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大英博物館で絶対見るべきおすすめ20+28の展示と見どころ紹介!

島国であり海運力に優れ、各国を植民地として自らの傘下に置いた。石炭の生産と精錬に優れ、産業革命で一気に「世界の工場」「世界の覇者」として長く君臨した国、イギリス。「王者」の名にふさわしい、ありとあらゆる国や地域や時代を超えて集まった800万点を超えるコレクションの中から、必見!のお宝をご紹介。

憧れの大英博物館に入り、ベルトラの大英博物館ツアー にも参加。受けた説明と実際に行ってみてわかったことなども追加します。

 

British Museum

 

 

 

 

パルテノンの彫刻 Elgin Marbles Parthenon sculptures

British Museum パルテノンの彫刻 Parthenon sculptures1

source:Justin Norris

古代ギリシア時代、紀元前5世紀にギリシャのアテネに建設された広大な神殿。

しかし時は流れ、廃墟になってしまった。あろうことか打ち捨てられ、見向きもされなかった野ざらしの損傷の激しい彫刻を切り取り、大事にイギリスに持ち帰ったのが19世紀はじめの当時のイギリスの外交官、エルギン伯爵。公開された彫刻は大評判を呼んだ。

古代ギリシャ人は人間の内面性は肉体が語るとし、作られた彫刻はみな肉体表現が堂々としていてスケールが大きく、大らかかつ荘厳であり、人間の志が何たるかを見る人に語りかけてやまない…。大英博物館の所蔵品の中でも別格中の別格。

20世紀後半に入り、ギリシャは「(パルテノンの彫刻たちを)返せ。」と言ってきた。気持ちはわからないでもないけど、神殿をボロボロのままでほっといたの、ギリシャでしょ!?我々がゴミ同然の彫刻に再び価値を見出し、箔をつけ、古代ギリシャ文明を格上げさせた。とジョン・ブルは一顧だにせず切り捨てた。

つまり盗品じゃないかとか、実は彫刻は建立当時彩色されており、アメコミと見まごう悪趣味(失礼)な色使いで、運び込まれた彫刻は大英博物館の職員がタワシで洗って真っ白にしたのだとかしないとか!?世界最高のお宝には目をむくエピソードは付き物なのは当然と言えば当然。

 

British Museum パルテノンの彫刻 Parthenon sculptures2

British Museum パルテノンの彫刻 Parthenon sculptures3

博物館のかなりはずれの方に展示されているせいか、私が行ったときは知名度の割には見学者はさほど多くなかった。

British Museum パルテノンの彫刻 Parthenon sculptures4

一番手前の像。真ん中の、今はない、アテネの誕生に驚いた、とっさの女神様の驚きと動きが感じられる。

British Museum パルテノンの彫刻 Parthenon sculptures5

女神さまの体にからみつく衣の迫力に目を奪われてしまいます~。

 

 アテネのアクロポリスにあるパルテノン神殿は、アテネの守護女神アテナを祀る神殿として建設された。帝国の全盛期にアテネの富と権力の威容を残し、レリーフ・彫刻像が用いられ、ギリシャ神話のエピソードと当時のアテネの人々の信仰の様子が描かれている。

 

 

セレネの馬 Horse Of Selene

British Museum セレネの馬 Horse Of Selene1

By Carole Raddato from FRANKFURT, Germany [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commons

紀元前5世紀、ギリシャのアテネのパルテノン神殿にあった彫刻の一つ。

セレネはギリシャ神話の月の女神さま。絶世の美女で、金の冠。額には月のアクセサリー。毎晩、銀の馬車で夜空を駆け、月光の矢を放つ。夜が明け、セレネはその日の仕事を終え、地平線に沈んでいく場面の馬の首部分だけが独立して展示されている。念のために付け足すと、パルテノンに行けば馬の胴体が残っているわけではない。

この彫刻は大きい大きい神殿のはるか高い高い場所にあり、屋根近くの装飾の一部に過ぎなかったはず。なのに全長83.3cm。つまり神殿のスケールを感じることができる。そして建立当時、セレネの馬の表情を近くで見た人などいなかったはずだ。しかし。

リアリズムの極致。極限状態の動物、一晩走った馬の表情の特徴。目は腫れて飛び出し、鼻孔は拡がり、耳はこわばり、大きく口を開けて荒い息遣いであえぐ。浮き出る筋肉と静脈を巧みにとらえている。

馬はかつて人間にとっては貴重な財産であり、かけがえのない家族の一員でもあった。一挙手一投足を見つめる目の真剣さに現代人の我々は思いをはせ、また人間の肉体表現にとどまらない、古代ギリシャ彫刻の表現の巧みさ・豊かさにははーっと恐れ入ってしまう。

 

British Museum セレネの馬 Horse Of Selene2

後ろからみたところ。

 

 

アンダーソンの猫(バステト女神像) The Gayer-Anderson cat

British Museum アンダーソンの猫(バステト女神像) Gayer-Anderson cat

British Museum [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY 2.5], via Wikimedia Commons

紀元前8世紀、エジプト。イギリスは世界を征服し、領地の美術をイギリスに持ち帰り、研究したけど、アートの部門で不動の一部門に成長!?したのはエジプト美術だけ。インドも植民地だけど、華麗な品々は「南アジア美術」でひとくくりにされてしまう。

まず、ずば抜けた超々々々…大国であり、残されたアイテムの数がおびただしい。おびただし過ぎる。また、西欧人とは異質の独自の世界観があり、しかも表現のクオリティが非常に高い。なおかつ、乾燥した気候によりお宝が数多く残っている。

19世紀のイギリスで著名な美術収集家であり、英国軍医でもあったゲイヤー・アンダーソン少佐が寄付したから「アンダーソンの猫」。作者不詳。台座付きで42cm。けっこう小さい。ブロンズ像。耳と鼻には金のピアス。胸と額にはスカラベのお守りのタトゥー、首輪代わりのホロス神の目が描かれた銀の護符。はじめは目に石なりガラスなり、ついていたのでしょうが、今はない。

当時のエジプトでは、猫は太陽神ラーの娘、豊穣の女神バステトの化身とされ、神に近い聖なる動物として彫像にもなったし、死後はミイラにされて神殿に奉納されたりもした。

小顔でスレンダー、手足がすんなりと長い。スーパーモデルみたい。、今のエジプト猫に続く特徴を持つ、見目麗しくも神秘的な猫。もちろん大英博物館の数ある所蔵品の中でも最も人気のあるものの一つ。

 

 

ラムセス2世の胸像 The colosal bust of Ramesses II

British Museum ラムセス2世の胸像 The colosal bust of Ramesses II1

source:bram_souffreau

紀元前13世紀。エジプト。王の頭飾りはコブラがついていたが毀損、おそらく写実ではなく偶像化した姿。

とにかく大きい。7.25tある。ナポレオン1世が遠征の際、持ち帰ろうとしたが挫折した。19世紀に苦労してイギリスまで運んできた。巨像であり、展示ルームの真ん中に置かれている。

