エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor 1932-2011)。 12歳で子役スター。世紀の美貌を歌われた美人女優。そして8度の結婚・離婚、3度の帝王切開、度重なる病と入院、2度の命を落としかけた肺炎、何度かのノイローゼと自殺未遂、無数のスキャンダル。に勝ち抜き、「クレオパトラよりも美しくそして傲慢な女王」として君臨し、一目置かれ、栄光の中この世を去ったハリウッドのモンスター。マリリン・モンローがハリウッドの犠牲者だったとすれば、エリザベス・テイラーはハリウッドの勝者。
- 陽のあたる場所(A Place in the Sun 1951)
- クレオパトラ(Cleopatra 1963)
- 熱いトタン屋根の猫(Cat on a Hot Tin Roof 1958)
- ジャイアンツ(Giant 1956)
- 【コラム①】エリザベス・テイラーのあまりにも有名な8回の結婚遍歴ほか
- 花嫁の父(Father of the Bride 1950)
- 緑園の天使(National Velvet 1944)
- ヴァージニア・ウルフなんかこわくない(Who's Afraid of Virginia Woolf? 1966)
- 黒騎士(Ivanhoe 1952)
- 【コラム②】エリザベス・テイラーの人となりと演技
- 雨の朝巴里に死す(The Last Time I Saw Paris 1954)
- バターフィールド8(Butterfield 8 1960)
- いそしぎ(The Sandpiper 1965)
- 去年の夏 突然に(Suddenly, Last Summer 1959)
- 若草物語(Little Women 1949)
- 【コラム③】エリザベス・テイラーのファッション遍歴と宝石
- まとめ
陽のあたる場所(A Place in the Sun 1951)
リズ17-8才。まさに開きかけた朝露に震える大輪のバラのような息を呑む美しさ。
この映画の凄いところは、「リズの美しさを観客にみてもらう」ための映画であることは暗黙の了解。さらに「なぜエリザベス・テイラーでなければならないのか」がものすごい迫力でビシバシ伝わってくるところ。
貧しい、野心に燃えた青年が、必死になってはいあがろうともがく。高みにいるのは破格の美少女。憧れてやまない「陽のあたる場所」の象徴がリズである。従ってこの世のものとは思えぬデラックスな美しさと気品を持ち、死刑に赴く青年(同僚の女の子を妊娠させ、思いあまって殺してしまう)は、面会に来たリズの涙を見て(つまり気もちも優しい。清く正しい令嬢)己の罪の深さを思い知る…。生半可な美人女優じゃ、説得力が弱くなってしまう。
エリザベス・テイラーはややもすると美貌ばかりが取りざたされますが、実はボディも凄い。胸が大きく、ウエストが細い。脚は脚線美とまではいかないけど、細く、殊に膝から下が華奢で細く、かつ足首が締まっている。なので黒の水着姿なんかもグラマラス。
この映画で着た白のプロム・ドレスは歴史に残る。
そして細ぉ~いウエストと、なだらかでまろやかな肩のラインを最大限に活かすデザイン。ベアトップで肩を剥き出しにして、胸元には小さな白の花をいくつもあしらい、ウエストをぎゅーっと絞り、スカートはふんわりと拡がって胸元に続き、小さな花が縫い付けられている。成熟した女性・大年増、じゃなく10代の女の子にふさわしいドレス。可憐で清楚で可愛くて、この映画をきっかけに大ブレイクした。ハリウッドのドレス・ドクター、イーディス・ヘッド(Edith Head 1897-1981)のデザイン。
ニューヨークの憂い顔のスター、モントゴメリー・クリフト(Montgomery Clift 1920-1966)とは公私ともに相性も良く、骨太で社会問題提起のドラマとしても見応えがあり、映画を見終わった後、ズシンと胸に迫る。世界の名画に、エリザベス・テーラーの代表作に数えられる名画。
クレオパトラ(Cleopatra 1963)
観なくていいです(笑)。批評はさんざん。クレオパトラの大根ぶりと映画のつまらなさが際立つ。
なのになぜナンバー2なの?と思われるでしょうね。
