ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti 1906-1976)は、イタリアの映画監督。作品群は貴族的贅沢、豪華絢爛、貴族の色恋沙汰、優雅な狂気とも取れる恋愛・恋愛遊戯・男色。デカダンスの芸術と耽美、退廃美、滅びの美学…。
ヴィスコンティの女はいつも哀れなのね。『郵便配達は二度ベルを鳴らす』も哀れだし、『ベリッシマ』だってそうでしょう。『夏の嵐』も哀れだし『若者のすべて』も哀れでしょう。『熊座の淡き星影』もかわいそうでしょう。だから考えたら、ヴィスコンティはほんとに女はみんなあまりいじめてないね。『地獄に堕ちた勇者ども』でも、あの男、ダーク・ボガードに騙されるわけでしょう。『地獄に堕ちた勇者ども』のあの女、哀れでよかったなぁ、あの母親…。
ルートヴィヒ Ludwig (1972)
ヴィスコンティの美学・美意識が画面の隅々にまで徹底したやり方で精密に映像化されていて、スケールの大きい大人の映画。ルートヴィヒ2世(Ludwig II 1845-1886)はドイツの19世紀後半の王様で、19世紀後半だというのに時代に逆行し中世風・懐古の極みのノイシュヴァンシュタイン城を作った。リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)の晩年のパトロンでもあった。 大変な美貌の王でもあった。女性や結婚になど興味はなく、はべるのは若き青年たち。
理想の女性として憧れ続けたのは8歳年上、当時のヨーロッパ随一の美貌をうたわれ、放浪を繰り返したことで名高い、遠縁にもあたる、オーストリア皇后エリザベート(Elisabeth 1837-1898)。政治を顧みず自分の世界にこもり廃位させられ、40才の若さで水死体となって発見された。 と一般人には幸福とも不幸とも判断できない数奇な人生。
当時の貴族社会を描く豪華絢爛・豪壮華麗な映像。 ルードヴィヒ役のヘルムート・バーガーの癇の強いピリピリした美貌。
20世紀のスクリーンに忘れ得ぬ女の香りをとどめて足早にこの世を去ったロミー・シュナイダー。 とヴィスコンティ監督と、並べるだけで究極づくし。
史実を忠実になぞっており、伝記映画の一面もあり。キャストの描かれ方や性格分析も正確で正統派。
ちなみに、『夏の嵐』に続き、お金を使いすぎ、マジで、ガチで、『ルードヴィヒ』を作った会社は破産してしまった。
また、ヴィスコンティはこの映画の撮影中に心臓マヒで倒れてしまい、以後半身不随となる。執念で復帰し、車椅子でこの作品を撮りぬいた。
19世紀の貴族社会ってこんなのだったのかなぁ…と映画の最初から最後まで、すべてのシーンでウットリ。エモーショナル。
映画の冒頭、子供時代に、兄弟でお星さまごっこをする。おもちゃを回してオルゴールが流れる。天井に星が映る。影で月や星が出てきて回る…。
下々にはとても経験できない、大金持ちだからそんな遊びをしていたことがわかる。そういう贅沢をする。
そうすると実感がわいて、お金持ちがわかってくる。日本の鹿鳴館のテレビドラマや映画など、ヴィスコンティ見ちゃったら、貧相で情けなくて、見ていられない…。
全然お金持ちと思えない。観客を説得できていない。ヴィスコンティは贅沢。本物の贅沢。
自然を背景とした映像の美しさ。 お城、お城の中、お部屋の中の絨毯やカーテン、家具、調度品、衣装 小道具 銀食器などの美術。 絵を見ているような映画というより陰影濃淡の絶妙なバランスと配置、格調高く計算され調和されており、映画でしか表現できない、動きを伴うことでより秀逸さを増す絵画的以上の映像美。
ヴィスコンティ監督の美学が細部に渡り緻密に配され、行き届いている。
そして、ヨーロッパの人って、体力も気力もアジア人とはケタが違う気がしてくる。 小津も溝口も黒澤もいいけど、ヴィスコンティ映画の画面のエネルギーやボルテージの高さは、やっぱり、違うんだなあ。
忘れ得ぬシーンは
戴冠式のシーン。
夜の曲馬場で、 シューマン『子供の情景 第1曲見知らぬ国と人々について』が流れる、ロミー・シュナイダー演じるエリーザベト皇后が最初に登場するシーン。
一面の雪景色の中、ロミー・シュナイダーがグリーンのベルベットのドレスを着て傘をさして歩いて行くシーン。
ロミー・シュナイダーがベルク城、ヘーレンキームゼー城、リンダーホーフ城、ニンフェンブルク城、そしてノイシュヴァンシュタイン城と、奇妙で悪趣味なお城めぐりをするシーン。
贅を尽くして作ったはずのお城の地下の湖の汚いこと。あのゴンドラの馬鹿馬鹿しいこと。
夜、雪煙を上げながら馬車が疾走していくシーン。
湖畔から水死体で引き上げられたルードヴィヒの顔が捜索隊の松明によってオレンジ色に浮かび上がるシーン…。
夏の嵐 Senso (1954)
ヴィスコンティ監督の3本目の作品、監督初のカラー映画であり、いわゆる「ヴィスコンティ映画(豪華絢爛貴族映画)」のトップを切って作られた作品。
スタンダールの小説みたい。原題のSensoは、イタリア語で「官能」。
お話は、ヴェネツィアの伯爵夫人(アリダ・ヴァリ)と敵国オーストリアのの若き将校(ファーリー・グレンジャー)との不倫の恋。
貞淑な美しき高貴な女性が軽薄な遊び人の若い男に溺れ、恋の歓喜に身を焦がす。男は去り、女は取り乱し後を追う。裏切りを知り、絶望の激情のうち、愛した男を裏切り者として告発し、男は即刻銃殺される。
銃声と、倒れる男と、銃殺刑が終わり、去って行く兵隊たちの靴音とタイコの響きがラストシーン。
…とだけ聞くと、安っぽくも惨めったらしい単なる女の深情をじっとり描いた映画になっちゃうのですが。
何しろ、この映画1本にお金をかけすぎ、ヴィスコンティ監督は、イタリア1の映画会社を潰してしまったとのエピソードつき。。
映画そのものもオペラ座の舞台から始まり、映画全編、華麗なオペラ的な雰囲気に包まれている。 映画の第一部の終わりの深いフェイド・アウトはオペラの舞台に緩やかに緞帳が降りるかのよう。
豪華なドラマチックなスタイルがあるので、狂恋とか情念とかまさに愛の嵐って感じになるのです。
残酷さがすごい。 アリダ・ヴァリのスカートがちょっと乱れたままファーリー・グレンジャーを兵舎のあちこち訪ねて回る。 「どこにいますか」「どこにいますか」。
兵士たちは冷笑する。「あの女は何だ」のバカにした表情。兵士たちに淫売呼ばわりされながら、でももう美しき伯爵夫人は一心不乱。
歌舞伎の『妹背山婦女庭訓』のお三輪みたい。
(『妹背山婦女庭訓』のお三輪のお話 :
お三輪は恋しい男を追いかけてお屋敷にたどりつく。 男が別の姫君と祝言をあげると聞き、 屋敷に入ろうとする。館の者は冷笑し、いじめさいなみ、追い返そうとする。 男と姫の祝言の祝いの声が聞こえ、嫉妬に狂い、なんとか中に入ろうとして、刺されてしまう。 刺客は嫉妬に狂った女の血は男の大義のために必要であると説き、お三輪は歓喜のうちに息絶える。)
恋しい男を追っていき、恋に狂って行く所、会う人みんなに笑われながら探してまわるところはオペラというより歌舞伎を彷彿とさせる。