全身像ではなく胸像なので見たとたんの顔が大きく、材質も花崗岩の赤でインパクト大きい!エジプトの歴代の王の中でも長い治世を誇り、武勇にたけた公共事業大好きの太陽王の若き日の甘く麗しくも精悍なお顔がグイグイ迫ってくる。ブログの大英博物館の旅行記などにもしょっちゅう出てくる。大きさって、大事ですよ。

British Museum ラムセス2世の胸像 The colosal bust of Ramesses II2

他に有名なのは

  • 同じく赤い花崗岩のアメンホテプ3世の頭像(紀元前1,350年)

アメンホテプ3世の頭像

アメンホテプ3世は、自分の像を大量に作ることにより、自身の力を誇示しようとされた王様だったのです。この像は二重の冠をかぶっておいでです。

同じ像の腕も展示されていました。

 

  • もひとつアメンホテプ3世のこちらは胸像(紀元前1,370年)
  • セヌーシュレ3世の黒の花崗岩の像(紀元前1,850年)
  • けっこう地味なツタンカーメン王の像

ツタンカーメン王の像

  • パビルスに残る色彩がなお鮮やかな「死者の書」(紀元前1,250年)

死者の書

(死者を死後の世界に案内するための呪文を描いている。オシリスの前で死者が裁かれ、心臓を天秤にかけている様子が描かれている。乾燥した土地柄がゆえに作られた時の状態がそのまま残っている。)

  • ミイラ技術が発達する前にエジプトの気候により自然にミイラ化した通称「ジンジャーマン」(紀元前3,500年)

ジンジャーマン

(ミイラに、髪の毛がまだ残っている!赤毛が残っていたことから「ジンジャーマン」の愛称がついた)

  • 金色に輝くミイラの棺(紀元前1,250年)

金色に輝くミイラの棺1

(女性司祭ヘヌトメフトさまのミイラの内棺。装飾の豪華さをごらんあれ! )

 

金色に輝くミイラの棺2

古代エジプトの時代、人の寿命はわずか30年。肥沃な土地、何不自由ない生活のできる方々にとっては、生は一瞬であり、死後は永遠である。自分が死んだ後のことは重大問題であり、生きている間に準備を整えておかなければならなかった。

  • なくなったときの表情までは今なおはっきりわかる小柄な女性のミイラ

小柄な女性のミイラ1

小柄な女性のミイラ2

  • 猫のミイラ

猫のミイラ

(エジプト王朝時代末期には神々に関連する動物がよくミイラとして一緒に埋葬された。愛猫をご主人とともに葬るというよりは「アンダーソンの猫」同様、神として崇め奉られたが故の副葬品)

など。さらに18世紀の昔から今まで、精力的に発掘活動を続け、コレクションは増える増える。大英博物館の7室にのぼる永久不変のエジプト美術展示室では現在は全体の4%しか展示できない。特別展示に期待しましょう!

 

 

トトメス3世像 Green siltstone head of Thutmosis III

British Museum トトメス3世像 Green siltstone head of Thutmosis III

source:www.britishmuseum.org(CC BY-NC-SA 4.0)

紀元前15世紀、エジプト。トトメス3世といえば。エジプト第18王朝のファラオ、のちに「エジプトのナポレオン」とうたわれ、数々の武勲を打ち立てた王様。54年の長い治世を誇ったファラオ。

頭上にいただく冠は実際は白。大きなアーモンド型の瞳。魔除けのはっきりしたアイライン、エレガントなアーチを描く眉、わずかに鉤鼻、やわらかく結ばれた口元。そして緑の石に掘られたお顔は、さながら飛鳥時代の仏様のよう。

エジプトにアルカイックスマイルって、あったんだ。もっとも、スフィンクスだって「世界の3大微笑(スフィンクス・モナリザ・奈良中宮寺の半跏思惟像)」アルカイックスマイルです。ギリシャ美術はアルカイック→クラシック→ヘレニズムと進む。そしてアルカイックは古代エジプト美術を影響を強く受けているのです。そしてギリシャの文化はインドに到着し、仏教と結びつき飛鳥時代に日本の奈良にたどりついた。

エジプトの王様の威厳と権威を見せつけるために作られた像だったはずですが、日本人の私には弥勒菩薩像とか救世観音とか法隆寺のお釈迦さまの縁続き!?にしか見えない。

3,500年前にエジプトで作られた像はイギリスに運ばれ、アジアの片隅から(やっとのことで)たどりついた私に微笑みかける。なんだか、不思議な気持ち。

 

 

ネバムンの墓の壁画(沼地での狩猟) Tomb of Nebamun

British Museum ネバムンの墓の壁画(沼地での狩猟) Tomb of Nebamun

By Ricardo Tulio Gandelman from Rio de Janeiro, Brazil (P1050664Uploaded by Marcus Cyron) [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

紀元前14世紀、エジプト。ネバムン(人名)の墓にあった壁画。まず見たことがあるはず。有名である。教科書に出ていた。はるばる大英博物館まで出かけて行くのです。教科書にも載ってる有名なエジプトの壁画、見てきたよ~。ってドヤ顔したい。

ヒエログリフには「この墓の所有者は楽しく過ごし、美しいものをみている。」と書いてある。+

エジプト美術といえば、そしてエジプトに限らず同じ系統の流れの中では失礼ながらどうにも似たようなポーズ・表現に終始しがち。(しかし壁画の画家も銅像彫った人も自らの表現欲にかられて作品を作ったわけではないので仕方がないといえば仕方がない。)

しかし。エジプト美術の中でピカリ光り、キラリ光る星。まずはベルリンの「ネフェルティティ頭像」。続いてカイロの「ツタンカーメンの黄金のマスク」。そして大英博物館の「ネバムンの墓の壁画」。3つとも色鮮やか。そしてリアルであり、描かれた人やいきものの気配が伝わってくる。

当時、墓の壁画は故人の死後の世界がかくあってほしいとの願いから描かれた。故人は永遠に若く、エネルギーに満ち溢れる。傍らの妻も美しく着飾り、娘はあどけなくいとおしい。いつまでも変わらない。沼地は肥沃であり、植物は豊かに実り、鳥たちは集う。五穀豊穣極楽浄土の来世を願う壁画は一番有名な「沼地の狩猟」も含めて16点が大英博物館の所蔵品。

 

 

ティル・トゥーバの戦いのレリーフ Relief of Til-Tuba

British Museum ティル・トゥーバの戦いのレリーフ Relief of Til-Tuba

source:www.britishmuseum.org (CC BY-NC-SA 4.0)

紀元前7世紀。イラク。メソポタミア美術の名作のひとつ。

アッシュールバニパル大王はエジプトを征服した後、ティル・トゥーバの戦い(ウライ川の戦い、紀元前653年頃)でエラム王国を破り、混沌たる古代オリエントの統一を果たした。 このレリーフは戦勝記念!?戦場記録!?として古代アッリシアの都、ニネヴェ宮殿に作られた浮彫。しかも大きい。幅5m半近く、高さ2m以上。

そして10以上の、アッシリア人にとって輝かしい戦いのクライマックスシーンが、息をのむ精緻さ・細かさでびっしりと彫刻されており、戦場シーンなので残酷なんですが、残虐なんですが。見とれてはホントはいけなんですが。そして、解説!?つきなんです。楔文字で銘文が刻まれ、戦いの様子を伝える。

雲か霞か見まごう大軍同士が川のほとりでぶつかり合う。アッシリア兵とエラム兵は装備が違うから見分けやすい。(アッシリア兵重装備、エラム兵弓しょっている)エラム王テルマンは死者がルイルイと横たわる戦場で、戦車から引きずりおろされ、斬首され、首は勝利の印として、祝宴の庭の木に吊るされる…。

アッシュールバニパル王は、世界最初の図書館を作ったことでも有名。粘土版ですが。楔文字ですが。記録3万点以上、今は大英博物館にある!残って良かった!