とにかくエピソードが膨大で、リズの良く言えば大スターぶり、悪く言えばわがままぶりがこれでもかこれでもかとてんこ盛りで、顛末だけで本が1冊書けてしまうすさまじさ。そして今の目から見れば、この映画は全盛期・黄金期のハリウッドのスター・システムが作り上げた豪奢な遺産(当時振興勢力のテレビに対抗しようと、大がかりな仕掛けの歴史劇とスペクタクル劇が次々作られた)。全部CGじゃない。オール実写。
まずギャラがすごい。リズのギャラは100万ドル。しかるに映画制作中は御難続きで役の交代、リズの病気、セットの作り直しや撮り直しで経費は雪だるま式にふくれあがる。挙げ句の果てのダブル不倫。
で、2年もかかってありとあらゆるトラブルを乗り越えて作った映画なのに、できあがった映画は超駄作で大赤字。製作元の20世紀フォックスの屋台骨が傾いた。なのにリズご本人の懐には権利金その他で3,300万ドルが転がり込んだ。
リズの8回に及んだ結婚・離婚歴はあまりにも有名。しかし略奪婚した途端、次の相手を見つけて乗り換える!? 所業には誰もが呆れ果てて開いた口がふさがらず、なのに当のご本人はますます磨きのかかり、脂の乗った女ぶり、大金持ちの美人スターで傍若無人で怖い物知らずで、でも「リズなら」と世間も認めざるを得ない、毒々しさと傲慢さを兼ね備えた大スター、のイメージは、映画「クレオパトラ」をもって極まった。
映画は見なくても良いけれど、ググってでてくる「ここまでやるのか」的な画像の数々を見て驚愕させていただきましょう!
熱いトタン屋根の猫(Cat on a Hot Tin Roof 1958)
若い時のエリザベス・テイラーは美人だが大根である。が定説。この映画はテネシー・ウィリアムズ(Tennessee Williams 1911-1983)の著名な作品の映画化であり、共演もポール・ニューマン(Paul Newman 1925-2008)と豪華。そしてエリザベス・テイラーの演技のターニングポイントとして特筆するべき映画。
リズの3度目の結婚相手は敏腕プロデューサーのマイケル・トッド。ところが、結婚後わずか14ヶ月め、トッドは愛機「リズ」で飛行機事故にあい、新妻と愛娘を残して事故死してしまった。
リズのショックは傍目にも痛ましく、鎮静剤なしに葬儀にも立ち会えなかった。の頃に製作が進んでいた映画で、当然撮影続行は不能かと思いきや、トッドの死後一週間、リズは撮影所に赴いた。映画撮影は続行された。
映画の内容もテネシー・ウィリアムズらしくやりきれなく、アメリカ南部の旧家を舞台とし、遺産相続の思惑と同性愛の夫(時代背景として、同性愛をおおっぴらに表に出した映画作りはタブーであり、その気で見ないとさっぱりわからない)との(夫婦)関係を取り戻そうとする若妻、とナーバスさゆえに見せ場も多く、夫を失ったばかりのリズの体当たりの演技はうまい・まずいを越え、リズ自身を一回り大きくしたことは間違いない。
批評も好意的でリズの演技は高く評価され、2度目のアカデミー主演女優賞のノミネート。(初のノミネートは前年の「愛情の花咲く樹 Raintree County」(1957))
しかしながらクランクアップ後、受賞式当時、リズは不倫バッシングで叩かれまくっていた時期だった。オスカーの体質・性格として演技そのものはもちろんだが「人の夫を奪う女」にオスカーはやれない。は定説・常道。受賞を逃したことでも知られている。
ジャイアンツ(Giant 1956)
エリザベス・テイラーの映画としてよりも、生涯たった3作しか映画に出演できす、劇的な事故死のあと、悩めるアメリカの少年~青年の永遠のシンボルとして今なお神格化された存在、ジェームズ・ディーン(James Dean 1931-1955)の映画として名高い。超有名であり、入手しやすく見つけやすいのが強み。
役どころは、アメリカ西部、テキサスの広大な農場主の妻で、東部の名門の令嬢。美しき人妻に密かに思いを寄せる牧童がジェームズ・ディーン。
ジェームズ・ディーンにばっかり注目がいっちゃってますが、もともとこのドラマは名門一族の栄枯盛衰を追いながらアメリカ西部の大自然と人間のあり方を見せんとする大河ドラマである。