恋する女の狂気がかったひたむきさ。に感嘆せずにはいられない。
最後にアリダ・ヴァリが戦争をものともせず、夫も家族も名誉もすべて捨ててファーリー・グレンジャーを馬車で訪ねて行く。
敵陣の中に馬車がついたときに馬車がもう埃で真っ白になっている。 それで戦場の中、ひたすら愛する男、自分の前から突然姿を消した男を一途に思い詰め、命がけで男を捜し当てて来たのかがわかる。ドレスの裾はもう破れている。
薄いセピアがかったオレンジ色の裾。蛾の羽の色。
ろうそくに飛びついてる蛾の色。観客は呆然とスクリーンを見る。
貴婦人は廊下を歩き、あっちを向きこっちを向き、いとしい男を探し回る。残酷さがすごい。すごすぎる。
とうとうアパートに行ってドアを叩く。男が出てくる。
「あなた」と歓喜の貴婦人が口を開くと、隣の寝室から「ダーリン」と女の声がする。別の女がいる。
自分は男にとってはほんの戯れの遊び相手に過ぎなかった。軽薄で薄情な男の罵声を浴びて部屋を出る。
自分の密告はすなわち愛した男を死に追いやることを知りながら男の手紙をオーストリアに渡した。密告者の自分、売国奴の自分。
錯乱しながら夜の通りを、男の名を呼びながら貴婦人はさまよい歩く。
イタリアン・ネオリアレズモが貴族を描いた。不倫の恋と絶望と死を描いた。あまりに激しすぎ、あまりに残酷過ぎる。あまりに華麗過ぎて、あまりに冷徹過ぎる。今でも目に見える。好きで、忘れられない。
ヴェネツィアの歌劇場、オペラの演目の中継から、映画ははじまる。
ほの暗いろうそくの光の中、絢爛豪華重厚なオペラの劇場が映し出される。歌が終わると、イタリアの3色旗の赤・グリーン・白の紙吹雪が天井席から降り注ぐ。
桟敷席の豪華な装飾、陣取る紳士と貴婦人、地階のオーストリア将校たち。
硝煙の立ちこめる戦場シーン。
恋は盲目。貴婦人はすべてを捨て、命をかけて愛する男を一途に思い詰め、駆け抜けていく。
アリダ・ヴァリは不朽の世界の名作映画『第三の男 The Third Man』(1949)のヒロインとして不滅。
イタリア生まれで、グローバルな活躍を晩年まで続けた。
凜とした貴婦人役がお似合いの硬質の美貌。
恋に落ちる瞬間、
国を捨てて男を取る苦悩、
追いかける情念、
裏切られた絶望、
どれもこれもパーフェクト。
ダメでイヤな裏切り者、女からも任務からも逃げた弱さを持つ男はファーリー・グレンジャー(Farley Granger 1925-2011) 。
アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock 1899-1980)監督に起用された『ロープ Rope』 (1948)と『見知らぬ乗客 Strangers on a Train』(1951)も代表作。
山猫 Il gattopardo (1963)
トップを『山猫』にするか『ルードヴィッヒ』にするか最後まで迷いに迷った。
ヴィスコンティ監督の代表作を1本選べと言われたら『山猫』がトップをとる気配は濃厚。
まず超大作である。贅がこらされている。本物の貴族社会の再現、本物の戦場シーンの再現、衣装美術建築考証、すべてに一部の隙もない。もう二度とこんな映画は作られないでしょう。
東日本大震災以降、日本でも事あるごとにクローズアップされるキーワード、「家族と絆」「地域と絆」。
イタリア人も、絆固い人たちだと聞いている。が見れる、わかる、肌で感じることができる映画だと、ハリウッドなら『ゴッドファーザー』。ヨーロッパの映画なら『山猫』。
無学かつ大変失礼ながら、ドイツ・オーストリア・フランス・イギリス、そしてイタリアと、アジアの片隅の生まれの私に、違いの実感はつかみにくい。貴族となればなおさらです。
何も知らない人間が 「イタリアの19世紀の貴族の生活」を堪能し尽くせる。
古き良き時代のイタリアの思い出にあふれている。
風が吹いてカーテンが揺らいで、南イタリアのシチリアの大貴族の一家が揃ってお祈りをしている。これからみんなで別荘に行くから、神さま、ちょっと行ってまいりますってお祈りしている。お金持ちを描いた映画と言えばヴィスコンティ。そして家を空けて延々と遠いとこへ行く。誰も住んでない別荘に行くと、楽隊に迎えられて…。
いい気持ちだろうなあ。こんなお金持ちになれたらどんなにいいだろう、世の中にこんな金持ちがいるんだ。の世界。
何世紀も続いてきた貴族の一族。当主には、階級意識とプライドを保ちつつ、我々はゆくゆくは滅び行く階級だとの未来が見える。
時代は動き、成り上がりの資産家が台頭してくる。 若い世代には思慮深さはないが、生きるエネルギーに満ちている。
消えていく斜陽の我々、続いていく明日。胸に去来する万感の思い。
『ルードヴィヒ』はコミュ障のドイツの王様のお話ですが、『山猫』は南イタリアの大貴族の一族。夫もいれば妻もいて、息子・娘と娘の恋と結婚と、と見せていただける世界の違いがある。 映像の質感、すごいですねえ。素敵ですねえ。
美しい時代のイタリアを、美しい登場人物たちが通り過ぎてく。
美しいイタリア・シチリアの風土、民家、風、砂の風景をそのままに近い光で捕らえる。 貴族生活の調度品や衣装、食事、宝飾品、…もろもろの細大漏らさぬ再現。
そして映画の1/3近くを占める貴族のお館での荘厳華麗な、超有名な大舞踏会のシーン。「ヨーロッパ貴族のお屋敷での大舞踏会」シーンをじっくり見せていただける。本物の貴族がエキストラとして参加した。
空中ブランコに乗ったりギラギラした西部劇の悪役だったはずのバート・ランカスターはシチリア貴族を完璧に演じ、完全主義のヴィスコンティ監督も大満足。
アラン・ドロンは貴族を血を引きながら野心満々の新世代。ヴィスコンティ映画のアラン・ドロンの代表作は『山猫』でしょう。
あぶなさと美しさを兼ね備えた二枚目俳優として世界を制覇していくのですが、若き日の、蛾のような、自意識と低俗さに裏打ちされた美貌はよどみなく、汲んでもつきぬ妖しさを放つ。
でも、最高なのは、クラウディア・カルディナーレだよなあ。やっぱり。
晩餐の席で、アラン・ドロンの隣に座る成り上がり者の娘。
アラン・ドロンの話を聞いて 「ハーハッハ、ハーハッハ、ハーハッハ…」と いつまでも、下品に下品に笑い続けるシーンには度肝を抜かれましたよ。
野卑で粗野だが、エネルギーいっぱいの溌剌とした成金の娘。
旧世代の方々は驚愕し、眉をひそめて立ち去ったけど。
新しい世代は新しい扉を押し開ける。
【コラム①】ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ監督の生涯
大貴族の出身。ヴィスコンティと言う名前そのものの意味が「子爵」。
イタリア語で「ヴィスコンテ」=子爵。その複数形の「ヴィスコンティ」が家名。系譜は600年以上さかのぼることができる。
でも公爵なんですよね。ミラノの。公爵の爵位は19世紀にオーストリアからもらった。
お父さんがミラノのオペラ座を建てた。
