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【画像122枚】ブリジット・バルドーの映画をおすすめ順に紹介してみる。

挑発する肢体。挑発する女。眼差しが、唇が実にセクシー。圧倒的すぎる、強烈な生命力とエネルギーに満ちた官能。BB(ベベ)の愛称で親しまれ、セックスシンボルの王座に君臨し、派手な男性遍歴とともに常に話題を提供し続けた戦後フランスの生んだ最大のスター。おすすめ映画を順番に。エピソードも一緒に。

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素直な悪女 Et Dieu... crea la femme 1956

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ブリジット・バルドーを一気に世界的大スターへと押し上げたシンボリックな作品。原題の意味は「そして神は女を創りたまえり」。ついでに言えばアメリカの宣伝文句は「but the devil invented Brigitte Bardot! 」(しかし悪魔はバルドーを創った!)

南フランスの照り付ける陽光いっぱいの映像美の中、無垢で自由奔放な18才の孤児の女の子に翻弄される男たち。世界制覇を果たした絶頂期のBBを見ましょう。

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愛くるしい、ちょっとすねたような表情、パーフェクト・ボディ! 

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クライマックスは髪を振り乱して踊るダンスシーン! 天涯孤独の女の子が自分の魅力で男性を振り回し、でもそれは砂上の楼閣であることもうすうす気が付いている、との演出上の陰影ある設定にもぬかりはない。

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監督は当時の夫君、ロジェ・ヴァディム(Roger Vadim 1928-2000)。

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ブリジット・バルドー、カトリーヌ・ドヌーヴ(Catherine Deneuve 1943- )、ジェーン・フォンダ(Jane Fonda 1937- )とそうそうたる美人女優をモノにしたプレイボーイで、俺のオンナを見てみろよ、の映画を次々送り出した。

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BBを見出し、世に送り出した。最大の功労者・立役者、だけでも十分歴史に残る。感覚的で天才肌であり、異色の映画を次々世に送り出し、一時代を築いた映画監督であることは間違いない。

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殿方ご免遊ばせ Une parisienne 1957

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原題はズバリ「パリジェンヌ」。ブリジット・バルドー主演のアイドル映画。とってもキュートでセクシーでほほえましいコメディ映画。ブリジット・バルドーは多分、元々のキャラクターは育ちの良い、可愛いお嬢さん。変な男!?に捕まってしまい、ある意味人生は狂わされてしまったけど。

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役柄は大統領の一人娘。映画冒頭が有名ですね。
パリが俯瞰で映し出され、一転、ジャズとスキャットをバックに、真っ赤なスポーツ・カーで凱旋門からシャンゼリゼを飛ばすブリジット・バルドー。交通整理のお巡りさんに微笑みかければお巡りさんはデレデレ。思わずウィンクを返してしまう。

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パパのお付きのイケメンにぞっこんで押しかけて結婚しちゃう。ダンナさまは私をかまってくれない。じゃ、私、浮気しちゃうから!

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目をつけたのは国賓の王子さま(注:年齢は推定ブリジット・バルドーの2倍以上)。絶頂期のブリジット・バルドーなら目を付けたオトコは、たとえすごぉ~い年上であろうとも、難しいお顔をしていても、イチコロです。国を揺るがす危険な恋!?の結末は!? そして終わりはお決まりのハッピーエンド。

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アイドル映画であり、風俗映画であり、撮影当時のフランスとパリと上流階級と、ブリジット・バルドーとブリジット・バルドーのファッションや言葉や仕草を見ているだけで、とっても幸せになれる映画です。

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気分を出してもう一度 Voulez-vous danser avec moi? 1959

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「殿方ご免遊ばせ」と同じくミシェル・ボワロン監督(Michel Boisrond 1921-2002)、相手役アンリ・ヴィダル (Henri Vidal 1919–1959)とブリジット・バルドーが組んだ映画。
ボワロン監督は可愛い女優さんのスイートなライトコメディー作品の多い職人監督で、アンリ・ヴィダルは当時男性版セックスシンボルといわれた甘いイケメン俳優。絵になるふたりはゴールデンカップルととなり、共演を重ねたものの、ヴィダルは早逝してしまい(心筋梗塞で40歳で死去)印象がやや薄い。2人の共演作品はこの映画が最後。

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物語は、アツアツの若夫婦、ダーリンが殺人の容疑者になっちゃった。愛する彼の無実を、私、証明するわ! とブリジット・バルドーがにわか素人探偵になって事件に挑む!ダンス教室に教師になって潜入、最大の見せ場はもちろん、ダンスシーン!

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セクシー美女はコメディでこそ映える。かしこまった"お芸術"の映画も良いけど、ブリジット・バルドーなり、MMなり、そのものを愛でるのであれば、コメディですよ!
ブリジット・バルドーは明るく、溌剌、そしてキュートでセクシー。ウエストが細くて胸が大きくて足が綺麗。若々しくて、めちゃめちゃ可愛い!!

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のコメディエンヌとしての才能爆発! ストーリーも分かりやすく、気楽に観ることができる、絶頂期の魅力に溢れた映画。

 

ブリジット・バルドーそのものを愛するファンであれば、この3作。

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そして稀代の時代のセックスシンボル・アイコンは、あまたの映画作家にインスピレーションをもたらした。世界の超一流の映画監督が最高のスタッフ、最高の共演者をそろえ、「ぜひブリジット・バルドーを」と三顧の礼を持って自らの作品に迎え入れるのです。

 

 

【コラム①】愛くるしいのパリジェンヌから世紀のセックスシンボルへ

人気スターになるまで

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愛称BB(ベベ)はブリジット・バルドーのイニシャルであり「赤ちゃん」のフランス語は「ベベ」。

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恥ずかしがり屋の赤面症の女の子は 「ブリジット、あなたはみんなが期待しているあなたのイメージのとおりにふるまうのよ。人を人と思わず、セクシーで、チャレンジする。反抗し続けるおてんば娘、モラルなど意に介さず、自由奔放に振る舞うのよ。」と自分に言い聞かせ、人前に出て行った。

