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【画像120枚】ソフィア・ローレンの映画をおすすめ順に紹介してみる。

ソフィア・ローレン(Sophia Loren 1934- )。別格・神レベルの肢体・プロポーション。血の通う女の熱気とリアルな人間らしさを兼ね備えた女。並外れた存在感で母国イタリアと世界を制覇したスケールの大きい大女優。多数の出演映画の中からおすすめ映画を順番に。みどころのシーンとまつわるエピソードもご一緒に。

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ひまわり I Girasoli 伊・仏・ソ・1970

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泣ける泣ける。

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ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini 1924-1994)の不朽の主題曲が流れ。

大画面にひろがる無限に続くかのように咲き乱れ、風に揺れるひまわりの花は現ウクライナで撮影された。イタリア・フランス・当時のソ連、3カ国の合作。

名シーンだらけ。

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たった12日間のハネムーンの花嫁が、帰ってこない夫を待つシーン

息子は死んだ、と喪服を着る姑に「私が探します」と言い切るシーン

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二人の短い愛の日々と、狂人を装って徴兵逃れを目論むものの、厳寒のロシア戦線に追いやられてしまう切なすぎる別れ

シベリアの地で死の行軍を続けるイタリア兵と崩れ落ち、行軍から脱落する男

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復員兵を迎える、待つ息子・夫の写真を手に駅で待つ女たちの群れ

倒れた男を見たのが最後だった、と聞いても夫が死んだことを信じない女

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夫を探すために女一人旅立ち、当時のソ連邦モスクワに降り立つシーン

イタリア兵の無数の墓標の中をさまよい歩く女

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執念で夫らしき人を捜し当てる。

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夫はロシアで死にかけていたところ、現地の女性に救われ、子どもまでいることを知る。夫はイタリア人の妻が自分を探してやってきたことを知る 。3者3様の動揺と衝撃。

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夫はロシア人妻の理解を得て、ふたたびイタリアに戻ってくる。しかし女はもう、別の男と結婚し、子どもを産んでいた。

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イタリアを去る夫。見送る元妻。今度こそ永遠の別れ。

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と映画全編を通して愛し合いながらも別れなければならなかった男と女。翻弄される運命。誰も悪くないのに。戦争の悲惨さ。

ソフィア・ローレンは1950~60年代のイタリアのみならす世界を代表する映画女優。

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とりわけ「ひまわり」を代表とする

製作:カルロ・ポンティ(Carlo Ponti 1912-2007)

監督:ヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica 1901-1974)

主演男優:マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni 1924-1996)

主演女優:ソフィア・ローレン

の四者の組んだ映画に名作・佳作が多い。

 

 

昨日・今日・明日  Ieri, Oggi, Domani 伊・1963

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「ひまわり」と同じく顔ぶれはポンティ、デ・シーカ、マストロヤンニ、ソフィア・ローレン。

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3つのストーリー、「ナポリのアデリーナ」「ミラノのアンナ」「ローマのマーラ」からなるオムニバス映画で、コメディ映画。マストロヤンニとローレンが 3組の男女を演じ分ける。公開された年のアカデミー外国語映画賞に輝いた映画。

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有名なのは、3番目の「ローマのマーラ」中、ソフィア・ローレンのストリップシーンがある!ストーリーは、高級娼婦のローレンが真面目な神学生のため一肌脱ぐお話。そして肝心要の観客のお目当て! お客のマストロヤンニの前で、音楽に乗って1枚ずつ服を脱いでいく~。マストロヤンニはシビれまくり、コヨーテみたいにうめく! 残念なが ら、せいぜい下着姿までなので、期待しすぎませんように! 

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エピソードは最初の「ナポリのアデリーナ」が絶妙・絶品。

ソフィア・ローレン扮する妻は闇タバコ売り。妊娠していれば逮捕されないことを知り、ひたすら妊娠し続ける。ついに7人!妻はますます元気に美しく、夫は精気を吸 い取られるかのようにげっそりとやつれていく~。さ、と夫をベッドに誘う精気満々の妻。断れない情けない夫。

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ナポリの猥雑な下町と住む人の人情が楽しく 、大女優なのにボロボロの服を着て下町の子だくさんのおかみさんを演じて、うれしそうに大きなおなかをせりだして歩く。

子連れで刑務所に出頭すると刑務所は子ども連れの女だらけ、と抱腹絶倒のくりかえし!