 

 

アッリシアのライオンのレリーフ The Royal lion hunt reliefs

British Museum アッリシアのライオンのレリーフ The Royal lion hunt reliefs1

By Carole Raddato from FRANKFURT, Germany [CC BY-SA 2.0], via Wikimedia Commons

紀元前7世紀、イラク。誰もが認めるアッシリア芸術の最高傑作。

もともと、アッシリアは人を困らせる悪いライオンを退治したことからできたという伝説がある。このレリーフが作られたころには、生け捕りにしておいたライオンを、祭礼の際、王だけが殺すことができる。良く言えば豪壮華麗、悪く言えば残虐なアッリシアの人々。殊に王様の豪華な衣装、華麗なブレスレット・ネックレス・ピアスはすべて金。みなぎる精気は時を経ても全く衰えることなく、伝わってくる。

British Museum アッリシアのライオンのレリーフ The Royal lion hunt reliefs2

そして殺されるためとも知らず檻から出るライオンの勇ましさ、頭に矢を受け、なお王に挑みかかるライオン。野を馬車で駆け、弓を引き絞る王、矢を浴びながら天を仰ぎ咆哮し、なおも進むライオン。馬上の王に挑みかかり、王の槍に喉を一突きにされるライオン…とすさまじい。鬼気迫る…。

British Museum アッリシアのライオンのレリーフ The Royal lion hunt reliefs3

人間がスタンプ押したみたいな描写なのに。

British Museum アッリシアのライオンのレリーフ The Royal lion hunt reliefs4

なぜにここまで、ライオンが(ついでに言えば馬も良い)リアルなのだろう。神業なのだろう…。

British Museum アッリシアのライオンのレリーフ The Royal lion hunt reliefs5

 

ガイドツアーで特にガイドさまの説明が熱を帯びたのは

British Museum アッリシアのライオンのレリーフ The Royal lion hunt reliefs6

車輪にかみつくライオン。目のあたり、窪んでいますね。彫り方に立体感があり、迫真度がすごい。

 

ritish Museum アッリシアのライオンのレリーフ The Royal lion hunt reliefs7

「夫婦のライオンの像があります。おとうさんライオンはたくさんの矢を浴びて死んでしまった。おかあさんライオンも矢を受け、もう後ろ足は動かない。自分ももうすぐ、死ぬんだな。ならせめておとうさんライオンの側で死にたい…、と、最後の力を振り絞って、前足だけでおとうさんライオンの近くに行こうとしています。夫婦愛を描いた、とても有名な場面です。」としんみりと語る。我々も1,300年前の、今に伝わるライオンの彫刻を思わず見直さずにいられない。思いは残る。思いは伝わるのです。

 

そしてアッシリアといえば巨大な超一流美術館に必ずある巨大な人面有翼牡牛像(ラマッス)、大英博物館にももちろんあります。(仏ルーブルにもある、米メトロポリタンにもある)大英博物館の人面有翼牡牛像は現イラク、コルサバードから出土した2体で1対、各高さ4.4m、長さ4.4m、重さ16t。巨大である。むろん、訪れる人はみな威容に打たれる。

人面有翼牡牛像(ラマッス)1

紀元前8~9世紀。 イラク北部のニムルドにあるアッシュールナツィルパル2世(BC883-859)の王座の間の入り口。イシュタル・シャラット=ニフィの寺院で発見されたもの。

ラマッスは古代メソポタミアの宮殿で、魔よけのため門に置かれた。

 

 

人面有翼牡牛像(ラマッス)2

 紀元前9世紀のもの。おなじくニムルド。2組ありました。

 

 

インドの仏像 ナイン・プラネッツ(九曜) the nine planets, the 'navagrahas'

British Museum ナイン・プラネッツ(九曜) the nine planets, the 'navagrahas'

By Andres Rueda [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

13世紀、インド。昔、インドはイギリスの植民地だったんだから、良いのがあるはずだ。できることなら、大物。で選んだのは9体一組の仏像。(石造)

  • スーリヤSurya(太陽)

は両手に各々ハスの花を持つ。

  • チャンドラ Chandra(月)
  • マンガラ Mangala(火星)
  • ブッダBudha(水星)
  • ブリハスパティBrihaspati(木星)
  • シュクラShukra(金星)
  • シャニShani(土星)

数珠や水瓶を手にしている。細面、角顔、スリムお腹がぽこんと出ている…。各々違う。でも髪を結い上げ、きらびやかな冠をつけていらっしゃいます。お顔も優しそう。

  • ラーフRahu(羅睺星(古代インドではあるとされていた星))

には身体の上半分しかなく、牙をもつ鬼の姿。(顔も大きくてコワイ)自然の厳しさを象徴している。

  • ケートゥKetu(計都星(古代インドではあるとされていた星))

は、下半身はとぐろを巻く蛇。右手に剣を持つ。

ナヴァグラハ、と呼ばれ、製作当時、インドのオリッサ州では最もよく見られたスタイルで、盛んに作られた。始めはケートゥのいないエイト・プラネッツでしたが、次第にナイン・プラネッツ、9体一組へと。

宇宙を司る9人の神様ですから、人々は豊作祈願、健康長寿を祈ったのでありましょう。現地にも何組かはかまだ残されています。

 

 

オクサスの遺宝 Oxus Treasure

British Museum オクサスの遺宝 Oxus Treasure

© Marie-Lan Nguyen / Wikimedia Commons, via Wikimedia Commons

中央アジアのオクサス川(現ダジキスタン)のほとりで発見されたとされる金製品。種類が多く、多岐にわたり、質が高く、刻印があることから、寺院あたりの捧げものだったのではないかと言われている。

この宝物は探検隊は掘り当てたのではありません。19世紀後半に発見!?され、注目!?され、現地とのツテ(地元人が生活のために遺跡の金を売る)を持つディーラーさんからお金を持っているコレクターが買い受けた。コレクターの死後、19世紀末、大英博物館に寄付された。ちなみにロシア・エルミタージュ美術館にもオクサス・トレジャーらしき所蔵品がある。

ディーラーさんだって、地元の人だっって、死活問題です。見つけた場所は決して、絶対に言わない。紀元前4~6世紀のものとされていますが、「(オクサス・トレジャーって、)全部偽物なんじゃないのか。」の声があがるのはごもっとも。

