今週のお題「ゴールデンウィーク2018」
横浜の三渓園に行きました。まだ行ったことがなかったのです。日帰りで横浜中華街くらいは歩いたことある。山下公園くらいは行ったことあるんですが、三渓園は横浜観光の奥座敷。限られた日程の中では手が回らなかった。
やっと足を踏み入れる機会が巡ってきました。
三渓園とは
明治から昭和にかけて生糸貿易で財をなした大実業家、原三溪(本名富太郎)(1868-1939)が神奈川県横浜市本牧に私費で整備した広さ175,000㎡に及ぶ純和風の邸宅・公園。昭和28年、子孫により横浜市に寄付され、春夏秋冬を彩る庭園美と東日本に集結した室町時代から江戸時代までの歴史的建築物がみどころ。
入口には石碑が建っており
駐車場入口
駐車場料金。乗用車は2時間500円、以後30分毎100円、当日最大1,000円。
開園時間前(8時40分頃)に着いたので駐車場はガラガラ。
駐車場出口近くにはトイレがあり、トイレ前にはバス停留所があります。
トイレ内の洗面台。
トイレ、和式ですね。
チケット売り場。開園は9時ですが、8時45分ごろ、チケット売り場は開いていました。大人1人700円。
9時になると係員さんが門を開けてくださいます。つつしんで入場。
外苑
いきなり、大きすぎるお庭が目の前に現れ
たっぷりした、満開の時にはさぞかし見事なのであろう藤棚を横目に
大きな池には木道があります。
極楽を思わせる大きな池には木船が1槽浮かんでおり、その奥にお屋敷の屋根が見える。
緑深いお庭を過ぎ
ここにもトイレがありました。
三渓園天満宮
もと間門(まかど)天神といい、三渓園にほど近い間門の旧家、高梨家の先祖は本牧の丘の中腹に建てたもの。昭和52年(1977年)三渓園に移された。
道しるべの中央広場にむかうと
池のほとりから迫力の三重塔が見えます。(旧燈明寺)
池のまわりの木々や花。
池の底の泥をはらう工事中だそうで、池に白いブイが浮かんでいます。小さいんですが亀が甲羅干ししてます。見えます?
観心橋と涵花亭
「観心橋」は楠正成公に由来します。この橋の先には昔、14世紀に楠公が建立したと伝えられるお社があった。(大阪にあったのを横浜に移築した)しかし太平洋戦争時、空襲で社殿は焼けてしまい、今は涵花亭と呼ばれる茅葺の休憩所がある。訪れる人々は腰を下ろして大池の真ん中から風雅な景色を眺めることができる。
涵花亭をあとにして大池のほとりをそぞろ歩き
木橋を渡り
ここにもトイレがあった。
旧燈明寺三重塔【重要文化財】
三重塔の近くまで行けるみたいなので山道を登っていきます。
関東では最古の塔。もとは京都府相楽軍加茂町の燈明寺にあったものを大正3年(1914)三渓園に移築。燈明寺は天平7年(735)年、聖武天皇の勅願によってできた由緒正しいお寺と伝えられている。建物の様式などから、室町時代のものと推定される。
立入禁止のポールがありました。
脇をすり抜け
塔のある山頂から望む横浜。
奥に行くと、上手に探せれば、運が良ければ竹の花が見られると看板に書いてあった。
「出世観音」さまがいらっしゃいました。
笹の葉のいっぱいあるあたりにお花ないかな~と探しましたが、見つけられず。
松風閣跡
明治20年ごろに作られたハイカラなレンガ作りの館で、「松風閣」の命名はなんと伊藤博文公。アジア初のノーベル賞受賞者インドの詩人、タゴールが「さまよえる鳥」を執筆した館でもあった。関東大震災で惜しくも焼失。
松風閣の上にも建物があるのですが
危険とのことで立入禁止。
山を下りていくと看板があって
お休みどころがあり
おだんごが名物のようです。
大池のほとりで人々は憩う。
看板の上の矢印に進んでいくと
初音茶屋
開園当時、三渓園には誰もが自由に入ることができ、無料の湯茶サービスもあり、大正4年(1915)三渓園を訪れた芥川龍之介は友人でもあった原三渓の長男に「ひとはかり浮く香煎や白湯の秋」との句を書き送った。
お庭を抜けていくと
臥竜梅
惜しくも花のころとはいきませんでしたが。花の盛りには、さぞかし見事なのでしょう。
さらに奥には
旧東慶寺仏殿【重要文化財】
あの。縁切寺で有名な鎌倉の東慶寺の仏殿が。なぜ横浜にあるのだろう…。室町時代に建立。明治40年(1907)、三渓園に移築された。
旧矢箆原家住宅【重要文化財】
矢箆原家は飛騨に名の聞こえた豪農の御宅。白川郷にあった。しかしダム建設により水没、を惜しみ、昭和35年(1960)に三渓園に移築。江戸時代、18世紀中ごろのもの。
2階にも上がれる。薄暗い中、当時の民具が展示されている。
古民家って、始終いろりで火を焚いていないと傷んでしまうんですって。煙の良い香りが家中に立ち込める。始終お香焚いてるみたいなものですね。