映画は「ロック・ハドゾン・エリザベス・テイラー・ジェームズ・ディーン」の順番でクレジットされており、でっかい夢を抱いて西部にやってきて大牧場主となるロック・ハドゾン(Rock Hudson 1925–1985)、撮影当時23才だったリズが老け役・汚れ役に果敢に挑む、リズを愛しながらも成り上がっていくジェームズ・ディーンと、3者3様の見せ場がそれぞれあって話題を呼んだ映画。
リズ自身も、自分の出演する映画が単なる添え物や男性中心のドラマの相手役、といった立ち位置に飽き足らなくなってきた時期でもあり、骨太の女の一代を演じられる手応えを感じて出演を決めた。
撮影当時、リズの結婚相手は2番目の夫、マイケル・ワイティング。結婚したはいいんですが、最初のうちは専業主婦していたものの、夫の年収が、足りない…(普通の庶民ならともかく、リズですから)。とハリウッドに戻り、子どもを産みながら映画に出演していた、言わばワーキング・マザーの時代の1作。
【コラム①】エリザベス・テイラーのあまりにも有名な8回の結婚遍歴ほか
いちおうエリザベス・テイラー、結婚相手のリスト、あげておきます。
- コンラッド・ヒルトン Jr.(Conrad Nicholson "Nicky" Hilton Jr. 1926–1969)
(パリス・ヒルトン、ニッキー・ヒルトンのおじいちゃんのお兄さん。ヒルトンホテル財閥の御曹司)
(結婚の期間:1950年 - 1951年) - マイケル・ワイルディング(Michael Wilding 1912–1979)
(結婚の期間:1952年 - 1957年)
(イギリスの人気スター。のちハリウッドにも進出) - マイケル・トッド(Michael "Mike" Todd 1909–1958)
(結婚の期間:1957年 - 1958年)
(大がかりな仕掛けやプロモーションで話題の映画や舞台を手掛けたプロデューサー) - エディ・フィッシャー(Eddie Fisher 1928-2010)
(結婚の期間:1959年 - 1964年)
(1950年代のアメリカを代表する人気歌手) - リチャード・バートン(Richard Burton 1925-1984)
(結婚の期間:1964年 - 1974年)
(オックスフォード大学出身のセックスアピールあふるるシェイクスピア俳優) - リチャード・バートン(Richard Burton 1925-1984)
(結婚の期間:1975年 - 1976年)
(同じ人ともう1回結婚して離婚) - ジョン・ウォーナー(John William Warner 1927-)
(ロナルド・レーガンを支持した共和党の重鎮の上院議員で要職を歴任)
(結婚の期間:1976年 - 1982年) - ラリー・フォーテンスキー(Larry Fortensky 1952–2016)
(結婚の期間:1991年 - 1996年)
(アルコール依存のため入院していた時に知り合った建設作業員)
結婚は8回。離婚7回。死別1回。(ついでに言えば結婚に至らなかったロマンスも両手では足りない)で、一番長く持ったのが10年(死別は14カ月)。
最初と二度めは10代と20代の初めだし、長持ちしないのもまあ、仕方がない気もする。3度目の結婚が死別。
しかし4度めから6度めの結婚・離婚は大げさに言えば世界をゆるがした。
4度めの結婚はお友達の御主人を横取りしちゃう。やっと結婚したかと思えば次の男に夢中になって、相手の男の家庭も壊し、バートンもリズも双方の配偶者に100万ドル単位の慰謝料を払って結婚したかと思うと結局別れ、もう1回ご丁寧に結婚して、また別れた。離婚は全部リズの心変わりでリズから離婚を切り出したというのですから、「何もいちいち結婚しなくても」とか思っちゃう。
人柄のストレートさが見えてくる。もちろんわがままなんですけど、裕福なお家のお嬢様で(父親は画商で母親は元舞台女優)、小さい時からの撮影所育ちで世間知らずで。
育ちが良さからくるリズなりのルールがあり、ブレてない。
人目を忍ぶ情事なんか我慢できないんだから。 陰にまわって陰湿なところ、わからないようにうまくやりましょ。のトコがない。激しくて手練手管やコケットリーは皆無。当の彼女は真実そのものでひとかけらの打算もない。
好きになる=結婚。そして受け身ではなく、積極的に人を愛する女性。 情熱的な激しい女なのに一方では保守的・古風で母性的でその上潔癖。