論争に決着はついていませんが、大英博物館も、エルミタージュ美術館も、「本物」として公開している。

有名なのは2頭のグリフィンがあしらわれた金のブレスレット。金でできてる二頭立ての馬車。コインや紋章、人や動物の像、食器、アクセサリー…。

 

 

ルイス島のチェス駒 Lewis Chessmen

British Museum ルイス島のチェス駒 Lewis Chessmen1

British Museum [GFDL or CC BY 3.0], via Wikimedia Commons

作られたのは12世紀、ノルウェー。発見されたのは19世紀のスコットランド。ルイス島は9世紀からバイキングがに支配され、ノルウェーの支配下にあった。砂丘に埋もれていたチェス駒は、さながら突如現れた彗星のよう。78個の駒が完全な形で現れた。あっというまに大英博物館がお買い上げ!もっとも大英博物館より前に11個をお買い上げした人もいて、今は大英博物館に67個、スコットランドの博物館に11個ある。セイウチの牙とクジラの骨でできている。

見ていて楽しい。そして表情がいいですよね~。キング・クイーン・ビショップ(司教の冠をかぶっている)・ナイト(騎乗)・ルーク(オベリスク方で立ち姿)・ボーン(歩兵)。王さまも女王さまも司教さまも、怒ってるんだかびっくりしてるんだか揃って不機嫌なのか!?ユーモラス。

古い絵や彫刻は、お寺や教会に行けば残ってるけど。こんな親しみやすくて引き込まれる表情、していない!チェスの駒だから、手で持てる大きさだから2~3頭身。の制約の中で千年近く前の人間の表情があまりにも活き活きしている!と200年前のイギリス人も感動したに違いない!

今の無味乾燥なチェス駒に、いつから変わってしまったのかしら。映画の「ハリー・ポッター」でも使われていましたね。

 

British Museum ルイス島のチェス駒 Lewis Chessmen2

展示は赤と白のボードにある駒は勢ぞろいし相対する駒を威嚇するかのように立ち

 

British Museum ルイス島のチェス駒 Lewis Chessmen3

見学者に700年前、北の大地に確かに人が暮らした息づかいを伝えるのです。

 

 

マヤ遺跡のレリーフ The Yaxchilan Lintel 25

British Museum マヤ遺跡のレリーフ Yaxchilan Lintel 25

I, Sailko [GFDL or CC BY-SA 3.0], via Wikimedia Commons

8世紀、メキシコ。幻想的である。そして華麗すぎる。怪しい炎が立ち上るかのような緊迫感。

右下にいるのは着飾ったカバル・ショーク王妃さま。

呪術は終わり、貢物を祭器に納め、大儀を終えたトランス状態・幻覚状態のお妃さまの目には、はっきりと見える。己の血の入った祭器から双頭の大蛇が立ち上るがごとく現れるのが。そして大蛇の口から煙とともに勇ましい戦士(建国の祖の先祖ともいわれている)が現れるのが…。

白昼、サンサンと光を浴びながら見るにはあまりにもったいないのでは…。王妃さまの表情が素晴らしい!衣装やアクセサリーの豪奢なこと!ドラマチックなシーンは 古代マヤ文明の最高峰のレリーフとされている。古代マヤ文明のロマンは迫真の描写の記録の見事さにより後世に名を遺す。イギリスは驚愕し、自国に持ち帰ってしまった。今もメキシコのジャングルには、息をのむレリーフの数々が残されているのだとか。

大英博物館にあるもう1枚のヤシュチラン・レリーフもすごい。王様、シールドジャガー2世とともに祈りの儀式を捧げる。王妃は王の元にひざまずき、流血の儀式が執り行われる。己の舌で黒曜石入りのロープを舐め、流す血を神に捧げるのです。まさにクライマックス!

 

 

唐三彩の副葬品 Chinese Tang tomb figures

British Museum 唐三彩の副葬品 Chinese Tang tomb figures

By beogles [CC BY 2.0], via Wikimedia Commons

8世紀、中国は洛陽。

  • 神王(獣面角付翼あり牛のひずめ)
  • 魌頭(怒髪天を突いて怖い顔)
  • 文官
  • ラクダ
  • 馭者

各2体1対。黄色と緑と藍の色合わせなど、主に3色の釉薬を使った唐の焼き物が「唐三彩」。副葬品が多い。この像たちも偉い将軍様のお墓に納められていた。また三彩の技術はシルクロードを経て世界に広まっていった。

神王・魌頭は悪い奴らからご主人さまを守る。文官、馬、ラクダ、馭者は長い黄泉路の旅のお供。極楽でもまめまめしくご主人さまにお仕えするのでしょう。

花の都、インターナショナルシティ、洛陽。神王と魌頭はインドから来た神様ですし、お付きの方の彫りも深い。ラクダはシルクロードを超えて中国までやってきた。と国際色豊かである。

唐の時代には一般的な副葬品のため、世界各地に元お墓にあった副葬品は展示されている。唐三彩の焼き物や人形は数あれど、これだけ状態が良く(ボロボロで、釉薬が取れかかりカサカサの肌の唐三彩の破片を有り難く展示してある美術館や博物館、たくさんあります)(「…ただ釉薬を上からかけて流して焼いただけなんじゃないか」的なものも多い。)、大きく、数が揃い、1つひとつの像の表情がくっきりはっきり読み取れる展示って、 珍しいのです。

ラクダのいななきが旅の始まりを告げるかのようです。

 

 

葛飾北斎「凱風快晴」

British Museum 葛飾北斎「凱風快晴」Katsushika Hokusai Clear Day with a Southern Breeze

source:www.britishmuseum.org(CC BY-NC-SA 4.0)

大英博物館にも日本美術コーナーはある。日本人以外に人気があるのは、鎧兜や甲冑だそうで。そして正直に、はっきり言います。大英博物館の日本美術はイマイチ。「なぜ!?なぜ日本の国の宝がイギリスなんかに!!!」とくやし涙にかきくれてしまうようなモノが、ない。

でも、浮世絵の所蔵数は数多い。(大英博物館のコレクション・オンラインで「葛飾北斎」と検索かけたら919件ヒット。)版画だから本物が世界各地にある。2017年夏、大英博物館は葛飾北斎の特別展を開催し、15万人の人が押し寄せ、前売り券は早々に完売、当日券を求めて毎日長蛇の列、大盛況・大成功のうちに終了し、イギリスでの人気を再確認できた。

この絵と「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」、日本国内でも有名な2枚を、大英博物館は当然、2枚とも所有している。(「神奈川沖浪裏」は5~8,000枚摺られ、現存するのは100枚。うち3枚を大英博物館が所有。また、「神奈川沖浪裏」の青は通称「ベロ藍」、プルシャン・ブルー(紺青)は英国からもたらされた浮世絵後期の新しい色材で、世界との繋がりなくしてあの青はありえなかったこと。など、英国と北斎の関わり合いの新しい事実を知ることができたのも収穫でした。

 

 

喜多川歌麿「歌まくら」

British Museum 喜多川歌麿「歌まくら」Kitagawa Utamaro Poem of the Pillow

source:www.britishmuseum.org(CC BY-NC-SA 4.0)

