館山駅から3時間、タクシーお願いしまして、南房総めぐりしてきました。
館山駅
居並ぶ車と「館山駅」の看板と青いネットさえなければ「ここはイタリア?それともスペイン?」と一瞬錯覚してしまいそうだわ。
5月だというのに、日差しはどこまでも明るく、空はあくまでも青い。シーズン前なので週末だというのに人影はまばら。
中原純一は戦前「少女の友」の挿絵、戦後は「それいゆ」などの雑誌を創刊し、少女たちに絶大な支持を誇ったクリエイター。
人気の絶頂期の昭和33年(1958)に倒れ、療養の地に選んだのが館山市。昭和47年からは本格的に館山市に移住し、昭和58年に70才でなくなるまで館山で療養生活を送り、晩年を過ごした塩見海岸には詩碑がある。
…知らなかった。
白浜海岸(野島崎)
房総半島の南の端っこ。「白浜海岸」の名が示すとおり、白波が立っている。いつもこんなかんじで、いつもより風は弱い。とは運転手さんのお話。
看板が立っていて
鳥居をくぐれば厳島神社、青いロードを行けば野島崎灯台なのですが
やっぱり海の近くに行きたいので野島崎公園へ進みます。
源頼朝公や里見義実公は、ここ白浜の地で再興を誓ったという。由緒ある土地。荒々しい波の音と潮風が心の高鳴りを今に伝えるかのよう。
結構な断崖。息子は下まで降りていき「カニがいた~、ちっちゃいけど」。
突然大波が襲ってこないかしら、とか心配したりして。
岩肌がそのまま。
振り向けば赤い鳥居が見え
小さな祠があります。
光峯神社。漁師さんを守っているんですね。きっと。
案内の石碑。
向かって右は案内図になっていました。
視界が開け
大きな石にはめ込まれた説明文。
里見義実公上陸の地
「南総里見八犬伝」で知られる戦国時代の大名、里見氏の初代、里見義実公が結城の合戦に敗れて三浦半島からここ白浜の野島崎に上陸したのが1441年(1445年という説もある)のことといわれています。
義実公は、白浜に居城を構え、安房の国を支配していた安西氏、神余氏、丸氏、東條氏の四豪族を打ち破って安房を統一し、房総里見氏の幕開けとなりました。
海を右手に進むと
いわれのありそうな木道と看板が。
「伝説の岩屋」
西暦1180年、伊豆から安房に渡ってきた源頼朝公は勢力的に動き、この野島崎に立ち寄り矢鏃で大岩に野島山の三文字を刻んだ伝説であるが史実でもあると云われている
この地で武運再興を願掛けている時、突然の時雨に近くの岩屋に身を寄せ雨を凌いだ
この岩屋を「頼朝公の隠れ岩」と称し、この場所を深海に潜む創造の大蛸の海神を祀った
海神は海面を鎮め豊漁を授け、そして人々に幸をもたらす事であろう
大蛸の廻りには鮑やサザエを配し、特に中央の大鮑の殻の中に願いを掛けた賽銭を投げて見事、貝の中に入れれば開運間違いなしとの事
なぜならば貝運は開運への道の如し!
…アワビの貝殻はどこにあるのだろう…。
なおも進むと
房総半島最南端之碑 があり
ピラミッドにはこの大きさの石が使われているのです、と置いてある。
なぜ房総半島とピラミッドがシンクロするのだろう。不思議だ。
房総半島最南端の地の縦型の石碑もありました。バックの灯台と一緒に写真を撮るんですね。
海側にはベンチが見えて眺めは最高なのでしょうが、まさかこんなコンディションだとは予測していなかった私。ハイヒールだったのです。諦めました。
海沿いのむき出しの岩は、
茶色だったり漆黒だったり、明らかに色が違うのです。
なんでかな~。
帰り道、うっそうと茂るアロエを発見!さすが南国!
