三船敏郎は制御できないほど凄まじい自然の迫力そのものでした。
それでいて我々を奮い立たせてくれました。
しかし彼はまた普通の人であり、謙虚で恥ずかしがり屋なのにいつも我々を揺り動かす大変な感激とか感動または熱情を呼び起こす才能の持ち主でありました。
彼は孤独の人でしたが彼の中に我々自身を見る思いがしました。何者にもまして、彼は今の世の中ではまれな何を持っていました。
それは威厳そのものです。
(スティーブン・スピルバーグの弔電)
おすすめ映画をランキング順に。
七人の侍 1954
No.1は文句なしに『7人の侍』でしょう。日本映画の全盛期に君臨する超大作であり、日本映画のベスト1は小津安二郎の『東京物語』か『7人の侍』。時代の空気と選ぶ人の顔ぶれで入れ替わるっていうだけで。世界映画のベストナントカでも、必ず上位にランクイン。
まず骨太の堂々たるドラマである。時は戦国。農民が、野武士の襲撃から村を守るため、侍を雇い、勝利を遂げる。そして7人のキャラクターはもちろんのこと、登場人物のキャラクターづくりが秀逸。 さらに戦闘シーンのど迫力。
「ハリウッドの西部劇の決闘シーンはいつも晴れだ。じゃ、よし、こっちは雨でいこう。」と雨降りしきる、人馬泥まみれになり、ぬかるみに足を取られ、もつれ合い、仲間は1人、1人命を落としていくクライマックスシーンの凄まじさ。
日本映画の独壇場&専売特許、殺陣のシーンは緊迫感で世界をうならせ、もうこの世にいない仲間の土饅頭にはひょうひょうたる風が吹きすさび、「勝ったのは百姓だ。俺たちではない。」の言葉とともにエンドロールが流れるパセティックなラストシーン。
役柄はみなし児として育ち、武士に憧れ、「菊千代」と不似合いな名前を名乗る男(家系図を金で買っている)。
働きを認められ、7人の侍の一員として認められる。野育ちで粗削りだが愛嬌があり、憎めない。
泥の中で戦い、鉄砲で撃たれながら野武士軍団の頭目にとどめをさし、腕も足もお尻も丸出しの、野武士から奪った甲冑姿で泥の中にうつ伏せになって倒れ、死んでいく…。
燃え盛る炎の中、瀕死の母親が菊千代に赤ん坊を預けて死んでいく。
「こいつは俺だ!俺もこの通りだったんだ!」の絶叫シーンは、愛を知らずに育った孤独なキャラクターの心の底からの感情のほとばしり。あまたの戦いのシーンに負けじ劣らず、忘れらない名シーン。
ゴールデン・ボーイという言葉がある。ハリウッドの大女優、バーバラ・スタンウィックが自分が見出した新人男優、のちに大スターとなるウィリアム・ホールデンを終生「マイ・ゴールデン・ボーイ」と呼んだ。
三船敏郎の出演する映画を見ていると、いつもこの言葉を思い出す。無垢なる魂。純真な心。気持ちが優しく、とても繊細。そしてハンサムで男っぽくでたまらなくセクシーで。
演技やアクションの動きやキレの敏捷性や完成度、放つオーラが桁違いだった。
戦争が終わり、身寄りのない青年は、ツテを頼って映画会社に就職する。ホントはカメラマンになりたかった。「男のくせにツラでメシ食うなんてイヤです! 」とふてくされていた青年は デビュー作から注目を浴びた。とりわけ黒澤明監督と組んだ作品群が名高い。「世界のクロサワ」「世界のミフネ」は永遠です。不滅です。
名高い「菊千代の死」。
お尻を見せて死んでいく…。
いったい誰が。こんな死に方を考えついたんだ…。呆然。
用心棒 1961
三船敏郎は日本が誇る日本映画の大スターであり、世界レベルの大スターでもあった。
とりわけ世界中にファンを増やし、熱狂させた映画のジャンルは「サムライ映画」「ちゃんばら映画」。
肩のこらない極上の娯楽作品。エンターテイメント。難しく考える必要はない。
ビュービューとつむじ風が吹き、いつも砂ぼこり(備考:黒澤組に巨大扇風機は必須)(備考2:砂ぼこりはきな粉+砂+塩)が舞い上がるややさびれた宿場町に、流れ者の、無精ひげで総髪で腕の立つ素性の知れぬ浪人がやってくる。
町は争いごとがあって、派閥に別れ、仲が悪い。治安が悪い。物騒である。
善悪入り乱れ、善良な市民は運命に振り回され、辛いめにあう。
悪い奴らは悪だくみで揉めにもめ、小競り合いを繰り返し、 最後に正義の味方の主人公はよんどころない事情で決闘の場に赴かなければならない事情に追い込まれ、 いやいやながら現れた決闘場では圧倒的な強さで敵を倒し、吹きすさぶ風の中、町を去っていく…。
まるで西部劇みたいだ…どころか! あまりにカッコよすぎて、リメイクパクリで「荒野の用心棒」(主演:クリント・イーストウッド)が作られる。「ボディガード」でケビン・コスナー演じる大統領SP上がりのフリーランスボディガードにとってのヒーローが三船敏郎。
三船敏郎の運動神経は神。殺陣は神業。ラッシュのフィルムを見ると、1秒36コマの1コマ、三船敏郎の余りのスピードに画面が流れていてよくわからない。
フィルムは三船敏郎のスピードに追い付けない。
共演者も「あんなスピードで殺陣をやる人はいなかった。」さらに黒澤明監督からは「1回斬ったくらいで死なないでしょう、2回でしょう」と言われてしまい、斬っては返す刀でとどめの一刺し、刀を一振りすれば肘から下の腕がドスンと落ちる。(もちろん作り物)
びょうびょうと砂ぼこりが舞う中。
三船敏郎と悪の一味7人が向かいあう。三船敏郎は隠していた包丁を投げつけ、発射寸前のピストルを敵の手から叩き落とす。続いて目にもとまらぬ早業、一瞬の立ち回りで一気にヤクザ一味を一気にやっつけていく。1秒1人。7人7秒。早い・早すぎる。動きが早くてうまい。
それも日本舞踊のように型で見せるのではなく、実際に刀をあて、反動で斬っている。
日本のチャンバラ、時代劇の立ち回り、サムライの技を、世界がアクションシーンの白眉だと認めさせた伝説のシーンです。三船敏郎がいたからこのシーンが生まれた。他の役者では無理だった。できなかった。
リアルさと迫力、スピードとカッコよさ。
そして三船敏郎演じる三十郎の愛嬌のあること! ぶっきらぼうなのに人が困っているのをほってはおけない。お礼なんか言われると
「やめろ! 俺は哀れな奴は大嫌いだ! メソメソしてやがると叩っ斬るぞ! 」と怒鳴る。
照れ屋さんなんです。いいなあ、と思わず頬のゆるむユーモアがちりばめられていて楽しい。
胸すく映画。
『用心棒』は二枚目でワイルド。キュートでセクシー。心はナイーブでストイックで優しくて…。日本映画の生んだ最大の国際的スターとしての存在。の三船敏郎を堪能できる。一挙手一投足、すべてがかっこいい! そして気品と品格がある。
『七人の侍』『羅生門』『用心棒』の3本で、三船敏郎は「世界のミフネ」と呼ばれる存在となった。
1961年、ヴェネツィア国際映画祭主演男優賞受賞。
椿三十郎 1962
『用心棒』は大ヒット。映画会社のお偉いさんは2匹目のドジョウを狙いたい。