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ブリジット・バルドーと言えば、「素直な悪女」に始まる、映画館の巨大な横長のシネマスコープ画面いっぱいに登場した、南フランスの浜辺で寝そべる輝くような若い肢体。息つく暇もないやれ誰とくっついた、誰を捨てたのゴシップ。キャリア後期の強烈な、古代エジプトや猫の目を彷彿とさせる強い黒いアイライン。

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トップスターの座に着いた当時、「素直な悪女」が大ヒットした頃のブリジット・バルドーは、22才で、世にも愛くるしいパリジェンヌ。初期のメイクはアイラインはごく薄く、ほっぺがしっかり膨らんでいる。唇もぽってり・ぷっくり突き出していて、地顔がすねているかのよう。前歯の間が空いている独特の歯並びが、ビーバーみたいで、野生を感じさせた。美人というより、ちょっと男の子みたいな、活発でいたずらっ子みたいな女の子。そして乙女のはじらいも初々しさもきちんと押さえている。品がよくて可愛らしい。

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もともとはバレリーナ志望のボディはダイナマイト級。身長は170cmでスリーサイズB90W49H89。ウエストを絞るタイプの服を着ると細さに目を奪われてしまう。そしてコットンのギャザースカートなんて合わせる。一見、セックスシンボルにはちょっとそぐわない可愛い服ばかり着ていましたね。そしてシャンペン・コメディー、軽くて甘くてさわやかな歌あり踊りあり乱闘ありの映画がたくさんある。

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バストはまん丸で突き出していてちょっとハト胸気味。デコルテにもほどよく肉がついていて肉感的で、二の腕にもわりとしっかりと筋肉がついて脂肪が乗っている。ヒップも丸くて形がよくて、しなやかで形の良い脚線美。太ももにもふくらはぎにも、つくところにはつき、足首はあくまで細い。

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観客サービス、おおかたの映画にはBBボディを見せていただけるシーンは用意されている。それでも、1950~60年代の映画なので、「素直な悪女」だって冒頭の全裸での日光浴シーンとスカートをまくり上げてのマンボ、肝心の!?ベッドシーンだってちょっとしかない。

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シャワーを浴びている間電話が鳴る。急いでタオルをとって胸だけ隠して飛び出したブリジット・バルドーの前にピストルが突き付けられ、思わず手を挙げた拍子にタオルが滑り落ちる。

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そしてタオルが落ちる瞬間にカメラはお尻の方からのアングルに切り替わる、ってな具合。お尻がチャームポイントなのでバックヌードが多い。目のやり場に困るシーンなどはさほどない。

 

ブリジット・バルドーの魅力

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とにかく圧倒的に愛らしくて可愛くてキュートでエロくてセクシー。「清純派」ではもちろんないけど、セックスアピールはレーザービームみたいに強烈。

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ひまわりみたいに、天照大神の来迎みたいに、ブリジット・バルドーがスクリーンに現れると金色のオーラが発光して背後からスパークして観客のハートを貫く「お転婆セクシー派」。

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本当に輝くばかりの美しさ。「コケティッシュ」と「小悪魔」がよく出てくるキーワード。

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ベビーフェイスで元気がよくて、自由奔放、笑顔がまぶしく 。

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横から見ると唇が出ていて口角がキュっと上がって、「へ」の字で、いつも不平を言っているみたいなところがまたかわいい 。

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自然体で無邪気で奔放でのびやかで愛くるしくて大胆。溌剌としていて、媚びるところが全くなく、自分に素直。で果てしなく、セクシーカッコイイ!! のです。

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現実にこんな女の子が隣にいたら、男性は好きになってもまばゆくて、呆然と見つめることしかできないかも。まさに女の中の女。

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そしてこの女の子は注目度と露出度がすごい。可愛い顔してやることがすごい。

 

 

奔放な私生活

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18歳で両親の反対を押し切って結婚したのに、夫の初監督の映画撮影現場では乱交状態、しまいには共演男優と駆け落ちする。波風が収まるかおさまらないかのうちに次の男と関係を結んでしまう。前の男に現場を取り押さえられると黙って震えている。との同じパターンが何回も何回も繰り返される。自分が結婚していようがいまいが、相手が既婚者だろうがおかまいなし。合間には、単発的な情事が入り交じり、のめり込んでの自殺未遂、相手の男もブリジット・バルドーに捨てられたショックで自殺未遂。

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切っても振っても、男たちは次から次へと現れ、生ける女神にかしづき、女王の心変わりを思い知らされ、泣く泣くブリジット・バルドーの前から去っていく。おまけに一部始終はパパラッチが追いかけまわし逐一世界に報道されてしまう。手に入れた南仏サントロペの別荘で照り付ける陽光の下、水上スキーを楽しみ男をとっかえひっかえする「サントロペの人魚」とうたわれた。

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並の人間なら、「性的にだらしがない」「自堕落」で片付けられてしまいそう。天罰がくだって当然のレベル。

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なので、当然アンチも多かった。哲学者シモーヌ・ド・ボーヴォワール (Simone de Beauvoir 1908-1986) や面識のあった女流作家マルグリット・デュラス(Marguerite Duras 1914-1996)からはインテリらしく、上から目線の皮肉まじりのお言葉を賜り、「あばずれ、売女、目を抉り出してやる。死んでしまえ」と女にフォークで襲われたこともある。(幸い大事にはいたらなかったが事件は未解決。このエピソードは後に映画「私生活」に取り入れられた。)

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力なく擁護させていただきますと、男性なら、ここまでセンセーショナルな取扱い、されなかったはずだ。

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さらにヴァディム監督と結婚するまではおとなしい、容姿に自信のない女の子だった。「かくて男が、女を変え、磨きあげた」。過激な思想を少女にすりこみ、両親が医者か弁護士と結婚させたがっていた良家の子女は、男によって変えさせられてしまった。

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ただし猛烈に働いたことは間違いない。

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そして男出入りの激しい人は、ややもすれば短命の人が多い。酒・タバコ・男・クスリはたいがいセットになっていて(繊細で神経が細くストレスにさらされ、依存してしまう)ことにクスリは命をむしばむ。エディット・ピアフ(Édith Piaf 1915-1963)しかり。マリリン・モンロー(Marilyn Monroe 1926-1962)しかり。ジュディ・ガーランド(Judy Garland 1922-1969)しかり。