 

 

ふたりの女 La Ciociara 伊・1960

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ハリウッドに渡り、イタリアン・セックスシンボルとして知名度を上げた後、母国イタリアで挑んだ、初めてのドラマティックな、シリアスな役。

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第二次世界大戦下のイタリア。夫をなくした女は13歳のひとり娘を連れて、戦火のイタリアをさまよう。生まれ故郷の村に戻り、優しくしてくれた青年は、 ドイツの敗残兵に連れ去られてしまう。

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戦争は終わり、ローマに向かう途中、廃墟と化した教会で、母と娘は北アフリカ植民地兵に強姦されてしまう。すべてを置いて守り抜いてきた娘だったのに。放心状態の娘を抱き起こす母の涙。連れ去られた青年は死体で見つかり、母と娘はまた涙を流す…。

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実年齢より10歳も年上の生活に疲れた未亡人を演じた。非アングロサクソン言語で初のアメリカのアカデミー主演女優賞を獲得の偉業を成し遂げた名作で あり、セックスシンボル路線の見せ場もぬかりはなく、なお堂々たる反戦映画、悲恋映画、女性映画。

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もともとの配役の構想!?はソフィア・ローレンに先立つイタリア映画界の超大物女優、アンナ・マニャーニ(Anna Magnani 1908-1973)が母、ソフィア・ローレンは娘。しかしアンナ・ マニャーニは母親役、そしてソフィア・ローレンとの共演を拒否。「いっそのこと、ソフィアに母親役をやらせればいいのに」の発言で、ソフィア・ローレン は母、娘は13歳、と設定が変わった。

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自分が蹴った役で後輩は栄光をつかむのを目の当たりしたアンナ・マニャーニは終生後悔し「ソフィア・ローレンは私がやり たい役をみんな持って行ってしまう」と嘆いたという。

 

 

月夜の出来事 Houseboat 米・1958

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ソフィア・ローレンのハリウッド時代の一番のおすすめ。ハリウッドの偉大なるソフィスティケイテッド・ダンディ、ケーリー・グラント(Cary Grant 1904-1986)の相手役。物語はロマンティックコメディで明快だし、ハリウッドナイズされた イタリア娘の役はわかりやすく。屈託なく元気で明るくセクシーな若い女の子役が可愛い~。

急に3人の子持ち男やもめになってしまったケーリー・グラント。迷子になった子どもを送り届けたソフィア・ローレンは、ケーリー・グラントの女中として働きはじめ る。狭すぎるアパートから広い家に移れるはずが、諸般の事情でハウスボート暮らしになってしまう(原題の「House Boat」はここからきている。)。子どもも次第にケーリー・グラントとソフィア・ローレンになつき、ソフィア・ローレンに横恋慕する男性が現れて…、とストーリーは迷走して七転八倒ならぬ七転び八起きで、二人の結婚式で大団円。

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ケーリー・グラントとソフィア・ローレンのロマンスは、いわゆるダブル不倫(ソフィア・ローレンとカルロ・ポンティの仲は結婚こそしていなかったものの周知の事実、ケーリー・グラントは結婚していた)であり、最後には二人とも元のさやに戻ったため、当時は表沙汰にならなかった 。

ソフィア・ローレンが歌い踊る姿は当然見せ場の一つ。

結婚式のシーン撮影の直前、ソフィア・ローレンはカルロ・ポンティと結婚する。熱心にソフィア・ローレンにプロポーズを繰り返したケーリー・グラントは 、結婚を知った直後にこの映画の結婚式のシーン撮影に臨んだ。お気の毒といえばお気の毒。ソフィア・ローレンもさぞ心境は複雑だったことでしょう 。

 

 