なんとか『用心棒』の続編を、と黒澤明監督に頼み込み、三船敏郎浪人もの、仲代達也が敵役で殺されてしまう映画をもう1本作った。
同じことをしても面白くない。見せ場を工夫しなければ、というわけで。
前回7人斬り、『椿三十郎』は30人斬り。
『椿三十郎』では30人を40秒で斬っている。(実際は40人を相手にしたのだがスクリーンに入りきらない)
そして最後の三船敏郎と仲代達矢2人の決闘場面。
シナリオには
「これからの二人の決闘は、とても筆では書けない。
長い恐ろしい間があって、勝負はギラッと刀がいっぺん光っただけで決まる。」
これしか書いていない…。
無理して書いてみます。
三船敏郎と仲代達也が、無言でジーっと黙ったままにらみ合う。そして25秒めごろ、
仲代達也が剣を抜こうとすると三船敏郎も抜き、
仲代達也が技をかける前に、(つまり観客は何がどうなっているのか早すぎて見えない)三船敏郎の剣は仲代達也の心臓を貫き、仲代達也の胸からは噴水みたいにドバーっと血しぶきの柱が立つ(仲代達也の衣裳の下に血の色の液体の出るホースをぐるぐる巻きつけ、合図とともにポンプを押し、血柱を立たせる。)
血が出なくなると、仲代達也は剣を構えたまま、画面手前側にぐらっと倒れて死んでいる…。
三十郎の抜刀の早業。またまたですが黒澤明だからこの演出が生まれ、三船敏郎がいたからこのシーンが生まれた。
血しぶきの立ち方は…どう見てもリアリズムからはほど遠いのではないか、と思うのですが。
しかし、アクション映画の見せ場としては大評判となり、我も我もと血しぶきの派手な映画が次々作られた。
黒澤明監督曰く「スカっと1回だけで終わる決闘シーンを撮りたかっただけ。」
正直、『用心棒』と『椿三十郎』は作られた時期もお話も三船敏郎の見た目も似ている(『用心棒』の主人公が流れて行って腰を据えた場所で大活躍、は同じ。思い付きでつけた苗字は違う)ので、見分けがつきにくい。
『椿三十郎』の方がコミカル色が強い。殺陣のシーンは、派手。
隠し砦の三悪人 1958
この映画も娯楽大作。 お家再興の重責を担うお姫様をお守りする家臣の役。
お姫様はオーディションで4,000人の中から選ばれた、16歳の雪姫さま(上原美佐)。
このお姫様、りりしい!「なぜ身代わりの娘を見殺しにしたのじゃ。お前の顔など、見とうもない! 」と三船敏郎に弓を振り上げる姿のカッコいいこと!
今でいうホットパンツ姿! 馬を乗りこなす姫様、きまっている!
キリっとしたまなざしと、ラストシーンの正統派戦国姫君の高貴さまで、見どころありすぎです!
三船敏郎の最大の見せ場のシーンは、騎馬シーン。
馬の手綱を握らず、両手離しで(刀を握っているので)山道を下りながら疾走していく。
スピードを保ったままで一人、二人を斬り、さらにスピードを落とさず、敵を追いかけていく…。美しい。
(普通馬にしがみついて終わりでしょう。刀を持ったままとか、走りながら敵を斬るなんて、アニメじゃないですよ! 実写ですよ! )
刀を上段に構えたまま。しかも背筋がピンと伸びている。そのまま走り去っていく姿に思わずうなってしまう。
馬は全力疾走の速さだし、太ももの力だけで馬を御している。手を放す、乗ったまま敵を斬る、山道だし足元だって危ないし…。こともなげにやってのける。いやあ、爽快! 見るだけで舞い上がっちゃう!
もちろん吹き替えなし。三船敏郎本人がやっている。 スタントマンなど使う必要もない。というか、三船敏郎の御本人より馬を上手に乗りこなす人なんか、いないんだから。
騎馬軍団がきつい坂を駆け降りる。三船敏郎がさっそうと降り終わると、あとに続く騎馬武者軍団は落馬者続出っていうんですから。
おめあての殺陣のシーンの見どころは刀だけではなく、槍での一本勝負。5分くらい続く。
古武道の師範の偉い先生が殺陣をつけているので、リアルであり、戦国時代の実戦での槍づかいもかくやと思わせる。
ラスト近く、姫と臣下は絶対絶命の危機を鮮やかに突破して馬で山を駆け降りていく。
黒澤明監督の尊敬するジョン・フォードの映画へのオマージュとも取れる。
そして『隠し砦の三悪人』のあまりの面白さに、狂言回しの2人はR2D2とC3POに、姫と2人の臣下はレイア姫とルーク・スカイウォーカーとハン・ソロに、槍の果し合いは光る剣でのジュダイの騎士の勝負にと形を変え、ジョージ・ルーカス監督の『スター・ウォーズ』シリーズへと受け継がれていく。
とてもわかりやすい。
次の世代へのバトンはつながれていく。
コラム① 三船敏郎の生涯と略歴
1920年4月1日、大陸(中国)生まれ。お父さんは秋田のお医者さんの息子、お母さんは新潟のもとお武家さまの娘。秋田美人って有名ですが、三船敏郎の彫りの深い目鼻立ちは秋田美人の系譜、肌のきれいさは新潟美人の血筋。大連の写真館の跡取り息子で、小さいときから家業を手伝う。
1940年に19歳で徴兵されて、家業の写真の腕を見込まれ、偵察機が撮影してきた写真で地図を作る任務、続いて特攻隊に赴く少年兵の遺影を撮影する任務につく。
終戦後、復員するも両親は既に他界した後で(事情が詳しくわかる資料がない)、内地に戻る。軍隊時代の知己を頼り、東宝撮影所のカメラマンを志望する。ところが当時撮影部には空きがなく、空きが出たらカメラマンにしてくれる約束でニューフェイスとして俳優見習いとなる。
たくましい肉体と男っぽさ・ワイルドさを備えた甘いマスク。態度こそ野獣のようで傲岸不遜でも、性格は真面目でストイックで几帳面。軍隊生活で鍛え上げられた礼儀正しさと緻密な役作り。のちに不世出とうたわれた抜群の運動神経、スピード感あふれ、いや、あふれすぎている立ち居振る舞い・身のこなし。ナイーブでシャイな内面がうかがえる感情表現。
は早速当時の新進気鋭の監督の目にとまり、特に、のちに「世界のクロサワ」「世界のミフネ」と並び称される黒澤明監督は三船敏郎の才能にほれ込み、2人のコンビは日本どころか世界の映画史に名声をとどろかせ、不朽不滅の作品群が矢継ぎ早に放たれていく。
時は流れ、映画界は斜陽・下り坂。黒澤は黒澤プロ、三船は三船プロ、と独立し、二人は経営者として映画を作ることになる。
三船敏郎はとにかく人の面度見が良く、人には気を遣う性格で、誰もが「三船ちゃんに社長は向かないのでは。」と内心不安だった。
会社社長の立場では、世界の巨匠を呼ぶには費用が足りない。黒澤監督の映画に出たくても、長期間の拘束が続けば従業員の生活に差し支える。
自然、黒澤・三船のコンビは1965年の『赤ひげ』が最後となった。
俳優人生は順風満帆。最晩年までオファーは途切れなかった。特に後半は海外作品への出演が増える。
稼がなければ会社が回らない台所事情が大きかった。心身ともにハードな日々が結果として寿命を縮めてしまった。(厳寒のアラスカでの長期ロケで一気に認知症の症状が進んだと言われている)