作業部屋。
玄関入ってすぐの板の間。農民はここで暮らし
畳の間は武士のもので農民は使えなかった。(武士の滞在・駐留用に作られ、1階半分は畳です)
待春軒(お食事がいただけます)
また大池に戻ってきて
高浜虚子の句碑がありました。
鶴翔閣までの道の脇には蓮の花が満開。
鶴翔閣(旧原家住宅) 横浜市指定有形文化財
もともとは原三渓の自宅。20世紀はじめに建てられ、現在は貸出施設として使われている。私が行ったときには教会のチャリティーとかで、内部の見学はできなかった。
内苑
今まで回ったところは原三渓が一般に開放していた場所。私邸部分が内苑。
三溪記念館
三渓園を作った原三渓は明治から昭和にかけて横浜の、そして日本を代表する大実業家であると同時に、作家や画家などとも交流が厚く、自らも芸術の造詣深い趣味人であった。ことを示す三渓の生涯や作品、ゆかりの人々の展示。
御門
京都の西方寺の18世紀はじめころのもの。大正初期に三渓園に移築。
三渓の私邸であった臨春閣の玄関が見えてきます。
臨春閣 【重要文化財指定】
普段は非公開。生誕150周年記念の特別公開です。
17世紀半ばごろ、紀州徳川家の別荘「巌出御殿」と言われている。将軍徳川吉宗もお住まいになったとかならないとか。
欄間の波は、今は変色してしまいましたが、銀製です。
このお部屋の欄間には和歌が。
月華殿【重要文化財】
徳川家康が京都伏見城内に建てたとされている。
天授院【重要文化財】
もとは鎌倉の心平寺の地蔵堂で17世紀半ばころのもの。大正5年(1915)、三渓園に移築。原家の持仏堂。
聴秋閣【重要文化財】
徳川家光が二条城内に建て、後に春日局が賜ったと伝わる建物。大きく張り出した小さい2階部分が斬新で印象に残る建物。
森の中、一角にさりげなく置かれていたのは
古墳時代、5~6世紀の石棺。
旧天瑞寺寿塔覆堂【重要文化財】
南門
予備知識なしで三渓園に行った感想
- 古墳時代から室町時代、江戸時代と、「…なぜ横浜の大富豪の邸宅にこんなものが。」と説明読んでびっくり仰天。の建物が次々目の前に現れる。
- 園内、ものすごく広いです。私の滞在時間は2時間程度。先に外苑を見てまわり、内苑もあると知ったときの率直な感想は「…まだあるんだ…。」
外苑も見どころ満載、内苑も見どころ満載で、しかも間、お庭を愛でながら行くので退屈はしませんが、結構な距離になる。うっそうと木が繁り、広すぎて先が読めず、あとどのくらいがんばれば終わるのか!?がわからないため、正直きつかった。
足痛い…。2日たっても3日たってもまだ痛い…。時間が限られているなら、見る場所を絞る。または1日滞在するつもりで昼食や休憩も交え、ゆっくり見て回ることをおすすめします。 - 入場料は700円で、コスパは限りなく最高!単独でも独立した観光名所として立派に通用する由緒正しい建物、京阪神に行かないと目にできないはずの建物が10~20、一挙に固まっていっぺんに見ることができる。
- 地元、横浜にお住まいの方は、梅や桜、藤などを目当てに来園されるのでしょうね。
- 横浜名所といえば横浜中華街や山下公園。しかしシーズンともなれば、大げさではなく、歩くこともままならない混雑ぶりを覚悟しなければいけませんが、三渓園は市街地から離れており、敷地が広すぎることもあり、激混みとは無縁。
三渓園へのアクセス・入園料・駐車場など
- 開園時間 9時~17時(入園は閉園の30分前まで)
- 休園日 12月29日、30日、31日
- 入園料金
大人(高校生以上) 700円
こども(小学生・中学生) 200円
横浜市内在住65歳以上 (濱ともカード提示) 200円
回数券・障害者割引あり - 駐車場
9時~17時*開園時間にあわせて変更
乗用車 最初の2時間500円、以降30分毎100円、当日最大1000円 - バス
根岸駅・桜木町駅・元町中華街駅から
※ 詳細は横浜市交通局ホームページで - 車
東京銀座・羽田方面から ベイブリッジ経由、「本牧埠頭ランプ」
(ランプを降りたら道なり→「本牧元町入口」右折)
東名横浜町田方面(保土ヶ谷バイパス「狩場IC」経由)や第三京浜自動車道路から 「石川町IC」を経由し「新山下ランプ」
(ランプを降りたら道なり→「B突堤入口」右折→「北方消防出張所前」(T字路)左折→突き当りの信号(T字路)右折→「本牧元町入口」右折)
横須賀・金沢方面から 「並木IC」経由、「三溪園ランプ」
(ランプを降りたら道なり「本牧元町入口」左折)
最終進入路
信号「本牧元町入口」から進入、三つ目の信号を左折、奥に駐車場と正門あり