【コラム①】肉体派女優から大女優へ

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ソフィア・ローレンはなにもかもが圧倒的すぎる。大きな瞳、大きすぎる唇。細く高い鼻梁、かっきりとエラの張った顔。身長は173㎝とも175㎝とも。長身。

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そして頭が小さくて首が長くて、バストがとにかく大きくせり出しててウエストは極端に細い。骨盤がバーンと張ってお尻が大きい。太ももが太くて長くてむっちりしている。そして膝から下もさらに長く、ふくらはぎと足首は細い。腕も長い。まだある。年を重ねても体型が崩れない! 60過ぎても下着姿に魅了されてしまうってんですから~。うらやましい~。

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お母さんは若い頃、グレタ・ガルボ(Greta Garbo 1905-1990)のそっくりさんコンテストで優勝したことがある。アメリカに行きたかったけれど、両親が許さなかった。とのエピソード付き。

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「程よく食べて、よく動いていればいいのでは。」とはご本人談。うらやましくて涙が止まらない~。

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当然のことながら、肉体派女優がキャリアの始まり。

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私生児として生まれ、少女時代は貧しく、折からの第二次世界大戦で一家は辛酸をなめた。生活費を稼ぐために15才から美人コンテストに出る。そして個性が強すぎ、グランプリは取れないところが面白かったりする。万年2位だった。

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当時のイタリアでは、美人コンテストの入賞者は軒並み映画界入りしている。女性が活躍できる分野がまだまだ限られていたことが伺える。

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シルヴァーナ・マンガーノ、ジーナ・ロロブリジータ(Gina Lollobrigida 1927- )、アルジェリアのコンテストだけどクラウディア・カルディナーレ(Claudia Cardinale 1938- )…。

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肉体派女優として一世を風靡する。偉大なる業績である。しかし、その後が良くない。

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キャリアが続かない。悲惨な最後を遂げる。劣化を揶揄される。不幸な晩年が切れ切れに伝わってくる。

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筆頭がマリリン・モンロー(Marilyn Monroe 1926-1962)。同時代に活躍したジェーン・マンスフィールド(Jayne Mansfield  1933-1967)。リタ・ヘイワース(Rita Hayworth 1918-1987)。

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マレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich 1901-1992)なんかも、晩年は認知症が進み、手持ちの宝石を売りつくしたと伝えられている。

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ただ、イタリアのグラマー女優、セックス・シンボルと呼ばれた女優さんにはあまりこの法則!?あてはまらないのは不思議なんですが。

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肉体派女優でスタートして、良い出演作品に恵まれ、風格を加えて大女優の仲間入り。どれだけあり得ないことか。難しいことか。

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大女優と呼ばれる人は、なんだかんだ言っても、清純派・知性派・いいトコのお嬢さん育ちなんですよ。キャサリン・ヘップバーン(Katharine Hepburn 1907-2003)なんか、アメリカ東部の名家の出。イングリット・バーグマン(Ingrid Bergman 1915-1982)だって、両親は早くに亡くしたものの、生活に窮することはなかった。

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オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn 1929-1993)は貴族の血を引いている。ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau 1928-2017)はコンセンヴァトワール出の秀才だし、メリル・ストリープ(Meryl Streep 1949- )は会社役員令嬢。カトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve 1943- )は俳優一家・俳優一族。芸術家の家庭です。グレタ・ガルボは例外ですね。貧家の出です。

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そしてハリウッドで映画にも出たけど、イタリア映画の星である。「ふたりの女」でアカデミー主演女優賞を取りましたが、外国映画、英語以外の言葉で主演女優賞を獲得した。どれだけあり得ないことか。難しいことか。ハンデを乗り越え、軽々とハードルを乗り越えていく。

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全てを兼ね備えていたから膨大な女優志願・スター志願の女の子たちの群れから抜きん出、功成り名遂げた生涯を送ることができた。とも言える。でも、お金もなく、頼る人もなく、容姿一つで生き抜かねばならない。幼い女の子の肩にに家族の生活がのしかかる。オーディションにはたて続けで落ちてばかり。