プロデューサーとしても日本映画を彩る『黒部の太陽』『日本の一番長い日』『風林火山』などの超大作にたずさわる。
ただし
- 妻との離婚騒動と内縁の妻との同棲と別れ
- 三船プロダクションの内紛騒動
- 認知症と要介護の最晩年
は、事あるごとにマスコミに報道され、白日のもとにさらけ出され続けた。
日本を代表する世界的俳優だったのに。晩節をまっとうしたとは言い難い。
のがかえすがえすも口惜しい。惜しい。残念。
周りがもう少し、守ってあげられたなら。また違っていたはずなのに。
享年77歳。死因は全臓器不全。
羅生門 1950
1951年にヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。占領下の日本に差した光。敗戦国の日本が、映画で実力を世界に認めさせた。日本映画の黄金時代の訪れの幕を切って落とした、永遠の映画。
試写が終わり、映画会社のお偉いさんの感想は「えらい高尚なシャシンやな。」
原作は芥川龍之介の『藪の中』。
男は殺され、その妻と夫婦を襲った盗賊、一部始終をみていた焚き木売り。
ことの次第を語り出すのだが、4人が4人、言うことがぜぇ~んぶ違う。まるっきり違う。
一体真相は!? それは、藪の中…。
ストーリーの綾がわかりやすい(全員言うことが違うことのあるある感)ことと、撮影が画期的だった。
「太陽にカメラを向けろ」と撮影監督に指令が下ったのだそうで(黒澤・三船と同レベルで巨匠として名高い撮影監督、宮川一夫による)、この頃の映画と、いや、どの時代のモノクロの映画と比べても、木漏れ日の射す森の中。太陽の光の照り返り。オンリーワン、この映画だけとありありわかる映像世界・カメラワークでとらえられている。
映画そのものは、賛否両論あると思います。作られたのも昔だし、今の目で見て馴染めない箇所はあって当然。
そもそも公開当初から映像美は誰もが驚嘆したものの難解さはあり、あまり話題にもならず、海外の映画祭でのグランプリ受賞ではじめて、「…この映画って、見るべき映画だったの…。」と作った監督本人も、映画会社も、ハトに豆鉄砲状態だった。
それでも、映像だけを見て、モノクロのこの世ならぬ画面を追いかけるだけでも、この映画には十分な価値がある。京マチ子、キレイだものなあ。眉をおとして殿上眉。着ている衣裳も、今だと江戸も平安も時代劇で十把一からげにされてしまい、質感がみんな同じで、正直違いがわからないのですが、昔の映画の女優さんの着ている装束は、今のそれとは素材から着付けから、リアリティがまるっきり違います。
三船敏郎は盗賊の役。森の中でこの世のものとも思えぬ、まるで天女が舞い降りたかのような女人を垣間見、追いかけていく。
盗賊の紛争の三船敏郎の裸の胸やむき出しの腕のセクシーなこと。監督には「とにかく動き回れ」との指示が下り、ロケ地の森の中をひたすら走り回っていたという。
粗にして卑のはずなんだけど、ワイルドで魅力的。スピーディ『七人の侍』の菊千代系列の、野育ちの男の の天衣無縫な身のこなし、物言い、まなざし、セリフまわし。
京マチ子の夫役の森雅之は作家有島武郎の息子で、名優の誉れ高い新劇の大物役者。
志村喬が焚き木売りだし
日本映画を語る上で絶対に欠かせない人の名前が、次々出てきます。
酔いどれ天使 1948
三船敏郎にとっては映画出演の3作目、黒澤明監督作品への出演は初めて。
既に人気監督だった黒澤監督が三船敏郎にほれ込み、初起用。
今までになかった、男前で、男臭く、野性的で荒々しいエネルギーと圧倒的なオーラとフェロモンを発散させながらのスピードと迫力のある演技は、ヒューマニズムと弱き者への共感が根底にながれる黒澤映画に色気と艶っぽさを加えた。今までの映画の中にはいなかったキャラクターの出現により、映画は大ヒット。デビュー3作めにして、三船敏郎は一気に人気スターの仲間入り。
才気ピリピリの新鋭人気監督は三船敏郎という逸材を手に入れ、2人は手に手をとって日本映画の黄金時代を驀進していく。
この作品は、荒々しい熱気ともの悲しさがあります。
三船敏郎の役どころは闇屋のチンピラ。志村喬演じる町医者に助けられ、当時は不治の病であった結核であることを知る。強がってみせても見え隠れする死の影に怯えていきがる弱さともろさが痛々しい。
命にかかわる病と知っても、悪の道から抜け出すどころが、破滅への道をころがり落ちていく。
兄貴が出所してくると、情婦にも裏切られヤクザの世界からも締め出されてしまう。
町医者に心の底では感謝しながらもぶっきらぼうな態度をとってしまう朴訥さ、不器用さ。
病気がわかったはじめのころは、ただただ美男子。
病は進行し、目だけが異様な光を放るやつれた姿で情婦の家に兄貴を狙って乗り込んでいく。血を吐きながら戦い、白ペンキにまみれて殺し合う。のたうちつつ動かなくなっていく。
太平洋戦争終戦後の混沌とした時代を描き、口は悪くてお酒は飲みすぎだけど、ヒューマニズムの熱血漢、との志村喬のエネルギッシュなキャラクター。志村喬が映画の主役だったはずなのですが。
黒澤明の見出した新人のフレッシュさと才能、野性味あふれる存在感がものすごすぎて、主役が圧倒的に押され気味。
志村喬は三船敏郎に並び、黒澤明に愛された俳優で、共演も数多い。
プライベートでも親交が深く、大陸で両親を亡くした親がわりの存在で、三船敏郎の結婚式では、志村喬夫妻が媒酌人を努めた。
三船の臨終の床に志村喬未亡人が見舞い、「あんた、ほんとうにいい男ね。三船ちゃん、しっかりしなさい」と声をかけると、三船敏郎の目から涙がこぼれ落ちたという。
当時人気絶頂だった歌手の笠置シヅ子が特別出演しており、黒澤明作詞の「ジャングル・ブギ」を歌い踊る。出所した兄貴のギター「人殺しの歌」、闇市のシーンの「かっこうワルツ」など、音楽も世相を表現している。
蜘蛛巣城 1957
黒澤明監督作品。シェイクスピアの「マクベス」を戦国時代におきかえて三船敏郎と山田五十鈴が城主夫妻を演じる、と聞くだけで居住まいを正さねばならない。
勇猛な武将が疑心暗鬼から狂乱状態に陥っていく様子をじつにリアルに表現している。さらに凄いのが、そこまで彼を追い詰める山田五十鈴のおどろおどろしさ。
ものものしい、大掛かりな映画なんだろうなあ。と察しはつく。
原作に真っ向から立ち向かい、メイド・イン・ジャパンの映画の映像美は絶賛を浴びた。
無声映画の世界へのノスタルジーともとれるシーンの数々。雨の森、雨の森の中で道に迷ふ馬と武者、そこに現れる妖怪、風にはためく旗、舞う砂ぼこり。駆け抜ける騎乗の武士、騎乗の武士が馬の首をひるがえす姿、霧の中で動く森…。映画全編を貫く重厚な質感。緊張感に溢れた数々の場面。お能の幽玄をスクリーンに表現しようとした。
