ヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh 1913-1967)は、イギリスの世紀の美人女優。映画「風と共に去りぬ」ヒロイン、スカーレットのスクリーン・テストのフィルムが残されています。ヴィヴィアン・リーが100点なら、残りの当時(1930年代)のトップスターたちは、0点だわ。くるくる変わる表情の愛らしさ。いきいきとしたテンポの速い仕草。野性的で、生命感に満ち溢れて。気品と誇りを持ち、かつ激しくたぎる意志を持った少女。
- 風と共に去りぬ(Gone with the Wind) 1939
- 【コラム①】 ローレンス・オリヴィエ(Laurence Olivier 1907-1989)との世紀の恋。
- 「哀愁」(Waterloo Bridge) 1940
- 「美女ありき」(That Hamilton Woman) 1941
- 「欲望という名の電車」(A Streetcar Named Desire)1951
- 【コラム②】世紀の恋の始まりと終わり
- 「無敵艦隊」(Fire Over England)1937
- 「シーザーとクレオパトラ」(Caesar and Cleopatra)1945
- 「アンナ・カレニナ」(Anna Karenina)1948
- 【コラム③】人柄と若き日と晩年と。
- まとめ
スカーレットって嫌な女のはずなのに。ヴィヴィアン・リーが永遠の命を吹き込んだ。世界をうならせた。あまりにも衝撃的だった。
そして燃える魂を持った女を演じたかと思えば、メロドラマのヒロインの可憐な物腰、刻々と見せ場が続く絶妙な感情表現の一つ一つが繊細で、胸は絞られ切なさに引き裂かれそう 。
かと思えば、美貌と才智に恵まれながらも傷つき、迫りくる老いの恐怖に苛まれ、過去を暴かれ、強姦され、精神病院に引き取られていくラストに背筋は凍り付き、固まったまま動けず。
文字通りか弱い女性の打ち立てたものすごすぎる偉業と人となりと世紀の恋の話など。
風と共に去りぬ(Gone with the Wind) 1939
説明不要かも。でも一応。舞台は南北戦争を控えたアメリカ南部、ジョージア州。タラ(農園の名前)の農場主の令嬢、スカーレット・オハラは憂い顔のアシュレー・ウィルクスを愛していたが、アシュレーはイトコのメラニーと結婚してしまう。戦争の火ぶたは切って落とされ、腹いせにメラニーの兄と結婚したスカーレットだが、夫はあっけなく病死(戦病死)。チャールストンからやってきた封鎖破りのレット・バトラー船長はスカーレットに思いを寄せるが、スカーレットはまだアシュレーを愛していた。アトランタは北軍の攻撃を受け、メラニーと生まれたばかりのアシュレーとの間に出来た赤ん坊を連れ、レットの助けを得てアトランタを脱出する。敗戦後、タラの税金の工面のため、スカーレットは妹の恋人を奪って結婚するが再び未亡人となり、ほどなくレットと三度目の結婚。娘、ボニーが生まれるが、ボニーは落馬事故で死んでしまい、もともと病弱だったメラニーも世を去り、ようやくスカーレットはレットを愛していたことに気づく。しかしレットは去っていった。不屈の魂を持ち、負けを認めないスカーレットは昂然を頭を挙げ、再起を誓う。
スカーレットの瞳は、原作では緑。ヴィヴィアンの瞳の色は青。イエローのライトを浴び、不滅のスカーレット・オハラの瞳は碧に輝く。魂は宿る。
『風と共に去りぬ』には映画の全てがある。
と断じたのは映画監督から直木賞作家に転身した高橋治先生(1929-2015)。いわく
私は映画のプロだから率直に言わせてもらうが、映画には年老いていくものと若返るものがある。『羅生門』は老いる。『東京物語』は若返る。チャップリンの『独裁者』は老いさらばえるが、キートンの『ゴー・ウエスト』はどんどん若くなる。『風と共に去りぬ』は不滅の作品であり、不滅の若さが残った。
みどころとしてはまず壮大なスケールで描く骨太かつ重厚なドラマであり超大作である。何度も映画で超大作、作られている。しかし製作されてから80年近く、後塵の追い上げにビクともせず、普遍のNo.1の座を譲らない。