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泳げないのに海に入るシーンをぶっつけ本番で演じてスクリューに巻き込まれかけ、九死に一生を得たこともある。重婚罪で生まれ故郷を追われた時代もあった。流産を繰り返し、やっと授かった子どもを産むため、9カ月、絶対にベッドを離れなかった。

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名声と栄光は、幾多の岐路と選択の連続を切り抜け、勝ち抜いてきた結果。

 

 

河の女 La donna del fiume 伊・1955

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実質的に日本でのソフィア・ローレンの初お目見えの映画。

キャッチコピーは

「裏切り! 不実! 男心がどうあろうと生まれて最初の恋ゆえに火のような情熱を燃やし続ける野生の娘!世界的話題の名女優!」

「イタリア映画が世界に誇る肉体女優のNo.1!」

とものものしい。

有名なのは、「マンボ・バカン(Mambo Bacan)」。主題歌を歌って踊って。レコードは大ヒット。

撮影当時のはたちそこそこのソフィア・ローレンは、大人びていて、知らない人なら30歳と言っても40歳と言っても通ってしまいそう。ボディは成熟しき ってはちきれそう。

シャツにロングのフレアースカート。ローヒールの靴。軽快で明るいメロディー。村祭りの若い衆のダンス・パーティーで踊る。ダンス・ シーンは観客の期待に応え、かなり長い。

踊りが興に乗ってくると、フラメンコダンサー、カンカンのダンサーみたいにスカートをひるがえし、太ももが見えるかみえないか!?太ももの上は見えない か!? と手に汗握ってしまう。

踊りを見なければいけないとわかっているんですが;;

ストーリーは、イタリアの肉体派女優の先輩、シルヴァーナ・マンガーノ(Silvana Mangano 1930-1989)の「にがい米」(Riso amaro 1949)のシチュエーションを忠実になぞったかのような。

身体は熟れきっても、うぶで一途な娘は、私生児を産み、愛児を水辺の事故で亡くした末に、初恋の男の出獄を待つ決心をするのです。

 

 

島の女 Boy on a Dolphin 米・1957

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この映画がアメリカ映画初出演。当然見せ場を心得ています。まず、画面は大画面のシネスコ!ギリシャロケ!照りつける太陽! 青い空! 青い海! 海女さんの役!

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水から上がり、全身をびしょ濡れにして黄土色の服はぴったり身体に張り付き、23歳のダイナミック&グラマラスな肢体を見せつけるシーン。

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そしてくねくねして男を誘うなんて、とんでもない。共演者は舌なめずりせんばかかりの仕草で寄ってくるのですが、険しい顔で手をふりほどき、にらむ! カッコイイ! 海の中で古代のイルカに乗った少年の像を見つけ、弟の学費のためにスポンサーを見つけに行く。

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颯爽として、貧しくても堂々としてる。学校には通っていないかもしれないけれど、生まれながらに人の心の機微がわかる。媚びるトコが全然なく、弟思い。と、何拍子も揃った、イタリアからやってきたセックス・シンボル。男も女も、スクリーンに目が釘付け!

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西部劇映画の頂点、「シェーン」(Shan 1953)のアラン・ラッド(Alan Ladd 1913-1964)と共演。

 

 

ああ結婚 Matrimonio all'italiana 伊・1964

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ポンティ、デ・シーカ、マストロヤンニ・ローレンが組んだ恋愛人情コメディ。

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17歳の娼婦(女はずっと男と結婚したいのだが、無学な娼婦とは結婚はしたくないと男は常に逃げの態勢。辛くあたるが女は男を愛し続ける。)に入れあげてつかず離れずの関係を結んできた男が、別の女と結婚しようとしていた矢先、女が危篤だと呼び出されて死んでしまうのだからと結婚式をあげたのに助かってしまった。

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息子は3人。1人だけ、あなたの子なのよ。と打ち明けられ、気になる…。

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そしてやっと自分が本当に愛しているのはソフィア・ローレンであることに気がつく。

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ソフィア・ローレンは迫力があるのにチャーミングで男と子どもを一途に愛し続ける。

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マストロヤンニのずるさと薄情さ。でも最後には改心!?してくれて、よかった!

