Maja」(1959)など。

 

エヴァ・マリー・セイント(Eva Marie Saint 1924-  米)

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1950年代のハリウッドのブロンド美人の1人です。こう言ってはなんですが「波止場 On the Waterfront」(1954)、ではアカデミー助演女優賞を受賞し、スターダムに駆け上がったものの、この映画のエヴァ・マリー・セイントは、………地味である。またまたこう言ってはなんですが、貧相である。豪華さにはほど遠い。。。ところが、磨く人が変わればここまで変わる。アルフレッド・ヒッチコック監督の代表作の1つ、「北北西に進路を取れ North by Northwest」(1959)、の薔薇の花のごときのきらびやかさ、華麗さに、ここまで人はいや女優さんは変われるものなのかと。この1作で、「映画史から絶対に落とすことのできないヒッチコック美人」のタイトルが加わった。出演作はこの2作のほかに、「栄光への脱出 Exodus」(1960)など。

 

エスター・ウィリアムズ(Esther Williams 1921-2014 米)

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1940年代、米MGM社は、水泳チャンピオンの美女をスターにするため、美の女神にふさわしい巨大で豪華絢爛なセット、膨大なエキストラ、監督スタッフを用意し、エスター・ウィリアムがプールに飛び込む。エキストラの水着を着た美女が後を追う。水を切って泳ぎ、水中でポーズを決める。。。。こんな映画がその昔、作られていたのです。「ザッツ・エンターテイメント That's Entertainment」」(1974)は1930~50年代のMGMミュージカル映画の傑作選。エスター・ウィリアムズの登場シーンには固まってしまいました。ここまでするのか!?ここまで手間暇とお金をつぎ込むのか!?1人の女性を、スターにするために。ああ、古き良き時代…。主演作は「世紀の女王 Bathing Beauty」(1944)、「水着の女王 Neptue's Daughter」(1949)、「百萬弗の人魚 Million Dollar Mermaid」(1952)など。

 

エドウィージュ・フィエール(Edwige Feuillere 1907-1998 仏)

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エドウィージュ・フィエールと言えば。年上の女性である。気高くあがめたてまつるべき高貴な美しすぎる貴婦人である。町の女の子なんか似合わない。はっと居住まいを正し、見つめ直さずにはいられない。あらゆる意味で別格の格の高い女性、がはまり役、定番です。細~~ぉ~いウエストがチャームポイント!?なのです。なので、コルセットで締め上げるコスチュームプレイが映える。ジャン・コクトー (Jean Cocteau 1889-1963)監督の代表作の一つ、「双頭の鷲 L'Aigle a Deux Tetes」(1947)は王妃役でしたし。しっとりした高嶺の花に憧れる、女性の魅力は30才を超えてから、の方にはピタリとはまる女優さんです。出演者はほかに「しのび泣き LA PART DEL'OMBRE」(1945)、「青い麦 Le Ble en Herbe」(1953)など。

 

エリザベス・テイラー (Elizabeth Taylor 1932-2011 英出身 米)

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この方も説明不要ですね。ハリウッドのサバイバー。フェニックス。打たれても叩かれても病で死の淵をさまよっても、開きかけたバラのつぼみのような初々しい美少女は、大人の女に成長し、生き抜いた。好きになったら、結婚しなければいけない。と8回の結婚・離婚を繰り返した。全盛期のリズはまさに気の遠くなるような美女。ゴージャスな、でもひそやかな心の襞をも併せ持つ…。「陽のあたる場所 A Place in the Sun」(1951)の白のドレスは今も永遠。「熱いトタン屋根の猫 Cat on a Hot Tin Roof」(1958)で演技派としてのプライドを見せつけた。周りを振り回し、巨億を投じた「クレオパトラ Cleopatra」(1963)の駄作凡作わがままエピソードなど、エピソードは数知れず。

 

エレオノラ・ロッシ=ドラーゴ(Eleonora Rossi Drago 1925-2007 伊)

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 何といっても「激しい季節 Estate violenta」(1959)。この映画も「若い男の子が年上の女性に出会い、惹かれ、女性もいけないとは知りつつも愛の嵐に飲み込まれ…」のジャンルの映画。モデルさんで女優に転身してるので、容姿端麗、申し分なし。ロッシ=ドラーゴの艶っぽいこと。なまめかしいこと。愛し合い、もう離れられない濃密ないつか別れの来る恋。映画少年たちがスクリーンに見とれ、映画のトリコへといざなう女神は時代時代で顔ぶれは変わりますが。エレオノラ・ロッシ=ドラーゴ、イタリア女の貫録と官能で、いったい何人の青少年を、狂わせたのでしょうね。出演作はほかに「女ともだち Le amiche」(1955)、「刑事 Un Maledetto imbroglio」(1959)など。

エレノア・パウエル(Eleanor Powell 1912-1982 米)

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1930~1940年代のハリウッド・ミュージカルの女性ダンサーの第一人者です。他の女優さんは、フレッド・アステアの、あるいはジーン・ケリーの相手役として現れる。エレノア・パウエルは、一枚看板です。彼女の名前で映画を作る。踊る。魅せる。コンビ組んでももちろん踊ります。どの相手役とも笑顔で踊りを決め、どの相手役もエレノア・パウエルを大絶賛。マシンガンのような華麗、正確無比のタップダンス。出演する映画ごとに趣向をこらし、繰り広げられるスペクタクルな設定装置群舞衣装は、まさしくハリウッド全盛期の遺産。出演作は「踊るブロードウェイ BROADWAY MELODY OF 1936」(1936)、「ロザリー Rosalie」(1937)、「踊るニュウ・ヨーク Broadway Melody of 1940」(1940)など。

 

オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn 1929-1993 ベルギー出身 米)

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ずーっとずーっとNo.1。ブリュッセルで戦火に怯えた少女は認められ、「ローマの休日 Roman Holiday」(1953)で一気に頂点へ。
意志の強さが見て取れるファニー・フェイスとカモシカのような肢体。セックスアピールとは無縁。現代に蘇ったお姫様。夢の世界から舞い降りた妖精のような。研ぎ澄まされたハイセンスな個性。どこからどこまでも、殊の外日本人好みなんです。後年のユニセフ親善大使の活動も含め、一挙手一頭足、言葉のはじばしにいたるまで、もう半世紀以上、私たちに未だなお、新鮮な気づきを、与えてくれます。きっと、これからも、ずーっと。出演作はほかに「麗しのサブリナ Sabrina」(1954)、「マイ・フェア・レディ My Fair Lady」(1964)など。

 

オリヴィア・デ・ハヴィランド(Olivia De Havilland 1916-  米)

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「風と共に去りぬ Gone with the Wind」(1939)のメラニー役でもう歴史に残る方。東京生まれで、後述、ジョーン・フォンティーンのお姉さん。キャリアの初めはおっとりとしたお姫様女優で、騎士物語とか「海賊ブラッド Captain Blood」(1935)とかで「アイ・ラブ・ユー」なんてばっかり言ってたんですが、飽き足らない。メラニー役を経て、役の幅を広げていきます。暗い情熱に燃え上がるオールドミスを描いた、「女相続人 The Heiress」(1949)、秀逸です。なんともうすぐ100歳!90歳を過ぎ、キャリアに有終の美をと、晴れやかな席にしばしば現れ、その度に、老いてもなお美しき類まれな奇跡の女優を褒めたたえるため、観衆の万雷の拍手は鳴りやまないのだとか。

 

か行

 

カトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve 1943-  仏)

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言わずと知れたフランス映画と世界映画の至宝。美人女優の代名詞。ロジェ・バディム監督(Roger Vadim 1928-2000)に見いだされ、捨てられ、失意で出演した「シェルブールの雨傘 Les Parapluies de Cherbourg」(1964)の可憐さ、清楚さ。「冷たく燃え上がる炎」と評された冷酷非情なブロンド美人の情念と官能。ドヌーブだけしか表現しえないデカダンスの世界を切り拓き「昼顔 Belle de jour」(1967)の背徳の人妻。どの映画も神々しいまでに美しいのですが、個人的には40を過ぎたか過ぎないかの「終電車 Le dernier métro」(1980)かなあ。老いが迫りつつある気配。が透けて見え、切ないまでに、神かと見まごうばかりに超絶美しかった。バディムの子を産み、マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Vincenzo 1924-1996 伊)の子を産み、今なお、映画出演は続いています。

 

キム・ノヴァク(Kim Novak 1933-  米)

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クラッシックな美人女優であり、セクシー女優である。肉感的で、もちろんメリハリついた、いやつき過ぎでいながらも触れればいかにも柔らかそうな、真っ白な肌。身のこなしもしなやかでひそやかで。ミステリアスな。容姿だけで語れてしまうしまう方。こう言ってはいけないのでしょうが、演技はあまりうまくない。しかし上手い監督が上手に使えば。たとえば「ピクニック Picnic」(1955)。名曲「ムーングロウMoonglow」とともに始まるダンス。「愛情物語 The Eddy Duchin Story」(1956)。風を怖がり、怯える若妻。「めまい Vertigo」(1958)で七色のネオンサインの中から、死んだ女が蘇ってくるがごとくの不滅の名シーン。
うん。絶対に落とせない女優さんです。

 

キャサリン・ヘップバーン(Katharine Hepburn 1907-2003 米)

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あらゆる意味でオフ・ビートな、破天荒な、素晴らしすぎる。20世紀を代表する大女優。それがキャサリン・ヘップバーン。良家の子女であり、都会派・知性派。頭が良すぎて。しゃべるしゃべる。相手役は押されっぱなし。空前絶後のオスカー12回ノミネート、4回受賞。役柄としては時代舞台は映画毎に異なるものの、自分の意思を持ち、貫く。時代の先端を行く、というよりはケイト(キャサリン・ヘップバーンの愛称)の内面にあるパーソナリティをその都度完璧な演技力でこなし、そのオーラがすべてを圧倒し続けたのですね。あ、もちろん、バレエをやっていて、身のこなしが美しく、細身の長身。の知的美人です。名優スペンサー・トレーシー(1900-1967)との秘めたるロマンスはハリウッドの美談の一つに数えられます。主な出演作は「フィラデルフィア物語 The Philadelphia Story」(1940)、「女性No.1 Woman of the Year」(1942)、「旅情 Summertime」(1955)など。

 

キャロル・ロンバード(Carole Lombard 1908-1942 米)

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クラーク・ゲーブル(Clark Gable 1901-1960)最愛の恋女房として、そして33才の若さで、第二次世界大戦下、戦時国債のキャンペーン中の飛行機事故で亡くなった女優として有名。「ボレロ Bolero」(1934)での濃厚なダンスは今でも語り草であり、正統派美人として華やかな女らしさをスクリーンに刻みました。もともとはコメディ映画、スラップスティックコメディーから出てきた方で、人柄も気取らず、男の子みたいなさっぱりした性格(これほどの知的都会派美人なのに!)、お国のために命を落とした悲劇の最期も相まって、とにかくほめ言葉しか聞いたことがない!出演作はほかに「特急二十世紀 Twentieth Century」(1934)、「襤褸と宝石 My Man Godfrey」(1934)など。

 

クラウディア・カルディナーレ(Claudia Cardinale 1938-  伊)

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マリリン・モンローは「MM」、ブリジット・バルドーは「BB」、そしてクラウディア・カルディナーレは「CC」。当時の世界のセックスシンボル。女神さまです。クラウディア・カルディナーレは、役柄が幅広い。貴族の令嬢から路傍に泣き崩れる庶民の女。元高級娼婦から王女まで。MMもBBも、今見れば花の盛りは短かった。CCだけが、世界を駆け巡り、今なお健在です。イタリア娘らしい、陽気なセックスアピール。小顔で愛らしく、悲劇を演じればいじらしく、セレブを演じればコケティッシュ。「山猫 Il Gattopardo」(1963)の新興貴族の令嬢の溌剌豪快笑い声「ハーッハッハ…」は歴史に残ります。出演作はほかに「81/2 Otto e mezzo」(1963)、「ブーベの恋人 La Ragazza di Bube」(1963)など。

 

クララ・ボウ(Clara Bow 1905-1965 米)

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ベティ・フープって、有名ですね。クララ・ボウはベティ・フープのモデルとなった1920年代が全盛のフラッパー女優。特別な美人でもなんでもない。手の届く女。現実離れした夢の女ではなく、そこらへんの道を歩いていそうな。気安く声をかけられて、気さくに相手してくれそうな。コケットリーなセックスアピールは映画「あれ It」(1927)中で爆発。彼女は「イット・ガール(It girl)」だ。のキャッチフレーズが一世を風靡しました。でもえてしてこういう出方をした人は後が続きにくく、贅沢な生活がスキャンダルを呼び、時代はサイレントからトーキーへ、の波に乗れなかった。しかし、まぎれもなく一時代を築いた女優です。出演作はほかに「つばさ Wings」(1927)など。

 

グリア・ガースン(Greer Garson 1904-1996 英出身 米)

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美人でフェミニンだけどセックスアピールとは無縁。良く言えば清く正しく美しく気高く○○省御推奨。悪く言えば堅苦しい映画。なにしろ代表作は学校の先生の奥様とか正当英文学のヒロインとか、代表作は「ミニヴァー夫人 Mrs. Miniver」(1942)、「心の旅路 Random Harvest」(1942)、「キュリー夫人 Madame Curie」(1943) 。時代は第二次世界大戦。前線で戦う兵士たちには、ピンナップ・ガールも必要。そして留守をしっかり守る、模範的な妻たり母たる女性も絶対に必要だったのです。良妻賢母のホームフロント女優。デビュー作からその演技は絶賛を浴び続け、観客に安らぎと愛と感動を届け続けた非の打ちどころのない女優さん。

 

グレース・ケリー(Grace Kelly 1929-1982 米)

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目の覚めるようなブロンド美人。知的でエレガントで格調高く、都会的で行動的!で、人柄はチャーミングで名匠ヒッチコック監督にそのエロティシズムはむき出しではなく、「氷をかぶった噴火山のようなもの」と評された、ヒッチコック美人の代名詞。最初から最後までトップを走り、あまたの共演者や大監督に愛され、ついにモナコの王様を射止めて結婚・引退!美の規範として、1950年代のスクリーンファッションの上でも、引退後の大公妃ぶりや結婚後の絵に描いたような苦労話や悲劇的な事故死、どこまでも話題がつきない、飛びっきりのクール・ビューティ。出演作は「裏窓 Rear Window」(1954)、「喝采 The Country Girl」(1954)、「上流社会 High Society」(1956)など。

 

グレタ・ガルボ(Greta Garbo 1905-1990 米)

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スウェーデンからやってきた大柄な女の子は、夢の工場ハリウッドで大改造を施され、女神になった。ガルボが銀幕に現れ、ざっと100年。1世紀の間、ガルボの「顔」はずっと美の規範であり続けている。知性とセックスアピールを融合させた初めての存在。その演技は、感情表現の微妙さが飛び抜けており、得体が知れず、ミステリアスな氷の微笑。大根、のはずなのに。映画そのものの評価は必ずしも高くない。なのに。ガルボが現れると、存在感とスケールの大きさに、観る者は皆ひれ伏してしまうのです。「神聖ガルボ帝国」と呼ばれました。近づくに恐れ多い、美の化身。36才の若さで引退し、二度とスクリーンには戻らなかった。永遠の巨星です。大きすぎる。冷やかな微笑みが。恍惚の表情が…。出演作は「肉体と悪魔 Flesh and the Devil」(1926)、「アンナ・クリスティ Anna Christie」(1930)、「クリスチナ女王 Queen Christina」(1933)など。

 

クローデット・コルベール(Claudette Colbert 1903-1996 仏出身 米)

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マリリン・モンローが終生憧れ、目標にし続けた女優です。コメディエンヌなんですね。日本で喜劇女優となると別の方向にいってしまうことがままある。クローデット・コルベールは可愛くてフェミニンで温かな。そして知性あふれ、洗練された女性で、そして本来は舞台女優だったため、芸域も幅広く、皆の尊敬を集めました。「或る夜の出来事 It Happened One Night」(1934)でのクラーク・ゲーブル扮する新聞記者とコルベール扮する大金持ちの令嬢の珍道中、そして二人は恋におちて…。代表作です。絶対に顔の右側からしか撮らせない。1930年代はそれが通った。周りが女優を守り通したのです。出演作はほかに「クレオパトラ Cleopatra」(1934)、「青髭八人目の妻 Bluebeard's Eighth Wife」(1938)など。

 

グロリア・グレアム(Gloria Grahame 1923-1981 米)

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この方は、けっこうマニア向け。1940~50年代、「フィルム・ノワール」と呼ばれる犯罪映画の流れがありまして、どちらかというとB級あるいはプログラムピクチャー扱いされることが多い。グロリア・グレアムはフィルム・ノワールのギャングの愛人だの恋人だとかの役柄が多く、あくまでも主演男性の側に寄り添い、日陰に密やかに咲く花。美人は美人なんですが翳りがあり、演じる役柄の悲劇性も相まって、超メジャーではないのですが、一部のカルト的なファンがおり、今に至るまで、折に触れ、オマージュがささげられます。出演作は「素晴らしき哉、人生! It's a Wonderful Life」(1946)、「十字砲火 Crossfire」(1947)、「悪人と美女 The Bad and the Beautiful」(1952)など。

 

グロリア・スワンソン(Gloria Swanson 1899-1983 米)

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「グローリアス・グローリア」と謳われた豪気なアメリカ女。サイレント映画時代に100万ドルを稼ぎ、100万ドル使った。豪邸に住み、毎夜の乱痴気騒ぎ、ドレスに靴に宝石をとっかえひっかえ。もちろん、ラブ・アフェアーも。現実離れした贅沢ずくめのなライフスタイルはそのまま映画の役柄でもあった。夢の国に連れて行ってくれる、それが映画なんですから。大衆は気のいいグロリアを愛し、トーキーの波も難なく乗り越え、生涯、成功の座に座り続けた。「サンセット大通り Sunset Boulevard」(1950)は自分に自信があったからこそ出演した映画。「グロリア Gloria」(1980)は後に続く後輩が偉大なる先輩を仰ぎ見て捧げたオマ-ジュ。出演作はほかに「男性と女性 Male and Female」(1919)、「ありし日のナポレオン Madame Sans-Gêne」(1924)など。

 

ケイ・ケンドール(Kay Kendall 1926-1959 英・米)

