初めての熊野古道、地元の語り部さんと一緒に歩きました。
中辺路はまたの名を『お姫さまロード』とも言うんだそうな。はっきり言って、トレッキングというよりお散歩クラス! 4~5時間、ゆるゆる歩いて、ツアー終了後「いや~、楽勝だったなぁ♪ 」と鼻歌気分。
お話、たくさん聞かせていただきました!
世界遺産熊野本宮館前から路線バスで発心門王子まで
(待ち合わせ場所)
ツアーは10時スタート。9時半前には到着。ぼーっとしていたら、語り部さんが声をかけてくださいました。
挨拶と自己紹介をすませ
10時10分発のバスでトレッキングのスタート地点、発心門王子へ向かいます。
熊野古道について
熊野詣をすれば願いが叶う。それも自分の足で歩いて。輿に乗ったり馬に乗ったりしても悪くはないが、楽した分ご利益は減るとされた。
最盛期は平家物語のあたり。平安末期。歴史上の著名人でいくと平清盛や息子の重盛、後白河上皇、歌人の藤原定家あたりが熊野詣をした記録が残っている。(情熱の女性歌人、和泉式部の伝承も残るがあくまで伝承の域を出ないとのこと)
なぜ熊野なのか? 熊野の神様は間口が広い。高野山なんて、女人禁制ですからね。女はそもそもご利益にあずかれない・ハードルが高い。
熊野の神様は慕う者はすべて受け入れてくださるのです。
そして「歩いて」がポイント。
例えば、『源氏物語』の紫の上なんて、40そこそこで死んでしまう。光源氏も50そこそこで死んでしまう。
食べものは貧弱(失礼)、薄暗い部屋の中にひきこもりきりで運動などろくろくやらない。
そんな方々が歩いて熊野を目指せば。日光浴びてビタミンD補給。適度な運動するからお腹もすくしゴハンもおいしい。たくさん食べられる。よく眠れる。が続けば自然体調は良くなり元気回復。
部屋の中でウジウジしている日常から抜け出て目に映るものすべてが新鮮、気分一新。メンタルにも誠によろしい。
コレが
「熊野詣をしたら〇〇(←体の不調)が治った」「(気分一新)願いがかなった」の御利益の秘訣(ではないか)。
当然熊野詣では大ブームとなり、街道は人であふれ、さながらアリの行進のよう。(「蟻の熊野詣」)
(世界遺産熊野本宮館のジオラマ展示)
(「蟻の熊野詣」がわかりやすいですね! )
草深い山道。「山賊とか出なかったんですか」とガイドさまに聞いてみると「いたと思います。」とのお答えが。
防犯上、また自分の権勢を示すため、上つ方が熊野を目指せば、何百人もの御付きの人も同行するわけで、費用も膨大。熊野詣は当時の富の証でもあった。天皇の力が衰えると、熊野詣はすたれていったのです。
中辺路トレッキング
バスを降りてスタート地点。
昔の人も「ああ、やっと着いた…」と見やったであろう道。
発心門王子。「王子」とは、熊野古道の場合、巡礼の道節目節目に立つお社のことです。
「いりがたき 身法の門は今日過ぎぬ 今より六つの道にかへすな」
藤原定家の歌碑。
有難い信仰の門をくぐったのだから、六道世界(=俗の境地)に戻ってはならない。
って意味でいいのかな。
立札があるあたりに尼寺があり、定家が滞在したんですって。
熊野地方は日本蜜蜂の養蜂もさかん。
赤い彼岸花も咲いていた。
民家のそばにはお地蔵さまがところどころある。その昔、土地にお医者さまなどいない。人々はお地蔵さまに、「病気を治してください」と願をかけたのです。
紅葉のように、5つ股に葉をつけるナチシダ。
歯痛にきくお地蔵さんもいらっしゃるんですよ!
水呑王子に到着。かつての王子はなくなってしまい、江戸時代、今と同じくかつての歴史の名残を後世に伝えなければ、と当時の紀州の殿様が残した。
石、緑色してるでしょう。熊野ではなく、和歌山の石です。
腰痛に効くお地蔵さまもいらっしゃいまして
昔、ここにリゾートホテルがあって、今は廃墟になっている。小休憩の時間です。
「ココ、撮影ポイントです。立ち位置はここで。」
と語り部さまは必ず声をかけてくださる。
苔がびっしり。
森を守るため、木を間引く。丸太がむき出しで並ぶエリアで、
語り部さまはビニールシートを丸太の上に敷き
「横になってください」
と休憩タイム…。聞こえるのは鳥の鳴き声だけ…。
すると、音楽が聞こえる。語り部さまが、篠笛を吹いてくださっている!