葛飾北斎の特別展に先立ち開催され、大好評を博した大英博物館の「春画展」(2013年)。目玉は日本浮世絵美人画不動のNo.1、歌麿描くところの「歌まくら」。

美術館や大学の偉いセンセイは、普通自分の研究の成果に春画系統が入るのを無意識に避ける。しかし、浮世絵って、もともと王侯貴族のものじゃない。無名の、市井の人々の単なる慰みもの。そして眉をひそめたくなる分野、すなわちアダルト・スキャンダルは、売れる。当然盛んに出版されていたし、歌麿にとっては自家薬籠中のジャンルである。歌麿の褌で相撲を取っておきながら歌麿の得意技を封じるってのは、その手はないですよねぇ~。ま、家族で、みんなで見に行く絵ではありませんが。

そして春画は発禁本である。贅沢は敵だ、とお上が目をつけ「豪華すぎる浮世絵禁止!」なんてご法度が出たりした。封鎖されれば破りたくなる。発禁本は御禁制の縛りがありませんから、星の数ほど地下に潜った春本の中には。確かに息を呑む、彫りにも摺りにも糸目をつけず贅を尽くした極上のものは存在する。

歌麿は女性をあがめ奉る傾向が強く、母子像なんかも見てて空恐ろしく、歌麿の春画の女性は積極的。…実生活ではあんまりお近づきになりたくないタイプではありますが、絵は世界が認めた。大英博物館のコレクションオンラインで「喜多川歌麿」で検索かけると、414件、ヒットします。

 

 

バターシーの盾 The Battersea Shield

British Museum バターシーの盾 The Battersea Shield

source:www.britishmuseum.org (CC BY-NC-SA 4.0)

紀元前1世紀、イギリス。19世紀、ロンドンで工事中にテムズ川の底から発見された。古代ケルト美術の名品としてとても有名。

ケルト美術は、ヨーロッパの鉄器文化、ラ・テーヌ文化の流れを組み、独自の発展を遂げ、装飾性が豊かで幻想的、優美で典雅でありながら、どこかしら古代の呪術の香りがしますね。傷がない。戦った跡がない。そして敵の攻撃から身を守るのに、この盾は薄すぎる。ことから、おそらくは武運長久を願い、川に投げ込まれた奉納品。

鈍い金色に輝く78cm×36cmの盾で、大きな円が真ん中。小さな円が上下に1つずつ。それぞれの円の真ん中は盛り上がり、赤いエナメルがガッチリセッティングされている。(アップで見ると青もある。変色したのだろうか…。)エナメルは全部で27か所。大小取り交ぜて、円の中に埋め込まれている。

シンプルならせん模様、シンプルな唐草模様が打ち出し、リベットの止め、表面の点描や浮彫、エナメルの台座セットの技巧で表現されている。

金色と赤のコンビネーション。美しく、強く、エレガント。古代の呪術の息吹が伝わってくる。絡み合ったラインは五穀豊穣・健康長寿を意味する結び目(ノット)によって繋がれている。デザインには祈りが込められている。

 

 

ウルのスタンダード Standard of Ur

British Museum ウルのスタンダード Standard of Ur1

source:www.teachinghistory100.org

紀元前27世紀、イラク。人類の文化のあけぼの。チグリス川とユーフラテス川のほとり、メソポタミア文明の夜明けとともにあったシュメールの古代都市、ウルから出土された華麗な箱。用途は不明。シュメールの代表的な美術工芸品。

とりあえず発見者が「スタンダード(Standard、旗章、軍旗)」と命名し、そのまま名称になっている。幅50cm余り、高さ20cm余り、奥行4.5cm。発見されたのは日本で言えば昭和のはじめ。戦果!?は黄金の兜や王冠、宝飾品など、35,000点にのぼる。

前後左右それぞの面にラピスラズリ、赤色石灰岩、貝殻などを天然アスファルトで固着したモザイクが施されている。大きな面の一方には戦車と歩兵を従えたウルの王が敵を打ち負かす「戦争の場面」、その反対側の面には山羊や羊、穀物の袋などの貢納品が運ばれ王と家臣が宴会を楽しむ「平和(饗宴)の場面」が描かれている。

ウルは旧約聖書の預言者アブラハムの故郷とされ、世界最古の国際都市とされている。場所がイラク南部なので、きなくさい地域であり、民族紛争や戦争のため、長く発掘活動ができなかった。近年、アメリカとイラクの間で発掘作業が再開された。どうか平和が続きますように。

上の画像は「戦争」。

「平和(饗宴)」の場面は

British Museum ウルのスタンダード Standard of Ur2

横から見ると

British Museum ウルのスタンダード Standard of Ur3

British Museum ウルのスタンダード Standard of Ur4

 

British Museum ウルのスタンダード Standard of Ur5

輝く瑠璃色がまばゆい。

すぐ隣には

黄金の山羊の像

同じ場所から出土した黄金の山羊の像。2つで1対だったといわれている。もともとは何かを支えるための装飾の一部。金・銅・ラピスラズリ。

 

 

さらに

ウルの女性の頭飾り1

まばゆいウルの女性の頭飾りの復元の展示と

ウルの女性の頭飾り2

紀元前2600年ごろ。発掘されたときの状態がそのまま。

 

さらに

ウルの竪琴

ウルの竪琴。本体の形、「ウルのスタンダード」に似ているでしょう。スタンダードは竪琴(リラ)の共鳴板だったのではないかとの説も濃厚なんだそうです。

 

 

イースター島のモアイ像 Easter Island Moai

British Museum イースター島のモアイ像 Easter Island Moai

source:Jay Galvin

11~13世紀。イースター島。本物ですよ!

19世紀、探検隊がイースター島に上陸し、収集し、女王陛下(ビクトリア女王)に献上され、女王陛下は大英博物館に寄付した。それは、行ってみたいけれど。あまりに遠い。太平洋に浮かぶ絶海の孤島。一番近い人のいる島までの距離は2,000km。

大きさは高さ2.42m、幅96cm、直径47cm。玄武岩(固い)製。写真で見るイースター島のモアイは風雨にさらされてきた凝灰岩(柔らい)。のでモアイの肌の質感が違いますね。そしてやや小ぶり(高さ3.5m程度のものが多い)であり、一般のモアイは海を背にして並んで立ちますが、このモアイは儀式が執り行われたとみられる場所で発見された。赤と白に色が塗られていて、目には赤い石とサンゴがはめられていた。

小さなモアイならともかく、巨大なモアイとなると、どうやって運び、どうやって刻み、どうやって像を並べたのか、まだ謎は解明されていない。いつしかモアイを作る習慣はすたれ、イースター島はヨーロッパ人により「発見」され、ポリネシアから流れ着き、定住したとされる住民は奴隷として連れ去られたり、残った者も多くが結核や天然痘に倒れ、現地の文化は途絶えてしまった。

 

 

顧 愷之「女史箴図」Gu Kaizhi

British Museum 顧 愷之「女史箴図」Gu Kaizhi Admonitions of the Instructress to the Court Ladies