安房神社
安房神社ができたのは今から2,670年以上昔、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられている。
神武天皇の命により冒険・開拓の旅に出たのは天富命(あめのとみのみこと)。
まず四国の阿波、続いて黒潮に乗って到着したのが房州安房。
そして自分の祖先の天太玉命(あめのふとだまのみこと)天比理乃咩命(あめのひりとめのみこと)(注:お二人はご夫婦)を祀るために建てたのが安房神社のはじまり。
奈良時代から今の地にある由緒正しさ。
建物が奈良時代だとか、国宝や重文が立て続け、なんてのはナイ。
かわりにどこまでも密やかで、霊感ゼロの人間が言うのも変ですかね。清々しく静寂な雰囲気に満ち溢れている。
パワースポットのオーラの中たたずんでる。
看板なんかも、こう言ってはいけないのですが、はなはだしくわかりにくい…。
別にわかってもらわなくてもいいですから。ともまた違う、
ただひたすら、今ここに、ずーっと守ってきたものがたたずんでいる。
由良海岸に近い絶景スポット
最近できたスポットだそうな。
館山・房総は「聖地」だらけ
館山で有名って何ですか。とタクシーの運転手さんにお伺いしたところ
「テレビや映画のロケが多いです。先週、草刈正雄さんが来ていました」
都心から1~2時間で抜け感のある、使える田舎(失礼)の風景が撮れる。数々のドラマで使われた実績があり、「ココは道狭いです」「ココは支度部屋もあります」「撮影機材お貸しします」「ロケハン弁当美味しいです」と痒い所に手が届く気配りで、地域をあげてロケ地誘致に積極的。
近いところでは「逃げるは恥だが役に立つ」(2016年)のロケ地となり
伝説としては「ビーチ・ボーイズ」(1997年)
で反町隆史さんと竹野内豊さんと広末涼子さんと稲森いずみさんが〇〇したのがココ、〇〇したのがココ、と運転手さん、丁寧に教えてくださいましたよ~。
台湾や香港などからも若い子たちが「聖地」館山を訪れ、感激して帰って行くのだとか。
「鶴瓶の家族に乾杯」館山編のロケも行われたことがあるそうで、スタッフが一週間前から乗り込み、ロケハンが入念に行われ、上の絶景スポットを「時速10kmで走ってください」とのオーダーが出た。
…日中ここまで人気がなく、通るのは車だけ。鶴瓶さんがいくら出会いを求めて歩いたとしても人っ子ひとり通りかかるとは思えない。の素朴な疑問を運転手さんにぶつけてみました。答えは。言わぬが花、ということで。
XJAPANのYOSHIKIさん、 Toshiさんは館山出身で運転手さんと同じ中学校の後輩。
昔から「頭の良い不良」っぽい雰囲気を漂わせており、ビジュアルは目立ち、「あの」かっこうで臆せず楽器をもって列車に乗ったりしていた。
と、次から次へと有名人のエピソード披露は続いたのでありました。
(海沿いに立つ運転手さんいわく「お菓子の家」みたいな家)
洲崎灯台
大正8年(1919)建造。1世紀モノです。
房総半島南西端に位置し、三浦半島橋の剱埼灯台と対で東京湾入口をなす要地に立ち、首都圏への安全航行を支えています。高さ15mの円形平面の形式で、初期の鉄筋コンクリート造灯台として価値が高く、灯塔上端歯飾状の装飾を施し付属者を備えています。内部には初点灯日が記された銘板や当初の鋳鉄製階段を残しています。
洲崎灯台の東に広がる平沙浦海岸は鬼ヶ浦とも称され、東京湾に向かって航行する船舶にとって注意を要する難所でした。洲崎灯台が建てられる前には、野島崎灯台を目標に航行した船が平沙浦海岸の東にある布良崎を洲崎と認識し、平沙浦海岸を東京湾と間違えて侵入して座礁する事故があったといいます。洲崎灯台が建設された後はこのような事故はなくなりました。洲崎灯台は今も東京湾に出入りする船舶の目印として重要な役割を果たしています。
内部の一般公開はなし。絶景スポットです。灯台の下に車を置いて(私設の有料駐車場のみ)細い階段を上っていきます。車いすの方などは、残念ながら行けません。
洲崎灯台から見える楕円のデザインの目立つ建物。ソフトバンクの孫正義社長の別荘なんだ。とオットは申しております。本当でしょうか♪
館山は別荘地なので、館山に着くまでも旅行中も、別荘はたくさん見かけました。立派な南欧風のお宅もあれば、空き家で手入れされてないのもあった。孫社長のものかもしれない!?別荘は、インパクトダントツ!絶対忘れられない度、No.1!
地図
感想
湘南に泊まり込んであちこち巡り歩き、間をおかず南房総でやってまいりました。なぜに館山って、南房総ってここまで人がいないのであろう。渋滞無縁、人込み無縁。同じ東京湾の中だというのに。都心から1~2時間で、夢みたいなエリアが、豊かに広がってるんですね~。自然はどこまでも雄大であり、豪快であり、爽快であります。のんびりと時間は流れ、風と波音と潮のかおり。
(おまけ)館山グルメ
お店の外観とか、写真を撮り忘れてしまった。館山にはまた絶対に行くので、レポートは次の機会ということで、お料理の写真だけ。
ご紹介する2店はどちらも館山の老舗中の老舗、地元の方々にも旅行者にも愛され続けているお店です。
館山中村屋
いつ行っても混んでいる。午後の遅い時間に行くと品切れ続出!のパン屋さん、お菓子屋さん。名物はロシアケーキ。
館山 とまと
フランス料理店。リーズナブルなお値段で、本格的なお味。
前菜のパスタのミートソースのせ。
オードブル。アヒージョ・マリネ・うなぎパイ。
本格的かつ正統派、王道のコーンスープ。
フォアグラ・バルサミコソース。
ビーフシチュー。
ビーフステーキ。
魚介のソテー。ソースが絶品!
鴨。
デザート。
帰りの電車の時間待ちの間、海岸に行って、浮かんでいたお船と海。