名高いシーンはラスト。
鎧姿の三船敏郎が雨のように矢を浴び、何本か体にささり、よろめきながら逃げ惑う。矢の勢いは止まらず何十本という矢が浴びせられる…。
CGのない時代、矢は本物です。信じられないけど。保険など、もちろんありません。
成城大学の弓道部員10名あまりがカメラのフーレムに入らない距離に立ち、一斉に矢を放つ。「こっちに逃げるとここに矢の雨が来るから今度はこっちに逃げてください。」とか説明したらしい。
しかし、学生さんの手元が狂わないとは限らない。三船敏郎が体のバランスを崩さないとも限らない。
殊勝に「はい、ここからこっちに逃げるんですね。」と答えたものの、撮影の前は毎晩B29が突っ込んでくる悪夢を見たという。
矢はババババーっと飛んできて、この野郎、あとでぶっ殺すぞ、と震えながら逃げ回った。
ついでに言えば、撮影後、酒が入り、恐怖の記憶がよみがえり、同時に怒りがこみあげてきて、酔った勢いでそのまま散弾銃を持って黒澤監督の自宅に押しかけ、自宅前で「こらー! 黒澤のバカヤロウー! 出て来い! 」と叫んだという。(気持ちはわかる…)
リアリズムの演技、命がけの演技の気迫に世界が驚愕した。シェイクスピアの映画化の最高峰の映画の一つとされ、ロンドンに国立映画劇場が落成した時、イギリス人は、こけら落としに黒澤監督を招き、『蜘蛛巣城』を上映する。シェイクスピアの国の人々が、『蜘蛛巣城』に熱狂した。
山田五十鈴の演技に、ヴィヴィアン・リーも興味津々で黒澤監督を質問攻めにしたとのエピソードも伝わっている。絶対、原作のマクベス夫人のおそろしさの上行っているもの。
世界映画史に残る傑作。
天国と地獄 1963
三船敏郎が会社重役を演じる。この映画あたりから、1枚目っていうんですか。若さからくる危うさやハラハラどきどきのアクションスターから、ただ画面にいるだけで、視線を移すだけで絵になる貫禄がにじみ出てくる。ちょっと太ったし。 原作がエド・マクベインのスリラー小説。
子どもが誘拐された! と思ったら自分の子どもではなく、運転手の子どもだった! 身代金を払えば自分は今の地位を失う。犯人は当時最新鋭だった特急、こだまに乗れという。薄さ7センチ以内のカバンに3千万の札束を詰めて。
山の上の高台の豪邸、見上げる住宅街、走る超特急、カオスのようなアヘンの巣窟と、息詰まる展開、ひっきりなしの場面転換。観客は引っ張られ、翻弄されっぱなし!
無法松の一生 1958
今までのおすすめ映画は、すべて黒澤明監督作品。この映画は稲垣浩監督作品。
初めての映画化は阪東妻三郎主演で太平洋戦争下の昭和18年公開。第1回映画化は名作の誉れ高い。将校未亡人への慕情、ひたすらに憧れ、尽くしぬく無法者の男の純情のお話。しかし戦時下の映画。まず賭博は撮影前からカット。軍人の妻に惚れることなど、例え映画の中であっても許されなかった。気配匂わせのシーンは、ことごとく検閲でカットされた。
稲垣浩監督は、終戦後、制約なしに、カラー映画でもう1度同じ映画を撮った。リメイク版が三船敏郎主演。 三船版無法松そのものは、阪妻版無法松があまりにも名作すぎたがゆえに、正直、影が薄い。
それでも、三船敏郎を知る人たちからは、映画で三船が演じた人物の中で、『無法松の一生』の松五郎その人がどの役よりも、三船敏郎本人とダブる。との意見で一致している。
晩年の軍人や武将のイメージがダブるけど、素顔の三船敏郎は、真面目で、不器用。愛情深く、絶えず周りに気配りを忘れない硬骨漢。見た目はゴツくてもナイーブな心。自分の地を出せる、引き出してもらえた映画でもある。
稲垣監督の映画は、ドライでクールでエンターテイメントに徹した黒澤明監督のそれとは異なり、日本情緒豊か。傑作映画を次々と生み出し、三船版『無法松の一生』はヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、同じく三船敏郎主演の『宮本武蔵』はアカデミー賞名誉賞を受賞しており、国際的知名度も高い。
最大の見どころは、三船敏郎演じる「祇園太鼓」の乱れ打ち。九州小倉が舞台で、未亡人の息子が大きくなって、恩師とふるさとに帰ってくる。2人のために、恋する未亡人のために、山車にあがり、華麗なバチさばきを披露する。紅白の飾りの華やかな山車。鈴なりの沿道の観衆。
太鼓の音そのものは、プロの演奏で、録音。音に完璧に合わせての演技。最大の山場ですから、長いんですよ~。
映画のはじめのころは髪も黒かったけど、時は流れ、今はごま塩頭。片肌脱ぎになり、次にもろ肌脱ぎになり、愛の証の太鼓を、奥さんと坊ちゃんに喜んでもらいたい。その一心でたたき続ける。光る汗の美しさ。
クランクインしてからも地道な練習を黙々と続け、本番は完璧。録音の音通りにピタリと決め、「OK」の声がかかるとエキストラからは感動のあまりの万雷の拍手が沸き上がったという。
三船敏郎の表情って、ホントにチャーミング。市井の人の喜びや悲しみを描く映画だから、親近感も持てるし、一途さと心の美しさについつい。引き込まれる。
酔って雪の中に倒れ、無法松は凍死してしまう。残されたのは未亡人名義の大金を預けた預金通帳。未亡人からの祝儀の袋は、手もつけずにきちんと積まれていた。ラストは涙なしには見られません。
コラム② 三船敏郎の魅力
どこまでもどこまでも、見れば見るほどいい男ですよねえ。かっこいいですよねえ。年をとったらとったで、渋くてまたまた素敵~。
男の人なんですけど、特に若い頃。スクリーンに映る、肌がきれい。白くて、ツヤがあって、水分たっぷり。油分も程よくしっかり乗って、弾力がありながら透き通るよう。
そして、体がいい。裸がいい。脱いだら、というより、半裸かそれに近い、例えば『羅生門』の装束。『七人の侍』の鎧姿。肩・腕・胸・背中の肉づきがはっきりわかるんですね。
顔にもまして筋肉が美しい。肌が美しい。張りがあって、でも柔らかく、しなやか。
身長は174㎝。大きすぎず小さすぎず、均整の取れたプロポーションとフォルム。
今みたいに無理して筋トレした体じゃなくて、もっと自然。
当時の日本男子の1~2割くらいしか合格しない、徴兵検査で甲種合格。身体壮健はお墨付き。冬山のロケでは、50㎏の撮影機材を背負ってスタッフより早く頂上を目指したってんですから。
とってもセクシーなんですよ。
黒澤明監督は、誤解を招きかねない言い方ですが、男の映画を作る監督。
ニューフェイスに合格した東宝映画会社のカラーも、アクション・人情・エンターテイメント。(おんな子どもの紅涙を絞る映画が得意なのは松竹、と昔から映画会社ごとにカラーがある)
決して三船敏郎のセックスアピールを誇示するために映画を作ったはずはないのに。
芸術作・大作と呼ばれる映画の中でも、三船敏郎の男のセクシーさが爆裂!