Gu Kaizhi [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

8世紀。中国。宮中に仕える女官の心得の絵物語。顧愷之は4世紀の終わりの画家で、存命中から天才との呼び声が高く、才気煥発。行動は颯爽、突飛で目立つ。弁舌は爽やかで機知に富む。人物画が得意で描写は流麗、人気絶頂引っ張りだこ、絵画論まで執筆する。今に残るのは絶賛の言葉はかり。名画ぶり、天才ぶりをほめたたえる声しか残っていない。

さらに、なにしろ6世紀の人なので、肝心かなめの顧愷之本人が描いた絵は! 1枚も残っていない!!! 「書聖」と呼ばれた王羲之も、真筆は残っていない。顧 愷之は「画聖」。どちらも今あるのか模写だけ。でも名声は揺るがない。

大英博物館所蔵のこの絵は、模写です。そして顧愷之の真筆の息吹を最もよく伝えている。と言われています。言われている、言われているばっかりで恐縮なんですが…。

絵巻物で、大英博物館の待遇!? もスペシャル。特別な部屋を1室用意し、あかりを落とした展示ケースの中。あまたの王侯貴族が、「顧愷之の絵を所有した」証拠にと所せましと押した印影とともに、たたずんでいる。おまけに展示は絵巻物の状態を保つため、1年にわずか6週間。それ以外は、絵巻物全体をデジタルスクリーンで鑑賞。

戦乱の時代、文化も入り乱れ、顧愷之の生きた六朝時代は貴族文化が繚乱と花開いた時代。当時の艶なる宮中の様子を垣間見ることができます。

いまや中国人の見学客はロンドンのどこでも観光客の一大勢力、日本人なんか完全に負けてます。私が「やっと会えた顧愷之~」のスクリーンに近づきたくても客足は絶えることはなく、皆さん熱心に絵巻物をながめ、絵巻物末尾の「顧愷之」をスマホ画像に収め、感慨深げのご様子でした。

 

アロー号事件とも義和団の乱とも諸説あり。乱世のどさくさの中、東洋の稀有なる珠玉の宝物の絵巻物は、イギリスにいってしまった。世界にちらばる中国の絵の中でも最も重要・貴重な絵のひとつ。

 

 

ロゼッタストーン Rosetta Stone

British Museum ロゼッタストーン Rosetta Stone1

source:Agnn Foon

どこの大英博物館の特集でもトップだし。取り上げないわけにもいかない。

紀元前196年、古代エジプトのプトレマイオス5世が出した勅令を刻み、神殿に安置した石碑の一部。古代エジプトの神聖文字(ヒエログリフ)、古代エジプトの民衆文字(デモティック)、ギリシア文字で同じ内容の文章が記されている。縦114.4cm、横72.3cm、厚さ27.9cm、重量760kg。

ナポレオン・ボナパルトが「このピラミッドの上から、4,000年の歴史が君たちを見下ろしている」とエジプト遠征を行った際、1799年7月15日、フランス軍兵士ピエール=フランソワ・ブシャール大尉によって、エジプトの港湾都市ロゼッタで発見された。 1801年、イギリス軍はエジプトに上陸し、フランス軍は降伏。同年のアレクサンドリア協定のもと、ロゼッタ・ストーンはイギリスの所有物となる。早速ロンドンに運ばれ、以来今日にいたるまで大英博物館の看板中の看板。

若き語学の天才、ジャン=フランソワ・シャンポリオンが夜も日も開けず暗号解読に取り組み、わずか31才で世界中のライバルとのデットヒートに打ち勝ち(解読競争はフランスの勝利)、ついに石碑の全貌が明らかになる。知の扉は一気に開け放たれた。古代エジプトの研究は一気に進むこととなった。

一方、苦労続きのシャンポリオンはロゼッタ・ストーンの解読者としての栄光と引き換えに、若くして世を去る…。ナポレオンにも、生々流転の晩年が待っていた。

と歴史上の大物が次々登場し、幾多の人間ドラマと国と国との駆け引き。エピソードの1つ1つのスケールが大きく、胸躍る。

 

British Museum ロゼッタストーン Rosetta Stone2

実際のガイドツアーでは、まず旧王立図書館のブースのロゼッタストーンの原寸大のレプリカの前へと。本物のロゼッタストーンはガラスケースに収められ、人垣をかきわけて見なければならない。まずレプリカの前で各国語でしっかり説明を受け、「それでは現物に会いに行きましょう」と連れて行ってもらうのです。

British Museum ロゼッタストーン Rosetta Stone3

今まで写真や画像でみてきたロゼッタストーンは、せいぜい横20センチ、縦25センチといったトコでしょう。原寸大は、両手で抱きかかえられないほど大きく、3つの碑文の一つひとつがはっきり見える!


「ロゼッタストーンは同じ言葉が3つの言語で書かれている。エジプト文字の解読が一番大変だった。古代エジプト文字を解読する手がかりとして、王様の名前があります。昔の王様は何回も、日本の歌舞伎役者みたいに名前を変えた。違う記述になっている。に着目して解読が進んだのです。王様の名前のところだけ、四角で囲まれています。象形文字には鳥や獣の形が刻まれてます」と説明を受け、エジプト文字は1文字の大きさ縦2~3㎝×横0.2~0.5㎝。はっきりわかる!「うわ~ホントだぁ~!! 」と思わずロゼッタストーンレプリカ、ガン見してしまいます。

 

対面できたロゼッタストーンはこちら。

British Museum ロゼッタストーン Rosetta Stone4

British Museum ロゼッタストーン Rosetta Stone5

世界中から名高いロゼッタストーンを一目この目で、とやってきた人たち。みんな真剣!

 

 

アクセスと概要

 

住所

Great Russell St, Bloomsbury, London WC1B 3DG

 

開館時間

9時から18時まで。金曜は9時から20時30分まで。

 

休館日

元旦と12月24日~26日。

 

入場料

無料

 

所要時間

ピンポイントに有名な展示だけ見るなら1時間程度。
オーディオガイドを借りたり、ガイドブック片手にじっくり回るなら休憩時間こみで最低3~4時間。

 

アクセス

  • トッテナム・コート・ロード駅(グレイのセントラル線、紺のノーザン線)(500m)
  • ホルボーン駅(グレイのセントラル線、青のピカデリー線)(500m)
  • ラッセル・スクウェア駅(青のピカデリー線)(800m)
  • グージ・ストリート駅(紺のノーザン線)(800m)

各駅からおよそ徒歩10分。

 

日本語ツアー

私が参加したのはベルトラの現地発着ツアー。
午前市内観光、午後大英博物館見学のツアーです。

 

British Museum1

実際に大英博物館に行ってわかったことやアドバイス

日本語オーディオガイド

7ポンド。
 列に並び、順番が来たら
 「ジャパニーズ・オーディオガイド・プリーズ」で通じます。  
けっこう長めの列ができている。できれば時間には余裕を持つ。

 

