「ひとり生まれひとり死し、ひとり去り独りまわる」(大蔵経)
が人間の宿命。「お力をお落としになりませんように」と残された御親族に声をかけ、見守ることしかできないけれど。
しかしその後、なぜに!? ここまで!? 違ってきてしまうのであろう。私の回りの体験談。
8年間毎日妻の面会に通い続けたご主人
体が動かなくなる老い、頭が回らなくなる老い、奥様の場合は体からだった。運動機能障害。
ご主人一人で慣れない介護にがんばったものの、限界ははた目にも明らか。奥さまは病院に入られました。
残されたご主人は、お子様もすでに独立し、一人暮らし。
朝起きて天戸を開けて一人でゴハンを食べる。頭に浮かぶのはばあちゃんのことだけ。
だったら、毎日行こうじゃないか。
と決心され、以後、8年間。午前中に家事をひと通り済ませ、午後は自転車で20~30分の奥様の病院に通い続ける。幸い娘さんが車で1~20分の近所に住んでいたため、こまめに様子を見てくれて、時間のある時は自宅や病院に集合。奥さまは身動きもままならず。それでも末期が近づいても、聴覚だけは最後まで残っているという。話しかけ、身体をさすり、黄昏時が近づくと「じゃ、明日、また来るから…」を雨の日も風の日も嵐の日も雪の日も続けた。行かなかった・行けなかったのは2・3日だけだったとか。
奥さまは大往生され、病院のスタッフが真っ先に娘さんにそっとささやいたのは「ご主人、大丈夫ですか?」納骨の朝には「ばあちゃん、お別れだな」と亡きがらにそっと声をかけられました。
通夜ふるまいの席では「もうすぐ、後を追いますから。あと5年くらいでしょうかね~。」と寂し気に微笑まれ、我々はかける言葉がない。
男一人、妻に先立たれての一人暮らし、年齢も80代後半にさしかかり、家事も次第におぼつかなくなり、何より危ない。奥さまへの永年の献身的介護がモノを言い、奥さまが入院されていた病院の系列の高齢者見守りサービス付きのハウスに入った。衣食住医療サービス付き、小ぎれいな施設で身なりもこざっぱり、娘さんが折を見て様子を見に来てくれる。
最近は夢とうつつの境界も時々あやふやになり
「ばあちゃんは今ここにいる」「ばあちゃんが早く来いって言ってる」「早くばあちゃんのところに行ってやらないと」
と繰り返されるのだそうです。
人は人がいて、生きていくハリ、生きていく精があるのだと、生ける見本を見るかのよう。
そんなことおっしゃらず、奥様の分も、ますます長生きされてほしい…。
ひまわりみたいな奥さまに先立たれたご主人
ご夫婦二人三脚でお仕事されていた。ご主人は士業。奥さまは接客とサポート。ご主人はとにかく寡黙な方で、お仕事一筋・真面目・真実一路。
奥さまはとにかく社交的。いつお伺いしても溢れる笑顔、温かなお声かけ。お友達も多く、お客さんは皆、奥さまとのおしゃべりを楽しみに来所され、和やかな雰囲気に満ち、ご主人のお仕事も順風満帆、安定経営。
ところが、この世には神様はいらっしゃらないのでしょうか。奥さまはがんになってしまった。
手術を繰り返され、いつもほがらか・にこやか、まるで天照大御神のようにその場に現れるだけでまわりじゅうにたちこめる奥さまだったのに。
術後のご夫妻を遠目でお見かけした時がありました。
奥さまは棒のように、いや、背筋が曲がっているから棒ではない。とにかく精気というものがまるでない様子で立たれ、それでも力を振り絞っておいでだったのでしょう。一歩、一歩、また一歩と暗澹たる闇をつかむように歩かれる姿に、胸が潰れる思いでした。
何でもしてあげたい、でも何をすればいいのかがわからない面持ちで傍らに付き添われるご主人の絶望的なまなざしは、今でも忘れることができません。
ほどなく奥さまは世を去られ、ご主人の嘆きはひととおりではなく、
一周忌を過ぎたころ、お墓詣りに付き添われた人のお話では、お参りを済ませた後、しゃがみこんで動くこともままならなかったご様子だったとか。
心の中に深い悲しみを抱えている方に、かける言葉って、本当に難しい…。
息子さんがお父さんと同じ、国家資格の試験に合格されたと、風の噂で聞きました。
奥さまも天国でさぞかしお喜びのことでしょう。