有名なシーンは前半に多い。
- 冒頭、スカーレットが白のドレスを着てタールトン兄弟とタラで語り合う
(ヒロイン・スカーレットにみんな釘付け!) - スカーレットがマミーにコルセットを締め上げられる
(原作中に記載のある三郡きっての細い腰、17インチ(43.18㎝!)は多分無理なんだけど十分に魅力的) - ウィルクス家で開かれるパーティー
(古き良き時代、上流階級の優雅な生活。) - レットがスカーレットを競り落とし、慈善バザーで2人で踊るダンス
(喪服の未亡人がお金でダンスを意気揚々と踊るなんて!と旧世代のお歴々は卒倒せんばかり) - 戦傷者にあふれるアトランタの大広場をスカーレットが歩き、カメラが引いていく大俯瞰
(戦争の悲惨さが伝わってきます) - 弾薬庫が燃え、崩れ落ちる中、スカーレットとレットをのせた馬車が辛くも通り過ぎる
(大スペクタクル!!!) - レットがスカーレットに軍隊へ行くと告げ、帽子を投げ捨てた後の2人のキス
(永遠です!) - スカーレットが拳を振り上げ、「決して飢えない」と誓う
(”焔の女”スカーレットの面目躍如!) - ラストシーン レットの別れ際のセリフ「Frankly my dear, I don't give a damn.(知ったことか。勝手にするがいい)」
「damn」は神が呪うという意味。キリスト教徒は今も昔も、この言葉は使わない。耳にしただけでさっと顔色が変わる。の類の言葉が映画で使われた。日本人にはいまひとつ、感覚的にわかりにくいのですが。アメリカ人は、日本人がトップに選ぶであろうこの映画の名セリフ「tomorrow is another day(明日は明日の風が吹く)」よりもレットの衝撃的な「I don't give a damn.」を選ぶ。 - 赤い大地タラとスカーレットのシルエット
(映画の冒頭。第一部の最後。第2部の最後。に繰り返し出てくる。大地に立ち上がる人間の生き抜く力強さ) - テーマ音楽 「タラのテーマ」
ここぞの決めのシーンに繰り返し流れる雄大なフルオーケストラの曲。当然大スタンダード。
さらに動(「激」か「烈」がホントはふさわしいんだけど)のスカーレットと静のメラニー、野性のレットと理性のアシュレーのキャラクター。
戦争前の典雅な暮らし、怒涛の南北戦争と戦後の復興とドラマティックな歴史の一場面をしっかりきっちり描いていること。
そして人間模様に気を取られ、ストーリーを追いつつも「人間」という真のテーマがくっきりと浮かび上がってくる。唯一無二。永遠の映画と呼ばれるゆえん。
そしてヴィヴィアン・リーとクラーク・ゲーブル。のスターの磁力とオーラが「永遠」「不滅」にとどめを刺す。
「風と共に去りぬ」のリメイクなんて、誰も考えられないもの。ヴィヴィアン・リーしかいないもの。ヴィヴィアン・リーは、そんな女優なのです。台本を読んでキャラクターを作り上げる。出来上がった役は天高く舞い上がり、誰もが仰ぎ見ることしかできない。
ご愛用の香水はジャンパトゥの「JOY」。
【コラム①】 ローレンス・オリヴィエ(Laurence Olivier 1907-1989)との世紀の恋。
2人の初めての映画の共演は「無敵艦隊 Fire Over England」(1937)」。ローレンス・オリヴィエはセックスアピール満載の端正きわまる良い男で飛ぶ鳥を落とす勢いの未来を嘱望されたシェイクスピア俳優。ヴィヴィアン・リーは美貌の新進女優。前々からオリヴィエに憧れており、「私はきっとローレンス・オリヴィエと結婚するわ」と語り周囲はびっくりしたとか…。
ご覧の通りの美男美女。確かに。惚れますよ。これは。
程なく2人は恋に落ちる。ただし公にはできない。オリヴィエには妻と生まれたばかりの子どもがいた。ヴィヴィアンには夫と娘がいた。オリヴィエはハリウッドから声がかかり、アメリカへ渡る。ヴィヴィアンは矢も楯もたまらず後を追い、大西洋を越え、アメリカ大陸を越えていく。(凄い行動力だ…。)アメリカで仕事ができるな ら。スカーレット・オハラの役をつかめば。オリヴィエと一緒にいられる。