 

 

特別な一日 Una giornata particolare 伊・加・1977

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映画の冒頭、記録フィルムが20分、流れるんですよ。映画が間違っている訳ではないので、ご覧になる時は、要注意。

LGBTが映画の重要なキーポイントであり、その意味時代を先取りしている。スクリーンカップルは、女優が年を取ると自然解消、が通り相場で、いわゆるローレン=マストロヤンニのコンビもこの映画が最後。公開当時デ・シーカ監督は既に世を去っており、監督はエットレ・スコラ(Ettore Scola 1931-2016)。

ローマのアパート。無学な主婦は家族の誰からも愛されず、ひたすら働いている。同性愛の男は世間に受け入れられず、ひっそり暮らしている。すっぴんのローレンとすさんだ表情のマストロヤンニ。ヒットラーの歓迎式典の日、アパートには誰もいない。二人は出会い、互いに惹かれ、愛し合う。男はゲイであるがゆえに連行されていき、無学な女は契った男にもう二度と会えないことを知る由もない。

地味なんですが、「ひまわり」に負けじおとらず重いテーマの映画。

 

 

アラベスク Arabesque 1966

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「ローマの休日」(Roman Holiday 1953)のグレゴリー・ペック(Gregory Peck 1916-2003)との共演作。

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スタンリー・ドネン(Stanley Donen 1924- )監督の映画で、前作のオードリー・ヘップバーン&ケーリー・グラントの「シャレード」(Charade 1963)

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の柳の下の二匹目のドジョウを狙ったっぽいロマンチック・サスペンス・コメディ。

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オードリーじゃなくてソフィア・ローレンですから、見た目がゴージャス!

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衣装はクリスチャン・ディオール。

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ボンド・ガールなどよりはるかに格上の美女と言語学者がどんでん返しの息もつかせぬ謎ときに挑む!

 

 

 

 

【コラム②】骨太の作品群

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ソフィア・ローレン出演は70~80本。そのうち、初期の端役時代を経て、知名度が上がってくるのは1954年の「ナポリの饗宴」「ナポリの黄金」あたりから。1960年代には名声を確立し、出演映画の本数は徐々に減っていく。

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肉体派女優ではありますが、あまりにも規格外なものですから。スペクタクルすぎる顔とカラダに男性陣は、特に繊細な日本人男性などは「…お願いしたい…」と思う前に、たじろいでしまう。

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ダンスシーンなんか、名場面たくさんありますが、何しろ、大きい。締まるトコは締まってます。ものすごく締まってます。が。体重はモデル体重どころか、健康体重なんじゃないのか。と勘繰りたくなる。男性と組んで踊ったって、ソフィア・ローレンばかりに目が行ってしまう。

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なら女神さまみたいなのか、と聞かれると、違いますよねえ。ワイルドで、土の香りがして、でも野卑じゃない。品格がある。

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そして役柄はハリウッド映画あたりにありがちな、男を破滅のフチに追いやりながらもますます美しくなっていく悪女、ファム・ファタールじゃなくて、地に足付いたリアルな女。そして、かわいい女。一途な女。明るくて、勝ち気で、気が良く、てらわず、情が濃い女。イタリア女性って、いいなあ~。

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ダンスシーンは今も語り草だし、歌も歌う。レコードも出している。代表的なヒット・ナンバーは「マンボ・バカン」(Mambo Bacan 1955)、「ズビズビズー」(Zoo Be Zoo Be Zoo 1960)など。

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「俳優に必要なのは想像力。そして集中力。」とソフィア・ローレン自身は語る。

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「ひまわり」のソビエト・ロケ中に、習ったわけでもないのにロシア語をマスターしてしまった。

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キスシーンなんか、本当に性的に発情していたら、撮影なんかできない。脚本を読み、監督の指示を受け、衆目を浴びながら役柄を表現しなければならない。演技の勉強は、無名時代にナポリの演劇学校に通っただけですが、容姿も10代で映画に出始めたころから憂いやはにかみなど似合わない堂々たるものだし、

