「グレース・ケリー(Grace Kelly 1929-1982)はとても美しく、素晴らしく知性があり、素晴らしく繊細で、ユーモアの才能もあれば、自然にふるまうことも知っている」「おそらくグレース・ケリーは火と水とすごい情熱を持っている。だけどそれを誇示しようとはしない」「すばらしい性的魅力をもっている。でもそれは雪をかぶった噴火山のようなもの。エロティシズムはサスペンスであらねばならないがグレース・ケリーこそそんな女性」クール・ビューティ。セクシャル・エレガンス。おすすめ映画を順番に。出演した映画はわずか11本。モナコ大公との世紀の結婚。52才の若さで不慮の事故死を遂げるまで。エピソードの数々もあわせてご覧ください。
- 泥棒成金 To Catch a Thief (1955)
- 裏窓 Rear Window (1954)
- 喝采 The Country Girl (1954)
- 【コラム①】グレース・ケリーは裏方に愛された女優
- 上流社会 High Society (1956)
- ダイヤルMを廻せ! Dial M for Murder (1954)
- 白鳥 The Swan (1956)
- 【コラム②】グレース・ケリーのウェディングドレスとファッション
- モガンボ Mogambo (1953)
- 真昼の決闘 High Noon (1952)
- トコリの橋 The Bridges at Toko-ri (1954)
- 緑の火・エメラルド Green Fire (1954)
- 14時間(Fourteen Hours 1951)
- 【コラム③】ハリウッドのプリンセスから本物のプリンセスへ
- まとめ
泥棒成金 To Catch a Thief (1955)
20世紀のサスペンス映画の巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督(Alfred Hitchcock 1899-1980)、ソフィスティケーティッド・ダンディのケーリー・グラント(Cary Grant 1904-1986)、クール・ビューティのグレース・ケリーが組んだ豪華なきらびやかな映画。
あらすじは、リヴィエラで優雅な隠遁生活を楽しんでいた元宝石泥棒「ネコ」(ケーリー・グラント)は自分の偽物が現れたことを知る。
アメリカの成金の娘(グレース・ケリー)と巡り合い、娘は男が「ネコ」であることを見抜き、二人は恋仲に。元「ネコ」は己の潔白のため偽「ネコ」を追う。
華麗な仮面舞踏会の夜、偽「ネコ」は捕らえられ、2人は結婚。大団円。
ヒッチコック映画作品だからドキドキハラハラの謎解きシーンはあるけれど。メインは光あふるる南仏の風物背景に、どこまでも洗練されたと金持ち娘とダンディな元宝石泥棒とのハイセンスな恋の駆け引き。
映画中、最初に現れるグレース・ケリーは主に横顔。冷たい表情。ところがホテルの部屋の前まで送る初対面の男に燃えるような口づけをする。
ケーリー・グラントがグレース・ケリーの車に乗り込み、ケーリー・グラントは追っ手に追われるがグレース・ケリーは見事!ハイテクニックで追っ手をまいてしまう。
「胸が好き?それとも脚?」(お弁当のフライドチキンのことです。良からぬ想像しちゃダメ♪)
ケーリー・グラントを巡って年下の女の子と水着姿での火花の飛ばしあい。
ホテルの部屋の中、夜空を焦がす花火の光を浴びながら純白のドレスとダイヤモンドの首飾りのグレースケリーがケーリー・グラントと交わすキスシーンの、派手なこと。見せ場を心得ていること。
仮面舞踏会の仮装は、ルイ王朝風の全身小物までトータルコーディネイトのゴールド!デコルテが大きく開き、二の腕までを覆う手袋。
クリノリンスタイルの床まで届く大きく膨らんだドレスで、ネックレスもイアリングも髪飾りも扇子も目隠しもすべてが金! あたりが有名で、今なお語り継がれているシーン。
恋の手綱は映画の最初から最後までグレース・ケリーが握りっぱなし。
ヒッチコック監督曰く、「この映画は単なるマン・ハント(夫を捕まえる)もの。」
名高いヒッチコックタッチを堪能させていただきましょう!
裏窓 Rear Window (1954)
「泥棒成金」と「裏窓」、どっちをトップにするか、迷いました~。わたし的には同点1位。
やはり、アルフレッド・ヒッチコック監督作品。グレース・ケリーの役は、ニューヨークのファッションモデル!