そしてオリヴィエは「嵐が丘」(Wuthering Heights)1939で、ヴィヴィアンは「風と共に去りぬ」で、2人とも世界的な成功をおさめる。世間に勝った!世論をねじ伏せた!オリヴィエは妻と、ヴィヴィアンは夫との離婚は晴れて成立し、1940年、2人は結婚する。
にもかかわらずオリヴィエの前妻(女優ジル・エズモンド Jill Esmond 1908-1990)もヴィヴィアンの前夫(弁護士 ハーバート・リー・ホルマン Herbert Leigh Holman ヴィヴィアン・リーの「リー」は夫の姓をとったもの)も2人を決して憎まず、子どもたちを交えての良き友人としての交流はヴィヴィアンの生涯を通じて続いた。2人のお人柄とも、ヴィヴィアンの人を惹きつけてやまない人柄がそうさせたのだとも言われている。
「哀愁」(Waterloo Bridge) 1940
実はヴィヴィアン・リーはスカーレットを「こんな牝犬みたいな役は私にはできない」とも語っていた。自身が「最も好きな役」と語った映画がこちらです。
可憐な踊り子、マイラ役。ちなみにモノクロ。
ストーリーは、メロドラマ。悲恋の物語。第一次世界大戦下のロンドン。ウォータールー橋でロバート・テイラー(Robert Taylor 1911-1969)とヴィヴィアンは出会う。ヴィヴィアンはバレリーナ。テイラーは将校さん。惹かれ合ったふたりは結婚の約束を交わすが、男は戦場へ。女は生活のため娼婦に身を落とし、戦後二人は再会を果たすものの、女は自分の身の上を恥じてトラックに身を投げて死んでしまう。がストーリー。
筋だけ書けば凡庸に感じちゃうのですが、この映画の見どころはディテールにある。
まずロバート・テイラー。世紀の美男スターで売った。ヴィヴィアン・リーは世紀の美女ですからね。顔だけ見てて、当時の男性客も女性客も、ウットリしていたのです。
そしてヴィヴィアン・リーは、巧みな繊細な演技派である。圧倒的なパワーで観客をなぎ倒す。正統派のパワーがまっすぐに観客を射抜く。
ロバート・テイラーはいいトコのお坊ちゃんの役だからなのかもともとの役者としての個性なのか、良くも悪くもおっとりしており、女優の演技が引き立つ。
二人が知り合い、恋に落ち、歓喜と絶望の間を行ったり来たり。その時々の、「風と共に去りぬ」の時にも見せた、細やかな表情の動き。強い女のそれではなく、 運命にもてあそばれ、零落し、愛していたのはあなただけ。と言い残して自らの命を絶つ。恋する女のつつましさ、女らしさ、恋しい人を見つめるときめき。高まる心。罪の意識、自己嫌悪、諦めと放心。の一つ一つに、魅了され、映画は終わるのです。
ヴィヴィアンの演技の真骨頂の見せ場満載で、恋愛映画の古典として、ヴィヴィアン・リーの代表作の一つとして、語り継がれていくのです。
「美女ありき」(That Hamilton Woman) 1941
オリヴィエ夫妻が共演したイギリスの英雄、隻眼・隻腕の名将・勇将・猛将ホレーショ・ネルソン海軍提督とハミルトン夫人のロマンスを描いた映画。
そしてネルソン提督といえば、日本で言えば豊臣秀吉・坂本龍馬級の歴史上の殿堂入りの英雄。ロンドンの「トラファルガー広場」はネルソン提督の奇策(ネルソン・タッチ。1列になって進む艦隊に横から2列の艦隊が攻撃を仕掛け、敵を崩す戦法)により英国海軍が歴史的勝利を収めた海域の名前から取られている。トラファルガー広場で高さ約50mにそびえる記念塔で死してなお、敵国フランスに向かってすっくと立つのがネルソン提督。を端正なオリヴィエ。
ハミルトン夫人は鍛冶屋の娘から身を起こし、美貌と才智で歴史に名を残した人妻。をヴィヴィア ン・リーが演じる。
典雅な典雅な時代絵巻である。二人が晴れて夫婦となった直後に撮られた映画で、ヴィヴィアンのまさに絶頂期の美しさ。ここでも微妙絶妙な感情表現。の両方を堪能しつくすのであれば、この映画を推します。
