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邦画の歴史に残るおすすめ映画女優185人をあげていく。ただし1945年生まれまで。

 

 

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あ行

 

逢初 夢子(あいぞめ ゆめこ 1915- )

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エキゾチックな美人です。現SKD。松竹歌劇団の出身で、モダン・ガール、略してモガ。人気が出たのは昭和10年代。路線の人気女優。ですので男をたらしこみ、不幸のどん底に陥れる役など見てみたいのですが代表作「隣の八重ちゃん」(1934・映)では隣に住んでいる女の子の様子がおかしい。姉が帰ってきて好きな男の子は姉と仲がよくて気が気ではない…。の可憐な女学生役。「太陽の子」(1938・映)では意に染まぬ夫以外の子の妊娠に苦悩する農家の妻。脇に回ってヒロインの勝ち気な友人、とか。華麗な容姿とは一見似つかわしくない役柄が代表作だったりする。今でいうアスリート、ベルリンオリンピック金メダリスト、遊佐正憲(1915-1975)選手と、子どもが産まれてから結婚入籍したとのことで、情熱・奔放の激しさは、きれぎれのスチール写真にしのぶことができます。出演作はほかに「泣蟲小僧」(1938・映)など。今、消息不明とのことで、御存命であれば100才。

 

青山 京子(あおやま きょうこ 1935-2020)

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現小林旭(1938-)夫人。良妻のほまれ高い。結婚して引退して添い遂げて。東宝の5期ニューフェイスから映画界入り。女優業は結婚するまで。主演に脇役にプログラムピクチャーに数多く出演。代表作は三島由紀夫原作の初映画化、「潮騒」(1954・映)ですがすがしい海女でもある網元の娘、初江役。明朗な娘役として活躍し、巨匠の作品としては黒澤明(1910-1998)監督作品「生きものの記録」(1955・映)での主人公の娘役。後にフリーとなり、1960年代の時代劇の花として大スターとの共演も数多く、元気で健康なお嬢さん役が似合う年齢でスクリーンから卒業。日本映画の黄金時代が女性として最も輝く時期と重なり、溌剌とした面影だけを残して今もお幸せ。

 

朝丘 雪路(あさおか ゆきじ 1935-2018)

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映画よりはタレント性の方、になるのでしょうか。昭和の美人画家の大家、伊東 深水(1898-1972)の妾腹の娘で母は築地の料亭の女将で宝塚に入って2度めの縁ながら御主人は津川雅彦(1940-)で嫁いだ先は芸能一家。超のつくお嬢様そだちで浮世離れした方。甘やかして育てたから、と深水はしぶしぶ!?娘を宝塚に出したとか…。そもそも人気が出たのは、深夜番組「11PM」(1965-90)のアシスタント。フェロモンいっぱいの小悪魔系。お嬢様タレント、二世タレント、巨乳タレント。歌手としての実績も輝かしく、加えて料亭の娘で踊りの家元でもある(深水流家元)なので個性としては素人ではなく芸の道を貫く玄人。でも露出は、ワイドショーとか食べ歩き番組のレポーターとかに偏りがちなのが勿体ないと言えば勿体ない。映画の出演作は「卸金蔵破り」(1964・映)、「若親分」(1965・映)、「御用牙・映」(1972)など。

 

浅丘 ルリ子(あさおか るりこ 1940- )

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14才で中原 淳一(1913-1983)に見いだされ、映画デビューしてから。60年以上。変わらずトップを走り続ける強靭さ、勤勉さ。デビューのころはさながら妖精のような女の子。日活の大黒柱。働いて働いて、出演作は150本以上。「ギターを持った渡り鳥」(1959・映)で小林旭とコンビを組み、「憎いあンちくしょう」(1962・映)で演技に新境地を切り開いた。映画の黄金時代は終わり、活躍の場は舞台へ。ずーっとずーっと、座長だけ。主演だけ。そして渥美 清(1928-1996)主演の国民的シリーズ、「男はつらいよ」(1969-95)、主人公寅さんの終生のマドンナの座は、やっぱり、浅丘 ルリ子。(「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」(1973・映)ほか全4作マドンナはもちろん最多)。まだまだ主役で。看板の座長として、君臨し続ける。

 

芦川 いづみ(あしかわ いづみ 1935- )

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現藤竜也(1941-)夫人。和製オードリー・ヘップバーンの呼び声高い。特別な美人ではない。頬が高く、顎のラインがキュート。日活に入り清純で溌剌としたアイドルスターとして人気が高く、「幕末太陽傳」(1957・映)のアクの強い俳優陣の中で一人健気にまともな女中を演じて存在感を示し、石原裕次郎(1934-1987)との共演作は「嵐を呼ぶ男」(1957・映)。赤木 圭一郎(1939-1961)との共演作は「霧笛が俺を呼んでいる」(1960・映)。日本映画の黄金期、日活全盛期の輝かしい傑作に出演した純情派、清純派の名にふさわしく、結婚・引退(1968)後は公の場に姿を見せず、夫婦仲は円満で添い遂げ、御主人はスター街道を順調に歩み続け、今なお忘れられない女優として繰り返し取り上げられ続けます。

 

新珠 三千代(あらたま みちよ 1930-2001)

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この方くらい整った顔立ちの女優さんはいないのでは…、と完成度の高すぎる美貌に唸ってしまう。おまけに個性は絵に描いたような着物の似合う楚々とした大和撫子。つつましくありながら凛としてお色気はこぼれるよう。汚れ役なんて似合わないわ!って言いたくなっちゃいますが、どろどろした女の情念が、新珠三千代が演じると蒼い焔が燃え上がるように凄みが出てきてこれも良い…。宝塚出身、日活入社後、程なく東宝に移ります。代表作はやっぱり「人間の条件1・2・3・5 部」(1959-1961・映)の激動の時代をひたむきに生きる妻。そして大ヒットしたテレビドラマ「細うで繁盛記」(1970・T)。美女の根性ドラマ、温泉旅館をきりもりする女将役でトップ女優の座に。憧れてしまいます…。出演作はほかに忘れちゃいけない。初期の大傑作。「洲崎パラダイス 赤信号」(1956・映)など。

 

有馬 稲子(ありま いねこ 1932-  )

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満州育ち。そして父親が官憲に追われたり、苦難の末大陸から引き揚げて生き別れの両親と再会を果たすがしっくりいかない…とのバックボーンからか、考え方とかも内地育ちより大胆 な所があったのでしょう。反骨・独立精神旺盛で、「こんな役がやりたい」はっきりものを言うし、やりたい役を演じたくてプロダクションを起こしたり、女優にあるまじき!?(そんな時代だったんですね…)言動がバッシングを浴びたこともありました。宝塚出身で、東宝を経て松竹へ。美人女優としての代表作は「彼岸花」(1958・映)「人間の條件第一・二部」(1959・映)など。そして当り役は舞台の「はなれ瞽女おりん」(1980~・舞)24年684回の上演記録で、群れずにがむしゃらに、でも悲しいヒロインは、有馬 稲子その人に、オーバーラップ。

 

淡路 恵子(あわじ けいこ 1933-2014)

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「日本一、いや世界一たばこを吸う姿がすてき。」と盟友、宝田明(1934- )は語る。松竹歌劇団出身で、10代で黒澤明監督に見いだされ「野良犬」(1949・映)、続いてハリウッド映画「トコリの橋 The Bridges at Toko-ri」(1954)に出演。酒場やバーのマダムがはまり役。日本人離れしたプロポーション。セクシーで華麗で、デカダン・ダイナミックかつ粋で、ダントツに目立つ。日本映画界広しと言えど、後塵が見当たらない貴重な存在だった。私生活では結婚・離婚で休業したり、破産、子どもに先立たれと波乱万丈で、最後まで現役であり、気っぷの良さとあけっぴろげの性格で友人も多く、若手には慕われた。出演作はほかに「この世の花 1・2・3部」(1955・映)「男はつらいよ・寅次郎の知床慕情」(1987・映)など。

 

淡島 千景(あわしま ちかげ 1924-2012)

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日本映画最高の女優の一人。宝塚から松竹入り。後にフリーとなる。手塚治虫(1928-1989)の漫画「リボンの騎士」中、サファイア王女は宝塚時代の淡島千景がモデル、と言われており、映画界入りするや否や、おきゃんで可愛く、色っぽく艶っぽくも健気。確かな演技力。どんな役でも監督男優を立て、一歩引きながらの完璧な演技と人柄は日本女性の鑑。生涯現役、絶賛の的であり、映画俳優が所属会社に縛られた時代、いち早く監督・脚本で作品を選び、名だたる巨匠の作品への出演が多く、フィルモグラフィーの質が高い。喜劇悲劇時代劇現代劇なんでもござれ。淡島千景は日本の誇り。出演作は「麦秋」(1951・映)「にごりえ」(1953・映)「夫婦善哉」(1955・映)など。

 

安西 郷子(あんざい きょうこ 1934-2002)

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新東宝入社。後に東宝へ。浅丘ルリ子さんやオードリー・ヘップバーンにちょっと雰囲気近い。この方も俳優、三橋 達也(1923-2004)さんと結婚し、1961年に引退してしまったので、スクリーンに一番美しかった面影をとどめたまま…。ハーフといっても十分通用する彫りの深い顔立ち。大阪松竹歌劇団出身なので、スラリとしていて動きがキレイ。生粋の日本人。しかしここまで華やかで女っぽい女優さんはそういない。フィルモフラフィーには「ハワイ珍道中」(1954・映)とか「宇宙大戦争」(1959・映)とか。おそれおののく姿がまたそそる…。プログラムピクチャーの出演が多く、巨匠監督作品、大女優との共演でキャスティングが2番目、3番目…。の役が多く、しかも只の美貌じゃないものですから「あ、あの綺麗な人誰…。」と俄然気になってしまう女優さん。出演作はほかに「サラリーマン出世太閤記」(1957・映)など。

 

飯田 蝶子(いいだ ちょうこ 1897-1972)

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松竹入社。後にフリー。汚れ役、老け役役一筋の道をきわめた女優さん。いわゆる、「いい役」がない…。長屋のおかみさんとか疲れ果てた近所のおばさんとか田舎のあか抜けないお母さんとか。上流婦人の役とかが、間違ってもない。品がいいとは言えない(失礼)…。キャリアは50年。出演した映画は、生涯300本。演技力は折り紙つき。世界の小津安二郎監督(1903-1963)に見込まれ、戦前の小津作品に立て続けに出演し、「一人息子」(1936・映)や「長屋紳士録」(1947・映)では主役に起用。代表作。苦労人です。松竹では大幹部、芸能界の重鎮でありながらも演じる役柄そのままに、庶民感覚を忘れず回りを気遣うお人柄だったとか…。とにかくどの映画にも少しずつ顔を出している印象があり、まさに日本映画の宝。出演作はほかに「時間ですよ」(1970~・テ)などなど。

 

飯塚 敏子(いいづか としこ 1914-1991)

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松竹入社。美人コンテストに入賞して映画界へ。切れ長の目と豊かな黒髪で日本髪が映え、品があり流し目が美しくもあだっぽい。もっぱら時代劇専門の美人人気女優として君臨。全盛期は1930年代。当時の人気男優、高田 浩吉(1911-1998)、長谷川 一夫(1908-1984)、坂東好太郎(1911-1981)のしとやかな相手役として出ずっぱりの大活躍。サイレントからトーキーにかけて活躍し、100本以上の映画に出演したものの、散逸した作品が多く、現在目にすることができるのは「刺青判官」(1933・映)、「朧夜の女」(1936・映)、「月夜鴉」(1939・映)など、数少ないのが惜しい…。坂東好太郎と結婚し、夫の影によりそい、また戦火が激しくなったことから自然引退。子どもも役者。歌舞伎役者。

 

池内 淳子(いけうち じゅんこ 1933-2010)

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映画女優ではなく、テレビ女優でしょう。で、1960~70年代のNo.1。国民的女優でした。新東宝に入社。順調にキャリアを重ね、演技力を磨き、映画の斜陽によりテレビ界へ。ちょうど脂が乗り切った頃の転身で、蓄積した大人の女の魅力が一気に開花。今でいう不倫、その頃お昼のよろめきドラマ「日日の背信」(1960・テ)では艶っぽいことこの上なく、一気に知名度をあげ、夜は芸者、お座敷が終わると軽トラでおにぎりと味噌汁を…の、「女と味噌汁シリーズ」(1965-1980・テ)。台所に立つ着物姿・白い割烹着、おたまを持って鍋の前、お味見して湯気の向こうから笑顔が…。のおだしのCMで日本のおかあさんへと。江戸っ子で、からっと乾いたところも併せ持つ。ほかに出演作は「けものみち」(1965・映)など。

 

和泉 雅子(いずみ まさこ 1947-  )

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青春スターとして絶大な人気があった。しかし時代が変わり、活躍の場をテレビに写し、2度にわたる北極探検(1度め失敗、2度め成功)の栄光とひきかえに、可憐な魅力はなくなってしまった。そして現在も講演に登山に事業に活発な活動を続けており、垂涎の全盛時代の活躍の様子が見えにくいのはいいことなのか悪い事なのか。子役出身で、「日活三人娘」といわれた吉永小百合・松原千恵子と比べ、はかなさ、健気さはちと見劣りするものの、明朗さ、活発さ、そして賢そうで。演技力がしっかりしているので見応えのある作品が並び、出演作は浦山 桐郎(1930-1985)監督作品「非行少女」(1963・映)で世界的に絶賛を浴び、ほかにも出演作多数。歌も歌える。「二人の銀座」(1967・映・主題歌)は大ヒット。テレビ出演は「犬と麻ちゃん」(1969・テ)など。

 

市川 春代(いちかわ はるよ 1913-2004)

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映画初出演は子役。13才で、男の子役。大きくなって!?笑顔の明るさ、動作の愛らしさ。残されたスチール写真やポートレイト、グラビアなども可愛くてとてもとても微笑ましい…。「群盲有罪」、「三家族」(1934)でリアルな女性に扮し演技開眼、石坂洋次郎のベストセラーの初映画化、「若い人」(1937・映)における北国のミッションスクールに通う奔放なヒロイン、恵子は当時センセーションを巻き起こしたのだとか。歌も吹き込み大ヒット。最近、日本版オペレッタ、ミュージカル映画「鴛鴦歌合戦」(1939・映)が復刻され、当時一児の母、初産美人の名に恥じぬ可憐な姿を見ることができます。「ウルトラセブン」ではフルハシ隊員(毒蝮三太夫)の母親役。脇役で息長い活躍を続けました。出演作はほかに「君の名は 第一部、第二部、第三部」(1953-54・映)など。主に日活に所属。

 

市原 悦子(いちはら えつこ 1936-2019)

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この方はキャリアが進めば進むほど全盛期。若いうちは主役を張り、あとは徐々に…の女優さんが大多数の中、年を重ね知名度を上げ、主役を張る。凄さがじわじわと伝わってくる…。テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」(1975-・テ)での常田富士男(1937-)とのただ二人でありとあらゆる役を演じ分けるナレーションに酔いしれ、「黒い雨」(1989・映)では新劇俳優としての力量を見せつけ、テレビドラマ連作シリーズ「家政婦は見た!シリーズ」(1997・テ)では名セリフ「はいはい、見ましたよ…。」の寒気のするセリフまわしに視聴者はテレビの前にくぎ付け…。続く「おばさんデカ」シリーズ、「弁護士高見沢響子」シリーズ…。リアルな中高年女性を演じさせたら、右に出る者なし、です。

 

入江 たか子(いりえ たかこ 1911-1995)

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子爵令嬢なのです。生まれだけで恐れ入ってしまう。1927年(昭和2年)、日活に入社し、初期の出演作ではゴルフプレイシーンを披露。もう庶民あがりの女優とは格が違いすぎる。それでいて品があり、切れ長の目でプロポーション抜群で洋装が似合い、何拍子も揃った完全無欠ける所なし。内田吐夢(1898-1970)監督「生ける人形」(1929・映)では演技も絶賛を浴び、自らもプロダクションを設立し、製作・主演の「滝の白糸」(1933・映)では着物姿もまたよし。世紀の美男美女の共演・饗宴!?長谷川一夫(1908-1984)との「藤十郎の恋」(1938・映)にはただただため息…。戦後は病気やご時世で御苦労されて。「怪談佐賀屋敷」(1953・映)出演の顛末とその後のストーリーも、有名。美人も苦労するんだ。。。。

 

岩下 志麻(いわした しま 1941-  )

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日本映画界の奇跡!美魔女などという下世話な表現が気恥ずかしい。今なお誇り高く気品匂い立つ。気性の激しい女性があたり役で、これは情の深さの裏返し。正統派のヒロインを演じれば悲しみも喜びもこぼれ落ち、きらきら輝いて。そして自分に厳しかったからこそ70才を超えてなお美人女優の座に君臨し続ける。素顔はのんびりおっとりだとは聞くのですが。ひとたびスクリーンに現れればオーラは輝きわたり。「10年に1人の人材だ」と折り紙をつけた小津安二郎監督は去り、周りが守り磨き上げ、その期待に存分に応え、ずっと松竹の大黒柱。怖さと気迫が語り草の映画があるのはもちろんわかってますが、ちょっとへそ曲がりに3作、出します。「切腹」(1962・映)、「秋刀魚の味」(1962・映)、「心中天網島」(1969・映)など。

 

上原 美佐(うえはら みさ 1937-2003)

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「隠し砦の三悪人」(1958・映)1作のみ。黒澤明監督に見いだされ、監督自ら「雪姫」を演じて見せ、身振り手振りセリフ回し。その通り演じたとか。この映画の後、2年くらいは映画に出ていて、人気スターでしたが、きっぱり引退。この雪姫が、日本映画屈指のヒロインでして。この映画を基にあの「スターウォーズ」が作られた、とのことで。つまり上原美佐はレイア姫。よりも露出度の高い、ホットパンツ(太ももが見える短袴)であぐらをかいて、きっと鋭い瞳で見つめる泥だらけの顔。世が世なら、お姫様。今は落ち武者とともにお家再興を賭ける…。野生とエロティシズムと気品と熱情と爽快さを併せ持つヒロイン。1作のみで忘れられない、映画史に残る女優さんは数あれど、上原美佐はとっておきの中のとっておき。

 

歌川 八重子(うたがわ やえこ 1903-1943)

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大正から昭和にかけての人気女優。大スター、栗島すみ子に似ている。松竹に入社したものの、これでは、と、心機一転、1923年(大正12年)帝国キネマに移り、松本泰輔(1895-没年不詳)とコンビを組み、次々とヒットを飛ばし、「東の栗島、西の歌川」と謳われ、人気を競った。…栗島すみ子についてはけっこう、資料情報、残っているのですが、人気を競ったとはいえ。今日足跡をたどるのが難しく、38才で引退。わずか40才で亡くなっていて、没年はともかく、死因も不詳。これが松竹と帝国キネマの差なのか、栗島と歌川のスターとしての格の差なのか…。どちらも、ですね。きっと。出演作は主演は「金色夜叉」(1924・映)「マダム・ニッポン」(1931・映)など。脇に回って「静御前」(1938・映)。いずれもサイレント映画です。

 

梅村 蓉子(うめむら ようこ 1903-1944)

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下町娘に始まって、目を疑うかのごとき妖婦・ヴァンプに変身を遂げたサイレント映画末期の演技派。日本のヴァンプはあくまにしとやかに。胸に狂気と情念を込めて。真綿で首をしめるかのようにぎりぎりと、じりじりと男を破滅に追い込んでいく…。新派を経て松竹入社のちに日活・フリー。「紙人形春の囁き」(1926・映)で人気に火が付き、「足にさはつた女」(1926・映)でエロティシズム全開。舞台経験もあって難なくトーキーに移り、「祇園の姉妹」(1936・映)では準主役、次第に脇に回ることとなり、映画のロケ先(京都丹波山中)で、盲腸炎となり、搬送もできず、わずか40才で世を去ります。今の日本では信じられませんが…。溝口健二監督が、なきがらにふるえ声でかけた言葉は「満足でしょう。仕事場で死んだんだから。」

 

浦辺 粂子(うらべ くめこ 1902-1989)

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おばちゃん女優、おばあちゃん女優として有名。お坊さんの娘さんが女優になりたくて旅回りしたり、コーラスガールになったり。下積みの苦労も厭わずあちらの劇団、こちらの一座と渡り歩いた末に、日活の新劇ならぬ旧劇女優に。「清作の妻」(1924・映)ほかでヒロインを演じ、性格俳優としての地位を固めるものの、花の命は短い。30才の時、楽屋でお化粧していて、目じりのシワに気が付いた。よし、これからは老け役でいこう。と決めて、以後脇役一筋。火事による火傷が元で世を去る直前まで現役であり、出演した映画は60有余年で300本以上。バラエティでも歯に衣きせぬ物言いで人気者だった。出演作は他に「生きる」(1952・映)「赤線地帯」(1956・映)など。

 

江波 杏子(えなみ きょうこ 1942-2018)