真夏のニューヨーク、カメラマンの恋人は脚を骨折し、哀れギブスをつけてアパートで車いすの身。
退屈しのぎに向かいのアパートの住民を望遠レンズで観察している。夫婦が言い争っている。妻の姿が消えた。夫は大きい荷物を持って出て行った。怪しい…。
自分は動けない。のをもっけの幸い!?ハネムーンの予行演習よ。とスケスケのネグリジェ持参でやってくる恋人と通いの家政婦を巻き込み、真相解明に乗り出す。
と設定からしてワクワク。恋人は大胆にも向かいのアパートに乗り込む。
決して外さないはずの指輪を見つけて自分の左手の薬指にはめてファインダーを覗く彼に見せつける!(「見つけた!」と「2人の結婚!」の見事な融合!)
暗がりの中、覗かれていることに気付いた男が近づく。
「何が望みだ。金か。金などない。」と襲いかかる男!もみあう2人。
窓から突き落とされそうになったその時、恋人が警察官を連れて戻ってくる!
静のジェームズ・スチュアート(James Stewart 1908-1997)と活発でお転婆!?で活き活きしたグレース・ケリーの対比が素晴らしい。
映画の冒頭でグレース・ケリーが登場したときのトップが黒・ボトムが白のチュールのカクテルドレスは映画史に残る 。
ハリウッドのドレス・ドクター、イーディス・ヘッド(Edith Head 1897-1981)のデザイン。
喝采 The Country Girl (1954)
グレース・ケリーにアカデミー主演女優賞とゴールデングローブ賞主演女優賞の栄光をもたらした映画。
冒頭はくたびれ切った主婦。子どもは事故死し、歌手だった夫(ビング・クロスビー Bing Crosby 1903-1977)はアル中。
カムバックをもちかける演出家(ウィリアム・ホールデン William Holden 1918-1981)。
妻はアル中で、情緒不安定なんだ、と繰り返す夫の言葉を演出家は真に受け、冷たくあたる。
真実が明らかになり、呆然と立ち尽くす演出家。「彼を立ち直らせて!彼を立ち直らせるためだけに生きてきた!あんたに何がわかるの!」の激情がほとばしる絶叫と。それに続く演出家とのキスシーン!
ステージは成功し、三角関係は明らかになる。
でも、妻はやっぱり、夫のもとに走り去っていく…。
と汚れ役・耐え忍ぶ・激しさ・涙・夫がいながら他の男に向かう恋心。
演出家を愛しながらも夫を気遣い、最後には夫を選ぶ健気さと切なさと。
と今まで終始してきた取り澄ましたお金持ちのお嬢さんと奥さん役にはない演技の見せ場が数多くある。
深みと落ち着きを兼ね備えた演技は高く評価された。
ヒッチコック映画の華々しさはありませんが、密度の濃い人間模様に引き込まれ、後半、一気に堰を切ったかのように感動の波が1回・2回・3回と続き、
ラストの余韻にいつまでも浸っていたい映画でありました。
ちなみにモノクロ映画です。
【コラム①】グレース・ケリーは裏方に愛された女優
観客はグレース・ケリーに、グレース・ケリーの演じた女性の虜にさせられてしまう。現場でことのほか信望が厚く、スタッフに好かれた女優だったことでも有名。
裕福な家庭の生まれで(父はフィラデルフィアの一代で財をなしたボートの金メダリスト、母は大学講師も勤めたモデル)育ちが良く、きちんとした教育を受けている。
映画界に身を置いたのは22才から27才まで。年若い女の子が、海千山千の撮影現場に時間どおりにきちんと現れ、これみよがしにセクシーさを表に出さない、育ちとパーソナリティからいっても、出せない。(スター志願の女の子って、ハングリーですから)
つつましく控えめである。それでいて重労働の映画撮影の間中、明るく、快活で、愛想が良く、率直で機知に富む。スタッフに感情をあらわにしてスターの権威をふりまわりたり、君臨するような真似は決してしない。
たとえ衣装が合わなくても文句ひとつ言わず袖を通し、演技に没頭する。
美しさの陰に隠れて忘れがちですが、演技も折り紙つき。(アメリカン・アカデミー・オブ・ドラマティック・アーツ卒。同窓生にはスペンサー・トレイシー(Spencer Tracy 1900-1967)、カーク・ダグラス(Kirk Douglas 1916- )、ローレン・バコール(Lauren Bacall 1924-2014)など)