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男とは手当たり次第に寝て堕胎はあったし、避妊に失敗して産んだ子に愛情が持てず早々に別れた夫に引き渡してしまった一方、性病にかかった形跡はなく(1980年代後半あたりだと主に男性アーチストが次々をHIV感染で命を落とした)、またバイセクシャルの噂はない。クスリも噂もきかない。そして80歳をこえた今なお、健康である。健在である。

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さらに、お金や権力にまったくもって興味がない(ハリウッドの誘いもあっさり蹴った)。男と付き合うのに、下心や野心が全くない。時の巨匠はBBにインスパイアされ、次々とBBをイメージし、映画を作る。「可愛い悪魔」や「真実」では目的を持ち、男を誘惑する貧しい少女を演じているのですが、一生懸命演じているのはけなげではあるものの、不似合いである。なじめない。キャラクターに合っていない。BBは「金持ちのわがまま娘」が似合うのです。

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さらにBB本人は、自分の行動に、全然罪悪感がないんですね。あっけらかんとしている。恋したら、好きになったら、火花が散れば本能のままに従うのは当然じゃない。飽きたら次を、強気の言動。男前です。マリリン・モンローは「夜寝る時は何をつけて眠りますか。」の質問に、「シャネルの5番。」と答えた。BBの答えは「恋人の腕」。

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男性遍歴を繰り返したのは、モテすぎたのもありますが、ロマンチストでもあったのでしょう。純粋で思い込みが強く強烈な自我と反抗心を持っている。一歩間違うと神に仕えてしまったりしそうなタイプ。引退後、動物愛護に燃えるのもむべなるかな、です。

 

 

ブリジット・バルドーの現在

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いい? 私は相手(の男)ととってもてっとり早くいい関係になるわ。
でも、2人の間にときめきがなくなったら? 一巻の終わりよ。

と豪語できたのは、せいぜい、30代まで。

セクシーなおてんば娘、セックスシンボル、男あさり、恐るべき危険な娘は老いつつある。

と語り、1973年、40歳で芸能活動からは引退してしまった。自分の役柄をわきまえ、潔く身を引いたと取れないこともない。そして世界的なネームバリューを活かし、現役時代から熱心だった動物保護の分野で活躍している。

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  • 私財を投じ、または現役時代の服やグッズをオークションで売って動物保護の費用にあてる
  • 食肉用の家畜の殺し方が残酷だと告発する。
    努力は実り!?フランスの屠殺の規制は厳しくなった。
  • アザラシの皮を取るための屠殺も大騒ぎして政府も問題解決に腰を上げた。
  • デザイナーに毛皮を使わないよう要請し
  • 病気の(疑いのある)象を守れ、!と大騒ぎし、政府から回答がないとフランス国籍を捨てる、と爆弾発言する、

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と、過激なお嬢さまぶりと尽きぬエネルギーは変わっていない。私などはなぜ子どもに愛情を感じられず、動物が辛い目に合うのが我慢できないのかがよくわからないのですが。現在も「ブリジット・バルドー」の名前のブログでは保護活動が紹介され、動画投稿にも熱心。

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問題を見つけると現れ、その都度政府を相手に臆せず発言・行動を繰り返している。

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正直、フランスでは度重なる過激な行動に「困った人だ」の見方が定着してしまっている。近影なども時折日本でも目にしますが、見方は必ずしも優しくなく、取材する側の意図が透けて見えますね。

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軽蔑 Le Mépris 1963

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ブリジット・バルドーの見た目の美しさでいけば、この映画あたりがギリギリ。女優は年を取れば転機を迫られる。ブリジット・バルドーはスクリーンから姿を消すことを選んだ。演技派や母親役となることを潔しとしなかった。

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映画にさまざまな革新をもたらしたヌーヴェル・バーグの巨匠、「勝手にしやがれ À bout de souffle、 1959)」のジャン=リュック・ゴダール (Jean-Luc Godard 1930- )監督作品で、ゴダール監督の代表作の一つにも数えられている歴史的名作。ゴダールの映画は難解で有名であり、「軽蔑」は初期の作品で、わかりやすい方。

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ささいなきっかけで夫への妻の軽蔑が始まる。夫はその理由が分からない。原因は最後まで語られることはなく、余韻だけが残される。夫婦の無常感漂う不条理な愛の終わりと悲劇的な結末。夫は脚本家、

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妻は女優なので、映画作りが平行して描かれる。イタリアとフランスの合作映画のため、撮影はイタリアで行われ、ロケは「青の洞窟」のあるカプリ島。 見せ場は冒頭、裸でベッドに横たわり、相手役のミシェル・ピコリ(Michel Piccoli 1925- )との延々と続く睦言。白いふかふかの絨毯に全裸でうつ伏せに横たわるブリジット・バルドーが(頭が画面手前で足は奥にある)ゆっくりと顔を上げてカメを見つめるイメージ・ショットなど。

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ゴダールらしい演出と督ラウール・クタール(Raoul Coutard 1924-2016)の撮影監督による映像美を堪能しましょう。ジョルジュ・ドルリュー(Georges Delerue 1925-1992)の音楽もお忘れなく。1960年代を満喫できる贅沢な映画。

 

 

私生活 Vie privée 1962

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ブリジット・バルドーはセックスシンボルだし、プライベートもネタには事欠かない。当然大スターとなってからはパパラッチに追いかけまわされる。常にファンやメディアの目に晒され、気の休まることのない日々…。

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をそのまま、映画の役柄に重ね合わせたのは「死刑台のエレベーター (Ascenseur pour l'échafaud 1958)」のルイ・マル(Louis Malle 1932-1995)監督。共演もイタリアの大御所二枚目、マルチェロ・マストロヤンニ(Marcello Mastroianni 1924-1996)なので、主演女優・主演男優ともフェロモンたっぷり。

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パリでコーラスガールから人気映画女優へとのぼりつめたヒロイン・ジルは、大衆の目から逃れ、生まれ故郷のレマン湖畔に隠遁する。