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今でこそ物わかりの良い姑さんの役などされていますが、お若いころは都会派。クールな美人。釣り目気味で顎が細く、モデル並みのプロポーション。大映に入社。始めの頃は準主役。ヒロイン(若尾文子とか)と二人並ぶと、美貌の違いがより際立ち、お二人とも、お美しい…。17本に及ぶ大映の看板シリーズ、「女賭博師シリーズ」(1966-1971・映)中、登り竜のお銀で大ブレイク!緋牡丹お竜の藤純子と妍を競った。(観客は大喜び!)「稲妻きらめく闇の中、音でよみとる壺の中!罠にはまった昇り竜!昇り竜の銀子が嵐の中の大勝負に挑む!」お色気あり。人情あり。任侠あり…。大映倒産後はフリーとしてテレビ・舞台・CMでも大活躍。出演作はほかに「ザ・ガードマン」(1965-1967・テ)「津軽じょんがら節」(1973・映)など。

 

江利 チエミ(えり ちえみ 1937-1982)

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一家を背負って立った15才の少女はたった45才で死んでしまった。戦後、進駐軍のキャンプまわりで鍛えられ、「テネシーワルツ」(1952・レコード)大ヒットで第一線に。美空ひばり、雪村いづみとともに「3人娘」と呼ばれ、人気絶頂。「ジャンケン娘」(1955・映)に3人揃って出演。「サザエさん」(1956・映)は映画のみならず、テレビドラマになり舞台化される。高倉健(1931-2014)と結婚・離婚、身内の横領、暴露でスキャンダルに巻き込まれてそれでも舞台にステージ八面六臂の大活躍。不慮の死は事件性はなかったものの(脳卒中と嘔吐による窒息)あまりに突然すぎた。明るく親しみやすくも庶民的な個性。キャリアの始まりはジャズ歌手でしたが、芸域は広がり続け日本のポップ・シーンを彩り、女優としても大成。

 

及川 道子(おいかわ みちこ 1911-1938)

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なで肩で、抜けるように色白だったのでしょう。佳人薄命とはこういう人のことを言うのでは…。残されたはかなげな写真を見ていると、胸が痛む…。はたちそこそこで結核を患い、病を押して映画出演を続ける。恋人は幼ななじみで編集者・作家の渡辺温(1902-1930)。道子の病ゆえに二人の仲は許されず、あろうことか、温は事故死。ハードな撮影は病身の身には酷過ぎた。ほどなく松竹を退社。26才で結核のため、亡くなります。クリステャンで父母は社会主義活動家。知的で清楚な、モダンな次世代の大型清純派女優として地位を築いた矢先に、力尽きて倒れてしまった。痛恨の名花。出演作は「港の日本娘」(1933・映)「真白き富士の根」(1935・映)「家族会議」(1936・映)など。

 

扇 千景(おおぎ ちかげ 1933-2023)

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女優さんとしてより議員さまの活動の方が断然長くて圧倒的なのですが、女優さんにならなければ政界進出もなかった。宝塚出身。当時、宝塚に籍を置きながら映画出演ができたので主に東宝作品に出演。可憐な娘役として多数の映画に出演するものの、「できちゃった婚」で現四代目 坂田 藤十郎(1931- )と結婚。梨園の妻に。男の子を2人産んで梨園の妻の役目を果たし一旦は家庭に入ったものの、次々声がかかり、ドラマにCMにテレビ司会。政界に進出し参議院議長(2004-2007)にまで昇りつめ、御主人は人間国宝。息子たちも歌舞伎役者として活躍し、孫もできて、お家は安泰。…こんな人もいるんですね~。出演作は「夜霧の女」(1956・映)「大奥」(1968・映)「3時のあなた」(1973-77・テ・司会)など。

 

大川 恵子(おおかわ けいこ 1936-  )

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1956年東映ニューフェイス第3期生となる。同期には里見浩太朗・桜町弘子など。1957年から映画出演。和服が似合い、しっとり高貴で清潔な美貌で桜町弘子・丘さとみとともに「東映城のお姫様」と呼ばれた。出演した映画は全盛期の東映時代劇の主演男優の相手役がほとんどで、主役は「姫君一刀流」(1959・映)のみ。端正な二枚目、大川橋蔵(1929-1984)との共演が多かった。1962年、24才で一般人と結婚、引退。出演作はほかに「雪之丞変化」(1959・映)「赤穂浪士」(1960・映)など。武家娘とか、お姫様とか、良い役ばかり。ステレオタイプの役をこなし、飽き足らず自己主張する女優さんもいますけど、満足してきっぱりと潔く去る。気品ある美貌のひとには、それもまた似合う…。

 

大倉 千代子(おおくら ちよこ、1915-没年不詳)

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帝国キネマほか、のち日活入社。サイレント時代の時代劇スター。小柄(身長140cm台)でそれでいてしっとりと女らしく、代表作は夏目漱石原作「虞美人草」(1935・映)。新時代の男を翻弄するヒロイン、藤尾とのコントラストも鮮やかな古風で控えめな小夜子役。日本初の女性監督(坂根田鶴子)作品「初姿」(1936・映)では貧しい家に美貌に生まれついたばかりに芸者に出され、好きな人とは添えず、年の離れた金を持った男の元に心ならずも嫁いでいく…、とのストーリーです。日本映画の金字塔、「浪華悲歌(1936・映)では山田五十鈴扮するヒロイン、アヤ子の妹役。昭和の大横綱、双葉山(1912-1968)との秘めたる恋人としてもその名をとどめます。

 

大空 眞弓(おおぞら まゆみ 1940-  )

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振り出しは新東宝。しかしブレイクしたのはテレビドラマ「愛と死をみつめて」(1964・テ)。不治の病に侵され「マコ」「ミコ」と呼び合い、手紙を交わし、愛し合いながらも死んでしまうヒロイン…。主な活躍の場はテレビ。時代劇よりは現代劇。ノーブルな正統派美女なので悪女役よりは奥様役。出演作もホームドラマとかの印象が先に立ち、目を奪うような毒々しい役ドラマチックな役柄が浮かんでこない。テレビはお茶の間で見るもの…なのは高度成長の時代の一つの特徴なのかも。後年、舞台にも進出し、キャリアは途切れなかった。私生活では病気したり離婚したり子どもが逮捕されたり苦労も多そう。出演作はほかに「ありがとう」(1970・テ)など。

 

丘 さとみ(おか さとみ 1935-  )

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東映ニューフェイス第2期生。桜町弘子・大川 恵子とともに「東映城のお姫様」と呼ばれた。丸顔で、お姫様女優でありながら屈託なく、無邪気で笑顔が可愛い。親しみやすく、「大川恵子は恐れ多い。好きだったのは丘さとみ。」の声多し。写真集も出ています。結婚していったん引退して、離婚後少し復帰はあったものの(たちまちオファーが殺到したといいますから人気と現場での信頼がしのばれる)、再婚後は家庭第一。芸能活動はセーブしているご様子。人柄も気さくで、映画関係のイベントなどでトークショーなどを開催し、往年のファンを喜ばせています。出演作は「旗本退屈男」(1958・映)「あの空の果てに星はまたたく」(1962・映)「武士道残酷物語」(1963・映)など。

 

岡田 茉莉子(おかだ まりこ 1933-  )

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水もしたたるいい男、世紀の美男俳優、岡田時彦(1903-1934)の忘れ形見、一人娘。東宝ニューフェイス第3期生。のちフリー、松竹。キャリア初期の小津作品とかではバタくさい、モダンな当世風のお嬢さんみたいな役でしたが、キャリアを重ねるにつれ、美貌は研ぎ澄まされ、父の血を受け継ぎ、ややエキセントリック。一歩侵しがたいエロティシズム。御主人が吉田喜重 (1933-  )で、松竹ヌーヴェルヴァーグを担った前衛監督なのです。「秋津温泉」(1962・映)が出会いのなれそめ、結婚後は御主人と二人三脚、そして出演作も意欲作が増え、昭和・戦後を彩った大女優として君臨するという言葉がふさわしい。出演作はほかに「流れる」(1956・映)「香華」(1964・映)など。

 

岡田 嘉子(おかだ よしこ 1902-1992)

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出た映画云々より、ドラマティックすぎる人生になってしまう。しかし取り上げない訳にもいかない格と知名度。とにかくエネルギッシュ、スキャンダルまみれの人生(結婚前に子どもを産むとか相手は結婚を望むが振り切るとか妻子ある人と次々恋に落ちるとか借金の肩代わりとか)。結局恋人と旧ソビエトに出奔。恋人は銃殺。長い抑留生活を経て、おそらくは絶対に余計なことはしゃべるな。と厳命されての謎の微笑みとともに里帰り…。映画そのものは、サイレント時代なのですが激情のひとにふさわしく、感情移入がすさましく、時を経てもなお語り草の女優さんです。出演作は「大地は微笑む」(1925・映)「日輪」(1926・映)「彼をめぐる五人の女」(1927・映)など。

 

小川 眞由美(旧小川 真由美)(おがわ まゆみ 1939-  )

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文学座出身なので新劇の正統派。しかし出世作「孤独の賭け」(1963・テ)や「二匹の牝犬」(1964・映)ではセンセーショナルな話題が先行し(裸のラブシーンとか復讐のためにパトロンに体を差し出すとか昔トルコ今ソープ嬢とか)あっけらかんと我が道を行く爽快さ。触れてみたいが火傷するかも。しかしそれもまた良しかも…と悩んでしまうひと癖あるエロスがあだっぽく、胸ときめかせた当時の青年たちは今も熱く当時を語る。「女ねずみ小僧シリーズ」(1971-77・テ)は時代劇。お色気を振りまきながら悪に怒りキャッツ・アイのごとき女盗賊ぶりが楽しかった。大胆さを内に秘めたセクシーな大人の女。熱演型。自分の意志で男を目的のために誘惑する役があたり役。近年、得度したとのニュースがかけめぐり。どこまでもびっくりさせられたりして。

 

乙羽 信子(おとわ のぶこ1924-1994)

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宝塚から大映、のちフリー。「愛妻物語」(1952・映)と「原爆の子」(1952・映)の乙羽信子の健気なこと可愛いこと。「百万ドルのエクボ」と呼ばれ、ものすごい美人とか、そういうのではないのですが、野に咲く花のように清楚で、純情可憐で、健気で賢くて…のお手本のようだった。ところが本人はそれではあきたりない。と新境地を求め、大スターがこんな役を!?の汚れ役(「裸の島」(1960・映)で離島で農業に励む妻とか「絞殺」(1979・映)では夫が思い余って子どもを殺し失禁する妻とか)ともとれる作品に立て続けに出演し、結果年齢を重ねても手応えのある役柄が多く、日本映画史にその名を刻む存在に。新藤兼人(1912-2012)との長年の忍ぶ恋、50才を過ぎて晴れて結婚。の純愛ドラマ・二人三脚の映画人生でも有名。

 

か行

 

加賀 まりこ(かが まりこ  1943-  )

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驕慢さいっぱい。歯に衣着せぬもの言いと奔放な生き方が周りを振り回し、おそらくは自分も傷ついてきた人生。デビューしたての頃は、ロリータのはしりでくるくる輝く瞳。、怖いもの知らずの小悪魔で生意気で。でもそれでも演技はキラキラ輝いて。ただただ見とれるしかない。「和製ブリジッド・バルドー」と呼ばれ、本家本元は隠遁してしまったけど。長いキャリアは、加賀まりこの常識人・仕事人としての一面を物語ります。大人の女の階段をのぼり、過激な小悪魔は女の色気と性を加えてより大輪の花を咲かせ、老け役に回ってもなお美しく、トークは今なお寸鉄人を殺す勢いは衰えず…。17才でデビューしてトップでありつづけ、日本のBBは今や芸能界の大ベテラン。大重鎮。出演作は「涙を、獅子のたて髪に」(1962・映)「美しさと哀しみと」(1965・映)「泥の河」(1981・映)など。

 

香川 京子(かがわ きょうこ 1931-   )

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新東宝入社。後フリー。美しい大和撫子であり、今井正、成瀬巳喜男、小津安二郎、溝口健二、黒澤明と、ものすごい顔ぶれの監督作品に立て続けに出演。そしてメロドラマ・青春ドラマ・歴史劇・社会派ドラマと代表作のジャンルが多岐にわたり、上品・堅実・控え目、芯はしっかり、フェミニンで清純派匂い立つ娘役・人妻役で戦後の日本映画黄金期を彩った。結婚後少しブランクはあったものの(ご主人と一緒にアメリカへ)徐々に復帰し、笑みをたたえた変わらずスレンダーな姿。大女優なのに気取らずおっとりとしたたたずまい、ハングリーさが感じられないのにもかかわらず、キャリアは輝かしすぎる。「ひめゆりの塔」(1953・映)「東京物語」(1953・映)「近松物語」(1954・映)など。

 

笠置シヅ子(かさぎ しづこ 1914-1985)

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女優というより本業は歌手なのですが。しかし映画にももちろん出演しているし、日本の戦後史を語る上で絶対外せないシンボリックな存在。戦争の傷跡まだ癒えぬ1947年。「東京ブギウギ」は、騒々しい。決して美人ではない。笠置シヅ子が大口あけて笑い、激しく踊り、歌う。歌詞は破天荒、そして弾むメロディー。圧倒的なエンターテイナーぶりで暗い時代に旋風を巻き起こした。
実際の笠置シヅ子は、愛する人との結婚は許されず、それでも歯をくいしばって産んだ娘を抱いて、楽屋で泣いていたという…。
自分の思い描くステージはもう無理だ、と悟るときっぱり歌手活動をやめ、女優、歌番組の審査員として息長く活躍。出演作は「醉いどれ天使」(1948・映)「銀座カンカン娘」(1949・映)など。

 

梶 芽衣子(かじ めいこ 1947-  )

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最近はすっかりお顔が丸くなって、柔和な笑顔でいらっしゃいますが、全盛期は刺すようなまなざし、細面、細い顎のライン…、60~70年代のセクシーかっこいい女路線を突っ走った。で、日活ニューアクション(日活消滅前にあだ花のように現れたアクション映画の一群)「野良猫ロックシリーズ」5作(1970~71・映)、東映に移り「銀蝶シリーズ」2作(1972・映)、「女囚さそりシリーズ」(1972~73・映)、次いで東宝の「修羅雪姫シリーズ」2作(1973~1974・映)で大活躍。クエンティン・タランティーノ監督は梶芽衣子の熱狂的ファンで、監督作品「キル・ビル」は「修羅雪姫」のオマージュだと公言したことから、一気にリバイバル!主題歌も歌っているし、テレビでは「鬼平犯科帳シリーズ」(1989~・テ)の密偵おまさ役がはまり役。

 

樫山 文枝(かしやま ふみえ 1941-  )

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NHK朝の連続テレビ小説、「おはなはん」(1966・テ)で日本中に大センセーションを巻き起こし、今なお朝ドラNo1は「おはなはん」と断言される。元気が良くて、天真爛漫で、それでいてはにかむような微笑み。人生山あり谷あり。生き抜いていく女の一代記…。大人気で電車にも乗れない(昔は朝ドラのヒロインは電車で1人で通勤していたんだ…)、と本人はおっとりとおっしゃられ。もともとは舞台女優。なので国民的女優になってからの映画・テレビ出演はさほど多くない。堅実に舞台を勤め上げ、御主人は俳優の綿引勝彦(1945- )さん。ずーっと仲睦まじく、日々の精進が大切だと丁寧にインタビューに応える姿。本物のお嬢様って、きっとこんな方。(哲学者とか大実業家を輩出したお家柄)出演作はほかに「天と地と」(1969・テ)「国盗り物語」(1973・テ)など。

 

桂木 洋子(かつらぎ ようこ 1930-2007)

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松竹歌劇団から松竹へ。バンビちゃんのようなうるうる~っと濡れた瞳。笑顔も頼りなげで。エロキューションも愛らしい。日本人はもともとこの手の清純派・純情派・可憐なタイプが好み。オードリー・ヘップバーンしかり。吉永小百合しかり。夏目雅子しかり。この3人とくらべ、桂木洋子はスイートな魅力は群を抜き、当時のトップアイドルでありました。大作曲家、黛敏郎(1929-1997)と結婚し、ほどなく引退してしまった。とはいえ活躍期間は18才から33才。巨匠たちに愛され、多数の作品に面影を残し、老け役、汚れ役がないまま、女学生から若妻まで。死因、没年月日は伏せられたまま、ひっそりと訃報が伝えられました。出演作は「破れ太鼓」(1949・映)「醜聞」(1950・映)「台風騒動記」(1956・映)など。

 

叶 順子(かのう じゅんこ 1936-  )

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大映所属。大変に目鼻立ちがはっきりしていて、そしてその美貌に影がある。どことなくフランス女優、その翳りが「細雪」(1959・映)「痴人の愛」(1960・映)など、谷崎潤一郎原作作品に似合う。一方「温泉芸者」(1963・映)などという弾けてしまう作品でもまた別の一面を見ることができ、人気はうなぎのぼり。京マチ子・山本富士子・若尾文子に続く逸材!のはずだったのですが。10年たらずの女優活動で、人気絶頂であっさり引退。なんでも目を悪くして撮影の強烈なライトを浴び続けては失明の恐れあり。とのことで休養せざるを得ず、結婚して、そのまま表舞台から消えたとのこと。女優業も大事だし、勿体ないけど、幸せでいてくださればと…。なお、同性同名のAV女優さんがいます。少し考えてから芸名を付けてほしい。。。

 

香山 美子(かやま よしこ 1944-  )

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「銭形平次」(1970-1984・テ)での平治の妻、お静役が有名です。和服が似合い、美人で賢く、何気なくも色っぽく、気配りできて夫を立て、どうか無事でお帰りをと出がけに玄関で火打石を打つ…。いいですねぇ~。。
とはいえ、人柄まろやか、何でもできる。赤線廃止をここまでほんわかのほほん描いた映画もそうない…「にっぽんぱらだいす」(1964・映)、人妻のよろめきあり旧家の令嬢あり水商売の女性あり。映画が下火になるとスムーズにテレビ出演を続け、良き妻、恋女房役が代表作。結婚は1回でずーっと仲睦まじく。ここぞ!のインパクトの強い役というより、その時その時の自分に合った、観客の憧れを集める役をずーっと演じづけている。出演作はほかに「江戸川乱歩の陰獣」(1977・映)など。

 

川上 貞奴(かわかみ さだやっこ 1874-1946)

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明治~大正初期、欧米でまず名をあげ、「近代日本の女優第一号」の称号を持つ。こう言っては何ですが、お写真見る限りにおいては特別美人とかオーラ満開。には見えないけど…。生家は没落、座敷にあがれば伊藤博文、西園寺公望に贔屓にされ、1900年、パリ万国博覧会に参加すればロダン、ジイド、ピカソ、ドビュッシーと物凄い顔ぶれが貞奴の演技とエキゾティシズムに夢中になり、最初の夫、川上音二郎と死別した後、初恋の人、「電力王」の異名を持つ福澤桃介(福沢諭吉の娘婿)と名古屋の「二葉御殿」と呼ばれた豪邸で終生一緒だった。邸宅はサロンさながら、訪れた税財界の要人は口ぐちに貞奴の美しさ・才気と桃介と貞奴の仲睦まじさに目を見張った…。さぞかし、魅力に満ちたお人柄、女ぶりだったのでしょう。

 

川崎 弘子(かわさき ひろこ 1912-1976)

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松竹入社。ご覧のとおりの楚々とした憂いを含んだ和風美女。戦前の都会派女優・美人女優として確固たる地位を占めた。「天国に結ぶ恋」(1932・映)は実話に基づく心中もので、事件後1ヶ月のスピード公開もあって社会現象並みの大ヒット。明治の西洋画の不朽の名作「海の幸」作者青木繁(1882-1911)の忘れ形見、作曲家、福田蘭童(1905-1976)との結婚も世間を揺るがす大騒動に…。(蘭童が川崎弘子を強引に誘い、撮影所長に「責任をとれ」と一喝され、蘭童は妻と離婚して川崎弘子と結婚した)出演作はほかに小津安二郎監督、初期のスラップスティックコメディ「淑女と髭」(1931・映)、生々流転の人妻の運命やいかに?大ヒットしたメロドラマ「人妻椿」(1936・映)など。

 

川田 芳子(かわだ よしこ 1895-1970)

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松竹蒲田撮影所設立と同時に美貌を見込まれて入社。第1作「島の女」(1920・映)に出演。川上貞奴の一座で修業し帝劇の舞台を踏み、松井須磨子の舞台にも参加した新派の本格派。、大正から昭和初期、日本映画の創成期に清純派の女優として大人気・大活躍。新潟の踊りのお師匠さんの娘で、おしとやかな立ち居振る舞い。日本髪が似合い、色白の新潟美人。可憐、和風、しかし内に強さを秘めた娘役は、続いて母もので観客の涙をしぼり、高峰秀子のデビュー作、野村芳亭監督(1880-1934)の「母」(1929・映)は代表作。ほかに出演作には「明け行く空」(1929・映)などがある。生涯独身で、死の翌日に大家に発見され、和服の袂には「人気第一位 川田芳子」の新聞の切り抜きが入っていたとか。

 

岸 惠子(きし けいこ 1932-  )

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日本の誇り、日本の奇跡の女優さん。80才を超え、今なおみずみずしくエレガンスを振りまく。松竹入社、のち有馬稲子、久我美子とともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立。「女湯が空になる」と評されたすれちがいラジオドラマの映画化、「君の名は」(1953・映)真知子役で空前の人気スターとなり、馥郁としたきらめく女らしさはあまたの監督たちに愛され、名作・佳作に次々と出演。と思えばあっという間にフランス人の映画監督、イヴ・シャンピ(1921-1982)と結婚し、パリに行ってしまい、日本の男性と映画界に地団太を踏ませる。日本とパリを行き来しながら、子育て・離婚を経て小津安二郎なら原節子、溝口健二なら田中絹代、市川 崑(1915-2008)なら岸惠子。本を書けば玄人筋からも絶賛を浴びています。出演作はほかに「早春」(1956・映)「細雪」(1983・映)など。