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「映画女優にならなかったら教師になっていたんじゃないのか」と言わしめた生真面目で沈思な性格が、より演技のスケールを大きくする。ろくろく学校にも通えず、本もまともに読めなかった、類まれな容姿を持って生まれてきた女の子は類まれな内面もまた、兼ね備えていた。

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母国イタリアで新進女優の地位を確立したあと(ごくごく初期の作品のトップレス画像などは本人の御意向で現在は封印されたまま)、ハリウッドに渡った。ダイナマイトバディと燃えたぎる鉄火肌のイタリア女のセックスアピールを武器にトップスターの相手役に次々起用される。アメリカ進出はソフィア・ローレンをインターナショナルな存在に押し上げ、佳作・ヒット作にも恵まれたが、「自分に向く役はそうない」と悟るとイタリアに戻り、ポンティ、デ・シーカ、マストロヤンニらと完成度の高い生涯の代表作となる作品群へ次々出演し、頂点をきわめ、国際スターとして君臨した。

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美人女優・グラマー女優であり、かつ見ごたえのある骨太な映画が多い。ソフィア・ローレンが出ただけで映画の画面に風格が加わる。

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共演男優だって、生半可な人材ではソフィア・ローレンに喰われるだけになってしまう。

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マルチェロ・マストロヤンニとのコンビは、映画史に残る。クラーク・ゲーブルとキャロル・ロンバート、スペンサー・トレーシーとキャサリン・ヘップバーン、ハンフリー・ボガードとローレン・バコールと並び称される、ベストスクリーンカップル。(私生活で結婚してないのはマストロヤンニ&ローレンだけ。マストロヤンニはフランスの世紀の美人女優、カトリーヌ・ドヌーヴとのロマンスで知られていますね)。

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ソフィア・ローレンと対等にわたりあえ、必要なときに支配力を発揮できるのは、ケーリー・グラント、リチャード・バートン、ピーター・オトゥール、マーロン・ブランド、クラーク・ゲーブル、グレゴリー・ペックなど。

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喜劇もできれば悲劇もできる。そして、汚れ役をいとわない。野生美を押し出した娘役時代は裸足の海女。

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本物の農婦の着る服を着て、メーキャップはなし。貧民窟みたいなトコで次々と妊娠し続ける妻を楽し気に演じる。

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誰にも相手にされない子だくさんの疲れた主婦はボサボサに乱れた髪とこけた頬と浅黒い肌。

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一転して良いトコの奥様・貴婦人役になるとチャーム・ポイントの瞳はキリっとアイラインで引き締めてドレスアップ。娼婦役を演じればマストロヤンニは身もだえしてる~。

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セックスシンボルのはずなんだけど。なにかが、どことなく、はみ出している。オンリーワンなんですよねえ。どこまでもどこまでも。世界の冠たる大監督の要求に応え、次々と、一度見たら忘れられない女を、何人も何人も、作りだし、送り出した。

 

 

ナポリの黄金 L'oro di Napoli 伊・1954

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ヴィットリオ・デ・シーカ監督がソフィア・ローレンを初めて起用した映画。活発で粗野で天真爛漫で激情的なナポリ娘役。「ナポリっ子は本能で動き、本能で生きてる。必要なのは炎を内に秘めた山猫、ソフィアはまさにそれなんだ。」

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どしゃぶりの雨の中、ソフィア・ローレンはずぶぬれの服をからだにはりつけてナポリの街路をゆっくり、長々と歩く。通りかかる男たちは肉欲の目で見送る。

ソフィア・ローレンは大道具から浴びせられた水で肺炎にかかり、1カ月寝込んだ。けどその価値は十分にあった。ソフィア・ローレンは階段を一段のぼった。

 

 

誇りと情熱 The Pride and the Passion 米・1957

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ケーリー・グラント、フランク・シナトラ(Frank Sinatra 1915-1998)、ソフィア・ローレンという豪華な顔ぶれ。