ミュージアムカフェ

British Museum2

中央エントランスホール(グレートコート)内にカフェがある。スペースはあまり広くなく、空いているスペースにイスと机を置いて、飲み物やスイーツや軽食を持ってきて並べる…スタイルなので、もう疲れたからとりあえず座って何か飲もう。何か食べよう、との雰囲気ですね。

中央階段を上っていくとレストランがある。ただ、わりと狭いし、天井が低いので圧迫感がある。

正直、ミュージアムの気分に浸りながら、紅茶なりコーヒーをいただく、ミュージアムカフェのグレードとしてはヴィクトリアアンドアルバート博物館やナショナルギャラリーの方が上。

 

お土産・関連グッズ・ガイド本

中央エントランスホール(グレートコート)や、入り口手前の左右の回廊のスペースにミュージアムショップがあり、ご当地キャラ!?ご当地マスコットの黄色いアヒルや青いカバ(ヒッポ)。
ユニオンジャックが入っていたりテディベアのぬいぐるみだったりのロンドン土産用の雑貨、食品(クッキー、ゼリービーンズなど乾きもので日持ちがする)、

水分補給用のミネラルウォーター、
展示品の図録や絵はがきやマグカップ、キーホルダー、マグネット、ボールペン、マグカップ、傘、トートバッグ、ショッピングバッグ、USBメモリーなど。

ロゼッタストーン、エジプトの壁画や死者の書、ミイラの棺、アンダースンの猫、ルイス島のチェス駒などがモチーフに使われているグッズ、アイテムの品数が多い。

値段は張るが本格的な展示品のミニチュアや展示品を再現・アレンジしたジュエリーなどもある。

公式ミュージアムショップはこちら。

British Museum shop

 

私が購入したのは

  • 日本語ガイドブック①日本語ガイド館内マップ付き
  • 日本語ガイドブック②大英博物館のAからZまで改訂版
  • ショッピングバック
  • ミネラルウォーター

 

カートでは入れない!

私はコレをやってしまいました。入館時の荷物検査の時、入場拒否。英語は出来ませんが、こちとらやっとの思いでたどりついた大英博物館です。門扉に立ってる守衛さんに、身振り手振りで必死に「このあたりにコインロッカーありませんか」と聞いても、答えはつれない。「ノー」。

はるばる海を越えてやってきたのです。絶対に諦められない。軽さが気に入っていたビニール製だし、使い込んでるし、この際やむを得まい。と中身を空けて道路のゴミ箱脇に放置。

見学を終え、3~4時間後、戻ってみると、当然ながらカートはなかった。(ごみ収集車がきたらしい)

これから大英博物館に行かれる方は、どうかお気をつけください!

40㎝×40㎝×50㎝以上はダメ。つまり、機内持込サイズよりやや小ぶりのサイズの大きさの手荷物は、荷物検査にひっかかってしまう!

 

British Museum3

(旧王立図書館のブースにある大英博物館コレクションのおおもとを寄付されたサー・ハンス・スローン準男爵(Sir Hans Sloane, Bt 1660-1753)の胸像)

 

1ヶ所だけ見るならロゼッタストーン

帰りの飛行機は午後だし、午前中は時間がある。入場料は無料なんだし、大英博物館にでも行ってみるか、のアナタでしたらロゼッタストーンはいかがでしょう。
入場し、広い吹き抜けのエントランスホールの向かって右、旧国立図書館だったブース(マホガニー色の天井まで届く本棚が舞踏会も開けるような広大な空間の両脇に並び、古い革表紙の本が並べられ、風情タップリ)には、ロゼッタストーンの原寸大のレプリカが展示されています。
本物のロゼッタストーンは、エントランスホールの向かって左。ガラス張り。ガラスケースのまわりに、人だかりが絶えない。

 

加えるならエジプトのミイラの部屋かアッリシアのライオンのレリーフ

ロゼッタストーン+ミイラ+ライオンと3つ見たら1~2時間、かかってしまいます。
案内してくれる人がいるならもう少し短くできますが、初めて訪れる大英博物館の館内見取図と案内板を見ながら探しあてるのはそれなりに大変です。
アッシリアのライオンのレリーフは、1階にあるのでロゼッタストーンを見終わって展示ブースに行くのはわりあい簡単。
幅4~5m、長さ2~30mはある展示スペースの壁の両側に続く黄白色の一枚岩に刻まれた、王の威厳と権力を誇示するために引き出され、殺されるライオンの迫真の描写!図録やテレビ画面では味わえない原寸大の彫刻に、深く胸を打たれるはずです。

 

エジプトのミイラや壁画の部屋はいつも混雑

British Museum4

上で上げた

  • 沼地の狩猟
  • ジンジャー
  • 女性のミイラ
  • テーベの女性司祭ヘヌトメフトの内棺
  • 猫ミイラ
  • 死者の書

はガイドさまに連れて行っていただき、説明を受けました。

「エジプトのミイラやミイラ関連の展示は、とても人気があり、見学者が多く、展示スペースや通路もスペースも小さい。大英博物館の人には、(エジプトのブースでは混雑するから)展示品を前にしての説明はするなと言われてるんですけど、やっちゃいますか」

と前置きの上、ガラスケースを前に説明がはじまった。しかし「死者の書」の前で名調子に聞き惚れ、目の前の色鮮やかな古代エジプト版閻魔大王さまと天国と地獄の境目の何千年も前に描かれた絵なのに、色鮮やかで保存状態は完璧でそれでいて完成度の高い絵巻物に見とれていると、大英博物館の係の人に見つかってしまい、注意されてしまった。

しかし、おそらくは大英博物館の係員の方より、私たちを率いるガイドさまの方が大英博物館歴は長い。係員の人が行ってしまうのを待って、やや声をひそめ、説明は続けられたのでした。

大英博物館開館以来の目玉の展示であり、展示に値するものが多すぎ、お宝が混み混み、ぎゅうぎゅう詰めで置いてあり、見学者が集中するからよけいに混んでいる印象を与える。

 

パルテノンの彫刻&セレネの馬も超必見だけど奥まったところにある

前座と真打ちみたいなかんじで、手前のギリシア彫刻から丁寧に見ていったら時間がいくらあっても足りません。まっすぐパルテノンの彫刻とセレネの馬まで走っていって、最高峰のギリシア彫刻を目に焼き付けたあと、(モノが巨大神殿の、1体1体のギリシア神話の男神さまと女神さまはリアルな人間の身体より2~3割以上大きい)、帰りに気になったものを見てみる程度でいいと思います。

ロダンはパルテノン彫刻の、展示に通いつめ、大きく影響を受けたとされており、近代彫刻もパルテノンの系譜を組んでいるというのも、興味深い。

 

実物・本物の迫力を味わってみたい

ロゼッタストーン、パルテノン、アッシリアのレリーフ、死者の書、と教科書やテレビの特番などでもはやお馴染み。 言わば小さい頃から見慣れてきたものの本物を目の当たりにできる。 実物は図録の写真や、ネットの画像よりもずっと大きい。細かいところまでわかる。そして画像も写真にも映しきれないディテール、質感、照りと輝き。 ぜひ、お楽しみください。タダですよ、タダ!

 

British Museum5

 

新しい展示は展示方法がスマート!