 

岸田 今日子(きしだ きょうこ 1930-2006)

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お馴染みはアニメ「ムーミン」(1969~・テ(アニメ・声優))ムーミントロールの声。夢の谷、ムーミン谷に住む人々のファンタジー。岸田 今日子と言えば、まず声。ムーミンももはや岸田今日子と切り離しては考えられず…。しっかりとした唇。切れ長の目。細面で、透き通るような肌。浮世離れした存在感と独自の妖艶さとエロティシズムは、誰も真似のできない、ユニークすぎるファム・ファタールぶり。大ヒットしたテレビドラマ「男嫌い」(1963・テ)で男を「むしる」(←この番組で流行語になった。後映画化)。日本の戦後文学の雄の映画化「砂の女」(1964・映)ではシュールレアリズムを具現化するミューズとなり、舞台での名演も数知れず。誰もが一目置いた、ユニークすぎる名女優。

 

北沢 典子(きたざわ のりこ 1938-   )

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新東宝入社、フリーへ。後東映。清純派。別名「新東宝のお姫様」。とはいえ、可憐なたたずまいは下町娘や武家娘にこそふさわしいとの声も。代表作は「怪談累が渕」(1957・映)「亡霊怪猫屋敷」(1958・映)「東海道四谷怪談」(1959・映)。そう、怪談映画。おどろおどろしい映画だし、登場人物もみな一癖ある人たちばかり。の中でただ一人。ぱっと光がさしたかのようにきれいな女優さん光り輝く。恐れおののき、惑い、泣き崩れ、事件はおこり、こわいこわいコワイ結末へと…。ゆえに印象はひときわ鮮やか。プロ野球選手と結婚し、しばらく現場から遠ざかりましたが、娘さんも女優。映画祭のトークショーなどにも顔を出し、可憐な瞳の輝きは、今もそのまま。

 

北林 谷栄(きたばやし たにえ 1911-2010)

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最初から最後までおばあちゃん役で、老け役女優多しといえど、「大誘拐~RAINBOW KIDS~」(1991・映)。齢90で出演した映画のかっ飛びぶりはものすごかった。衣装はみんな自前で、日本各地、ひいては海外まで、朝市とかで町のおばさんが着ているのとか古着とか、足で集めて役柄に併せて選んだのだとか。総理大臣の妻から南国に物売りまで、老婆の役ならなんでもできる。宇野重吉(1914-1988)や滝沢修(1906-2000)らと民衆芸術劇場を設立し、舞台もまたライフワークであり代表作は「泰山木の木の下で」(1963~2003・舞)、「となりのトトロ」(1988・映 声優)でもカンタのおばあちゃん役で出演。ああ、功績をいくら数え上げても終わらない…。満98才で大往生。

 

北原 三枝(きたはら みえ 1933-  )

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松竹入社。後日活に移籍。御存じ、昭和の大スター、石原裕次郎(1934-1987)夫人。もともと裕次郎の映画界入りのきっかけは、「北原三枝とキスできるんだぜ」だったとか。第二作「狂った果実」(1956・映)で宿願!?は叶い、二人は共演、1960年には会社の大反対を押し切り、海外に逃避行。結婚。新妻は引退。天下のスターが我が物とした美女は長身のクールビューティ。都会派で理知的でセクシーで…と残されたスチール写真の表情にも20代なのに「別格」の風格が現れている。御夫君と共にたまさかかいま見る姿を待ち焦がれた人は数知れず。裕次郎死後、事業を受け継ぐ形で現在はプロモーション業。出演作はほかに「嵐を呼ぶ男」(1957・映)、「陽のあたる坂道」(1958・映)など。

 

京塚 昌子(きょうづか まさこ 1930-1994)

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戦後のテレビの「日本のおかあさん三大女優」といえば森光子。山岡久乃。そして京塚昌子。ふくよか・恰幅が良くて、和服に白い割烹着が良く似合うおかあさん。しっかり者で、いつもきびきび働いていて、おっちょこちょいで、お節介で、お人よしで、涙もろくて。そして一家の太陽で。出演作は「カミさんと私」(1959-1972・テ)、「肝っ玉かあさん」(1968-1972・テ)、「ありがとう」(1974-1975・テ)など。CM・映画にも大活躍。大当たりしすぎ、寅さん同様イメージが固まりすぎていますが、もちろん、秘めた恋の話、新たなジャンルをと挑戦し続けた役柄。新劇女優を貫き通した激しい気性。とともに歴史に名を刻む存在。50代の若さで病にたおれ、長い11年の闘病生活の末亡くなっています。

 

京 マチ子(きょう まちこ 1924-2019)

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大阪松竹少女歌劇団の娘役。つまりダンサー出身。悩ましい肢体。大映入社。キリっと眼が見開いた妖艶さと官能美。「私は肉体派よ!」と高らかに言い放ったというほとばしるエネルギーと大胆さが戦後の焼け跡から立ち上がった現代ムスメのたくましさをあらわしていた。なにしろ出演作は「羅生門」(1950・映)「地獄門」(1953・映)「雨月物語」(1953・映)。出る作品出る作品、次々と海外の映画祭で賞を受賞し、「グランプリ女優」と評されたっていうんですから…。耐え忍び、よよと泣くヒロインには向いてない…。しとやかな姫を演じれば神々しく、娼婦を演じればしたたかでたくましく、男を翻弄しつくして…。年を重ね、母役、刀自役も怪しく輝く存在感は衰えず。

 

清川 虹子(きよかわ にじこ 1912-2002)

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日本の偉大な喜劇女優の一人。豪快で、侠に富む。ドタバタ喜劇で笑わされるけど、哀しさも哀れさも垣間見せる女傑。1942年、東宝社長の弟と結婚し引退したが、5年後死別。「財産目当てに結婚したんじゃない」と遺産1億円を寄付し、カムバック!エンタツアチャコ、森繁久彌、伴淳三郎と戦後日本の錚々たる喜劇役者をタッグを組んで多数の映画に出演。主人公に入れ込む女親分とか、屋台を引いている夫婦が生き別れになった娘を探し当てるとか、女社長の一代記とか。キャリアの長い演技力確かな重鎮なので「サザエさん」(1956・映)ではサザエの母、フネ役、「緋牡丹博徒」(1968・映)では女組長、「楢山節考」(1983・映)では70歳にして濡れ場を演じ、ここぞの期待と映画の重みに欠かせない脇役でした。

 

霧立 のぼる(きりたち のぼる 1917-1972)

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宝塚の娘役出身、新興キネマを経て東宝へ。映画史的には、28才の若さで大陸の地に散った天才監督、山中貞雄(1909-1938)の遺作、日本映画史に燦然と輝く「人情紙風船」(1937・映)、白子屋お駒としてその名は永遠。フランス人形のような日本人離れした可憐な容姿と世の女性に夢を与えるスィートな出演作品群で1930年代の人気は凄まじかった。本領発揮は「お嬢さん」(1937)、「四ツ葉のクローバ」(1938)など、自信満々、天真爛漫ないいトコのお嬢さん。美人なんですが演技的には口の悪い人は「白痴美じゃないか」とかおっしゃられ、戦後は新派に身を投じ、苦労も多く、2回の結婚もうまくいかず、娘を海外に送り出し、たった一人でわずか55才で睡眠薬の飲み過ぎで亡くなりました。佳人薄命…。

 

久我 美子(くが よしこ 1931-  )

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旧華族。正真正銘の侯爵令嬢です。世が世なら!?映画になんか出なくても…。たった15才の女の子が、東宝ニューフェイスの選考に通り、一族総出の反対を押し切っての映画界入り。決定打はもちろん「また逢う日まで」(1950・映)。暗く苦しい戦時下の時代、久我美子のかんばせには後光がさして見え、当時のタブーを破ったガラス越しのキスと空襲で命を散らすいたましさ。日本映画史の珠玉の1本。高貴・気品にあふれ、清潔可憐なクール・ビューティでありました。「白痴」(1951・映)では原節子とがっぷり4つに組み、「にごりえ」(1953・映)ではお姫様どころか女中役。映画全盛時代を過ぎるとテレビドラマにも多数出演。御夫君、平田 昭彦(1927-1984)との仲睦まじさも有名です。

 

草笛 光子(くさぶえ みつこ 1933-  )

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80才を過ぎ、第一線。現役で活動はアクティブ。しかも十二分に美しい…。見る影もなく”劣化”と揶揄され、最早人前から姿を消したまま…、のお歴々との違いすぎる違いは、いったいどこから。松竹歌劇団から松竹、後東宝、そしてフリーへ。レビューとショーで華麗な容姿と歌唱力が映画界入りのきっかけ。そして個性が明快で陽気、顔立ちもくっきりはっきり、大柄で軽やかな身のこなしは、メロドラマよりも喜劇が似合う。東宝喜劇のセクシーな浮気相手役が定番。年齢とともに要所要所を締める大御所の役で出演作は途切れない。一方、テレビのバラエティ形式「光子の窓」(1958-1960・テレビ)の成功でお茶の間での知名度をあげ、また日本のミュージカル界の草分けでもある。己に厳しく、自らを律し、挑み続ける姿に、ただただ脱帽。出演作は「続・社長道中記」(1961・映)「私はシャーリー・ヴァレンタイン」(1991・舞)など。

 

久慈 あさみ(くじ あさみ 1922-1996)

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宝塚歌劇団出身。淡島千景、南悠子(1923-2013)とともに「東京の三羽烏」と謳われる。新東宝「ブンガワンソロ」(1951・映)では、インドネシア人の娘を演じたんですから…。個性は華麗かつダイナミック。映画「チャッカリ夫人とウッカリ夫人」挿入歌、「チャッカリマンボ」(1952・歌)が大ヒット。紅白出場を果たし、知名度を不動とした後、東宝へ。東宝喜劇、「社長太平記」(1959・映)に始まる「社長」シリーズでは、社長役、森繁 久彌(1913-2009)の恐妻・鬼嫁役でとして22本中28本に出演。色っぽく、一癖も二癖もありそうな男どもを!?たじたじにさせるオーラと芸は、久慈あさみならでは。時代劇・現代劇問わず、壺ふりの姿も社長夫人も歌い踊る姿もすべて良し!

 

久保 菜穂子(くぼ なおこ 1932-  )

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柳生新陰流の剣道場主の娘。もちろん本人も剣道をたしなむ。聞いただけでさわやかな風が流れるような…。新東宝に入社。長身で、日本人離れした小顔!、均整のとれて逞しくも肉感的なボディ。で、顔は楚々とした大和撫子でしっとりと、かつ健康的なエロティシズムがこぼれ落ちる…。一時期、あの、ヤナセのキャンペーンガールもしていたという。元祖レースクィーン!?「女王蜂」(1958・映)の女賭博師・お竜役、「女王蜂の怒り」(1958・映)の女組長・ゆり役は続く任侠女優陣の「緋牡丹お竜シリーズ」、「女賭博師シリーズ」、「銀蝶シリーズ」の先駆けでありました。新東宝が傾いたあとは東映、フリー。結婚でいったん引退したものの、夫と死別後にカムバックし、映画にテレビに活躍は続きました。

 

栗島 すみ子(くりしますみこ 1902-1987)

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「日本のメアリー・ピックフォード」と呼ばれ、ファンに愛された邦画界のビッグネーム中のビッグネーム。大正10年、松竹入社。昭和12年に引退するまで松竹を代表する大スターであり、現代劇専門。華々しい美貌。演じる役はかわいそうな女の子娘が嫁が運命にもてあそばれよよと泣き崩れる…物語。観客は紅涙を絞る。見た目は美少女でも気性の激しさは折り紙つきでどんな過酷な条件や監督の要求にもこたえ、少女のころから鍛えた日本舞踊の素養と巡業公演で鍛えた火花散る演技力…。が見る者を圧倒したというにふさわしい。引退後は、水木流舞踊の家元として、弟子は数万人。出演作は「虞美人草」(1921・映)「生さぬ仲」(1921・映)「船頭小唄」(1923・映)など。

 

栗原 小巻(くりはら こまき 1945-  )

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吉永小百合好きはサユリスト、栗原小巻好きはコマキスト。もともとはバレリーナをめざしていたのだとか。一癖ある女優さん全盛であった1960年代後半~70年代前半の、奇跡のような、救いのごとき、絵に描いたような正統派の美人女優。吉永小百合は映画生まれの映画育ち。栗原小巻は舞台女優育ち。栗原小巻は作品のためなら、自分が納得できる作品であれば。体当たり、のめりこみ具合が凄まじく、熱演型。純愛映画でひときわ輝き、「忍ぶ川」(1972・映)の抒情あふれるベッドシーンは今でも語り草…。どこまでも正統派であり、作品もテーマが遠大であったり、骨太な作品多し。近年は舞台での活躍が多い。出演作は「三人姉妹」(1968・舞)「忍ぶ川」(1972・映)「黄金の日日」(1978・テ)など。

 

桑野 通子(くわの みちこ 1915-1946)

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日本のグレタ・ガルボと呼びたい。え、原節子さんでは、との声がかかりそう。いいじゃないですか、日本には2人、ガルボがいる。まず活躍時期が短い。1934-46年の、たった12年間。(子宮外妊娠で31才の若さで死去)。そして20代の若さでありながら役柄が落ち着いており、侵しがたい気品と風格と知性を表現し、ずば抜けたスケールで観客を圧倒しつづけたこと。もともとはダンサー出身で、桑野通子目当て(チケット制で指名したダンサーと踊れる)の男性で、赤坂溜池のダンスホール「フロリダ」はあふれかえったとも…。帽子を斜めにかぶった洋装姿などこれが日本!?これが80年前!?が信じられないほどに洗練されていて、ウットリ見とれるばかり…。出演作は「男性対女性」(1936・映)「新女性問答」(1939・映)「兄とその妹」(1939・映)など。

 

桑野 みゆき(くわの みゆき 1942-  )

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桑野通子の忘れ形見。もっとも桑野みゆきが3才の時、母の桑野通子は亡くなってしまったのですが…。美貌としては母には及ばないながら、1960年代の若者の爆発するエネルギー、破天荒で無軌道な暴走。松竹ヌーヴェルバーグの時代を切って落とした「青春残酷物語」(1960・映)の燃え盛るエネルギー炸裂!は斬新だった…。しかし、「あんな役では…」(夜遊びの末同棲したり美人局やゆすり、逮捕。それでも二人は別れられず、男は死に、女も死ぬ。)とお父さんが難色をしめし、常識人としては誠にもっともながら、女優としては惜しい選択を迫られ、ほどなく結婚し、引退。出演作はほかに「赤ひげ」(1965・映)も代表作に「大根と人参」(1965・映)など。

 

木暮 実千代(こぐれ みちよ1918-1990)

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松竹入社。キャリアは戦前からながら、全盛期は絶対、戦後。ヨダレをたらさんばかりの大人の女の色気と艶やかさを放った名花。結婚・引退を経てカムバックしてから。戦争のあと、復興のつち音と希望を告げる大スタンダード「青い山脈」(1949・映)の気風のいい芸者さん役が新境地。こう言っては何ですが、太ってる…。ハリウッドのサイレント時代のヴァンプなどは「この人のいったいどこが良くて…。」状態の大スターがあまたいる中、肉置きの豊かさこれほど魅力的なものだとは。「祇園囃子」(1953・映)で開眼。「25才以下の方は、お使いになってはいけません!!本当のお化粧は、30才から!!」 のキャッチコピー、で知られる「ジュジュ化粧品CM」(1950・CM)。日本の女優のCM出演、第1号。大大大大スターです。

 

越路 吹雪(こしじ ふぶき 1924-1980)

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宝塚歌劇団出身。東宝入社。後フリー。東宝所属時は映画出演作も数多く、レコード、ミュージカルとバイオグラフィーが数え上げればきりがない。しかし白眉はやはり1969~80年まで続いた日生劇場でのリサイタル。名前でお客を呼べる大エンターテイナーであり、チケット入手が最も難しいステージの一つだった。「愛の讃歌」(1952・シャンソン)「ラストダンスは私に」(1961・シャンソン)「サン・トワ・マミー」(1964・シャンソン)など、現在に至るまでのスタンダードであり、フランスのシャンソンを世に知らしめた。男役出身。豪快でさばさばした個性、同性に好かれる個性でありながらも、ろうろうと女心を歌い上げ、作曲家の御主人、内藤法美(1929-1988)とは56才での早すぎる胃がんによる死の日まで、仲睦まじかった。

 

琴 糸路(こと いとじ  1911-1956)

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大都映画の名花。大会社(松竹とか東映とか)の古い映画は残りますが、小さな会社のそれは…。大都映画は1933年におこり、低コスト多作品、徹底した娯楽追及路線で快進撃を続けるものの、戦時色濃くなりゆく時代の波に飲み込まれ、国策で大映に吸収合併され、その歴史は終わった。琴糸路は大都映画では男優女優通じての別格で、観客の涙を絞るメロドラマ女優。日本舞踊で鍛えた所作や立ち居振る舞い、うりざね顔に鈴を張った瞳と紅の映えるやや厚の唇と、早撮り連日の撮影にも負けず、観客の期待に応えた気迫と実力の底力が熱っぽい演技に滲み出、大映に移ってもスターの座を守り続けた。引退後は結核で若くして亡くなりました。出演作は「唐人お吉」(1930・映)、「維新の曲」(1942・映)「鞍馬天狗横浜に現わる」(1942・映)など。

 

小山 明子(こやま あきこ 1935-  )

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松竹入社。のちフリー。正統派の美人女優であり、知名度も抜群でありながら、どうしても御夫君の映画監督、松竹ヌーヴェルバーグの旗手、大島 渚(1932-2013)の妻としてばかり取り上げられることが圧倒的に多い。そしてキャリアがさあ、開花、の絶好の時期に松竹を退社し、社会派の意欲作や問題作に積極的に出演していくことで、映画でもテレビでもドラマをしょって立つヒロイン。の作品が、役が、知名度の割に、見当たらない…ことに気づき、改めてびっくり。夫を支え続け、御主人が脳出血で倒れれは17年にわたり介護に明け暮れ、そして看取り、今日、インタビューに答え、講演なさる姿は、お美しい。出演作は「彼女だけが知っている」(1960・映)、「白昼の通り魔」(1966・映)、「あかんたれ」(1976・テ)など。

 

さ行

 

酒井 米子(さかい よねこ 1898-1958)

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日活入社。のち松竹。のちに日活復帰。ついでフリー。大正・昭和の浪漫派の巨星、歌人吉井勇(1886-1960)は「有楽座酒井米子がいたいけの少女(をとめ)すがたをいまだわすれず」と詠んだ。新劇の舞台で修練を積み、映画界に入り、移籍、現代劇から時代劇へと転向し、紆余曲折を経て大輪の名花となった。姫君や奥方や町娘ではなく、一癖ある女。鳥追いだの物売りだの、いまのワーキングウーマン、そして過去をしょってる翳りをもち、妖艶である。仇っぽく妖艶、姐御肌・鉄火肌と称される時代劇女優は大スター酒井米子を筆頭に続々と現れ、観客は見とれ、手に汗握り喝采を送った。出演作は「青春の夢路」(1923・映)「狂恋の女師匠」(1926・映)「日本橋」(1929・映)など。

 

酒井 和歌子(さかい わかこ 1949-  )

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劇団若草出身。東宝入社。のちフリー。純情可憐な美人スター、青春スターとして活躍。全盛期は1960年代後半~70年代前半。出演作は自動車工場に勤める主人公と出会い、恋に落ちる、60年代純愛映画の傑作「めぐりあい」(1968・映)。この1作でスターダムを駆け上がり、加山 雄三(1937-)主演の「若大将シリーズ」では、「フレッシュマン若大将」(1969・映)以下5作、シリーズ後半、社会人編でマドンナ役を務め、徐々に活躍の舞台はテレビに移り、学園青春ドラマの記念すべき第1作となったテレビドラマ「飛び出せ!青春」(1972-73・テ)では、美人高校教師。癖がなく、明るく、優しく、親しみやすく、誰にでも愛される美貌の持ち主であり、今も映画にテレビにCMに、活躍中。

 

嵯峨 三智子(さが みちこ 1935-1992)

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大女優、山田五十鈴(1917-2012)の一人娘。もっとも母五十鈴は女優業にのめりこむタイプで、仕事を選び、娘を捨てる形で婚家を出ており、生涯母子の確執は続いた。母譲りの美貌にきらきらしさと奔放さが加わり、たたずまいは魔性の女でありながら夢玲瓏…。しかし実社会でも夢玲瓏のタイプで、二世女優のはしりでストレスも多かったのでしょう。金銭トラブル、薬物に手を出す、撮影はすっぽかす、海外に失踪する。地方のお店に出ているところを書き立てられる。挙句の果てには強制入院。か細い体に自らまいた種とはいえ、激動の人生は過酷過ぎ、57才の若さでタイのバンコクで客死。出演作は「こつまなんきん」(1960・映)、「恋や恋なすな恋」(1962・映)、「眠狂四郎魔性剣」(1965・映)など。

 

佐久間 良子(さくま よしこ 1939-  )

