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【ネタバレ】「ジュディ 虹の彼方に」レビュー【祝・オスカー】レニー・ゼルウィガー

 3月一般公開の映画ですが、JALの機内映画で一足早く鑑賞できました。

感想を一言で言えば、レニー•ゼルウィガーの迫真の演技には一見の価値あり。

JUDY

 

 

映画『ジュディ 虹の彼方に』とは

1936年の映画『オズの魔法使い』で一躍トップスターの座に着きながら、47歳の若さで失意の死を遂げたジュディ•ガーランドの、ハリウッドを追われるように出てヨーロッパに渡り、ロンドン公演を行う最晩年の姿を描く。

演じるのはリアルな演技が一種トランスがかってるんじゃないか、感ありありのレニー・ゼルウィガー。

主な出演作は『ブリジット・ジョーンズの日記』(2001)、『シカゴ』(2002)、『ミス・ポター』(2006)など。

『ジュディ 虹の彼方に』の演技は、公開当初から高く評価され、第77回ゴールデン・グローブ主演女優賞、全米映画俳優組合主演女優賞。

さらに第92回アカデミー賞主演女優賞、と今年のハリウッド映画の主な賞を総なめにしている。

 

そうですね。日本で言えばジュディ•ガーランドは美空ひばり。

ステージママの監督の下、幼い頃から桁違いの才能を見せつけて栄光の座を勝ち取り、ありすぎる才能が故に人生の陰と闇もブラックホールのごとし。

早死にしてしまったところも同じ。

で、レニー•ゼルウィガーですから。

いわば美空ひばりを綾瀬はるか•天海祐希•石田ゆり子級が演じた映画、のハリウッド版。

 

 

私が映画『ジュディ 虹の彼方に』を観た理由

ジュディ•ガーランドの大ファンなんですよ。私。

 

www.hitomi-shock.com

 

『オズの魔法使い』の「虹の彼方に」、『若草の頃』の「トロリー•ソング」、『イースター•パレード』のダンスの神様、フレッド•アステアと一緒に歌い踊った名曲の数々…。

さすがジュディ•ガーランドだ。死後50年以上たって映画になるなんて。ロンドン時代なら映画界から足を洗ったあとだから(正確には解雇されたのだが)全盛期の名ナンバーは望み薄だけど、ジュディ•ガーランドの舞台人時代のステージの再現を鑑賞できる!

 

レニー•ゼルウィガーの演技にびっくり仰天

といそいそと観終わって…。感心してしまったのは。

もともと、レニー・ゼルウィガーとジュディは、全然似ていない。似ても似つかない。…なのにレニー演じるジュディは、似てる。とても良く似ている。

顔も、40代後半のジュディの老け、小じわや肌の生気のなさ、残酷なまでに濃いメイク。

それにも増して、折り折りに見せる表情、身のこなし、仕草、ゼスチャー、セリフのエロキューションや返す言葉の選び方。そっくりだ。私が見てきたジュディ・ガーランドによくもここまで近づけたものだ、すごいなあ、女優さんって。

衣装も当時ジュディが実際に着ていた数々が再現されていて、あ、この衣装。写真で見たことある。「懐かし〜」とつい見入ってしまう。

 

あえて「似ていない」点から難癖をつけるなら2つ。

ジュディ•ガーランドは小柄だった。

身長は公称151㎝。晩年は頭の大きさが目立ち、脚がより細くなり、一見してアンバランス。ロンドン公演の頃は、「やせ衰えた」との言葉がピッタリ。見ていて痛々しさが先に立つ。

レニーのボディーラインはバランスが取れていて、きれい。骨格が伸びやかで、程よく筋肉がついてる肉体は、立派すぎる。違うなあ、ジュディじゃないんだなあ。

さらに、舞台でのパフォーマンスのシーンは、はっきり言って全然ダメ。

「びろうどの声」と評された天才の声の深みとツヤ。愛称は「ミス•ショービジネス」。生まれついての芸人の子で、ダイナミックな感情表現の…悪いんだけど、気迫のレベルが足元にも及ばん。似て非たるものだ。と憮然としてしまった。

レニー・ゼルウィガーは映画の中で吹き替えなしで歌も踊りもこなしている。才能豊かな女優さん。素晴らしいです。リアルに再現できている。完成度、高い。認める。

…レニーがダメって言ってるんじゃなくて、私のアタマの中のジュディ・ガーランドと違うだけだ。と自分に言い聞かせる。

 