ミラノの人はみんな、ヴィスコンティ家を「ヴィスコンティ様」と呼ぶ。
ミラノから北の方、ずっとスイスまで、ヴィスコンティ領。
ローマに出て映画の世界に入る。
パリに流れて行き、衣装デザイナーのココ・シャネル(Coco Chanel 1883-1971)のサロンに出入りし、ジャン・ルノワール(Jean Renoir 1894-1979)に紹介された。ルノワールの衣装係が世界的キャリアのはじまり。
贅沢な経歴。ミラノの大金持ちの坊ちゃんだから、初めからみんなに大事にされた。
大きい家を持っていたから、戦争末期、ローマでレジスタンスをかくまう。ばれて捕まってしまう。有力者のいとこがドイツに働きかけてなんとか銃殺は免れる。
イタリアで日本の映画監督がヴィスコンティ監督に
「私の別荘にお泊まりになられますか。」と聞かれ「よろしいんですか。ありがとうございます。」と答えたところ「どこの別荘にされますか? 7つあります。」
別荘といっても、全部お城みたいに豪壮華麗ですものねえ。
映画祭のパーティーの会場は「ヴィスコンティのお城」。町の中にあって、ルネッサンス・スタイルのきれいなお屋敷。
アラン・ドロンがロミー・シュナイダーと婚約しながらヴィスコンティのお稚児さんになったとき、別荘の1つをプレゼントされた。
ヴィスコンティの死後、写真家の篠山紀信(1940~)がヴィスコンティ監督の家に行って1カ月くらいかかって写真を撮った。「どこでもお撮り下さい」「ヴィスコンティ様がいらっしゃった通りにしてあります」と言ってくれた。花も何もかも。
大理石の古いお風呂場は夕方には赤と紫のステンドグラスの光が差す。レースなども全部特注で、風が吹いたらゆれるように計算されている…。
ヴィスコンティ監督の家や別荘の前には必ず綺麗な大きな花屋さんがあって、ヴィスコンティ家だけで商売している。
ヴィスコンティ家の30とか40とかの部屋という部屋に毎日、全部花を届ける。それだけで商売できる。
お金もあって、才能もあって、衣装もセットも全部自分でデザインした。
大金持の豊かな趣味が、このルキノ・ヴィスコンティの映画にみんなある。原作にしろ、シナリオにしろ、カメラにしろ。
最初は放蕩息子だった。競馬の馬を持ったり。異国の富豪の娘に失恋したりして。
贅沢、放蕩三昧が身に付いている良さ。急に成金では、無理。
豪華さは想像じゃない。美術や芸術は、豊かなところから生まれてくるものなんですねえ。
豪華な人。ヴィスコンティ監督は。贅沢。
ベニスに死す Death in Venice (1971)
ヴィスコンティ監督にしては甘くスイート。ヴィスコンティ映画にしてはちょっと柔らかい。 『ベニスに死す』の原作はトーマス・マン(Thomas Mann 1875-1955)、つまりドイツ文学。正統派ヴィスコンティ映画とはちょっと雰囲気が違う。舞台はドイツではないものの、ヴィスコンティのバイオグラフィー中の「ドイツ三部作」のうちの一本。
ヴェネツィアを訪れた妻を亡くした作曲家は、ホテルでこの世のものとも思えぬ貴族の美少年に魅了される。
もとからかなうはずのない恋。
作曲家は美少年とその家族を遠巻きに追いかけ続け、少年の姿を求め続ける。
ヴェネツィアの町にコレラが流行り始める。町からは潮が引くように観光客がいなくなり、沈み行く都、ヴェネツィアの爛熟したムード、死病の漂う町並みが見ようによってはグロテスク。
人気のない死神が支配する町を、なおも漂う貴族の一行を見えつかくれつ美少年の姿を追い求める作曲家。美少年を見つめながら作曲家は光きらめくヴェネツィアの海岸で息絶える。
この映画は、日本のサブカルには、影響絶大。
今のBLは、映画『ベニスに死す』のビョルン・アンデルセンを以てはじまったと言っても良い。
「美少年」なるジャンルが現れた。ビョルン・アンドレセンが現れる前の美少年とは、例えば明智小五郎探偵に寄り添う小林少年のように、鞍馬天狗によりそう杉作少年のように、子どもの側面と腕白さとけなげさを持ち合わせている。
そして、『ベニスに死す』のビョルン・アンドレセンは、男ではない、女でもない、両性を飛び越えた、10代のほんの短い間だけ。「人間ばなれした」としか形容のしようがない美しさ。
生身の人間で、この世にこんな人がホントに、存在する、存在したんだ、との事実がまぎれもなく、スクリーンに残っている。
衝撃的でしたね。ガツンと脳天に一撃をくらわされた。
日本のクリエーターにとって、想像力の翼に、壮大すぎるイマジネーションの素材が与えられたのです。
少女漫画の金字塔、吸血鬼の一族を描いた萩尾望都の『ポーの一族』のエドガーも、大胆に少年愛を正面から描いた竹宮恵子の『風と木の詩』も、ビョルン・アンドレセンを筆頭に「美少年」「少年愛」の系譜が激流となって、日本のサブカルの大きな流れが生まれた。
支持した大衆に「現実離れしている」「あり得ない」との拒否反応があればこれらの作品は世に残らなかったかもしれない。でも、『ベニスに死す』のビョルン・アンドレセンを見れば。あってもおかしくない。
知らなかった世界観、異次元の思考回路が形となって、映像となって、伝説は語りつがれていく。
ビョルン・アンドレセンのセーラー服姿、ストライプの半ズボンタイプの水着、マオカラーのアイボリーのシャツを着てピアノの前にたたずむ姿。
延々と美少年を捕らえ続けたショットのかずかず。
ヴェネツィアの優雅な建築と町並み、町や通りや海岸がゆるゆると映し出され、巡礼がさまようかのように行き来する人々。
母親役のシルヴァーナ・マンガーノもよかったなあ。マンガーノはソフィア・ローレン(Sophia Loren 1934- )と双璧をなす、イタリア映画界の超大物の夫人となり、グラマー女優、セックスシンボルから存在感と迫力で他を圧する貴婦人役に変貌を遂げた大女優。
ダーク・ボガードはイギリスの名優で、代表作は『ベニスに死す』のほかには『地獄に堕ちた勇者ども』『愛の嵐 Il Portiere di notte』(1974)と絢爛・爛熟・飛ばす映画が代表作にずらっと並ぶ。
グスタフ・マーラー(Gustav Mahler 1860-1911)の「交響曲第5番の第4楽章アダージェット」が鳴り響き、マーラーの評価は、伊藤若冲みたいに一挙に見直され、V字回復。 映像美と世界観にどっぷりひたってウットリ・呆然…とできる映画です。
地獄に堕ちた勇者ども The Damned (1969)
狂気の色の最も強いヴィスコンティ映画。
退廃に次ぐ退廃、倒錯に次ぐ倒錯。
貴族の鉄鋼一家のお家騒動と同性愛に女装趣味、幼児趣味に近親相姦。ナチスドイツの血で染まった政権掌握の道のりがワーグナーのオペラ『ニーベルンクの指環』のBGMつきで派手に過激に毒々しく繰り広げられる。ドイツの腐った匂い。
時代はナチス・ドイツが実権を握ったばかりころ。
つまりお話がどう転ぼうと、観客には破滅の結末があらかじめわかる。
ハーケンクロイツの赤と白と黒。軍服のモスグリーン。軍人さんって、姿勢は良いし、ポーズも決まっていますから~。