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東映入社。のちフリー。1960年代の日本映画界を代表する大スター。時代が変わり、東映での佐久間良子出演に値する映画が少なくなり、主な活躍の舞台をテレビドラマと舞台に移す。始めのころは典型的青春スター、美少女スター。「五番町夕霧楼」(1963・映)で若き僧侶との許されぬ恋に生き、自らの官能に目覚め、男は死を選び女も死…。で大絶賛を浴び、演技派・大女優の仲間入り。NHK大河ドラマでは「おんな太閤記」(1981・テ)で豊臣秀吉の妻、ねねを演じ、舞台では「唐人お吉」(1983・舞)が代表作の一つ。映画「細雪」(1983・映)では誰もが納得、次女幸子役。勤勉すぎる。正統派美人であり、印象は内省的に傾く。滲む知性と気高さと。内なるエロが匂い立つ。

 

桜町 弘子(さくらまち ひろこ 1937-  )

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昭和30年代、東映では時代劇映画が全盛で。赤穂浪士、水戸黄門、 旗本退屈男、丹下左膳、新撰組、新吾十番勝負、等々…。大定番のシリーズものが次々作られた。所詮男性映画…。そして女優さんは。「東映城のお姫様」と呼ばれ、同じような役(失礼)を延々と演じ、観客を楽しませた。「三人娘」と丘さとみ、桜町弘子、大川恵子と並んで紹介されることが多い。桜町弘子はお姫様女優との肩書はつくものの、庶民の村娘もヒーローの妹役も似合う、エロティシズムはさわやかさが持ち味。作品はほぼ脇役出演ではあるものの、とにかく出演作品は膨大であり、現在でも回顧上映会などでは往年の思い出をお話してくださるのだとか。出演作は「反逆児」(1961・映)、「車夫遊侠伝 喧嘩辰」(1964・映)、「骨までしゃぶる」(1966・映)など。

 

笹森 礼子(ささもり れいこ 1940-  )

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1960年日活入社。1965年結婚・引退。全盛期の日活青春・アクション映画には当然寄り添う美女の存在は不可欠。笹森礼子も二谷英明、石原裕次郎、宍戸錠…。ことさら、別名日本のジェームズ・ディーン、赤木圭一郎(1939-1961)との共演が忘れがたい。清楚系であり、純情系であり、フランス女優っぽい雰囲気。くりくりっとした瞳。広い額と笑顔でこぼれる歯、エラが張っていて、ちょっとオードリー・ヘップバーンみたい。そして近寄りがたいオーラというよりは、あくまで可愛く、60年代前半のファッション・シルエット・ヘアスタイル・メイクアップ…。一時は浅丘ルリ子さんと並び称される上り坂の若手スターでしたが、結婚を機会にすっぱり引退。がいかにも納得できるパーソナリティだったとのこと。出演作は「美しき別れの歌」(1960・映)、「紅の拳銃」(1960・映)、「早射ち野郎」(1961・映)など。

 

五月 信子(さつき のぶこ 1894-1959)

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1921年松竹入社。川田芳子・栗島すみ子・五月信子は「蒲田三羽烏」。川田芳子は耐え忍ぶ芸者、栗島すみ子は純情可憐な娘役。そして五月信子はヴァンプ型。「嬰児殺し」(1924・映)「灼熱の恋」(1924・映)…タイトルだけでも、売り出す路線に察しが付く…。そしてハリウッドのヴァンプ、ゼダ・バラのように、どの写真もくっきりと目回りが黒く縁どられ、良く言えばドラマティック。悪く言えば一種異様…。そして日本ではどうしても純情可憐が受ける。…をとらえた帝国キネマが、大金を積み、松竹から五月信子を引き抜いた!当時の大スキャンダルでした。しかし新興の会社は長く続かず、各社の映画に出演したり。一座を立ち上げて全国、海外を巡業したり。出演作はほかに「高橋お伝」(1926・映)など。

 

小夜 福子(さよ ふくこ 1909-1989)

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昭和10年代、絶大な人気を誇った宝塚歌劇団のレジェンド。男役。それも逞しくも豪快な男役ではなく、ちょっと中性的な、繊細な美青年役で一世を風靡した。普段の着物姿の写真などは、なで肩の楚々たるきゃしゃな美少女で、一見男役には見えない…。で、女性っぽさが少ない分、透き通るような男役が似合う。葦原 邦子とともに全盛時代を築いた。結婚・出産・戦争を経て、新劇の舞台に出たり、脇役で映画にテレビに顔を出し、どうしても映画出演は中年以降の通り一遍の母役、姑役になってしまうのですが、気品の高さは当然ですし、あまりのビッグネームに、取り上げずにはいられない…。出演作は「青春」(1934・舞)「東へ帰る」(1942・舞)「嵐を呼ぶ男」(1957・映)など。

 

沢村 貞子(さわむら さだこ 1908-1996)

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日活、東宝、後フリー。脇役一筋。で、1929年に新劇を志し、1989年女優業引退。その間、60年。父は狂言作者、兄と弟と甥も役者。大学を出てプロレタリア演劇に傾倒し、二度の逮捕を経験している。1946年、ダブル不倫を経て大橋恭彦(1910-1994)と夫婦となる(籍が入ったのは1968年)。あまたの映画で手堅い演技を見せ、著書も数多く、戦前の浅草の風俗、真心こめて作る手料理の鮮やかさ、あくまで夫を立て夫によりそうライフスタイル…。美人女優ではない。去り際も潔く、女の生き方について、女優という枠を乗り越え、沢村貞子ほど忘れえぬ印象を残し、襟を正す心境に至れる人は、そういない。出演作は「赤線地帯」(1956・映)「となりの芝生」(1976・テ)など。著書は「私の浅草」(1977・著書)など。

 

沢 蘭子(さわ らんこ 1903-2003)

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松竹、日活、帝国キネマ、後フリー。芳紀16才の美少女が親に反対され、ままならぬ恋。思い余って身を投げる…。なんてことない映画で、出来そのものも大したことない…。はずですが。大衆受けするストーリー、ヒロイン沢蘭子の憂いに満ちた美少女ぶり。哀愁漂う挿入歌のメロディー…で映画「籠の鳥」(1924・映)は超超メガヒット。主題歌は風紀カクランの恐れあり!?と歌唱禁止令まで出たのだとか。沢蘭子はその後映画会社を転々とし映画出演を続け、引退後子爵様。近衞 秀麿(このえ ひでまろ、1898年11月18日 - 1973年6月2日)に見初められ、一女をもうけるものの愛児を栄養失調で失うなど、不幸もありましたが、99才で大往生。主演作はほかに「恋慕地獄」(1924・映)「女殺油地獄」(1936・映)など。
逢いたさ見たさに 怖さを忘れ暗い夜道を ただ一人逢いに来たのに なぜ出て逢わぬ僕の呼ぶ声 忘れたかあなたの呼ぶ声 忘れはせぬが 出るに出られぬ 籠の鳥

 

山東 昭子(さんとう あきこ 1942-  )

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参議院副議長(第27代)を務め、当選7回。今や大政治家としての名声が、前身である女優・タレントのそれを大きくしのぐ。ラジオドラマ「赤胴鈴之助」(1957-1957・ラ)のナレーターを経て東宝へ。おきゃんで勝ち気なキャラクターを活かして脇役クラスで数多くの映画に出演した。で、時代はテレビへ。フリーとなり、司会業に活躍し、「クイズタイムショック」(1969・テ)に出演するや、博識なこと回転の早いこと。立て続けに高得点をたたき出し、5週連続勝ち抜いて「クイズの女王」と呼ばれる。才媛ぶりを田中 角榮(1918-1993)に見込まれ、32才の若さで参議院全国区に立候補、当選。その後も政界で華々しく御活躍。映画出演作は「天下の快男児 万年太郎」(1960・映)など。

 

志賀 暁子(しが あきこ 1910-1990)

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この方も映画出演というよりスキャンダルで名を残す。1936年、堕胎罪で逮捕されたのです。まったく、なんで女ばかりが責められなきゃいけないんだ。喧嘩両成敗!?じゃないですか。新興キネマ入社。のちフリー。「霧笛」(1934・映)「情熱の不知火」(1935・映)で妖艶&セクシーな役を演じてまさに人気絶頂の時に逮捕され、男は結婚をほのめかすも妊娠がわかると遠ざかったとか。妊娠8ヶ月の堕胎でスター志賀暁子とわかるや恐喝されただの、どろどろしている…。罪は罪としても、同情の声も大きかった。懲役2年、執行猶予3年。「美しき鷹」(1937・映)で映画復帰。新興キネマ退社の後も舞台や映画に出演し、戦争、結婚、夫を肺病で失い、戦後も切れ切れながらも映画出演を続けました。

 

島崎 雪子(しまざき ゆきこ 1931-2014)

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終戦直後の暗い日本の空気を振り払った映画「青い山脈」(1949)で原節子が演じた女教師の役名をそのまま芸名に。がうなずける、目鼻立ちがはっきりした彫りの深い美貌。そして準主役級での出演が多いものの、「めし」(1951・映)(倦怠期の夫婦の日常をかき乱す若い娘)「若い人」(1952・映)(ここは主役。奔放な女学生)「七人の侍」(1954・映)(強奪を防ぐため人身御供として差し出され、菊千代らに助け出され、夫と再会するも放心状態のまま山中に姿を消す…)をはじめとする日本映画の黄金時代の殿堂入り名作に印象深い役で立て続けに出演しているため、「あの綺麗な人は誰…!?」とついつい気になってしまう女優さん。シャンソンを歌い、紅白に出演したこともある。銀座にシャンソンのお店を出していたこともある。

 

白川 由美(しらかわ ゆみ 1936-2016)

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東宝入社。「日本のグレース・ケリー」のキャッチフレーズで売り出された。とにかく腰の位置が高い!!!脚線美!!!小顔!!!そして正統派美人で清楚かつクール&知的な美貌で、文句のつけようがない。当時の東宝の路線もあいまって、特撮もののヒロイン、勝ち気なOL、不倫の人妻、サスペンスからコメディまで、決定打はないものの本数多い。日活の二谷英明(1930-2012)と結婚し、現トライグループ代表取締役にして元女優、二谷友里恵(1964-  )をもうけ、活躍の場をテレビに写し、品の良い、格の高い美貌は健在のまま、良き妻良き母、得難い女優として活躍。出演作は「サザエさん」(1956・映)「空の大怪獣ラドン」(1956・映)「家族ゲーム」(1983・テ)など。

 

杉田 弘子(すぎた ひろこ 1934-1992)

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松竹入社。デビューは1954年。そして1961年に結婚・引退。その後一切人前に姿を現さず、その死さえ、明らかになったのは1年後。カルト的ファンのいる映画「つゆのあとさき」(1956・映)の主演女優として名を残す。言わずと知れた原作は文豪、永井荷風(1879-1959)。戦前のカフェーの女給さんのお話で。まあ、困った人です。男から男へ渡り歩き、情もなければ心ここにあらずの上の空。…の日本のヴァンプを、容姿端麗の、大柄で黒目が濡れたように輝き、彫りが深く、一種怪しい雰囲気を漂わせた新人女優が体当たりで演じ、無垢でありながら自堕落な女の抒情の余韻とともにその熱気は今も語り草。出演作はほかに「娘三羽烏」(1957・映)「三人姉妹」(1959・映)など。

 

杉村 春子(すぎむら はるこ 1906-1997)

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日本のありとあらゆる女優さんの中の頂点。神。本業は舞台で、文学座に君臨し、座員が離れても離れても若手を育て、「女の一生」(1953・舞)「欲望という名の電車」(1953・舞)など、ロングランの舞台を演じ続け、その都度金字塔を打ち立てる。誰もが憧れ、仰ぎ見ながらも届きえない、絶妙の演技は、日本映画の黄金期を担った巨匠たちに三顧の礼をもって招かれ、出る名画出る映画、全てが「この映画の杉村春子」とその都度映画史にその名を刻む。最後に舞台に立ったのは90才。出演映画は「東京物語」(1953・映)を筆頭として、多数。後継者といわれていた太地喜和子が急逝し、報道陣が「後継者を亡くされて…」と声をかけると、「後継者?後継者になるかどうかは50歳を超えてみないと分からないわよ」と切り口上で言い捨てたという。激しさ、きつさ。いつも張りつめていた。これも、女の一生。

 

杉 葉子(すぎ ようこ 1928-2019)

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「青い山脈」(1949・映)の寺沢新子役でしょう。国土は壊滅し、父は、息子は戦地に連れ去られ、戻ってこなかった。今日を生きていくだけで精いっぱい。敗戦国の屈辱。惨めさ…。の中から突如現れた、健康そのものの屈託のない少女。時代は変わった。原節子の絶頂期の微笑とともに、杉葉子は颯爽と現れ、男子学生と屈託なく言葉を交わし、テニスに興じ、惜しみなく水着姿を晒した。どれほど衝撃的だったか…。どうか想像してみてください。一陣の爽やかな風が、降りきたった。結婚してアメリカに渡り、ホテルに勤めたり時々映画に出演したり会合に姿を現したりと、今も近況が時折伝えられます。出演作はほかに「めし」(1951・映)「山びこ学校」(1952・映)など。

 

鈴木 澄子(すずき すみこ 1904-1985)

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キャリアが長く、会社の移り変わりが激しい。時代劇専門。大正活映、小笠原プロ、東亜キネマ、帝国キネマ、マキノプロ、河合プロ、市川右太衛門プロ、再び帝キネ。マキノプロでチャンスをつかみ「いろは仮名四谷怪談前後編」(1927・映)のお岩役がスターへの足がかり。帝キネ以降、サイレント時代が最盛期であり、大スター。そして日本のヴァンプ。毒婦・妖婦専門。「高橋お伝」(1929・映)で毒婦・妖婦なら鈴木澄子と観客を唸らせ 、「佐賀怪猫伝」(1937・映)は、スリラーのジャンルに化け猫もの、と日本映画に新たなジャンルを切り拓いた。映画の創成期、女性が、女優が主演をつとめる時代劇。間違いなく鈴木澄子が最初であり、偉大なる先達の一人。

 

角 梨枝子(すみ りえこ 1928-2005)

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藤本プロ、松竹、新東宝、大映。…ハーフではないのか、とあちこち調べてみましたが、記録はない。広島出身で、被爆者でもあります。
真っ赤なこぼれる蘭の花のようなひと。昭和20~40年代、この手のフェイスは「バタ臭い」と呼ばれることも多く、その美貌でデビュー作から注目を浴び、肢体も堂々たるもの。「山の彼方に」(1950・映)で颯爽と現れた姿は衝撃的だった。ダイナミックで、イタリア女優とかを連想してしまう。ちょっと木暮美千代よりの豊満な美貌ときらめく瞳がまぶしい…。美人・知的・エロティックと3拍子揃い、松竹・新東宝時代が全盛期で、大映では脇に回り、テレビドラマにも数々出演。円熟の美もまた良し。ほかに出演作は「山の音」(1954・映)、「放浪記」(1954・映)など。

 

千石 規子(せんごく のりこ 1922-2012)

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東映、東宝、また東映。亡くなる間際まで現役であり、おばあちゃん女優の印象が強いものの、脇役専門でキャリアは半世紀に及ぶ。市井に生きる、片隅に生きる、ぶっきらぼうで、ふてくされているかのような。リアルであり、地に足のついた演技は女が嫌いな1?黒澤明監督が殊のほかお気に入りで、三船敏郎より千石規子の方が黒澤監督作品の出演数が多い。名バイブレーターなので、巨匠の作品にまんべんなく出演しており、三白眼でぎょろりとこちらを睨みつける視線に、古き日本の映画を数多く観ていけば覚えてしまう女優さん。もちろん、晩年はテレビにバラエティにも、大活躍。出演作は「醉いどれ天使」(1948・映)「雲のじゅうたん」(1976・映)「たけしくん、ハイ」(1985・映)など、多数。

 

園井 恵子(そのい けいこ 1913-1945)

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原爆投下の日、たまたま所属していた劇団「桜隊」は広島にいた。被爆し、8月21日に32才で没。宝塚歌劇団出身で、大スター、阪東 妻三郎(1901-1953)の相手役に大抜擢された「無法松の一生」(1943・映)に出演。人力俥夫の松五郎が密かに思慕を寄せ続ける未亡人をどこまでもしとやかに。これこそが大和撫子なのだと打ち震えてしまう。泣きたいほどの清らかさで演じ切り、映画は日本映画屈指の名作と絶賛され、面影は永遠に後世に残った。戦時公債のPRの際の飛行機事故で、33才で亡くなったのはアメリカのブロンド・ヴィナスにしてソフィスティケイティッド・レディ、キャロル・ロンバード。園井恵子の気品と格の高さと傷ましい最期…。日本のキャロル・ロンバードと呼びたい。

 

た行

 

太地 喜和子(たいち きわこ 1943-1992)

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飛びっきり無邪気で、色っぽくて可愛くて。現れただけで現代の夢の女。ファム・ファタールのオーラが光り輝く。もちろんあまたの男性と浮名を流し、愛して愛して愛しぬき…。「一番愛していたのは三國連太郎(1923-2013)さん。」なぜ私と別れたの?との質問には「あなたに溺れすぎた。これではいけないと思った。」ですから~。かくして手違いでこの世に降り立った天女は自動車事故であっけなく、いなくなってしまった。破滅型で破天荒で、艶っぽさでは天下無敵。文学座が誇る杉村春子に次ぐ看板であり、出演作はその都度絶賛の声。出演作は「藪の中の黒猫」(1968・映)、「男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け」、(1976・映)「白い巨塔」(1978・テ)など。

 

高杉 早苗(たかすぎ さなえ 1918-1995)

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松竹入社。16才でデビューしてハタチで引退してしまった。残されたスチールには10代とは思えぬ風格が漂う。戦前の日本映画の最高の美人女優の一人。それも、モダンガール路線。明るくて、華やかで、元気で健康的。加え、知的でスマートで…。当然「隣りの八重ちゃん」(1934・映)、「家族会議」(1936・映)、「朱と緑」(1937・映)とビックヒットを立て続けに連発し、人気絶頂。のときに三代目 市川段四郎(1908-1963)と結婚し、梨園の妻となり、戦中戦後の混乱期を経て銀幕に復帰したのは生活のためだったそうですがファンにとってはうれしい限り。徐々に出演作を減らし、再び梨園の妻として夫を支え続けた。御子息の元お嫁さんが浜木綿子(1935-)さん、お孫さんが香川照之(1965-)さんです。

 

高千穂 ひづる(たかちほ  ひづる  1932-   )

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宝塚歌劇団出身、松竹入社、のち東映。再び松竹。「俺がルールブックだ。」との名言で知られる二出川 延明審判(1901-1989)のお嬢さん。「東映城のお姫様女優」の初代にあたる。(ちなみに千原しのぶ、田代百合子と並び称されることが多い。) 「ヒャラ~リヒャラリコ~」ではじまる大評判のラジオドラマの映画化、「笛吹童子」(1954・映)の無垢にして愛らしい姿は世の少年たちの心をかき乱した。次々と生み出された黄金時代の時代劇にせっせと出演(本人談:200本以上)し、おっとりと夢をみているかのような美貌であまたの映画を彩り、「張込み」(1958・映)など現代劇にも新境地を見せるが、結婚後、引退。出演作はほかに「異母兄弟」(1957・映)など。

 

高峰 秀子(たかみね ひでこ 1924-2010)

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日本の偉大な女優のトップ3に入る。松竹、東宝、新東宝、のちフリー。5才で飛び入り参加したオーディションで選ばれて映画界入り、10代・20代・30代・40代・50代と全ての時代で第一線にあり、その都度巨匠・名監督に愛され、出演作は名だたる名作ぞろい。御曹司なんかと結婚したくない、と当時無名(失礼)の監督・脚本家、松山 善三(1925-2016)との挙式は清々しく、夫を立て、家庭をきりもりするさまは楽しげで。1950年代から著書を次々と発表し、こちらも高い評価を浴びて…。最後の映画出演は1979年。映画に生き、映画に終始したことも特筆すべき。出演作は「綴方教室」(1938・映)、「カルメン故郷に帰る」(1951・映)など。著書は「わたしの渡世日記」(1975・著作)など。

 

高峰 三枝子(たかみね みえこ 1918-1990)

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戦前戦後にかけての松竹のトップ女優の一人。筑前琵琶の家元のお嬢様。映画界入りした当初から高貴な美貌は群を抜いていた。気高い美貌、高嶺の花でありながらも気取らず、なおもふんわりやわらかさがある。作中、余興のつもりで!?歌ってみれば、たちまち大評判となりスカウトがかかり、歌は大ヒット、あてこんで映画は次々作られる。「暖流」(1939・映)での令嬢役は、当時の老若男女問わず女性としての憧れであり、戦後も「懐しのブルース」(1948・映・主題歌)でなお健在。司会業「3時のあなた」(1968~1973・司会)は女優の司会の草分けであり、1980年代、同じく松竹のトップ俳優であった上原謙とのJRの共演CM「フルムーン」でなおも話題を振りまきました。

 

高山 広子(たかやま ひろこ 1919-没年不詳)