黒澤明監督は、三船敏郎の演技の動きの速さに惚れたと語る。
ずば抜けたスピードがある。
猛獣を飼いならさなければいけないんだとも語っていた。
殺陣のシーンなんて、敵をやっつけるのがむやみやたらと早い。
必死になって画面を追わないと、またたく間に最高の見せ場のシーンが終わってしまう。
そして見せ場に入る前も、見せ場でも、例えば斬り合いが終わり、刀を納めて去っていく姿も。
全部かっこいいんですよ!
周りの方々も「とにかく素敵だった。何をしてもかっこよかった。怒られても、怒ってる姿もカッコよかった。」と全員、口をそろえて、ベタ褒め、ベタ惚れです。
三船敏郎は、台本を持たずに撮影に臨む。台本の中身は、既に頭の中に全部入っている。
几帳面な性格で、使った台本もちゃんと残されている。役作りのためにびっしりメモがあり、天衣無縫に見えて、地道な努力を全身全霊注ぎ込む集中力の持ち主であったことは想像に難くない。
潔癖症・掃除好きとしても有名で、ピュアで生一本な部分がある。
女優さんとのラブシーンでも、まず照れてしまうタイプ。(つまり下手)
生まれながらの規格はずれの反射神経で、ワイルドに、男っぽく、男の色気を発散させながら、傷みを持った人間のこまやかな感情の動きを表現できる。
声もいいですよね。
何を言っているのかわからない時もあるんですが
(これは、三船敏郎の欠点、というよりは、臨場感を出すためにはスタジオではなく現場で音を取らなければいかん、などという演出のこだわりなどがあり、当時の技術では声を拾いきれないことがままあった。) 低い、野太い声がまた、セクシーで。
外国映画に出演し、セリフを吹き替えにしたら海外の女性ファンから大ブーイング! とのエピソードも残されています。
男も惚れれば女も惚れる。
日本映画の誇り。日本の誇り。別格のイケメン俳優です。
赤ひげ 1965
黒澤明と三船敏郎が組んだ最後の映画。
赤ひげ、とは。三船敏郎演じる小石川養生所のお医者様のおひげが赤いから。
原作は山本周五郎の小説。原作者にして「映画化の方が出来がいい」と絶賛した、日本映画の珠玉の作品の1つ。
人情派のお医者さまに反抗する若者役でスターダムに駆け上がった若者が、この映画ではヒューマニズムを絵にかいたような、若いものをいさめる役になる。
医師としての腕は確かだけど、治療するというより、人の生活や生き方を助けようとする。
昔、人の命は儚かった。最期の日々を送る病人を受け入れ、苦しみを取り除こうとする。
チンピラを骨折させ、官僚を情事ネタでゆすってお金を巻き上げ、金持ちの患者には法外な治療費をふっかけ、 用心棒を叩きのめし、廓から子どもをさらってくる…とスケールも大きい!?
主軸の物語は、御典医になるべく長崎から戻った若き医者が不本意にも小石川養生所に配属され、失意のもと着任。市井の人々の真摯な生きる姿や、上司である赤ひげの人柄に次第に心を動かされていく。
そして小石川療養所を自らの一生涯をささげる場所と決めるまでが描かれ、青年の成長譚でもある。
登場人物が数多く、加山雄三、山崎努、杉村春子、田中絹代、笠智衆など超豪華な顔ぶれ。
3時間を超える長編。構成されるエピソードの一つ一つが克明で練りこまれており、江戸時代の街を完璧に再現する美術、当時の風俗が黒澤監督の美学の元や人情が子役から老け役まで厳格な黒澤監督の演出のもと、真に迫り、腑に落ち、胸にズシンとくるものばかりで飽きさせない。
終盤の天才子役2人のエピソードはことに泣けてくる。お嬢さんや上品な奥さんしかやっていなかったとばかり思っていた香川京子の狂女の演技も見もの。
感動の波が次から次へと押し寄せてくるヒューマニズムあふれる傑作と絶賛の声も高く、骨太なテーマはコンクール向け。その年のキネマ旬報第1位。
三船敏郎は第26回ヴェネツィア国際映画祭で男優賞を受賞している。
毎回のことなから黒澤監督の完璧主義とこだわりで製作費はふくれあがった。映画は大ヒットしたが、黒澤監督が抵当に入れた自宅は回収されなかった。
この映画の後、湯水のように使われる製作費を恐れ!? 黒澤映画は製作前からもめにもめ、本数が少なくなっていく。
三船敏郎も、スキャンダルが暴かれたり、三船プロや映画作りのために死ぬまで「世界のミフネ」でいなければならなかった。画面から溢れる円熟の境地、威厳、緊張、熱気、風格。役者としての最後のピークは『赤ひげ』だった、という人もいる。
銀嶺の果て 1947
三船敏郎のデビュー作。東宝のニューフェイスに合格して、撮影部に動かしてもらえるのを心待ちにしていた三船敏郎の荒々しさとガタイの良さに谷口千吉監督が目をつけた。渋る三船敏郎に「君が僕の映画に出てくれたら、背広を1着、プレゼントするよ。」 (当時、三船敏郎は復員帰りの着たきり雀で、服は1着しか持っていなかった)
コレ1本出れば憧れの撮影部に移れるんだから。と、冬の日本アルプスでのロケーションのある映画だったので、50キロの撮影機材をしょって先頭を切って頂上まで登り、うまれつきの几帳面で潔癖な性格で掃除や後片付けなどを率先してやり、皆を驚かせた。
撮影済みのフィルムが運ばれてきて、動く三船敏郎を見て、びっくり仰天したのが黒澤明監督。(この映画の脚本は黒澤明)驚くべきスピード。同じ間で他の俳優が3表現するところ、三船は10表現できる。今までの日本の俳優にはいなかったタイプだとほれ込み、自らの作品『酔いどれ天使』への出演依頼を決意。俳優としても大ブレイクにつながっていく。
お話は、3人組の銀行強盗が、雪山に逃げ込む。山小屋には老人と娘と登山家。登山家を脅し、逃亡を図る。足を滑らせる2人。必死で助けようとする男。ケガをした登山家を見殺しにするかしないかで大乱闘になり、誤って仲間は谷底に落ちていく。
何しろ、スクリーンに残っている一番若い三船敏郎が出ているわけですから♪(あ、でも映画としての主人公は志村喬です。格が違いすぎる)荒くれのワルの美青年を見られるだけで目の保養。
この映画が作られたのは昭和22年。食べるものにも着るものにも事欠く時代に、これだけの規模の山岳アクション映画を作った、日本映画のエネルギーに驚かされる。
とともに本物の雪山でのロケのシーンの壮大さ。のちに『ゴジラ』や『座頭市』の音楽を手掛ける天才作曲家、伊福部昭の映画音楽第1作でもある。
野良犬 1949
三船敏郎が新米熱血刑事を演じる。熱い。暑い。暑すぎる…。(夏のお話です) 黒澤明監督作品で、『銀嶺の果て』と『羅生門』の間。つまりですね、三船敏郎の若き日の、カッコいい姿を見ることができる!