冒頭、この映画が本格的主役級出演となるヘルムート・バーガーが、『嘆きの天使』のマレーネ・ディートリッヒのコスチュームプレイでディートリッヒの歌をダミ声で絶唱し、…映画のペースにのめり込まざるをえない。
若き跡取りのヘルムート・バーガー。
母親(父親は第一次世界大戦で戦死)は自分の愛人と結託して、実権を息子から奪おうをもくろむ。
ヘルムート・バーガーには娼婦の愛人がいるが、出来心で、いや嗜好で少女を強姦し、少女は自殺しまう。 事件をもみ消したのはナチス親衛隊寄りの親類。
ナチス突撃隊(SA)とナチス親衛隊(SS)の断絶は日々深刻さを増し、名高い「長いナイフの夜 Nacht der langen Messe」事件が起こる。
攻め込まれた時、突撃隊は男だけの乱交パーティーの真っ最中。…が無残に虐殺されてしまう。どさくさに紛れて邪魔者を消す母親とその愛人。
自分が操られていたと知った息子は、母親を陵辱する。近親相姦。不気味すぎる。気持ち悪い…。母親はショックで廃人同様になってしまう。
母親と愛人の結婚式。花嫁となる母親の化粧は異様に肌が白く、濃い。 式をあげた2人の前に、ナチスの制服を着た息子が毒薬を置く。
「お母さん、死になさい。」と…。
扉を閉め、しばらくたって開くと、息絶えた新郎新婦が。 敬礼するヘルムート・バーガー。
ラストシーンは1910~20年代に贅沢な映画づくりと暴君ぶりで知られたエリッヒ・フォン・シュトロハイム(Erich von Stroheim、1885-1957)を完全に彷彿とさせ、 母親役はイングリット・チューリン。スウェーデン映画の巨匠、イングマール・ベルイマン(Ingmar Bergman 1918-2007)率いるベルイマン一家の出身でスウェーデンの大女優。
若くもない彼女に裸のベッドシーン演じさせるのを見てさすがにヴィスコンティだと背筋に戦慄が走る。
ヘルムート・バーガーは『地獄に堕ちた勇者ども』で一気にスターの座を獲得。
本来であれば、鉄鋼一家の乗っ取りが物語のメインなのだから、傀儡にされるヘルムート・バーガーは本来、イングリット・チューリンとイギリスの名優、ダーク・ボガードの存在感の前に霞と消えても不思議でない役柄のはずなのに。
後に同じくナチもの、『愛の嵐』で大ブレイクする、同じくデカダン・退廃タイプであるはずのシャーロット・ランプリング(Charlotte Rampling 1946- )も出演しているのですが、あまりにキャラがまとも過ぎ、ただの清純派の美女にしか見えず、正直陰が薄い(テンパった人ばかり出てくる映画なので唯一の癒やしという人もいる。)。
ヴィスコンティ監督は映画冒頭のヘルムート・バーガーの女装シーンではマレーネ・ディートリヒ(Marlene Dietrich 1901-1992)の完璧なコピーを要求。
映画完成後、ディートリヒ本人から直々の手紙が届き、『お熱いのがお好き Some Like It Hot』(1959)と『アパートの鍵貸します The Apartment』(1960)のビリー・ワイルダー(Billy Wilder 1906-2002)は「全世界の中でヘルムート・バーガー以外の女には興味がない」と語った。
【コラム②】ヴィスコンティ映画に出演したスター
ヴィスコンティ監督には、残念ながら!? 女性には興味はない。ホモセクシャルの文化の洗礼を受けている。男の道楽のほうに夢中。
最愛の母親を失ってから映画の世界に入る、きっと過保護のマザコンで、お母さんの面影をずっと追い求めていたのでしょう。
『ベニスに死す』の撮影中、「母はこんなだった」「母はこんなふうにヴェールをかぶった」と事あるごとにチェックが入り、母親役のシルヴァーナ・マンガーノは苦笑するしかなかったとか。
起用した女優は
強い意志と気品のある女性。
一方男はというと気品も中身も気にせず、美貌だけで選んでいたフシがある。
とされている。
ヴィスコンティ映画には1950~70年代を彩った国際的大スターがずらり並ぶ。
ロミー・シュナイダー(Romy Schneider 1938-1982)
(「ルードヴィヒ」「ボッカチオ'70」)
『ルードヴィヒ』で演じたエリザベート皇后を描いた『プリンセス・シシー』シリーズで10代でスターの座についた。見事に女に脱皮し、国際的スターとしての座を確固とするものの、一人っ子の息子を事故で亡くし、ダメージから立ち直ることが出来ず、43歳の若さでこの世を去った。
アリダ・ヴァリ(Alida Valli 1921-2006)
(「夏の嵐」)
キャリアが長い。代表作は『第三の男』。10代のころからお姫さま役とかで映画に出ており、世にもかわいらしいプリンセス。
ヨーロッパ映画、ハリウッド映画でキャリアを重ねるものの、本人はスターの自覚はさほどなく、汚れ役・老け役にも臆さずチャレンジし続けた。
クラウディア・カルディナーレ(Claudia Cardinale 1938- )
(「若者のすべて」「熊座の淡き星影」「山猫」「ベニスに死す」)
小娘などには興味はないヴィスコンティ監督に愛された娘役。
全盛期はマリリン・モンローがMM、ブリジット・バルドーがBB、クラウディア・カルディナーレはCCとセックスシンボルとして妍を競った。
刺すようなまなざし、シリアスもコメディもこなし、イタリア娘の肢体は目の保養。
シルヴァーナ・マンガーノ(Silvana Mangano 1930-1989)
(「華やかな魔女たち」「ベニスに死す」「ルードヴィヒ」「家族の肖像」)
後期のいわゆる「ヴィスコンティ映画」に立て続けにお母さん役で出演し、大人の貴婦人の格と迫力ですべて「なお、出演したシルヴァーナ・マンガーノは素晴らしい。」と必ずただし書きがつく強烈過ぎる存在感。大プロデューサーの妻として、子どもにも恵まれて、満ち足りた人生、幸せな晩年。
アンナ・マニャーニ(Anna Magnani 1908-1973)
(「われら女性」「ベリッシマ」)
イタリアの国民的大女優であり、
第二次世界大戦中、ドイツ軍に自動車を接収され、怒って農家の使う大八車を持ち出し、ドイツ兵に怒鳴りながら、目抜き通りを突っ走ったという熱いイタリア女は、演技を絶賛され続けた。
『無防備都市 Roma, città aperta』(1945)の頃から、いわゆるおばさん体型。上半身に分厚く肉がついている。そして、なんてステキなのかしら。セクシーなのかしら。
イングリッド・チューリン(Ingrid Thulin 1926-2004)
(「地獄に堕ちた勇者ども」)
ヴィスコンティ監督作品の出演作はただ1作なのに、あまりにもスケールが大きく、圧倒的なので、どうしてもこのリストに入れたい。
鉄鋼一族の未亡人で、夫さえ生きていれば一族を牛耳ることもできたかもしれない。愛人と結託して息子を欺き、お家騒動を仕掛ける! 息子に強姦された時(撮影当時40代前半)、流れた一筋の涙。ラストシーンの能面のような結婚式のグロテスクな化粧と死に顔…。
それと、脇を固める、お母さん役者がいい!