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ナポレオン時代。舞台はスペイン山中。ケーリー・グラントはイギリス人将校、フランク・シナトラは地元スペインのゲリラのリーダー、ソフィア・ローレンは実は貴族の娘。巨大大砲を持ち帰りたいケーリー・グラント。フランス軍を攻撃したいフランク・シナトラ。ソフィア・ローレンの踊りのシーンもちゃんと!? あるし、ソフィア・ローレンをめぐっての恋の三角関係も加わった、エキゾチシズム一杯の映画。

 

 

エル・シド El Cid 伊・米・1961

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ハリウッド時代のコスチューム・プレイの出演作。エル・シドは11世紀のレコンキスタ時代の武将。スペインの国民的英雄であり、たぶん日本の戦国武将みたいな感じて、メジャーな偉人らしい…。

「史劇スター」との異名をとったチャールストン・ヘストン(Charlton Heston 1923-2008)との共演。ソフィア・ローレンはエル・シドの婚約者の役で、後に妻となり未亡人となる。

 

 

ナポリ湾 It Started in Naples 米・1960

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ハリウッドの”キング”、クラーク・ゲーブル(Clark Gable 1901-1960)との共演作。

ラブシーンの撮影の最中、なんと彼の手首のあたりでブザーが鳴りだす!そのとたん、ゲーブルはソフィア・ローレンを離し、肩をポンとたたくと「また明日」と言って帰ってしまう。

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徹底したプロ意識の持ち主で、時間ピッタリに現れ、セリフはすっかりのみこんでいる。

5時に腕時計のブザーが鳴るとはい、さようなら。労働時間は9時から5時までで、終業を告げるのが腕時計のブザーだった。

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「ナポリ湾」はクラーク・ゲーブルの死の前年の映画。

 

 

失われたものの伝説(The Legend of the Lost 1957)

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アメリカ西部魂の大スター、ジョン・ウェイン(John Wayne 1907-1979)との共演作。

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ロケはサハラ砂漠で行われた。砂漠に隠された宝物を探しに行き、ガイドと娘は心を通わせ、奇跡的にキャラバンに救われる。

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ロケ先のモーテルでソフィア・ローレンが泊まっていた部屋のストーブが不完全燃焼し、一酸化炭素中毒であわや死んでしまうところだった。とのエピソードが残っています。

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ジョン・ウェインはクラーク・ゲーブルと同じく完璧なプロフェッショナルで、ぶっきらぼうだけど礼儀正しく、大きく、堂々としていた。

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プレタポルテ Prêt-à-Porter 米・1994

久々にマストロヤンニとの共演。オールスター出演の群像劇なので出番はさほどなく、ストーリーもわかりにくいとの声は多いけど、プレタポルテの舞台裏を覗けて、御年60歳と70歳のローレン=マストロヤンニ(クレジットのTOP2はもちろんご両人)を拝見し、「ひまわり」や「昨日・今日・明日」や「ああ結婚」のパロディともオマージュとも取れる再現シーンが見られるだけで、満足です!

 

 

【コラム③】稀有なる恋愛遍歴と私生活

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凄い。

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国際スターですよ。大女優ですよ。なのに、意外と言っては失礼なのかもしれないけど。17歳の下積み時代に出会った22歳年上の既婚・子持ちの男性と恋に落ち、離婚を待って結婚し、生涯添い遂げた。

女優さんって、ビックになればなるほど結婚・離婚を繰り返したりするひとが大多数。

ソフィア・ローレンはレアな上にもレア。さらにさらに子どもがほしくてほしくて、幾度となく繰り返す流産を乗り越え、妊娠中は安静を貫き、断固とした意志で産んだ子どもは2人。

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ご主人はイタリア映画界に燦然と輝く「道」(La Strada 1954)、「ふたりの女」をはじめとする名作を次から次へと世に送り出し、イタリア映画の黄金時代を築いた大プロデューサーの一人、カルロ・ポンティ(Carlo Ponti 1912-2007)。

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ジェーン・マンスフィールドは、「ソフィア・ローレンが羨ましい。」と生涯語っていたという。父親のような深い夫の愛情に包まれ、超一流のスタッフの演出のもと、大作映画・名作映画・ヒット映画への出演を続ける姿は、女の一つの理想。