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かつての恋人だった舞台演出家との愛の日々。ジルを見つけた!と殺到する群衆。恋人の舞台に出ることができない。開幕の日、せめて舞台を一目見ようと劇場に向かう。バルコニーから身をのり出した瞬間、報道陣のフラッシュが一斉に飛ぶ。驚いたジルは転落死してしまう。

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ラストの、死へのダイビングをあくまで美しくとらえたシーンが印象的。大スター、ブリジット・バルドーとヒロインのジルはどこまでもオーバーラップ。誰もがブリジット・バルドーの素顔と日常を、スクリーンの姿に重ねたのでしょう。抒情性豊かな美しい映像をご覧あれ。

 

 

可愛い悪魔 En cas de malheur 1958

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「肉体の悪魔」(Le Diable au corps 1947)のクロード・オータン=ララ(Claude Autant-Lara 1901-2000)監督作品。

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共演はフランス映画界の大御所「望郷 (Pépé le Moko 1937)」のジャン・ギャバン(Jean Gabin 1904-1976)と「双頭の鷲(L'Aigle a Deux Tetes 1947)」エドウィージュ・フィエール(Edwige Feuillère 1907-1998)、と名前を聞いただけで卒倒しそう。

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功成り名遂げた初老の弁護士さんが、若く性的魅力いっぱいの若い泥棒娘に誘惑され、溺れ、翻弄されてしまう。お屋敷と女中を与え、毛皮と宝石を雨あられと降らせても、娘は助けてくれた恩人に恩義の気持ちなどかけらもなく、若く貧しい医学生との逢瀬を続け、嫉妬から医学生に殺されてしまう。

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と役柄は小悪魔系・悪女、ファム・ファタールと肉体派女優・セックスシンボル女優の典型的キャラクター、犯罪映画の王道を行く作品であり、ジャン・ギャバンを相手に男を惑わす小娘の役を臆せずにのびのびと演じきった度胸は大したもの。

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ブリジット・バルドーはロリータ・コンプレックスの極みのようなあどけなさと、男が自分の人生を棒に振るとうすうす感じていても、なお焦がれずにいられないる妖しさを放つ。
名シーンは、当然、コメディ作品の続いたBBが一転して「使えなくなる前に(留置場に入れられる前に)使って」とギャバンの前で脚(とそれ以上)を見せ、誘惑するシーン!

 

 

【コラム②】ブリジット・バルドーのファッション・ヘア・メイク

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ファッション

ブルネット~初期の愛くるしいパリジェンヌ路線から、徐々に髪をブロンドに染め変え、強いアイメイクが定着するころのブリジット・バルドーの女ぶりは、照りが加わり、乗りに乗ってる。

ブリジット・バルドーは演技しない。ブリジット・バルドーはただ存在するのだ。

と語ったのはヴァディム監督。どの映画もどの映画もBBが出れば「BBの映画」になってしまう。

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ブリジット・バルドーの着る衣装には、かしこまった服装が少ない、イブニングドレス・パーティドレス・ スーツの類いですね。デザイナーやクチュリエの名前が一緒に出ることが少ない。

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もちろんデザイナーを使うことはあるけど、デザイナー当人に言わせれば、BBの言うなりに服作っているだけなのだと語る。

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宝石やオートクチュールには興味がない。お金に不自由したことのないお嬢様育ちらしい。下積みの長いたたき上げの女優からは決して出てこない言葉。若さと自分のデコルテが最高のアクセサリーであり、宝石はいらない。潔い。はっきりしている。

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何気なニットだったり、ジーンズだったり、ビックシルエットのTシャツだったりボーダーだったり。どこにでも売っているような町のぶらさがりにしか見えない服ばかりを、ブリジット・バルドーは選んで持ってくる。そして自分流に着こなしてしまう。実はオードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn 1929-1993)を真似るより、グレース・ケリー(Grace Kelly 1929-1982)を真似るより、BBを真似ることは難しい。

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髪がポニーテールのブルネットから光輝くブロンドがまばゆい、いわゆる「お転婆パリジェンヌ時代」は、大スターの威厳やオーラどころか、カジュアルでとにかく可愛い服ばかり着ている。

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コットンのギンガムチェックがお気に入りで2度目の結婚式のピンクのギンガクチェックのドレス、「気分を出してもう一度」の名高いダンスのマンボシーンはブル ーのギンガクチェックのスカート。スカートをふんわりと膨らませるためにボリュームの出るコットンのペチコートを履いている。

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スカートの裾から覗くコットンレースのフリフリがまたかわいい。バストとヒップを見せて観客サービスをしなければ始まらないのでセーターもカーディーガンピタピタでボディラインを見せる、49㎝と言われた細いウエストできっちり締めて、フット・アンド・フレアでスカートを花のように。裾が拡がったデザインは、お嬢様感満点!

 

数少ないブリジット・バルドーのブランドストーリーは

レペット Repetto

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フランスのダンスウェアのブランド。トウシューズなどが本領で、ヌレエフもベジャールもバリシニコフも御用達。ブリジット・バルドーはもともとはバレリーナを目指していた。御愛用はバレエ シューズで動きやすく愛らしい。幅広のぺたんこ靴で、リボンをあしらった赤い靴「サンドリオン」。

日本でも買えます。素材も革・エナメル・布・ファーと幅広く展開。

 

ピエール・バルマン Pierre Balmain(エリザベス女王とマリリンモンローつき)

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1956年10月「素直な悪女」で世界的人気スターとなり、ブリジット・バルドーはエリザベス女王への拝謁が許された。この時のドレスはピエール・バルマン。オートクチュールのドレスの値段を聞いて卒倒しそうになった新人女優に衣装を提供してくれた。淡いピンクのレースとリボンをあしらったドレ スは、ラブリー♪ 珍しくイアリングもつけていますね。

前日のリハーサルの時にバッキンガム宮殿で着ていたのもピエール・バルマンのもので、コブラン織りを連想させる大きなペイズリー模様のマオカラーのチャイナドレス。限りなくボディコンシャスなドレスで、…着て、動いてきつくないのか、見ていて心配になってくる。