さらにエリザベス・テイラーを神話的スターに押し上げたのは破天荒なまでのエピソードの数々。
いわく、マイケル・トッドはマイクは世界一の美女を喜ばすために毎日のように高価なプレゼントをした。ミンクのコート、ダイヤの指輪、ゴッホの絵、ロールスロイス。 派手好きの興行師は「男が必死になって働くのはタイヤと毛皮と宝石を欲しがる美女のためだ」と言ってはばかららなかった。
いわく、映画「クレオパトラ」のギャラは100万ドル(女優としては初)。その他に必要経費として週3,000ドル、夫フィッシャーの仕事のために週1,500ドル(内容は妻を仕事に行かせること)20世紀フォックスは彼女の要求を呑んだばかりがビルをまるまる一つ、リズのドレスルームとして用意、撮影者への送迎には運転手付きのロールスロイスを手配した。
リチャード・バートンと結婚して、夫妻は10年で8,800万ドルをかせいだ。バートンもトッドに習って世界一の美女を宝石責め。豪邸、豪華ヨット、プライペートジェット、名画の数々…。*1
もう一つ。特筆すべきこととして、
エリザベス・テイラーと関わった男性陣はみな、リズを別れたあと、落ち目になっていく。
結婚相手にとどまらない。「ジャイアンツ」で共演したジェームス・ディーンは事故死。「陽のあたる場所」ほかで共演したモントゴメリー・クリフトはわずか45才で心臓マヒで孤独死。「夜を見つめて」で共演したイギリスの二枚目、ローレンス・ハーヴェイも共演直後に死亡。
そしてエリザベス・テイラーだけが生き残った。不滅だった。空前絶後。
花嫁の父(Father of the Bride 1950)
アメリカで大ヒット。青春スター、エリザベス・テイラー人気絶頂の美人女優の名を決定づけた映画。ジュニアハイスクールやハイスクールでの男の子と女の子恋愛合戦、の映画ではなく、郊外の広い瀟洒な家、家庭に君臨する家長の父親と慎ましくも良妻賢母の母。そして両親の愛を受けてすくすく育った美しく聡明な娘。
…ああ、なんてオールドファッション。時代の波を感じますねぇ。
どこまでもクラッシックであり、出演した父親役のスペンサー・トレーシー(Spencer Tracy 1900-1967)などは「退屈きわまりない(役だ)」とこぼしていたものの、第二次世界大戦後のアメリカの理想のライフスタイルをそのまま映した、の意味で1950年代のアメリカを象徴する映画。
後年、劇中で映画「花嫁の父」を貪るように映画館で見つめる少年たち…。など、オマージュが捧げられている。
続編もあります。「可愛い配当 Father's Little Dividend 」(1951)。
緑園の天使(National Velvet 1944)
エリザベス・テイラーは子役出身。この映画も大ヒットし、子役・エリザベス・テイラーの人気と地位を獲得。
出演当時、12才。
当然恋愛沙汰など一切ありません。牧場で馬と戯れ、女人禁制のレースの愛馬とともに出て勝つ!を一心に思い詰め、実現してしまう美少女の映画。エリザベス・テイラーは、子役としてはこまっしゃくれた所がなく、大人顔すぎる。子ども子どもしていない。を活かし、気品のある美少女がいきいきと自分の夢を語り、周りの思惑や「無理だ」の意見もなんのその。困難を乗り越え、周囲もリズを認め、変わり、協力し、感動のクライマックスへ。
老若男女、誰が見ても感動出来る好感度抜群の映画で、後年、テイタム・オニール(昨今はダーティさばかりが話題にのぼり、肝心の仕事の消息がさっぱり伝わってこない、しかしスクリーンデビュー当時は子役として人気絶頂だった。「ある愛の詩」ライアン・オニールの娘)でリメイクされたんですが…。親しみやすさもスターの要素の1970年代と、…比べろってのが土台無理なんですよ。
ヴァージニア・ウルフなんかこわくない(Who's Afraid of Virginia Woolf? 1966)
リズに2度目のオスカーをもたらした映画。しかし…「緑園の天使」「花嫁の父」から、月日は流れ、ここまで人は変わるのか。あれほどまでに美貌を謳われた女優でありながら、そしてましてや生活に困り、お金に不自由している訳でもないのに、あえて憎々しくもふてぶてしい中年女の汚れ役・老け役に敢然と挑戦するのか。の意味で観客を驚愕させた映画。