 

破滅型の天才をレニー•ゼルウィガーが演じれば

ジュディ•ガーランドは夢の都、ハリウッドが産んだミュージカル映画の大スター。しかし別の面から見れば『ダメの人』もはなはだしい。

10代でスターになったから、プレッシャーもものすごかった。クスリは大人たちがジュディを思惑どおりに動かすために与え始め、案の定抜けられない。

メンタルが不安定で酒とクスリと男(+女)にすがり、約束が守れない。決まった時間に約束した場所に現れない。

何ヶ月も前から決まっているステージなのに、楽しみに集まる大観衆を前にしてまともに歌うこともできず、あろうことか公演キャンセルを繰り返し、あげくの果ての自殺未遂、の繰り返し。

…で信用を失い、食べるものも住む所もないところまで困窮し、ボロ雑巾のように死んでしまった。

また、映画会社のよって過保護に育てられたため、金銭観念が全くなく、稼いでも稼いでも足りず、超有名スターなのに、晩年はひたすらお金のために歌い続けた。

映画では今の時代に合わせ、ジュディがロンドン公演を引き受けるのは離婚した元夫から子供たちの親権を取り返すためにはまとまった金が必要だったから。

との設定が丁寧に語られる。

しかし、住む家もないんだもの。もともと地味に積み上げ堅い実積で自分の収入の範囲内で生活する…ができる人なら、始めから子どもたちと一緒にいられた。苦労しない。

なので、ジュディ本人のエピソードを知っている人間からすれば「何を今さら」感はどうしてもぬぐえない。

レニーの演技は見事である。でも“今さら”感はぬぐえなかった。

ロンドンに行っても、奇行とだらしなさで周囲をきりきり舞いさせる。

体も心もボロボロで、年をとってしまったけど、誰もが『オズの魔法使い』のドロシーを覚えている。往年のスターは往年のファンの尊敬と敬意に満ちた視線は当惑と幻滅に変わっていく…。

それでも、映画の登場人物はみな、ジュディに憧憬の念を抱き続ける。

 

 

レニー・ゼルウィガーの演技力をもっても越えられないやりきれなさ

映画の設定もお話の運びもおおむね事実。実話。

 

「昔辛いめにあったから今も引きずっている」

 のがなぜなのかが観客にはついにわからないまま映画が終わってしまう。 子役の時にクスリを強要されたからだ。との説明は何回も出てくる。

もちろん、通説なんですが

あえて今、ジュディを語るのであれば、新しい事実や解釈があるのかしら、と密かに期待していたのですが。

「子どもと一緒に暮らしたいから」はいかにも現代的なディテールではあるけれど、それだけではいま一つ、弱い。

ジュディがなぜ「ダメな人」なのか、なぜ更生できなかったのか。

もしくは、憑依派、レニー・ゼルウィガーが演じるのだから

「なるほど、ジュディがダメな人でも仕方がなかったんだ」と腑に落ちるような映画になるのかと思っていたのですが…。

辛いのはおおいにわかるのですが。その前に己を顧みるべきではなかったのか、とのわだかまりが消えない。

子どもに「ママは好きだけど、パパと暮らしたい。もう引っ越したくない」と言われてしまう。

最後の結婚(5回目)でご主人がジュディ・ガーランドの名前でビジネスを立ち上げようと画策する。しかしジュディのルーズさがネックとなってうまくいかず、あっという間に2人は衝突。

そもそも子どものためにロンドンに行ったはずなのに、なぜ男を作る。

さらに言うなら、2人の子ども(ローナとジョーイ)の父親は3回目の結婚相手。もう1人、男を作っているのです。

事実があまりにも超絶すぎて映画のパワーが追い付いてこない印象。

越えようにも越えられない闇と壁…。

はがゆさ・もどかしさ・やりきれなさが、あるいはこの映画の本当のテーマなのかもしれません。

 

そして全てひっくるめて、

大好きなジュディー・ガーランドがスポットライトを浴びている。うれしい。

新しい才能が、伝説を語り継いでいく。うれしい。

 

 


【公式】『ジュディ 虹の彼方に』3.6公開/本予告