マリリン・モンローも同じく招かれており、アメリカのセックスシンボルとフランスのセックスシンボルが激突! 化粧室も同じ部屋! モンローは「バス停留所」(Bus Stop 1956)の頃でまさに頂点・絶頂期。はブリジット・バルドー日の出の勢いの新人女優…。ブリジット・バルドーはあこがれの人を間近に見て、ひと言、ふた言言葉を交わし、水蜜桃のような触れなば落ちん風情のモンローの美しさを、目に焼き付け生涯胸に刻んだ。

 

トロペジェンヌ Tropezienne

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ブリジット・バルドーが名付けたスイーツ。ケーキ。

もともとはポーランドの郷土菓子だったものを南フランスのリゾート地、サントロペに移住してきたポーランド人のパン屋さんが作ったのがはじまり。 丸型のブリオッシュ生地に、カスタードクリームっぽいクリームをはさみ、粉砂糖を振りかけ、ケーキ型に切り分ける。素朴・シンプルなスイーツ。

「パリジェンヌ」をもじって「トロペジェンヌ」。今やサントロペを代表する名物スイーツ。

本場のトロペジェンヌはケーキ型にカットされていますがブリオッシュを買ってきて間にカスタードクリームをはさみ、粉砂糖をふりかければとりあえずトロペジェンヌ。

作り方はシンプルなので、日本でもフランスでも、BBが食べたのであろうお菓子、いただけますね。

本家本元本舗サントロペのクリームはムース・イン・クリームという。味わってみたい。

 

そして30の坂を越えたあたりから顔が変わってくる。頬の肉が落ちて顔が細くなり、少しスリムになって肩のラインやアゴのラインが細くなる。

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30代のブリジット・バルドーは、きれいなことはキレイ、可愛いことはかわいい、かっこいいのも変わらないのですが、年をとってくる。ことに近くで見ると肌が乾燥してきて、ツヤがなくなり、小じわが見え、アイラインがますますどぎつくなる。

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大きな隈取りのメイクで現代の自由と反抗の象徴、美神、現代のミューズのオーラが輝きわたったころのファッションは、カッコいいんだなあ。3度めの結婚式のウェディングドレスは、白のレースのミニスカート丈のレースのワンピース・白いブーツにウェディングベール。スナップなどはパーティーはパーティでもセレブの集まる宮殿や劇場のパーティーではなく、若さとエネルギーの渦巻くクラブでのパーティーだったりする。

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着ている服はドレスではなくヒッピーだったりサイケデリックだったり。若い男を引き連れて歩くプリント柄のミニワンピースやホットパンツに足元は素足で脚線美が映える。

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セルジュ・ゲンズブール作曲の「ハーレーダビットソン」のジャケットフォトのライダースルックは決まりすぎだし、ゲンズブールと2人で「ボニーとクライド」に扮した大恐慌時代のスリムラインのコスチューム・プレイも、よくもここまで極上の自分がイメージして作り上げることのできる素材を見つけたものだ、感が去らない。

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「ラムの大通り」(Boulevard du Rhum 1971)でサイレント時代の映画スターに扮して見せたフラッパースタイルの衣装や、「ビバ! マリア」(Viva Maria! 1965)の色鮮やかなコスチューム・プレイのドレスの数々も見もののひとつ。

背筋を伸ばして颯爽と歩くファッショナブルな姿には凄みがある。

 

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メイクのポイント

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一目瞭然、キャットメイクととがった唇がポイント。

目の周りを濃いアイラインで囲み、目尻を大胆に長くして跳ね上げる。強いまなざしを演出。もちろんマスカラもボリュームタイプを忘れずに。

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リップはぼってりと。ぷるんと潤んだように。

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BBの、子どもが口をとんがらせているかのような唇は、たまらなくエロティックでキュート。マネするなら「上唇」をどれだけボリューミーに形作れるかが分かれ目。リップペンシルで唇の形をオーバーライン気味に取る、ティントリップでウルウルさせるなど、使えるテクは駆使しましょう。

アイメイクで視線を集め、唇は艶やかに。

 

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一方、ベースメイクは限りなくナチュラルに。

 

ヘアスタイルとヘアアレンジ

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もともとはブルネット。後にブロンドに染める。

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洗いっぱなし感がある。くしゃくしゃ・ぐしゃぐしゃ。画像みても「かさかさなのでは」とか思ったりして。かすかに動いてサラサラ~っと髪がなびく風情とはほど遠い。

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言われてみれば、カッチリセットされた髪では時と場所によっては不自然です。自由と奔放を貫くスタイルを押し通してきたてきたBBにとっては無造作なくしゃくしゃ髪のブロンドはまことに似つかわしい。実は手抜きどころか周到に計算されつくされ、考え抜かれているヘアスタイルなのです。

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「崩す」・「はずす」ヘアスタイル。ブルネットの頃のポニーテールスタイル、ブロンドになってから前髪をおろし、逆毛を立て、おくれ毛をあえて見せ、顔回りにニュアンスを持たせたダウンスタイルやハーフアップスタイル、ふんわりと後れ毛を意識したアップスタイル、つけ毛とトップにあしらったボリューミーなスタイル、大きめのリボンをつけたふわふわのおさげ髪、幅広のターバン・バンダナをあしらった「軽蔑」のヘアスタイルなどが浮かんできますね。キャリア前半はガーリー路線。

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キャリア後半になるど、ブロンドの髪のボリュームをタイトに、量を減らしたストレートで毛先を薄くすいたヘアスタイルでボヘミアン路線。

 

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真実 La vérité 1960

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フランスのヒッチコックと称される「悪魔のような女  Les Diaboliques 1955)」のアンリ=ジョルジュ・クルーゾー(Henri-Georges Clouzot 1907- 1977)監督作品。

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クルーゾー監督は「愛の地獄」を描く監督でもある。男の気を引いて、さんざんじらしたあげく別れてしまう。彼が結婚すると聞いて、やっと彼を本当に愛していたことに気づき、結婚式の日、彼を撃って自分も後を追うつもりだったけどできなかった。法廷で涙ながらに真実を語り、看守の目を盗んで自殺を遂げる…。
とあらすじだけ書けばなに一つ共感できませんが…。

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前半は天真爛漫でコケティッシュ、後半は愚かで悲しい女。誘惑を繰り返すシーンや真実の愛を知るシーン、法廷シーン、ラストシーンと、演技者としてのブリジット・バルドーの見せ場が多い作品。

