平成から令和へと時代が移り、新時代が明るく、派手やかに始まった。
昭和から平成の移り変わりは、天皇陛下の崩御のなか、重々しく、深い悲しみの中から始まったのに。
何はともあれ、前向きに、これからの時代を楽しくおおっぴらに語れるのは誠にめでたい。
とともに私個人として、背筋が凍る思いがやまない。
のは
皇后雅子さまへの「すごい! 」「すばらしい! 」「日本女性の鑑! 」の絶賛報道。
はじめに私の皇室へのスタンス
天皇制は賛成でも反対でもありません。難しい議論は偉いセンセイ方にお任せします。
よくわかりませんが、
今、現実に天皇制で世の中が回っているなら、ことさらに異を唱えるつもりはさらさらありません。
天皇制を倒さなければならない、世の中を変えなければならない! などと
燃えていらっしゃる方は、「…エネルギーのある人だ…。」とある意味尊敬してしまいます。
(私、ほかにやること、いくらでもあるもんですから。)
しかし、テレビやニュースで美智子さま、雅子さま、紀子さまが映し出されれば
「今日の妃殿下のドレスは何色かな~♪」
とつい、目がいってしまいます。
上皇・上皇后陛下の参列する式典に行ったことくらいはあります。
同年代の方は、年金をやりくりし、第二の人生を楽しんでいらっしゃるというのに
80歳を過ぎ、御公務の重圧(下々は何年も前から、両陛下参加式典のために夜も日もなく準備に明け暮れ、穴を開けたり、艱難辛苦の結晶の式典にキズを付けることなど万が一にも許されない)にも負けず、連日びっちりと入る日程を黙々とこなされる。
下々には下々の苦労があるように、高貴な方には、高貴な方なりにお辛いこともあるんだろうなあ…。
あのお年で。よく働かれる。
偉いなあ、すごいなあ、と思わずひれふしたくなってしまった。
見る人がみれば「〇〇式典」への列席、そんなの意味あるのかい? まことにごもっともです。でも、現実に、式典が挙行される。そして皇族の方の行くところ行くところ、ものすごい手間がかかっている。死にたくなるくらいの準備が必要なんです。
そして皇族の方々にお目にかかり、または言葉をかわしたことを、人生のまたとない輝き、思い出としている方々が、実際にいらっしゃるんです。
責任を果たされている。80過ぎて。
それだけが、わたしが上皇・上皇后陛下を尊敬申し上げる理由です。
雅子さまはバッシングされていたのではなかったか
皇后雅子さまはご結婚前は、未来を嘱望された外交官。当時の皇太子さま、今天皇陛下に見初められて皇室入り。
新婚時代はまだ良かったんですが、男子を産んでほしいとの無言の世間の重圧はとてつもなく重い。
そして頭脳明晰だし、キャリアウーマンだったし、外国暮らしも長いし、おそらくははっきりと、自分の意見を口にできる方なんですよね。気も強い。
自分の意見があるいは通らず、押さえこまれ、または尾ひれがついて下々に喧伝される。
美智子さまは初の平民出身だった。ものすごくがんばったんですね。
香淳皇后はおっとりの華族のお姫さまで、あくまでも昭和天皇さまの後ろによりそわれた。
お舅さま、お姑さまの口には出せぬ反感を払拭すべく
人々の中に積極的に出ていく。精力的に御公務をこなす。
…と比較され
段々と国民の前に出ていく機会が減っていく。
愛子さまがお生まれになる前から、20年くらい、一挙手一投足、事あらば隙あらば、
「なぜ公務をこなさないのか」
「公務をなおざりにして、なぜ好き勝手な行動をとるのか」
「なぜ国民の期待に応えないのか」
とバッシングばかりされていた。
ところが。元上皇さまが退位の希望を表明されたあたりから。
バッシングのトーンがあたかも潮が引くかのようにボルテージが下がり、
令和になった途端に、絶賛に次ぐ絶賛。
もちろん、晴れやかな雅子さまのお姿、たくさん見たいです。
代がわりが近づくにつれ、テレビやニュースで雅子さまを目にする機会はめっきり増え