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その美しさ、殊に脚線美(長い!脚が長い!)が有名。そして美人薄命、わずか33才で白血病で亡くなったのです。「マイ・フェア・レディ My Fair Lady」(1964)のヒギンズ教授役、レックス・ハリソン(Rex Harrison 1908-1990)とイギリス映画「完全なる良人 THE CONSTANT HUSBAND」(1954) 共演中に出会い、恋に落ち、病に倒れ、ケイ・ケンドールを看取るため、レックス・ハリソンは妻の理解の元に離婚し、愛する男性に見守られながら、自分が不治の病であることを知らぬ間にこの世を去った…。とのエピソードで知られます。出演作はほかに「古城の剣豪 The Adventures of Quentin Durward」(1955)、「魅惑の巴里 Les Girls」(1957)など。こちらの2作はハリウッド映画。

 

ケイ・フランシス(Kay Francis 1905-1968 米)

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身長175cmの長身。1930年代、ブルネットのベストドレッサーとして絶大な人気を誇った女優さん。都会の、上流階級のフェロモンいっぱいの夜の女や貴婦人がはまり役。人気デザイナー、オリー・ケリー、トラヴィス・バントン、エイドリアンらが次々とケイ・フランシスにの映画の衣装を担当し、女性はケイ・フランシスの豪華な衣装目当てで映画館に通い詰めたのだとか。名優・巨匠作品への出演も数多く、往時のハリウッドをしのぶことができます。出演作はウィリアム・パウエル(William Powell 1892-1984)と共演した「限りなき旅 One Way Passage」(1932)、キング・ヴィダー(King Vidor 1894–1982)監督「シナラ Cynara (1932)」、エルンスト・ルビッチ監督「極楽特急 Trouble in Paradise」(1932)など。

 

ゲイル・ラッセル(Gail Russell 1924-1961 米)

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この女優さんも若死にしています。美しさ、純情可憐ぶりから「拳銃無宿 Angel and the Badman」(1947)でかのジョン・ウェイン(John Wayne 1907-1979)の相手役に抜擢。ブルネットで、特に青い瞳が潤んだようで魅力的。大柄で威圧的、自分の美しさを誇示する女優にはないはかなげな女らしさでジョン・ウェインがぐらりとよろめいた。とか。「怒濤の果て Wake of the Red Witch」(1948)も我が青春の1作とかでオールドファンが必ず取り上げ、熱い口吻から、当時の映画少年たちの熱狂が見てとれます。日本人好みです。やっぱり女優業は、か弱い乙女には辛すぎたのでしょうか。次第に酒に溺れ、わずか36才(マリリン・モンローと同じ年!)で空の酒瓶に囲まれて亡くなっているのが発見されました。

 

コリーン・ムーア(Colleen Moore 1899-1988 米)

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サイレント映画時代はいわゆる狂騒の20年代。禁酒法、女性の参政権獲得、ジャズの、チャールストンダンス…。時代の先端を行く女性は髪は断髪。ストレートのIライン。お転婆な、気が良く、陽気で、「フラッパー」と呼ばれた。断髪の女優さん。コリーン・ムーアは愛くるしく、表情が豊かで、ヴィクトリア時代のおしとやかなお嬢さんから抜け出たおきゃんな可愛い女の子の役で一世を風靡しました。クララ・ボウと当時の人気を二分した、人気女優です。ドールハウス(とはいっても大人の背丈くらいある立派な、手の込んだ豪華なもの)が好きで、「Colleen Moore doll house」などで検索をかけると、贅を尽くした華麗なミニチュアのお城が美術館・博物館などに展示されており、贅を尽くした調度の数々をしのぶことができます。出演作は「青春に浴して Flaming Youth」(1923)、「微笑みの女王 Ella Cinders」(1926)、「想い叶うて Orchids And Ermine」(1927)など。

 

コリンヌ・リュシエール(Corinne Luchaire 1921-1950 仏)

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この女優さんは、本国フランスでは封印された存在。両親が親独家だったこともあり、また第二次世界大戦になだれこんだ時代。ナチス・ドイツの高官の愛人だったのです。しかし、話変わって日本となると「格子なき牢獄 Prison Sans Barreaux」(1938)ただ1作。この映画のコリンヌ・リュシエールの美しさ、愛らしさ、はかなげな守ってあげたくなる清楚さは、暗く、重々しく、戦争にのめりこんでいくご時世の仲、ひとときの光。束の間の安らぎ。であり、その年代の「我が青春の映画」ベストテンとかには必ず上位に名前があがります。良家の子女で、でもパリ解放後、自殺を図るものの未遂に終わり、裁判にかけられ、父親は銃殺、自身も投獄されたり。病弱で結核に倒れ、若くして亡くなりました。

 

コンスタンス・タルマッジ(Constance Talmadge 1898-1973 米)

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姉妹スターは数々あれど、姉ノーマ、妹コンスタンスのタルマッジ姉妹はサイレント時代のハリウッドのトップスター。コンスタンスは喜劇映画がテリトリー。「フラッパー」が現れる前の元気で可愛く明るいコメディエンヌとして人気者でした。新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolph Hearst 1863-1951)として有名な女優、マリオン・デイヴィスの親友としても知られています。出演作は、サイレント時代、いや今でも映画史上に燦然と輝く超大作「イントレランス Intolerance」(1916)中バビロン編、役名”山の娘”、「桃色女白浪 Venus of Venice」(1927)、「恋のかけひき Breakfast At Sunri」(1927)など。ブルックリン訛りがネックとなり、トーキーの波は乗り越えられなかった。

 

さ行

 

ジーナ・ロロブリジーダ(Gina Lollobrigida 1927- 伊)

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愛称ロロ(フランス語の「乳首」の俗語。ラテン気質の情熱的で情に厚い美女であり、やや釣り目で、勝ち気そうで。小柄でありながらボン・キュッ・ボンでグラマラス。頭が良くて感受性が鋭いんですね。女優引退後はカメラマンに転身し、成功してますから。もともとは母国イタリアでミスイタリアコンテスト3位入賞後、映画界入り。またたく間に注目を浴び、ハリウッドデビューを果たし、グローバルな活躍をつづけました。出演作は「夜ごとの美女 Les belles de nuit」(1952)、「パンと恋と夢 Pane, amore e fantasia」(1953)、「掟 La legge」(1959)など。79才で34才年下の実業家と結婚したんですって。出来る人は、スクリーンでも、スクリーンの外でも、恋愛模様も。さすがに隙がない。

 

ジーン・アーサー(Jean Arthur 1900-1991 米)

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昭和の大作家、池波正太郎(1923-1990)、映画通、映画評論家としても有名です。ジーン・アーサーが大の御贔屓。マリリン・モンローとかディートリッヒは嫌い。男勝りの女が好き。お好みは明快。舞台出身。サイレントの時代に映画出演を始め、確かな演技力。女子力タップリ。頭角を現すのはトーキになってから。「オペラハット Mr. Deeds Goes to Town」(1936)は女新聞記者、「歴史は夜作られる History Is Made at Night」(1937)は大富豪夫人、「シェーン Shane」(1953)は西部開拓時代の良き妻であり母であり。知性があり、ユーモアがあり明快。美人で女性らしいのに、勝ち気で男性と並んで対等。がはまり役。「シェーン」は最後の映画出演となり、以後は再び舞台での活躍を続けました。

 

ジーン・シモンズ(Jean Simmons 1929-2010 英 米)

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ヴィヴィアン・リーに似てますね~。それもそのはず、ローレンス・オリヴィエが監督を兼ね、主演した「ハムレット Hamlet」(1948)のオフィーリア役に大抜擢され(わずか19才!)、一気に有名に。ヴィヴィアンと同質のピリピリした、でも透明感を増したパーソナリティと美貌でハリウッド進出を果たし、「聖衣 The Robe」(1953)、「大いなる西部 The Big Country」(1958)とノーブルな気位の高い娘役として活躍。年齢を重ねてからは切れ切れながらもテレビに進出。長くキャリアを保ち続けたのはヴィヴィアン・リーとは対象的。こういう人生の方が観ている側からいけばホッとします。女優としての存在と、人としての人生の軌跡は、紛れもなく別の話。

 

ジーン・セバーグ(Jean Seberg 1938-1979 米)

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フランソワーズ・サガン(Françoise Sagan 1935-2004 仏)の処女作であり世界的なベストセラーとなった小説の映画化、「悲しみよこんにちは Bonjour tristesse」(1957)に抜擢。ヒロイン、セシルの名を冠したショートヘア「セシールカット」は時代のアイコンに。ヌーベルヴァーグの記念碑、ジャン=リュック・ゴダール(Jean-Luc Godard 1930- ) 「勝手にしやがれ À bout de souffle」(1959)の出演により、その名は映画史に永遠に刻み込まれた。しかしその後の出演作が当たらず、”使えない女優”とのレッテルを貼られてしまい、政治運動に傾倒しFBIにマークされ、黒人男性と結婚するものの時代背景もあり流産した子どもの遺体を衆目に晒さなければならなかった。精神を病み、失踪し、謎の死(自殺とみられる)を遂げました。

 

ジーン・ティアニー (Gene Tierney 1920-1991 米)

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カルト的人気女優。良家の子女で美人で頭が良くて清純派で演技が上手で。1940年代全盛のフィルム・ノワール映画、殺された美女の謎を追ううちに亡き女に惹かれていく「ローラ殺人事件 Laura」(1944)で頭角を表し、夫の愛を独占するために夫の弟を、お腹の子どもを…。の「哀愁の湖 Leave Her to Heaven」(1945)で一気にブレイク。アメリカでは1940年代の代表的美人演技派女優の一人として今なお根強いファン多し。そして難しい役柄をあまりにも熱心に演じすぎたのか、精神を病み、自殺未遂、華麗な男性遍歴、ファンから感染した風疹で産まれた子どもは障害児…。とで苦労し。映画に出続けるチャンスを逃してしまった。J・F・Kとも一時恋愛関係にありましたが、ケネディ家の反対で別れざるをを得なかったとか。出演作はほかに「幽霊と未亡人 The Ghost and Mrs. Muir」(1947)など。

 

ジーン・ハーロー(Jean Harlow 1911-1937 米)

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ハリウッドの1930年代のプラチナブロンドのセックスシンボル。もちろん映画はモノクロ。ジーン・ハーローが画面に現れると、白い肌、銀の髪、白く体の線をはっきり見せる肌もあらわなロングドレス、白いファー…とさながら燐が発光するが如く、そこだけ白く光っている。この手のタイプの女優の出演作には駄作が多く、ジーン・ハーローも例外ではなかった。スキャンダルも派手で、人気はうなぎのぼり、だったのに。病に倒れ、母親がクリスチャンサイエンス信望者で娘を医者にみせず。わずか27才でこの世を去りました。出演作は「地獄の天使 Hell's Angels」(1930)、「プラチナ・ブロンド Platinum Blonde」(1931)、「紅塵 Red Dust」(1932)など。

 

ジェーン・フォンダ(Jane Fonda 1937- 米)

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名優ヘンリー・フォンダ(Henry Fonda 1905-1982)の娘。父に反抗し、自分の女を主演に据えるロジェ・ヴァディム監督(Roger Vadim  1928-2000)をカトリーヌ・ドヌーブから奪い、結婚・離婚。「バーバレラ Barbarella」(1968)でエロティシズムを開花させ、と思いきや、アメリカに戻り、ベトナム戦争に反対し、政治活動に目覚め、社会的問題を真っ向からとらえた問題作に次々出演。「コールガール Klute」(1971)でオスカー受賞。一方、「ジェーン・フォンダのワークアウト」(エアロビメソッド)は大ヒットし、最後に父にオスカーを、と「黄昏 On Golden Pond」(1981)を自らプロデュース、世界で一番親孝行な娘に。いまは農場で静かに暮らしていると、切れ切れに伝わってきます。時折、レッドカーペットに現れる姿は、やっぱり、目を引きます。

 

ジェーン・ラッセル(Jane Russell 1921-2011 米)

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気のいいブルネットのグラマー女優。大富豪の映画製作者ハワード・ヒューズ(Howard Hughes 1905-1976)に見いだされ、「ならず者 The Outlaw」(1943)は、ジェーン・ラッセルの胸のふくらみをいかに見せるかに賭けた映画で、大センセーションに。「腰抜け二挺拳銃 The Paleface」(1948)ではカラミティ・ジェーンに扮し、「紳士は金髪がお好き Gentlemen Prefer Blondes」(1953)ではナーバスになりがちなマリリン・モンローをかばったエピソードが伝えられています。「みんなが見ているのは、マリリンなんだから…。」と。ライト・コメディでの姉御肌のグラマーが多く、このタイプの女優さんはスキャンダルに巻き込まれたり薬に頼ったり…、よく聞くのですが、ジェーン・ラッセルに限っては、その手の話がない。おおらかにグラマーを演じ、一時代を築いた数少ない存在。

 

ジェニファー・ジョーンズ(Jennifer Jones 1919-2009 米)

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ルルドの泉を見出した聖女ベルナデッタを演じた「聖処女 The Song of Bernadette」(1943)でデビュー。あっという間に話題をさらい、「終着駅 Stazione Termini」(1953)では道ならぬ恋に身を焦がす人妻、「慕情 Love Is a Many-Splendored Thing」(1955)では香港の女医さん、戦死した恋人を失った悲しみに泣き崩れ、永遠のスタンダード「慕情」の音楽が流れる…。この方、大プロデューサー、デヴィッド・O・セルズニック(David O. Selznick 1902-1965)の奥様だったのです。映画そのものもジェニファー・ジョーンズも素敵は素敵。なんですがセルズニックが亡くなった途端に出演作も人気も右肩下がり。がわかりやすすぎて。映画における画面に見えない存在の大きさを考えさせられる女優さん。

 

シド・チャリシー(Cyd Charisse 1922-2008 米)

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ハリウッド・ミュージカルのファム・ファタール。黄金期を支えた得難いダンサー。伝説の「雨に唄えば Singin' in the Rain」(1952)のクライマックスシーン、「ブロードウェイ・メロディ・バレー」中、ギャングの情婦役で田舎から出てきた兄ちゃん、ジーン・ケリー(Gene Kelly 1912-1996)を挑発し、誘惑し踊る官能のダンスは、小娘じゃあとてもとても…。大人の女の美しさと凄みを持ち、かつ踊れる貴重な存在でした。脚線美で有名で「バンド・ワゴン The Band Wagon」(1953)中、「ガール・ハント・バレー」ラスト近くの長~い脚を存分に見せるダンスに固唾をのみ、見とれ…。出演作はほかに「絹の靴下 Silk Stockings」(1957)など。華麗なダンスの最後に見せる笑顔は、素直で可愛い人柄が見てとれます。

 

シモーヌ・シニョレ(Simone Signoret 1921-1985 仏)

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フランス映画の良心と称えられ、尊敬され続けている女優さん。政治活動にも熱心でした。後半は太ってしまい、無理に整形して失笑を買う、なんて真似はせず、新たな芸域に皆を瞠目させた。デビュー間もないころは、つぶらな瞳が愛らしくフランス女優らしい匂うようなフェロモン。役柄も娼婦とか、貧しい生活の中知り合った男との愛にすべてをかけるがかなわず…の悲運のラストなど、フランスのフィルム・ノワールの時代、運命にもてあそばれる薄幸のヒロインで世界的な名声を獲得。イブ・モンタン(Yves Montand 1921-1991)夫人でもあり、マリリン・モンローとの確執なども有名。出演作は「肉体の冠 Casque d'or」(1951)、「 嘆きのテレーズ Thérèse Raquin」(1952)、「年上の女 Room at the Top」(1958)など。

 

シモーヌ・シモン(Simone Simon 1910-2005 仏)

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青春スター、のジャンルってありますね。シモーヌ・シモンはまさにそのタイプ。昭和8年。「乙女の湖 Lac Aux Dames」(1934)。ちょっと狆みたいな、目と目の間の離れたファニーフェイス。(この系譜は上記シモーヌ・シニョレ、ゲイル・ラッセル、ロミー・シュナイダーに受け継がれていく)ひと夏の恋。湖で見つけたいとしい人。思いを打ち明けるがかなわず、乙女は悲しみのあまり、湖に向かって…。この映画が大評判となり、パリからハリウッドに呼ばれて、華々しく売り出されたものの。この1作を超える作品にはついに、巡り会えなかった。そして「乙女の湖」は古典として、受け継がれていく。出演作はほかに「獣人 La Bete Humaine」(1938)、「輪舞 La Ronde」(1950)など。

 

シャーリー・テンプル(Shirley Temple 1928-2014 米)

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子役として活躍したのは3才から12才まで。間違いなくアメリカ、1930年代の最大のスターであり、老若男女誰もに愛される。幼い女の子がどんなに難しいセリフも、踊りも、覚えてしまう。あまたの巨匠に、大スターに「1回撮りのシャーリー」と言わしめ、誰もが芸達者ぶりに舌を巻き決してNGを出さない。そしていつも明るくほがらかに、決してぐずったり、だだをこねたりもせず、20世紀フォックスの大黒柱となった。大人になり、肩書は政治家、実業家と変わるものの、終生アメリカの誇りであり、古き良き時代、アメリカのイノセントの象徴であり、成功の座にあり続けた。出演作は「可愛いマーカちゃん Little Miss Marker」(1934)、「小連隊長 The Little Colone」(1935)、「テムプルちゃんの小公女 The Little Princess」(1939)など。

 

シャーリー・マクレーン(Shirley MacLaine 1934-  米)

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全盛期は1960年代。酒場女は恋敵(学校の先生)に泣きながら会いに行く「(あの人は頭のいい人が好きだから)どうか私に勉強を教えて…」そして男をかばって死んでいく…「走り去る人々 Some came running」(1958)。冴えない、ツキのないエレベーターガール「アパートの鍵貸します The Apartment」(1960)。もともと、ダンサー出身です。ボブ・フォッシー(Bob Fosse 1927-1987)監督の第1作のミュージカル、「スイート・チャリティ Sweet Charity」(1968)の気のいい踊り子。今までにいなかったタイプ。感情をむき出しに、可愛い女、尽くす女をパワフルに表現し、観客の心をわしづかみに。監督・俳優・作家…、沢山の肩書きを持つウォーレン・ベイティ(Warren Beatty 1937-)は実弟。

 

ジャクリーヌ・ササール(Jacqueline Sassard 1940- 仏 伊)

