タージ・マハルとガンジス川が見たくで来たインド。降り立った町はバラナシ。ガンジス川だけ見て帰るのももったいないし。
インドといえば混沌・カオス、ちょっと気を抜くとなあなあ大国・衛生大国の日本国民は舐められ、してやられてしまうイメージがある。
最初から白旗降参した私。きれいで明るく、心躍るスポットに連れて行っていただきました。
ドゥルガー寺院
外観のみの見学。というか、中に入れるのはヒンドゥー教徒のみ。
ドゥルガーとはヒンドゥー教の女神さま。そしてこの女神さまはお美しく威厳があり、そして強い! 戦いの女神さまでもある。同じくヒンドゥー教の神様(シヴァ神)のお妃さまでもある。
ドゥルガー女神さまの名前をまつる大きな赤いお城。ガンジス川の川岸から少し入った小路に小さな池があり、川面に映る鏡ドゥルガー寺院の写真映えするスポットだということで、ガイドさまがドライバーさまに指示。道路に車をとめて待機していてもらい、池のほとりの道路ぎわの鉄柵ごしに観光案内がありました。
かかった時間はせいぜい、5分程度。
バラナシは、外国人観光客だけではなく、インド全土から信心深い善男善女が集まる聖なる場所。日本のお伊勢参りみたいなものかしら。ガンジス川の沐浴を済ませ、お寺巡りして功徳を積む。そう言われてみれば、バラナシのホテルのロビーでご一緒させていただいたサリーをお召しになった女性も貫禄堂々のマダム世代。
バラナシ大学
外観のみ。構内を通るだけ。
マダン・モハン・マラヴィヤ(Madan Mohan Malaviya 1861–1946)とおっしゃる、インドの国民会議の議長を務められた偉い政治家の方が1916年に設立されたインドの超一流大学の一つであり、14の学部を持つ総合大学であり、学生数も30,000人近いマンモス大学でもある。
マラヴィヤはバラナシの大地主に、大学のための敷地を寄付してほしいと頼み、大地主は「貴方が1日で回れる広さの土地を差し上げましょう。」と答えたのそうな。必死で回ったのか回らなかったのかは置いといて、今の敷地面積は1,600ha以上。
インド版「米百俵の精神」です。
ホテルを出て車窓から見るバラナシの光景は、良くも悪くもインド。「カオス」と「格差」がわかりやすい。
しかし、バラナシ大学の門を入った途端、「インドらしさ」が途端に消え失せる。ガンジス川の川岸で覚えたインド風建築がちらほら目につく程度。
野生の牛はいるけど数は少ないし気のせいか毛並みも色つやも良い。
道行く人は身なりも小ざっぱり、「超一流大学」の潜在意識を植え付けられたせいか、近寄りがたい知性のオーラを感じてしまう。
(車の中から撮った写真は全滅でした)
(新)ヴィシュワナート寺院
なぜわざわざ大学の構内に入ったかというと、中に外国人観光客も気軽に入れるヒンドゥー教のお寺があるからなのです。
【注意!】タクシーやリキシャで行くなら、大学の入口で降りちゃダメ。お寺までの距離半端ないです。
同じ名前のヴィシュワナート寺院は、同じバラナシの町の中の聖なるガンジス川のほとりにもある。 建立も古く、ヒンドゥー教徒の方にとっては大事な聖地。
一方、格式が高く、外国人観光客は内部見学不可はもちろんのこと、
肝心のヒンドゥー教徒に至ってさえも、撮影禁止に荷物持込制限と小うるさい。
地元インドの人も、細かいことに目くじら立てず、気楽に楽しくお寺参りができる 大学キャンパス内の新しいヴィシュワナート寺院にやってくる。
建立は1960年代なので、半世紀たっている。そこそこ古く、現役で使われているお寺です。
拝観料とかは特にいらない。 ただしヒンドゥー教徒のガイドさまは靴と靴下を脱いで裸足になる。郷に入っては郷に従え、私も続き、靴と靴下を下足番の人に預けて、そこでチップを支払うんですね。それとお賽銭・お布施。