大プロデューサー夫人におさまったものの、夫に先立たれ、急激に人気の落ちたスターには、ノーマ・シアラー(Norma Shearer 1902-1983)(夫君はアーヴィング・タルバーグ(Irving Thalberg 1899-1936))、ジェニファー・ジョーンズ(Jennifer Jones 1919-2009)(夫君はデヴィッド・O・セルズニック(David O. Selznick 1902-1965))がいる。

カルロ・ポンティは94歳で大往生。長命だった。葬儀のとき、2人の息子とともに、寡婦となったソフィア・ローレンの姿は世界に配信された。

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ダイナミックすぎる容姿とは裏腹の、生真面目で勤勉で家庭的な性格。

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妊娠中は家でじっとしていなければならず、書きとめた料理のレシピを集め「ソフィア・ローレンのキッチンより愛をこめて」(1974)(日本でも出版された。現在は絶版)と、本まで出している。

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離婚の危機とマスコミは事あるごとにはやし立てたが、夫婦の絆は終生固かった。

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生涯、恋したのはただ二人。ポンティとケーリー・グラント。

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グラントとローレンは、貧しい子ども時代を送った出自も似ている。二人は愛しあっていたけれど、グラントには妻がいてローレンには、ポンティがいる。律儀で義理堅いローレンは、ポンティを選び、振られてしまったグラントはクスリに走った。ローレンの自伝が発表されると聞き、少なからず動揺したと伝わる。

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不思議なことに、超一流のひとって「役をもらうためなら体を投げだしても」的なエピソードが、そもそも少ない。ローレンも一家の大黒柱として重圧がまず先にあったし、「(体で役を取る)それは違う」と感じたという。

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カルロ・ポンティとの結婚だって、大変だった。当時イタリアでは離婚は認められていなかった。ボンティはメキシコで離婚を申請し、ローレンと結婚したものの、手続無効として重婚罪に問われてしまう。結局前妻が折れ、ポンティがフランス国籍を取得し、晴れて一件落着。天下晴れて結婚できたのは38歳。20年間、一人の男性を愛して、信じて、側から離れなかった。ツーショットの写真など、いつも仲睦まじく、懐の深い男性を愛し愛された女の幸せを絵に描いたような、穏やかな表情から、底に秘めて見せない強い強い心が感じられる。

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ファッションは、こだわり・ご贔屓のブランドは、オードリー・ヘップバーンとジバンシー、カトリーヌ・ドヌーヴとサンローランみたいな有名デザイナーとのエピソードとかは、聞かない。服も宝石も、著名ブランドのものはいくらでもお持ちなのでしょうけど。大人の女の華やかさを強調できるスタイルと、自分の大スターとしての地位をわきまえて折々のTPO に合わせた服を選んでいるのでしょう。

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長男カルロ・ボンティ・ジュニア(Carlo Ponti Jr. 1968-)は指揮者。二男エドアルド・ポンティ(Edoardo Ponti 1973-)は映画監督・脚本家。 実妹、アンナ・マリアはあの。イタリアン・ファシズムの礎、ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini 1883-1945)の息子と結婚。夫、ロマーノ・ムッソリーニ(Romano Mussolini 1927-2006)は政治とは距離を置き、音楽家として大成。(ベニート・ムッソリーニは最後は愛人とともに処刑されたため、ロマーノの母ラケーレは逮捕こそされたが、後に釈放されている。)娘2人をもうけ、1人は政治家。

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日本とのかかわりでいくと

レセプションや表彰、自伝の出版などでたびたび来日。

1976年、ホンダのロードパルのコマーシャルはことに有名。「ラッタッタ」のキャッチコピーはこのCMの監督、本職は映画監督大林宣彦によるもの。原付バイクのはしりで、女性にバイクに乗ってほしい。とのもくろみから、ソフィア・ローレンが起用され、さわやかに原付バイクにまたがり、笑顔を振りまいていらっしゃる。

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2008年、「SMAP×SMAP」にも出演している。

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息子と孫、妹と姪っ子と、大家族に恵まれて。現在はスイスで暮らしている。

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