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ブルネットの純情可憐な乙女であり、17才のデビュー作「芽ばえ Guendalina」(1957)であっという間に世界のアイドル、世界の青春スターへと。フランス人ながらイタリア映画界が先にササールを認めた。イタリア映画ではどうしてもボリューム満点、圧倒される押し出しの美女が目につくなか、ササールはどこまでも楚々として育ちが良いお嬢さんぶり。27才で大富豪と結婚し、引退してしまい、以後一切の噂を聞きません。真ん中わけの髪型はササールカット。「三月生れ Nata di marzo」(1958)で着た服(コート)はササールコート。(日本で命名したから世界レベルではありませんが)かのアラン・ドロン(Alain Delon 1935-)が「お嬢さん、お手やわらかに! Faibles femmes」(1959)中、3人の女の子とすったもんだ。他愛ないけど楽しい映画、最後に選んだのはジャクリーヌ・ササールでした。

 

ジャネット・ゲイナー(Janet Gaynor 1906-1984 米)

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ハリウッドでサイレント期にスターとなり、トーキーの波も無事乗り切った。美人女優でもなくセックスシンボルでもない。悲劇が似合い、不運に見舞われ、肩を震わせながら、瞳いっぱいに涙をためながら不幸を乗りこえ、観客はジャネット・ゲイナーの健気な姿を見てある時は感激に胸を熱くし、ある時は涙をこぼし…。代表作は「第七天国 Seventh Heaven」(1927)、「サンライズ Sunrise」(1927)は市井の片隅に生きる貧しい健気な娘が、若妻ついに幸せを…のお話。「スタア誕生 A Star Is Born」(1937)は 自分を見出した男は落ちぶれて死に、大スターになった妻に夫への愛をたたえる万雷の拍手が…、とのお話です。小柄で健気な純情派は日本人好み。そして本国アメリカでも絶大な人気を誇りました。第1回アカデミー賞で主演女優賞を獲得。ひっそりと咲く、いたいけな花。

 

ジャネット・マクドナルド(Jeanette MacDonald 1903-1965)

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赤毛で大きな青い瞳。華麗なるソプラノ。トーキーの到来とともに突然現れた天才。エルンスト・ルビッチ監督の「ラヴ・パレード The Love Parade」(1929)を目の当たりにし、故淀川 長治さまは「これだけキレイで、演技ができて、これだけ歌える人がいたのか」とびっくり仰天したとか。「メリイ・ウイドウ The Merry Widow」(1934)もルビッチ監督作品。黄金時代を築いたネルソン・エディ(Nelson Eddy 1901-1967)との8作の共演を経て、世界に進出し、アメリカで世界のステージで歌い続けます。、出演作はほかにクラーク・ゲーブルと共演の「桑港 San Francisco」(1936)など。

 

ジャネット・リー(Janet Leigh 1927-2004 米)

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ヒッチコック監督いわく「ジャネット・リーのようなスター女優が映画の始まりと同時に殺されるとは誰も想像できない」映画「サイコ Psycho」(1960)。この1作で名前と記憶は、永遠に。眉や目がきりりと上がり、ノーブルな美人で、1950年代に多数・多様なジャンル(史劇・現代劇・犯罪映画・ミュージカル等々)の映画に出演しており、決まり役、はまり役を絞るのが難しい。一般人時代、スキー場のスナップがきっかけで超大スター、ノーマ・シアラーの目にとまり、スカウトされたエピソードはハリウッドの伝説の一つ。ご主人は甘いマスクのいい男(10代の女の子に大人気)トニー・カーティス(Tony Curtis 1925-2010)、娘は女優のジェイミー・リー・カーティス(Jamie Lee Curtis 1958-)。出演作はほかに「若草物語 Little Women」(1949)、「魔術の恋 Houdini」(1953)など。

 

ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau 1928-2017 仏)

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フランス映画の生きた伝説の女優と言えばもうこの人しかいない。全世界でも今やNo.1と言ってさしつかない。超大物。フランス映画はヌーヴェルバーグの時代。若き日の巨匠の、今の目から見れば決定打!映画史に残る映画に次々と出演。ジャンヌ・モローが出演したから成功したのか。ジャンヌ・モローが選んだ映画だから成功したのか。どの女性もどの女性も斬新かつ新しく、愛に生き、陰影を含み、限りない多重奏を奏でる。底知れぬ闇を内に秘めながら愛に生きる複雑な女性。出演作は「死刑台のエレベーター Ascenseur pour l'échafaud」(1957)、「雨のしのび逢い Moderato cantabile」(1960)、「突然炎のごとく Jules et Jim」(1962)。ああ、作品名を打つだけで胸が震えます。もちろん今日も健在であり、新作が封切られる度に近況は伝わってきます。

 

ジューン・アリスン(June Allyson 1917-2006 米)

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ダンサーから映画界入り。セクシー。ではなく親しみやすい。元気で明るい。賢くてキュート。と同性にも異性にもスタッフにも好かれる個性、動きがきびきびしていて見ていて気持ちよく、若々しく高感度満点のダンス。しゃがれ声がかえってトレードマークとなり、「グッド・ニュース Good News」(1947)などミュージカルスターとして一時代を築き、若手女優の登竜門「若草物語 Little Women」(1949)では次女、ジョー役を。徐々に奥様女優にシフト。「グレン・ミラー物語 The Glenn Miller Story」(1953)ではアメリカの良心を体現すると言われたジェームズ・ステュアート(James Stewart 1908-1997)との良妻賢母役が代表作。長いキャリアを危なげなく乗り切る女優さんはえてしてこういうタイプです。セックスアピールを売り物にしたり、ピリピリ勘走るタイプは、危ない。

 

ジュディ・ガーランド(Judy Garland 1922-1969 米)

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代表作は「オズの魔法使 The Wizard of Oz」(1939)。そして必ず挿入歌「虹の彼方に Over the Rainbow」が引き合いに出され虹を越えて幸せを掴みとれなかった人生。との但書きが。わずか47才での客死。黄金時代の偉業は、それはそれはダイナミックで。輝けるハリウッドミュージカルの黄金時代の看板をしょって立った、若き大スターでありエンターテイナーでもあった。全盛期「イースター・パレード Easter Parade」(1948)、失意のうちに再起をかけた「観ているうちに背筋が寒くなってくる」と評された入魂の「スタア誕生 A Star Is Born」(1954)。晩年のショーの無残な姿など、見比べてますと。歌と踊りに見とれ酔いしれたり、痛々しくて目をそむけたり。差がありすぎ、何ということだろう…。と胸騒ぎはやみません。

 

ジュリー・アンドリュース(Julie Andrews 1935-英出身 米)

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代表作は舞台版「マイ・フェア・レディ My Fair Lady」(1956-1962)、「メリー・ポピンズ Mary Poppins」(1964)、「サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music」(1965)。7色の声を持つ美声、清廉潔白清潔明朗な個性で一気に世界を制覇。もちろんこのあと、成功しすぎた代償として、家庭教師のおばさんのイメージは終生ついてまわり、良くも悪しくもその後の人生を支配し続ける。セックスアピールには乏しいかわりに才能美声は限りなくあふれんばかり。「ビクター/ビクトリア Victor/Victoria」(1982)なんか、ユニセックスの魅力!?を逆手にとって、玄人筋は大絶賛。酷使しすぎて、手術して、4オクターブ出ると言われたあの声は、もう出ない。"デイム"の称号と引き換えに。

 

ジュリー・クリスティー(Julie Christie 1941-  英)

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唇がね、大きいのですよ。ココ、特徴。唇美人(今だとアンジェリーナ・ジョリー(Angelina Jolie 1975-)とかジュリア・ロバーツ(Julia Roberts 1967-)とか)というには大きすぎやしないか。くらいに大きい。キャリアの初期「ダーリング Darling」(1965)と「ドクトル・ジバコ Doctor Zhivago」(1965)の成功で一気に世界制覇。折しも時代は1960年代のニューエイジ。アカデミー賞の受賞台に初めてミニ・スカートで現れたのはジュリー・クリスティー。(映画も女の子がのし上がる映画で割と過激)そして、演技力が確かな知性を感じさせるイギリス美人であり、女優であることでも有名。世界の大監督がその演技を絶賛しており、イギリスで今も映画出演を続けており、ご本人の運もさることながら、培った演技力によるところが大きい。出演作は他に「華氏451 Fahrenheit 451」(1966)など。

 

ジュリエッタ・マシーナ(Giulietta Masina 1921-1994 伊)

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巨匠フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini 1920-1993)夫人。イタリアの中産階級のお嬢さんであり、キャリアを重ねた得難い堅実な女優であり、夫を支えたつつましい妻。フェリーニ監督の代表作とも重なる自身の代表作「道 La Strada」(1954)は頭の弱い大道芸人の女、「カビリアの夜 Le Notti di Cabiria」(1957)は「また娼婦役…」と本人はいささか不満だったとも。しかし「道」は名作過ぎて。役名のジェルソミーナが切なすぎて。名作ゆえに、名演技ゆえに、ジュリエッタ・マシーナ=ジェルソミーナのイメージは、どうしても、消えない。フェリーニは元々はグラマラスな女性が好みなのです。しかしジュリエッタ・マシーナは、見た目的には顔はさほど…、ボディもやや貧弱…。なのに終生添い遂げた。魂と魂が呼び合い、結びついたのです。

 

ジョアン・ウッドワード(Joanne Woodward 1930-  米)

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ポール・ニューマン(Paul Newman 1925-2008)とのおしどり夫婦ぶりが有名。「家でステーキを食べられるのになぜ外でハンバーガー食べなきゃいけないんだ」の名セリフも有名。20代で難役、三重人格のヒロインを演じた「イブの三つの顔 The Three Faces of Eve」(1957)でオスカーを獲得してしまう。演技力は申し分ない少々勘の立ったエキセンオリックな魅力の知性派都会派美人女優で、映画スターであることよりも御主人ニューマンの企画に沿った映画とかを優先しつづけたのでしょうか。どうも「ポール・ニューマン夫人」以外の言動が表沙汰になることが少なく、これって賢い生き方って言っていいのかどうか迷う。出演作はほかに「レーチェル レーチェル Rachel, Rachel」(1968)、「まだらキンセンカにあらわれるガンマ線の影響 The Effect of Gamma Rays on Man-in-the-Moon Marigolds」(1972)など。

 

ジョアンナ・シムカス(Joanna Shimkus 1943-  加)

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生まれはカナダですがパリでモデルになったことをきっかけに美貌が認められ、フランス映画「冒険者たち Les Aventuriers」(1967)で一躍人気女優に。また村上春樹先生(1949-)が「一番好きな映画」にあげた「若草の萌えるころ Tante Zita」(1968)にも出演。繊細な、はかなげな風情のセンチメンタルに訴える人気女優でした。しかし32才で結婚してあっさり引退。演技も評価が高く、キャリアを重ねればさらなる飛躍があったのかもしれません。お相手はこちらも大スター、シドニー・ポワチエ(Sidney Poitier 1927- )。黒人俳優の先駆けであり、この意味でも歴史に残る女優さんです。いまはインテリアデザイナーをしているとのこと。出演作はほかに「夕なぎ Boom」(1968)など。

 

ジョーン・クロフォード(Joan Crawford 1904-1977 米)

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今だとお年を召されてからの怪奇映画出演とか、暴露物の映画とか評伝が先行してますが、ジョーン・クロフォードは1920~40年代の人気女優の一人。出演作の大半が娯楽作であり、時代が重なるグレタ・ガルボあたりと比べ、いわゆる映画史に残り、語り継がれていくジャンルの映画出演が少ない。しかしコーラスガール出身で目鼻立ちがくっきりはっきりの高値の花すぎない美人で、当時のファッション・リーダーの一人であり、結婚・離婚で話題を振りまき、自身のファンクラブを主催したり、米ペプシ・コーラの重役夫人におさまりながらも映画出演を続けます。出演作は「踊る娘達 Our Dancing Daughters」(1928)、「雨 Rain」(1932)、「ミルドレッド・ピアース Mildred Pierce」(1945)など。

 

ジョーン・フォンティーン(Joan Fontaine 1917-2013 米)

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オリヴィア・デ・ハヴィランドは姉。ジョーン・フォンティーンは妹。英国人。日本生まれの(姉妹のお父さんは東京大学教授)美人姉妹。
ジョーン・フォンティーンの方が美人ですね。そして品がある。おっとりした美貌がヒッチコック監督の目にとまり、ハリウッドでの記念すべき第1作「レベッカ Rebecca」(1940)に出演。亡き先妻の亡霊に怯える若妻役で一気にブレイク。続く同じくヒッチコック監督の「断崖 Suspicion」(1941)でアカデミー主演女優賞を受賞。これにより、美しき姉妹の断絶は決定的となり、マスコミも話題になるからと取り上げ続け、溝は最後まで埋まらなかった。出演作はほかに「ジェーン・エア Jane Eyre」(1943)など。後に舞台、テレビでも活躍。

 

 シルヴァーナ・マンガーノ(Silvana Mangano 1930-1989 伊)

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デビュー作「にがい米 Riso amaro」(1948)は、ボン・キュ・ボンの度合いが半端ない。ショートパンツから見える太ももの太さたるや、そのたくましいこと。出てきた時は「原爆女優」と呼ばれた。このとき18才。このままボリューミーなセクシー女優、グラマー女優路線を歩むのかと思いきや、!?、段々と顔が細くなり、ボディラインも洗練され、出演する映画は「アポロンの地獄 Edipo Re」(1967)では、オイディプス王のお話なので、ギリシャ悲劇の王妃役でイタリア女優の真骨頂を見せ「ベニスに死す Morte a Venezia」(1971)ではデカダンあふるる、正統派の重厚な貴婦人役…。肉体派から貴婦人へ。キャリアの後半になればなるほど凄みが増していく。。。

 

シルヴィア・シドニー(Sylvia Sidney 1910-1999 米)

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潤んだ瞳、零れ落ちる涙。貧しい若い娘が苦難の乗りこえ、顔いっぱいに歓喜の表情を浮かべるのですよ。健気でいじらしい人気女優でした。「アメリカの悲劇 An American Tragedy」(1931)では妊娠を知った恋人に殺され、「サボタージュ Sabotage」(1936)では夫がスパイであることを知って悲しみそしておそれおののき、「暗黒街の弾痕 You Only Live Once」(1937)禁酒法時代の泥棒コンビ、ボニー&クライド。つまり悲劇のラストシーン。あとはお蝶夫人とか子どもを抱えた若き未亡人とか下町の喜怒哀歓、ギャングと恋におちる少女…。サイレント時代からの長いキャリアを誇り、一貫して純情派、清純派。グロリア・スワンソンみたいに押し出し強いキャラクターではないため、地味に見えがちですが、死の直前まで舞台にテレビにスクリーンに活躍した、大女優です。

 

ジンジャー・ロジャース(Ginger Rogers 1911- 1995 米)

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フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースと言えば、アメリカの歴史に残るミュージカル映画の名コンビ。フレッド・アステアはロジャースとのコンビを解消したあとも沢山のダンサーと組んで踊りましたが、ついにロジャースを超えるパートナーには、巡り会えなかかった。
若鮎のようなスタイル。しなやかで軽快。透明感のあるダンスはフレッド・アステアのエレガンスを引き立てるという意味での、ベストパートナー。コンビ解消後も非ミュージカル映画での映画出演を続け、どの役もどの役も可愛い女ばかりで。アメリカン・ビューティの一つの完成型。出演作はフレッド・アステアとのコンビのダンス映画は11本。「トップ・ハット Top Hat」(1935)、「有頂天時代 Swing Time」(1936)など。ほかに「恋愛手帖 Kitty Foyle」(1940)など。

 

スーザン・ストラスバーグ(Susan Strasberg 1938-1999 米)

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あまたの名優を排出したニューヨークのアクターズスタジオ。芸術監督のリー・ストラスバーグ(Lee Strasberg 1901-1982)の娘がスーザン・ストラスバーグ。ご覧のとおり、感受性が高く、かつ清楚で知性を感じさせる少女は「ピクニック Picnic」(1955)でキム・ノヴァクの妹役でデビューし、ブロードウェイで「アンネの日記」のアンネ役で出演。続く「女優志願 Stage Struck」(1958)で大スターをめざし、下積みから登りつめようとする若い女優の気迫を熱っぽく演じ、すわ、若き大女優の誕生か。と評判となったものでしたが。その後、これぞという作品が、ないんですねぇ…。それでも脇に回り、テレビに映画に。演劇人との交流を描いた本はベストセラーに。ウォーレン・ベイティとのロマンスも有名です。出演作はほかに「ゼロ地帯 Kapò」(1959)など。

 

スーザン・ヘイワード(Susan Hayward 1917-1975 米)

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超大作「風と共に去りぬ」のヒロイン選びは揉めに揉め、ダーク・ホースのヴィヴィアン・リーがスカーレット役をかっさらっていくまではスーザン・ヘイワードは最有力候補の一人でした。そして候補にあがったことで徐々にチャンスをつかみ、「ボー・ジェスト Beau Geste」(1939)でゲーリー・クーパー(Gary Cooper 1901-1961)の相手役に抜擢され、以後、赤毛の手堅い演技の美人女優として映画出演を重ね、人気女優となります。プログラム・ピクチャーの出演が続き、本人としては、物足りない。飽き足らない。「スマッシュ・アップ Smash-Up, the Story of a Woman」(1947)で演技に開眼し、意欲作・野心作への出演を望み、遂に「私は死にたくない I Want to Live!」(1958)でオスカー受賞。正統派の美人女優であり業績は見事なもの。しかし巨匠がこぞって使う、類のキャリアでないため、いま一つ目にする機会が少ないのが惜しい…。

 

スザンヌ・プレシェット(Suzanne Pleshette 1937-2008 米)

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当時の青春イケメンスター、トロイ・ドナヒュー(Troy Donahue 1936-2001)と「恋愛専科 Rome Adventure」(1962)で共演、恋に落ちて結婚!と女の子の夢を全部実現させたかのような全盛期。「第2のエリザベス・テイラー」として大々的に売り出された、つまり正統派純情可憐のブルネットの美人女優。ブレイクした映画が映画ですし、一時は紛れもなくトップの人気を誇ったもののその後は脇に回り、出演作はほかに「鳥 The Birds」(1963)など。それでも「青春の1作。あの時のスザンヌ・プレシェット。一生忘れない。」とのオマージュがささげられる。そういう立ち位置の女優さん。

