佐藤優先生は『自壊する帝国』(2006)読んでいっぺんに大ファンになった。ものすごかった。文字通り寝食を忘れて一気に読了。著作を追いかけたいのはやまやまなれど、先生はとにかく多作。さらに守備範囲は宇宙のように広く深く、私ごときでは全部なんて絶対無理。
『十五の夏』は先生の高校1年の夏休み、当時のソ連・東欧を旅した日々の回想記。夢中になって読み終えました。
そもそもなぜ旧ソ連であり、東ヨーロッパなのか
お父さまが技術屋さんで、器械いじりや当時の通信技術を伝授し、ソ連の海外向けのラジオを聞くようになる。
また、1970年代当時、市井の知識人、たとえば塾の先生などは学生運動の思想の波をもろにかぶり、左がかった思想家の薫陶を受けている。何しろ後の”知の巨人”、お世話になった、尊敬する先生が愛読している本なら、読んで影響を受けたことは想像に難くない。
海外の文通相手が欲しい、と関係機関に申し込んでソ連はなしのつぶて、でもハンガリーの同じ年頃の男の子を紹介してもらう。
かたわら受験戦争に勝ち抜き、名門、浦和高校に入学。恩師はお父さまに「優君には世界を見せるべきだ」と力説、高校一年生の夏休みをまるまる使っての海外旅行に行かせてくれた。
ペンバルに会いたい。自由主義の国ではなく、社会主義の国を見てみたい。
治安そのものは良いし(繰り返しになりますが1970年代)、おおむねホテル・交通手段・ガイドを決めてお金を払わないとビザはおりない。旅行会社の人は「あなたが稼いだお金じゃないんでしょ。おとうさんのお金でしょ」と安いルートを教えてくれて、未知の国の旅の極意をあふれんばかりに伝授。家族と同級生の友達の見送りを背に、15才の男の子の40日間の一人旅が始まるのです。
佐藤優先生の本は中身が濃く、読んでいるとワクワクしてくる
頭がいいから、行動力があるから旅行の段取りもひとりでやっちゃう。
さらに人との交流がうまい。人の心のふところに入るのがうまい。
旅行代理店のお姉さんも「あなたの旅を応援してあげたい」と親身になってくれる。
ペンバルとの文字の、手紙の交流も密だから家まではるばる訪ねていけば大歓迎。
ホテルで出会った東ドイツの女の子と話し込んで文通を申し込んで、やりとりは10年続いたという。
モスクワのラジオ局に行ったら「佐藤さんの投書はみんな楽しみにしています。内容がおもしろいからです。ファンも何人もいます。」
ソ連に興味を持って、交流団体にひとりで出かけて行って、パンフレットをもらいに行って話し込み、お偉いさんとたちまちのうちに対等に渡り合う(旅行前の)中学生の少年。
「栴檀は双葉より芳し」。
恐るべし、すごい人って、はじめから凡人とは次元が違うんだあ。と旅行に出かける前のくだりから打ちのめされてしまう。
旅行先もいいですよね。
トランジットを含み、行先はエジプト、スイス、西ドイツ、チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリー、ユーゴスラビア、ブルガリア、ルーマニア、ソ連。
さらに「ソ連は広いんですから」とモスクワの他に中央アジア。当時はソ連邦下にあったウズベキスタンのプハラ、タシケント、と帰りの船の出航地、ハバロフスク。ナホトカ。(ああ、地名ってロマンだわ~。並べるだけで胸がときめく~♪)
これが「アメリカ旅行」「イギリス・フランス旅行」「東南アジア紀行」とかなら、言っちゃ悪いけど数はある。日本にいても、私などにも、情報はある程度は伝わってくる。
この本の旅行先は「聞いたことはある。がよく知らない」国ばかり。
また、共産圏とは
- 行きたいところにいったり、言いたいことを言ったりしてはいけないらしい