大英博物館に入ると目の前にひろがるグランドコート、向かって左が古代ギリシャ・ローマ、古代エジプト、中東。向かって右が旧王立図書館。そして奥へ奥へと進んでいくとアジア美術の展示。

広大! ピカピカの新館! 展示スペースの回廊の長さも100メートル以上。 明るい展示ブースに、古代から現代までの中国美術がテーマごとに展示されており、南アジア・西アジア・東南アジアのブースが少しある。通路のスペースも広く取ってある。

進行方向右のつきあたりには壁一面を覆う仏様の壁画。手前には超絶技巧絵師、顧愷之の絵巻物が原寸大で一挙に見ることのできるデジタルスクリーンが設置してあり、中国人見学者の方は惜しくも流出してしまった中国のお宝中のお宝を悔しそうに見ている。

一方の100メートル以上先の突き当たりには、 オーディオガイドによれば「なまめかし過ぎで田舎の自分の邸宅には似つかわしくないとの理由で寄付されたのかもしれない」8世紀の

タラの女神像、スリランカ、青銅鍍金

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(British_Museum_Asia_45.jpg) [CC BY-SA 3.0 ], via Wikimedia Commons

 

が立っており、くびれすぎたウエストと豊かすぎる胸、バーンと張った骨盤に見とれてしまう。

さらに奥には、インドから持ってきた巨大な遺跡の一部が温度管理の上展示されている。 さらにアジア美術のブースからエレベーターを使うと、 間違いなく世界最強の中国陶磁器のコレクション展示がある。 そのお国は韓国の展示。

 

日本ギャラリーの展示も見たかったのですが。 甲冑とか最近日本でも人気急上昇の日本刀とか、イギリス人も、日本人も喜びそうなんだけど…。 リニューアル中らしく、閉まっていました。

悔しいけど、仕方ない。次回に期待!

 

 

大英博物館内日本語解説ツアーで連れて行ってもらった展示物

私が参加した大英博物館ツアー は3時間。参加した感想としては、「歩く歩く…」。巨大博物館の中をほぼ休憩なしで3時間歩き回る。今までに出てきた展示物以外から説明のあったものを並べていきます。ただし超大物から超大物への導線の途中にたまたまあり、ついでに説明があったものも含まれているのかもしれません。

 

双頭の大蛇

双頭の大蛇

メキシコ美術の象徴のひとつ。トルコ石モザイク、アステカ、ミシュテカ文化、1500年頃。祭礼の際、胸かざりとして用いられたと考えられています。

蛇は中米では宗教によく用いられるモチーフのひとつ。

 

アステカのトルコ石の仮面

アステカのトルコ石の仮面

 

Living&Dying

Living&Dying

イギリス人が一生に飲む薬を編み込んだ現代美術。展示室中央の長ぁ~いガラスケースには、これまた長ぁ~いメッシュの、布の中に1個ずつ「薬」「錠剤」が入っている。 男性用と女性用とがあり、男性用は女性用よりやや短い。 ツアーの同行者には可愛い女の子の薬剤師さんがいて「この薬、○○だ…」とつぶやいていた。

 

クリスタルスカル

クリスタルスカル

19世紀後半。モノ自体は歴史的価値があるとかではないのですが、映画「インディ・ジョーンズ クリスタルスカルの王国(2008)」で使われたため、有名になり、わざわざ見に来る人も増えた。

 

ウルのゲーム盤

ウルのゲーム盤

「日本が縄文だ弥生だと言っていたころ、ウルの国ではこんなきれいな『ゲーム盤』で遊んで楽しんでいたんですよ。栄耀栄華がしのばれますね。」との説明。

現存する世界最古のゲーム版のひとつ。粘土板にはくさび文字で遊び方が書いてあるのです。いわく、2人がボードの端からメダルを進めて戦う。このゲームは古代中東全域で3000年以上伝えられていった。

 

ギルガメッシュのくさび文字の図書館

ギルガメッシュのくさび文字の図書館

 

ローマンモザイク

ローマンモザイク

ローマンモザイク

天然石で出来ているので色褪せたりしないのです。

 

ポートランドの壺

ポートランドの壺

有名な古代のカメオ・ガラス作品。西暦25年ごろ。古代ローマのガラス工芸の水準の高さを示した名作として名高い。

モチーフは神話をテーマとした愛と結婚。結婚祝いとして作られたといわれている。

 

ローマ皇帝アウグストゥスの頭像

ローマ皇帝アウグストゥスの頭像

紀元前1世紀。征服した先の国に「この国を治めているのはこの人だ」と見せつけるために作り、送った頭像。

 

16世紀のスイスのからくり時計

16世紀のスイスのからくり時

塔の上部は3段に分かれていて、今なお現役。フランスのストラスブールにある大聖堂の時計を模したもの。中段は30分に一回鐘を鳴らし、1時間ごとに、全体が回り、マルティン・ルターが作曲した音楽を奏で、オートマタ(お人形)も動きます。

 

からくり仕立ての時計付きの黄金のガレオン船

からくり仕立ての時計付きの黄金の船

時計仕掛けの黄金のお船は、貴族の晩餐の時、紳士淑女の居並ぶテーブルの上を滑り、時を知らせたのだそうです。テーブルの上を船は進み、音楽が奏でられ、見張り台の中で船乗りたちが鐘を鳴らし、船がピタリと止まると同時に13門の大砲が鳴り響く。招待された紳士淑女の皆様は、さぞかし驚かれたことでしょう。

 

サットン・フーの黄金の兜

サットン・フーの黄金の兜

7世紀初頭。アングロ・サクソン時代のイングランドの兜。出土された時は見る影もなく破損していたのですが、不屈の作業、完全復元!

サットン・フーの副葬品

サットン・フーの副葬品

おなじく7世紀初頭、イギリス。

 

エジプトがなんだ! ギリシャ・ローマがなんだ! 我らイギリスにだって、こんなに素晴らしい文化があるんだ! と復元された華麗な文物です。お宝はあっても、気候や風土により、朽ちてしまったり、変質してしまうと、残らない。を乗りこえ、サットン・フーは20世紀にその姿を現した。

 

入浴のビーナス

入浴のビーナス

1~2世紀、古代ローマ時代に作られた、ヘレニズム時代を意識して作られたコピーの彫刻。
服を脱ぎ、誰かがいる! 誰かに見られている! のはっとした瞬間をたくみにとらえたリアリズム。女神の恥じらいと美しさ。

 

ネレイデス・モニュメント

ネレイデス・モニュメント

壮大な台座つき・天蓋つきの紀元前4世紀ごろ。

現在のトルコで発見された。ギリシャ神話の海のニンフであり、海神ネレウスの娘たち、ネレイドが配されている。支配者のお墓。トルコの方ですが、お墓、ギリシャ風。細部にペルシア風の影響が残されている。
ことごとく首の部分がないのは、経年ではなく宗教上の理由なんだとか。我々は残された姿で往時をしのぶしかない。

 

 

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ベルトラの大英博物館ツアー

 

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(アメリカ旅行に行ったときの記事です)

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