 

セシル・オーブリー(Cécile Aubry 1929-2010 仏)

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ブリジット・バルドーが現れる前のアンファン・テリブル。「情婦マノンManon」(1948)で彗星のごとくフランス映画界に現れた衝撃。フランス版「痴人の愛」みたいなお話で、あどけない女の子の奔放なふるまいに苦しみながらも二人は別れられず、悲劇のクライマックスに突き進む。マノンのなきがらを背負って砂漠をさまよい、砂に埋める衝撃のラストシーンはインパクト十分。この映画の成功で、ハリウッドに呼ばれ、「黒ばらThe Black Rose」(1950)「青ひげBarbe Bleue」(1951)などに出演するものの、ほどなく帰国・引退。その後童話作家にと転身を遂げました。「名犬ジョリイ」っていうアニメ(1981-2、NHKで放送)、覚えてますか?セシル・オーブリーが、原作者です。

 

セダ・バラ(Theda Bara 1885-1955 米)

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ハリウッドの創世記のヴァンプ女優。スフィンクスの呪いを受けフランス人とエジプト人の間に産まれ、男を狂わせる毒婦・妖婦との宣伝文句で大々的に売り出された。ヴァンプとはヴァンバイアの略。純情派に対する悪女派がここに誕生し、その系譜はファム・ファタール(運命の女)、フィルム・ノワールに受け継がれていく。最初の伝説。それがセダ・バラ。無論サイレントなので時に(今の目では)オーバーアクション、コスチュームは肌もあらわに、毒々しいメイキャップ。実像はしごく普通のアメリカ女性で、しばらく映画出演を続けたあと結婚して引退。穏やかな暮らしを楽しんでいたそうです。出演作は「愚者ありき A Fool There Was」(1915)「シーザーの御代(クレオパトラ)Cleopatra」(1917)「サロメ Salomé」(1918)など。

 

セレステ・ホルム(Celeste Holm 1917-2012 米)

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ハリウッドのキャラクター・ダンサーとでもいいましょうか。玄人好みの女優さんかも。クセの強い脇役(ミュージカル映画の脇役でおつむの弱い女の子を演じ、1曲披露して名ナンバーの殿堂入り、とか)が多いのです。そしてどの作品にも強烈な印象を残す。かつ演技力は折り紙つきのブロンド美人。気骨を感じる知性派美女です。出演作は「紳士協定 Gentleman's Agreement」(1947)でのユダヤ人差別に愕然とする主人公の同僚、「イヴの総て All About Eve」(1950)で劇作家の妻、「上流社会 High Society」(1956)ではフランク・シナトラ(Frank Sinatra 1915-1998)とデュエットで「百万長者になりたいかい? Who Wants to Be a Millionaire?」を歌い踊りました。

 

ソフィア・ローレン(Sophia Loren 1934- 伊)

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 この方も説明不要ですが…。イタリア映画界の生ける伝説。生ける女神。あらゆる意味でスケールの大きい。でも、可愛い女。まず肉体。曲線美(凄い…)で男を悩殺するというより圧倒するのですね。目鼻立ちも大きすぎるほど大ぶりで。一方、演技はドラマチックな史劇、泣けるメロドラマ、コメディ何でもござれ。「島の女 Boy on a Dolphin'」(1957)で国際的な名声を獲得した後、世界の巨匠、トップスターと次々に組み、登りつめた。そして結婚は1度きり。自分を見出したプロデューサーカルロ・ポンティ(Carlo Ponti 1912-2007)の離婚の成立を待ち、正式な結婚をして、母になることを望み、願いを叶えた。あらゆる意味で、稀有な方。出演作はほかに、「ふたりの女 La Ciociara」(1960)、「ひまわり I Girasoli」(1970)など。

 

た行

 

ダナ・ウィンター(Dana Wynter 1931-2011 英)

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SF映画の古典、「ボディ・スナッチャー/恐怖の街 Invasion of the Body Snatchers」(1956)の主役として映画史に残る女優さんです。人が世界が異生物に蝕まれていく…、4回もくりかえし映画化されています(1978、1993、2007)が、記念すべき第1作のこの映画の出来はやはりピカ一、との評価。エリザベステイラーを細面にしたかの、少しエキゾチックがかったブルネット美人。お医者さまのお嬢さんで小さい頃はイギリスとアフリカを転々としていた。イギリスでエージェントの目に留まり、アメリカに渡り、テレビシリーズなどで頭角を表し、映画にも進出。出演作はほかに「ビスマルク号を撃沈せよ! Sink the Bismarck!」(1960)など。その後またテレビに戻り、出演作多数。

 

ダニー・カレル(DANY CARREL 1935-  仏)

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ぷりっと小ぶりのパリジェンヌ。もちろん、胸が大きい。出るところはしっかり出ていて、肩のあたりや太ももはけっこうむっちりしているのですがウエストが締まっている。そしてもちろん可愛くて、ちょっとクセのある小悪魔っぽいコケティッシュなブルネットの女の子。「ヘッドライト Des Gens Sans Importance」(1956)や「奥様ご用心 Pot-Bouille」(1957)ではクレジットは主演女優に続く位置、よくも悪くも利かん気で、映画の流れにアクセントを添える。「リラの門 Porte des Lilas」(1957)ではパリの下町の片隅で、流れ者のお尋ね者に騙され、でも恋して捨てられるヒロインを演じました。1980年頃まで映画に、1995年頃までテレビや舞台で現役でした。

 

ダニー・ロパン(Dany Robin 1927-1995 仏)

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元祖ぶりっ子。松田聖子タイプ。可愛い元気なパリの下町娘で、あどけなく(ハタチすぎた大人の女にこういう言い方をしたくなるのが持ち味)無邪気で愛くるしいんだけど、同性の目からみたらうーん、この子、計算できる子だ…、でも一緒にいると憎めないし、楽しいし。のパーソナリティで、1950年代前半、フランス映画界のアイドル女優トップ女優でした。出演作は「アンリエットの巴里祭 La Fete a Henriette」(1952)、「巴里の気まぐれ娘 JULIETTA」(1953)、「フルフル  FROU-FROU」(1955)など。タイトル見ただけで女子向き。もちろん悲劇もできるオールマイティな方。バレエ学校も演劇学校も首席卒業の怜悧な方。…なのに長続きしなかった。不思議なものです。

 

ダニエラ・ビアンキ(Daniela Bianchi 1942-  伊)

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優雅なできらびやかな雰囲気と女ごころ。007シリーズ中、No.1のボンド・ガールは、間違いなくこの人!!!当時ソ連の女スパイ役。ミスローマ、ミスイタリア、1960年度準ミス・ユニバース。モデルをしていたがあっという間に映画に引っ張られ、わずか5年で大富豪と結婚・引退してしまった。なので出演作が少ない。しかしこの1作で映画史に永遠に語り継がれるディーバです。完璧ボディとなるとウルスラ・アンドレス(Ursula Andress 1936- )に軍配が上がるのでしょうが、大人の女であり、知性があり、品が良くかつどこまでもエロティック。の今に至るボンド・ガールの路線を固めたのは、第2作「007ロシアより愛をこめて From Russia with Love」(1963)出演の、このお方。

 

ダニエル・ダリュー(Danielle Darrieux1917-仏)

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歴代世界一の美人女優、フランスが誇る第一人者の大女優は、この方です。白痴美と言った人もいました。純情派を超えた、可憐派を超えている。その美しさはどこまでも甘く女らしく。ちょっとツンデレ。全盛期の画像を見てると、何十年も前の写真なのに、まさに匂い出るこぼれ出るほとばしる。恍惚とし酔いしれる。歌も歌います。こちらも甘い、とろけるようなソプラノです。男を戸惑わせ、誘い入れ、うわべはどこまでもイノセントであり、眼差しが、身振り一つ一つがエモーショナル。90才を過ぎ、未だ現役。出演作は「うたかたの恋 Mayerling」(1936)、「暁に帰る Retour a l'Aube」(1938年)「背信 Abus de confiance」(1938)、「赤と黒 Le Rouge et le Noir」(1954)など。

 

タルーラ・バンクヘット(Tallulah Bankhead 1902-1968 米)

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姐御肌のヴァンプ型美人女優。アメリカ南部良家の子女。サザンベル(南部美人)。ロンドンの舞台で頭角を現し、ハリウッドへ。その時のセリフがふるっています。「なぜハリウッドに行くのかって?神のように美しいゲーリー・クーパーとf**kするために決まってるじゃないの!」ハスキーボイスがトレードマークで舞台の代表作は富豪夫人が病弱な夫を撃ち殺すというしろもの(「子狐たち The Little Foxes」)。酒も煙草も男も薬も何でもござれの破天荒な生活で、でも本人はあけっびろげで全てを包み隠さず。一方で困っている人を助けたり養子をとったり。「でもタルーラは嘘はつかない。」と人柄を愛された大変にユニークな女優さん。次いでブロードウェイに復帰。出演作は「救命艇 Lifeboat」(1944)など。

 

ディアナ・ダービン(Deanna Durbin 1921-2013 加出身 米)

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「オーケストラの少女 100 Men and a Girl」(1937)、これ1作で名を残した歌う少女スター。楽士のパパが失業しちゃった!どうしよう…。そうだ、大指揮者のストコフスキー(Leopold Stokowski 1882-1977)にパパのオーケストラの、指揮をしてもらえれば!どこまでも清く明るく物怖じしない親孝行の美少女は、この夢を実現させてしまうのです。自慢のノドで美声を響かせるのはラスト。それまではひたすら、パパのため。みんなのために。子どもらしさと女らしさのちょうど中間。発声がクラッシック寄りなのでここもまた清く正しい。後にイメージチェンジを図り、ドラマティックな役柄に挑戦するのですが。大衆が求めていたものはあくまでも無垢な少女のイメージだったため、果たせず、結婚・引退。出演作はほかに「天使の花園 Three Smart Girls」(1936)など。

 

デビー・レイノルズ(Debbie Reynolds 1932-2017  米)

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「雨に唄えば Singing in the Rain」(1952)1作で大スターの座に躍り出て、明るく可愛くお茶目な万人受けする個性で、息の長い活躍を続けました。全米1位のレコードは「タミーと独身者 Tammy and the Bachelor」(1957)の主題歌、「タミー Tammy」。才能は幅広く舞台、ショー、テレビ、著書。不動産に投資したりスタジオを開いたり。娘はレイア姫のキャリー・フィッシャー(Carrie Fisher 1956-2017)で、映画関連グッズのコレクターとしても有名で博物館を作るとか作らないとか。いやはや、「雨に唄えば」のやせっぽちの女の子がここまでバイタリティに満ち、ハリウッドに君臨したままで生涯を閉じた!に感動。出演作はほかに「不沈のモリー・ブラウン The Unsinkable Molly Brown」(1964)など。

 

デボラ・カー(Deborah Kerr 1921-2007 英)

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母国イギリスでの代表作「黒水仙 Black Narcissus」(1947)を経てハリウッドへ。出演作はほかに「地上より永遠に From Here to Eternity」(1953)、「王様と私 The King and I」(1956)など。名付けて「英国の薔薇」。優雅なレディ。清楚で気品に満ちた美貌。格の高い演技。全盛期が長く、また純愛アットホーム不倫母性コメディとなんでもこなし、しかも佳作・傑作が多く代表作を絞りきれない。完璧すぎて文句のつけようがない…。アカデミー賞に6回ノミネートされながら、不運にも1度も受賞せず。(ただし1994年アカデミー名誉賞を受賞)純粋にその時その時の映画の質、演技だけを見れば、デボラ・カーがまさっているのは明白でも、時の運で、手が届かなかった。

 

テレサ・ライト(Teresa Wright 1918-2005 米)

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1940年代前半、娘役として、若妻役として可憐な容姿と有無を言わせない確かな演技力で君臨した純情派。セックス・アピールは、あまりない…。男性を惑わせ狂わせるのではなく、健気で賢く、どこに出しても恥ずかしくない理想の娘、妻として。清廉潔白。それでいて愛くるしく野に咲く花のように、女性としての誇りと柔らかさを兼ね備えた個性は、第二次世界大戦下と戦後の激動の、ともすれば重苦しい時代の空気の中、この上なく明るく清潔で。希望の光がさっとさしこめたようでした。出演作は「打撃王The Pride of the Yankees」(1942)、「疑惑の影 Shadow of a Doubt」(1943)、「我等の生涯の最良の年 The Best Years of Our Lives」(1946)など。

 

ドナ・リード(Donna Reed 1921-1986 米)

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順風満帆、順調にキャリアを築き、走りぬいた正統派美人女優。日本で言えば、藤純子さんみたいなタイプですかね~。ドナ・リードの決定打は、エバーグリーンの輝きを今も放ち続ける「素晴らしき哉、人生! It's aWonderful Life」(1946)の良妻賢母役。一枚看板の主役、とまではいかないまでも傑作・佳作の主役の妻役、恋人役で堅実に映画出演を続け、ノーブルな美貌と良識を兼ね備えたバーソナリティでスクリーンを彩り、後年、テレビ「ドナ・リード・ショー The Donna Reed Show 1958-1966)」で大成功を納め、政治にも熱心であったことが知られています。出演作はほかに「地上より永遠に From Here to Eternity」(1953)、「ベニイ・グッドマン物語 The Benny Goodman Story」(1956)など。

 

ドリス・デイ(Doris Day 1922- 米)

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1940年代に颯爽と現れた人気歌手であり、ヒット・チューンは「センチメンタル・ジャーニー Sentimental Journey」(1945)、「知りすぎていた男 The Man Who Knew Too Much」(1956)中の挿入歌、「ケセラセラ Que Sera, Sera」(1956)をはじめ、数知れず。そばかすだらけのフェイス、でも十分に美人。ビシッとドレスアップ、というよりはカジュアル。シャツとジーパンでハウスキーピングに元気溌剌いそしむ…。イメージ。気取らず気さくな人柄、真面目で明るく親しみやすい個性…は歌にもスクリーンにもきらめき、1950年代まで人気は衰えず息長く活躍し、万人に愛される女優でした。引退後は動物愛護運動に熱心に取り組んでいます。出演作はほかに「二人でお茶を Tea for Two」(1950)、「先生のお気に入り Teacher's Pet」(1958)など。

 

ドロシー・ギッシュ(Dorothy Gish 1898-1868 米)

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サイレント映画時代の大大大大大スター、ギッシュ姉妹。姉がリリアン・ギッシュ(後述)、そして妹がドロシー・ギッシュ。姉リリアンが悲劇で大衆の涙を振り絞らせれば、妹ギッシュはコメディエンヌ。女チャップリンと謳われ、お転婆ぶりで観客を笑わせ、明るく元気で楽しい映画に立て続けに出演し、残念ながらかなりのフィルムが失われ、残存するいくつかの作品でしたその姿をしのぶことができず、鑑賞可能な作品でお茶目なパフォーマンスの片鱗だけでもみていたい。残っているポスターも、コメディですから、ポージングも微笑ましくまたサイレント時代にふさわしくオーバーアクト気味で、目にするたび胸躍ります。1910~20年代、絶大な人気を誇りました。時代がトーキーに移るとイングランドに渡って映画出演を果たすものの、徐々に引退。出演作は「世界の心 Hearts of the World」(1918)、「嵐の孤児 Orphans of the Storm」(1921)、「ロモラ Romola」(1963)など。

 

ドロシー・タンドリッジ(Dorothy Dandridge 1922-1965 米)

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悲運のアフリカ系アメリカ人女優。美しすぎたがゆえの短すぎる生涯。「黒いヴィーナス」「セピア色のクイーン」と謳われた美貌。出演者が全員黒人の意欲作、「カルメン Carmen Jones」(1954)で主役を演じ、一気にスターダムへ。しかし時代柄、演じるに値する映画の製作・オファーはそうそうなく、行く先々では厳然とある差別。そして「白人に魂を売った女」として黒人からの差別。美しすぎるがゆえの数々のハラスメント…。生まれた娘は知的障害…。生活は荒れ、薬の飲みすぎでわずか42才で生涯を閉じた、痛々しすぎる先駆者。パイオニアです。出演作はほかに「日のあたる島 Island in the Sun」(1957)、「ポギーとベス Porgy and Bess」(1959)など。

 

ドロシー・マクガイア(Dorothy McGuire 1913-2001 米)

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芸域としては、フィルム・ノアール、たとえばロバート・シオドマク監督(Robert Siodmak 1900-1973) 「らせん階段 The Spiral Staircase」(1945)で重く暗い過去をしょった口のきけない娘を演じ、スターとして、そして演技派として認められ、社会派の意欲作、エリア・カザン監督(Elia Kazan 1909-2003)「紳士協定 Gentleman's Agreement」(1947)での演技が光る。落ち着いた美貌なので、早くから母親役をこなし、知性派であり、良識派であり、しかし「避暑地の出来事 A Summer Place」(1959)での道ならぬ恋にはまりこんでしまう人妻なども忘れ難い。これだけの美人なのです。お相手の男性、転んでしまうでしょう。徐々に脇に回り、テレビ出演などて顔を見せてくれました。女優さんには珍しく!?結婚歴は1回。添い遂げています。

 

ドロシー・マローン(Dorothy Malone 1925-  米)

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この方も大スターというよりは、フィルム・ノワールの世界にキラリ輝きを放ち、カルト的映画ファンに忘れえぬ記憶を残し記憶の淵によみがえり、繰り返し語り継がれる女優…。の立ち位置の方。やや暗めの美貌、「三つ数えろ The Big Sleep」(1949)、でブルネットで眼鏡をかけて(当時メガネの女性は=イケテナイの代名詞)の登場、ハンフリー・ボガート(Humphrey Bogart 1899-1957)に誘われ、ちょっと髪をいじって眼鏡を外して振り向き、一転しての美女ぶりにボギーはびっくり!西部劇中屈指の名作とされる「死の谷 Colorado Territory」(1949)で、一見主役と見せかけじつはヴァージニア・メイヨにヒロインの座を奪われてしまう。ブルネットで主にプログラム・ピクチャーの映画出演を続け、プラチナブロンドに髪を染めかえ、"good girl"お利口さんイメージから抜け出さん、と出演した映画「風と共に散る Written on the Wind」(1956)でオスカー受賞(1956年、助演女優賞)。

 

ドロシー・ラムーア(Dorothy Lamour 1914-1996 米)