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日本には化け猫映画なんてジャンルもありますが、タヌキ映画というジャンルもあるのです。1930年代から60年代にかけて、かなりの本数が作られている。高山広子は「阿波狸合戦」(1939・映)、「狸御殿」(1939・映)で知られるこの分野の先陣を切った映画の主演女優。和製オペレッタ、今でいうミュージカル。映画のストーリーは他愛ない。しかし歌あり踊りあり。民謡あり盆踊りらしきレビュー場面あり。セットはある種虚構の世界のお話なのであっけらかんときらびやか。ハリウッドミュージカルを思わせるダンスシーンあり…、と、とても楽しいエンターテイメント。高山 広子はこれらの映画に出た後も芸名を変えたり、会社を移ったりして映画出演を続けたものの、1965年の映画出演を最後に、現在は消息不明。

 

滝花 久子(たきはな ひさこ 1906-1985)

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日活入社。「厳頭の謎」(1925・映)で主役に抜擢され、明朗さと初々しさ、華やかな女らしさで人気は急上昇。一時は天真爛漫の魅力で夏川静江・入江たか子、頂点の大スターに迫る勢い、宵の明星のごとく。1931年、監督、田坂 具隆(1902-1974)と結婚。一時休業するものの、3年後に復帰。その後は母役、脇役、老け役ひとすじ。ことに1940~1950年代、上品な母役、家刀自役での出演が実に多い。脇役一筋と思われがちですが、華々しい時もあった。役柄も似通ったものが多くなってしまうかわりに、あれ、この映画にも。あれ、こっちにも。の楽しみがあります。御夫君とは生涯添い遂げました。出演作はほかに「蒼氓」(1937・映)、「華麗なる一族」(1974-75・テ)など。

 

橘 公子(たちばな きみこ、1921-  )

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日活多摩川、日活京都、大映京都、大映。昭和10年代が全盛期で残された写真は洋装が多く、みな頬が高く、ぷっくりしていてそれでいて顎は細い。そして笑顔は元気溌剌。明るくて元気で健康なお嬢さんそのもの。はじめは現代劇で頭角を現し、滝口新太郎(1913-1971)(二枚目俳優、出征しシベリアに抑留され岡田嘉子と結婚し、岡田嘉子は滝口新太郎の遺骨を持って日本に里帰りした)とのコンビで青春スターとしての地位を固めてからジャンルを変えて時代劇のお姫様役・娘役。新しい映画会社に移ろうとし、結局設立は流れ、引退。大映復帰後は息長く脇役として映画にテレビに出演し、キャリアには誰もが目にし耳にする名作傑作がずらりと揃う。長年の功績は誰しも認めるところ。出演作は「制服を着た芸妓」(1937・映)「三味線武士」(1939・映)「山椒大夫」(1954・映)など。

 

田中 絹代(たなか きぬよ 1909-1977)

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1924年松竹入社。「絹代ちゃんは、カンの良いひとだった。私は必ず大スターになると思いました。」目から鼻にぬける賢さと親しみやすく愛らしい個性であっという間にスターダムに上り詰め、「花も嵐も踏み越えて…」のフレーズとともに「愛染かつら」(1938・映)の大ヒットは社会現象とまで言われ、代表作とした。戦後、外遊から帰国後、投げキッスなどして世論で叩かれたりしますが、溝口健二監督のミューズとして「西鶴一代女」(1952・映)「雨月物語」(1953・映)に出演、世界的名声を獲得し、第二の黄金期到来。その後は監督業に進出したり、老け役で賞を受賞したり、死のその日まで君臨し続けた。入魂・気迫の鬼気迫る熱っぽさは大女優の証です。

 

田村 奈巳(たむら なみ 1942-  )

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東宝入社。のちフリー同い年の浜美枝、星由里子とともに「ペットのように可愛い」ことから「東宝スリーペット」と呼ばれ、「日本一の若大将」(1962・映)、「早乙女家の娘たち」(1962・映)、「馬鹿と鋏」(1965・映)などに出演。60~70年代の特徴であるくっきりはっきりの眼差しが凛々しく可愛く、普通のOL役などが多いものの、何しろ東宝なので、怪獣特撮ものにもかなり顔を出しており、テレビのウルトラマンやウルトラセブンにも多数ゲスト出演があり、「あの美人はいったい誰!?」との声が繰り返しあがる。1973年、結婚し、一旦引退するものの1985年に復帰。近作は「大誘拐〜Rainbow kids〜」(1991・映)での柳川英子役。当時の共演者と仲良くトークショーなどにも顔を出してくれたりします。

 

丹阿弥 谷律子(たんあみ やつこ 1924-  )

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この方も脇役専門。あ、また出てる、のアクの強い個性や、見せ場でぎらぎらっと場面をさらうのではなく、あくまで普通の人間がスクリーンにいて、内側には屈折が…といぶし銀の魅力といいますか。本領は舞台。文学座出身でありながら飽き足らず、三島由紀夫とともに新劇団結成、そこも脱退してまた新劇団…。と秘めた感情の激しさをうかがえる。ゆえに映画会社には属さず、フリーで映画出演を続け、テレビドラマでの老け役、おばあちゃん役で大活躍。それもきれいめ、清楚系、セレブ系。夫君は悪役名優、グルメで知られた、金子信雄(1923-1995)主演作は「サド侯爵夫人」(1965・舞)、「生きる」(1952・映)、「信子とおばあちゃん」(1969・テ)など。

 

団 令子(だん れいこ 1935-2003)

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1957年東宝入社。日本が一番元気だったころ、キュートな魅力、パワフル全開!「アンパンのへそ」と称された60年代を代表するファニーフェイス。むっちりとほどよく肉付きが良く、屈託なく気安く声をかけられそうな。そして一緒にいて楽しそう…のガール・ネクスト・ドア。「大学のお姐ちゃん」(1959・映) にはじまる「お姐ちゃんシリーズ」という女子大生もの。青春コメディで中島そのみ、重山規子とともに泣いたり笑ったり。大人気で8作作られ、名実ともに東宝の看板娘となった。芸域を広げ、「小早川家の秋」(1961・映)、「赤ひげ」(1965・映)と巨匠の作品にも起用され、高い評価を浴びたものの、結婚後ほどなく74年に引退。息子さんは団優太(1967-2006)さんで、90年代のトレンディ・ドラマで活躍した俳優さんだったんですが、お母さんの団令子さんが亡くなった後ほどなく、自殺しちゃったんですね…。

 

千葉 早智子(ちば さちこ 1911-1993)

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1933年、東宝の前身であるPCL設立。PCLのスター女優第一号。由緒正しき生まれ育ちでお琴の腕は新日本音楽運動をおこした尺八の先生に見込まれ、アメリカで腕前を披露したほど。おまけに細面で華やかな容姿。深窓のお嬢様育ちなので品の良さは邦画の歴史の中で1・2を争う。邦楽のみならず洋楽もできる。「音楽喜劇 ほろよひ人生」(1933・映)をはじめ、映画の中では歌も歌い、さながらさえずる春の鶯のよう。あっという間に人気スターになり、当時の新進のちの大御所監督、成瀬 巳喜男(1905-1969)作品、「妻よ薔薇のやうに」(1935・映)、「噂の娘」(1935・映)に出演し、映画は高い演技力で千葉早智子の代表作となり、成瀬巳喜男監督の初期の傑作となり、2人は結婚。しかしこの結婚はわずか4年で破局を迎える。またPCLは東宝と名前を変え、新進のスターが次々と現れ、脇に回ったことを見極め、1943年引退。実業家に転身して成功を納めました。

 

千早 晶子(ちはや あきこ 1908-没年不詳)

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まず「鬼あざみ」(1927・映)など、1938年に本名に改名した長谷川一夫(1908-1984)の前芸名、林長二郎時代の最も初期の相手役である。次に「十字路」(1928・映)。衣笠貞之助監督(1896-1982)によるアヴァンギャルドなサイレント時代劇であり、邦画で初めてヨーロッパへ輸出され、高い評価を受けた作品。の主演女優として。輸出により、フィルムがロンドンに残っていたのが発見され、今なお鑑賞できるのがまた嬉しい。そして1936年、衣笠監督と結婚し、引退。そして「薔薇はなぜ紅い」(1949・映)で突然、1作だけ。ヒロインの母役でカムバック…。タイプはもちろん、弟を思い、かばい、けなげに尽くす姉娘役とか、主人公にひたすら恋焦がれる令嬢とか、時代劇の純情可憐型。

 

千原 しのぶ(ちはら しのぶ 1931-2009)

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東映入社。高千穂ひづる、田代百合子と3人で、初代「東映城のお姫様」。まさに時代劇のために生まれてきたかのような、細面のうりざね顔で古風でしとやかな美貌。声が意外とハスキーで、密かなるチャームポイント。時代劇女優として、人気も美人度も間違いなくトップクラス。片岡千恵蔵、市川右太衛門、月形龍之介、東千代之介、大川橋蔵らの相手役をつとめ、出演作は「大菩薩峠・甲源一刀流」(1953・映)、「暴れん坊街道」(1957・映)、「仇討崇禅寺馬場」(1957・映)など。二代目東映城のお姫様、丘さとみ、大川恵子、桜町弘子が育ったところ高千穂・田代は松竹に移り、千原しのぶは年増の魅力でしばらく映画出演を続けた後に引退し、実業家となりました。書道にも堪能なことは有名です。肩書は全日本書芸学院副理事。

 

司 葉子(つかさ ようこ 1934-  )

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東宝入社。山陰の名家の生まれで、映画出演したとたんに気品ある美貌で人気を集め、「紀ノ川」(1966・映)で演技の頂点を極めて各賞を総なめにして後の大蔵省事務次官、衆議院議員となる御主人と結婚。夫のために仕事はセーブしなくちゃいけないから…と引退表明こそないものの、演技の仕事からは遠ざかる…。クール・ビューティは折り紙つきだし、日本のグレース・ケリーとは司葉子のこと。品の良いお譲さんの役しか似合わず、どの写真もスチールも恐ろしいほどにすべてが決まり、美しい。出演作はほかに「乱れ雲」(1967・映)、「上意討ち 拝領妻始末」(1967・映)など。東宝ではなく松竹だったら。小津成瀬両巨匠がもう少し長く映画を撮ってくれれば。結婚などしなければ…。もっと全盛期の司葉子が見たかった。観客は、そこが心残り。

 

月丘 夢路(つきおか ゆめじ 1922-2017)

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宝塚歌劇団出身。大映、日活、松竹、のちフリー。戦中戦後の美人スター。3人姉妹がみな女優、(月丘千秋、月丘洋子)。甘い美貌で、宝塚では嫉妬と羨望の的だった。そして主演している代表作となりますと「新雪」(1942・映)、「ひろしま」(1953・映)、「美徳のよろめき」(1957・映)など。観客に夢と希望を与え、感動の涙を絞るメロドラマが多い。ほかに、自身が代表作に掲げているのは「晩春」「二十四の瞳」「華麗なる一族」。美しすぎるがゆえなのか、月丘夢路自身は自分を名作のバイブレーターと位置付けているのかも…。御主人は石原裕次郎「嵐を呼ぶ男」の監督さんで、娯楽作を数限りなく手掛けた偉大なるアルチザン、井上梅次(1923-2010)。娘さんはセレブなお料理で今やその道の重鎮、井上絵美。ジャニーズの皆さまとの親交も深かったとのお話。

 

筑波 雪子(つくば ゆきこ 1906-1977)

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松竹入社。昭和初期の美人スター。この人のバイオグラフィーを見てますと、新橋の芸者に出ていたところ、美貌を見込まれての映画界入り。「日本のバレンチノ」と呼ばれた俳優(諸口一九 1891-1960)との恋愛沙汰で松竹を辞めたり、賭け麻雀で検挙されたり、今で言うリベンジ何とか、ヌード写真をタテに恐喝されたり、結局芸者に舞い戻った。とされており、映画女優としての活躍時期も短く、どうにも暗い影が漂う。超大物だって、叩けばホコリは出るはずながら、守られてないがゆえの悲劇なのか本人のもともとの資質なのか。そして、仇っぽさ、騒ぐ血の熱さはそのまま、一般人としてはともかく女優としてはあって損はない。出演作は「黄金地獄」(1924・映)、「京子と倭文子」(1926・映)、「受難華」(1926・映)など。

 

津島 恵子(つしま けいこ 1926-2012)

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松竹入社。後フリー。「若い頃の(田中)絹代ちゃんに、よく似ている…」とおっしゃったのは御大、長谷川一夫。松竹の撮影所に通うダンス教師だったところをスカウトされて映画界入り。「安城家の舞踏会」(1947・映)、「ひめゆりの塔」(1953・映)、「七人の侍」(1954・映)。みな純情、清楚、適齢期真っただ中の良いお嬢さんであり、同性の反感を買わず、しかも女子力高い。お嫁さんにしたいタイプ。東宝の御曹司と結婚し、映画出演はしばらく途絶えたものの、テレビには時折の出演を息長く続け、おっとりと上品なお母さん、おばあさん役…。生涯、いや世を去ってなお、あの「七人の侍」の志乃役、と呼ばれ続け、また尊敬にふさわしい格を保ち続けた。

 

堤 真佐子(つつみ まさこ 1917-1976)

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PCL入社。戦前の女優さんの中でもひときわユニークな存在。まず、決して美人じゃない。なのに人気がある。美人だ、スタイル良い、そそる女だ。がない。なのに堤真佐子がスクリーンに現れるとあまりにも新鮮で、なぜか目が行く。ふわんふわんの、真っ白なマシュマロみたい。好感度バツグン。ほどよく太っていつもニコニコ、キビキビ元気…。知的だ、モダンガールだ、とひとくくりにできない、スケールの大きさがあった。出演作は「浪子」(1932・映)、「ほろよひ人生」(1933・映)、名匠 成瀬巳喜男監督初期作品「乙女ごゝろ三人姉妹」(1935・映)など。戦後もちょこちょこテレビにラジオに顔を出していた。夫君はラジオドラマ「君の名は」(1952-54)で後宮春樹を演じた北沢彪(1911-1980)。

 

坪内 美子 改名後坪内美詠子(つぼうち よしこ みえこ 1915-1985)

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松竹入社。小津安二郎監督のサイレント映画「浮草物語」(1934・映)の旅芸人、同じくトーキー映画第一弾、「一人息子」(1936・映)中、貧しいながらもつつましく上品な主人公の妻役の女優として。極め付けのおとなしめの和風美人であり、気取らず庶民的。和風でありながらモダンガールでしかもなお好感度高く、昭和10年前後の松竹の大人気スターの一人であり、歴史に残る名画に数多く名を連ねる演技派である。楚々とした古風な美人女優ですが、戦後はフリーとなり各社を渡り歩いて母親役とかバーのマダムをこなし、テレビ時代が到来すると坪内美詠子と改名し、晩年まで活躍は続いた。大和撫子の花の命は長かった。出演作はほかに「母の恋文」(1935・映)など。

 

十朱 幸代(とあけ ゆきよ 1942-  )

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お父さんも俳優さんで、一緒に行ったテレビ局でスカウトされてデビュー。好感度抜群で明るく可愛く庶民的なキャラクターと美貌で瞬く間に大人気。テレビに出演すれば高視聴率をたたき出し、CMには引っ張りだこ、乞われて上がった舞台はロングランとなり、映画では1970年代の石原裕次郎、小林旭、渥美清の相手役などをを経て1980年代には主演女優として次々に意欲作に出演して演じる役柄に深みと奥行きを加えて行った。映画会社が目を付けたニューフェイス、とは別のルートでブレイクしたこと、したたるお色気のタイプではないこと、美人は美人だけど親しみやすさが先に立つことに時代の流れを感じます。出演作は「バス通り裏」(1958・テ)、「震える舌」(1980・映)、「花いちもんめ」(1985・映)など。

 

轟 夕起子(とどろき ゆきこ 1917-1967)

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宝塚歌劇団出身。日活・東宝再び日活。「宮本武蔵 地の巻」(1937・映)のヒロインお通をさがしていた日活は、轟夕起子の明眸に注目。強引な引き抜きはスキャンダル騒ぎにまでなった。轟夕起子の美貌は当時の女優のジャンル、時代劇・現代劇、和風、モダンガール、バタ臭い…、のジャンルを飛び越えたスケールがあり、加えて女らしくはんなりやわらかでふくいくたる魅力に満ち溢れていた。黒澤明初監督作品「姿三四郎」(1943・映)での姿などはあまりの清純さに卒倒しそうです。誰もが認めた未完の超大型大器でありながら、結婚や戦争を経て太ってしまい、脇を演じる姿は、あたら名花を…と往時を知る人々を悔しがらせた。出演作はほかに「ハナ子さん」(1943・映)など。

 

な行

 

内藤 洋子(ないとう ようこ 1950-  )

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東宝入社。日本の映画界の最強の美少女。いまどきの美少女とどこが違うのかと聞かれれば、「みんな、応援してね~!」的な媚びとか私が私が的な自己顕示欲が全く感じられないところが、決定的に違う。執着のなさを示すかのように、たったハタチで結婚して引退し、永遠の美少女は下手に長いキャリアでイメージを壊すことなく目の前からいなくなった。雑誌「りぼん」の表紙モデルをつとめ、娘の買った「りぼん」に目を留めた黒澤明監督が「赤ひげ」(1965・映)に起用したのが内藤洋子。おでこが立ち、黒目勝ちの清純さと内省的さを併せ持つあどけなくも清冽な個性で代表作の「氷点」(1966・テ)は誰がリメイクしても内藤洋子にはかなわない…。との声多数。出演作はほかに「あこがれ」(1966・映)など。

 

長岡 輝子(ながおか てるこ 1908-2010)

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「おしん」(1983・テ)で重鎮も重鎮、おしんが逆境に負けない子であることを見抜き、後のおしんの人生に計り知れない影響と恩恵を与えた加賀屋の大奥様、くに役で古稀を過ぎて全国に顔と名前が知れ渡るようになった。「東京物語」(1953・映)にも出ています。笠 智衆(1904-1993)の友達の奥さん役です。もともとは舞台畑、1920年代にパリに渡り、演劇修行の後帰国。劇団を立ち上げ、演出も脚本も手掛けた。後に文学座に移り、演技力を見込まれ、1950年代から名だたる巨匠の作品に助演格で出演しつづけ、晩年は聖書や宮沢賢二の朗読に力を入れ、全国を飛び回り、2010年、102才の当時芸能界最高齢でこの世を去った。誰もが文句をつけようのない実績と格を持った素敵で知的な方。出演作はほかに「大麦入りのチキンスープ」(1964・舞)など。

 

中北 千枝子(なかきた ちえこ 1926-2005)

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東宝入社。しかし演技力を買われて度々他社出演を続ける。黒澤明監督の映画でヒロインを務めた。「素晴らしき日曜日」(1947・映)。お金がな貧しい恋人たちが肩を寄せ合って過ごす東京の日曜日の1日。続く「醉いどれ天使」(1948・映)いわくつきの前科者の妻。成瀬巳喜男監督御贔屓の名バイブレーターであり、作品には「めし」「浮雲」「流れる」など、錚々たるラインナップ。美人女優じゃない。キャラクターを立てて画面をさらうことはない。演じる役はみな訳ありでリアリティがあり、浮かず溶け込む。たゆまぬ芸の精進と努力があってこそ。美人じゃこうはいきません。「ニッセイのおばちゃん」こと日本生命のコマーシャルでは主役!です。(1969~1986)

 

中原 ひとみ(なかはら ひとみ 1936-  )

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東映入社。愛称バンビちゃん。色気はないかわりに純情可憐。小鹿のように震えるうるんだ瞳がけなげでかわいく、ガラス細工のよう。可憐な容姿で、日本人好み。そしてほのかにバタ臭さが…。「純愛物語」(1957・映)は、終戦後、戦災孤児は生きていくために、ぐれるしかない。それでも周りの助けを経て、更正していく男。原爆症の発症に怯え、苦しみ、死んでいく少女。助けたいと男は願うがかけつけた病院には空のベッドがあるのみ…。集団疎開の先生役なども演じており、少女の面影を残しながらの社会派作品が世に残り、伝えられています。夫君、江原 真二郎(1936- )と2人の子ども、家族ぐるみで出演したCM「ライオン歯磨き」(1972~)は爽やかなお母さんぶりに日本列島、また熱狂。出演作はほかに「姉妹」(1955・映)など。

 

中村 玉緒(なかむら たまお 1939-   )

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大映入社。こう言ってはなんですが、女優さんとしては脇役のポジションの方。しかし大映時代のスチール写真の中村玉緒の可愛いこと!元気な猫といった印象で、茶目っ気たっぷりの笑顔。お嬢さん育ち(親類縁者役者だらけ)だけど苦労人。夫君、勝 新太郎(1931-1997)吞む打つ吸う買う破天荒も揃いすぎ、子どもは可愛いけどトラブル続き、借金に自分や夫の病魔との闘い…。そして脇役を嬉々として演じ続け、バラエティ番組でブレイクして今や知らぬ者とてない有名女優。パワフル・ポジティブを貫いている。女優さんどうしても若いときが花。なのに玉緒さんはどこまでも右肩上がり。出演作は「赤胴鈴之助」(1957~・映)「あかんたれ」(1976・テ)「さんまのSUPERからくりTV」(1996~・テレビ・パーソナリティ)など。

 

中村 メイコ(なかむら めいこ 1934-2024)