「…御病気だったのではないか。これから続くハードな日程をこなしていただけるのでしょうか」と正直手に汗握る思いだった。
激ほめが、皇后さまのお務めのモチベーションにつながるのであれば、それはそれで大変結構です。
しかしですねえ。
バッシングに次ぐバッシング → 絶賛・激ほめの嵐。
「手の平を返したように」とはまさにこのことではないか。
「舌の根も乾かぬうちに」とはまさにこのことではないのか。
礼賛報道を目に耳にするたびに、皇后さまのドレスを拝見し、同時に
「背筋の凍るような居心地の悪さ」が胸に脳にモヤモヤする。
今褒めるくらいなら、お辛い思いをされていたころに、もう少し、お気持ちによりそう報道がされてきても良さそうなものだと私は思うのですが。
紀子さまは激ほめされていたのではなかったか
そして、紀子さまは今、バッシングの嵐なんですよねえ。
前は、
「雅子さまは働かないのに紀子さまは働いている」
(「働く」はこの場合不適切ではないのかとの意見はさておいといて)
とことある毎に比較され、
がんばっているお姿が持ちあげらていたはすだ。
なのに。
お子様の動向で世論が左右されてしまう。
愛子さまが不登校ぎみだったり激やせしたころは雅子さまがバッシングされ
今は眞子さまと佳子さまの、あくまで自分の意志を貫くスタンス表明で紀子さまがバッシングされている。
(眞子さまと小室圭さんは、ご結婚されたいのであればそれもよろしいのではないでしょうか。
ただ、ことここに至っては、税金を使っての降嫁はできない。
降嫁される高貴な方に群がる人は、良い人ばかりではないはずで。
一平民の余計なお世話ながら、今の状況では手放しでは祝福いたしかねますよね…。)
「厳しい」「きつい」「外向きと内向きの顔が違う」
…、それ、昔からですよね。
何で前にそれ、報道されなかったの?
きつくあたられた人の話は、ずっと前からあったんじゃないの?
まんべんなく報道する気は、はじめからなかったのだろうか。
との素朴なモヤモヤが、
またも胸と脳裏を去来するのです。
激ほめ → 猛烈バッシング
ですからねえ。
報道されていることがどこまで真実を突いているのかをさておき
またもや、今まで
「(。 ・ω・))フムフム 、そうなんですね」
と何も考えずに聞かされてきた話と
まるっきり論調の違う話を、
当たり前のように聞かされる。
背筋が凍ります。
人は一本筋を通さなければいけないのではないか。
自分の思想(というほど大したモノ持ってないけど置いといて)や主義主張を、その時その時の流行に合わせるなど、みっともないではないか。
と思って生きてきたけど。
コロコロ変質しちゃって、いいんでしょうか。
を、通りいっぺんの皇室報道拝見者としては、感じます。
「こうあるべき」にとらわれずに。
大正天皇のお后、貞明皇后は明朗闊達な方で、おっとりの香淳皇后とはタイプが違い、
深窓の香淳皇后のアタマでは「平民が天皇の后になる」のは受け入れがたかった。
美智子上皇后陛下はとにかく頑張られ、御成婚当時はまるまるふっくら愛らしくもお美しかったのが、はためにもお気の毒なほどお痩せになられ、ストレスでお声が出せなくなってしまったこともある。
引き合いに出され、男児をあげられなかった雅子皇后陛下は適応障害にかかってしまった。
紀子さまも、必死で頑張ってこられたのに、思うような結果はでず、ご心労は絶えない。
ここにいていいのだと存在を認め、相手を認める気持ちを表に現す。
成果が出る・出ないにかかわらず存在する価値はある。
成果に結びついていないとしても、言動を見守っていく。
コーチングの初歩の初歩のフレーズが、
またもや脳裏を去来するのです。
人の言うことを鵜呑みにせず。
「こうあるべき」にとらわれずに。
残りの人生、私も、事あることに、胸に唱えていかなければ。