『若者のすべて』
カティーナ・パクシヌー(Katina Paxinou 1900-1973)
(ゲーリー・クーパー(Gary Cooper 1901-1961)とイングリット・バーグマン(Ingrid Bergman 1915-1982)が出た『誰がために鐘は鳴る For Whom the Bell Tolls』(1943)に出ていたスペインの女レジスタンスの闘士)
リーナ・モレッリ(Rina Morelli 1908–1976)
(「夏の嵐」「山猫」「イノセント」)
『山猫』の最初のお母さん、いいなぁ~。
よそへいくのいやがってベッドの中で泣いてしまう、お嬢ちゃん上がりのおばあちゃん。バート・ランカスターにはウザがられてしまう…。
ヴィスコンティ監督は、やっぱり、ママを、よーく覚えている。ママを誰よりも愛していた。
ビョルン・アンドレセン(Björn Andrésen 1955- )
(「ベニスに死す」)
今はひげもじゃの普通のおじさんになってしまった。でも、探すと、往年の美貌を彷彿とさせるナイスミドルの写真も出てきますね。ホントに時の流れって残酷。あんなに美しかったのに。あんなに神々しかったのに。
一時期、劇団を運営していたこともありましたが、今は音楽教師として、ご家族と一緒にストックホルム在住。
アラン・ドロン(Alain Delon 1935- )
(「若者のすべて」「山猫」)
大監督に愛された美青年スターは、お稚児さんにしてもらい、でも両刀使いで、ロミー・シュナイダーと婚約(その後婚約破棄)。フランス映画を代表する二枚目スターとして長く君臨。「アラン・ドロン=イケメン・ハンサム・美男子」の全盛時代も長く、現在は芸能生活から引退し、悠々自適中。
ヘルムート・バーガー(Helmut Berger 1944- )
(「華やかな魔女たち」「地獄に堕ちた勇者ども」「ルードヴィヒ」「家族の肖像」)
美貌を認められ、ヴィスコンティが映画の撮影見物の群衆から拾い上げた青年。映画の歴史に残る超大作にその名を残し、永遠にエクセントリックな青年の美貌は伝えられていくことでしょう。
ただ、監督の死後、「私は(ヴィスコンティ監督の)未亡人だ」と公言し、出演作も伝わるメンタルや近況も、どうも安定しない。
ヨーロッパで、まだ健在。
以上3人が、ヴィスコンティ監督の好きなタイプ。
美青年特有の研ぎ澄まされた美貌の持ち主ではあるものの、知性にも教養にも無縁。
ビョルン・アンドレセンは、少なくてもお稚児さんにされてしまった、との情報はなし。
美少年・美青年の上を行く年代になると
マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni 1924-1996)
(「白夜」「異邦人」)
「豪華・貴族のヴィスコンティ映画」には出ていないので、目立ちませんが、イタリアの産んだ最大の二枚目スターは、もちろん巨匠の映画に出ています。
バート・ランカスター(Burt Lancaster 1913-1994)
(「山猫」「家族の肖像」)
ヴィスコンティ監督は、街角をフラフラ歩いているような美青年が好きだったが、実はバート・ランカスターの顔のタイプも好きだったとの説もある。
アクションスター出身だから、体格が立派で、『山猫』の背筋の伸びた燕尾服のダンス姿など、ことのほか決まっていた。
ダーク・ボガード(Dirk Bogarde 1921-1999)
(「地獄に堕ちた勇者ども」「ベニスに死す」)
少なくてもエキセントリックなエピソードは伝わってこない。
でも生涯独身でかつマネージャーと同居。ゲイでは!? の質問は生涯否定し続けた。
イノセント L'innocente (1976)
ヴィスコンティ監督にとっては不本意ながら、最後の作品・遺作となってしまった。
闘病しながらの撮影であり、編集には関わっていない。(死んでしまったので)
原作はダヌンツィオ(D'Annunzio 1863-1938)の『罪なき者』。男女関係、嫉妬の本質を描く。
イタリア人にとっては大クラシックの古典文学だし、イタリア映画界でも、かつてダヌンツィオの作品が立て続けに製作された時期がある。
ヴィスコンティ監督の、ダヌンツィオを引っ張り出すことで、これぞイタリア、の映画を作ろう、イタリア映画の原点に還るんだ、イタリアを紹介するんだ。の意図がはっきりわかる。
イタリア映画のホントのロマン。イタリアはフランスよりももっとねちっこく、で、もっと人間的。
イタリア貴族の夫婦のお話で、男は外に愛人を作っている。
堪え忍んできた妻だが、ふとしたことから他の男と愛し合うこととなり、妊娠する。
妻には無関心だった夫だが、他の男と寝たとなって初めて妻を愛し始めるが、妻には通じない。
妻に堕胎を迫るが、妻は応じない。
子どもが生まれ、妻は子どもを守るため無関心を装うが、夫は生まれた赤ん坊を、厳寒の日に窓を開け放ち、見殺しにする。
妻は僧院に入ってしまった。 愛人からも別れを告げられ、夫はピストル自殺を遂げる。
『イノセント』がヴィスコンティの映画の中では一番イタリアの魂を持ってる。
そして正直、もうエネルギーが残っていない・ヴィスコンティは弱くなったとの批評も多い。 たとえば、ラストシーン。
ピストル自殺した男を見捨てて、女が朝霧の中に消えていく。
あのあたり、もっとすごい演出ができたはず。こんなに弱い人じゃないはず。
「これがイタリアです」を見せようと思ってるのに、出てこない。息切れとあえぎが見える。
全体的に登場人物がクローズアップばかりで、みんな声をひそめてセリフを言う。
最初音楽を室内で聴くところでも、声を出して喋らず、声が小さい。「あいつきた」とか。 男のじらされ方、辛さ。妻に愛されない切ない気持ち。
ずっといろいろあって最後に妻に抱きついて、妻のほうは黙っている。男だけが小さい声で。ごちゃごちゃごちゃ言い、すると知らない間にクローズアップになっていて「あなたの体、男を知った体」と迫ってくる。怖い。
二号さんの女優(ジェニファー。オニール(Jennifer O'Neill 1948- ))は 首がすーっと伸びていて、首にいつも細いリボン、ネックバンドを巻いている。
誰も彼らの話聞いてないのに、ラブシーンの時、2人で声を潜めてゴチョゴチョ、ゴチョゴチョってしゃべってる。
暖炉の炎が揺れて。心ここにあらず。女は面白くない。これぞ、ヴィスコンティの世界。
主人公の夫婦は ジャンカルロ・ジャンニーニ(Giancarlo Giannini 1942 - )と ラウラ・アントネッリ(Laura Antonelli 1941-2015)とどちらもイタリア人。
俳優を、イタリアを、大事にしている。残したかった。 最後の遺産の映画になった。
貴族の豪邸、貴族の調度、貴族の衣装、貴族の生活…は他を圧倒し、見応えはたっぷり、お腹いっぱい…は間違いない。この点、ヴィスコンティ映画に衰えはなし。
力を振り絞り、男と女を、自分の生きた世界を描いている。豪華さにため息をつき、映画が終わると、震えるような叙情と余韻があとを引きます。
ほか全作品
郵便配達は二度ベルを鳴らす Ossessione (1942)
ヴィスコンティ初監督作品。
流れ者の男と人妻が恋に落ち、共謀して夫を殺す。しかし結局女は死に、男も死ぬ…。とのやりきれないかつドラマチックなお話。原作はハードボイルドの小説。
今までに映画化は4回。ヴィスコンティ監督の映画化は2回目。
おりしも当時のイタリア映画は、「イタリアン・ネオレアリズモ」の夜明けの時代。
神話や貴族とかじゃなくて、現実味のある、リアルな市井の人々の生活を平明に描写していこう。の流れ。
題材はレジスタンスとか今でいう貧困層の生活が多い。
のめり込んでいく男女のもののあわれが重苦しい。豪華なセットや衣装は皆無。
それでも後の作品に通じるシーンや映像の格の高さを見ることができる。
お話そのものなら、
1981年のジャック・ニコルソン(Jack Nicholson 1937- )&ジェシカ・ラング(Jessica Lange 1949- )版が一番新しい。
1946年のジョン・ガーフィールド(John Garfield 1913-1952)&ラナ・ターナー(Lana Turner 1921-1995)版はラナ・ターナーの悪女のイメージを決定づけたエポックメイキングな作品。