インテリの夫婦が次第に激情し、お互いをののしりあうんですが、「おすすめ映画」とするのも気が引けるんですが、まぎれもなくエリザベス・テイラーの代表作なんですし、出さない訳にもいかない…。
黒騎士(Ivanhoe 1952)
「黒騎士」のエリザベス・テイラーは気が遠くなるような美しさだった、と語ったのは和田誠さんだったかしら、山田宏一さんだったかしら。
役どころは、主人公、アイヴァンホー(ロバート・テイラー)を一途に愛するユダヤ人の少女、清純無垢を絵に描いたような美少女、レベッカ。
子役としてブレイク、10代スターとして人気沸騰、娘役美人女優として「陽の当たる場所」に続く映画で、多感な少年たちは、そしてリズに憧れた女の子も、スクリーンに現れるリズの姿を待ちかね、感動のため息を漏らしたのでありましょう。
【コラム②】エリザベス・テイラーの人となりと演技
2番目の夫との間に男の子2人、3番目の夫との間に女の子1人。子どもは計3人。後に養子を迎え、合計4人。リズが亡くなった時、孫は10人、ひ孫は4人。
病に苦しめられた晩年ではありましたが、2011年3月に79歳で家族に囲まれての大往生(死因はうっ血性心不全)。
大スターにありがちな親子の確執とか、暴露本の出版なんて、聞いたことがない。
わがままぶり、傍若無人の一方、細やかで女性らしくやさしいおかあさん。
自ら「私は肝っ玉おっかさんよ」と誇らしげに微笑んだ。
そして8回とも、愛し合ったがゆえの結婚であり、男性はリズの美貌に加え、人柄に魅了されたことは間違いない。
日本が世界に誇るアーチスト、横尾 忠則(1936- )が、高2の時当時人気絶頂だったリズにファンレターを送ったら、ちゃんと返事が届いた。「横尾忠則さんへ」のメッセージを添えた写真入りブロマイドと一緒に。
切手を集めるのが趣味なんです。とも書いた。世界から寄せられたファンレターの封筒の切手も沢山送ってくれた。横尾忠則少年の快挙!? は新聞にも出た。
子役・娘役としてキャリアは順調。そして会社から与えられた役に次第に飽き足らなくなっていく。お人形さんみたいな役はつまらない。もっと手ごたえのある役を演じたい。の頃から、「エリザベス・テイラー、美人だな~」っとただウットリ見ていればいい映画から、一癖ある役へ。
「熱いトタン屋根の猫」「去年の夏突然に」「禁じられた情事の森」(マーロン・ブランドと共演。ブランドはリズと共演してもビクともしなかった。さすがはリズと対をなすハリウッドのモンスター…。)
キャリア後半の意欲作には当時またタブーの色濃かったホモセクシャルがからむ。
「バージニアウルフなんかこわくない」では、あれほどに美貌を謳われた女優でりながら体重を9キロ増やし、「ゴッダムユー(畜生)」「バスタード(この野郎)」「サナバヴィッチ(くっそ~)」を連発する役を敢然と受けて立ち、演技は高く評価され、2度目のアカデミー主演女優賞の栄光に輝いた。
妥協もごまかしもない代わりに、自分がこうだと思い込んでしまったならば突進してしまう。その方法はむしろ不器用で一直線型。
色男だけど演技にも一目も二目も置かれていたリチャード・バートンは「リズは自然に演じることを知っている」とリズの演技に一目おいていたし、日本では長老・映画評論界のレジェンド、淀川長治さんは「リズにしか出せない、女の香りのする演技のできる人。ただ者ではない。」と認めた。
バートンと別れたあとは、時代としてジェットセット(プライベートジェットで世界中を旅し、贅沢な生活を謳歌する)のライフスタイルよりも、ジェーン・パーキンやジェーン・フォンダみたいなシンプルかつ自分の意志を強固に打ち出した生き方がもてはやされるようになり、年齢的なこともあり、映画出演から徐々に遠ざかり、舞台にテレビに活躍の場を拡げていく。
香水ビジネスにも進出。エリザベス・アーデン社と組んだ。「エリザベス・テイラー」ブランドで1887年にパッション、1991年にホワイトダイヤモンドを発表。映画に負けじおとらずの利益をたたき出す。
80年代半ばからはHIV(出始めのころはエイズと呼ばれ、治療法がわからず罹患すなわち死)撲滅運動に初期からかかわった1人で、2億7,000万ドル以上の資金調達に尽力した。アーチストに同性愛者が多いのは洋の東西を問わない。