映画としては、賛否や好みは分かれるかもしれない。
黒澤明監督は、ロシア文学が好きで、正攻法。頑張りすぎると、鼻についてしまう、とする人も多い。ましてやこの映画の頃は、三船敏郎が若ければ、黒澤明監督だって若いのです。
たとえば、犯人が泥だらけになって、手錠をかけられて、号泣するシーンなんか見ていると、…それは、犯罪を犯すくらいだから、いろいろ辛いこともあったのだろう。と思わないこともないけど。そこまでやることないんじゃないんですかあ、と大監督にもの申したくなってきます。
個人的には、やってやる!? 感の残る映画はあんまり好きではないのですが。
でも、三船敏郎には
- 前髪パラリの若くてイケメン・ナイスガイぶり
- 量の多すぎる黒髪のオールバック、男盛りの30~40代
- 世界のミフネ。渋さで売った壮年時代
と大きく3つの時期があり、見た目の眼福、第1期は、新人時代。ベテラン・大スターになった時にはない危うさが魅力です。
お話は、拳銃をすられてしまった新米刑事。白い背広を着て全力疾走(道路は未舗装、建物は平屋で空をバックに電柱が立ち、道路は広くて人が少ない占領下の東京も見ることもできる)。7発の銃弾が入った拳銃を探し、熱血刑事ががんばる。「何とかします! 」と走り出す。
盗まれた銃を探し出すため、復員兵姿に変装して闇市界隈を歩きまわる。復員してきた三船敏郎、こんな姿だったんだろうなあ…。こけた頬。無精ひげ。目だけがギラリと光る。
銃による事件が起きるたびに、「僕のコルトでしょうか!」と目の色が変わり、血相を変える(熱い…)。ペアを組む志村喬はベテランの余裕。
犯人をついに見つけ、追い詰める。夏の草地での2人の死闘。犯人の持つピストルの1発は三船敏郎の腕にあたり、2人とも泥まみれになり、ついに三船敏郎は犯人に手錠をかける。2人とも肩で息をしている。
突っ張り・テンパリ具合がいささか青臭く、若い時しかできない役柄が、ほほえましくもステキ。
東京の恋人 1952
原節子と三船敏郎の共演映画。なら黒澤明監督の『白痴』があるじゃないか、と言われてしまいそうだけど。『東京の恋人』の方が、楽しいんだもの。ロマンティック・コメディ映画です。原節子にしろ三船敏郎にしろ、ほかの作品ではそうそうお目にかかれないお茶目な表情がみどころ!
舞台は太平洋戦争直後の東京。絵描きさんの原節子は、仲間と一緒にボロアパートに住んでいて、銀座の宝石屋さんの前で商売をしている。三船敏郎はフェイクの宝石職人。偽のダイヤの指輪と本物の指輪をめぐって森繁久彌・清川虹子(本妻)・藤間紫(愛人)の芸達者を絵に描いたかのようなスラップスティックが並行して描かれる。
原節子と同じアパートには売春婦の杉葉子がいて、結核に倒れ、故郷の母が訪ねてくる。心配させたくない、と三船敏郎は夫役を引き受けるハメに。
シティ・ボーイ役の三船敏郎。胸板が厚いのでダブルの背広が良く似合う。オールバックに蝶ネクタイはご愛敬。アクション・スターの見せ場、町のチンピラを叩きのめすシーンも用意されており、目にもとまらぬ早業だったりする。また、歌を歌っている!「荒城の月」を歌う。
正直言って、エピソード詰め込みすぎでストーリーに無理があり、一番の見ものは、真ん中が割れてあがる勝どき橋だったりする。
それでも、コメディ映画なので、三船敏郎の出演作の中でのレア度は高い。
巨匠の大作の映画の他にも、三船敏郎の出演している映画はたくさんある。男盛りの三船敏郎は、温かくで爽やかで誠実で、パリっとおしゃれして、仕草や表情を追いかけるだけで、みとれてしまう。
コラム③ 黒澤明と三船敏郎
黒澤明監督は
「三船くんは、それまでの映画界では、類のない存在だった。特に表現力のスピードは抜群だった。分かりやすく云うと、普通の俳優が十フィートかかるものを、三フィートで表現した。動きの素早さは、普通の俳優が三挙動かかるところを、一挙動のように動いた。なんでも、ずげずげずばずば表現する、そのスピード感は、従来の日本の俳優には無いものであった。しかも、驚くほど、繊細な神経と感覚をもっていた。まるで、べたぼめだが、本当なのだから仕方がない。」
「三船に惚れた。三船には参った。」と手放しで絶賛。
「黒澤天皇」と呼ばれ、映画作りのためには一切の妥協も許さなかった監督も、三船敏郎の演技についてはほとんど意見を出すこともなく、やりたいように演技させていたのだとか。
黒澤明監督作品は全30本しかない。うち16本の映画に三船敏郎を起用し、全てが主演。
三船敏郎は、生涯150本以上の映画に出演している。つまり、生涯を通じて、超売れっ子のスター俳優だった。
三船敏郎は黒澤映画出演のほかにも多作だった。今の目からみると半分埋もれてしまっているけど、演じた役柄は幅広い。ライトコメディーの映画にも出ているし、洒落た都会派の映画にも出ているのです。
黒澤映画以外のスチール写真や宣伝ポスター、ブロマイドなどでは、屈託のないナイスガイぶりがうかがえる想像もできない表情やポーズをとっている。
そしてほかの監督の作品にも数多く出ているはずなのに、語られるものは。
圧倒的に黒澤映画一辺倒であることには驚かされてしまう。
映画の持つパワーが圧倒的なんでしょうね。
日本の監督にありがちなジメついた部分が少なめで、骨太。観客を引き込むストーリーのスケールが大きい。ダイナミックで説得力がある。エンターテイメント大作が多い。演出のアイディアが斬新である。(スローモーションや人を斬る時に効果音が入るのは黒澤映画がはじまり)グローバル規模でわかりやすい娯楽作でもあり、芸術作でもある。
映像で見せたいものがはっきりしており、ブレてない。難しくしない。
黒澤監督の抜擢と演出あっての三船敏郎か、三船敏郎あっての、黒澤明監督映画のキャラクターなのか。
を頭の隅に置きながら出演映画を見ましょう♪
『七人の侍』の菊千代の縦横無尽の動き、『用心棒』の七人斬り、『椿三十郎』の30人斬りと一瞬の血柱。『隠し砦の三悪人』の両手を振り上げての騎乗の疾走、『酔いどれ天使』の酒場のジルバ、『蜘蛛巣城』の矢ぶすま。『無法松の一生』(コレだけ稲垣浩監督だけど入れさせて♪)の祇園太鼓の乱れ打ち…。
楽しくて時を忘れてしまいます。
グラン・プリ 1966
三船敏郎のハリウッド映画デビュー作。出演料は30万ドル。モナコのF1レースのカーアクション映画。
役どころは、本田宗一郎をモデルにしたチームオーナー役。 ロマンスグレイの三船敏郎が、メチャメチャかっこいい!!!!
この映画が作られたころ、HONDAがF1に参戦し、1965年に初勝利をあげていた時期だった。
当時のF1レースや名ドライバー、クラシックのレーシングカーに興味のある人だったら懐かしさのあまりうれし涙にかきくれてしまいそう。
昔、F1ドライバーは、シートベルトもなしに、ルーフもなしに、むき出しのスーパーカーを走らせていた。真面目に、命がけだった。
共演者はフランスのシャンソンの大御所、イヴ・モンタン、ミステリーの神様、アルフレッド・ヒッチコック監督の『北北西に進路を取れ』のエヴァ・マリー・セイントなど。
正直、車とレーサーが主役だし、三船敏郎の出番はさほど多くないものの、出ないかな、出ないかな、とワクワクそわそわしながら画面に見入り、そして三船敏郎がスクリーンに現れただけで、別格の風格があるんですよ!