ヴィスコンティ版はマッシモ・ジロッティ(Massimo Girotti 1918-2003)&クララ・カラマイ(Clara Calamai 1909-1998)。
いずれもフィルム・ノワール(犯罪映画)の分野でのマッチョで粗野な男、ニンフォマニアックな女のカップルで、映画化される度に観客の目を引く見せ場も多く話題になってきた 。
当然ヴィスコンティ監督作品も戦時下の公開ながら大評判となり、あやうく大幅カットされるところ、監督のお父さんのはからいで事なきを得、ファシスト党首ベニート・ムッソリーニ(Benito Mussolini 1883-1945)も鑑賞の上、お墨付きを得たとのおまけつき。
マッシモ・ジロッティとクララ・カラマイはイタリア人。
どちらも1930~40年代のイタリア映画界の大スターであり、息長く出演作が続いた実力派です。
ホントは、ヴィスコンティ監督は、ヒロインにはアンナ・マニャーニを使いたかった。しかしマニャーニは妊娠中で、出演は叶わなかった。
揺れる大地 La terra trema (1948)
イタリアン・ネオリアリズモの代表作と言われているのは
ロベルト・ロッセリーニ監督(Roberto Rossellini 1906-1977)『無防備都市 Roma città aperta』(1945年)
ヴィットリオ・デ・シーカ(Vittorio De Sica 1901-1974)『自転車泥棒 Ladri di Biciclette』(1948年)
そして『揺れる大地』。
必見・第一級・身の毛もよだつ超傑作。
お話はまたもや無残でやりきれない。シチリアの網元のお話。プロの役者は出演せず、本物の漁師と地元民が出演している。
貧乏で貧乏でお金がない。それでも親方にお金を借りて船を買って、あろうことか、船は沈んでしまう。
一家の崩壊がはじまる。魚は買い叩かれ、家を追い出され、恋人には捨てられ、弟は密輸に手を染め、祖父は病気になり、一家はあばら家に住み、主人公は酒に溺れる。
親方の船の進水式をどん底で目の当たりにし、また親方に謝りに行く。
貧しくて貧しくて、なのにまたどん底に落ちてしまう。
お金持ちの残酷趣味。そういう貧しさを平気で撮るのがまた怖い。。
もともとはイタリアの共産党の肝いりで作られた映画、しかし途中で資金が尽きてしまい、後半はヴィスコンティ監督自身が私財を投じて撮りあげた。
なので前半は漁師と仲買人とのシステムに疑問を持ち、立ち向かっていくお話で、後半は船が沈み、 出演者は素人でも、貧乏だけど、描かれている世界・モチーフは家族の崩壊なのですから、紛れもなくヴィスコンティ映画のイメージの原型が現れている。
イタリアン・ネオリアリズモは辛く悲しい物語ばかりです。
時代とともに、映画も、映画人も新たな境地へとステージを変えていく。
ベリッシマ Bellissima (1951)
イタリア女性、サイコー! アンナ・マニャーニ、サイコー!! と世界の真ん中で愛を叫ぶ勢いで推しに推させていただきます!!!
イタリア女性は若い女の子も良いけどそれにも増して、「いいねぇ、いいねぇ~」ってグッときてしまうのは、『イタリアのお母さん』。
ヴィスコンティ監督の唯一のコメディ。人情喜劇。「ベリッシマ」はイタリア語で「別嬪さん」「美人さん」。
マニャーニ演じるマッダレーナはもちろん、同じアパートのおばさんたちもイタリア女の面目躍如! 全員マシンガン・トーク。うるさいうるさい。
思い込みが激しく、あくの強さと押しの強さ、身勝手で気性の激しさ情の濃さと勇ましさ。バイタリティー恐るべし、暑苦しくもうっとうしい。
とにかくヒステリックにまくしたてる、空気なんか読んでいられるか! のべつ幕無しにしゃべる、しゃべる、しゃべりまくる!
一方が攻め立てれば相手だって負けじと受けて立つ! 売られたケンカは断固買う! とにかくテンションが高い!
当然、御主人は青菜に塩、ナメクジに塩、圧倒されっぱなし…。
すべてが見ていて面白い。
娘を映画に出したくって、がんばってがんばって。
でもスクリーンテストで、娘は泣いていた。まわりの大人は、「これなら観客を笑わせられる」と踏んだのだ。
娘をそんな目にはあわせられない。連れ戻し、抱きしめる母。
娘をオーディションに合格させるため、あらゆる伝手を探し、若いハンサムな青年に誘惑されて(ここ、いかにもイタリアですね)、まんざらじゃないけど。 でも夫も娘も心から愛している。
年上の女の分別で、もちろん誘惑をはねのけるのです。
家を買うはずのお金は娘のためのワイロに使ってしまった。でもいいの!
「街中を糖尿病にしてでもお金を稼ぐわ!」
(注:マニャーニ演じるマッダレーナは流しの看護婦さん。時代と地域色ありますね~)
サイコー! ご機嫌! 大好き! アンナ・マニャーニ!
イタリアの国民的大女優・名女優、アンナ・マニャーニ。
『無防備都市』(1945年)で連行される婚約者を追い、ドイツ兵をはねつけ、張り倒す。
路上に走り出し、「フランチェスコ! フランチェスコ! 」と叫ぶ。
パンパーン! と銃声が響きわたり…。女はもんどりうって路上に倒れる…。
絶対に忘れられない。
葬儀は国葬並みだったと伝えられている。
白夜 Le notti bianche (1957)
原作がドストエフスキー(Fyodor Dostoevsky 1821-1881)で、ロシア文学。
出演は別名「イタリアの恋人」、20世紀のイタリア映画界が産んだ最高の映画男優、マルチェロ・マストロヤンニ、 『居酒屋 Gervaise』(1956)のマリア・シェル(Maria Schell 1926-2005)。
ビョルン・アンドレセンを知るまでは、「美男」とはこのタイプだとばかり思っていた(彫刻的美貌)『美女と野獣 La Belle et la Bête』(1946年)と 『双頭の鷲 L'Aigle à deux têtes』(1947)ジャン・マレエ(Jean Marais 1913-1998)。
お話は、ヴィスコンティらしくない。
男が出会った、けなけでかわいい女の子。(というキャラクターがまずヴィスコンティ映画のヒロインになるのが珍しい。)
女の子には、好き合った男がいて、戻ってくるって約束したのだから、待っていなくちゃいけない。
でも、いつ来てくれるのかがわからない。
男は女の子と仲良くなりたくて、デートに誘う。ダンスに誘う。マストロヤンニが狂ったように踊っては笑わせる。
次はスローなバラード。 向き合って踊り始めると、カメラが2人の顔にすーっと寄っていく。あたりは暗く人間の顔が生々しく近くまでクローズアップで迫ってくる。
マストロヤンニにはうれしくてうれしくてしょうがない。彼女ももうマストロヤンニ心が傾いてきている。 抱き合って踊って、マストロヤンニの腕が肩に乗ってる。目の前に腕時計が見える。カチカチ、カチカチ、カチカチ…。それでハッと元に戻る。
待っていなければならない人、ジャン・マレエがいることを思い出す…。の呼吸。
オールセットで撮影された映画で、人工的な町の夜や、雪のシーンのセット撮影も圧巻。
若者のすべて Rocco e i suoi fratelli (1960)
アラン・ドロンのヴィスコンティ映画初出演作。
お話は、イタリア版大河ドラマとでも申しましょうか。長い。なにしろオペラの国なので。語り口から長くて、大作と言う印象に圧倒される。
ミラノの駅のガラス張りの天井が始まりのタイトルバック。
それをキャメラがゆったりとしたパンでなめていく。カメラワークを見ているだけで、これは大ロマンだなって予感が高まっていく。
第一部「ヴィンツェ」、第二部「シモーネ」、第三部「ロッコ」みたいに画面に名前が出てくる。
貧しい一家は、どう生きていくのか。何が起こるのか。
父親は死に、母親と4人の息子が長男をたよってミラノに移住してくる。
長男の嫁と母親は折り合いが良くない。二男は自堕落な性格で何をやっても長続きせず、弟の恋人(ずっと前は自分の恋人)を弟の目の前で犯す。
三男は真面目。クリーニング店で働き、徴兵から戻ると、プロボクサーとして頭角を現す。
祝賀会の席に、もと弟の恋人を殺した二男が返ってくる。母と三男は殺人犯となった二男をかばうが、生真面目な四男は二男を警察に通報。四男は五男に、二男を愛しており、都会での生活が兄を変えさせてしまったと語りかける…。