映画で共演した盟友が失意の中、世間の白い目のなか次々倒れていくのを見るに忍びなかったのでしょう。真に愛したのは「陽のあたる場所」で共演したモントゴメリー・クリフトだった。モンティもリズに真剣に接した。しかしモンティはホモセクシャルであり、二人はついに結ばれることはなかった。
モンティは内にこもる性格で、また同性愛とわかれば社会的に抹殺されてしまう時代であり、苦悩のあまりの悲惨な晩年と死。もリズの胸中をよぎったはず。
今日、LGBT(性的少数者。レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(両性愛者)、トランスジェンダー(出生時に診断された性と、自認する性の不一致)の頭文字をとった総称)はやっと真剣に社会全体として真剣に向き合うべき問題として取り上げられ始めたところ。
リズは人の傷みを受け止め、行動したのです。
マイケル・ジャクソンとの交流も知られていますね。リズの最後の結婚式はマイケルのネバーランド(巨大すぎる遊園地や動物園をも含むマイケルの豪邸)で執り行われた。
二人は、子役出身で、年若くしてゆるぎないキャリアを築き上げたという共通点があり、成功した当人にしかわからない胸の内の孤独と闇を、多くは語らずとも認めあえ、いたわりあえる関係だった。年の差は21才。母が子をいつくしむように、リズはマイケルを包むことができた。
雨の朝巴里に死す(The Last Time I Saw Paris 1954)
リズ演じるヒロインは、F・スコイット・フィッツジェラルドの妻ゼルダ・フィッツジェラルドがモデルだとさされている(細かい設定は違いますが)
舞台は繚乱の1950年代のパリ、奔放な娘を愛した堅物の男、二人は愛し合いつつもライフスタイルと価値観はすれ違う。妻が真実の愛に目覚めた時、二人の別れの時は近づいていたのだった…。と娘役から「女」へ変貌していった頃の作品。
第二次世界大戦後のバリは、ベルエポックの頃のパリともちょっと違う、エネルギーと猥雑さが混じり合う町。のダイナミズムと退廃の贅沢でわがままで放埒で、グッド・バッド・ガールの役どころ。
そして、個人的な好みを言えば、エリザベステイラー、キャリアが後に行くほど悪趣味だ(失礼)。この映画あたりだと、コスチュームもヘレン・ローズ(グレース・ケリーのウェディングドレスを手がけたMGMの衣装デザイナー)の監修のもと、普通の格好!?をしています。観客の目に優しい。
バターフィールド8(Butterfield 8 1960)
「雨の朝巴里に死す」とストーリーが似ています。役柄はニューヨークの高級娼婦で、愛し合いながらも2人は結局は結ばれず、ヒロインは愛ゆえに死んでしまう。
実力派の美人女優として演じがいのあるドラマティックな役。リズに初のアカデミー主演女優賞受賞をもたらした映画。こう言ってはなんですが、作品の評価はさほど高くない。ところが、アカデミー賞の受賞発表の直前、リズはマジで、ガチで肺炎で入院し、危篤状態になった。世論は一気にリズに傾き、「オスカーをリズに」との忖度が働いた。とのいわく付きの映画で、リズ本人としては気に入らない作品だと公言している。
映画史的に見れば、「熱いトタン屋根の猫」は「バターフィールド8」より作品としては上。だがオスカーは私生活バッシングで獲得できす。危篤になったらオスカーがやってきた。映画の出来と評価はシンクロしないケースがしばしば起こりうる。を絵に描いたよう。
いそしぎ(The Sandpiper 1965)
エリザベス・テイラーとリチャード・バートンの結婚は大方の予想を裏切って10年間続いた。2人が共演した映画は「クレオパトラ」を含め、数が多い。「クレオパトラ」が超駄作、「バージニア・ウルフなんかこわくない」が罵倒合戦。これでは、紹介者としてちと気が引けます。
普通に美男美女のラブロマンス、メロドラマ。2人が出会った頃のリチャード・バートンは、飛ぶ鳥を落とす勢いのオックスフォード大学出の演技力とセックスアピールと強引さと自信を兼ね備えたシェイクスピア俳優。
…不倫スキャンダルの色眼鏡さえ外せば、二人はお似合いです。
さすらいの女流画家と教育者でもあり聖職者でもある男との愛と別れ。
去年の夏 突然に(Suddenly, Last Summer 1959)
この映画もテネシー・ウィリアムズ作品であり、内容もロボトミー手術とか、精神錯乱だの、またしても同性愛だの物々しく、退屈しのぎにポーっとして気楽に眺めたい映画ではない。