当時の社交界では夫・妻双方とも愛人を持つことはさして珍しくはなかったものの、ネルソン提督は超有名人であり、当人たちは愛し合っているとしても出自もアヤシイ成り上がり者のハミルトン夫人は叩きやすかった。
世間を騒がせた大胆な不倫なので実は…のトリビアは数々あったものの、第二次世界大戦前の製作なので国威高揚の思惑もからみ、世紀のゴールデン・カップルが、ヴィヴィアン・リーが演じたことで夢のような、麗しくもあでやか、きらびやかにして悲しいおとぎ話のように仕上がっている。
かのウィンストン・チャーチル(Winston Churchill 1874-1965)の大のお気に入りの映画でもあった。
「欲望という名の電車」(A Streetcar Named Desire)1951
世界の名画の1つである。完璧な出来栄え。ヴィヴィアン・リーの映画のキャリアから言えば、「風と共に去りぬ」のあとに持ってくるべきだ。演技も絶賛の嵐である。ヴィヴィアン・リーの出演映画の堂々No.2。はこの映画に決まってるんですけど~。
演じてみたい。挑みたい。は痛いほどわかるけど。演技のやりがい、達成度には文句をつけようがないんだけど。世界を征服した魅惑のスカーレットが、なんでここまでエキセントリックな役を。
この映画に出演したとき、38才。十分に若い。なのにかさかさに乾いた肌、こけた頬、ブロンドに染めているのでアイラインの黒のどぎつさが目立ち、高貴な育ちなのに暗い過去を抱え、挫折し、絶望の果てに絶望に襲われ、発狂してしまう…。の鬼気迫る迫力。
当時は新進の超演技派マーロン・ブランド(Marlon Brando 1924-2004)との火花散る展開、スクリーンに立ち込めるねちっこさとエネルギー、生々しさ。見せ場には事欠かないのですが。
しかし、やっぱり、演技には脱帽できても変わり果てた姿に呆然とし痛々しく凍り付き固まってしまうといいますか。
アカデミー主演女優賞受賞作(2つめ。1つめは当然「風と共に去りぬ」)です。
英国王室御用達ラグジュアリーブランドのスマイソンSMYTHSONのノートブックコレクションを御愛用。必ず左上に彼女のイニシャルが美しく刻まれていたのだとか。
【コラム②】世紀の恋の始まりと終わり
ついに、世界が羨む美男美女のゴールデン・カップルが誕生した。
ヴィヴィアンの最初の結婚は19才。早い。美少女ぶりと思い込みの激しさがうかがえる。
そして家庭がありながら妻子ある男性と結婚する。との言葉を何気に口にしてしまうところに、尋常ならざる不穏な空気が漂う。
更にそのまま、実現してしまう。私のような平凡な人間には理解不能、判定不能です。 二人の結婚は、20年続いた。「20年しか」とすべきか、「20年も」とすべきか迷うけど。結婚までの険しい道のりにつきまとって離れなかったあやうさと胸騒ぎは、じわじわと、じわじわと形になっていく。
結婚後も二人は映画に舞台に精力的に活躍。しかし過労がたたったのか、1944年、ヴィヴィアンは結核に倒れる。1945年、妊娠・流産の時期あたりから双極性障害の症状が現れ始める。
「オリヴィエは完璧。ヴィヴィアン・リーが(舞台の価値の)足を引っ張っている」の批評に耐えられない。
夫は1947年に「ナイト」の位を授けられ、ヴィヴィアン・リーは「レディ・オリヴィエ」と称される。しかし、表には絶対出せないけど、胸に焦りと羨望は煮えたぎる。夫を愛している。誰よりも。そして夫と演技で肩を並べたい。超えたい。愛する人とともにいる。と同時に神経は研ぎ澄まされ、すり減っていく。
症状は次第に人に知られていく。1951年「欲望という名の電車 A Streetcar Named Desire」はヴィヴィアン・リーのキャリアに輝かしい1ページを加えたが、ことメンタルに限って言えば、よろしくない。しかしヴィヴィアンは役にのめり込み、周囲の意見に耳を貸さない。
1953年、スリランカのセイロン島でロケ中、発作を起こし、オリヴィエは迎えに行った。カメラのフラッシュを浴びながら。
1956年に再び妊娠するが、またも流産。
普段は、発作が収まれば完璧なレディぶりは元のままなのですが…。公然と人前で夫と口論する。ののしる。手をあげる。不倫し、事実を洗いざらい口にする。