イタリアン・ネオリアリズモの匂いが確かにある。
森の中で女を殺す。その時に女が後ろを向いたときに、後ろの木が十字架に見えたる。
殺す、殺されるでとうとう女を殺してしまう、女を斬って捨ててしまう。いかにもイタリア映画。アメリカやフランスではこうはいかない。
ヴィスコンティ映画だし、若き日のアラン・ドロンにもお目に係れるし。アラン・ドロンは不朽の名作、『太陽がいっぱい Plein soleil』(1961)でルネ・クレマン監督(Rene Clement 1913-1996)に、『若者のすべて』でヴィスコンティ監督に起用され、押しも押されぬトップスターの座に着いた、まさに日の出の勢い。水も滴る、絶頂期。
熊座の淡き星影 Vaghe stelle dell'orsa (1965)
ギリシア悲劇「オレステス」によれば。父を死に追いやった母と愛人に復讐するため、姉と弟は母を殺す。
どんな事情があっても母殺しの罪は罪。死刑判決を受け、姉と弟は絶望のあまり近親相姦の関係となる。
を現代(といっても50年以上前)に、舞台はイタリア・トスカーナに置き換え、父は母と愛人によってアウシュビツに送り込まれた、のかもしれない。
母は自分の世界に浸り、
姉と弟の近親相姦が、あったのかもしれないし、なかったのかもしれない。
原作では弟は発狂してしまう。映画では、姉との関係をほのめかした小説を姉に厳しく拒絶された直後に、弟は命を自らたってしまう…。
と「ヴィスコンティ監督唯一のミステリー映画」との説明もありますが、最後まではっきりした謎解きはなく、真実はどこまでもやぶの中…。難解な映画ともとれる。
技巧のこらされた絶品のモノクロ映画であり、
クラウディア・カルディナーレは天真爛漫な可愛らしさやセクシーさは封印し、
くっきりはっきりのアイラインと雌豹のようなまなざしで、
映画のテーマもテーマなだけに、笑わない…。
下着姿とか、裸体にシーツを巻き付ける、までですが、肢体は見せていただける。
弟の役はアラン・ドロンを希望していたが、実現しなかった。『外人部隊 Le Grand Jeu』(1934)、『舞踏会の手帖 Un carnet de bal』(1937)のマリー・ベル(Marie Bell 1900-1985)が母親役。
『熊座の淡き星影』のタイトルはイタリアの詩人
ジャコモ・レオパルディ(Giacomo Leopardi 1798-1837)の詩「追憶」の一節。
熊座の美しき星影、私は信じていなかった
ここに戻り、ふるさとの庭で星を眺めようとは
私が子供の頃住んでいたこの家で
私は私の喜びの終わりを見ました
流れるピアノ曲は セザール・フランク(César Franck 1822-1890) 前奏曲、コラールとフーガ ロ短調 Prélude, Choral et Fugue(1885) 観客の心を不安に陥れ、かき乱す…。 豪華! 豪華!
異邦人 Lo straniero (1967)
原作はフランス文学。アルベール・カミュ(Albert Camus 1913-1960)の小説『異邦人』。 不条理を描いた文学を映画にするなんて、難しそうに見えてしまいますが。
そしてバリバリのプレイボーイ、リア充を絵に描いたようなキャラのマストロヤンニがなぜ不条理に悩まなければならないのか、
家族と郷愁を大きなテーマに据えたヴィスコンティがなぜメガホンをとったのか。
3人並べてみて、違和感はあるものの。 ノーベル賞作家の世界の名作の映画化ともなれば、スタッフ・キャストとも超一流でなければ企画が立たない、実現しない。
デビュー作の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』なんかは繰り返し映画化されているけど、『異邦人』は今のところ映画化はヴィスコンティ監督の1本だけだし、観客受けする題材にもみえない。
の割には、ヴィスコンティ監督のフィルモグラフィーにも、世界の名作・文芸映画にも取り上げられたり、目にする機会は正直少ない映画です。
でもまあ、映画なら、原作をより大衆向けにわかりやすく、五感で感じることができるはず。
マストロヤンニの相手役はフランスのヌーヴェル・ヴァーグのミューズ、『女と男のいる舗道 Vivre sa vie: Film en douze tableaux』(1962)と『気狂いピエロ Pierrot Le Fou』(1965)のアンナ・カリーナ(Anna Karina 1940- )。
ファッションリーダー・アイコンとしても1960年代を引っ張った女優さんだし、 舞台は第二次世界大戦前のアルジェ(原作者のカミュはアルジェ生まれ))なので、陽光照り付けるエキゾチックな町の風物を見ているだけでもいい。
なにしろ主人公の内面の葛藤が、他のヴィスコンティ映画や、私たち観客にとってはあまりにも異次元なので、感情移入することが難しい。
それでも、救いを受け付けない主人公の「生きていても死んでも同じだ」との達観は、死刑になる前には「死にたくない」に気持ちは動いている。
家族の肖像 Conversation Piece (1974)
『山猫』に続いてバート・ランカスター、『ルードヴィッヒ』に続いてヘルムート・バーガー、『ベニスに死す』に続いてシルヴァーナ・マンガーノを起用。
半身不随で野外ロケができなくなったヴィスコンティ監督のために、オールセット、室内撮影で作られた映画。
コスチュームプレイではなく現代劇。濃厚な人間関係が重苦しくも狂おしい。
回想シーンでほんのちょっとしか出演シーンのない特別出演枠ではあるものの教授の母役にドミニク・サンダ(Dominique Sanda 1948- )、別れた妻役にクラウディア・カルディナーレ。女優さんの使い方もどこまでも贅沢。
ローマで心静かに暮らしていた老教授の住まいに、「部屋を貸してくれ」と強引にねじ込まれ、しぶしぶながら承知したものの、不安は的中。
降ってわいた災難に、辟易しながらも、次第の同居人に興味をもち、巻き込まれていく。
ヘルムート・バーガーは左翼の過激な美青年。シルヴァーナ・マンガーノはヘルムート・バーガーをツバメに囲ういいトコの奥様。
との関わりを断って生きてきた老教授の心境の変化が描かれる。ヘルムート・バーガーの謎の過激な死(爆死)、老教授の死で物語は終わる。
教授の部屋が本当のクラシック。すごい。壁が全部家族の絵(カンヴァセーション・ピース)。家族には憧れてるんだけど、結婚はしなかった。
勝手に人の家に下宿しておきなががら、教授との契約違反なのに、部屋を改装してしまう。これがまたハイセンスの極み。
回顧・回顧、古い本物ばかりが絶賛されるヴィスコンティですが、現在(とはいえ製作当時、1970年代になってしまいますけど)における美のセンスも本物中の本物であることがわかります。
クラシックと1970年代の最先端の美を一緒に鑑賞するだけでも、この映画を観る価値あり。徹底的にこだわるヴィスコンティ芸術は盤石です。
テーマとしてはヴィスコンティに限らず、繰り返し語られてきたジャンルであり、公開当時は大きな話題を呼び、大ヒットした。
オムニバス映画
ヴィスコンティの活躍した時代には、巨匠監督が集まった連作、オムニバス映画がいくつも作られた。 どれも軽いタッチで短編小説の味わい。
われら女性 Siamo donne (1953)
アリダ・ヴァリ(第2話)やイタリア時代のイングリット・バーグマン(第3話)のパートもあります。
ヴィスコンティ監督担当はラストを飾る第5話。ご贔屓アンナ・マニャーニが出演。 ご自身として出演。
犬を連れて劇場に向かうため、タクシーに乗るマニャーニ。運転手さんは、犬の追加料金をいただきたいという。 ちなみに追加料金は1リラ。規定によれば『膝の上に乗る小さい犬』には追加料金がかかるのです。
暑い熱いイタリア女のマニャーニは納得するはずがない。『子犬』とは子どもの犬をさすのか、膝の上に乗る大きさの犬なのかの解釈をめぐり、イキのいい手に汗握る!? 楽しい応酬がはじまる。 ラチがあかない。警察に乗り込み、憲兵を探しに行き、自分が正しいことを主張し続ける。
劇場では支配人がマニャーニを到着をイライラしながら待っている…。はたして、マニャーニ、間に合うのか!?