映画に出てくる東洋人の、エキゾチシズムを超えた毅然。凛々しく犯しがたい気品。
この映画を皮切りに、三船敏郎には海外映画のオファーがひっきりなしに舞い込むようになる。
レッドサン 1971
三船敏郎が紋付袴帯刀&ちょんまげ姿で開拓時代のアメリカ西部で刀でピストル持った相手に立ち向かい、バッタバッタと敵をなぎ倒すシーンを見ることができる。
設定としては、日米の修好条約を結ぶため、大陸横断鉄道に乗り、巻き込まれて大事な刀を取り替えすため、チャールズ・ブロンソン(男くささとカッコよさで売った1960~70年代のハリウッド・スター)と一緒に悪を追いかける。
今の目みると、アメリカン・インディアンとの戦闘シーンなんかあって、ひっかかることはひっかかるのですが…。鉄砲VS日本刀、を見たいから、ガマン・ガマン…。
きれいどころはウルスラ・アンドレス(シリーズ第1作『007 ドクター・ノオ』の初代ボンドガール)で、スケールの大きい美女。
アラン・ドロンとの唯一の共演作であり、ドロンは三船敏郎の人柄と演技に心服し、2人の交流は三船敏郎の死まで続いた。
アラン・ドロンの日本でのCM出演は三船プロが実現させた。三船敏郎は世紀の美男スターと日本とのかけ橋だったのです。
ちょいちょい?? の描写はあるものの(大任を任された武士が娼館に行ったりするのかしら、とか)、三船敏郎は日本人の威厳と誇りを体現し、切れのあるアクションシーンや乗馬シーンをすべて吹き替えなしで披露。ハリウッド映画にも素晴らしい業績を残した。
上意討ち拝領妻始末 1967
重いです。暗いです。ドラマティックなお話なので、殺陣の激しさがきわだつ。
作品としても、小林正樹監督は完全主義で、絶対に手を抜かない。バラバラのシーンをまとめて撮影、なんてことはせず、シナリオの順番どおりに撮影する。
三船プロの新しい撮影所で撮影が進められるが、カメラは1台(複数のカメラで撮影すれば早く済む)、撮影所の電力が不十分(スタジオの建設許可は出ず、住宅として建てられたため)、時間がかかる=経費が雪だるま式に膨れ上がる…。
気配りの人である三船敏郎は耐えに耐え、映画の悲壮さ、殺陣の鬼気迫る迫真の立ち回りは、三船敏郎その人の苦悩がそのまま表れている。
お話は、藩主のお手つきの女が息子の嫁としてあてがわれる。
紆余曲折はあったものの、2人は心を通い合わせ、幸せに暮らしていたのに。
女が産んだ男子が嫡男となり、嫁を大奥に戻せとの命令が。そんな馬鹿な。人の心をなんと心得ているのだ。
藩から差し向けられた刺客の手により、息子と嫁は息絶えた。
孫娘を抱き、絶対に許せない。最後の斬り合いに臨むのです。
会津藩に仕える筋目正しい藩士の役なので、正統派のお武家さま。渋かっこいいミドルエイジの三船敏郎。ぎりぎりのシチュエーションでの鬼気迫る演技が見ものです。
作品としては、超一級の出来上がりで、評価も高く、終わりよければすべてよし。
宮本武蔵三部作
原作は1935年から39年にかけて朝日新聞に連載された小説「宮本武蔵」。長尺の剣豪小説で見せ場も多く、登場人物も多彩。何度も映画化されている。
嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、三船敏郎、中村錦之助、高橋秀樹。
三船敏郎の宮本武蔵は3部作。『宮本武蔵』(1954)、『続宮本武蔵 一乗寺の決斗』(1955)、『宮本武蔵完結編 決闘巌流島』(1956)。ちょうど、『七人の侍』のころ。
佐々木小次郎が鶴田浩二(2・3作)、お通が八千草薫、朱実が岡田茉莉子。と豪華キャスト。 三船武蔵と鶴田小次郎の暁をバックにしたクライマックス、巌流島決戦!
第1作は米国アカデミー賞の名誉賞を獲得しており、映画のスケールも大きく、日本映画全盛時代の雰囲気を味わえる。 三船武蔵は全3部作、錦之助武蔵は全5部作、高橋武蔵は1本完結。 もう、こんな映画は作られない、作れないんだろうなあ。
下町 1957
昭和の大女優の一人、山田五十鈴との共演作。
『蜘蛛巣城』『用心棒』『どん底』など、共演作はあるものの、…クセの強い、激しいお話ばかり。この映画では、世紀の大スターが2人、一転して市井の人を演じる。戦争の悲劇が胸にしみる。
昭和24年の終戦まもない東京、シベリアから復員し、妻が他の男の元に去ってしまった男と、シベリアから帰らない夫を一人息子と2人で待つ女。
葛飾の河川敷のボロ家・浅草・吉原。当時の風景描写も確かで、「昔の日本って、こんなだったんだ~。」と感慨もひとしお。 お茶の行商をしている女。
小屋の材木番をしている男は、火にあたらせてくれ、弁当をつかわせてくれた。
鮭の切り身を半分、分けてくれた。
ちょくちょく立ち寄らずにいられず、子どもと3人で浅草に遊びに行く。
旅館で3人で川の字になって寝て、男と女は結ばれて。
次に訪ねて行ったら、男は事故で死んでしまったという。あっけなさすぎる幕切れ。
見終わるとじーんとやるせなさが。いい映画です~。三船敏郎の男らしさと優しさ、女ざかりのつやっぽい山田五十鈴。原作は林芙美子。
西鶴一代女 1952
三船敏郎の映画というより、黒澤明と同じく日本映画を代表する巨匠監督、溝口健二の映画であり、溝口監督の元で女優開眼、大女優としての名を不動のものにした田中絹代の映画であり、三船敏郎の出番はほんのちょっとしかない。
お話は、御殿女中のお春が、運命にもてあそばれ、愛した男は死んでしまったり変な男に言い寄られて住んでいるところを追い出されたり…の繰り返しで、ついには街娼に身を落とす。
お殿様の手がついて産んだ子が若殿様となるが、街娼からは抜けられたものの永年蟄居を命じられ、拒んだお春は剃髪し、巡礼の旅に出る。
三船敏郎の役は、物語の最初、御殿女中のお春に思いを寄せ、打ち首になってしまう若侍。
出番も少ないし、おとなしいお侍さんの役で、正直印象が薄い。
でも、映画そのものは日本映画を代表する1本のひとつです。
黒部の太陽 1968
三船プロダクションと石原裕次郎率いる石原プロの合同製作。言語を絶する難工事、日本の屋根のアルプス山中に黒部ダムを建設する不屈の闘志の男たちを描いたドラマ。
工事に同じく、撮影も420トンの水が一挙に噴出して出演者は本気で必死で逃げた、セットも本物さながらの灼熱地獄(屋根がトタン張りだったので)だった、と思わず頭がさがる。
また、この映画は当時の日本映画の「俳優・監督は自社以外の映画を作る・出るはまかりならん。」とのいわゆる五社協定への風穴を開けた作品としても知られている。
三船敏郎が関西電力が映画の前売りを100万枚保証しているから、と日活の社長に持ちかけ、映画化が実現した。
映画に出演するだけでも大変なのに。社長業の激務ぶりが伝わってきて。なんだか、切ない。
風林火山 1969
時は戦国、武田信玄と上杉謙信との闘いを軸に、信玄の軍師、山本勘助の生涯を描く豪華戦国絵巻。クライマックスが川中島の合戦。三船敏郎は山本勘助。武田信玄は中村錦之助、上杉謙信は石原裕次郎と超豪華。
石原裕次郎なんて、カメオ出演。
終盤ほんのちょっとしか出てこないけど、さすがの存在感です。
若き信玄は勘助の薫陶を受け、武田家の主として成長していく。勘助の高貴な姫君への叶わぬ恋。秘めたる心…。と正統派・王道を行く。
三船敏郎が私財を投じて完成させた超大作で、川中島の合戦の壮麗な騎馬武者の群衆シーンなどは、ことのほか費用がかかる。(馬を集めることから始めないと)今の時代でこれだけのシーンを再現できる人がいるかどうか。
とても貴重かつ見ごたえのある映像です。 戦国武将の装束で長槍を持ち、馬に乗って疾走する三船敏郎のカッコさ!
