舅が亡くなりました。お墓は千葉館山にあり、納骨のため1泊2日の旅。夜は地元の親族とお食事。
現代日本とは思えない、旅行の車中で見た台風の爪あとも生々しい地域の現状と、地元の方からお伺いしたエピソードなど。
館山・南房総の台風被害
令和元(2019)年9月9日に関東地方を襲った台風15号。主に千葉県に甚大な被害をもたらした。
館山あたりは、家は壊れ電柱は倒れ大木はなぎ倒され、電気が一週間以上止まったまま。水道・ガスも止まった。
完全復旧には二週間以上かかっている。長い。長すぎる。
屋根が吹き飛ばされ、電気も通らず、家で呆然と待つしかないお年寄りの姿などが報道され、「…支援体制どうなってるんだ。」とびっくりしてしまった。
さらに、翌月10月12日には台風19号が追い打ち、10月25日の台風21号がダメ押し。
千葉っていえば、東京の隣です。何十年も前ならともかく、現代日本で、首都圏で、なぜに援助の手が行き届かないのだ。
「法事で館山行ってきます。」と職場の同僚に告げると
「台風被害、どうなってるの。」と聞かれた。
…もう3カ月以上たってるんだし、千葉県といえば風光明媚・地味豊か。もう元通りになってるんじゃないか、とか思って出て行ったんですが、甘かった。
JR東日本特急さざなみの車窓の景色
オットが骨壺を抱き、館山行きの特急さざなみに乗車。何回か乗っている。前半は京浜工業地帯・住宅街、後半になると岸壁、海岸線沿いに広がる港と漁船と小さな町、緑深い森を通り過ぎ、小さな停車駅ごとに人家が集まっている。
…まだブルーシート、見えるんですけど。
町ごとに5%前後、10~20%とブルーシート率が異なります。
台風が去って、2カ月も3カ月もたっているのに、まだ修理が終わっていない。
現代の日本で。
にまず衝撃を受けました。
JRの車窓から見える房総の景色に、ブルーシートが点在。
インパクト強すぎる光景なのではないか。
千葉に来る人、ショック受けちゃいますよ。見えないエリアならともかく。
千葉を訪れる人にブルーシートの民家を見せて、しかもあまり気にしていないらしい。
のもなんか理解できない。
森田健作(注:千葉県知事)はいったい、何をやっているのでしょう。日本って、先進国だったはずなのでは。
県民の家の屋根が1軒や2軒じゃない、半端なく大規模で壊れているのが、そのままにされている。
温暖な房総半島とはいえ、冬です。1月です。寒い日や雨の日、風の強い日には心細いだろうなあ。
しかも、目を引いたのは、壊れているのは、みんな家の一部分なんですね。
無傷の家ももちろんあるけど。
古そうな家、軽そうな屋根(トタン屋根)、重そうな重厚な瓦屋根などがことにブルーシート率が高い。
さらに、屋根は屋根でも、瓦のずらーっと並んでいるところが広くブルーシートに覆われている家はさすがにすくなく、
ジョイント部分、小さい部分が壊れている。
屋根の頂上、棟(むね)部分。
棟の先、鬼瓦部分。
鬼瓦の下、破風部分、破風の下の屋根。
ブルーシートは、さすがにガッチリと止められていると見ました。
材木をあてて補強はしてあるお宅もあったし、要所要所には砂袋が重しとして置かれており、
大風が吹いたらブルーシートが無残にも吹き飛ばされる…の心配はとりあえずなさそう。
全体が壊れた家なんかは私が見た時にはなし。
畑の脇の作業小屋が無残に全体が潰れたままで放置されているのは見かけました。
お昼前に館山駅につく列車だから、土曜日の午前中。
通り過ぎる車窓からは、人が住んでいるのか、住んでいないのかがわかりにくい。
屋根のほんの一部分なら、玄関前に自転車は置いてあるし、洗濯ものは干してあるし、
住めないことはない。
大きなお宅で、2階の雨戸はしまったまま。1階はどうなっているのかな、み、見えない…と思わず覗き込んでしまう。
館山市のうなぎ屋さんでお伺いした台風被害のお話
納骨を無事済ませ、夜は親戚の方々と館山の老舗のうなぎ屋さん、江戸時代から続く「新松」で会食。
参加してくださった方は、館山にお住まいの方、実家が館山で台風のあと駆けつけた方。はるばる西日本から納骨のために駆けつけてくださった方。
台風関連で話題に上った内容は