が、リズにとっては「熱いトタン屋根の猫」に続き「クレオパトラ」までの名声とキャリアの全盛期の作品であり、美しさとしてもたぶんギリギリこの映画あたりが違和感なしに見ていられる。
若草物語(Little Women 1949)
長女ベスがジャネット・リー。次女ジョーがジューン・アリスン。三女ベスがエリザベス・テイラー。四女エイミーがマーガレット・オブライエン。
リズが演じたベスは4姉妹のうち、一番内気な女の子だし、原作も清く正しく美しいルイザ・メイ・オルコットの小説。当時の若手女優・人気女優の共演するオールスター出演の映画。
【コラム③】エリザベス・テイラーのファッション遍歴と宝石
エリザベス・テイラーの瞳はすみれ色。バイオレット色。生まれつきの二重まつげで濃く縁どられた瞳。
ブルネット。(リズはまだブロンド美人が全盛だったハリウッドの50年代にあってブルネットで異彩を放ったスターの一人。ブロンド美人の好きなヒッチコックがエリザベス・テイラーを一度も自分の映画に使わなかったのはリズの髪がブルネットだったためと言われているが、彼女は時代の風潮に迎合することなくなことしてブロントを拒否)
黒く三日月型の眉。厚すぎず薄すぎない潤んだ唇、やや細めの鼻梁。つまり完璧。
美しいばかりか、気品があった。ただ美しいのではなく、内省的。胸のうちのみずみずしさや清らかさ、はにかみを秘めた美女。声は震えるような甘い高音。
子役デビューした時は「子ども子どもしてない美貌」はややもすれば不利に働いたこともあった。娘役になって一気に開花する。
身長は157センチ説と162センチ説の2つある。小柄。ややもすればその美貌の影に隠れがちだけど、胸が大きい!(公称93センチ!)ウエストが細い!(公称48センチ!)で、足が細い。
- 「陽のあたる場所」の黒の水着
- 「陽のあたる場所」の白のプロム・ドレス
- 「雨の朝巴里に死す」の太ももまであらわなドレス
- 「去年の夏突然に」の白の水着
- 「熱いトタン屋根の猫」の白のシフォンの下着
など、話題に事欠かない。
そして完璧な顔の一方、胴が異様に短いの、画像見ていて、気がつかれました?
エリザベス・テイラー自身も、若いころから自分の体型にコンプレックスを抱いていた。
「陽のあたる場所」でデザイナー、イーディス・ヘッドに出会い、自分の体型の欠点をカバーし、長所を最大限に引き出したドレスに驚嘆し「(ウエストを)細く!もっと細く!」とオーダーしたと伝えられる。
MGMの専属デザイナー、ヘレン・ローズも後ろに控えており、20代の頃のエリザベス・テイラーはスター街道の王道を歩む。
そして30才を過ぎると、太ってくる。「クレオパトラ」なんか、威厳とふてぶてしさ!?はクレオパトラにまさにふさわしいことは認めるものの、肩から腕にかけてのかなりのむっちりの具合、そして豪奢を極めた頭飾りは、頭が大きく見えてしまうじゃないか。
ほかの女優さんなら「もう少しシェイプアップして撮影に臨むように」と言えても、リズにモノ申すことはできない。
もともと太りやすい体質。54kgから82kgの間を行き来していた。
で、ワーストドレッサーの道をまっしぐらなんですね。
髪型も小さく見せればいいのに、なぜか上に左に右に大きくせり出してくるし、 痩せていればなんとか形になっても、太ってしまうと胴の短さと太さの異形ぶりが否応なしに目につく。
(エリザベス・テイラーは自分の高価な衣装を気前よく人に上げるのが好きだった。しかし胴が短すぎ、誰も着られなかったという…)
の頃に大きくクローズアップされてくるのが「宝石」。
- ほぼ毎日のようにつけていたといわれる 33.19カラットのアッシャー・カットのダイヤモンドの指輪。(通称:クルップ・ダイアモンド)(リチャード・バートンからのプレゼント)
- ザ・マイク・トッド・ダイヤモンド・ティアラ(The Mike Todd Diamond Tiara)(マイケル・トッドからのプレゼント)
- 69.42カラットのテイラー=バートン・ダイアモンド
- イングランド女王メアリー1世が所有していたことで知られ、16世紀以来、スペイン王室で代々受け継がれてきた、王室画家ベラスケスの絵にも描かれているラ・ペレグリーナと呼ばれる150・6カラットのドロップ・シェイプの真珠(リチャード・バートンからのプレゼント)