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この方も女優さんというよりはマルチタレント。2才の時に子役デビューし、さばさばしており、残念ながらお色気やうるおいとかとは無縁であるものの、元気で明るく庶民的、目から鼻に抜ける才気煥発さであまたのラジオや映画に出演したあと、歌手になり、司会もこなし、著書をつぎつぎと発表し、声優、パーソナリティ、バラエティと活躍し続け、御主人は作曲家、神津 善行(1932- )、子ども3人、皆大成し、今なお現役で声がかかる。「私ほど幸運な人間はいないのではないか」と告白したのはかのアルトゥール・ルービンシュタイン(1887-1982)ですが、中村メイコさんも、さもありなん。出演作は「江戸っ子健ちゃん」(1937・映)「メイコのいきいきモーニング」(1991-6010・ラ)ほか、著書多数。

 

夏川 静江(なつかわ しずえ 1909-1999)

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日活入社。のちフリー。戦前サイレント時代の最大級の名花のひとり。女優らしくない女優。純情可憐、知的で清楚、おとなしやかな娘役。の第1号なのです。役柄も良家の令嬢、女教師、令夫人といったあたりがはまり役で、当時のスナップ写真などを見ると、どの写真も表情がナチュラルで美人・上品・清潔なエロティシズムが好感度高く、毒婦妖婦も良いですが、夏川静江はズバリ「お嫁さんにしたいタイプ」。戦中戦後も息長くお母さん・お婆さん役で活躍し続け、どの役もどの役も人柄をしのばせ、デビューからのイメージを損なうことはなかった。出演作は「髑髏の舞」(1922・映)「日輪」(1925・映)「椿姫」(1927・映)など。「夢千代日記」(1981~84・テ)にも出ています。

 

浪花 千栄子(なにわ ちえこ 1907-1973)

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忘れられぬ脇役女優の一人。映画、喜劇の舞台とキャリアは重ねたものの、1930年、喜劇俳優のレジェンド、渋谷 天外(1906-1983)夫人となり、いったん女優業からは足を洗う。しかし50年離婚し、声がかかって脇役で復帰。ややオーバーアクション気味の喜劇で鍛えた身のこなし、軽快な個性と真摯な人柄、これぞ関西!の存在感を示し、あっという間に引っ張りだこの貴重な存在となり、日本映画黄金期の名作にずらりと浪花千栄子の名前が並ぶ。テレビ時代が到来し、わすれちゃならない「オロナイン軟膏」のCM。(1963-)「出させてもろてます」のポーズが決まり、日本全国津々浦々、オロナイン軟膏を手ににっこりほほ笑む浪花千栄子の看板が、あふれたのでした。出演作は「祇園囃子」(1953・テ)「蜘蛛巣城」(1957・映)など。

 

奈良岡 朋子(ならおか ともこ 1929-2023)

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本領は劇団民藝の看板女優であり、故美空ひばり、故石原裕次郎などとの親交も深く、幅広い交流関係で知られ、洋画の吹き替えではジャンヌ・モローとキャサリン・ヘップバーンを担当。つまり知的女優の大物。卓抜した演技力でプロデューサー石井 ふく子(1926-)、脚本家橋田壽賀子(1925- )率いる!?「石井組」「橋田ファミリー」の筆頭に名前が挙がる女優のひとりで、知名度は主にテレビから。もちろん映画でも画面を締める脇役として永年にわたり活躍。出演作は「どですかでん」(1970・映)、東芝日曜劇場シリーズ「おんなの家」(1974-1993・テ)、「おしん」(1983・テ)など。未だ現役で、舞台公演で全国を飛び回っている。すごいなあ、さすがだなあ、とひれふすしかない。

 

野川 由美子(のがわ ゆみこ 1944-  )

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目鼻立ちがとてもくっきり。エロティシズム全開で、悪女のできるタイプ。デビューはテレビ。続いて映画出演を果たし、濡れ場も厭わぬ体当たり演技で日活時代の鈴木清順監督(1923- )のミューズとなり、「肉体の門」(1964・映)を皮切りに、コールガール、戦国時代の姫君、キャバレーの踊り子とがらっと違う役柄を演じ分け、清順映画に立て続けに出演。セクシーでありながらじめじめせず、からっとかつ艶めかしい個性は、日活、東映、東宝、大映、松竹から引く手あまた、喜劇によしテレビによし時代劇によし。出演作はほかに「桃太郎侍」(1976-81・テ)、「長七郎江戸日記」(1983・テ)など。前者女軽業師・つばめ、後者瓦版屋の女主人・おれんが代表作でしょう。良かった!

 

野添 ひとみ(のぞえ ひとみ 1937-1995)

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SKD出身。松竹入社。のち大映。清純派であり、コケティッシュである。スタイル抜群でファッショナブルでハイセンス…。若いころのブリジト・バルドーとかアンナ・カリーナの路線でしょうか。50~60年代の青春スター、アイドル女優でありました。出演作は「姉妹」(1955・映)「くちづけ」(1957・映)「巨人と玩具」(1958・映)など。なので現代劇出演が多い、夫君、川口浩(1936-1987)とはおしどり夫婦で知られ、結婚後は家庭第一、表だって引退こそないものの、出演作はテレビ・映画とも本数を絞っての出演。テレビでは司会、アシスタントなどを務めたりした。
御主人は51才の若さでがんでなくなり、ほどなく後を追うように、58才で亡くなりました。

 

は行

 

倍賞 千恵子(ばいしょう ちえこ 1941-  )

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松竹歌劇団出身。松竹入社。言わずとしれた映画、山田 洋次監督(1931- )のミューズとして、「男はつらいよシリーズ」(1969-1995・映)中、主人公、フーテンの寅さんの実の妹、さくら役。明るく、優しく、しとやか、こまやか、健気、貞淑と、母とか姉とか妹とか、日本人が終生胸に秘め、聖域として持ち続ける女性の極致を作り上げた。もちろん、さくら役だけが持ち味ではなく、「下町の太陽」(1963・映)では主題歌を歌ってヒットを飛ばし日本レコード大賞新人賞受賞し、アルバムをいくつもリリース。寅さん映画の間を縫って出演した「幸福の黄色いハンカチ」(1977・映)では高倉健と共演し、獄中の夫を待ち続ける姿は日本中を感動させ、寅さんこと渥美清死去後もますます、多方面で活躍中。

 

長谷川 裕見子(はせがわ ゆみこ 1924-2010)

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新演技座、大映、のち東映。東映城のお姫様女優の一人。ただ東映生え抜きではなく、東映入社は20代半ば。なので無邪気・可憐な姫というよりはもうすこし年かさの魅力。しっとりとした和風美人。当時東映の時代劇はおびただしい本数が作られ、シリーズものが次々登場。1年で3本も4本も作ってしまう。「大菩薩峠」(1957・映)3作、「新吾十番勝負」(1959-1960・映)4作など、時代劇の定番として語り継がれる作品に次々と出演。東映の時代劇時代の終焉とともに主な活躍の舞台はテレビへ。代表作は「東芝日曜劇場・カミさんと私」(1959-1972・テ)。長谷川一夫の姪ごさん。御主人は船越英二さん、息子さんは2時間ドラマの帝王、船越 英一郎(1960-)。お嫁さんが松居一代(1957-)。

 

花井 蘭子(はない らんこ 1918-1961)

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松竹、日活、東宝、新東宝。絵に描いたような、古風な、日本人形そのものの和風美人。ひっそりと日陰に咲く香り立つ白菊のよう。この手のタイプの極め付けは、やはりサイレント映画の時代。華々しいスターなのに、スクリーンの姿は恥じらいを秘めて、どこまでもつつましく控え目で…。ひたすらおっとり、風にもあてられない可憐な娘が浮き草の如く運命にもてあそばれる物語は観客に大受け。サイレント時代の大スターの一人です。子役出身、舞台出身であり、トーキーの波も難なく乗り切り、戦後も映画出演は続くものの、病を得、42才の若さで亡くなりました。佳人薄命の名が誠にふさわしい。出演作は「丹下左膳余話 百萬両の壺」(1935・映)、「姿三四郎」(1943・映)「細雪」(1950・映)など。

 

花柳 小菊(はなやぎ こぎく 1921-2011)

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日活、のちフリー。本職は芸者さん、になるべく小学校を出て神楽坂で芸者さんの見習い、半玉で芸の修行とお客さんのお相手を務めていたところ、可憐な美人さんぶりは際立ち、スカウトされ、映画デビュー。あっという間に人気女優に。しばらくは妓籍はそのまま、芸者さんと女優さんの2足のわらじで活躍は続き、ついに女優の道に専念。新劇も学び、演技にも磨きをかけた。花街の女性らしくはんなりと艶やかでありながら愛くるしい。鼻梁の細さ、高すぎない絶妙の高さは日本人離れしており、でも間違いなくジャパン・ビューティ、アジアン・ビューティの典型であり、演じた役柄もメロドラマ、時代劇の相手役、社会派の役も堂々とこなし、幅広い。活躍時期が長かった。出演作は「真実一路」(1937・映)「北へ帰る」(1938・映)「月よりの使者」(1948・映)など。

 

花柳 はるみ(はなやぎ はるみ 1896-1962)

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日本映画の黎明期、もともと女役は女形が演じていた。それはないだろう。と舞台経験を見込まれ、映画に出演した女優第一号。もともとは新劇の舞台女優であり、実験的な何作かの映画出演を経て舞台に戻り、ほどなく結婚・引退してしまった。残された写真も画像も、いまひとつクリアではなく、可憐な20代の姿をしのぶことは難しいものの、娘さん(瀧田あゆちさん(1955-1964))の画像は検索すると出てくる。清楚可憐知的の何拍子も揃った、自他ともに認める日本のキャリアウーマンのさきがけだったとか。お母さんの花柳はるみさんの聡明さと明眸を譲り受けたのだと思いたい。出演作は「深山の乙女」(1919・映)「生の輝き」(1919・映)「白菊物語」(1920・映)など。

 

浜 美枝(はま みえ 1943-  )

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東宝入社、のちフリー。「元ボンドガール」の称号が守護神のように。都会的。スタイル抜群で華やかで明るくチャーミング。美人なんだけど、お高くとまらず、聡明な…個性で人気を集め、「007は二度死ぬ」(1967・映)でボンド・ガールに選ばれ、日本女性の個性と美貌は世界レベルであることを証明してくださった。女優としての活動はもちろんのこと、当時、いち早く環境問題、新たなライフスタイルへの提言を続け、今や女優というより、コメンテーターとしてもその道の第一人者に。ここでも、日本女性の意識の高さ、レベルの高さを知らしめてくださいました。出演作はほかに「日本一のホラ吹き男」(1964・映)「浜美枝のいい人みつけた」(1983-1996・ラ)など。

 

原 駒子(はら こまこ 1910-1968)

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松竹入社。のち帝国キネマ、東亜キネマ、富国映画、宝塚キネマ。…まだまだ続くんですが、以下略。日本映画、栄光の3大ヴァンプは、鈴木澄子、伏見直江、そして原駒子。略してハラコマ。3人の中では最もからっとした悪女で、いわゆる小股の切れ上がった系。スクリーンの姿は隈取りも毒々しく、活劇映画の胸のすく立ち回りや啖呵がスカッと小気味よく、子どもとか女の子とかに、カッコイイ悪女・姐御として人気が高かった。ピカレスクロマンは観客のカタルシスを満たす。戦後も、「西鶴一代女」(1952・映)などでの脇役でのお姿を見ることができます。出演作はほかに「鳴門秘帖」(1926・映)「妲妃のお百」(1928・映)「新版大岡政談」(1928・映)など。

 

原 節子(はら せつこ 1920-2015)

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日活入社。のち東宝、新東宝、フリー。説明不要の日本映画界の最高のレジェンド。「永遠の処女」と崇め奉られた高貴で気高くも清純な美貌でキャリアの最初からスケールの大きさで際立ち、戦中戦後の暗い時代に女神のようにスクリーンにあり続け、新たなる時代、あまたの巨匠に磨かれ、期待に応えて磨きぬいた演技は余韻がいつまでも後に残り、日本女性の究極の理想の姿として、これからも永遠に。世界中の人々を魅了し続けることでありましょう。全盛期に忽然と姿を消し(42才での引退)、観客の熱くも度重なるカーテンコールについに応えることのなかった、日本のグレタ・ガルボ。出演作は「青い山脈」(1949・映)「晩春」(1949・映)「東京物語」(1953・映)など。

 

春川 ますみ(はるかわ ますみ 1935-  )

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そりゃ映画だもの、美人がみたい。でも、リアルな女の存在感も、捨てがたい。の名にふさわしい。もちろん、脱ぎっぷりも見事なキャリア初期を経て、平穏すぎる日常にふと魔が差したかのように訪れる常軌を逸した世界。やがて何事もなく、夫婦は元の生活に戻って行く…。リアリティがなければ真に迫ってこない。そして女として訴えるものがなければ映画の魅力は生まれ得ない…をしみじみ感じさせた「赤い殺意」(1964・映)の主演女優として。「トラック野郎シリーズ」(1975-1979・映)中、やもめのジョナサン(愛川 欽也(1934-2015)の奥さん役、「暴れん坊将軍I-IIシリーズ」(1978-1987・テ)め組組頭辰五郎の女房、おさい役が、一般的には、はまり役。

 

東山 千栄子(ひがしやま ちえこ 1890-1980)

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何不自由なく育ったお嬢様は芳紀19才で外交官夫人となり、夫に伴い、モスクワへ。滞在は8年に及び、夫とともに通い詰めたモスクワの舞台に魅了され、帰国後、30代の半ばで思い断ち切れず、女優の道へ。子どももいないし、打ち込むものがなかった、とはご本人の弁(なんと優雅な…。)。なのに格の高さは最初から。マクベス夫人と「桜の園」(1927~・舞)のラネーフスカヤ夫人があたり役。新劇界の超大物。そしてスクリーンでは、穏やかで円満な老婦人役でこの方が現れる、それだけで画面がノーブルに。お人柄も「東京物語」(1953・映)のお母さんそのまま、おっとりと育ちの良さがにじみ出て、お優しい女性だった、とのこと。70代半ばまで舞台出演を続け、数々の受賞歴を重ね、生涯を通じて別格でありつづけた女性・女優。出演作はほかに「白痴」(1951・映)など。

 

日高 澄子(ひだか すみこ 1923-2002)

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宝塚歌劇団出身。大映入社、のちフリー。すらりと小顔、彫りの深い美人。派手な顔だち。主演の代表作が社会派問題作。歓楽街で家族を背負い、心ならずも危ない商売に身を染めざるを得ないヒロイン。晴れて新天地へ、のはずが事態は一気に暗転、救いのないラスト。「暴力」(1952・映)です。昨今「貧困」が方々で話題に上りますが、この分野、プロレタリア文学の古典の映画化「蟹工船」(1953・映)では娼婦役。1940年代後半~1950年代前半が人気と作品がピークで、10日間の早撮り1本映画を撮ったり、近松文学のヒロインをつとめたり、映画全盛期の人気女優はめまぐるしくも忙しい。その後の有名どころでは「秋津温泉」(1962・映)のころには助演格。テレビドラマ出演は1980年代まで。

 

左 幸子(ひだり さちこ 1930-  )

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もともとは学校の先生。(中学・高校の体育・音楽)後に「遠い一本の道」(1977・映)で監督も務めた。俳優女優が映画会社に属し、良くも悪くも会社の方針に沿って映画出演を続けるなか、はじめからあくまでも作品重視。自分が出たい作品を選んでキャリアを重ね、フェミニズム発言、政治的なアピールを繰り返したもの言う女優。つまりお人形さん然した作品では飽き足りない…。演じる役はエネルギーにあふれ、ドラマチック。「幕末太陽伝」(1957・映)での女郎同志の取っ組み合いの喧嘩、「にっぽん昆虫記」(1963・映)では娼婦が体を張って成り上がり、女のパワー全開。一転して「飢餓海峡」(1965・映)では一度限りの男に会いに行ったばかりに殺されてしまう心優しい娼婦…。と見応えのある作品が並びます。

 

深水 藤子(ふかみず ふじこ 1916-2011)

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松竹入社、のち日活、P.C.L.。16才で映画界入り、26才で引退してしまった。戦前時代劇映画のきらめくも可憐な花の一人。美人画の大家、伊藤深水(朝丘雪路の父)が芸名の名付け親であるエピソードで知られます。山中貞雄、宮川一夫。名前を聞くだけで泡を吹いて倒れてしまいそうな邦画界のビッグネームが密かに思いを寄せていた女性だったとのエピソードあり。スクリーンのとおり、人柄もたたずまいも、深水・山中・宮川の心を揺さぶる乙女ぶりだったんだろうな…。時代劇の女優さんで純情可憐型は良くも悪くも出番が限られ、ああ、もっと見たいのに…との心残りとどこまでもはにかみ・恥じらいを忘れない古の日本女性の良さがしみいり、出演は「丹下左膳余話 百萬両の壺」(1935・映)、「花火の街」(1937・映)「鴛鴦歌合戦」(1939・映)など。語り継がれる名作ばかり。

 

藤 純子(ふじ じゅんこ 1945-  )

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戦後日本映画界の生んだ最大のスターの一人。大監督に認められ、海外で賞を取り凱旋帰国…ではない。娯楽路線・任侠路線を突っ走る東宝入社。女ながらも、心ならずも緋牡丹の入れ墨を入れ、人を束ね、やくざな道を歩まねばならぬ、哀しみを秘めた美しさで一世を風靡した「緋牡丹博徒シリーズ」(1968-72・映)。ほどなく「源義経」(1966・テ)の共演をきっかけに四代目尾上菊之助(現・七代目尾上菊五郎(1942-))と結婚、梨園の妻となり、主婦業のかたわら徐々に「3時のあなた」(1974-77 1980-88・テ)では司会業で復帰。子育てが終わり、テレビや映画にも、格の高い役柄でソフトにソフトに。カムバックしていく姿は変わらず美しく、お子さんは女優(寺島 しのぶ (1972-))に歌舞伎役者(五代目尾上菊之助(1977-))に大活躍。夫婦揃って勲章など受章され(ご主人紫綬褒章、奥様旭日小綬章)、うまくいくひとはどこまでもうまくいく、と見つめながらもため息が漏れてしまう。

 

伏見 直江(ふしみ なおえ 1908-1982)

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帝国キネマ、のち日活。日本映画界屈指のユニークな存在。大女優ではない。しかし永遠に記憶に残る伝説の名物女優である。時代劇専門。カテゴリは伝法肌・鉄火肌。ヴァンプ。姐御女優・悪女女優・毒婦女優。そして伏見直江が決定的に他の女優と違うのは、その激情。毒婦ながらも愛した男を一途に思い詰める純情でありましょう。サイレント時代。結い上げた日本髪はほどけ、追っ手を逃れ、走って走って挙句の果てにはざんばら髪となり、着物の裾がはだけるのもかまわずに屋根を伝って逃げる!脚が見える、太ももが見える!で、その先は見えるか、見えないか!?とチャンバラ映画の観客は度肝を抜かれ、喝采を惜しまなかった。器量よしです。旅役者の娘で、字が読めず、人に聞きながら字を覚え、セリフを覚えたとも。愛した男(大河内 傳次郎(1898-1962)との結婚は、無学・旅芝居あがりを理由に大河内の母に反対され、かなわなかった。出演作は「忠次旅日記 御用篇」(1927・映)「新版大岡政談」(1928・映)「御誂次郎吉格子」(1931・映)など。どの映画もどの映画も、伏見直江が出れば、気迫と熱気で画面をさらう。

 

伏見 信子(ふしみ のぶこ 1915-没年不詳)

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帝国キネマ、のち日活、松竹、新興キネマ、松竹復帰。伏見直江の妹です。姉妹スターはカラーが違うのがお約束。姉の直江が伝法・鉄火なら妹の信子は純情可憐な乙女役。時代劇によし現代劇によし。お姉さんは一生懸命働いて妹は高等女学校を卒業し、お姉さんとともに映画女優の道を選んだ。
五所平之助監督の「十九の春」(1933・映)、小津安二郎監督「出来ごころ」(1933・映)の2作品への出演でその名を残す。丸顔で、豊かなほっぺと涼しい眼差しが大層清新で美しく、なで肩で肩が細く、なよやかな風情に惹かれます。歌う映画スターのはしりであり、「初恋日記」(1936・映)の主題歌を吹き込んでこれまた大ヒットを飛ばす。松竹退社後は一座を結成して日本を世界を回ったり、お店を開いたり、近況は伝えられたものの、以後いつの間にか消息不明に。

 

藤村 志保(ふじむら しほ 1939-  )

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大映入社。和風美人、和服美人として真っ先に名前があがる。瞳が、目が小さい。明眸といえば美人の必須条件だとばかり思ってましたが、しとやかでつつましくありながら芯が強い日本女性の鑑として「破戒」(1962・映)のヒロイン、藤村志保役でデビューした途端、美貌と演技力で人気スターに。市川雷蔵、勝新太郎といった大スターの相手役を次々つとめ、戦後黄金期の大映の女優陣の中、清楚さとひたむきさは群を抜き、まさしく「お嫁さんしたいタイプ」。後に大映は倒産し、活躍の場はテレビに、舞台に移ったものの、引っ張りだこの人気は相変わらず。出演作品は「破戒」(1962・映)、「太閤記」(1965・テ)、「男はつらいよ 寅次郎頑張れ!」(1977・映)など。

 

星 由里子(ほし ゆりこ 1943-2018)