- 物価は安いが種類や選択肢が少なく、日常が物不足・品不足
- サービス精神というものが存在せず、ことごとく不愛想
のイメージがある。
と同時に、日本が2,000年以上の歴史と伝統をつないできたと同じように、佐藤少年の訪れるのは、みんな一つ一つ、先人がつないできた重厚で複雑な日々の積み重ねがある国々ばかり。
末はジャーナリストか商社マンか外交官か、とまわりの大人に一目置かれた少年は、無事に旅行を続けられて、予定通りに帰国できるのか!? どこに行き、何を見て何をたべてどこに泊まり、誰と会い、どんな話をしたのか。
先生の過去作、一陣の風が吹き抜けたかのような青春大河ドラマ、1990年代の『竜馬がゆく』と言いたい『自壊する帝国』、有能すぎる青年が有能がゆえに矢面に立たざるを得なくなり、ムネオ事件に連座して逮捕されることとなる骨太・極太の『国家の罠』と『獄中記』を一気読みした私。若き日の”知の巨人”は東欧とソ連邦を見て何を思い、何を読者に語るのか。
読みだしたら止まらないんですよねえ。案の定。
青春の日の一生忘れられない旅の思い出は矢のごとく走馬灯のように
出会う人は
- ホテルマンやホテルのコックさん
- 飛行機や列車やバスなどの交通機関の職員
- 旅行会社のスタッフやガイドさん
- 同じユースホステルやホテルのスタッフや宿泊客
旅先に同じく、東欧の人が多い。ただしソ連の民間人とのコンタクトは見事にシャットアウトされている。 - その他偶然に出会い、知己を得た人々
一人での町歩きは、国によってはOKで、美少女との出会いとすれ違いのほろ苦さ。
行きずりの一見の日本人の少年を家に誘うワルシャワの労働者4人。
ハンガリーのペンバルの家の滞在。
確かにもろもろの「できない」制限はあるものの、人々の暮らしは平穏で、行く先々の食べ物は地方色豊かで目新しくも美味しい。
文化レベル・生活レベルに目を見張る。
皆、今の暮らし、今の社会体制に満足している。
一人旅の少年に、異境の人たちはみんなやさしい。行く先々で、同席した列車の乗客は食べ物を分けてくれる。相手の説明不足で乗りたい列車に乗れなかった。ポロポロと涙を流す優少年に「遠くから来てくださった若い方に申し訳ない」と駅の助役さんは自分のポケットマネーで指定席券をプレゼントするのです。
ものの値段も行く場所行く場所みんな違う。ホテル1泊の料金が滞在した国の平均給料の3か月分だったりする。
出会う日本人もバラエティ豊か。
- 六本木の社長一家
- 休暇でリゾート地を訪れる駐在員
- 海外で成功した女社長
- 高校の先生夫婦
- ユーラシア大陸を横断するこれまた学校の先生
- 左がった活動家
外国人の方とのお話は、どうしても断片的になっちゃうんですが、国情の違いが短いセンテンスでも十分に新鮮。
日本人だとみな優少年と熱心に中身の濃い話をしている。
優少年もすごいんだし、出会った方々も、日本人の中では図らずも選ばれた、ある種の上澄みの人々なので。一つ一つのエピソードが面白い。
1975年の世界がノスタルジックに描かれている
1975年って、2021-1975=46年前の出来ごと・旅行記なんですねえ。今、共産圏は崩壊し、跡形もない。今となっては亡き世界、夢の中の世界、歴史の世界に旅した記録。佐藤先生が旅していたころ、私は子ども。自分の生きていた時代にノスタルジックを感じてしまう。万感胸にせまる。
佐藤優先生は思想家で、神学者でもある(私などが言うまでもないんですが)。本文中のイデオロギー論は、ま、仕方ないかなってかんじ。
先生の文章が好きなんですよ。読んでいて爽快感がある。井波 律子先生と並ぶ。井波先生がお亡くなりになられたときはショックでした。