とにかく、奥さまに先立たれた男性のエピソードには、胸つまるものが多い。日ごろのそぶりで「キミを愛している」なんて素振り、全然見せなかった方が、一人取り残され、喪失感をいやすすべもない。
「ウチのじーちゃん、ばーちゃんの仏壇の前にじーっと座って、動かない」なんて話も聞きました。
なのに、夫に先立たれた妻となると、あくまでも私の回りだけの話になるのですが、まるで肌合いが違う。
おとーさんのお墓を守るわ! とやる気満々の奥さま
同じくがんで御主人を亡くされた奥さま。
お線香をあげに行くと、広大なお部屋に壮大な仏壇、生前のご主人の人徳を示すかのように仏壇まわりに置いていった手土産が山盛り・すずなり。に積まれている。お子様は結婚・独立、未亡人1人暮らすには十分な遺産と年金。満ち足りた晩年です。
ご主人はあの故樹木希林さんと同じがん治療(たぶん陽子線治療)を受けていたのだそうで、「お医者さんは絶対治る、治すって言ったのに。騙された。」と言って聞かない。
そんな断定的な物言い、お医者さんがするはずもなく、70過ぎてがんになって、絶対治るなんて言葉、本気で取る人などいるはずないとばかり思っていたのに、目の前でいまここで本気で怒っている人がいる。
怒る元気があり、物言いが激しく大きい。
田舎では目立つタイプの奥さまで、回りは一瞬引くのだが本人全く自覚なし。お腹の中に腹黒いところはない方なので、良く言えば「悪い人じゃないんだけど。。。」
押し出しは良いので、どこで知り合ったんだかまでは知らないが、都会の幼なじみと再婚すると不意打ちで家を出てしまい、周囲はびっくり仰天。しかしいつの間にか家に舞い戻っていた。籍を入れるまでもたなかった様子です。
車の免許を持っていないので、お墓詣りは娘さんに連れて行ってもらうしかなかった。
しかし最近、電動自転車を購入し、天気の良い日には御主人のお墓にせっせと通い、「私、お父さんのお墓を守るわ」とおっしゃっているという。
反射的に「はやくばあちゃんの側に行ってあげないと」との言葉を思い出してしまった。女は「お父さんのお墓をこの世で守る」。男は「早くばあちゃんの側に行かないと。」
差がありすぎる~。
次第にご主人と距離を置き始める奥さま
最後は、まだ先立たれていないのですが。
ご主人が脳梗塞で倒れてしまった。バリバリ現役で働いていらしたのに、あまりに突然のことで奥さまは慌てふためかれる。ご主人は身動きも意思疎通もままならなくなってしまった。
通帳のありかがわからず、支払のメドがたたない。何とか探し出し、一安心。
お見舞いに日参し、病院関係者から説明を受け、今の状況を受け入れ、全面介護が必要になったご主人のための環境を整えた。
そしてだんだんと落ちついてきて、今のご主人の状態を冷静に見きわめる余裕が出てくる。はっきり書いてしまえば、もう良くなることはない。(もちろん、病状は人それぞれ・ケースバイケースです)
蓄えは着々と減って行く。
ご自身も手術をされたこともあり、自然ご主人の病院に足を向ける機会は減った。息子さん夫婦と同居しており、日常はそれなりに忙しい。
友人が心配してお見舞いに行こうとしても、良い顔はされない。
行きたいのであれば勝手にどうぞ。と倒れたばかりのころの藁にもすがる様子から一変。
訪れる人もめっきり減ったベッドに近づくと、全身で、目の動き・目の光り方だけで、ご主人の無念の思いが伝わってくるのだとか。
でも訴える手段はない。動けない。しゃべれない。
仕方がないと言えば仕方がない。誰も悪くない。
でもなんか…、やりきれない。
まとめ
男性は奥さまを亡くされると傷心ははためにもいたいたしく。奥さまはご主人を亡くされても、立ち直り具合が、たくましい。
真面目に一生懸命生きてきて、ゴールは少しずつ近づいてきている。
大きすぎる困難が最後まで、人には待ち構えているんだなあ。
怖すぎて、いつも見ないようにしているんだけど。
今やりたいことで手一杯なんだけど。
いざ、その時。逃げ道はない。回り道はないことだけは、肝に銘じて覚悟せねば。
願っても叶うこととは関係ない。
認めるのは悲しいけど、直視しないといけないんですよね…。