ジェイムズ・スチュアート、ビング・クロスビー、ケーリー・グラントはグレース・ケリーの演技についてのコメントを残している。
まとめると「若い俳優は自分の動きやセリフで手一杯で、相手役が見えていない時がままあるものだが、グレース・ケリーは違った。相手役を受けて、相手役のセリフを聞いて、なおかつ自然に演技することができた。」名だたるキャリアを持つ先達は、グレース・ケリーの実力を確かに認めた。
男性遍歴は華やか。共演した俳優で、関係がなかったと言われているのは
クラーク・ゲーブル(グレース・ケリーはぞっこんだったがクラーク・ゲーブルはそのころ女よりお酒が好きな時期でこの恋は片思いに終わる)
ジェイムズ・スチュアート、ケーリー・グラント。(この2人も超々大スターであり、回りがおもんばかって書かないのか実際に本当に関係がなかったのかまではわからない)
つまり ゲーリー・クーパー、ウィリアム・ホールデン、レイ・ミランド(Ray Milland 1907-1986)、ビング・クロスビー、。 共演はないがジャン=ピエール・オーモン(Jean-Pierre Aumont 1911-2001)、デビット・ニーブン(David Niven 1910-1983)、ジャクリーヌ・ケネディご贔屓のデザイナーとして有名なオレグ・カッシーニ(Oleg Cassini 1913-2006)とは噂があった。
妻子ある男性との仲をコラムニストに書き立てられ、「人の夫を奪っておきながら白い手袋をはめてすましている女」とされたりした。メンタルをやられた時期もある。
もともと控えめで自分のことをあけっぴろげに話すタイプではなく、無遠慮な質問や詮索はシャットアウト。が「クール」と呼ばれるゆえん。
グレース・ケリーはみんなに好かれた。非難がましい声は、「身持ちが良くない」以外は聞こえてこない。
グレース・ケリーにしてみれば、好きになっただけなんですね。その都度その都度は本気で、夢中なんです。友人たちはグレース・ケリーを愛し、理解し、守り、かばった。
…内輪は別として、ハリウッドの外からは清純なイメージで通っていた。
上流社会 High Society (1956)
モナコのレーニエ3世(Rainier III de Monaco 1923-2005)との婚約を発表し、ハリウッドはセルロイドのプリンセスではなく、遂に本物のプリンセスを送り出す!の大肝いりで作られたグレース・ケリーの引退映画。
大女優キャサリン・ヘップバーン(Katharine Houghton Hepburn 1907-2003)がアカデミー主演女優賞を取った「フィラデルフィア物語(The Philadelphia Story 1940)」のミュージカル化で
音楽はコール・ポーター(Cole Porter 1891-1964)の書き下ろしで共演がビング・クロスビー、フランク・シナトラ(Frank Sinatra 1915-1998)、セレステ・ホルム(Celeste Holm 1917-2012)、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong 1901-1971)と超々豪華。
佳曲揃いのミュージカルで、代表曲はビング・クロスビーとグレース・ケリーがデュエットした「トゥルー・ラヴ(True Love)」。
ヨット「トゥルー・ラヴ」号での2人の新婚旅行でグレース・ケリーがビング・クロスビーに膝枕されて歌うスローでスイートなナンバー。
グレース・ケリーはレッスンを重ね、吹き替えじゃありません!正真正銘、グレース・ケリー自身が、自分で歌っています!
佳曲ぞろいで、
- 「ハイ・ソサエティ・カリプソ(High Society Calypso)」 (ルイ・”サッチモ”アームストロングは狂言回しの役、映画冒頭で状況説明も兼ねて流れる歌)
- 「百万長者になりたいかい?(Who Wants to Be a Millionaire?)」(セレステ・ホルムは歌って踊れる芸達者。フランク・シナトラとの掛け合いは絶妙!)