- 館山はもともと風の強い地域ではあったけど、昔から台風の被害は少ない地域だった。ここ2・3年、台風の通り道が少しずつ変わってきた。今回の台風15号・19号の、房総半島をもろに直撃する進路は初めてではないか。少なくても記憶にない。
- 直撃しただけではなく、特に15号の強さはケタ違いだった。雨より風。屋根の被害はもちろんだが、作りの甘い倉庫や納屋などは、吹き飛ばされないまでも柱が浮き上がっていた。たった一晩だったのに。
- 電柱の折れてしまった場所は、台風被害を象徴する写真として全国でも報道された。近くにあった古くからの寿司屋は取り壊され、今はコンビニの駐車場になっている。
- 館山駅周辺は比較的被害は少なかった。しっかりした建物が多かったことと、風の向きや進路がマシだったのだろう。地域差が大きい。
- ビニールハウスなどは、ビニールが飛ばされる、鉄骨が曲がるなどの被害はもちろんだが、ガラスが割れてしまった。カーネーションの栽培をしていた大規模なハウスがあったのだが、割れたガラスが土壌に散乱し、復旧を難しくしている。
- 海沿いの防風林も、太い、大きい気が根こそぎ倒れてしまい、道路をふさぐ。ガラスとともに、撤去までは道路も通るに通れなかった。防風林も、倒れた木のほかに木が死んでしまって葉のつかない木の林になってしまった場所もあり、復旧はまだまだこれから。
- ブルーシートは、見た目は頼りなく見えるが、スーパーやホームセンターで売っているレジャー用のものとはモノが違い、厚みがあり、耐久性のあるものが使われている。今のところ心配はしていない。
- 修理はしてほしいのだが、手が回らないと聞かされている。まず人の問題。スペシャリストは東日本大震災復興関連で東日本に行ってしまっており、引き受けてくれる職人さんが少ない。さらに瓦。部分的に取り換えなければならない。今、使えている瓦と同じものを調達しなければならず、1軒1軒違う瓦を調達するのに時間がかかっている。地元の業者さんにお願いしているのだが、「今年(2020年)じゅうにはなんとか、行けるかもしれません。」と言われてしまった。
- 実家の屋根が壊れ、来てくれる人も手伝ってくれる人もいないので、手伝いに駆けつけた私(60代男性)が屋根に昇り、修理をするハメに。素人が慣れないことをやり、また屋根は滑りやすい。誤って落ちてしまい、背骨を折ってしまった。私は運よく経過も良好で、普通に日常生活を送る分には問題ない。ただ、電車が急停止したりするとキツいので、折りたたみの杖は持ち歩いている。娘にLINEを入れたら「お父さんで28人目~。」と返事が返ってきた。一緒に入院した人の中には、首の骨を折ってしまった人もいて、気の毒だった。
感想
屋根の修理まで年単位で待たなければならない。ことを当たり前のこととして淡々を受け止め、暮らしている。
修理費そのものは、特例として、一部損壊の費用を9割まで国が負担することで進んでいる。
でも、延々とブルーシートをかぶせたままで、「人がいないから。」が当たり前って、なんか違う気がします。
東日本大震災にしたって、今回の台風19号にしたって、
支援は全国規模・世界規模であるはずで、
市町村には災害協定というものがあって、熊本で地震がおこれば東日本の人材が派遣され、東北で津波や台風被害があれば西日本から県や市町村の職員が順番で週単位・月単位で派遣されたはずだ。
自衛隊だって、必要性を訴えれば、来てくれていたはず。
「仕方ない」で我慢してるけど。個人の住宅が見過ごせない規模で危険な状態にあるのだから、千葉県も、館山・南房総も、なぜもっと強く外に訴え、助けを求めないのかしら。
がとてもとても不思議でした。
例年、今の館山はいちご狩りの最盛期なんだけど、今年はダメだし。 今年はお客さん、少ないなあって、タクシーの運転手さんもぼやいてました。
新松(軍都 館山の鰻の老舗・名店)
寿し甚
骨壺を抱いて入った駅前のお寿司屋さん「寿し甚」。地魚寿司は絶品! でしたよ。
上 向かって左から
かんぱち いさき さより さわら あじ
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穴子 まだい まぐろ くろむつ ひらめ