(シヴァ神)
所要時間は40分ほど。 土曜日の11時~11時40分ごろに行った。
外国人観光客が少なく(5%くらいというところ)、 地元民っぽい顔立ち(デリーで見たインド人より、顔色が黒くテリがある、顔が小さく頭蓋骨の形が言わばおにぎり型)の方が多い。
猿の神さまはハヌマーン。
土曜日・午前中・うららかな陽気もあったせいか、
- 小学校低学年くらいの年頃の子どもの集団が先生に引率されてきていたり
- 学生、それも高校生くらいの仲良しグループっぽい集団
- 小さい子どもを連れた3世代家族
- ガンジス川沐浴を終えてお寺めぐりをしているっぽいミドル~シニア世代の方々
など、 参拝客の層も幅広く、 みんなご機嫌な表情をしている。
新しく作られたお寺には、ヒンドゥー教と仏教とジャイナ教かシーク教(忘れてしまった)の歴史を説明するレリーフがたくさん飾ってあり、お釈迦さまもいた。
ヒンドゥー教のお寺なのになぜに仏教のお釈迦様が? とか不思議だったんですが、インドの方にとっては、仏教はヒンドゥー教の一派なのだそうで。
偉いお坊さまが荒野で修行される姿とか悟りを開いたとか奇跡を起こされる場面などが描かれ、ヒンディー語で説明がある。
日本で言えば最澄とか空海とか、親鸞とか道元とか、あのあたりでしょうか。
赤いお寺のドゥルガーの女神さまのお姿。
ヨーロッパの美術館とかでインドの神さまなどが展示してあるのは見たことあるけど。
インドのお寺では、神さまをいっぱいのお花で飾るんですね。
移動中、車の中から撮ったバラナシの町。
サールナート
お釈迦様は厳しい修行の末に悟りを開かれ、 自分の教えを語るに足る人材は、と思い定めたのが鹿の遊ぶサールナートの地。
悟りを開いたブッダガヤから240㎞の距離を歩き、たどり着いたお釈迦様は5人の弟子に説法を行った。
遊び回る鹿たちもお釈迦様のお話に聞きほれ、かくして仏教の教えが世界に広がるスタート地点となった…。
仏教徒にとっては大事な聖地。漢字で書くと「鹿野苑」。 苗字の「鹿野」さんって、仏教に縁のあるご先祖さまのいる人だったんですねえ。
お釈迦様が生きていらしたのは紀元前5世紀。
以来大伽藍が次々と立てられ、かの玄奘三蔵法師さまは「1,500人の僧が学んでいる」と全盛期の姿を伝えている。
何千年もの間、信心深い方々が集ったパワースポット。
見学することができるのは建物の基礎部分や壁などが残っている廃墟、
大小の数多い仏塔など。
大ものとしては
お釈迦さまが5人の弟子に教えを説いた石座
仏教版オベリスク、かつてそびえ立った塔が折れてしまい、3分割されてしまったものをガラスケースに入れて屋外に展示
目玉の巨大なダーメーク・ストゥーパは6世紀のもの
敷地が広く、見学エリアはオール野外。タージ・マハルやアグラ城みたいに混んでいないし、雰囲気は和やか。
とてもきれいに整備されている。
ただし日本語オーディオガイドなんかはないし、観光パンフレットももらえない。説明書きも肝心のヒンディー語にいたってさえも貧弱。
アジア系、タイ・ミャンマー・ベトナム系の顔立ちの方々がお坊さまの引率で団体できていた。
私にとってはくずれ落ちた壁の家だというのに、じっくりと感慨深げに見つめ、誇らしげに撫でさすり、折れた仏塔の前の人垣はいっこうになくならず、熱いまなざしで見つめる姿に、「そ、そんなに大事なものなんだ…。」とあわてて二度見してしまった。
お釈迦様の足跡を訪ねたあとは、芝生に座って説法を聞くのです。
なんか、ステキ。
帰り、近くのタイ寺院にも、ちょっとだけ行きました。