日本人なんだから広島に1回くらい行っとくべきでは。宮島・厳島神社・平和記念公園まわりの主要スポットを1日でオールコンプリート。
山陽新幹線に乗車
なんで新幹線の駅や新幹線など写真に撮るのだとか言われてしまいそうですが
東日本住みの私は東京でたいがいの用事は間に合ってしまい
東海道・山陽新幹線の乗車回数はもしかして両手両足で間に合ってしまうかもしれない。
その昔、
「東京駅の新幹線ホームの乗客をウオッチングしていると、東海道・山陽新幹線の乗客だけが自我と知性を持っているように見える」との巨大掲示板での書き込みを見かけて以来
そこはかとなく東海道・山陽新幹線に乗っている人には劣等感を抱き続けてきました。
今日は自分が乗客なので、張り切って写真を撮る。
9月の旅行で博多始発の新幹線。GoToキャンペーンは宿泊料のみの時期。指定席など取らなくても、余裕で座れたはずですけど。
転ばぬ先の杖の青い新幹線はガラガラで、あっという間に広島駅に到着。
広島に行った動機
大阪以西は旅行経験はあるものの、
限られた有休の旅人の私はつい京都大阪奈良・九州四国あたりを優先させてしまい、
結果、広島は後回しされてしまっていた。
いい機会だ。
何度もテレビで見た、あまたの人々(VIP含む)が訪れた広島の平和記念公園に行って現地の空気感を感じてこよう。
せっかく広島に行くからには
原爆ドームのほかのもう1つの広島の世界遺産、
安芸の宮島・厳島神社と本場のお好み焼きやカキなんかも極めておきたい。
厳島神社は干潮・大鳥居工事中でイマイチ盛り上がらないけどまあいいか
新幹線の広島駅を降りて在来線に乗り換える。
「宮島方面」の電車に乗って、出発間際に気がついた。
ちょうど通学の時間帯。乗客は学生さんが大部分。
「宮島駅」の手前の駅が終点の電車だった。
すれすれで電車を降り、宮島駅に止まる電車に乗りなおす。
宮島駅を降りると、
さすが由緒正しい観光地。
駅前の道路は広く、建物は低く、安芸の宮島・厳島神社行きの連絡船の乗り場がとてもわかりやすい。
さらに、連絡船は巨大で
乗ったばかりの九州は宗像-宗像大島のフェリーとは乗り心地が段違い。
平日なので連絡船はカラ空き、10分くらいで宮島の港についてしまう。
(そもそも宮島港から宮島はよく見える。万一船が沈んでも目視で本土なり宮島なりを目指せる)
連絡船の本数も多く(10~15分に1本くらい)、「乗り過ごしたら大変だ」の焦りとは全くの無縁。
港の観光案内所からガイドマップを頂戴し、
お土産屋さんはまだ開いていないから、先にお参りを済ませてしまおう。
参道を歩き
肝心の大鳥居は全然見えない。
お参りを済ませ
奥の宝物館を見て
開きはじめたお土産屋さんを冷やかし
豊臣秀吉が建立を命じたという豊国神社(千畳閣)を見て
殻つきの生ガキを2コ立ち食いし
さっき通った参道脇の砂浜でぼーっと波と向かいの本土を眺め
フェリー乗り場から今来た道を戻ってきました。
感想
肝心の朱塗りの大鳥居が工事中は行く前からわかってはいた。
工事が終わる時期がわかれば励みになりそうなもんなんですが
2年先になるか3年先になるか、実際に行ってみても情報はなかった。
「現在の経年劣化の鳥居のコンディションを調査中ですので、工事完成時期は未定です」とのことです。
さらに、私が行ったときは干潮の時間帯で、美しい朱塗りの厳島神社は水面に照りかえるどころか、茶色の砂浜に高床式の軸木をむき出しに立っており、
- 建物の壮麗さと規模の大きさ
- 海沿いに立ち、神社に面した海に目をやれば瀬戸内の海と山陽の海沿いの街並みと海から立ち上がる山並みの借景のスケールの大きさと美しさ
と世界文化遺産・日本三景の名にふさわしい華麗なる平安絵巻の世界に身を置けている感激はあるんだけど
古代ロマンあふれる、おおらかな世界遺産・福岡宗像の次に見たので、対比はまことに目に鮮やかなんだけど
「せめて満潮の時間を調べ、満潮の時間を狙って宮島に来るべきだったかもしれない」との感想が頭をよぎったりする。
オットからは「宮島に行ったなら名物アナゴ飯はどうだ」と思いやりあふれるLINEを頂いていたので
極めるべきかなあ。とは思ったのですが昼食の時間前に宮島を出てしまった。
なお、広島は大都市なんだから駅前で名物アナゴ飯くらい食べさせる店くらいあるのでは、
とか思ってたんですが、ハズレでした。
お弁当売り場に名物アナゴ飯のお弁当の入荷はある模様なんですが、
夕方、18~19時くらいに行ったら
無情にも「本日分売り切れました」の張り紙。
鳥居も満潮もあなご飯も、リピートした時のお楽しみ、ということで。
駅前のレストラン街で本場の広島お好み焼きを食べたあと
原爆ドーム・広島平和記念資料館・原爆死没者慰霊碑
タクシーを拾い、
「原爆ドーム」お願いします。と女性の運転手さんに行先を告げたところ
「観光にいらしたんですか?平和記念公園や原爆記念館も見ていかれますか?