オリヴィエだってされるがままではない。やり返す。
全てを捨てても顧みない恋ではあった。が事ここに至っては。オリヴィエは共倒れとなる道は選ばなかった。自らが生き残ることを選んだ。誰が責めることなどできましょう。ヴィヴィアンを捨て、別の女優と結婚した。(離婚の時のヴィヴィアンの「レディ・オリヴィエはサー・オリヴィエの望むことは何でもかなえてさしあげます」の言葉は哀しすぎる…)
オリヴィエは三度目の妻(ジョーン・プロウライト Joan Plowright 1929-)との間に一男二女の子どもに恵まれ、ナイトに続き爵位に叙せられ、功成り名遂げた生涯でした。
ヴィヴィアン・リーは終生、傍らにラリー(ローレンス・オリヴィエの愛称)の写真を置いていた。わずか53才で結核は再発し、ロンドンのアパートで喀血し、亡くなった。この落差。
「無敵艦隊」(Fire Over England)1937
「美女ありき」に先立つこと4年。のちのオリヴィエ夫妻の初めての映画共演作であり、日本初登場のヴィヴィアン・リーの映画である。
もっとも、公開当時は、エリザベス女王を演じたフローラ・ロブソン Flora Robson (1902-1984)の主演映画だったんですけどね。
必ず勝つ。誓いと自信により名づけられたスペインの「無敵艦隊」130隻を英国の若き海賊たちが智謀を尽くして立ち向かい、打ち破る!お話です。
女王に仕える海賊がオリヴィエ、侍女がヴィヴィアン。初々しい御両人。いわく
エリザベス女王の前に出た彼女が腰を美しく半円に動かし長いスカートをさっと開いて足をまげ腰を追って女王に最敬礼する。その時の伏せた顔を上げた時の胸の線の美しさ!(淀川長治)
「シーザーとクレオパトラ」(Caesar and Cleopatra)1945
クレオパトラは別の女優さんも演じているけど(クローデット・コルベール、エリザベス・テイラー、モニカ・ベルッチなど)。この頃、結核になるんですね。顔が明らかに細い。前の映画より明らかに細い。
クレオパトラって、女王様なんだから。政治家だ。政治家がこんなにピリピリとセンシティブで癇走っていてスリリングで、持つのだろうか。
そしてただヴィヴィアン・リーが立つだけで、暗さと妖しさが炸裂している…。のを見るだけで、この映画は十分に、価値がある。
「アンナ・カレニナ」(Anna Karenina)1948
この映画もグレタ・ガルボ、マイヤ・プリセツカヤ、ソフィー・マルソー、キーラ・ナイトレイ等々、錚々たる顔ぶれで何度も映画化されているロシア文学の傑作。
なのでロマノフ王朝時代のコスチューム・プレイで、楚々としたヴィヴィアン・リーのドレスに見とれつつ、非の打ちどころのない貴婦人が真の恋に落ち、愛するがゆえに真実の愛を貫くが男の心は離れてしまい、自ら命を絶つ女の哀れさが迫る。
歴代アンナのなかでもダントツの腺の細さ。そしてこの映画ではヴィヴィアン・リーのエキセントリックな面影は影をひそめ、物柔らかにして神々しい。(このころ鬱に入っていたとのこと)
【コラム③】人柄と若き日と晩年と。
ヴィヴィアン・リーはインドのダージリン生まれ。コスモポリタンなんですよ。自分で言っている。いわく
両親はフランス人とアイルランド人でスペイン人の血も混じっていて、アメリカが好きだしアメリカ人だとも思っています
学校は上流階級の(お姫様とかが同窓生)の通う修道院の付属学校(お母さんがカトリックだったので)。イギリス、フランス、イタリア、ドイツといくつも通った。アメリカで名声を確立し、映画や舞台で世界を飛び回る生涯だった。お父上は事業に成功し、ヨーロッパ各地を旅して回る優雅なお嬢さん時代。
19才で結婚、出産。家事は召使がする。育児は乳母がする。女優は時間を持て余した若妻の時間つぶしだと、最初の夫は思っていた。もちろん、後年は生活のために働 いたけど、スタートは明らかに違った。下宿代と演技のレッスン代と母親の精神病院の費用で服を買うお金もなく、ろくな食事もしていなかったマリリン・モンローなどが反射的に頭に浮かぶ。