私だけのために…。 きめ細やかなお心づかいに、驚愕してしまう。
ここもよく使われる撮影スポット。
道沿いに咲いていたシコクママコナ。語り部さんに聞けば何でも即答。
(名前は教えていただいたのですがメモるのが抜けてしまった)
紀州上臈ホトトギス
伏拝王子に到着し
ほど近い休憩所で
お昼ご飯。「熊野古道弁当」を頂戴します。
厳重に包装されており
開封の儀も骨が折れます;;
高菜で包んだおにぎりが名物で、本物!? は体使って働く人のお弁当だから、もっともっと大きいんですって。
さすがにおにぎり4つは多く、1つは残してお持ち帰り。おかずとお茶は全部いただきました。
食休みのあと
トレッキング再開。
山の端にしぐるる雲をそばだてて 旅の空にも冬は来にけり(白河上皇)
橋があった。
渡って行って
三軒茶屋跡に到着。
昔の道標も、文字がしっかりわかります。
両脇にも道しるべの文字。
関所のあと。
江戸時代、熊野詣をするときは、庄屋さんに
「この者は〇〇の用事で〇〇へ参ります。
けがや病気をした時は、その土地の作法にのっとって(葬って)かまいません。」 と一筆書いてもらう。のが旅券がわり。
通行料を払って関所を通る。書状は濡れないよう、大事に油紙に包んで旅の間中、肌身離さず、持ち歩いた。
「あの木、河童みたいでしょう」 ホントだ!
ちょっと寄り道して川の見えるスポットを通り
払殿王子跡を過ぎ
熊野本宮に到着。
熊野のシンボル、八咫烏(コロナ下なのでマスクつき)と漆黒のポストがお出迎え。
たらようの木。「葉書」の「葉」はたらようの木から来ている。
門をくぐり
須佐之男命
速玉大神と夫須美大神
天照大神
八百万の神様
にお参り。なお、熊野の神様への参拝の仕方は「二礼二拍一礼」です。
現在の熊野本宮大社は、昔は川沿いにあった。明治の御代に台風で大被害を受け、高台に移されたのです。もともとの場所は今は「大斎原(おおゆのはら)」となり
平成の御代に建立された巨大な鳥居が目印です。
八咫烏がここにもいた。
集合場所に戻り、時間は14時30分。バウチャーには16時終了予定ってあったのに。参加者は私1人だし、余計なオーダーもせず言われたとおりに行動。天候はまずまず、アクシデントもなかったし。
語り部さまはさらっとですが世界遺産熊野本宮館の案内もしてくださり、ツアーは終了。大変お世話になりました!
熊野古道 地域の方々のご尽力には頭が下がる
熊野古道の記録は、当時の人々の日記などから拾う。
埋もれてしまった街道もあって、偉い先生が「ココを掘ってみてください。昔は道がありました」とおっしゃられる。
地域の方々は発掘と復元に奔走され、さらに道標など、周辺整備も進めなければならない。
熊野古道は中辺路(なかへち)の他に、海沿いを歩き那智の滝を経由して熊野本宮に至る「大辺路(おおへち)」、高野山から熊野本宮にいたる「小辺路(こへち)」とエリアは広い。
世界遺産登録までの道のり。御労苦たるや、想像するに余りある…。10年かかったとのこと。
今、先人の努力は報いられ、1,000年前に栄え、かつては埋もれていた街道は復活した。世界に「世界遺産 熊野古道」とその名を知らしめ、国内国外の人々が熊野を訪れるのです。整備費用のクラウドファンディングも瞬く間に目標をはるかに上回り、余裕の達成ぶり。
お金は集まっても手間はかかる。「(古道整備の)ボランティア募集! 」のポスターもみかけた。
平成23年の熊野台風では施設(古道・周辺道路・熊野本宮等々)も甚大な被害を受け、「自分の名前を出さないでくれ」と多大な寄付をされた著名人の方もいらしたそうです。
語り部さまのお話をお伺いしながら、胸熱く、こみ上げてくるものがありましたよ。人の思いって、繋がるんです。絶対に。
(世界遺産熊野本宮館のパネル展示)
四国のお遍路さん、八十八箇所霊場めぐりの関係者の方々も、ぜひウチも世界遺産登録、とノウハウを学びにいらしているとのこと。
楽しみですね!
熊野古道のスタンプ帳も頂戴し、6つスタンプ、たまりました。
熊野古道はスペインはサンチャゴの巡礼の道との観光協定も結んでおり
2つを極めれば、記念のピンバッジが贈呈される。
語り部さまは、踏破済み。スペインの巡礼の道のお話も聞かせてくださいました。
トレッキング後は川湯温泉で露天風呂
本宮の町から車で30分くらい。予約していったホテルに行ったら、「閉館です。本館におまわりください。」と張り紙が。まさかのアップグレード!
おひとりさまのビジホ仕様のはずが、10畳の川べりの和室に泊めてもらえちゃった!
華美さはないけど清潔・快適。天国のようです。
予備知識なしで行った温泉。温泉街も100mくらいしかない。コンビニなし。飲食店はコロナで営業も怪しい。一方
「川を掘れば温泉が出てくる」との渋すぎるキャッチフレーズの。
ひなびた秘境。通好みの温泉なのです。
フロントでは「露天風呂があります。」「混浴です」と告げられる。
ホテルの部屋から露天風呂は見えたので、明るいうちに。人がいないのを確かめてそそくさと初体験の混浴露天風呂へと…。
(女湯)
(女湯2)
川に降りていく手前に置いてあった、浴衣の袖を取ったタイプの入浴衣を着て
露天風呂につかり、川面を見つめ、川のせせらぎを聞くひととき。
大当たり中の大当たり! 一生忘れないと思う。
ちゃんと歩ける熊野古道 中辺路・伊勢路 (ちゃんと歩ける地図)