リズはラ・ペレグリーナを中央に配し、さらにパール、ダイヤ、ルビーを加えたネックレスの製作を御存じ、カルティエに依頼。
- ヴァン・クリーフ&アーペルの「ルビーとダイヤモンドのリング」。
地金は18金、サーキュラー・カットされた8個のダイヤモンドに囲まれたオバール・カットのルビーは8.24カラット。
- ブルガリの「エメラルドとダイヤモンドのネックレスとブローチ」。
ブローチの地金はプラチナ。巨大なエメラルドがペア・シェイプのダイヤで囲まれている。(リチャード・バートンからの婚約プレゼント)
その後、地金はプラチナ、コロンビアのムゾー産のジェムクオリティのグラデーションセッティングの16個のエメラルドは合計60.5カラット。をラウンドブリリアントとペアブリリアントシェイプのダイヤモンドに囲まれたネックレスが加わる。(リチャード・バートンからの結婚プレゼント)
ブローチはネックレスのセンター・ピースとしてもアレンジして使える。
- カルティエのザ・タージ・マハール
インディアン・ダイヤモンド(インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、心から寵愛した妃、ムムターズ・マハールに 贈ったと言われる愛情の象徴)と翡翠のペンダントを、ルビーとゴールドのチェーンに組み合わせたもの(リチャード・バートンからのプレゼント)
- ブルガリのエメラルド&ダイヤモンド・ブレスレット(リチャード・バートンからのプレゼント)
- ブルガリのサファイア&ダイヤモンド・ネックレス
8角形のペンダント・ヘッドは取り外し可能。 ヘッドの中央はカボシャン・カットの巨大なサファイアで、ネックレス本体とヘッドのセットはダイヤとサファイアのパヴェ。)(リチャード・バートンからのプレゼント)
リズは、このネックレスを2重にかけて使ったりした。
- ルビー&ダイヤモンド・ネックレス
ダイヤモンドのバゲットをブリリアント・カットを用いたネックレスのフレームに、後ろのクラスプも含めて、8つの オーバル・カットのルビーがあしらわれたもの。(リチャード・バートンからのプレゼント)
以上はほんの一部。どれも、贈られた時の値段は千万円単位。晩年は社会活動にも力を入れ、エリザベス・テイラーの死後、ゆかりの品々はリズの意志で「エリザベス・テイラー・エイズ基金」の資金にあてるため、競売にかけられ、どの品も億単位、購入した時の10倍以上で落札された。ブルガリはバートンがリズに贈ったジュエリーを含む7点を買い戻し、チャンスがあれば、実物を目にすることもできる。
…そしてエリザベステイラーの真っ正直なこと。全部いっぺんに身につけちゃう。ヘヤスタイルは膨らんで複雑怪奇、大きい大きいジュエリーを最高級の毛皮を着て保険会社の護衛付きでまとって現れ、話題をふりまく。あらゆるものが過剰。 を臆せず生涯、押し通してしまった。
まとめ
- 1940年代…美少女
- 1950年代…世界の恋人
- 1960年代前半…世界一の美女
- 1960年代後半~…???存在感で勝負!
ですかね。
エリザベス・テーラーはスター映画が本当に映画らしかった頃、スターが本物のスターで、星くずのようなきらめきを燦然と放っていた時代に現れた巨星。もうこんな人は出てこないんだろうなあ。ありがたいような、惜しいような。
*1:米フォーブス誌が長者番付を発表し、2011年10月からの1年間で、エリザベス・テイラーが生前に所有していた宝石や衣装、美術品など1800点の品々がオークションで完売し、1億8400万ドル(約147億2000万円)を稼ぎ出したことで、合計収入は2億1000万ドル(約168億円)となった。中でもゴッホの1889年の絵画がオークションで1600万ドル(約12億8000万円)と最高金額で落札され、他にもテイラーの香水ホワイトダイヤモンドが2011年だけで7500万ドル(約60億円)の売り上げを記録したという。
さらにテイラーは不動産の売却益だけでなく、1963年の大作『クレオパトラ』に出演以降、2011年に79歳で亡くなるまで自身が出演した映画からそれぞれ10%のロイヤリティーを受けていることなども貢献したという。