日本の歴史をよみなおす (全) 網野 善彦
今の日本の源流は、室町時代くらいではないか。南北朝の動乱は大きかった。それより前の日本は、想像の域を超えた異質さを覚える。
鎌倉時代までの書は、身分の上下を問わず、雅やかである。一節には遊女ともとれる市井の女性の鎌倉時代の書の流麗なこと。室町時代になると、途端に読みにくくなる。伊藤博文の書なんかも、私(←著者)にはひどく読みにくい。書は上(公的なもの)の書き方が変われば、下々も追って変わっていく。
鎌倉時代の新仏教は、金融や交易の先導の役割も担っていた。
宗教が根付かなかったことそして天皇制が連綿と続いてきたことは日本の特筆すべきこと。
「百姓」は農民であるとされてきた。しかし丹念に資料を追って行けば、能登の一水吞百姓が大流通時代の真っただ中、北海道まで行って商いをしている。豪農は農業のみならず、一大商社のごとく、事業を手広く押し広げている。
…なんか機関銃で連射浴びた気分です。次から次へと目からウロコ。知らなかったことが書いてあり、感心しっぱなし。えー、習ったことと全然違うじゃん~、とびっくりしぱなし。
遙かなるサマルカンド リュシアン ケーレン
15世紀、カスティーリャ王国エンリケ3世はティムール帝国建国の祖、ティムール・ベックに親書と贈り物を届けるべく、使節団を派遣します。この本は、使節団の足かけ4年にわたるはるかなる旅路の報告書。スペイン南端の港、カディスを出港。地中海と黒海を越えて、トレビゾンドへ。そしてサマルカンドへ。
当然、国防・軍事・戦略・商機が念頭にある。地勢・気候・産業・その土地に住む人々の気質、生活。そして当時の政治情勢にかかる、む、これは、の事柄について王様に報告せねばならんのです。 の読物ならぬ報告書なのですから、どうしてもこまごました事柄の羅列になってしまう。眠くなりそうだ~と読み始めるまでは心配だったのですが。面白かった。楽しく読み通せました。
船旅は困難の連続。行った先ごとの珍しい町並み。トルコに上陸し、ティムール・ベックに近づくにつれ、その庇護が厚くなる。(馬は取り替え放題、御馳走食べ放題とか)そしてお目もじかなった伝説的な王様と、宮殿のきらびやかな様子。病にわかに改まり、ティムール・ベックは崩御。志半ばにして立ち去らねばならぬ。いざ故国へ。
旅の途中で難儀のあまり、命を落とした者もいました。目新しく、さて次は。さて次は。で退屈するヒマがなかった。
中近東はですね、忘れられがちなんですが、ギリシャ・ローマの伝統を伝える由緒正しき地域。みなアラビア語に翻訳されている。知識欲がすごかった。
ヨーロッパは中近東から、それらを逆輸入したのです。なので宝物なんか伝統に土地柄が加わり、エキゾチックで好きなのです。
中世中近東に興味のある方なら、是非どうぞ。
フェリーニ 映画と人生 トゥッリオ ケジチ (著) 押場 靖志 (翻訳)
フェデリコ・フェリーニ(Federico Fellini, 1920-1993・伊)。言わずと知れた世界的映画監督。別名、「映像の魔術師」。『青春群像』(1953年)『道』(1954年)『甘い生活』(1959年)『8 1/2』(1963年)。
フェリーニの何がすごいって、映像でしか表現できない形をとてつもないスケールで世界中に知らしめたってことなんでしょうね~。手放しで生きることを楽しんでいる。そして享楽や市井の人の中にある翳り。猥雑さ。郷愁。。。ああ、イタリア~、、。イタリアのじわっと一見暗い熱気が、読んでいて伝わってくるんですよ~。これはフェリーニの人となりや人生のなせる技?それとも書き手?それとも翻訳の妙?
この本はガリマール新評伝シリーズといいまして、祥伝社の40周年記念。フランスの著名な出版社であるガリマール社の人気の評伝の中から、日本人向けの7人を選りすぐって紹介した中の、第4巻。
ちなみに1 ケルアック(米作家)2ジェームズ・ブラウン(米ソウルシンガー) 3 ルイ16世(仏国王) 4 フェリーニ(伊映画監督)5 チェーホフ(露作家)6 カミュ(仏作家)7 (仏政治家)です。
フェリーニの人生は…。それは若い頃は苦労したり、作品に大失敗して全財産差し押さえられたり、大波小波はありますが。元々はコントを書いていた。才能を認められ、とんとん拍子に、一気に世界の巨匠へと…との印象をこの本からは受けました。おなじみの名画のトリビアいっぱいで、楽しかったです。
翻訳史のプロムナード 辻 由美
言われてみれば、世界最大のベストセラー、「聖書」は翻訳で読んでいる。読んでないけど「毛沢東語録」だって。「資本論」だって。翻訳してくれる方がいて。出版してくれるところがあって。初めて世界中の人が、手にすることができるのですね。
著者の辻由美先生は、フランス語の翻訳をされており、この本では西洋の翻訳の歴史をたどることができます。上でも書いてますが、ギリシャ・ローマの文献は、実はあらかたアラビア語に訳され、アラビア文化圏で研究がなされた期間が長い。スペイン経由でヨーロッパに入り、欧米文化が世界を席巻したことから、この事実、膨大な厚みを持つにもかかわらず陰に隠れた存在になってしまった。その昔、本はみなラテン語で書かれ、フランス語に訳そうにも、フランス語の語彙がナイ。異文化を受け入れるには、受け入れる側にある程度土壌が整っていなくては。そして先人たちの言葉を探す努力が、積み重ねられていくのです。
そして18世紀から20世紀の翻訳者の生々流転の人生が次々と現れる。作家の振り幅の大きい人生、よく見かけますが、翻訳者のそれも決して引けを取らない。
翻訳と評論に腕をふるい、それゆえに目を付けられ、第二次世界大戦の終わり際、銃殺されるホーランド人、ジェレニスキー。古代の言葉を伝えることに全生涯をささげたアンヌ・ダシエ。ニュートンの著作をフランス語に訳し、文武両道ならぬ文恋両道、不義の子を産み、産褥熱でこの世を去り、臨終には夫と愛人が立ち会ったシャトレ侯爵夫人。まだまだあるんですよ~。
そして翻訳者たちの世界的な協同の形が、全くのゼロから、立ち上がるまでが延々と語られ、正直この部分は翻訳史における大大大歴史的出来事なのはわかるものの、ここまで紙数を割かなくても、の気はするのですが。でも、辻先生、当事者のお一人ですし。自分がここで記録に残さなくては!の熱い息吹が、伝わってきました。