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映画さながらに映画づくりの現場も恋模様はもつれにもつれ、(いつものことですが)ブリジット・バルドーは撮影中、夫がいるのに共演者に熱を上げる、クルーゾー監督もブリジット・バルドーに夢中になり、奥様(女優ヴェラ・クルーゾー(Véra Clouzot 1913-1960))は心労のあまり急死(心臓発作とも服毒自殺とも)。ブリジット・バルドーも手首を切って自殺未遂…(このエピソードが「私生活」に取り入れられた)。とのスキャンダルでも有名な映画です。

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【コラム③】ブリジット・バルドーの華麗すぎる男性遍歴

ロジェ・ヴァディム(Roger Vadim 1928-2000)

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亡命ロシア貴族の父を持ち、映画の助監督として当時雑誌「エル」の表紙で出た無名のブリジット・バルドーと初対面(1951年)。ヴァディムはバルドー家に足しげく通い、1953年、18歳のブリジッド・バルドーは25歳のロジェ・ヴァディムと結婚。最初バルドーの両親は反対したがブリジットはガス自殺を図り、驚いて結婚を許したとのエピソードつき。ヴァディムは俳優、カメラリポーター、映画宣伝マンのキャリアもあった。結婚後「男はブロンドの女に夢を賭けるんだ」とBBのブルネットをブロンドに染めさせ、「家の中は、裸でいること。」と命令!? した。うぶな恥ずかしがりやの女の子は、イケメンで高貴な血筋、ちょっとワルで、繊細でおしゃれで憂いもあり、自信家の男によって「女」になり、ヴァディムはブリジット・バルドーの売り込みに奔走する。映画初監督の「素直な悪女」(Et Dieu... créa la femme(かくて神は女を造り給えり) 1956)は思わせぶりな絶妙な原題、さすが惚れて作っただけにこれがBBだ、と言える最初の映画となった。本国フランスでは不発だったものの、アメリカで爆発的ヒットを飛ばし、ヴァディムとブリジット・バルドーは一気に時の人に上り詰める。しかしブリジット・バルドーは「素直な悪女」撮影中、共演のジャン=ルイ・トランティニャンと駆け落ちしてしまう。1957年離婚。

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いい女は片っ端からモノにしてしまう超ド級のプレイボーイとして鳴らし、自分の奥さんを、女を主演にひたすら映し出し、美しさを愛でる、世界に見せつける。と見ようによってはとってもイヤな奴。後年かつての妻たちとのことを本に書いたりして(「我が妻バルドー、ドヌーブ、J・フォンダ」(1987) 、素顔は優しくマメで照れずに好きな気持ちを愛する女に注ぎ続け、別れた女性にリスペクトを忘れない人柄であったことが伝わってくる。(以上をアピールしたかったのだという説もある)

一方、才気に研ぎ澄まされた映像美は評価されている。一時代を築いた耽美派の映画監督でもありました。代表作は他に「大運河」 (Sait-on jamais... 1957)「血とバラ」(Blood and Roses 1960)、美人・セクシーな顔とボディと映像をを堪能したいなら三番目の奥さん、ジェーン・フォンダ主演の「バーバレラ」(Barbarella, Queen of the Galaxy  1967)。フランス映画界きっての端正な二枚目、ジェラール・フィリップ(Gérard Philipe 1922-1959)の遺作、18世紀の退廃を1950年代に置き換えた「危険な関係」(Les Liaisons Dangereuses 1959)など。

 

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ジャン=ルイ・トランティニャン(Jean-Louis Trintignant 1930- )

BBに出会えたのはトランティニャンにとって僥倖というべきかとんだ災難だったというべきか。新婚のきれいな奥さま(女優のステファーヌ・オードラン(Stéphane Audran 1932-2018)がいたのに、映画「素直な悪女」に出演し、メガホンを向ける相手役の夫で監督のロジェ・ヴァディムの目の前で、ダブル不倫のブリジット・バルドーとトランティニャンは恋に落ちた。手に手をとって駆け落ちしたまではよかったけれど、ブリジット・バルドーは次の男に目移りして(ジルベール・ベコー)家に連れ込んだところでトランティニャンとハチ合わせ。男のプライドを踏みにじられたトランティニャンは激怒してブリジット・バルドーから去って行った。

ワイルドでセクシーで、そして知性派・名優。代表作は”シャバダ、シャバダバダ、シャバダバダ…………🎵🎵🎵🎵🎵”のテーマソングと共にフランス映画の金字塔「男と女」(Un homme et une femme 1966)、極悪殺人鬼を演じて主演アラン・ドロン(Alain Delon 1935- )を喰いまくった「フリックストーリー」(Flic Story 1975)など。フィルモグラフィーは途絶えることなく、今なおフランス映画の重鎮として君臨し続ける。

 

この映画で注目を集め一躍世界のミューズになったがジャン=ルイとのスキャンダルで「自堕落な女」「自由気まま」と形容されるようになってしまった。

 

ジャン=ルイが徴兵される。後にフランス大統領となるフランソワ・ミッテラン(François Mitterrand 1916-1996)に呼び出され、手をしゃぶられながら「私と寝ればジャンを安全な場所に配置してあげるんだけど」 と要求される。(ああ、時代…今こんなことしたら政治生命は一貫の終わり…。)ブリジット・バルドーは…怒りに震えて一切応じず。

 

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グスターヴォ・ロホ(Gustavo Rojo 1923-2017)

母親はスペイン人で作家のメルセデス・ピント(Mercedes Pinto 1883-1976)。ルイス・ブニュエル(Luis Buñuel 1900-1983)監督はピントの作品を映画化したこともある。母の亡命によりメキシコに育つ。後にハリウッドのターザン映画に出演したほどの肉体美を誇る甘いラテン系・スペイン系二枚目俳優となり、キューバ映画でデビュー。メキシコ映画やテレビを中心に100本以上の作品に出演し、97歳で亡くなるまで、第一線で活躍した国際的スター。映画撮影のためにスペインに滞在中、ブリジット・バルドーも「月夜の宝石」(Les Bijoutiers du clair de lune 1958)ロケのため、マドリードに来ていた。バーで出会う2人。ロホはブリジット・バルドーに見初められる。妻を亡くしたばかりで、はじめは及び腰だったけれど。逢瀬を重ねるようになる。ブリジット・バルドーのロケ隊はトレモリノスに移動する。一緒に来て、と頼まれたけど、仕事があるから、と断った。次の日、ブリジット・バルドーから電報が届く。「来て。」「私は23歳だった。誘惑に負けてしまいました(笑)。誰がBBに抵抗できます? 」私たちは数週間、熱い時間を過ごしました。との告白が残っています。