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グラマー女優であり、セクシー女優である。歌える、踊れるミュージカル女優。ハリウッド史上に輝く大スター2人、ビング・クロスビー(Bing Crosby 1903-1977)とボブ・ホープ(Bob Hope 1903-2003)主演の傑作・快作、喜劇であり、ミュージカル映画でもあり、冒険あり、恋のさやあてありの楽しい楽しい映画「珍道中シリーズ Road to ...」(1940-1962)8本中6本にマドンナであり、(1本は本人として特別出演)映画史を彩った女優さん。旅先でであった南国の娘(しかもお色気タップリ)の役柄が多く、「珍道中シリーズ」のイメージは強烈すぎたものの、他の分野の映画にも出演していますし、引退後はファッション評論家に転身。出演作は「ハリケーン The Hurricane」(1937)、「アラスカ珍道中 Road to Utopia」(1946)、「ミサイル珍道中 The Road to Hong Kong」(1962)など。

 

ドロテア・ウィーク(Dorothea Wieck 1908-1986 スイス出身 独)

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ドイツ映画「制服の処女 Mädchen in Uniform」(1931)、女子寄宿学校で人気の美貌の先生。みんながドロテア・ウィークに見とれて憧れて、ドロテア・ウィークも一途に慕う女生徒の一人を好きになる…。つまりレズビアンの映画、になるのでしょうか。しかしこの映画はいわば「女子のための、女子好みの女の子が沢山出てきて、女の子が憧れるお話…」で、封切と同時に大評判、素敵な女教師と美少女の恋物語を宝塚の舞台でも見るように、観客は競って映画館に押しかけ、大ヒット。のちにドロテア・ウィークも、女生徒役のヘルタ・ティーレ)(Hertha Thiele 1921-)もハリウッドに呼ばれますが、やはり2人ともこの1作で、人々の心に記憶を植え付けた女優。

 

ドロレス・コステロ(Dolores Costello 1903-1979 米)

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「海の野獣 The Sea Beast」(1926)でジョン・バリモア(John Barrymore 1882-1942)とともに見せた官能的なラブシーンが大評判に。そして2人は結婚し、生まれた子供はドリュー・バリモア(Drew Barrymore 1975- )のお父さん。つまりドロレス・コステロはドリュー・バリモアのおばあちゃん。「バリモア一族」と言えばハリウッドでは人気俳優、実力派俳優を次々出した名門の家柄。しかし夫のアルコール中毒に耐えられず、結局は離婚しています。出演作は名作のヒロインであったり、(「マノン・レスコオ When a Man Loves」 (1927))、スケールの大きいメロドラマであったり。(「ノアの箱船 NOAH'S ARK」(1929))正統派の映画の正統派のヒロインとして「サイレント映画の女神」と謳われた美人女優です。

 

ドロレス・デル・リオ(Dolores del Río 1904-1983 メキシコ出身 米)

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「ドロレス」は本来南方の名前。ハリウッドは世界中から才能を呼び寄せ、ガルボを、ディートリッヒを、バーグマンを輩出した。ドロレス・デル・リオはメキシコが生んだ名家。メキシコの超上流階級の令嬢であり、メキシコを訪れたディレクターの目に留まり、映画デビュー。エキゾティシズムたっぷり。そしてものすごい美人女優。初めは、アメリカンネイティブ(インディアン)の娘とかポリネシアンネイティブを演じますが、芸域は幅広く、次第に正統派ドラマの主演を張る人気スターとなります。人気に翳りが見えると潔くメキシコに帰国。母国で映画出演を続け、メキシコでは国民的女優と呼ばれています。出演作は「ラモナ Ramona」(1928)、「南海の劫火 Bird of Paradise」(1932)、「運命の女 Las abandonadas」(1945)など。

 

な行

 

ナタリー・ウッド(Natalie Wood 1938-1981 米)

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もともとは子役スター。シャーリー・テンプル、ジュディ・ガーランド、ディアナ・ダービンに続く少女スターとして売り出され、この時代の代表作が「三十四丁目の奇蹟 Miracle on 34th Street」(1947)。大人になりきれずに映画界を去るスターが多い中、ナタリー・ウッドはジョン・フォード(John Ford 1894-1973)監督の「捜索者 The Searchers」(1956)、ジェームズ・ディーン(James Dean 1931-1955)と共演した「理由なき反抗 Rebel Without a Cause」(1955)、ミュージカル映画の金字塔、「ウエストサイド物語 West Side Story」(1961)と作品に恵まれ、清純な娘役として子役脱皮に成功し、大スターの座を不動のものとし、さあ、これから、の時に亡くなってしまった…。公式発表の死因はいちおう、水死。享年43才。惜しまれつつも突然すぎて。呆気にとられ、段々と悲しみが湧き上がってくる…そんな死、でした。

 

ナンシー・キャロル(Nancy Carroll 1903-1965 米)

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トーキーの始まりとともにブロードウェイの舞台から引っ張られたスター。それもミュージカル畑。歌って踊れて演技ができて、都会の粋で可愛い女の子、として映画デビュー。作品は「アビーの白薔薇 Abie's Irish Rose」(1928)、「ハニー Honey」(1930)など。ノーミュージカルにも挑戦。「悪魔の日曜日 The Devil's Holiday」(1930)では惜しくも受賞は逃したものの、オスカーにノミネート。舞台出身ということもあり、映画会社が出演を望む作品に難色を示すうちに反抗的だとのレッテルが貼られてしまい、パラマウント社を離れた後、人気は下り坂となり、再びブロードウェイに返り咲き、1950年代にはテレビにも進出。最後まで現役の女優でした。

 

ニタ・ナルディ(Nita Naldi 1897-1961 米)

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1920年代ハリウッドのヴァンプの特筆すべき一人。「偉大な横顔 The Great Profile」とたたえられたジョン・バリモア(John Barrymore 1882-1942)、サイレント最大の人気男優、ルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino 1895-1926)との共演で名を上げた。男を陥れる悪女で、妖艶で。ゼダ・バラに続くヴァンプのドル箱を狙って売り出された形ですが、特異な設定と大仰なポージングを割り引けば。れっきとしたブルネット・正統派・エキゾティスズムたっぷりの美人女優です。この女優さんも出演はサイレント映画のみ。出演作は「狂へる悪魔 Dr.Jekyll and Mr.Hyde」(1920)、「血と砂 Blood and Sand」(1922)、「十誡 The Ten Commandments」(1923)など。

 

ノーマ・シアラー(Norma Shearer 1902-1983 カナダ出身 米)

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サイレント映画時代にデビューし、全盛期は1930年代。MGMのタイクーン(役者やスタッフを思いのままに操る大プロデューサー)、アーヴィング・タルバーグ(Irving Thalberg 1899-1936)に認められ、美貌と気品に磨きがかかり、タルバーグ夫人となって作品にも恵まれ、トーキーの波も実力で難なくクリア。どの作品も楽しげで表情あふれ、満ちたりた明るさに輝き、「MGMのファースト・レディ The First Lady of MGM」と謳われ、恵まれた映画人生。もっとも、タルバーグはわずか37才で夭折しまうのですが…。出演作は「想ひ出 The Student Prince in Old Heidelberg」(1927)、「結婚双紙 The Divorcee」(1930)、「マリー・アントアネットの生涯 Marie Antoinette」(1938)など。

 

ノーマ・タルマッジ(Norma Talmadge 1894-1957 米)

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姉妹スターは数あれど、タルマッジ姉妹は外せない。妹コンスタンスは前述。姉が悲劇で妹が喜劇。1923年、ノーマ・タルマッジはマネーメイキング・スターの堂々1位。週休10,000ドルでファンレターは毎週3,000通。代表作の1つは「久遠の微笑 Smilin' Through」(1922)。愛する人をかばい銃弾に倒れる娘と、亡き娘の姪、戦地に行った恋人をひたすら待ち続ける姪の二役。「秘密 Secrets」(1924)はキャリアの頂点。愛する人と駆け落ちし、困難がつぎつぎ降りかかっても、夫を信じ励まし前に進むヒロイン。「椿姫 Camille」(1926)にも出演しています。トーキーの波には乗れず、引退に追い込まれますが、63才で亡くなった時、遺産は1957年当時で、100万ドル。

 

は行

 

バーバラ・スタンウィック(Barbara Stanwyck 1907-1990 米)

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芸歴が長く、演じた役柄が広い。広すぎる。ダンサー出身、美人です。スタイル抜群、脚も綺麗。男を愛しぬくヒロインを情感豊かに演じたかと思えば背筋も凍りつくファム・ファタール。ものすごい悪女ぶり。コメディを演じさせれば抱腹絶倒。肝っ玉母さんは地でできる。人柄も申し分なく、男性女性問わず慕われ、映画が斜陽になると泣く子も黙るハリウッドのコラムニスト、ヘッダ・ホッパー(Hedda Hopper 1890-1966)女史でさえ、「あなた、これからどうするの…。」と、バーバラ・スタンウィックの行く末を案じたとのことです。そしてテレビに進出し、「バークレー牧場 The Big Valley」(1965-69)は大ヒット…。いや~、こんなパーフェクト・レディ、この世にいるんですねえ。。。。ため息。主演作は「ステラ・ダラス Stella Dallas」(1937)、「レディ・イヴ The Lady Eve」(1941)、「深夜の告白 Double Indemnity」(1944)など。

 

バーバラ・ベル・ゲデス(Barbara Bel Geddes 1922-2005 米)

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ブロンド美人ですが、派手ではない。主役を張るタイプではない。良妻賢母だったり、主人公が危ない女にぐらりと心が揺れる様子を心配げに見守る控え目、堅実な友人…的な役が似合う。1950年代に吹き荒れた赤狩りの犠牲となり、ブラックリストに載ってしまい、不遇の時もありましたが、テレビシリーズ「ダラス Dallas」(1978-1991)で大復活をとげ、アメリカの華麗なる一族の家刀自の温かくも優しく見守る姿に視聴者は大喝采。映画女優というよりは、「ダラス」出演女優、と言った方が通りが良いのかもしれません。映画の出演作は「ママの想い出 I Remember Mama」(1948)、「めまい Vertigo」(1958)、「五つの銅貨 The Five Pennies」(1959)など。

 

バーブラ・ストライザント(Barbra Streisand 1942- 米)

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偉大な!?鼻で一目瞭然ユダヤ系。美人系では売れない。ジュディ・ガーランドの再来を思わせる圧倒的な歌唱力で歌手となり、次いでブロードウェイ。そして「ファニー・ガール Funny Girl」(1968)でハリウッドを征服。「追憶 The Way We Were」(1973)ではひ弱なエリート、ロバート・レッドフォード(Robert Redford 1936-)に相対し、愛し合いながらもやってくる別れ、あくまで自分を貫き通すヒロインの姿に感動のあまり震えと涙が湧き上がってきたのは、レッドフォードだけではない。そして、出来る人は何でも出来る。「愛のイエントル Yentl」(1983) では製作・監督・脚本・主演・主題歌。あまりの完成度の高さに絶賛を浴びながらも、ガラスの天井、女性監督がゆえの見えない壁にぶつからざるを得なかった。天才のなかの天才。

 

パール・ホワイト(Pearl White 1889-1938 米)

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連続活劇の女王。その昔、映画が家族みんなの娯楽だったころ、全10~20回の続きもの映画。ヒロインに迫る危機、さて、続きは?恋人は間に合うのか?一難去ってまた一難、次の週、胸躍らせて映画館に入り、固唾を吞んでスクリーンを見つめる。…先週の手前から(つまり絶体絶命で終わったはずの少し手前から)話が始まり話の内容がが先週と違ってたりして、映画館全体が歓声やため息に揺れる…時代の、体を張って観客の期待に応えた美人女優。前身はサーカスの馬乗り。つまり運動神経抜群。手に汗にぎるアクションも余裕でこなす。ヒロインはいつも勇敢、勝ち気、お転婆、おきゃん。出演作は「ポーリンの危難 The Perils of Pauline」(1914)、「拳骨 The Exploits of Elaine」(1914)、「鉄の爪 The Iron Claw」(1916)など。

 

パスカル・プティ(Pascale Petit 1938- 仏)

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「危険な曲り角 Les Tricheurs」(1958)というフランス映画、大当たりしました。青春の真っただ中、夢中で過ごしたあの頃。死んでしまった恋人を思い出す…。当時のパリの十代の若者を描いた映画で、主演女優が、パスカル・プティ。スポーティでセンスが良く、可愛く清楚なパリジェンヌで、青春スターとして、人気が高かった。「お嬢さん、お手やわらかに! Faibles femmes」(1959)ではアラン・ドロンを囲む3人のフランス娘の1人です。出演作はほかに「ひと夏の情事 Une fille pourl'été」(1960)など。テレビ・舞台、映画と今もキャリアを重ねており、イタリア映画出演も数多し。

 

パトリシア・ニール(Patricia Neal 1926-2010 米)

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ブロードウェイで演技に磨きをかけ、ゲーリー・クーパーの「摩天楼 The Fountainhead 」(1949)の相手役としてハリウッドへ。美しく知性あふれる若き女優の魅力にクーパーは勝てなかった。2人の不倫の恋は一大スキャンダルとなり、2人は別れざるを得ない。キャリアのダメージははかりしれず、かえすがえすも勿体ない…。作家ロアルド・ダール(Roald Dahl 1916-1990)と結婚し、子どもにも恵まれるが脳卒中で半身不随に。不屈の意志でリハビリに励み、映画界に復帰し、「ハッド Hud」(1962)で念願のオスカー受賞。それにしても「摩天楼」のパトリシア・ニールは美しかった。知性派で女らしさあふれた美しさは、No.1ではないかと。出演作はほかに「命ある限り The Hasty Heart」(1949)。

 

ピア・アンジェリ(Pier Angel 1932-1971 伊)

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イタリアでアナ・マリア・ピアンジェリ(Anna Maria Pierangeli)としてデビュー。後にピア・アンジェリと改名。ジェームズ・ディーンが愛し、そして宗教上の違いで(欧米人には致命的)かなわなかった恋の相手と言われている、究極の清純派、純情派。ピア・アンジェリの結婚式の日、ディーンはじっと遠くで傷心の花嫁を見つめていたのだとか…。打ち震える小鹿のような潤んだ瞳、はかなげな少女の面影をのこしたひとは、望まれてハリウッドに渡り、名声を得て世界をまたにかけた活躍をしながらも、なんだか痛々しかった。誰もが守ってあげずにはいられない美少女は、たった39才で睡眠薬の飲みすぎで亡くなっています。出演作は「明日では遅すぎる Tomorrow Is Too Late」(1950)、「赤い唇 The Devil Makes Three」(1952)、「傷だらけの栄光 Somebody Up There Likes Me」(1956)など。

 

ヒルデガルド・ネフ(Hildegard Knef 1925-2002 独)

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グレタ・ガルボ以来の氷の美貌。アリダ・ヴァリもこの系統。底知れぬ闇と神秘を秘めた美貌。ドイツ生まれ。あの。ナチス・ドイツの高官、ヨーゼフ・ゲッベルス(Joseph Goebbels 1897-1945)がご執心だったがネフの友人がはたちそこそこの彼女の未来をおもんばかり、遠ざけたとのお話。
「罪ある女 Die Sünderin」(1951)でドイツ映画初のヌードシーンに挑み、早速ハリウッドが目をつける。「キリマンジャロの雪 The Snows of Kilimanjaro」(1952)も「悲愁 Fedora」(1978)も貴族の貴婦人役。1950年代から並行してシャンソン歌手としての活動を始め、音源も数多く残されており、またナチ少女であった過去と女優になるまでの数奇な運命や自らのがん体験など、本を出版しています。

 

フェイ・ダナウェイ(Faye Dunaway 1941-  米)

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アメリカン・ニューシネマの大ヒット作、「俺たちに明日はない Bonnie and Clyde」(1967)、大恐慌時代の泥棒コンビ、ボニーとクライドのボニーに扮し、この1作が決定打。頬骨が高く、眼光鋭い。よく見ればファニーな顔立ち。がクールで粋で退廃的な1970年代の空気にぴったりマッチし「華麗なる賭け The Thomas Crown Affair」(1968)でスティーブ・ マックイーン(Steven McQueen 1930-1980)との切れすぎる男女の駆け引き、そして女はいつしか男を愛していた…。「ネットワーク Network」(1976)で視聴率に憑りつかれるテレビ人。どの映画もどの映画も、フェイ・ダナウェイが出ると、皆時代のアイコンになってしまうのが凄い。「1970年代はフェイ・ダナウェイのためにあった」けだし名言。

 

フェイ・レイ(Fay Wray 1907-2004 米)

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「キングコング King Kong」(1933)ただ1作。獰猛なゴリラに貢物として捧げられた美女。生け捕られ、見世物にするためにNYに連れて行かれるキングコング。焚かれたカメラのフラッシュが美女を襲うと勘違いし、檻を破り、摩天楼のニューヨーク、闇に浮かび上がるエンパイア・ステートビル。キングコングに連れ去られ、悲鳴を上げ、身をよじり、衣服を引き裂かれ…。古典中の古典映画。後世への影響数知れず。もちろん、フェイ・レイはキャリアも長く、生涯100作以上の映画に出演してはいるのですが。20年代、30年代とコンスタントに映画出演を続けてはいるのですが…。では、「キング・コング」シメのセリフを。「コングを殺したのは飛行機じゃない、美女が殺した。」

 

フランソワーズ・アルヌール(Françoise Arnoul 1931-  アルジェリア生まれ 仏)

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フランス女優らしく、しっとりしたひそやかなたたずまい。ブルネット。小柄。それでいて肢体はメリハリがあり、脚が綺麗。ボリューム満点、気圧されっぱなしの押し出しに強い美女は見るぶんにはいいけど、リアリティも親近感がなくてね…の小うるさい!?男性陣に絶大な人気を誇った。身の丈にあった、手が届きそうな、そしてそそられすぎるくらいにそそる女。セックスアピールを表に出すのではなくて。暗がりに目を光らせるしなやかな黒い雌猫、のイメージでしょうか。出演作は「過去をもつ愛情 Les Amants du Tage」(1955)、「ヘッドライト Des gens sans importance」(1958)、「女猫 La Chatte」(1958)など。あ、「サイボーグ009」の「003フランソワーズ・アルヌール」の本家本元はこちらです。

 

フランソワーズ・ロゼー(Françoise Rosay 1891-1974 仏)