コラム④ 人柄と私生活
結婚は29才。お相手は同期のニューフェイスの女優さん。吉峰幸子さん。
子どもも生まれ、お父さんは仕事で忙しい。
三船敏郎は、人柄はチャーミングで、スタッフ・キャスト、皆に愛され、慕われた。
腰が軽く、低い。終生付き人をつけない。国内でも海外でも移動は1人で。威張るのは嫌い。愛嬌もある。
ドリフのコント番組でヒゲダンスのウォーキングで観客を沸かせたこともある。
ただし、酒癖がよろしくない。
お酒さえ過ごさなければ、優しい方なのに。とため息交じりに嘆いた女優さんもいた。
酔うと練習用の真剣の日本刀を振り回して家じゅうをボロボロにしたりする。
想像を絶するストレスの中、役づくり、映画づくりをしていたのだから大変なのはわかるけど。
奥さまとしてはたまったものではありません。
さらに奥様も気の強く、言い返すタイプ。
男盛りの身、浮気もした。情が濃いからその都度本気。家を買ってあげたりして最後まで面倒はみる。
新人女優、喜多川美佳と内縁関係になる。
奥さまは離婚を申し立てる。
法廷の場では、三船敏郎の純な性格はマイナスにしかならなかった。
妻の欠点をはっきり口にし、自分の浮気や酒乱を指摘されて逆上し、食ってかかる姿は衝撃的すぎた。
「離婚したら美佳と結婚します。」と明言し
奥さまは「私は一生三船敏郎の妻です」と態度を硬化させ、調停を取り下げた。
喜多川美佳との間に娘が生まれ(三船美佳)幸せな時期もあったけど、
2人は別れ、ほどなく三船敏郎は要介護状態となって病院で晩年を迎える。
結果として「若い女が夫を奪い、老いたら捨てた」形が残ってしまった。
いや、違う、父の位牌を勝手に捨てられ、怒って三船敏郎が家を出たんだ。との証言もあり、真相は当人同士しかわからないものの、後味がとてもとても良くないことに変わりはない。
認知症を発症してから妻と再会。もう自分の妻だとはわからなかった。
束の間、平穏な時間はあったものの、奥さまは病に倒れ、亡くなった。
心身ともに症状は進み晩年は病院にいて、車いす姿をパパラッチされてしまう。
さらに事務所の内紛騒動もイメージダウンに輪をかける。
腹心の部下が、所属タレントをごっそり引き抜き、独立してしまった。
人一倍気を使い、文字通り骨身を削って奔走してきたのに、部下の裏切りにあってしまう。
会社の屋台骨が揺らぐ事態となってしまい、海外の映画出演で整えた広大な映画スタジオも、人手に渡ってしまった。
…と、人生の終盤に、スクリーンでの胸のすく姿とは別の、「もう少しなんとかならなかったのかしら」的なエピソードが多すぎるんですよ。
サラッと書いてしまっていますが、離婚・不倫騒動なんか、泥沼で何年も続く。何回も蒸し返されて、引き合いに出される。
このため、亡くなった当時、三船敏郎といえば「離婚」「不倫」「骨肉」系統のイメージが先行し、悪いイメージを払拭できなかった。
あれほどの作品を残した方なのに。返す返すももったいない。
代わりに弔電の顔ぶれがすごい、
スティーブン・スピルバーグ、フランスのシラク大統領、アラン・ドロン、マーロン・ブランド…。
マーロン・ブランドなんて変人で有名なんですが(失礼)、同じ飛行機に三船敏郎が乗っていることを知ると、自分からあいさつに行ったんですって。
日本のいちばん長い日 1967
『日本の一番長い日』とは。太平洋戦争終結の1945年8月15日のこと。三船敏郎が演じたのは陸軍大臣の阿南惟幾(あなみ これちか)で、終戦の日の朝に割腹自殺を遂げる硬骨漢。
私が三船敏郎に惹かれてしまうのは、どうしても若い頃。野獣のような荒々しさを秘めたオトコなのですが~。日本映画の重鎮ともなれば、超大作で、クレジットはいつだってトップ。将軍だの大将だの武将だの、重責を背中と両肩にしょった役が増えます。
テーマも重いし、山村 聰(海軍大臣役)とのやりとりは、…すごい迫力…。
昔の日本人の気迫のすさまじさ。当時最高の名優が勢ぞろい(ただし男ばかり)のオールスターの超大作映画。名優たちが火花を散らす。その連続。
男はつらいよ知床旅情 1987
20世紀後半の美しい日本の各地の風土と昭和を代表する名優の1人、渥美清演じるフーテンの寅さんとマドンナとの恋と葛飾柴又の下町人情を描く映画『男はつらいよ』シリーズの38作目。
舞台は北海道の知床。三船敏郎の役は、獣医さん。旅する寅さんをオンボロ車で拾い、居候させてあげる。顔はコワイが腕は確か、地域の人の信頼も厚い。家出して、離婚して戻ってきた一人娘がマドンナ。寅さんは娘と父親を取り持ってあげるのです。
獣医さんは飲み屋のママさんが好きなのに、好きだと言えない…。またまた寅さんが、助け船を出す。照れながら「俺が、惚れているからだ!」と告白して、ママさんはうれし涙をこぼすのです。
三船敏郎67才。ママさん役は『野良犬』の淡路恵子。
MIFUNE: THE LAST SAMURAI 2016
三船敏郎の死後に作られたドキュメンタリー映画。
三船敏郎の出演した映画のハイライトシーンは、いくらでもYou Tubeで見ることができる。
けど、この映画はたっぷり80分もある。
三船プロダクションと黒澤プロダクションのお墨つきなので、三船敏郎の一番いいトコをまとめてチェックできる。
ありし日の三船敏郎についてや、三船敏郎が世界の映画界に残した軌跡と功績をスティーブン・スピルバーグやマーティン・スコセッシをはじめとする超々豪華メンバーが熱く語る。
映画撮影の時のスナップやプライベートフォトなど、出演映画だけ追いかけていてはお目にかかれない画像・映像・エピソードが満載です。
アメリカで作られた映画で、原語版のナレーターはキアヌ・リーヴス。日本語版はEXILEのアキラ。
その他
三船敏郎がごくごく普通の、知性と分別のある男を含羞を滲ませて演じているのを見たいのであれば。おすすめは2本。
『妻の心』 1956 成瀬巳喜男監督
『愛情の決算』1956 佐分利信監督