- 「ユア・センセーショナル(You're Sensational)」(フランク・シナトラがグレース・ケリーの瞳を見つめ、歌い上げるラブソング)
- 「ほんとうですか?(Well Did You Evah?)」(ビング・クロスビー&フランク・シナトラ、超大御所2人の奇跡のコラボ)
あたりが個人的にはごひいきだったりする。
豪華でソツなくまとめた楽しい映画。
ダイヤルMを廻せ! Dial M for Murder (1954)
グレース・ケリーのヒッチコック映画出演は「ダイヤルMを廻せ!」が第1作。以来ヒッチコック監督はたて続けにグレース・ケリーを主演女優として起用。全部の映画をグレース・ケリー主演で撮りたかったのだとさえ言われた。
金持ちの妻は不倫しており、離婚すると夫(レイ・ミランド Ray Milland 1907-1986)は財産を失い、一文なしになってしまう。そこで殺し屋を妻の元に差し向けるのだが妻は身を守るため殺し屋を殺してしまう。裁判が行われ、死刑判決を受ける妻。無実(実際殺してしまっているので違うのだが)は証明されるのか…。
当時最新の3D映画だった。(片目赤・片目青の眼鏡をかけてスクリーンを見ると画面が立体的になる。)映画の最初。電話が、ハサミが、ハサミを探す手が飛び出す!飛び出す!で、ドラマが進むとおとなしくなり、終盤、鍵がキーポイントになるのですが、来た!来た!ってかんじでまた鍵が立て続けに大写しにされ、飛び出す。と緩急自在。
グレース・ケリー主演のヒッチコック監督3作のうち、この作品は一番トーンが暗い。グレース・ケリーのシリアスな表情と夫がいながら恋人を作るという役柄、殺人犯に仕立てあげられてしまうのですから、めくるめくドレスと輝く笑顔、とはいかない。
ヒッチコック監督はやや難ありと言われていたグレース・ケリーの発声を低く落ち着いたトーンに変えさせ、つきっきりで演出と演技指導を行う熱の入れよう。次のヒッチコック監督作品、「裏窓」で、人気と名声は一挙に一気に頂点に上りつめるのです。
白鳥 The Swan (1956)
グレース・ケリーがレーニエ3世と水面下で結婚に向かっていた頃に撮影された映画で、美貌の王女が身分違いの恋に落ちるほろ苦いお話。
映画が公開される頃、現実が映画を追い越してしまい、さらに公開時期がレーニエ3世とグレース・ケリーの結婚式の記録映画の公開と重なってしまった。
「現実の本物の結婚式を見ればもういい…」と観客は食傷ぎみで、映画の出来は素晴らしかったにも関わらずヒットにつながらなかった。
作中グレース・ケリーがまとう白いシフォンの夜会服には何百枚という椿の花びらが熟練の職人によって刺繍され(デザインはヘレン・ローズ(Helen Rose 1904-1985))、フランスのルネサンス様式を模して造られたアメリカの国家国定歴史建造物のビルトモア・ハウス(Biltmore Estate)がロケに使われ、目の保養、目の保養♪
「白鳥は湖をすべるように泳ぎ、白く、静寂で、美しく、女王さまのようにとりすましている。鳥であっても飛びはしない。歌を知っていても決して歌わない。岸にあがってしまったらただの鳥になってしまう。あなたは白鳥。白鳥は白鳥のままでいるべきだ。」
【コラム②】グレース・ケリーのウェディングドレスとファッション
ウェディングドレス
専属契約していたMGMの衣装部門のチーフ・デザイナー、ヘレン・ローズによる。「金にいとめはつけるな」というトップの指示をうけ、作られたウェディングドレスは女優らしい華やかさを淡い淡いピンクのタフタのアンダードレスで表現し、それを覆うレースやチュールは全て美術館から譲り受けた純白の125年ものの年代品。
46メートルのシルクタフタ、90メートルのシルクチュール、125年前に編まれたバラの刺繍入り240メートルのレースを使い、何千個もの粒真珠がベールに縫い込まれ、ドレスの下で見えない3枚のペチコートも、小さなブルーのリボンが多数。グレース・ケリーの若いスリムなボディを強調した身体にフィットした伝統的でエレガントなドレス。
ちなみに、このウェディングドレスの製作価格は、当時で7,226ドル。ヘレン・ローズがデザインした作品の中では最も高価な、最高傑作とされているこの衣装は、現在、永久コレクションとして、グレース・ケリーの出身地であるフィラデルフィア美術館に保存されている。