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大年増です。役柄は外人兵士が集う酒場のマダム、しっかり者の下宿屋の女将、市長夫人。代表作は「外人部隊 Le grand jeu」(1933)、「ミモザ館 Pension Mimosas」(1934)、「女だけの都 La Kermesse héroïque」(1935)。どの映画も戦前のフランス映画の名作と称えられ、観終わると記憶に残るのは、フランソワーズ・ロゼーの存在感。これが名優というものなのでしょう。ジャック・フェデー(Jacques Feyder 1885-1948)監督夫人。上の3作はすべて夫君監督作品であり、堂々としすぎ、格調高く。女らしさ、もちろんありますが、誘う美ではなく包む美。余裕の美。貫録の美。うちふるえる女心というよりは、隙がなく、どこまでも格調高く。。。実生活も賢夫人でした。

 

ブリジット・バルドー(Brigitte Bardot 1934-  仏)

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御存じ、BB(ベベ)。神田うのちゃんを○百倍パワーアップさせたと思っていただければ。もともとは良いお家のお嬢様。奔放な振る舞いで周りをきりきり舞いさせるものの、そこかしこに、底に流れる育ちの良さ、趣味の良さが滲む。ブランドや宝石やデザイナーに頼ることなくセンス抜群で。根は人がいいものだから、頼まれると映画に出る。脚本で作品を選ばない。のでイージーな作品が多い。セレブだから男性遍歴はあっという間に世界をかけめぐり。はやばや引退したのに、いつまでも追いかけまわされ…。だって、あんまりキュートすぎたんだもの。エロすぎたんだもの。出演作は「素直な悪女 Et Dieu... créa la femme」(1956)、「殿方ご免遊ばせUne parisienne」(1957)、「軽蔑 Le Mépris」(1963)など。

 

ベティ・グレイブル(Betty Grable 1916-1973 米)

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第二次世界大戦中、出征中の兵士の1番人気のピンナップガール。ブロンドで髪はアップ。白の水着。後姿で笑顔で振り向くショットが超有名。歌も踊りもできる、マリリン・モンローのさきがけのタイプ。戦時下「ベティ・グレイブルは誰と結婚した?」「ハリー・ジェイムス(Harry James 1916-1983 ジャズミュージシャン)!!!」と答えないと、撃たれてしまう。の合言葉もあったそうで。1930~40年代、1億ドル以上稼ぎ、12年連続の記録をマネー・メイキングスターのトップ10入り。出演作は「遥かなるアルゼンチン Down Argentine Way」(1940)、「ロッキーの春風 Springtime in the Rockies」(1942)、「百万長者と結婚する方法 How to Marry a Millionaire」(1953)など。

 

ベティ・デイヴィス(Bette Davis 1908-1989 米)

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性格俳優というジャンルがある。ベティ・デイヴィスは、女の性格俳優。そして大スターであり、ベティ・デイヴィスの名前で観客を呼べる。演技を見せ、堪能させるという意味で、男優女優を問わず第一人者の1人がこの人。とりたてて美人ではない。ベティ・デイヴィスの手にピストルが握られたら、一貫の終わり…。覚悟するしかない。悪女役がはまり役。ビッチとファム・ファタールとビザールを超えた女の演技者。がベティ・デイヴィス。で、アメリカ人、このタイプ、好きなんですよ。根強いファンがいる。キム・カーンズ(Kim Carnes 1945-)の「ベティ・デイヴィスの瞳 Bette Davis Eyes」など聞きながら、迫力あるオーラに打たれたい。歴史に残る大女優。出演作は「痴人の愛 Of Human Bondage」(1934)、「情熱の航路 Now, Voyager」(1942)、「八月の鯨The Whales of August」(1987)など。

 

ベティ・ハットン(Betty Hutton 1921-2007 米)

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別名”ブロンドの爆弾娘(blonde bombshell)”。サイレント映画のスラップスティックそのままに、まるで爆竹がいっぺんに爆発したかのようにスクリーン狭しとオーバーアクション気味の身振り手振り、そしてパワフルに歌いまくる踊りまくる。当初、ジュディ・ガーランドが主役にキャスティングされていたものの、降板し、変わって主役を務めた「アニーよ銃をとれ Annie Get Your Gun」(1950)が代表作。出演作はほかに「ポーリンの冒険T he Perils of Pauline」(1947)、「地上最大のショウ The Greatest Show on Earth」(1952)など。全盛期を過ぎ、時を経て賄婦をしていたところを発見!?され、トレーニングの後、奇跡のカムバックを遂げたエピソードも有名です。

 

ヘディ・ラマー(Hedy Lamarr 1914-2000 オーストリア出身 米)

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美人過ぎる美人。米MGM社がヘディ・ラマーを売り出したキャッチコピーは「世界で最も美しい女性」。「私が不幸だとしたら、それは私が美しすぎるから…。」と自分でおっしゃる。ブルネットの真ん中分け。美人しか似合わない。「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラの髪型は、ヘディ・ラマーのコピー。才女です。「周波数ホッピング」という現在の携帯電話に通じる技術で特許を取った。と思えば「春の調べ Extase」(1932)で世界初、フルヌードを飾り、結婚は6回。子ども3人。(うち1人は養子)お金に不自由しているはずもないのに(遺産は300万ドルとも)1960年代、90年代、万引き事件を起こしたり。赤裸々な自伝を発表したり。いやはや、偉大な人はふり幅が大きい。出演作はほかに「カスバの恋 Algiers」(1938)、「サムソンとデリラ Samson and Delilah」(1949)など。

 

ヘルタ・ティーレ(Hertha Thiele 1921-1984 独)

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前述、ドロテア・ウィークの欄でも申し上げました。女子の女子による女子のためのドイツ映画、「制服の処女 Mädchen in Uniform」(1931)。母が亡くなり、寄宿学校に入れられた多感すぎる年ごろ。孤独な14才の女の子。やさしく慈愛に満ちた年上の美しすぎる先生に憧れて、憧れて…。大ヒットし、世界中にその名が知れ渡った。しかし激動の時代、ナチスドイツが政権を握り、政権に逆らったため、第三帝国ではヘルタ・ティーレの映画は破棄され、やむなく彼女はスイスに移住。よって映画のキャリアは1931年から33年までと極端に短い。第二次世界大戦後は東ドイツに戻り、劇場のスタッフになったり家政婦をしたり苦労しますが、晩年、往年の姿を忘れられない西側のファンがヘルタ・ティーレを探し出し、消息が伝えられました。出演作は「黒衣の処女 Anna und Elisabeth」(1932)、「クウレ・ワムペ Kuhle Wampe」(1932)など。

 

ヘレン・ヘイズ(Helen Hayes 1900-1993 米)

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映画女優というよりは舞台女優。それも大女優。名付けて「ブロードウェイのファーストレディ First Lady of the American Theater」と謳わた。5才が初舞台だったとも。ハリウッドに移り、「マデロンの悲劇The Sin of Madelon Claudet」(1931)、「戦場よさらばA Farewell to Arms」(1932)などで確かな名声を築くものの、飽き足らず、1935年に舞台に復帰、舞台出演のかたわら映画出演を続け、劇場にヘレン・ヘイズの名前がついたり数々の輝かしい賞の受賞は数知れず。ただ、正直映画は大スター男優(ゲーリー・クーパーとかクラーク・ゲーブルとか)の相手役をそつなくこなすといった印象で、これは、のとんがった個性が出てこないので、どこがどう大女優なのかがうまく説明できないのが苦しいところですが、シンボリックな意味で、取り上げておかないと。出演作はほかに「追想 Anastasia」(1956)など。

 

ポーラ・ネグリ(Pola Negri 1897-1987 ポーランド出身 米)

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ポーランド生まれ。ワルシャワの舞台で人気を博し、ベルリンに呼ばれて映画女優に。巨匠エルンスト・ルビッチ監督(Ernst Lubitsch 1892-1947)の初監督作品の主演女優は、ポーラ・ネグリ。「パッション Madame Du Barry」(1919)、「寵姫ズムルン Sumurun/One Arabian Night」(1920)の大成功で、ハリウッドから声がかかり、大西洋を越えていく。演技のできるヴァンプ女優としてたちまち人気女優へと。貴族(ただし自称貴族だったらしく後々苦労)と結婚、順風満帆かにみえました。しかしトーキーの波は、ポーランド訛りの英語では厳しく、ヨーロッパに戻り、起死回生の1作、ベルリンで「マヅルカ Mazurka」(1935)に出演。生き別れになった娘を守るため、憎い男を撃ち殺し、裁判で涙ながらに今までの人生を振り返るというドラマティックな映画で、大絶賛され、こちらがポーラ・ネグリの代表作。

 

ポーレット・ゴダード(Paulette Goddard 1910-1990 米)

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チャールズ・チャップリン(Charles Chaplin 1889-1977)の第3夫人(ただし内縁関係だったとも)として映画史にその名を刻む「モダン・タイムス Modern Times」(1936)、「チャップリンの独裁者 The Great Dictator」(1940)に出演。明るく可愛い娘役としてのイメージに終始した方。しかし、他の作品のスチールなど見てますと、…フェロモン満開。きらめく瞳があだっぽく、ヴィヴィアン・リーに決まる前のスカーレット役はほぼポーレット・ゴダードに決まりかけていた(チャップリンとの関係がネックになり実現しなかった)とのエピソードに、納得。しかしチャップリン映画をしのぐ出演作が…ないのが残念と言えば残念。出演作はほかに「セカンド・コーラス Second Chorus」(1940)など。

 

ま行

 

マーガレット・オブライエン(Margaret O'Brien 1937-  米)

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シャーリー・テンプルに続く子役スターとして1940年代に活躍するも、大人になりきれずに映画界から引退。昭和の大スター、美空ひばり(1937-1989)との共演作あり。(「二人の瞳」(1952))4才が映画初出演、5才でブレイク。「キュリー夫人 Madame Curie」(1944)や「若草の頃 Meet Me in St. Louis」(1944)のこまっしゃくれて、愛くるしい演技、歌や踊りは可愛くて、見ているだけで楽しい。「若草の頃」のトゥーティ役でアカデミー子役賞を受賞しており、ジュディ・ガーランドの妹役として歌い踊るナンバー、「Under the Bamboo Tree」はMGMミュージカルの集大成、「ザッツ・エンターテイメント That's Entertainment!」(1974)中でも見ることができます。少し大きくなってからは「若草物語 Little Women」(1949)で4女エイミーを演じました。

 

マーガレット・ロックウッド(Margaret Lockwood 1916-1990 英)

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サスペンス映画の神様、アルフレッド・ヒッチコック監督のイギリス時代の代表作、「バルカン超特急 THE LADY VANISHES」(1938)の主演女優、ヒッチコック美人。もっとも、ブロンドではなく、ブルネットなのですが。この1作で映画史に名を残すことになり、早速ハリウッドに呼ばれるものの、肌に合わず、ほどなくイギリスに戻り、「灰色の男 THE MAN IN GREY」(1943)と「妖婦 THE WICKED LADY」(1945)に出演。悪女ぶりが高く評価され、イギリス映画のトップ女優に。海を渡ったイギリス美人は推挙にいとまがありませんが、イギリスにこだわり、イギリスでキャリアを重ね、演じた役柄もイギリス美人にふさわしく、知性派で陰影にとみ、スケールが大きい。

 

マーナ・ロイ(Myrna Loy 1905-1993 米)

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スクリューボールコメディといいまして、テンポの良いかけあいと都会的センス、軽妙洒脱が売り。ウィリアム・パウエル(William Powell1892-1984)とマーナ・ロイがコンビを組んだ「影なき男 The Thin Man」(1934)に始まる6作シリーズ、間違いなくこのジャンルの最高峰。!ワイヤー・フォックス・テリアの名犬アスターも加わって、探偵夫妻なので事件に巻き込まれ、全編これ、ソフィスティケーティッド!!マーナ・ロイはキャリアの始まりは妖婦役が多く、苦労もあったようですが、ニックとノラとアスターの2人と1匹のロマンチック・ミステリーの大成功で、アメリカの理想の奥様女優との地位を不動のものとしました。出演作はほかに「妻と女秘書 Wife vs. Secretary」(1936)、「我等の生涯の最良の年 The Best Years of Our Lives」(1946)など。

 

マール・オベロン(Merle Oberon 1911-1979 インド生まれ英・米)

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イギリス人のお父さん、インド人のお母さんの間に生まれたハーフ。つまりインド系の俳優としてトップまで上りつめたパイオニアです。もっともこの出自は本人、最後までひた隠しにしていたのですが…。なので顔立ちがエキゾチックであり、エキセントリックがかった美貌が勘の強いヒロインにぴったりで。「ヘンリー八世の私生活 The Private Life of Henry VIII」(1933)では、「Queen or nothing」と啖呵を切ったアン・ブーリン(Anne Boleyn 1507頃-1536)「嵐ヶ丘 Wuthering Heights」(1939)のキャサリンと、一筋縄でいかないアブナイ、ヒロイン。激情型なのでしょう。出演作はほかに「淑女超特急(日本未公開) THAT UNCERTAIN FEELING」(1941)など。

 

マガリ・ノエル(Magali Noël 1931-2015 仏)

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代表作は「甘い生活 La Dolce Vita」(1960)で黒衣の踊り子、「サテリコン Satyricon」(1970)では紀元前のローマの奔放な妻。「フェリーニのアマルコルド Fellini's Amarcord」(1974)では男の子がかいま見、憧れる年上の人…。つまり全部フェリーニの映画。日本ではフェリーニの夢の世界に身を捧げた女優。との評価なのかも。トルコ生まれですが、両親ともフランス人。キャバレーの踊り子からダイナミックなボディ&フェイスを見込まれて映画界入り。ソフィア・ローレンの顔をも少し細くして精悍さ!?を加え、かつエクセントリックで凄みと憂いに富む風情が巨匠・フェリーニのお気に召したのでしょうか。晩年までテレビに映画に歌に舞台にグローバルな活躍を続けた、息長い国際派。

 

マデリーン・キャロル(Madeleine Carroll 1906-1987 米)

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もう一人イギリス時代のヒッチコック美人を。正統派ブロンド美人。もともとは女学校の先生などしていたのですが、デビューと同時に知的ブロンド美人として人気沸騰。ヒッチコック作品「三十九夜 The 39 Steps」(1935)と「間諜最後の日 Secret Agent」(1936)に続けて主演し、世界的な人気を博し、ハリウッド映画にも進出したものの、時代は第二次世界大戦。実の妹がロンドン大空襲で亡くなったことにショックを受け、女優業はそのままに、赤十字の看護婦としてイタリアに赴いた。この功績により、戦後レジオンドヌール勲章を受ける。戦後、映画のオファーは続いたものの、テレビやラジオの出演が主となり、出演作はほかに「将軍暁に死すThe General Died at Dawn」(1936)など。

 

マリア・カザレス(Maria Casares 1922-1996 仏)

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パセティックな氷の美女。生まれながらの悲劇女優。この方がスクリーンに現れると一気に画面に緊張が走る。スケールからいけばグレタ・ガルボに決して劣らないはずなのですが、いかんせん作品が少ない。少なすぎる。スペインの内務大臣の娘でありながら、内戦から逃れてパリへ。「天井桟敷の人々 Les Enfants du Paradis」(1944)の頃は主人公に恋焦がれ…の娘らしさと恋敵(アルレッティ!)との真正面のぶつかり合いの火花に息を呑み、「パルムの僧院 La Chartreuse de Parme」(1948)では若き恋人にのめりこみ見境もつかない公爵夫人。そして「オルフェ Orphee」(1949)。黒髪・黒衣・黒づくしに浮かび上がる白き究極のかんばせ…。死神であり、この世に遣わされ、生身の男の夢に現れ、知らぬ間に魅入られ、黄泉の国へと…。この世のものではない。背筋が震え、いないはずの死神を目の当たりにし、あまりの美しさに、言葉を失う。

 

マリア・シェル(Maria Schell 1926-2005 オーストリア)

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眼力強し。それも笑っていても今にも涙がこぼれ落ちそうな。吸い込まれそうな瞳。淡い淡い瞳の色…。で。運命にもてあそばれる女性の役が似合う。働いて働いて、一生懸命やっているのにうまくいかず…。かわいそうだ…。好きで好きでたまらない人を待ち続ける。ひたむきさに打たれ、愛した男性も、心がないと知れば、身を引かなければ。と諦めざるを得ず…。観客に納得させ、感情移入するにふさわしいたたずまいと風情。出演作は「居酒屋 Gervaise」(1956)、「白夜 Le Notti bianche」(1957)、「女の一生Une vie」(1958)など。一家皆俳優、弟はマクシミリアン・シェル(Maximilian Schell 1930-2014)は実弟。演技力もしっかりした女優さん。

 

マリア・モンテス(Maria Montez 1912-1951 ドミニカ出身 米)

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出演作は「アラビアン・ナイト ARABIAN NIGHTS」(1942)、「アリババと40人の盗賊 ALI BABA AND THE FORTY THIEVES」(1944)、「スーダンの砦 Sudan」(1945)など。タイトル聞いただけでカラーは一目瞭然。活躍した時期が第二次世界大戦にかぶり、いわゆる娯楽作の出演を続けた女優さんなので、映画史に残る美女とはまた違う。でも、美人だし、その美貌はエキゾチック。「テクニカラーの女王」の名がつけられ、この系譜はロンダ・フレミング(Rhonda Fleming 1923-)、モーリン・オハラ(後述)と続いていく。ドミニカ出身で、スペイン訛りの英語のエロキューションも重宝され、母国ドミニカではマリア・モンテスの名の空港あり通りあり駅名あり。英雄扱いです。惜しくも若くして死去(39才)。事件性はなかった模様で、突然の死は皆を驚かせ、悲しませました。

 

マリアンヌ・ホルト(Marianne Hold 1933-1994 独)

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巨匠ジュリアン・デュヴィヴィエ監督(Julien Duvivier 1896-1967)「わが青春のマリアンヌ Marianne de ma Jeunesse」(1955)1本でその名を映画史にとどめた女優。映画はいわゆる夏のひと時。少年と仲間との交流と美しい年上の女性への憧れ、出会いと別れ、夏は去り、少年は大人への通過の儀式を終え、かの地を去る…を描いたこの青春映画は。幻想的なヨーロッパの古城と田園風景、そしてマリアンヌ・ホルトの清楚かつ気品あふふる美貌もあいまって、このジャンルでは屈指の名作とされ、世界的な評価がとても高い。(日本ではいまひとつ。)漫画家松本零二(1938-)先生はこの映画を絶賛され、作品「我が青春のアルカディア」のタイトルの由来はこの映画の原題(「悩ましきアルカディア」)なのだとか。