修道院学校は規則が厳しい。もあったか本人の人柄か、両親の躾か。まずとても綺麗好きで潔癖症だった。白い手袋を何ダースも持っていて、しみのついた手袋をはめなくて済むよう、必ず予備の手袋がハンドバックに入っていた。部屋はいつも寸分の隙もなく整っており、香水を手放さない。部屋には花を欠かさない。
最初の夫が家具が好きで、早いうちから家具調度や絵画の趣味が良く、オリヴィエと住んだノトリー荘、晩年愛したティカレージ荘はヴィヴィアンが整え、週末は世界の著名人がヴィヴィアンの側に集う憩いの場だった。
友人が多く、日に何通も事あるごとに手紙を書いた。贈り物をするのが好きだった。プレゼントをもらっても、より良いお返しを返さねば気が済まない。
「スカーレットの微笑み」に、魅了されない人はいない。気品があって聞き上手で機知に富み、双極性障害の発作は度重なっても、友人たちはヴィヴィアンをかばい、フォローし続けた。元のヴィヴィアンがみんな、好きだったから。
そして感受性の高い人・神経質な人、とてもとても繊細な人でありながらど根性の人でもある。双極性障害だなんて。結核だなんて。聞いただけで即、引退でも少しもおかしくない。なのに医者がいくら言っても言うことを聞かない。ろくろく眠らず(が生涯続いた体質)朝早くから夜遅くまで活発かつエレガントに動き回る。
(…メンタル病み、あるあるですよね。このタイプの人。完璧主義者で、自分で決めたことが上手くいかないと内にこもり、本人の自覚がないままにふとした機会に暴走してしまう。)
映画の話ばかりになってしまいましたが、ヴィヴィアンにとってはむしろ舞台が本来の活動の場。舞台女優としても数々のあたり役と栄光を勝ち取った。古典劇ではオフィーリア、ジュリエット、マクベス夫人、クレオパトラ、アンチゴーヌなどドラマティックな役、現代劇ではソーントン・ワイルダー作「危機一髪 The Skin of Our Teeth」(1945)のサビーヌ役、「欲望という名の電車」ももともとはヴィヴィアンの出演した舞台版をハリウッドに持って行って映画化したもの、ブロードウェイミュージカル「トヴァリッチ Tovarich」(1963)の大公妃役など。
戯曲を山ほど取り寄せて研究したり、演技の解釈で議論を重ね、巡業ともなれば世界中を旅し、行く先々でスカーレット・オハラに一目だけでも会いたい人々の期待に応えつづける。劇場の維持だって劇団員の面倒だって見なければいけない。双極性障害の発作が起こっても、舞台に立てば。ピタリと発作はやんだ。立派に舞台だけは勤め上げた。
子どもと、孫とも語り合いたい。一緒の時を過ごしたい。週末は数多くの友人を迎え、人をもてなすのが好きだった。
まとめ
どうしても演じたかった役はスカーレット・オハラとブランチ・デュボア。2つとも金字塔を打ち立てた。 クレオパトラ、マクベス夫人、エマ・ハミルトン、アンナ・カレーニナ、アンティゴーヌ。美しく格高く、スケールの大きい女性があたり役、はまり役。
2人の夫も最後の恋人ジョン・メリヴェール(John Merivale 1917-1990)もヴィヴィアンと出会ったその日から亡くなる日まで、お互いを気遣い、良き友人であり続け、3人とも揃って葬儀に参列し、ヴィヴィアンをしのんだ。
オリヴィエは晩年、「どうして(ヴィヴィアンと)うまくいかなかったんだろう」と涙したと伝わります。
何不自由なく育ち、仕事人として頂点を極め、良き男性を愛し、愛され、友人に恵まれた。ホルマン夫人で、オリヴィエ夫人で満ち足りる女であったなら。普通の女であったなら。添い遂げられたのかもしれない。早すぎる死、若すぎる死、傷ましすぎる晩年はなかったのかもしれない。
しかし、ヴィヴィアンは満足できなかった。だって、普通の女ではなかったから。
そして私たちはヴィヴィアンが身を削り、命を削り、全身全霊でつくりあげ、 残した遺産を見つめ続け、感動と感嘆のため息と余韻にひたっている。前人未踏・空前絶後。
ヴィヴィアンのお墓はないのです。灰は晩年愛したティカレージ荘の湖に散骨されました。