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東宝入社。16才で映画デビューして、ずっと現役。全盛期が映画衰退期と重なったこともあり、女優さんとしての決定作、看板、意欲作新境地…的な映画に恵まれなかった感があり、その意味強烈な印象が少なく、いわゆるコアな映画ファンから見ると少々飽き足りない…。かわりに、加山 雄三(1937- )との共演作「若大将シリーズ」(1961-1968・映)、そして東宝映画の永遠のジャンル、怪獣もの。「モスラ対ゴジラ」(1964・映)などのヒロインを演じたことで、嫌味やクセがなく、ノーブルで明るい万人向けの超正統派美人女優として確固たる存在感を示し、好感度を保ったままテレビドラマに、母親役に、司会業に上手にシフトしていった、ありそうでなかなかない存在。聡明な方なのでしょう。出演作はほかに、「万事お金」(1964・映)など。

 

細川 ちか子(ほそかわ ちかこ 1905-1976)

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P.C.L.入社。もっとも本職!?は舞台で、新劇の大立者。看板女優で、堂々たる体躯(若き日、結核で倒れたものの、全快、復活)、気品と格式あふれる美貌と存在感は他を圧するオーラがあります。「ディートリッヒよりずっともっとキレイ^^」と評した方もいらっしゃいます。もう一つ、特筆すべきは、この方、日本のポンパドール夫人なんですね。政界の重鎮、藤山 愛一郎(1897-1985)元大臣、財閥筆頭の妾でも愛人でもなく、「第二夫人」。子どもは最初の結婚で女の子1人。3度めの結婚で男の子2人。お二人は一緒の墓に葬られたとのことで、どこまでもスケールが大きく、大輪のバラのよう。出演作は「夜明け前」(1934・舞)「妻よ薔薇のやうに」(1935・映)「晩菊」(1954・映)など。

 

ま行

 

松原 智恵子(まつばら ちえこ 1945-  )

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日活入社。小鹿のような濡れた瞳、可憐で思わず守ってあげたくなるような楚々とした美貌で一世を風靡した清純派・純情派美人女優。大人の女の貫録と風格とはどこまでも無縁で、いつまでも頼りなげでかわいらしく、がゆえにどうしても日活黄金期のアクション映画の相手役、石原裕次郎の、小林旭の、宍戸錠の、渡哲也の傍らに一輪咲いた花…的な役柄の印象が決定的で、これぞ松原智恵子、の1作がないのが残念と言えば残念かも。かわりにいつまでも年を取らず、往年の美貌は衰えることがないのは、ファンにとっては嬉しいかぎり。女性よりも男性に好かれそう。庇護本能をそそるんですよね~。出演作は「あいつと私」(1967・テ)「無頼シリーズ」(1968・映)「時間ですよ」(1970-1973・テ)など。

 

前田 通子(まえだ みちこ 1934-  )

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新東宝入社。前身は三越デパートの評判の美人社員。美貌を買われ、映画界入り。ダイナマイトボディ。日本映画で初めてヌードとなり、ベッドシーンを演じた女優さんで、あっと言う間にスターダムを駆け上がり、代表作も「女真珠王の復讐」(1956・映)、「海女の戦慄」(1957・映)など、タイトルを聞いただけで観客の興味をそそり、残る画像は今なおなまめかしい。撮影時、「もっと裾をまくれ!」などという心ない言葉をかけられ、拒絶したところ、「たかが女優の分際で!」との社長の逆鱗に触れ映画会社を解雇され、当時五社協定なるものが存在し、他社のスターは使えない日本映画界の掟なるものがありまして、女優生命は絶たれてしまった。の悲運の女優としてもまた、歴史にその名を刻むひとです。

 

マキノ輝子(智子)(まきの てるこ・ともこ 1907-1984)

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日本映画の黎明期、プロデューサーでもあり監督でもあったマキノ省三(1878-1929)の娘、父親が取り仕切るマキノ映画の看板女優として、フィルムが散逸してしまい、往時をしのぶのは難しいながら400本以上の映画に出演したと言われている。スチール写真の面影は、すこしとがった受け口の顎が印象的で、花のように笑ったり、スター然とした写真は少なく、表情も眉をひそめているが如くのものが多い。もちろん、美人ですけれど。このぎこちなさ、固さはは当人のパーソナリティなのか、それとも時代のなせるものなのか。芸名を次々と変え、またマキノ一族の華麗な系譜もまた有名です。出演作は「三人姉妹」(1925・映)、「日輪」(1925・映)、「忠魂義烈 実録忠臣蔵」(1928・映)など。

 

松井 須磨子(まつい すまこ 1886-1919)

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ものすごい美人とかではないけれど。残された写真の数々を見ていると、モノクロながらも目を奪われる白いきめ細かくももっちりとした白い肌。そして吸い込まれそうな瞳の底深さ…。最初の夫に連れられていった演劇の世界に魅せられ、女優になりたくてなりたくて、全てをなげうってのめりこんでいく。その気迫と、真に愛する男性との出会い。不倫のスキャンダルは明るみに出、世間の激しい非難にさらされても、離れることはできない二人。そして愛する人はスペイン風邪であっけなくこの世を去り、掴んだ女優としての栄光より、後を追い、32才の若さで死ぬことを選んだ。燃え盛る炎みたいな。激しさは今も、人々の胸をゆすぶる。出演作は「人形の家」(1911・舞)「復活」(1913・舞)など。舞台の挿入歌「カチューシャの唄」(1913)も空前の大ヒット。

 

 三浦 光子(みうら みつこ 1917-1969)

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松竹入社、後東映。戦前戦中の松竹の主演女優の、終わりの方の主演を張れる格の高い美人人気スターの一人。日劇ダンシングチーム出身。ちょっと奥目の、おそらくは奥二重で、頬が豊かで、清らかな色っぽさを感じさせるのは戦前の女優さんならではですね…。おっとり見えても芯が強く、自分をしっかり持っている良き日本女性。「大曾根家の朝」(1946・映)の娘ぶりが代表作。日系人のアメリカ軍人さんと結婚していったん引退しますが、離婚後カムバック。今度は脇役として母親役、バーのマダム約などをソツなくこなし、40代半ばで引退し、実業家に転身するものの病に倒れ、52才の若さで亡くなりました。出演作はほかに「西陣の姉妹」(1952・映)「稲妻」(1952・映)など。

 

水久保 澄子(みずくぼ すみこ 1916-  )

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松竹歌劇団出身。のち松竹、日活。ハーフと見まごう目鼻立ちがくっきりはっきりした美貌でハイティーンで人気スターとなり、フラッパーガール役も板についていたものの、昔も今も、ちやほやされる女の子には落とし穴はつきもの。情緒不安定で自殺未遂を起こしたり、古巣松竹に無断で電撃移籍(ただし父が彼女に無断で移籍金を受け取り、泣く泣く松竹を離れたとの話も)したり、撮影をすっぽかして結婚し、海外に住んだり。結婚もうまくいかず、帰国するものの、神戸でダンサーしていた、満州で噂を聞いた…と切れ切れに伝わる消息はやがて途絶え、没年も不詳です。出演作は「チョコレート・ガール」(1932・映)「君と別れて」(1933・映)「若夫婦試験別居」(1933・映)など。

 

水谷 八重子(初代)(みずたに やえこ 1905-1979)

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超々ざっくり言えば旧派は歌舞伎。新派は歌舞伎ではない、女優が女役を演じる時代劇とか、人情ものですね。そして新劇が現代もの。「人形の家」とか。初代の水谷八重子は今でこそ新派の代名詞ですが、初舞台は子役で新劇の舞台。高等女学校在学中に映画出演を果たし時代劇現代劇に縦横無尽。あまたのオファーをこなしながら新派を興し、最後まで格高く、骨太かつ正統派の圧倒的なオーラと演技力で新派を新派たらしめ、今日の隆盛に導いた。あたり役は鹿鳴館の貴婦人や、愛に生き愛ゆえに死ぬ泉鏡花もののヒロインやら。大輪の、満開の、えんじ色の牡丹の花のよう。出演作は「青い鳥」(1920・映)「大尉の娘」(1923・舞)「皇女和の宮」(1955・舞)など。

 

水谷 八重子(二代目)(水谷 良重)(みずたに やえこ(みずたに よしえ) 1939-  )

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大きすぎる七光り。初代水谷八重子のひとり娘。いじけたり反骨したり、を表に出さず、キャリアの初めのころは水谷良重の名で歌手デビュー。大胆なレビューや映画の役柄ででコケティッシュな魅力を全開させて人気者となり、七光りをあっさり認めて母への敬意も忘れず、徐々に新派に活躍の場を移し、母亡きあとは二代目水谷八重子を襲名。初代の重々しさ、二代目のふとみせる茶目っ気。そしていまや、二代目「水谷八重子」の活躍のジャンルは初代をはるかにしのぐものもあり、受け継いだ新派は益々隆盛。バトンは次代に託しつつある。これだけ親孝行の、できた娘は、この世にいないのでは…。個人的には、初期のキュートなお色気路線でそのまま大人になってほしかった気持ちも。大御所・大家ではなく。代表作は「ハッシャバイ」(1955・レコード)「悪名」シリーズ(1961‐69・映)「女優」(1969・舞)など。

 

水野 久美(みずの くみ 1937-  )

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デビューは松竹。東宝入社、のちフリー。新潟生まれですが、意志の強さを感じさせる強く輝くやや釣り目の黒目がちの瞳、ぷっくりした唇、ほどよくまろやかなボディ。どこか南方系を連想させる密やかかつ大胆な美貌。和製フランソワーズ・アルヌールとの声もあった。そしてご本人、運命にもてあそばれるヒロインとか、ドラマを彩るヒロインなんてのに興味なく、特撮・怪獣・ホラー映画に出ている方が断然楽しいとおっしゃられているのがユニークだ…。カルトなファンのラブコールは息長く続いており、「マタンゴ」(1963・映)で、無人島に流され、飢えに耐えきれず、禁断の毒キノコを食べて男たちは次々と倒れていくというのに。水野久美は嬉々として毒キノコをほおばり、ますます妖しさと美しさを増していく…。そそられます。とても…。出演作はほかに「国際秘密警察シリーズ」(1963-67・映)、「怪獣大戦争」(1965・映)など。

 

美空 ひばり(みそら ひばり 1937-1989)

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説明無用の昭和とともに生き、昭和とともに去った昭和の歌姫。笠置シヅ子の物まねで売り出した魚屋の娘の歌はこまっしゃくれていて達者すぎて子供らしさがない。しかしスターダムをまたたくまに駆け上り、10代で歌に映画に全盛期を築く。あまたの恋と結婚と別れ。家族のもめ事やスキャンダルに揉まれ、大トリ・看板として歌い続け、夜はブランデーで孤独をいやす…。凄まじい日々。そしていくら神様に愛された天才と言えども人間の肉体にはキャパがある。燃やしつくし、歌の女神に己の歌を捧げつくし、52才という若すぎる死…。映画の出演作は「悲しき口笛」(1949・映)「伊豆の踊子」(1954・映)「江戸っ子判官とふり袖小僧」(1959・映)など。ヒット曲は数えきれない。

 

三田 佳子(みた よしこ 1941-  )

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東映入社。のち三田佳子事務所設立。映画の時代は無数の映画に出演したものの、やはりテレビ女優の最高峰。大輪の花。それも花びらが薄く、透き通るように女らしい。大河ドラマの主役が張れる正統派、清純派。綺麗で優しそうで賢そうでと欠けることなき美貌は輝きわたる満月のよう。好感度ダントツでCMにも次々起用され、全盛期、1990年代前半は飛ぶ鳥を落とす勢い。しかしお子様の不祥事(薬物使用で度重なる3度の逮捕)により女優人生とキャリアは大きすぎる痛手をこうむる。しかし全盛期を忘れない人たちは確かにいて、その都度その都度、じわじわと復活してくる…。出演作はエポックメイキングな名作、「Wの悲劇」(1984・映)、ほかに「いのち」(1986・テ)「花の乱」(1984・テ)など。

 

水戸 光子(みと みつこ 1919-1981)

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松竹入社。のち大映、フリー。戦前の大ヒットメロドラマ「暖流」(1939・映)。当時の映画青年たちは気高く高貴な令嬢、高峰三枝子演じる「啓子」とつつましくもひたむきな看護婦、水戸 光子演じる「石渡ぎん」。どちらを選ぶか、で熱すぎる議論が続いたのだとか。そして昭和49年、戦後29年をルバング島で過ごした小野田寛郎少尉は、日本に生還を果たし、「好きな女性のタイプは?」と聞かれ、はにかむかのような微笑みを浮かべ「水戸光子さんのような方」と答えました。戦国時代、乱世に翻弄され、遊女に身を落としながらも夫との平和な日々に戻って行く「雨月物語」(1953・映)でのお浜役。この3つのエピソードが忘れられない、大和撫子。出演作はほかに「花咲く港」(1943・映)など。

 

緑 魔子(みどり まこ 1944-  )

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東宝、東映、のちフリー。小悪魔系の正統派!?が加賀まりこならば最右翼は緑魔子。(おとなしめで実はお嬢さまなら桃井かおり。)スリムで、とんがっていて、とびきりキュート。脱ぎっぷりも良く、奔放な言動が小悪魔イメージと相まって絶好調の人気女優に。次第に退廃と愛の不毛を表現できる女優として、巨匠の意欲作、名作への出演が多くなる。アングラ演劇に傾倒し、新劇俳優、石橋蓮司(1941-)と結婚したことで舞台での活動が増え、転じてアングラ演劇のシンボリックな存在に。ヒッピー、サイケデリック…。60~70年代の時代のキーワードにこの上なくマッチ。出演作は「二匹の牝犬」(1964・映)「夜の青春シリーズ」(1965-1968・映)「盲獣」(1969・映)など。

 

南田 洋子(みなみだ ようこ 1933-2009)

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大映、日活、後に夫君長門裕之(1934-2011)とともに自社プロ設立。御夫君とのおしどり夫婦ぶりで知られ、介護の日々など、御夫君は赤裸々に語っておいでですが惜しいと言えば惜しい。若尾文子と同期で「十代の性典」(1953・映)で共演。日活では「太陽の季節」(1956・映)で時代を代表するヒロインとして一挙にブレイク。全盛期を築いた人気スター。都会的、理知的でありながらもふと弱さをかいま見せる硬質の美貌で50年代を駆け抜けた。ただし出演作が青春映画、プログラムピクチャーに偏り、女優としての代表作に欠けたことは認めねばなりますまい。かわりに、夫婦仲睦まじく添い遂げ、子どもに恵まれなかったかわりに、子どもで苦労することもない。出演作は他に、抱腹絶倒、「幕末太陽傳」(1957・映)など。

 

峰 吟子(みね ぎんこ 1909-1993)

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もともとはダンサーで、映画会社の重役と結婚し、美貌を認められ、日活入社。セックスアピールあふれる毒婦ぶりで大評判となり、人気も頂点に。付き人をつとめたのが19才の山田五十鈴だったとのこと。美貌のヴァンプ女優として君臨し、人気沸騰。毛皮と宝石が良く似合う。結婚して引退、満州に渡り、幸せだったのもつかの間、夫は事故死。その知り合い、夫となった男性と列車に乗った時、「峰吟子が乗ってる!」一目で見破られ!?車内騒然だったとか。何年もたっているのに、距離と時間を超えて、記憶に残り続け、無事帰国して夫の郷里で天寿をまっとうし、スクリーンに戻ることはなく、面影だけが永遠に残った。出演作は「見果てぬ夢」(1930・映)「銀座セレナーデ」(1930・映)「レビューの踊子」(1931・映)など。

 

三益 愛子(みます あいこ 1910-1982)

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東宝、のち大映。元々は舞台女優で、結婚し、いったんは芸能界を引退。不倫の恋を経て再婚後、夫君、川口松太郎(1899-1985)の元で大映に復帰し、「山猫令嬢」(1948・映)に始まる母もの映画で一世を風靡した。玄人や批評家すじには「あれが映画か」と軽んじられたものの、作る映画作る映画次々ヒットし、10年で33本!「お母さんはいいんだ。お前だけは…」の演技に日本中が涙した。とんがった映画よりわかりやすく、情に訴え、老若男女、誰が誰と見ても楽しめるお話。強いにきまってます。真似して他社も母もの映画を作るのですが、三益愛子でなければ観客は納得しない。ヒットしない。まさに国民的女優であり、ご本人も満足の女優人生。出演作はほかに「赤線地帯」(1956・映)「がめつい奴」(1959・舞)など。

 

宮城 千賀子(みやぎ ちかこ 1922-1996)

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宝塚歌劇団出身。日活入社、後フリー。宝塚での男役を片岡千恵蔵(1903-1983)に見いだされ、「宮本武蔵」(1940・映)のお通役で華々しくデビュー。お通、ということは純情可憐、楚々としてそれでも宮本武蔵を思い詰め愛しぬく秘めたる情熱。「織田信長」(1940・映)を経て「歌ふ狸御殿」(1942・映)での凛々しくも水もしたたる男役で一旦結婚、引退。戦後は夫君のマキノ真三監督とともに映画会社を設立し、復帰を果たし、1953年離婚後はみずみずしい年増役として現代劇・時代劇のジャンルを超えて活躍し、日本の黄金時代の映画を支える。テレビ出演も精力的にこなし、元祖熟女スターの一人。お年を召され、顔も丸くなられましたが、美しさは息長く、劣化が少なかった。

 

宮城野 由美子(みやぎの ゆみこ 1926-  )

 

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宝塚歌劇団娘役出身。映画デビューは「佐々木小次郎」(1950・映)の恋人、まん役。出雲の阿国の後継者と呼ばれた踊りの名手で、小次郎はまんの踊りを見て秘技、つばめ返しのインスピレーションを得る。二人は結ばれるが、まんは小次郎を追いつづける女がいることを知り、断崖から身を投げる…。純情可憐なお人形さんのような女優さんが演じるのは、見た目は清純派でも燃える心は激しすぎて。映画出演は5年きりで、映画監督の蔵原惟繕(1927-2002)と結婚、引退して以後スクリーンに戻ることはなかった。つまり和製グレース・ケリーの一人。その美貌は、清楚でありながら憂いを含み、「煙るような」と評される。出演作はほかに「西陣の姉妹」(1952・映)「六人の暗殺者」(1955・映)など。

 

宮城 まり子(みやぎ まりこ 1927-2020)

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今の目から見れば肢体不自由児の施設「ねむの木学園」理事長。しかし昭和の文豪の一人、そして艶福家、女好きで鳴らした吉行 淳之介(1924-1994)が生涯の女性として選んだ可愛いんだけど正統派の美人とちょっと雰囲気が違い。もろさを危険さと淫靡さを秘めたいい女。戦後の世相を色濃く映す歌、「毒消しゃいらんかね」(1953)と「ガード下の靴みがき」(1955)で大ヒットを飛ばした紅白出場8回の歌手であり、コケティッシュな女優、ミュージカル女優して昭和20~30年代の輝く星だった。とんがった所が徐々に丸くなり、母親役をこなすようになり、ねむの木学園設立後は慈善事業家として穏やかな笑顔をふりまいている。出演作はほかに「ねむの木の詩」(1974・監督)など。

 

三宅 邦子(みやけ くにこ 1916-1992)

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松竹入社。代表作が「晩春」(1949・映)「麦秋」(1951・映)「東京物語」(1953・映)と来ただけでスケールの大きさに恐れ入ってしまうしかない、奥様女優の決定版。デビュー当時、はたちそこそこでしたが、落ち着いている…。助演格で映画出演を続け、いったん結婚・引退。戦後復帰し、確かな実力としとやかでにじみ出る女らしさ(同性と巨匠に好かれるタイプ)の助演者として次々に大作・名作に出演。大スターで、大きすぎる脇役。そして、老けない。華々しい主演作が頭に浮かんでこないのに、いつまでも変わらず、大人の女の静かな気品を漂わせ続ける。三宅邦子の個性そのまま。忘れえぬ映画にいつまでも控え目な風情を残す、日本映画の奇跡の女優さん。

 

ミヤコ 蝶々(みやこ ちょうちょう 1920-2000)

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見ただけで、苦労人。7才で旅回りの一座の座長となり、初代ミスワカナ(1910-1946)の前座に抜擢。仲間のやっかみの中三遊亭柳枝(1903-1961)と結婚するも夫の女癖により離婚。ヒロポンに手を出すも鋼鉄の意志で薬を絶ち、二度目の夫、南都 雄二(1924-1973)とのラジオ番組「漫才学校」(1954-56)、「夫婦善哉」(1955-1975)で人気は全国区。またも夫の女癖に泣かされ、うわべだけの夫婦漫才を演じる辛さ。離婚後倒れた夫が亡くなるまで友人として尽くしぬき、大御所としてテレビに映画に舞台に。努力すること。意志を貫き通すこと。そして女の幸せと、芸人としての大成。何が幸せなのか、御本人も自分で自分に問いかけ続けた女の一生ではなかったと。

 

宮本 信子(みやもと のぶこ 1945-  )

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夫君、伊丹 十三(1933-1997)の監督第一作「お葬式」(1984・映)一気にブレイクしたのは39才。文学座出身で脇役専門、結婚後は家庭に入っていた。もちろん、美人です。女らしさというよりは、リアリティ。続く「マルサの女」(1987・映)「ミンボーの女」(1992・映)ほか、自らの作品に妻の宮本信子を立て続けに起用。伊丹映画は、題材・設定が観客の意表を突きながらも好奇心が掻き立てられ、社会問題を扱いながら娯楽作品として申し分なく、日本映画に忽然と現れた注目作揃いだった。夫は、妻にかけがえのない贈り物をしたのですね。しかし伊丹 十三は急逝。一度打ち立てられた金字塔は未だ色褪せぬことなく、未亡人となった今もジャンルを拡げながら、活躍中。