 

マリー・ドレスラー(Marie Dressler 1868-1934 カナダ出身 米)

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太ったおばさん女優、そして大スターとなり人気スターの座にあったのが60代。いろいろな意味で、レアな女優さん。映画デビューは「チャップリンの醜女の深情TILLIE'S PUNCTURED ROMANCE」(1914)。46才での映画初出演。ギョロ目をむいて、太った体で動く動作がコミカルで。サイレント映画のコメディーに映える女芸人。もともと舞台とヴォードビルのスターであり、芸達者。「惨劇の波止場 Min and Bill」(1930)は母もの。愛しい娘の将来を思い、罪を犯し、娘は知る由もなく大富豪の夫とハネムーンへ。そして母は…。の筋立てが受けに受け、アカデミー主演女優賞獲得。脇に回れば、MGMが社運を賭けた大スター、グレタ・ガルボのトーキー第1作、「アンナ・クリスティAnna Christie」(1930)の名演・怪演!?が話題をさらい、65才で亡くなった時が人気の絶頂期だったとのこと。

 

マリー・ベル(Marie Bell 1900-1985 仏)

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フランスの古典映画を語る時、絶対に外せない「外人部隊 Le grand jeu」(1933)、「舞踏会の手帖 Un carnet de bal」(1937)の主演女優である。典雅なブロンド美人。もともとは舞台女優であり、名画にたて続けに出演し、落着きかつ典雅なヒロインを演じ、芸達者の俳優が存在感を競う中、あくまでもノーマル・清楚・スタンダートなヒロインの気品ある姿がいつまでも脳裏にに残る。映画の出演は続けるもののコンセンヴァトワールをトップで卒業した才媛、主な活躍に場はあくまでも舞台。コメディ・フランセーズの舞台出演を続け後には劇場の支配人となり…。花の命は長かった。出演作はほかに「熊座の淡き星影 Vaghe stelle dell'orsa」(1965)など。

 

マリー・ラフォレ(Marie Laforêt 1939-  仏)

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青春映画というにはあまりにも華麗過ぎ、まぶしすぎ、残酷すぎる。「太陽がいっぱいPlein soleil」(1960)の主演女優として名は残る。貧しい出自の青年が憧れた、ブルネットに淡い色の瞳パリの香り、フランスの香りのする夢の女の象徴として。日本では女優として知られていますが、映画「赤と青のブルース Saint Tropez Blues」(1961)も主題歌を皮切りに、今や歌手としてのキャリアの方が今や長く、アルバムも数多くリリースされており、年を重ねてもすらりとしたスタイルはそのまま。消え入りそうなはかない声が魅力、とか書かれていて、歌手の評価にこんな言葉がつくんですね。さすがにフランス。出演作はほかに「金色の眼の女La Fille aux yeux d'or」(1961)など。

 

マリオン・ディヴィス(Marion Davies 1897-1961 米)

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新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハースト(William Randolph Hearst 1863-1951)の愛人であり、パトロンのお声がかりで出演した映画は多数。しかしどの映画もどの映画も評価はさっぱり振るわず、ただ、その美貌は誰もが認めるところ。穏やかな人柄だったらしく、愛人の立場、駄作揃いの女優の割には彼女を叩く人はあまりいない。「私はどうせ、フラッパー。私が悪いことにしておけばいいの。」のセリフが泣かせます。出演作は「虹の都へGoing Hollywood」(1933)「砲煙と薔薇Operator 13」(1934)「スタアと選手Cain and Mabel」(1936)など。もっぱら記憶に残るのは、映画ではなく新聞王の愛人としてのパーティのエピソードやゴシップだったりします。

 

マリナ・ヴラディ(Marina Vlady 1938-  仏)

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ブリジット・バルドーが出る前のフランスの10代の青春スターであり、肉体派。ロシア系。けぶるような細めのあどけない瞳とダイナマイトボディ。出世作でもデビュー作でもある「洪水の前Avant le déluge」(1954)にしろ、続く「不良の掟Pardonnez nos Offenses」(1956)にしろ、当時の社会問題をたっぷりと含む重いドラマであり、マリナ・ヴラディが画面に現れると、肢体に目を奪われるとともに映画のテーマに引きずり込まれる。ソ連のジョン・レノンと呼ばれたカリスマロックシンガー、ヴラジミール・ヴィソツキー(Владимир Высоцкий 1938-1980)は3番目の夫。出演作はほかに「女王蜂 l'ape regina」(1963)。この映画で肉体派の面目躍如。カンヌ国際映画祭女優賞受賞。

 

マリリン・モンロー(Marilyn Monroe 1926-1962 米)

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20世紀を代表する女性はマリリン・モンロー、またはココ・シャネル。孤児院をたらいまわしにされた少女は早くに結婚。夫は出征し、生活のために写真のモデルに。そして女優に。またたく間にスター街道を驀進。フェロモンをふりまき、頭の弱いブロンド美人を演じ続けた。セックスシンボルから、女性美のアイコンへと変貌を遂げるのです。未だに取沙汰される死の真相、無尽蔵なのでは、と驚くしかない次々出てくる新事実。未公開写真。死後ますます作品の評価はあがる一方で、人気は衰えるどころか、永遠です。出演作は「ナイアガラ Niagara」(1953)、「紳士は金髪がお好き Gentlemen Prefer Blondes」(1953)、「お熱いのがお好き Some Like It Hot」(1959)など。

 

マルタ・エゲルト (Marta Eggerth1912-2013ハンガリー生まれ 独ほか)

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「わが恋の終わらざる如く、この曲もまた終わらざるべし」の名セリフで知られ、戦前の楽聖オペレッタ映画の古典かつ名作「未完成交響楽 Leise flehen meine Lieder」(1933)のヒロイン。楽聖シューベルトと愛し合う貴族の令嬢役。第二次世界大戦中、アメリカ映画は禁止。ドイツ映画はOK。この映画は日本では戦時色の濃い時代、お上のお墨付きを得て上映され続けた貴重な外国映画であり、オールドファンの感慨もひとしお。一方、当のマルタ・エゲルトはユダヤ人の血が入っており、夫君ともどもアメリカに亡命。一転してミュージカル女優として舞台に映画に活躍し、101才の長寿を保ちました。出演作はほかに「歌へ今宵を Mein Herz ruft nach dir」(1934)、「思ひ出の曲 Das Hofkonzert」(1936)など。

 

マレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich 1901-1992 独)

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ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督(Josef von Sternberg 1894-1969)の光と影の魔術によりスクリーンに現れた、伝説の女神。ドイツのモダンをハリウッドに持ち込み、粋。「嘆きの天使 The Blue Angel」(1930)、「モロッコMorocco」(1930)この2作は古典映画の鉄板・必須。「100万ドルの脚」と評された脚線美、こけた頬、細いアーチ型の眉、煙草の煙をくゆらせ、燕尾服の男装には女性も見とれ、白のロングドレスは裾も長くたなびき、ふんだんに使われる白いフェザー…。断固としてナチスドイツを拒否し、連合国の慰問団に参加。エディット・ピアフ(Édith Piaf 1915-1963)、アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway 1899-1961)など名だたる世界中のセレブとの交流でも知られる。1950年代からは主な活躍の場をステージに移し、代表曲「リリー・マルレーン Lili Marleen」をはじめとした舞台でなおも世界中を魅了し続けたハンサム・ウーマン。出演作ほかに「情婦Witness for the Prosecution」(1957)など。

 

ミシェル・モルガン(Michèle Morgan 1920- 仏)

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ジャン・ギャバン(Jean Gabin 1904-1976)の相手役に抜擢され、18才で「霧の波止場Le Quai des brumes」(1938)に出演。この方も眼力の方。若干10代なのに既に大人の女の色香とあわれさ。大器の片鱗。濡れたように輝くかっと見開かれっぱなしに見える瞳はフェミニンで、かつドラマティックで悲劇的。ものすごい美人とかではなく、でも現実離れした美しさで、映画が終われば余韻はいつまでも…。ドラマティックな展開と愛し合った男と女の別離は死…のフランス映画のセオリーに別名「氷の仮面」の硬質な美しさはピタリはまり、1940~50年代を彩った魅惑のフランス女優かつトップスターの一人。出演作はほかに「田園交響楽 La Symphonie pastorale」(1946)、「夜の騎士道 Les Grandes manoeuvres」(1955)など。

 

ミシュリーヌ・プレール(Micheline Presle 1922- 仏出身 仏伊)

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代表作はジェラール・フィリップ(Gérard Philipe 1922-1959)が17才の少年を演じる、年上の女との背徳と悲恋の物語「肉体の悪魔Le Diable au corps」(1947)。とおりいっぺんの姦通のはずが。天才ラディゲの筆と演じる人の格とフランス映画の香りで、世界の名作になってしまう不思議と神秘。ミシュリーヌ・プレールは甘やかで、母性の安らぎと誘い溺れる女のヒダを併せ持ち、破滅をうすうす予感しながらも離れられない二人。出演作はほかに「賭けはなされたLes Jeux sont faits」(1947)、「まぼろしの市街戦Le Roi de Cœur」(1966)一時ハリウッドに渡りますが作品に恵まれず、結果として全盛期を自ら縮めることに。程なくヨーロッパに戻り、脇役・老け役で息長く活躍。

 

ミッツィ・ゲイナー(Mitzi Gaynor 1931- 米)

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南国のとある島を舞台とし、2組の男女の愛を描くミュージカル映画、「南太平洋 South Pacific」(1958)のネリー役がスターの階段への決定打。「魅惑の宵 Some Enchanted Evening」、「バリハイ Bali Ha'i」、「ハッピー・トーク Happy Talk」…。どの曲も永遠のスタンダード。熟れきった美女ぶり。大柄でグラマラスな肢体。脚線美。歌も踊りも達者でダイナミック。と3拍子揃った大スター。出演作はほかに「魅惑の巴里 Les Girls」(1957)、「ショウほど素敵な商売はない There's No Business Like Show Business」(1954)など。この2作の役柄いずれもショーガール。映画界から遠のいた後も舞台・テレビ・歌手活動にと今も精力的に活動中。

 

ミリアム・ポプキンズ(Miriam Hopkins 1902-1972 米)

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大学卒業後、ブロードウェイで研鑽を積み、ハリウッド入り。唇が薄く、下がり加減で目がやや小さく眉細く、一見怒り顔。写真で見ると失礼ながらさほどでも…。ところが、スクリーンでミリアム・ポプキンズが動き出すと。上手い…。地に足がつき、リアリティがありながらの感情表現が抜群にうまく、巨匠エルンスト・ルビッチ監督(Ernst Lubitsch 1892-1947)のお気に入り。「陽気な中尉さん The Smiling Lieutenant」(1931)ではクローデットコルベールに彼を取られて泣きついて、コルベールはポプキンズの純情に打たれ、「極楽特急 Trouble in Paradise」(1932)では、富豪夫人を狙う泥棒カップルのかたわれ。少し間を置いて「女相続人 The Heiress 」(1949)ではオリヴィア・デ・ハビランドを何とか幸せにしたい、と奔走する叔母さん。どの映画も密度濃く息を詰めて観て終わると余韻さめやらず。後に映画から舞台とテレビへの転身も、順風満帆。

 

ミリー・パーキンス(Millie Perkins 1938-  米)

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可憐なブルネット美人。ホロコーストは歴史の汚点。シンボリックな作品「アンネの日記 THE DIARY OF ANNE FRANK」(1959)で鳴り物入りのデビューを飾る。モデル出身であり、批評は演技にも好意的だったし、そしてハリウッドナイズされた「アンネの日記」に賛否両論はあったものの、一定の評価はあったのですが…。しかし…、ミリー・パーキンスは、その後が続かず、プログラム・ピクチャーやでエルヴィス・プレスリー(Elvis Presley 1935-1977)映画に出演を続けるものの、早々に解雇されてしまう。一時は消息不明とまで伝えられた。(結婚して家庭の人となっており、傍から見ればともかく、本人は充実していたのだと思いたい)1980年代に復活し、母親役、老け役で映画やテレビに顔を見せています。

 

ミレーユ・ダルク(Mireille Darc 1938-  仏)

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「恋するガリア Galia」(1966)の背中を大胆に開けて、お尻の割れ目まで見える黒いロングドレス(前から見ればハイネック・長袖)の後ろ姿。振り向きざまのミレーユ・ダルク。このショットだけで語りつくせる。持って生まれたセンスの良さが水際立っていた女優さん。日本ではアラン・ドロン(Alain Delon 1935- )との長い内縁関係で有名(ロミー・シュナイダーとナタリー・ドロンとの間)で、当時のドロンの人気は「美男の代名詞」と呼ばれ、圧倒的。ドロン公私にわたるパートナーとして、共演作も数多く、知名度も高い女優さん。がしかし、「ドロンのお相手」どまりの女優さんではないことだけは特筆しておかねば。出演作はほかに「ウイークエンド Week End」(1967)、「ジェフ Jeff」(1969)など。

 

ミレーユ・バラン(Mireille Balin 1911-1968 モナコ生まれ 仏)

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フランス映画の不朽のスタンダード、ジャン・ギャバンの「望郷 Pepe le Moko」(1937)。アルジェリアのカスバ。罪を犯し、もはや踏み入れることのない望郷の地、パリの香りを運んできた女。マレーネ・ディートリッヒを思わせる細い眉。こけた頬。けだるい退廃の微笑みを浮かべながら…。出港の汽笛が鳴り響き、「ギャビーーー!!!」と叫ぶ声はかき消され、ナイフを自らの胸に突き刺す男。つゆ知らず虚空を見つめる面影は、さながらフランス版、グレタ・ガルボの「クリスチナ女王 Queen Christina」(1933)。スクリーンでは永遠の輝きを放ちながら、第二次世界大戦中、ドイツ兵との恋愛により、逮捕・投獄。「古い芸術家を守る」団体の援助にすがり、病苦と貧困と失意のうちに亡くなります。出演作はほかに「ドン・キホーテDon Quichotte Don Quixote」(1933)、「愛慾Gueule D'Amour」(1937)など。

 

メアリー・アスター(Mary Astor 1906-1987 米)

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14才でサイレント映画時代にスクリーン・デビュー。徐々に頭角を現し、トーキーの波も乗りこえ、主演女優へ。ノーブルな美人で、クラーク・ゲーブル「紅塵Red Dust」(1932)と共演、荒くれた未開の土地に燦然と現れる貞淑な妻、「孔雀夫人Dodsworth」(1936)では気品あふれるしかしさびしげな富豪夫人、「マルタの鷹The Maltese Falcon」(1941)ではハンフリー・ボガードと共演。楚々とした、しかし油断ならないファム・ファタール。自分の浮気までこまめに日記に付け、御主人に見つかって裁判沙汰で白日の元に晒され大スキャンダル、娘の親権もあわや失ってしまうのでは…の騒動の顛末は暴露本の古典!?「ハリウッド・バビロン Hollywood Babylon」(1959)に詳しい。自伝でしっかり存在をアピールしての引退。花の命はしたたかで。そして長かった。

 

メアリー・ピックフォード(Mary Pickford 1892-1979 米)

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ビックの上にもビックの付く。成功した、そして幸せな人生を歩んだ。存在そのものがレジェンド。人呼んで「アメリカの恋人 America's Sweetheart」、「カールの少女 girl with the curls」、「映画の女王 Queen of the Movies」。15才で映画デビュー。美人で可愛くて品がある。明るく賢く健気な少女のお話は誰にでも好まれ、全世界で涙を絞る。トーキーの波も、大人の女への脱皮も難なくこなし、作品に恵まれ、史上初めて100万ドル稼いだスター。引退後は会社を興し、3番目の夫と子どもと孫に恵まれて生涯を閉じた。もちろん、ただ幸運だったはずはなく、伝説は節目節目の選択の確かさの結果。出演作は「青春の夢 Pollyanna」(1920)、「雀 SPARROWS」(1926)、「コケット Coquette」(1929)など。

 

メイ・マーシュ(Mae Marsh 1894-1968 米)

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雨の降らないカリフォルニアに、先人たちはボール紙でバビロンの城を築いた。偉大なるパイオニア、D・W・グリフィス監督(David Wark Griffith 1875-1948)作品、サイレント映画の超大作、「国民の創生 The Birth of a Nation」(1915)と「イントレランス Intolerance」(1916)出演女優として。可憐な容姿が認められ、すわ、メアリー・ピックフォード2世。との期待がかかり、人気スターとなる。役柄はよりドラマティックに。悲劇的に。リリアン・ギッシュとの中間あたり。しかしトーキーの波に乗り切れずに引退。大恐慌後、再び映画界に復帰し、1960年代まで映画出演を続けました。出演作はほかに「怒りの葡萄 The Grapes of Wrath」(1940)など。

 

メエ・ウェスト(Mae West 1893-1980 米)

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あいまい宿の女主人の雰囲気で、ボードヴィル、つまり寄席の芸人あがりでもある。7才で初舞台。才女なのです。脚本・演出、一人でできる。タイトルは「SEX」。。。。。映画はセックスをユーモアで包み、風刺とシャレが飛び交う、非常にハイクオリティ!?な娯楽作。オール「メエ・ウェスト」の映画で、観客は度肝を抜かれ、そして大うけ。お上には睨まれっぱなしでしたけどね。出演作は「夜毎来る女 Night After Night」(1932)、「私は別よ She Done Him Wrong」(1933)、「罪ぢゃないわよ Belle of the Nineties」(1934)など。40年代には舞台に復帰し、80をこえてなおばっちりしっかりメイク、ボディコンシャスすぎるロングドレスを身にまとい、意気軒昂でした。

 

メリナ・メルクーリ(Melina Mercouri 1920-1994 ギリシャ)