 

(鉢合わせのトランティニャンとベコーの間にロホが入るの?と思われた方、ごもっともです。でも入るんです。ロホ。だって、BBですから)

 

ジルベール・ベコー(Gilbert Bécaud 1927-2001)

フランスの誇るシンガーソングライターの一人。2人の出会いはテレビ番組での共演。 で、共演中に恋におちてしまう。

(で、上に書いたベコーを家に連れ込んでトランティニャンとのバトルが来る)

ベコーには最初から妻子がいる。ブリジット・バルドーは一人で待っていなければならない。

マスコミは2人の仲を嗅ぎつけ、あることないことを書きたてられ、ブリジット・バルドーは神経が参ってしまい、睡眠薬とリストカットで自殺を図るが、ベコーが駆け込んできて命はとりとめた。その後、二人の仲は自然消滅。

BBに振り回されちゃってかわいそう。との見方もあるかもしれませんが、ベコーは結婚は早いし、ブリジット・バルドーと浮気はする。後輩(クロード・フランソワ(Claude François 1939-1978))の奥さんのジャネット・ウーラコット(Janet Woollacott 1939-2011)は夫を捨ててベコーの元に走る。糟糠の妻と離婚してモデルさんと結婚する。と華やかな恋愛遍歴。

歌手としてはパリのオランピア劇場での公演を続け、その精力的なパフォーマンスからついたキャッチコピーは「ムッシュ10万ボルト」。紺地に水玉模様のネクタイがトレードマーク。ヒット曲は「ナタリー (Nathalie)」と「そして今は (Et Maintenant)」など。。

 

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ラフ・ヴァローネ(Raf Vallone 1916-2002)

弁護士の息子で大学で法律で哲学を学び、サッカーはプロはだしでセミプロリーグで優勝したこともある。文武両道のワイルドでゴツゴツ・野性的なセックスアピール抜群のイタリア人俳優。

代表作はイタリアン・ネオレアリズモの傑作「にがい米」(Riso amaro 1949)にはじまって「ふたりの女」(La Ciociara 1960)、「エル・シド」(El Cid 1961)、「ゴッドファーザー PART III」(The Godfather Part III 1990)とスケールの大きい国際派。

結婚はしていたけど、超大物スターはブリジット・バルドーを夕食に誘い、BBは応じた。数回会った様子です。でも2人のロマンスのエピソードは、ここでおしまい。ヴァローネは妻子の元に戻っていった。

 

サッシャ・ディステル(Sacha Distel 1933-2004)

ディステルの無名時代、二人は出会う。ブリジット・バルドーのスタンド・インの女の子の恋人。サントロペのナイトクラブ『トロピカーナ』でギターを弾いて歌っていた頃。野心に燃える青年はスタンド・インより本物だ、と猛アタックをかけ、晴れてブリジット・バルドーの恋人の座を獲得する。ブリジット・バルドーを連れ回し、友人のカメラマンや新聞記者を呼んで写真を撮らせた。

しかし2人の恋は長く続かず、というかディステルはブリジット・バルドーにプロポーズしたけど断られてしまい、2人の関係は終わってしまう。

とっかかりはBBだったかもしれない。けれどディステルはブリジット・バルドーと別れてからもヒット曲を続けて飛ばし、テレビ出演を精力的にこなし、各国語で歌った曲を次々とリリース。国境を越えて活躍し、新時代のギタリストとして大成した。

 

ジャック・シャリエ(Jacques Charrier 1936- )

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「バベット戦争へ行く」(Babette s'en va-t-en guerre 1959)でBBの相手役に抜擢されたのが、当時日の出の勢いだった美男の新進スター、ジャック・シャリエ。(また)共演するうち、二人は恋に落ちる。

そしてサッシャ・ディステルとも切れていない。しかしジャックも好き、と(また)ヴァディムとトランティニャンの時と同じく、2人の男がブリジット・バルドーを間ににらみ合うシチュエーションになってしまう。

前回はブリジット・バルドーの家で、今回はレストランでディステル(先カレ・ミュージシャン)はシャリエ(後カレ、俳優)とブリジット・バルドーに鉢合わせ、暴力沙汰になり、後カレ、ジャックが勝利した。

子どもができた。ブリジット・バルドーは何回か極秘で堕胎している。当時堕胎は非合法であり、妊娠した世界的な大スターの堕胎を引き受ける医者はいなかったため、2人は結婚。ブリジット・バルドーの唯一の子ども、

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ニコラス・ジャックス・シャリエ(Nicolas-Jacques Charrier 1960-)を授かるも、息子に対する愛情はなく、離婚が決まり、BBは親権をあっさり手放した。後に自伝を出し、正直に、どこまでも正直に「子どもに愛情を持てない」と書くもんだから息子は傷つき、憤慨し訴訟を起こしたというおまけ付き。 シャリエにはDVの気もあったらしい。ただし、妻がBBでは。到底御しきれないし、次の結婚ではDVの噂はない。世界一の美女を自分のものにして世界一愛して、愛した女性が思うままにならないやりきれなさは容易に想像がつく。

シャリエは兵役につかねばならず、妻のサミー・フレイとの情事を知って半狂乱になり自殺を図った。 「太陽がいっぱい」(Plein soleil 1960)のオファーを断り、BBの側を離れなかったジャック・シャリエ。自分が断った映画は不朽の名作の輝きを今なお失わない。代わりに立った主演のアラン・ドロン(Alain Delon 1935- )は世界のトップスターの座についた。

 

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サミー・フレイ(Sami Frey 1937- )