結婚式は1956年。もう60年以上過ぎている。画像に写る花嫁も花婿も、もうこの世にはいない。なのに今見てもいささかも古びておらず、現代にも通用するゴールデンカップルであることに驚かされる。
花嫁には8人のブライド・メイズとフラワーガールが付き添い、彼女たちの装いは、アメリカ1の高級デパート「ニーマン・マーカス(Neiman Marcus)」が作成。(デザインはジョー・アレン・ホン Joe Allen Hong 1930–2004 )モナコの地中海の色、ブルーにはえるヒマワリの花のイエローが基調になっていた。世界中からきたジャーナリスト1,500人と700人の招待客は、この映画より美しいドレスの色合わせに陶酔し、結婚式のライブ映像には3,000万人を超える視聴者が殺到したという。
そして「映画衣装」の強み。例えば、シャネルの服とかは、さりげなすぎて、スクリーンでははなはだ映えないのです。今日撮影した衣装が、公開時に流行遅れにならないか。スクリーン上で、俳優・女優の個性を活かしているか。殺していないか。演じるキャラクターの背景とシチュエーションに沿い、映画の理解と格を深め、底上げできるか。「史上稀にみる美しき花嫁姿」はハリウッドが産んだセルロイドじゃない、本物のプリンセスへの贈りもの。アメリカの、ハリウッドの、MGMの、ヘレン・ローズの、底力。
ファッションとケリーバッグ
良家の子女で、どこに行くにもきちんとした服装を押し通す。
トレードマークは白い手袋。
裏方との打ち合わせにもスーツに帽子、手袋をはめてハンカチを持って現れ、現場はびっくり仰天したとも。
お気に入りのブランドはエルメス。
グレース・ケリーは裕福な生まれだけど、贅沢過ぎる生活や意味のない浪費はせず、自分の収入の中で生活する地に足ついた金銭感覚の持ち主だった。
でも、エルメスにだけは目がなくて、独身時代から、エルメスショップで手袋を目の色を変えて買い占めた。自分用に、お土産に、と手持ちの現金を使い果たした姿を目撃した人もいる。
結婚後、妊娠し、大きなお腹を隠すために大写しになったのもエルメスのバッグ。
事あるごとに同じ型のバッグをヘビロテする姿に、エルメス社はモナコ公国にお伺いを立てた上で、くだんのバッグを公妃の旧姓を使った「ケリーバッグ」とした。
逆に言うと、カジュアルな服装の画像って、あんまり残っていない。Tシャツとかジーンズとか。 で、ブロンドの髪はいつもきちんとセットされているし、フルメイクだし、清潔な上品さに終始し、崩す、とか、いま時の言葉でいえば「抜け感」「こなれ感」の選択肢が最初から最後までなかった。
結婚してからは、お妃さまなので、なおさら。
つまりモデル出身で、品格があり清楚・清純・知的・クール・セクシーを兼ね備えた貴族的な容姿・スタイル。
肉体を見せるのではなく、隠すことで観客はイマジネーションをかき立てられる。肉体派の女優にはできない技が使えるのです。
殊の外有名なのは別名「ハリウッドのドレスドクター」イーディス・ヘッドとのコラボ。イーディス・ヘッドは、それまで宝石と羽根で女優を飾り立てることしかアイディアのなかった男社会の映画界においてシンプルであること、着る俳優の個性と美点を際立たせることで革新的であった。
パラマントの専属デザイナーだったため、MGMからパラマウウトに貸し出された「裏窓」「喝采」「トコリの橋」「泥棒成金」、4本の映画でグレース・ケリーの衣装を担当。
58年に及んだ栄光のキャリアの中で、「一番好きな作品は「泥棒成金」。一番のお気に入りの女優はグレース・ケリー。」と語っています。(有名な衣装の紹介と解説は映画の項をごらんください)
グレースケリーがアカデミー主演女優賞を獲得した時のシンプルなアイスブルーのドレスもイーディス・ヘッドのもっとも有名なドレスの一つ。
知的で冷静で優雅で清楚で上品、をそのまま表現した、シンボリックな衣装として今なお、永遠のオーラを放ち続ける1着。
ただし晩年はホルモンの関係もあったんだろうし、心労も重なり、飲酒の量も増え、太って貫禄が出てきて、…昔は良かったな、と思わせた。
モガンボ Mogambo (1953)