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ギリシャが生んだ世界に誇る女優。そして祖父はアテネ市長、父は内務大臣、メリナ・メルクーリも後にギリシャの文化大臣を務めたという骨太のお血筋。「日曜はダメよ Never on Sunday」(1960)のがギリシャの民族楽器ブズーキの調べが流れ、ヒロインは陽気な娼婦。ギリシャ神話でしかギリシャを知らない堅物のアメリカ人の旅人が、これじゃあね、とおせっかいにも、ヒロインの生活に首を突っ込み、今のギリシャの人々の生活と人情に触れる…。なかなかお目にかかれない生粋のギリシャ美人を拝ませていただき、1960年代を代表するあっけらかんと開放的な、映画の主題歌に聞き惚れることとしましょうか。出演作はほかに「宿命 Celui qui doit mourir」(1957)、「死んでもいい Phaedra」(1962)など。

 

モイラ・シアラー(Moira Shearer 1926-2006 英)

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赤毛でね。代表作は「赤い靴 The Red Shoes」(1948)。このころ、カラー映画は「テクニカラー」とか「総天然色」とか言われていて、色がついているだけで映画のうたい文句になった。赤い髪、赤い靴はこののほかこの映画に映え、映画も踊りに魅入られた者のカルマを鮮やかに描き出す傑作でした。そして、美人だ。ジンジャー・ロジャースを英国美人風に、クラッシックにしたかのような。モイラ・シアラーはもともと現英国ロイヤル・バレエ団のバレリーナ。この映画で主演デビューを果たすものの、早々に引退し、バレエに関する著述をしたりバレエのイベントに名を連ねたり。出演作は他に「三つの恋の物語 The Story of Three Loves」(1953)、「彩られし幻想曲 The Man Who Loved Redheads」(1954)など。

 

モーリン・オサリヴァン(Maureen O'Sullivan 1911-1998 英)

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「類猿人ターザン Tarzan the Ape Man」(1932)にはじまるターザンシリーズの主演女優として有名。ロンドンの寄宿学校でヴィヴィアン・リーとの先輩。先輩が女優になって、なら自分も…とヴィヴィアンは女優を志したのだとか。ターザンシリーズは大ヒットし、人気を不動のものとした。子どもは7人。長女が「ローズマリーの赤ちゃん Rosemary's Baby」(1968)、「華麗なるギャツビー The Great Gatsby」(1974) などで知られるセンシティブ・ビューティ、ミア・ファロー(Mia Farrow 1945-)。家庭第一、のスタンスで脇に回りながらも息長く映画出演を続けました。出演作はほかに「影なき男 The Thin Man」(1934)、「アンナ・カレニナ Anna Karenina」(1935)など。

 

モーリン・オハラ(Maureen O'Hara 1920-2015 アイルランド出身 米)

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ジョン・ウェイン(John Wayne 1907-1979)の女房役の極め付けはこの方でしょう!気性が激しく情が深いアイルランドの美女。肝っ玉母さんの美人版。出演作は「わが谷は緑なりき How Green Was My Valley」(1941)で家のため、心ならずも嫁ぐ娘、「三十四丁目の奇蹟 Miracle on 34th Street」(1947)はクリスマスのハートウォーミングムービーの傑作でラストにほろりと涙ぐむ。「静かなる男 The Quiet Man」(1952)は故郷アイルランドの村娘。白いエプロンすがたにグッと郷愁を感じてしまう。。。この方も赤毛で、「テクニカラーの女王」と呼ばれた。しっかり者で男を立て、向こうにまわしてひるむことなく受けて立ち、切った張った撃った倒した全開の映画に深みと彩りを加える、男性陣にとってはまことに夢のような…。強すぎる美女。

 

モニカ・ヴィッティ(Monica Vitti 1931- 伊)

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イタリア美女といえば迫力満点、押されっぱなしがまた嬉しかったりして、の風情の方が多い中、モニカ・ヴィッティだけは「ものうげ」「あいまい」「不条理」。愛の不毛をけだるい表情で演じ、ストーリーが進み、ラストもよくわからない。(と批評家も言った)抽象心理のような映画、それでも納得させられてしまう。「情事 L'Avventura」(1960)で世界的名声を博したミケランジェロ・アントニオーニ監督(Michelangelo Antonioni 1912-2007)の名声も、主演女優、モニカ・ヴィッティの力量あってこそ。1960年代の空気を伝える、とびっきりの上玉の女優さん。出演作はほかに「太陽はひとりぼっち L'Eclisse」(1962)、「赤い砂漠 Il deserto rosso」(1964)など。

 

ら行

 

リタ・ヘイワース(Rita Hayworth 1918-1987 米)

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マリリン・モンローの前にセックス・シンボルと呼ばれた美女。第二次世界大戦中からベティ・グレイブルと並ぶ人気で、ピンナップは引っ張りだこ。「踊る結婚式 You'll Never Get Rich」(1941)ではミュージカル・スターとして名をあげ、フレッド・アステアの相手役をつとめ、「血と砂 Blood and Sand」(1941)ではタイロン・パワー(Tyrone Power 1914-1958)の闘牛士を恋に狂わせ、「ギルダ Gilda」(1946)では名高いグローブ・ストリップ(黒い二の腕まである手袋を外していくパフォーマンス)のなまめかしさで一躍歴史に残る存在に。どの映画も画像も、動きが滑らかで女らしくフェロモン全開。結婚は5回。ゴシップ・ロマンス数知れず。もともとは内気な女の子。名をなしてから、群がる男に疲弊しきった晩年。セックスシンボルの女優さんは、こういった軌跡をたどりがちなような…。綺麗に生まれついたからって、幸せな一生を送るとは限らないのですね。

 

リュドミラ・サベーリエワ(Lyudmila Savelyeva 1942- ソ)

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実はトルストイはロシアの小説家(当たり前ですけど)。本家本元、旧ソビエト連邦の威信を賭け、巨費を投じ7年の年月を費やした超大作「戦争と平和 Война и мир」(1967)でヒロイン、ナターシャを演じ、透き通るような、風に吹かれ、透けて見える野の花の産毛を思わせるような楚々としたロシア美人の典型を世界に知らしめた。地名度は一気に国際規模となり、「ひまわり I girasoli」(1940)ではソフィア・ローレンが訪ねてくる。夫は残留兵のマルチェロ・マストロヤンニ。夫を迎えにきたのかしら。取られてしまうのかしら…。と怯える姿は、ローレンの迫力とのコントラストが強すぎた…。もともとは名門、現マリインスキー バレエのバレリーナ。ソ連崩壊の時代、消息は途絶えたままでしたが、2009年、テレビシリーズの「アンナ・カレーニナ」に伯爵夫人の役で久々に姿を見せたとのこと。

 

リリアン・ギッシュ(Lillian Gish 1893-1993 米)

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19才から94才までカメラの前に立ち続けた。サイレント映画時代が全盛期の、演技力確かな名女優であり、大スター。悲劇が多く、観客の憐れを誘い、涙させるジャンルが多かった。「散り行く花 Broken Blossoms or The Yellow Man and the Girl」(1919)では父親に折檻され死んでしまう少女。「東への道 Way Down East」(1920)は子どもを産んだものの捨てられ、紆余曲折を経てお坊ちゃまと結ばれる…など。スクリーン上のオーラと気品。名付けて「サイレントスクリーンのファースト・レディ」。故淀川長治先生のもとに「家にありました~」と送られてくる古ぅ~いブロマイドは、大概リリアン・ギッシュだったとか。それほどまでに大衆に愛された。時代はイノセント・ガールからヴァンプへ、ファム・ファタールへ、トーキーへと動くものの、映画にテレビに活躍し続け、最後の観客への珠玉のプレゼントは90才を過ぎてなお清純派であり、純情可憐であり続けた「八月の鯨 The Whales of August」(1987)。

 

リリアン・ハーヴェイ(Lilian Harvey 1906-196 英生まれ 独)

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戦前のオペレッタ映画の古典「会議は踊る Der Kongreß tanzt」(1931)の主演女優として、そしてこの映画の劇中歌、永遠のスタンダードとなった「唯一度だけ Das gibt's nur einmal」のオマージュとして。しかし時代が時代。もともとユダヤ人との親交が深く、著名人亡命を手助けし、厳しい尋問を受け、ゲシュタポにマークされることとなる。ついに自らもドイツ脱出。フランスをへてハリウッドに向う。戦後はパリに移り、元々は歌手として研鑽を積んだ方なだけにレコードを出したりコンサートを開いたり、お店を出したり。出演映画は「数多い」とは聞くものの、目にも耳にもなじみが薄い…。ただ1作、ただ1曲。がゆえに永遠に変わらないままの、忘れられない女優さんの一人。

 

ルイーズ・ブルックス(Louise Brooks 1904-1985 米)

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時がたつにつれ次々と寄せられるオマージュ。今やサイレント女優の5本指に入る。清純派でもあり、妖婦型でもある。世界各地から次々現れる画像のひとつひとつの表情がサイレント離れしていて、内面的・精神的な深みを含み、近代的。もともとはアメリカの、断髪して人気が出たフラッパー女優の一人にすぎなかった。。オファーもまばらとなり、全盛期は過ぎたかな、そろそろ引退の潮時かな、とタイミングで遥かドイツから声がかかり、「パンドラの箱 Die Büchse der Pandora」(1929)、「淪落の女の日記 Das Tagebuch einer Verlorenen」(1929)に出演。ほどなく引退。1950年代にフランスの批評家が時代を先取りしすぎたこの2作を激ほめ。一気にリバイバルし、今や不動の位置を占めるに至った。伊藤若冲みたいなものでしょうか。アメリカ時代の出演作は「カナリア殺人事件 The Canary Murder Case」(1929)など。

 

ルイーゼ・ライナー(Luise Rainer 1910-2014 米)

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パール・バック原作「大地 The Good Earth」(1937)は舞台は中国。登場人物は中国人。なのに主演のルイーゼ・ライナーはドイツ生まれのユダヤ人。ハリウッド謹製のため、しゃべるのは英語。こんな時代があったのですね。もう1つ。「大地」の見事な演技でルイーゼ・ライナーはオスカーを取った。前年も主演女優賞を獲得しており(「巨星ジーグフェルド The Great Ziegfeld」(1936))2年連続はオスカー史上、当時初。しかしこの栄光の重圧はキャリアも浅く、ご覧のとおりたおやか・楚々とした彼女にはヘビーに過ぎ、その後のキャリアはピタリと止まってしまう。いわゆる「オスカーの呪い Oscar curse」です。以上2つの意味での、シンボリックな女優さんです。

 

ルシル・ボール(Lucille Ball 1911-1989 米)

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映画のみにとどまらず、最もスケールの大きなアメリカのコメディエンヌ。代表作はテレビシリーズ、「アイ・ラブ・ルーシー I Love Lucy」(1951-57)、「ザ・ルーシー・ショー The Lucy Show」(1962-68)。映画に出始めの1930年代、三ばか大将(The Three Stooges)やマルクス兄弟(Marx Brothers)などの喜劇映画へ出演しており、もともとドタバタ喜劇、ヴォードヴィルの笑いが本領だった。映画「ステージ・ドア Stage Door」(1937)などで徐々に実力を認められ、40年代にはかなりのポジションまで上り詰めたものの。自分の作りたいモノを作りたい!とテレビに転身!時代にあわせ、洗練された芸で大成功をおさめた栄光の人生。テレビシリーズの成功後にも、映画出演あり。

 

ルビー・キーラー(Ruby Keeler 1909-1993 米)

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戦前のハリウッドミュージカル映画と言えば、忘れちゃならない。バスビー・バークレー(Busby Berkeley 1895-1976)。エキストラを何百人も使い、群舞のダンスとポージング。俯瞰でカメラを構え、「万華鏡」と評された超スペクタクルシーンから「振付の魔術師」との称号が。バークレー映画での主演スターが、ルビー・キーラー。アステア&ロジャースのような軽快さはないのですが、愛らしく親しみやすい個性と、20~30年代にはスタンダードであったのであろう歌やタップダンスを披露しています。出演作は「四十二番街 42nd Street」(1933)、「フットライト・パレード Footlight Parade」(1933)、「泥酔夢 Dames」(1934)など。無論3作品とも、振付けはバスビー・バークレー。

 

レスリー・キャロン仏出身(Leslie Caron 1931-  米)

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映画界に登場するまではローラン・プティ(Roland Petit 1924-2011)率いるバレエ・デ・シャンゼリゼのプリマバレリーナ。ジーン・ケリーに見いだされ、MGMミュージカル黄金時代の集大成、「巴里のアメリカ人 An American in Paris」(1951)ではエトランゼのジーン・ケリーが恋するキュートなパリジェンヌ役で華々しくデビュー。「リリー Lili」(1953)では孤児になった女の子が旅の一座に拾われ、人形が意気消沈するヒロインを元気づける。おとぎ話のような。「恋の手ほどき Gigi」(1958)、こちら原題でお気づきでしょうか。オードリー・ヘップバーンが映画デビュー前に演じた舞台の映画化。ストーリーは、ベルエポックのパリの「マイ・フェア・レディ」と思ってもらえば。…とどの映画も観客に夢を与える微笑ましい佳作が並びます。1960年代からはミュージカル以外のジャンル、またヨーロッパの作品にも出演。

 

レナ・ホーン(Lena Horne 1917-2010 米)

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アフリカ系アメリカ人エンターティナーのパイオニアの一人。ニューヨークに生まれ、生活のためコットンクラブで踊り、歌手となり、美貌と歌唱力を見込まれ、MGM社と契約。「Panama Hattie(日本未公開)」(1942)、「Cabin in the Sky (日本未公開)」(1943)、「Stormy Weather (日本未公開)」(1945)とヒットを飛ばすものの、当時の人種差別の壁は厚く、役柄が限られたこと、また白人社会で伍して生き、自分の立場、民族の立場を守るためにはものを言わなければ舐められてしまう。このため、会社にうとまれ、解雇。活動の場をヨーロッパに映し、歌手としての名声を確立。後年、ブロードウェイなど、アメリカの芸能界に復帰。1989年、グラミー賞の功労賞を受賞したレナ・ホーンに、観客のスタンディング・オーベーションはいつまでも鳴りやまなかった…。

 

ローレン・バコール(Lauren Bacall 1924-2014 米)

181ローレン・バコールLauren Bacall:plain

ボギーことハンフリー・ボガードの最後の夫人。代表作は「脱出 To Have and Have Not」(1944)、「三つ数えろ The Big Sleep」(1946)、「キー・ラーゴ Key Largo」(1948)とボギーとの共演作が並ぶ。映画史上もっとも有名なカップルであり、「The Look」と謳われたデビュー間もない頃の三白眼の瞳で見る者を引きつけてやまない上目づかいの眼差し。クール・ビューティならぬハード・ビューティとでも申しましょうか。凛としながら男性に媚びず、それでいてフェロモンビシバシ発射しまくり!の極致であり、このスタイルを10代のころに既に完成させていることにまず脅威を覚えます。そしてボギーが死してなお半世紀近く、第一線に立ち続けたのは、紛れもなくローレン・バコールの実力です。

 

ロザリンド・ラッセル (Rosalind Russell 1907-1976 米)

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1940~50年代に大流行したスクリューボール・コメディ。ロザリンド・ラッセルも勝ち気で男勝り。綺麗で頭の回転が早くて…の同性が憧れてしまうヒロインの一人。基本路線はコメディエンヌで、芸達者。代表作はケーリー・グラントと共演した「ヒズガール・フライデー His Girl Friday」(1940)。40年代は引っ張りだこでこの手の映画への出演が続き、黄金時代を築きます。演技力があり脇に回った「ピクニック Picnic」(1955)ではクセのある演技でキム・ノヴァクの向こうを張り、集大成の「メイム叔母さん Auntie Mame」(1958)では姐御肌の女性の波乱万丈、そして最後にはハッピーエンドでほろりとさせて…。のハートウォーミングな大河ドラマを余裕しゃくしゃく演じ、代表作としました。

 

ロッサナ・ポデスタ(Rossana Podestà 1934-2013 伊 米・伊)

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母国イタリアで青春スターとして売り出し中、ハリウッドの目に留まり、「トロイのヘレン Helen of Troy」(1956)のヘレン役でハリウッドでデビュー。絶世の美女。完璧ボディー。として、史劇の美女路線が定着。次いで当時の御夫君、マルコ・ヴィカリオ監督(Marco Vicario 1925-)とのコンビ、とりわけ「黄金の七人 Sette uomini d'oro」(1965)では峰不二子ちゃんのモデルになったとのいわくつきの、ファム・ファタールを超えた美人でボン・キュ・ボンで粋でオシャレでちょっとズルくて大胆で、目が離せない…女泥棒が大ブレイクし、新しい時代のセックス・シンボルへとまたも転身を遂げました。出演作はほかに「ソドムとゴモラ Sodoma e Gomorrah」(1962)など。

 

ロミー・シュナイダー (Romy Schneider 1938-1982 オーストリア出身 仏・独)

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20世紀の生んだ映画女優の5本の指に入るかも。物凄い美人とも違う。カメラ映えするといいますか、スクリーンでの姿は円熟の女そのもので。神々しさが匂い立つようで。「いい女」とはこういう人。リアルにいそうで、大人の男性が実際に狂ってしまうのはこういうタイプの女性なのでは。天真爛漫な青春スター、「プリンセス・シシー Sissi」(1955)を経て、アラン・ドロンとの出会いで脱皮し、茫然と見つめる「夕なぎ César et Rosalie」(1972)。「ルートヴィヒ Ludwig」(1972)で再び演じるオーストリア=ハンガリー帝国皇妃エリザベートは爛熟の極致、集大成…。こんな女性が、私生活に悩み、若くして亡くなってしまう…。長恨歌の最後の一節を捧げたい。「この恨み連綿として尽きることなし。」

 

ロレッタ・ヤング(Loretta Young 1913-2000 米)

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目鼻立ちが大変ハッキリした女優さんでポートレイトや1940's beauty などで写真や画像が並ぶとひときわ映える。目を引く。トーキーの到来とともに現れ、1930年代後半から1940年代の長きにわたり安定した人気を誇るスイーティ・ビューティ。私が、私が、のタイプではなかったのでしょう。おとなしく!?主演男優の脇に控え演じるヒロイン役が多く、強烈に自分を出した代表作、がパッと浮かんでこないのが惜しいと言えば惜しい。オスカー女優でもあり、絶対視されていたロザリンド・ラッセルを押さえ、自分の名が呼ばれ、絶句したエピソードは有名。出演作は「野生の叫び The Call of the Wild」(1935)、「ミネソタの娘 The Farmer's Daughter」(1947)、「ロレッタ・ヤング・ショー The Loretta Young Show」(テレビ)(1953-61)など。

 

 

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