大阪は堺市に初めて行った。堺からはるか遠い場所に住む私にとって、堺とは「南蛮貿易で栄えた地」「千利休の本拠地」「情熱の歌人 与謝野晶子の生誕の地」でした。うーん、イメージ、違っていたなあ。私が勝手にイメージ作って思い込んでただけなんでしょうけど。
与謝野晶子生家跡
海こひし 潮の遠鳴りかぞへつヽ 少女(をとめ)となりし父母の家
ここですか…。与謝野晶子は旧姓 鳳(ほう)。商都堺の老舗の和菓子屋さんのお嬢さん。店番の傍ら詩作に励み、遠距離恋愛・妻子ありをものともせず文芸雑誌「明星」を引っ張った与謝野鉄幹と愛し合うようになり、出奔。と伝記で読んだ。
やわ肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君
ああおとうとよ 君を泣く君死にたもうことなかれ
旅順(りょじゅん)の城はほろぶともほろびずとても 何事ぞ
みな当時、センセーションを巻き起こした。
今でいうインフルエンサーですよね。
…なんですが。…味気ないなあ…。
明治時代の商家のなごりなんて、これっぽっちも残っていない。
片側3車線の道を、車がビュンビュンふっとばしていく。朝早いこともあり、道を歩く人もほとんどいないのです。
「潮の遠鳴り」なんか、ぜんぜん聞こえないじゃないか。
市内の旧跡を見て回ったあと、海でも見に行こうかな、とナビ入れてみたんですが、海の見える公園とかもあることはあるけど、だいたいは海沿い、工場なんですよね。
つまり、埋め立て地。どんどん海は遠くなってしまい、明治の御代の面影など残っているはずもないのです。
堺は大都市で、さらに第二次世界大戦時に空襲のターゲットにされ、壊滅的な被害を受けている。焦土から立ち上がり、復興し、今日の繁栄を取り戻した。
ことを、行き交う車をバックにラベンダー色の生家跡のモニュメントを見つめながら悟る。
のっけから拍子抜けしちゃった。でも、前々から、機会があれば行ってみたかった場所。望み、かなえましたよ。
昔の面影を伝える展示板も生家跡の並びにありました。
堺の名所旧跡群(外観だけ)
行ったのは緊急事態宣言下であったため、展示型の観光施設は全部! ことごとく閉まっています。
- さかい利晶の杜
(千利休と与謝野晶子の業績を人生をたどる記念館)
- 堺伝統産業会館
(刀鍛冶・鉄砲鍛冶から派生した刃物工芸がさかん、お線香や織物や染物も華やかな都市文化をしのばせる逸品ぞろい)
- 千利休屋敷跡
(残っているのは石碑と井戸だけなんだけど、見学できる)
なんかも見てみたかったんですけど。
全部クローズしていました。
「緊急事態宣言があけたら、ぜひお越しいただきたい」のオーラをひしひしと感じてしまう。
しかし。私にとって、堺はそう簡単に来られる場所ではないのです。
今見られるものだけ見て、満足して帰りますので。
山口家住宅
ナビがきかない! 実はナビのせいばかりではなく、場所が住宅街のど真ん中なんですよ。いわゆる旧市街なので、道路の幅がとにかく狭く、一方通行が多く、目的地に近づきたくても回り込んでいかないと目的地にたどり着けない。
周辺を大回り小回りに3周くらいしたあと、見るのどうせ外観だけだしな、とコンビニの駐車場に車をとめて歩いて行った。
さらに案内板が、ないことはないのですが、わかりにくい。
現地に到着しても、仰々しい「ココです!!! 」的なサインがない。
また門扉がなく、前庭もない。歴史的建物がそのまま道路に面しており、ややもすると周りの住宅の中に埋もれてしまう。つまり見つけにくい。
大都市だものなあ、「観光で食べていく」なんて夢にも考えてないお土地柄なんだろうし、余裕がある。産業ならほかにいくらでも、の姿勢がかいま見え、恐れ入ってみせていただいております。
中は見られなかったけど。 行ったも~ん。
清学院
見られたのは建物ではなく固く閉ざされた門扉だけ。清学院は河口慧海が学んだとされる学府でもあり、修験道のお寺でもある。
中、見たかったけど、仕方がない。
にしても。やはり。道路は1車線の幅の狭さ。すれ違いも相当厳しい。道幅が狭いがゆえに、写真も目いっぱい後ろに下がって撮って、やっとこの程度。
きわめつけは鉄砲鍛冶屋敷で
せめて南蛮貿易の盛んだったころの栄耀栄華の名残を見たい、と道に苦しみながらたどりついたのに、改装工事中でした。
百舌鳥古墳群(世界遺産)
去年は九州の古墳を見てきました。
緑に沈む、まことにのどかなところだった。
堺には、教科書で習った前方後円墳の王者、仁徳天皇陵古墳があるではないですか!
(じつは明治大正昭和天皇陵にも行ったことがある)
見てみたいお参りさせていただきたい!
空から見て
(入口で撮った掲示写真)
この大きさなんですから、近くに行ったって形なんかわかるはずないとはわかっていたんですが。
(地上から古墳の全貌を見わたせる高さのある場所だと、堺市の市役所庁舎の展望ロビーなのですが、
コロナ下ゆえ閉鎖中)
行って、雰囲気だけでも。と同じく堺市の郊外まで出かけて行ったのです。
さらに、古墳とは、当たり前ですが、古いんですよね。
作って1,500~600年はたっている。
年月が経ち 木は生い茂り、お濠はよどんでいる。 よどんだ池の中に小さい島がある状態で、近づいたって元の形など素人には判別できませんよ~。
新しく、仁徳天皇陵の駐車場の隣に百舌鳥古墳群ビジターセンターがオープンしたばかりなのですが
これまた新型コロナウィルスのせいで閉館中。
横目にみながら、
ひるがえる国旗と
仁徳天皇陵の参拝口をまぶたにおさめます。
警備の人もいた。参拝客は私はが行った土曜日15~16時ころは5~6人くらい。
観光地に行くたびに歴史上の人物の墓所などは知らず知らずのうちにけっこうな数、行ってるのですが、歴代天皇のお墓の空気感は独特。
余分な装飾がない。磨き抜かれている。「ココ、何か違う」と無意識に襟を正し、いずまいを整えたくなる。
参拝を終え、道路をはさんだ向かいに、広大な市民公園がある。
中には堺市博物館もありますが
何回もすみませんがクローズです…。
公園の果てに、仁徳天皇陵古墳の次に大きい、履中天皇天皇陵古墳があるのです。
遠い! 観光地めぐりだと思えばかなり長い、ウォーキングだと思えばまことに喜ばしい距離感。理屈でいけばつっきって直線5・600mの距離なんですが、ゆるゆる迂回する憩いの場・遊歩道を迷いながら進むものですから…。
着きました!
前方後円墳の丸い方から古墳を見渡せるビュースポット。
反対側まで行けば、仁徳天皇陵と同じく、参拝所があります。
まんまんと水をたたえたお濠いはさざ波が立ち、静まり返っている。
ずーっとずーっと、昔から。
堺市には大小とりまぜて30個以上の古墳が残され、点在している。
古代のロマンの地に行けました!