原爆ドームの近くにはバスや路面電車の駅があり、駅への足を確保しやすいです。
記念館・公園・ドームの順番で見て回られるコースがおすすめです」
とさわやかに教えていただけた。
地元の人の言う通りにしておけば間違いない。言うことききました。
タクシーがとまった資料館前広場から平和記念公園のモニュメントが見える。
「もしかして、あそこが!? オバマ大統領がおみえになった!? 」と聞くと
「そうです! 」
思えば小さいころから8月6日といえば映し出された原爆記念日のテレビの映像。
記念公園は想像していたよりは大きいと思えば大きく、小さいと思えば小さい。
まずは広島平和記念資料館を極めてしまいましょう。
広島平和記念資料館入館は予約制
新型コロナウィルス感染拡大防止のため、
見学は予約制です。と言われ、びっくりした。
つまり、入館が予約で定員いっぱいの時は、中に入れない。
「予約していません」と申告すると、
資料館正面入口脇に、予約票を発行するカウンターがあり、
ナンバーをもらって改めて入館入口に並ぶ方式。
平日だったことも幸いし、わりとすぐに入館できた。
入場・入場券購入も係員の方の指示に従い、間をあけて入る。密になってはいけない。
展示を見た感想
広島は大都会。軍都だったんですよね。だからこそ狙われた。
展示は、原爆投下前の広島の繁栄と、一瞬にしてがれきと廃墟と化した町を写真とジオラマ展示で一挙に見せる。
爆風・熱風によって貴い人命が奪われた。広島市によれば1945年中に約14万人(±1万人)が亡くなっている。正確な数は、わかっていない。
ひとくくりにされてしまっているお亡くなりになられた方々の人生は1つ1つ、丹念にときほぐされていく。
学校に通っていた子ども。
前途洋々の若者。
笑顔いっぱいの乙女。
小さい子どもをつれたお母さん…。
原爆までの人生の軌跡と、原爆に吹き飛ばされて激しく損傷した遺品が並び、死までの経過が語られる。
それが1人・2人じゃない。何十人・何百人も続く。
(最初のうちは熱心に読み込んでいるのですが正直疲れてくる)
遺品は遺族から寄付を受けたもの。75年前に、普通の市井の市民の身近にあったもの。身につけていたもの。大事にしていたもの。
愛する家族の生きていた証を残したい、忘れないで。覚えていて、の気持ちが伝わってくる。
教科書や今までの原爆の報道写真で見てきた原子力爆弾の威力のすさまじさを物語る、熱線で人は一瞬にして蒸発し、影だけが残った石段や、止まった時計、熱でつぶれてしまった台所用品なども、実物を見ることができました。
襟を正せねば。
今の自分がいかに恵まれているか。
思い知らされるんですよねえ。旅に出ると。いやおうなく。
ホテルグランヴィア広島は評価5つ星
今回の旅行はおひとりさまだし、ホテルは「寝るだけでいいや」とアクセス良好のお手頃ホテルを渡り歩いていた。
自然、地域ごとの同クラスのホテルを比べることになる。今回の旅のうちのベスト1は、広島の「ホテルグランヴィア広島」。
宿泊料金はリーズナブルでありながら、クラス感のあるホテル内の公共スペースや室内、スタッフの方々のにこやかにしてキビキビしたホスピタリティはコスパ高すぎ!
これでGo Toキャンペーン込みで1泊素泊まり5,620円。
わたし的には「お値段3倍が妥当では」と請求書を見つめてしまったホテルでした。おすすめできます!