 

毛利 菊枝(もうり きくえ 1903-2001)

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みみみ見ただけで背筋が凍りつく。一生忘れられそうにない。こんな人が後ろから突然現れたら怖さのあまり死んでしまいそう…の無念のまま死んだ姫君につき従う侍女の老女の「雨月物語」(1953・映)。恐ろしい大刀自(物語を締める一族の要のおばあちゃん)が決まりすぎるほど決まり、画面に出ればその度画面をさらう。新劇出身で、自ら旗揚げした劇団くるみ座を主宰し、演技力を見込まれて映画では脇役として長く活躍。出演作はほかに「地獄門」(1953・映)など。テレビでは打って変わって優しいおばあちゃん役が多かったりして、画像を見ているとギャップに驚いてしまう。演技者としての実力ですね。テレビ出演作は「信子とおばあちゃん」(1969-1970・映)など。

 

望月 優子(もちづき ゆうこ 1917-1977)

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三益愛子と並ぶ母もの女優。愛嬌たっぷりで可愛いくて気がよくて、でも奥底に熱意と闘志を秘めた浅草のショービジネスの踊り子から新派を志し実績を重ね、日本映画のまさに黄金期に松竹入社。このとき33才。熱気あふるる庶民派コメディエンヌとして鳴らした。そして木下惠介監督(1912-1998)の初期の記念碑、苦労して育てた子どもたちに裏切られ、絶望の末列車に飛び込む「日本の悲劇」(1953・映)に主演し、代表作とし、続く「おふくろ」(1955・映)、「米」(1958・映)など、金太郎飴のように似たような母ものではなく、問題作、観たあとに考えさせられる、手応えのある作品が並ぶのがすごい。自らも自分は日本のお母さんの代表、と立候補、参議院議員も1期務めました。

 

森 嚇子(もり かくこ 1908-1986)

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松竹入社。「嚇(かく)」は「威嚇」の「嚇」、意味は真っ赤、つまり、スカーレット。溝口健二の芸道三部作、「残菊物語」「浪花女」「芸道一代男」のトップを飾る、「残菊物語」(1933・映)のヒロインとして。はじめ北見礼子(1915-2007)がキャスティングされていたこの役、監督は気にくわない。貴女はダメですねぇといじめ抜き、役から引きずりおろして代わりに据えたのが森嚇子。耐え忍び、尽くしぬき、自己犠牲の末に男の成功を身定め、歓喜のうちに死んでいく…。森嚇子は溝口演出に堂々と応え、映画は古典の殿堂入り。後新派に転身するものの、40代の若さで病気のため失明し、引退後の著書「女優」は「書きますわよ」の流行語とともにベストセラーに。出演作はほかに「沈丁花」(1933・映)「五重塔」(1944・映)など。

 

森 静子(もり しずこ 1909-2004)

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マキノ映画製作所、帝国キネマ、東宝映画、阪妻プロ、松竹キネマ。悪く言えば、古くさい。良く言えば、古典的。おちょぼ口で、寂しげな表情が初々しい時代劇の純情可憐な町娘役。江戸時代には確かにこういうタイプの女の子、いたのでしょう。日本人は変わった。としみじみしたり愕然としたり。数え6才で子役として初舞台を踏み、娘役の年頃になると島田嘉七、岡田時彦、坂東妻三郎(共演数はこの方がNO.1)、月形龍之介と水もしたたるいい男との共演を重ね、森静子主演の映画も作られ、田中絹代が現れるまでの田中絹代的存在。俳優、浅香新八郎(1906-1944)と結婚、引退。夫と死別した後、実業家と再婚し、幸せな余生を送りました。出演作は「春の海」(1917・映)「雄呂血」(1925・映)、「砂絵呪縛」(1927・映)など。

 

森 光子(もり みつこ 1920-2012)

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この方も日本中の誰もが認める苦労人。努力の末登りつめ、日本中に惜しまれながら世を去った。映画女優を志すもプログラムピクチャーの脇役ばかり、歌手を志すも結核に倒れ、よんだ歌が「あいつより上手いはずだがなぜ売れぬ」。なにくそ、負けてたまるかの情念が立ち昇ってくる。演技力が認められ、生涯のライフワーク、「放浪記」(1961-2009・舞)に出会い、テレビドラマ「時間ですよ」(1970-1990)で名実ともに「日本のおかあさん」No.1となり、その後の活躍と名声は皆さまご存じのとおり。利かん気の一本気な女の純情、が持ち味。失礼すぎるとは重々承知の上ですが国民的大女優と呼ばれる方々は色香とか妖艶とかから遠い方が多いような…。出演作ほかに「渡る世間は鬼ばかり」(1990-2009・テ)など。

 

や行

 

八雲 恵美子(やぐも えみこ 1903-1979)

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松竹入社。昔の日本の女優さんの写真は、不鮮明なものが多い。しかしこの方、八雲恵美子の写真だけは違う。目が覚めるような美人という言葉がぴったり。切れ長の瞳もくっきりと、どの写真も絶頂期の人気がうなずける美人中の美人、と今見ても目を奪われ、「この人どんな女優さんなんだろう。」とエモーショナル。幼いころから芸事を仕込まれ、駆け落ちして大陸に渡るが、夢破れて芸者に。恋の噂も数知れず。恋愛体質で、フェロモンたっぷりの麗人ぶりを見込まれ、映画界入り。「不壊の白珠」(1929・映)「東京の合唱」(1931・映)「浮草物語」(1934・映)と名作映画に和装のクールビューティぶりを残し、1938年引退。その後実業家に転身して成功し、功成り名遂げた人生。

 

八千草 薫(やちぐさ かおる 1931-2019)

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宝塚歌劇団出身。のちフリー。戦後清純派美人女優のの極め付け。おっとりとして、優しそうで、賢そうで。長らく「お嫁さんにしたい女優さん」不動のNO.1。「気が狂いそうなほど美しい」との言葉は時に美人に冠せられる。八千草薫の場合はこの言葉を「清楚」に置き換える。映画の、テレビの内容なんてどうでもいい。とにかく画面に出るだけで、もうそれだけで良かった。感動して腰も抜けんばかり…と当時の映画青年たちの若き日の薫礼賛は留まるところを知らない。美智子皇后さまと八千草薫さまがこのタイプの双璧。時は流れ、おかあさん、おばあちゃん役として目にするたびに、そのたびに必ず人の目と心をとらえ、絶頂期の八千草薫を見つけた人はなおも感動のため息のみ。出演作は「宮本武蔵」(1954・映)「蝶々夫人」(1954・映)「夏目漱石の三四郎」(1955・映)など。

 

柳 さく子(やなぎ さくこ 1902-1963)

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松竹入社。鈴を張ったような瞳。後輩の田中絹代が松竹に入りたての頃、スタンドインを務めたというのですから、小柄(140㎝台)で可憐。幼くして両親を亡くし、生涯独身。家族の縁薄く、いたいけな少女はたった一人で生きていかねばならなかった。10才で少女歌劇の初舞台を踏み、映画界に入り、大部屋女優から認められてトップスターの仲間入り。芸事にも通じていたことから、時代劇専門。主役男優の添え物に留まらず、意志の強さを底に秘めたなよやかな乙女ぶり。全盛期は1920年代。30年代で老け役、母親役。楚々とした柳腰のひとは腺も細く、戦後は体を壊し、天涯孤独のまま亡くなります。胸傷む佳人。出演作は「大尉の娘」(1924・映)、「お伝地獄」(1925・映)、「十六夜清心」(1931・映)など。

 

山岡 久乃(やまおか ひさの 1926-1999)

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テレビのホームドラマの「日本のおかあさん」ベストオブベストの一人。皮肉っぽくて、シャキシャキしていて、言いたいことは口に出すけど、お腹の中に黒いところはなくて、芯がしっかりしていて、本当はやさしくて。一皮むいた心の中は、あったか~い…。人気が出たのは40台半ばすぎ。それまでは雰囲気でお察しのとおり、新劇に身を捧げてきた。同じような役柄に終始し、恋する山岡久乃さんはみたことなかったな…。テンポの良いセリフ回し。ドラマではポンポン言いたいこと言ってくれて、スーっとしました。自分に厳しく張りつめた一生、が滲み出て、言わずとも見る人の心を動かすのでしょう。出演作は「ありがとう」(1970-1974・テ)「女と味噌汁」(1965-1980・テ)「おんなの家」(1974-1993・テ)など。

 

山路 ふみ子(やまじ ふみこ 1912-2004)

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帝国キネマ入社、のち日活、新興キネマ。目鼻立ちがくっくりした美人で、体当たりで熱気あふれる演技をするタイプ。そこがツボにはまり、代表作は溝口健二監督の戦前の傑作のひとつ、「愛怨峡」(1937・映)。好いたボンボンにお腹の子どもとともに捨てられ、他の男と地方まわりの漫才師となりながらも子どもを育て、よりを戻そう、とボンボンが言い寄るものの…。とどこまでも踏まれても蹴られても逞しく生きていく女の姿が忘れられない。引退後は実業家として成功し、私財を投げ打って「山路ふみ子映画賞」を設立。今ではこの名前の方が有名かも、女優さんの名の残し方にはいろいろあるものです。出演作はほかに「三聯花」(1935・映)「己が罪」(1936・映)など。

 

山田 五十鈴(やまだ いすず 1917-2012)

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日活入社、第一映画社、新興キネマ、東宝、新東宝、フリー。日本の大女優の一人。みずみずしい日本髪の娘役から、「祇園の姉妹」(1939・映)の超リアリズム演技で早くも絶頂を極め、女の勝ち気と意地と張りと色っぽさ艶っぽさは天下一品。大輪の女の魅力で周りを圧倒し、堂々たる大女優へと変貌を遂げた。勘の鋭いタイプではなく、かわりに一作入魂、作品ごとに役に憑依するのめりこみぶりと芸熱心。恋多き女としても有名。どの男性も一流の男性ばかり。真剣に愛し合い、でも、愛も恋もすべて、女優としての自分に取り込み、昇華させてなおも進む。年取ってからもお母さん、お婆さん役なんかやらない。舞台に転向し、最後の最期まで主役を張った。この人こそが超一流。出演作はほかに「流れる」(1956・映)、「必殺仕事人シリーズ」(1979-1982・テ)など。

 

山根 寿子(やまね としこ 1921-1990)

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P.C.L入社。のち東宝、新東宝、ついでフリー。美人なんだけど、はたちそこそこから落ち着いている。そしてセックスアピールで売るタイプではなく、ふっくらした頬とやわらかなまなざしがとても日本的で、見ていてはらはらするところがなく、安定感抜群で、姉に、娘に欲しいタイプ。にこやかな大人の女で、かつ日本女性にしか出せないお色気があり、通好みの雰囲気の女優さん。時代劇によし現代劇によし。歌も歌ってヒットを飛ばした、昭和10年代の楚々たる大和撫子タイプの人気スターでしたが、もともと個性は控え目のタイプ、戦後は徐々に脇役に回り、40才そこそこで映画界を引退。出演作は「蛇姫様」(1940・映)「姑娘の凱歌」(1940・映)「今日は踊って」(1947・映)など。

 

山本 富士子(やまもと ふじこ 1931-  )

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第1回ミス日本に満場一致で選ばれて、その気はなかったのにオファーが殺到、大映に入社し、映画界入り。名は体を表す、日本一の富士山のように気品があり華があり格が高く女らしく優しくも賢く情にもろいかと思えば芯は強くといくら褒め言葉を並べても足りないオール10点満点、スペシャル級のスケールとオーラ。日本全国の人気と羨望を集め続ける。美人すぎる女優さんの宿命、演技者としての代表作になかなか恵まれなかったものの、「夜の河」(1956・映)でようやっと女優としての記念塔に出会う。しかし「一つの会社に縛られるのはイヤ。出たい映画に出たい」の人間としてしごくまっとうな願いは叶わず、大映を解雇され、二度と映画界には戻ってこなかった。舞台に活躍の場を転じ、山本富士子のあでやかさと華やかさは以後劇場でまみえ感じるものになった。出演作はほかに「彼岸花」(1958・映)「暗夜行路」(1959・映)など。

 

山本 陽子(やまもと ようこ 1942-2024)

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日活入社、のちフリー。日活の出演映画は数多いものの、国民的人気を博したのはテレビ出演によって。おんな盛りに花開いた正統派の美人で、ちょっと勝ち気で、ツンとしている印象。代表作は決定打がない代わりに美女・悪女・普通の主婦・不倫の人妻となんでもこなす。和服美人としても名をはせ、雑誌のグラビアを次々飾る。活躍は息長く、舞台やテレビ出演を重ね、今なお大女優として一目置かれる存在。おしとやかで女らしい外見とは裏腹の男前の性格もよく知られています。「松本清張の黒革の手帖」(1982・テ)は後にたびたびリメイクされているものの、山本陽子がダントツ!の意見が圧倒的。出演作はほかに「となりの芝生」(1976・テ)、「付き馬屋おえん事件帳」(1990-95・テ)など。

 

雪村 いづみ (ゆきむら いづみ 1937-  )

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16才でデビューしていきなりトップアイドル歌手となり、一気に頂点を極めた。昭和20年代後半の経済成長目覚ましい時代、美空ひばり・江利チエミ・雪村いづみは元祖「三人娘」。一見ニヒルな!?ひばり、破天荒にはじけるチエミ、いずみはキュートなファニーフェイス。スケールが大きい。アメリカのテレビショーに出演し、絶賛を浴び、「Life」の表紙を飾り、全米各地でコンサートを開き、結婚・離婚、シングルマザーとなり、キャリアは一旦中断するものの、本物のエンターテイナーの底力で別格扱いは変わらない。学費が払えず、15才で歌手になった少女は、ついに偉大なるパイオニアとして君臨。ヒット曲は「想い出のワルツ」(1953・レコード)、出演作は「ジャンケン娘」(1955・映)、ほかに「雪村いづみショー」(1955・ラ)など。

 

吉永 小百合(よしなが さゆり 1945-  )

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日活入社。のちフリー。17才で出演した「キューポラのある街」(1962・映)で一気に人気庶民派清純派美人女優となり、歌手デビューでヒットを次々連発。今に至るまで脇に回ることなく主演女優であり続ける。「八月の鯨」のリリアン・ギッシュに感激し、生涯現役。を心に決められたとかで日本の映画界にとって真に心強い存在。真面目な優等生の女の子は成績優秀で女優業の傍ら、大学(早稲田)を次席で卒業。吉永小百合ファンは「サユリスト」。サユリストの嘆きをよそに15才年上の男性と結婚し、私生活は表に出さず結婚生活は平穏そのものに見える。そして映画にテレビにキャリアを着々と積み重ねていく…。あまりに嘘くさすぎやしないか、とアンチ小百合も存在するのも事実。でも、アンチって、ファンの一種ですから。歴史に残る大女優であることは最早間違いなし。出演作は「夢千代日記シリーズ」(1981-1984・テ)、「おはん」(1984・映)など。

 

吉行 和子(よしゆき かずこ 1935-    )

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新劇出身の女優さん。父はダダイストの作家、吉行 エイスケ(1906-1940)。兄は嫌らしいほどに繊細な昭和の巨匠作家、吉行 淳之介。自身も小さい時から体が弱かった。なので美人は美人ですが、正統派美人とのカテゴリからは少しはずれ、エキセントリックさと知性を内に兼ね備えた激しさ。映画の代表作「愛の亡霊」(1978・映)ははまり役だった。お嬢さん女優ではこんなことはできない。岸田今日子・大原麗子、市原悦子などとともに声に独特の魅力があり、著書・共著も数多い。舞台にテレビに映画にコンスタントに出演し続け、老け役に回ってからも「佐賀のがばいばあちゃん」(2006・映)など、作品にも恵まれている。出演作はほかに「にあんちゃん」(1959・映)など。

 

吉村 実子(よしむら じつこ 1943-  )

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若い女の子で、美しさや可愛らしさではなく、図太さ、逞しさ、ふてぶてしさをさらけ出し、なおかつカッコイイ。狆くしゃのファニーフェイスで、生意気で、底に秘めたエネルギーで迫ってくる…。老け役になってからなら、このタイプの女優さん、けっこういるけど、吉村実子ははじめから突っ走ってたものなあ。「豚と軍艦」(1961・映)「にっぽん昆虫記」(1963・映)「鬼婆」(1964・テ)と、各々の時代、監督が渾身の力を振り絞ったかのようなバイタリチィあふるる意欲作で、お利口さんの訓練されたニューフェイスあがりにはないリアルさが持ち味。夢を売るのが女優さんのお仕事だけど、土の香りと野生美ですね。いったん引退しており、その後復帰。今も映画にテレビに、出演中。

 

ら行

 

李 香蘭(山口 淑子)(りこうらん・リー・シャンラン・やまぐちよしこ 1920-2014)

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満州、奉天生まれ。美貌と歌声は少女の頃から一頭群を抜き、有力政治家の養女となる。日本人でありながら「李香蘭」として満州映画協会よりデビュー。日本育ちの大和撫子とは一味違う大陸生まれの可憐で妖艶な歌う美女。「白蘭の歌」(1939・映)「支那の夜」(1940・映)「熱砂の誓ひ」(1940・映)と立て続けに大ヒットを飛ばし、歌は日本人・中国人を問わずにも絶大な人気を博した。終戦後、日本国籍であることから断罪は免れ、日本では本名の山口淑子、シャーリー・ヤマグチの名でアメリカ進出をも果たす。結婚で一旦引退するものの司会業で復帰、乞われて3期18年、参議院議員を務めた。どこまでもスケールが大きく、激動の時代を生き抜いた香り高い蘭の花。

 

わ行

 

若尾 文子(わかお あやこ 1933-  )

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大映入社。社長は入社のとき、「お前は高嶺の花じゃない。低嶺の花だ。」と言い渡し、御主人は「貴女にはバロック音楽の香りがする」と口説いた。女優は監督によって磨かれ、花開く。の言葉がこの人ほど似合う人はいない。スターとしての存在感でどの映画に出ても周りを圧倒する人もいるけど、若尾文子は監督から女の魔性を引き出され、匂い立つ大和撫子。黙って座っているだけで完璧に絵になる純和風美人であり、「見ているだけでいい」美人は「映画に命を吹き込むヒロイン」へと変貌し、世界にその名を轟かせる。日本の映画女優の5本指に入る、美人演技派女優。出演作は溝口健二監督の「赤線地帯」(1956・映)、川島雄三監督「しとやかな獣」(1962・映)、増村保造監督「赤い天使」(1966・映)など多数。

 

若山 セツ子(わかやま せつこ 1929-1985)

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東宝ニューフェイス第一期生。「青い山脈」(1949・映)での自由な新しい時代の女学生。おさげ髪の丸メガネのあどけなさの残る女の子。メガネをはずすと、美人。主役よりは相手役・純主役・脇役クラスが多いのです。しかし映画に出れば「あの子、いいな~」と必ず話題をさらう。恋人にしたい、彼女にほしい、おきゃんで純情可憐な絵に描いたような良い娘さんの役が多かった。純粋すぎたのでしょうか。結婚(八千草薫さんの御主人の谷口 千吉(1912-2007)監督)・離婚と身内の死の後に、55才の若さで入院させられた病院で自ら命を絶った傷ましい最期。引き裂かれていくさまが痛々しく、若鮎のような美しき銀幕の姿はより一層心に迫る。出演作はほかに「銀嶺の果て」(1947・東宝)、「次郎長三国志」(1952‐1953・映)など。

 

渡辺 美佐子(わたなべ みさこ 1932-      )

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新劇出身。のち日活入社。代表作は舞台、「化粧」(1982-2010)。子どもを捨てた過去を持つ女座長が狂気に至り、歓喜を極める。珠玉の一人芝居です。はたちそこそこから多数の映画や舞台に出演を続け、熱っぽく、コケティッシュ。確かな演技力でファム・ファタールからしとやかな奥様まで堅実にキャリアを重ね、テレビ時代になるとお母さん女優として知名度をかため、次いでライフワークの舞台に出会い、評価も確固たるもの。知的だし、屈折した情熱の表現は絶品。御主人(TBSのプロデューサー)とも添い遂げて…。欠けることなき女優人生って、こういう方ではないかと。出演作はほかに「果しなき欲望」(1958・映)、「ムー一族」(1978-1979・テ)など。

 

鰐淵 晴子(わにぶち はるこ 1945-  )

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松竹入社。のちフリー。元祖ハーフタレント。お父さんはバイオリニストでお母さんはオーストリア人。ハプスブルク家の血を引いているというのですからただ事ではない。バイオリンの天才少女、そしてこの美貌で「ノンちゃん雲に乗る」(1955・映)が子役時代の代表作。くりくりした大きな瞳の正統派美少女は成長し、語学にも堪能で「銀嶺の王者」(1960・映)ではスキーヤー、トニー・ザイラー(1935-2009)の相手役。結婚後は生来の美貌にさらに華麗さと陰影、妖艶さと神秘性が加わり、ヌード写真集を出したり、耽美派映画に姿を現しただけで画面を圧倒し…と息長く、その時その時のベストな自分を出してその都度観客を唸らせる。元祖ハーフタレントは、見事です。出演作はほかに「眠れる美女」(1995・映)など。

 

 

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