大河ドラマの「いだてん」をオットが熱心に見ていて、びっくりしてしまいました。
去年の「西郷どん」も一昨年の柴崎コウさんだって、はなはだ冷淡だったくせに、いったい何がカレを惹きつけているのか。
何しろ好きなテレビ番組と言えば
- (終わっちゃったけど)蛭子能収さんと太川陽介さんの路線バスの旅
- 出発! ローカル線聞きこみ発見旅
- 鉄道絶景の旅
- ワイルドライフ
- BS日本・こころの歌
- NHK・うたコン
とどこまでもどこまでも癒し系。
トレンドとはほど遠く、月曜の夜、定期的にテレビから流れてくる懐かしのメロディーの物がなしいメロディーが流れてくるたびに
「どうせなら最新のヒット曲を聞きたい」
「終わってしまったことを懐かしむほかにすることはないのか」
とぐったりしてしまうのですが、毎日寿命削って真面目に働いて返ってくるのだし
家の中でくらい見たいテレビ見たいんだろうなあ。
と黙っている。
映画もよく見ています。ふと顔をあげ、テレビの画面をみてみると、たいがい
「汗や血にまみれたランニングシャツ1枚のおっさんたちが集団で手に拳銃とか機関銃とかを持ち、
体中に薬きょうを巻き付けてジャングルや砂漠を徘徊」
しています。
またまたぐったりしてしまう。
で、自分の時間になると(お風呂に入る、とか)プツっとテレビを切って行動に移る。
NHKの「紅白歌合戦」だって「見る気しない」と言う。
なんだかんだ言っても、日本の1年のエンタメの総決算なので、タダで見せてもらえるだし、衣装とか踊りとか掛け合いとか見たいな~とか思うんですけどね~。
なのになぜ。「いだてん」に限って。
番組終わって検索かけてみたら、「あまちゃん」とスタッフやキャストがけっこうダブっている。ファミリーが再結集、が話題になっていたのね。知らないで見てしまった。
一種、異形の熱気は、うん、「あまちゃん」に通じるところがあるわ。
NHKの連続テレビ小説は、職場の昼休みに見るとはなしに目に入る。
苦労を重ねながら!?激動の時代を何十年か、セーラー服から白髪の晩年まで通しでたくましく生き抜くヒロインの半世紀とは異質のエネルギーが炸裂! してたもんなあ。
主人公の金栗四三も、ウィキペディアで検索かけてみたらなかなかに烈しい。
日本初参加のオリンピックは1912年(明治45年)、スウェーデンのストックホルム。日本の選手団はわずか2人で、長旅・慣れない土地・炎天下のレース・手違いで会場まで走らなければならない悪条件の元、スタートし
レース途中で日射病により意識を失って倒れ、近くの農家で介抱される。金栗が目を覚ましたのは既に競技が終わった翌日の朝であった。
棄権の意思が運営者側に届いていなかったため、「競技中に失踪し行方不明」扱いであり、1967年ストックホルムオリンピック開催55周年記念式典においてスウェーデンのオリンピック委員会が金栗を式典に招待し、ゴールの瞬間、
「只今のタイムは54年8か月6日5時間32分20秒3、これで第5回ストックホルム大会は総ての競技を終了しました」とのアナウンスが響いた。
この記録は史上最長。今後も破られる事がないであろう不滅の金字塔となっている。
とある家庭で庭でのお茶会に誘われ、ご馳走になってそのままマラソンを中断したという解釈も示された
…なんだかぐらぐらしてきた。コレ、ドラマじゃなくて、実話なのがまたすごい。初回の「いだてん」のテンションでオリンピック参加の一部始終やったら、「あまちゃん」どころではない奇想天外のネタが多すぎる。
もう一人の出場選手(三島 弥彦)も、国の威信をしょって出かけて行ったのに、惨敗につぐ惨敗に終わってしまう。
今のアスリートの、後援会だスポンサーだ、選手村だのトレーナーだと何重ものサポートも、何十年かさかのぼれば。事の始めは、始まりは。必死だった。粗削りだった。創成期はなんであれ、熱い。
「いだてん」の初回で雑草の生い茂る原っぱを陸上トラックに作り替え、原野の真ん中、今の田舎の小学校の運動会のテントみたいなとこで、明治の元勲が肩を並べて選手のゴールを待つ場面などは、見ていて胸が熱くなってしまいましたよ~。胎動期の息吹、ってやつかなあ。
NHKBSの「世界は東京を目指す」も泣けてくるテレビ番組です。
- 中国の少数民族の女の子が女子サッカーのプロを目指し、里帰りすると「プロになれないなら出稼ぎしかないよ」とお母さんに言い渡されてしまう。
- モンゴルの女の子がレスリングを必死になって練習し、でもコーチは10万くらいの旅費のスポンサーを集められず試合に出られない女の子。
- スラムで育ち、麻薬の密売で人として逮捕され、仮出所した父親と再会し、父の指導のもと柔道の頭角を現すイタリアの男の子…。
一生懸命何かに打ち込む人の姿は、無条件に胸を打つ。
オリンピックも、第1回、ギリシャのアテネで開かれた1896年の参加国は14。日本が初参加した1912年、ストックホルムでの第5回大会も参加国は28しかなかった。大々的にスポンサーがついて興業色を帯びるのは1980年代になってから。大赤字を出した大会もあって、その反省を踏まえての転換になったのでしょう。商業主義は諸刃の刃ではあるかもしれないけど、規模は拡大し、今は200以上の国と地域が参加している。
オリンピックも若かったし、維新の激動で揺り起こされた明治の日本も若かったんだなあ。
とともに、やっぱり、貴族なんだよなあ、の思いも胸に去来するのです。
第一、金栗四三だって、三島 弥彦だって、上流階級もいいところ。明治の昔、中学に行けて、大学に行けるなんて、ほんの一握りの人だったはず。
かけっこの早い人なら、市井の人にだって、才能のある人はいそうな気がします。でも、明治の日本が選んだ人材は、大学生だったんですね。
もともとの才能があって。努力できる環境があって。見守ってくれたり、指導してくれる人がいて。
- 走る時、スッスー、ハッハーと息を2回吸って2回吐いて。リズミカルに走れば苦しくない
- マラソンのレース前には栄養と水分を摂るべきでは
などと、今ならトレーナーは痒い所に手が届くように知恵を授けてくれるのに、自分一人で全ては知りぬくためのメソッドを作り上げなければならず、
日本の中ではトップランナーの名声はゆるがなくても、4年に1度の世界大会では不本意な結果が続く。
オリンピックって、出場できるまでに困難を切り拓かなければならず、
世界中から選手が集まる大きな大会にベストコンディションで挑み、自分の力を、出場するまでの努力を納得のいく形で発揮させなければならず。
どちらもとてつもなく大きく迫る。エベレストのように、ヒマラヤのように。
スポーツは世界を変えられるか。役所広司さん演じる嘉納治五郎のセリフのように「スポーツで世界平和に貢献」できるのか。
できると信じる。信じていかねば。
少なくてもイタリアの少年は、スポーツが荒れた生活から抜け出すきっかけとなった。
私たちはそれを知り、胸を熱くする。
スポーツが、人を変えた。私の前には、もう証拠が、2つもあるんだもの。
インターネットだってそうだった。
キリスト教だってそうだった。
熱く燃える思いは人を世界を、変えていく。
思いはすべての、はじまりのはず。