犬の監察をとっていなかったから罰金は払わされてしまった。でも憲兵には自分が正しいことを認めてもらえて大満足。 タクシー運転手も負けてはいない。しつこく1リラを、と食い下がる。
笑顔で追加料金のお支払いを終えて、晴れの舞台に立つのです!
ボッカチオ'70 Boccaccio '70 (1962)
第4話がソフィア・ローレン。 第3話仕事中 Il lavoro がヴィスコンティ監督のパートで、 主演女優は、ロミー・シュナイダー!
ロミーがオール、シャネルの衣装をまとって登場!
ロミー・シュナイダーはプライベートでもシャネルの顧客で、マドモアゼル・シャネルとのツーショットの写真もいくつも残されている。
カラー映画だし、シャネルの服の布地の凸凹や質感がとてもよくわかる!
その意味とても貴重な映画。
お話は
若くてハンサムなミラノの伯爵(トマス・ミリアン)がフランスで遊び回ったことがバレてしまった。
帰国した伯爵は大慌て、彼が一番気にしたのはプーペ夫人(ロミー・シュナイダー)だった。彼の生活費は夫人の父親から出ていた。夫人は大して気にしていない様子だったが、父から生活費をもらっているのを潔く思っていなかったので、これを機会に夫の浮気を封じるとともに自活しようと考えた。
父親は半信半疑、自活できるならやってごらん、一年続いたら一財産進呈しようと賭けをした。
夫人は伯爵が通っていたコールガールたちと会い色々研究して帰った。伯爵は夫人の新しい魅力に驚いた。
それを見た夫人はおもむろに申出た。「外で遊びたくなったら私のところへいらっしゃい、でも料金は規定通り頂きますよ」と。伯爵は一も二もなかった。その夜早速、夫から電話……。夫人は複雑な気持でスカートをぬぎにかかった。
華やかな魔女たち Le streghe (1966)
大女優、シルヴァーナ・マンガーノが5人の監督の演出で5人の違う女性を演じ分ける。
チョイ役ですが、ヘルムート・バーガーのデビュー映画でもある。(ホテルのボーイ役) ヴィスコンティ監督の出番はトップバッター。第1話。
お話は、大女優がスイスの別荘のパーティにやってくる。
大女優はお疲れなのです。倒れてしまう。
居合わせた友人たち(当然女)は好奇心満々で「看病しなきゃ」と帽子をとり、つけまつげを剥がし、「結構シワがあるわね」などと言いながら、リフトアップテープをはがしてしまう。
翌朝、メイクアップアーチストが山荘に乗り込み、意識があるのかないのかもわからない大女優を座らせ、もう1度メイクアップをやりなおし、大きいサングラスをつけさせ、フェンディのフード付きのゴージャスな毛皮のコートをまとわせ、両脇を固めて山荘を出ると、待ってましたとパパラッチが取り囲み、大女優はヘリコプターで帰って行く。
後年、ジャンヌ・モロー(Jeanne Moreau 1928-2017)とブリジット・バルドー(Brigitte Bardot 1934- )が共演した『ビバ・マリア! Viva Maria!』(1965)の中で、ジャンヌ・モローが相方に「もう死んだんだから付けまつげやめなさい」と言って付けまつげを剥がすシーン。
大スターの私生活と言えば、同じくブリジット・バルドーの出た『私生活 Vie privée』(1962)。人気者の辛さ。プライペートのない生活。愛する人の舞台を一目みようとしたその時、カメラのフラッシュが一斉にたかれ、驚いてバルコニーから落ち、そのまま転落死してしまう…。
ディテールや設定は似てるんですけど。と、ヴィスコンティ監督は、大人だ。どこまでも。
【コラム③】ヴィスコンティ映画の見どころ
ヴィスコンティ映画の見どころといえば。決まっている。
画面を見ているだけでいい。行き届いた様式美。強烈な美意識の元での完璧な考証と時代と地域の再現。絵画的な映像美。
これぞ西洋芸術!華麗なコスチューム・プレイの大作の「これぞ映画」といえる風格。
普通の人間が貴族の映画を作ってもリアリティなんか出せるはずがないじゃないか。
ヴィスコンティの映画と映像美を見てしまえば「かなわないんだなあ…」の気持ちが先に立つ。
お金をかけて、智恵を集めて智恵をこらして、必死になって作り上げたって、所詮足元にもよれない、の風格が後塵を寄せ付けない。
そして伝統として、イタリアはかつてヨーロッパ第一の映画大国であり、オペラの国なので、甘い、ロマンチックな、そして長い映画がたくさん作られた。大作主義だった。
フランスをしのぐ芸術大国、イタリアと、圧倒的な美を育んできた風土に感謝。この場合、特権階級や身分制度にも、不本意ながらひれふすしかない。
イタリア映画だと、ヴィスコンティ監督から少し時代が下がり「映像の魔術師」などとたたえられた『道 La Strada』(1954)『甘い生活 La dolce vita』(1960)『8 1/2 Otto e mezzo』(1963)の巨匠、フェデリコ・フェリーニ監督(Federico Fellini 1920-1993)なんかもいるけど。もちろん、良いですけど。でもフェリーニ監督は、ヴィスコンティ監督から見たら弱い。かわいい。
フェリーニ監督とヴィスコンティ監督ではほんとに庶民と貴族の違い、サーカス芸人とオペラの演出家(実際に舞台演出の名声もものすごく、ミラノのスカラ座で世紀のソプラノ、マリア・カラス(Maria Callas 1923-1977)に演技指導を行った。マリア・カラスは天賦の美声にリアリズムに徹した演技で世界を席巻していく)くらいの違いがある。
そしてロベルト・ロッセリーニ監督(Roberto Rossellini 1906-1977)やピエル・パオロ・パゾリーニ監督(Pier Paolo Pasolini 1922-1975) が出てきて、イタリア映画は一気に貧乏くさくなってしまった。
ヴィスコンティ監督がいなくなってしまい、ヴィスコンティ監督以上のイタリアの、映画の美…、いまだお目にかかれていない。
そしてヴィスコンティ映画をヴィスコンティ映画たらしめているのは、美術を前にややもすれば忘れがちですが、演出。
「イノセント」なんかも、見ようによっては、陳腐な駄作になっても少しもおかしくない題材です。
徹底的なリアリズムを突き詰めていく演出。シナリオを読み込み、文字の先、文字の裏に隠れている本質を突き詰めていく。一言で言ってしまえば、こわい。情け容赦ない、血も涙もない緻密で残酷な描写。どこまでも大人。
そこまで見せる!そこまでやる?呼吸があまりにも真にせまっており、ここまで観察しているんだ、ここまで再現させるんだ、と身震いしてくる。
いくつもまぶたに浮かんでくるではありませんか。
『ルードヴィヒ』の汚い湖を渡ってくるシーン。
『夏の嵐』の貴婦人の馬車の埃にまみれた色。
『山猫』の貴族が途中の別荘で休憩する、画面の中に、溲瓶も、壁の汚れたところも見える…
『ベニスに死す』で、夏の海岸、死に行く化粧した男の額から流れる白髪染めで黒く染まった汗。
『地獄に墜ちた勇者ども』の最後の母親の死体への敬礼。
ロマンとリアリズムと大人。
ヴィスコンティ監督の映画には1本も駄作がない。