ゴールデングローブ賞 助演女優賞受賞、アカデミー助演女優賞ノミネート。
アフリカの広大な大地を舞台に、たくましい男と、ブロンドの学者の妻とブルネットの奔放なショーガールの恋のさや当て。
グレース・ケリーは、この映画でハリウッドの”キング”、クラーク・ゲーブル(Clark Gable 1901- 1960)と共演したいばかりにMGMに入社した。
- 伝説の巨匠、ジョン・フォード(John Ford 1894-1973)監督の映画に出演できたこと。
- クラーク・ゲーブルと共演できたこと。
- アフリカに無銭旅行できたこと。
真昼の決闘 High Noon (1952)
ゲーリー・クーパー(Gary Cooper 1901-1961)が2度目のアカデミー主演男優賞に輝いた西部劇。
グレース・ケリーが演じるのはクーパーと結婚式をあげる新妻。しかしならず者は町に迫る。戦わねば…。迫る緊迫感。
クエーカー教徒の新妻は清楚で上品で、控えめであり、無表情である。
しかし最後には夫を守るため、悪者を撃ち殺す芯の強さを兼ね備えていなければならない。
出演料を抑えたかった製作サイドの思惑から新人のグレース・ケリーが抜擢された。
「真昼の決闘」を皮切りに、グレース・ケリーは次々と当時最高の洗練され、魅力的で有名な俳優・監督・脚本家と組んで仕事をするチャンスをつかむ。
トコリの橋 The Bridges at Toko-ri (1954)
海軍パイロットの夫を朝鮮戦争で失う妻の役。
戦争映画で、日本でもロケが行われた。(グレース・ケリーの撮影はハリウッド)さほど重要な役ではない(戦場シーンが見せ場なので出番も少ない)が誰でもいいとはいかない。この映画に出たのはグレース・ケリーがブレイクする寸前であり、MGMからパラマウントに貸し出されての出演。
緑の火・エメラルド Green Fire (1954)
コロンビアのエメラルド鉱山で繰り広げられるエメラルドを追い求める男のアクションドラマで、コーヒー園の娘の恋が絡む。
…「喝采」はパラマウントの映画。グレース・ケリーは出演を熱望し、MGMは「緑の火・エメラルド」出演を条件に、他社出演を承諾した。
批評はさんざんでグレース・ケリーの見せ場は少ないものの、84万ドルの利益を上げている。
「トコリの橋」、「緑の火・エメラルド」、ともにMGMの命令で出演した作品。あっという間に「裏窓」「喝采」、オスカー受賞とのぼりつめ、女優として確固たる地位を確立するまで、MGMはグレース・ケリーの価値に鈍感で(マリリン・モンローも20世紀フォックスに取られてしまった)男性主体のドラマの彩り、くらいにしか思われていなかったことがわかる。
でも、この2作品でも、グレース・ケリーは、美しい!
14時間(Fourteen Hours 1951)
グレース・ケリーの記念すべき映画初出演作。小さな役ですけどね。高層ビルから飛び降りようとする男が救出される14時間後までの、事件現場に居合わせた人々の人間模様。役どころは離婚を決意しながらも命の大切さを身近で体験したために思いとどまる人妻役。出演料はミンクのコートを買っておしまい。
それでもグレース・ケリーの美貌に目をつけ、ファンクラブが立ち上がったのだとか。先見の明、ありすぎ。
【コラム③】ハリウッドのプリンセスから本物のプリンセスへ
グレース・ケリーは、自分の結婚について 「私は、夫が「グレース・ケリーの夫」と呼ばれるのは絶対に嫌だったのです。結婚したら、その人の姓で呼ばれたいと思っていました。」 と語っていた。
選んだ相手はフランスとイギリスの間に位置する面積2㎢あまり。モンテカルロ・ラリーやカジノで名高いモナコ公国のプリンス。正真正銘の君主。(王国ではないから王様とは言えないけど)大公レーニエ3世。申し分ない。 盛大に開催された結婚式。でも終わりじゃない。始まりだったのです。
アメリカで自由に、自分の意志で生きてきた女性が、ヨーロッパの何百年も続く格式としきたりの中にたった一人で乗り込む。想像に絶する世界であり、苦労が絶えなかったことは、死後に徐々に明らかとなる。
友達はできず、夫は多忙。閉じこもることも多く、淋しさからアメリカ時代の友人をしょっちゅうモナコに招いていた。
子どもが生まれた。 (レーニエ大公に世継が生まれなければモナコはフランスに接収されることになっており、子どもを産むことは結婚の絶対条件だった) 新たに打ち込むものができた。公務に慈善活動にと多忙な日々。
3人の子どもは成長し、2人の公女はタバコを吸ったり、ナイトクラブにいるところをパパラッチされたり、恋愛騒ぎをすっぱ抜かれたりと母親として頭の痛い事態は続く。 映画へのカムバックの誘いはたびたびあった。しかし「私たちの妃が脚本によっては他の男とキスするのか」の声の前に、諦めざるを得ない。
「裏窓」のジェームズ・スチュアートみたいな、カメラマンとかと結婚すれば良かったのかも。そして女優を続けて、しゃれた映画を世に送り出し続けた人生もあったのかも。
玉の輿に乗っても、苦労続きで逃げ出した前例はいくらでもある。しかし結婚は人生の要というべきもの。起こった問題は必ず解決して、体裁だけはとりつくろわなければならない。「離婚の選択肢はない」の価値観は終始一貫していた。
死は突然にやってきて、1982年9月13日、運転中に脳卒中に襲われ、車は現場の断崖から転落。翌日に死亡が確認された。享年52才。(次女のステファニー公女が同乗しており、死因については事故直後は憶測が乱れ飛んだものの、現在、真相はは事件性なしとされている)
ハリウッドのトップスターを公妃に迎えたことで、モナコ公国の知名度・認知度は一気に上がった。子どもを3人産み、モナコ公国を存亡の危機から救った。孫は10人。ひ孫は7人。(2019年現在)*1
「グレース・ケリーの子孫」の消息は世界をかけめぐり、近況が「 モナコのセレブ・スナップ」として伝えられる。今なおモナコ公国はトップクラスのネームバリューを保つ。死後40年近くたつというのに。グレース・ケリーが「いた」記憶は消えていない。グレース・ケリーの功績は未だ色あせていない。
まとめ
最初から最後までトップを疾走した。圧倒的な閃光をはなちながら。
誰からも愛された。カムバックのオファーは引退後も途切れることのなかった。
恵まれていた。運が良かった。でも運をつかみ、扉を開き、たとえ栄光には影がつきまとうものだったとしても、生涯を貫き通したのはグレース・ケリー。
今はモナコ大聖堂の「グラシア・パトリシア レーニエ2世の妃」と刻まれた墓で、眠っている。
*1:夫 レーニエ3世(Rainier III de Monaco 1923-2005)
長女 カロリーヌ公女 (Caroline de Monaco 1957- )
孫(男)アンドレア・カシラギ (Andrea Albert Pierre Casiraghi 1984- )
ひ孫(男)アレクサンドル (通称サッシャ)・カシラギ(Alexandre 2013- )
ひ孫(女)インディア・カシラギ (India 2015- )
ひ孫(男)マクシミリアン・カシラギ (Maximilian 2018- )
孫(女)シャルロット・カシラギ (Charlotte Casiraghi 1986- )
ひ孫(男)ラファエル (Raphaël 2013- )
ひ孫(男)バルタザール (Raphaël 2018- )
孫(男)ピエール (Pierre 1987- )
ひ孫(男)ステファノ (Stefano 2017- )
ひ孫(男)フランチェスコ (Francesco 2018- )
孫(女)アレクサンドラ王女 (Alexandra von Hannover 1999- )
長男 アルベール2世(Albert II de Monaco 1958- )
孫(女)ガブリエラ公女 (Princess Gabriella 2014- )
孫(男)ジャック公子 (Jacques, Hereditary Prince of Monaco 2014- )
孫(女)ジャズミン・グレース・グリマルディ (Jazmin Grace Grimaldi 1992-)
次女 ステファニー公女 (Stéphanie de Monaco 1965- )
孫(男)ルイ・デュクリュエ (Louis Ducruet 1992- )
孫(女)ポリーヌ・デュクリュエ(Pauline Ducruet 1994- )
孫(女)カミーユ・ゴットリーブ(Camille Gottlieb 1998- )