憂い顔の黒髪ハンサムのフランス人俳優のサミー・フレイのキャリアは10代から。22歳で映画「真実」でブリジット・バルドーの相手役を演じた。夫のシャリエは兵役中。で、2人は恋に落ちる。シャリエとは離婚。そしてBBがボブ・ザグリと会っていることを知り、二度あることは三度ある、サミーとボブは激突!?し、サミーは去った。 その後 「恋のマノン」(Manon 70 1968)でカトリーヌ・ドヌーヴと、 「夕なぎ」(César et Rosalie 1972)でロミー・シュナイダー(Romy Schneider 1938-1982)と、 「ソフィー・マルソーの三銃士」(La fille de d'Artagnan 1994)でソフィー・マルソー(Sophie Marceau 1966- )と共演し、ナイーブな美青年は今なおフランス映画界の現役。

 

 

ボブ・ザグリ(Bob Zaguri)

ブラジル人の実業家。のち映画プロデューサー。

フレイと付き合っている最中に、ブラジルでバカンス旅行。

TV用のショー・フィルム「今宵バルドーとともに(Sdecial Bardot 1968) 」を製作。ただし次のギュンター・ザックスとの結婚後であり、セルジュ・ゲンズブールと出会うきっかけになった。…三つ巴…。

 

ギュンター・ザックス(Gunter Sachs 1932-2011)

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ドイツの写真家、作家、実業家。

ドイツの自動車メーカー・オペルの創始者の孫であり、ドイツのバイクメーカー「ザックス」オーナーの御曹司。1960年代の伝説のプレイボーイの一人。 BBの自宅にヘリコプターでバラの花の雨を降らせて求愛、とスケールが大きい。 出会って数週間で結婚してしまう。と過去2回とまたパターンが少し違う。 口説き方が強引で、パーソナリティもまたしかり。妻として自分に従えとの頭ごなしの言動では、女王さまブリジット・バルドーとうまくいくはずもなく、すぐ離婚。 BBと出会う前はイランの王妃ソラヤーと浮名を流し、結婚は最初の妻は急死、次がブリジット・バルドー、次はスイス人モデルで3度。 写真家としては1976年にライカ賞を受賞など、世界的な賞をいくつも受賞しているし、ファッション誌を飾り、大きなイベントの公式ポスターを手掛けたりなど、超一流。写真集も多数あり、時折回顧展も開催される。 現代アートのコレクターでもあり、ミュンヘン近代美術館協会の設立に尽力、初代会長に就任した。ミュンヘン現代美術館にはザックスの所蔵品が展示されている。 晩年、アルツハイマーと診断され、病気を苦に2011年に拳銃自殺。

 

セルジュ・ゲンスブール(Serge Gainsbourg 1928-1991)

フランスの偉大な音楽・演劇のアーチストの一人。 パリの街角の雑踏の中から立ち上がった妖しさを秘めたゲンスブールの音楽は、1960年代を引っ張った。 ブリジット・バルドーとの初対面はさかのぼって映画「気分を出してもう一度」の頃。このころ ゲンスブールはデビューしたてでロマンスにはいかなかった。大御所となってからは、歌手活動にも力を入れ始めたブリジット・バルドーに曲を多数提供し、そしてお決まりの2人のロマンス。 憧れのブリジット・バルドーの「モーターバイクの歌を作ってよ」の一言で 一晩で描き上げたのは、男と女の永遠の三角関係を唄ったロックンロール「ハーレー・ダヴィッドソン」(Harley Davidson)。 ハリウッド映画、「俺たちに明日はない」(Bonnie and Clyde 1967)をインスパイアしたデュエットアルバム「ボニーとクライド」(Bonnie and Clyde 1968)など。 「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」(Je t'aime... moi non plus 1967)という曲は、録音されたものの、ブリジット・バルドーのあえぎ声(ととれる声)を含むというなまめかしくもいかがわしいもので、当時の夫ギュンター・ザックスの怒りを買うことを恐れたブリジット・バルドーの意向により、お蔵入りしてしまった。曲そのものは、ゲンズブールの次のパートナー、ジェーン・バーキン(Jane Birkin 1946- )とのデュエットにより世に出ることとなり、過激さで話題を集めた(後年、ブリジット・バルドーは売上を動物愛護団体に寄付することでリリースを承諾した。)

 

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テレンス・スタンプ(Terence Stamp  1939- )

エクセントリックな演技で知られるイギリスの俳優。「コレクター」(1965)、「世にも怪奇な物語 悪魔の首飾り」(Spirits of the Dead: Toby Dammit 1968)、「テオレマ」(Teorema 1968)など。

 

大物と浮名を流すのはだいたいこの辺りまで。30代半ばをこえたあたりからは、若いジゴロが増えていく。

 

デヴィッド・ギルモア(David Gilmour 1946-)

イギリスのロックバンド、ピンクフロイドのスターギタリスト。ブリジット・バルドーと出会ったのはギルモア19才の時でサントロペのヒッピーに過ぎなかった。ブリジット・バルドーは自分の別荘に「お持ち帰り」。

 

ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix 1942-1970)

アメリカからイギリスにやってきた史上最高のロック・ギタリスト。代表作は Hey Joe(1966)、All Along the Watchtower(1968)、パープル・ヘイズ(1970)など。

 

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ウォーレン・ベイティ(Warren Beatty 1937- )

アメリカの映画監督、俳優、演出家。

アメリカン・ニューシネマのさきがけ、「俺たちに明日はない」(Bonnie and Clyde 1967)、「天国から来たチャンピオン」(Heaven Can Wait 1978)、「レッズ」(Reds 1981)など。

 

パトリック・ギルス(Patrick Gilles)

10才年下の俳優志望の学生。DVの気があった。

 

クリストファー・カルト(Christian Kalt)

スキーインストラクター。セックスに長け、ブリジット・バルドーを満足させた生粋のジゴロ。

 

ジジ・リッツィ(Gigi Rizzi 1944-2013)

イタリア人俳優。というよりブリジット・バルドーを射止めたイタリアンジゴロとして歴史に名を残す。二人の恋はたった4カ月で終わってしまうのですが、リッツィはその後もジャクリーン・ビセット(Jacqueline Bisset 1944- )やナタリー・ドロン(Nathalie Delon 1941- )を浮名を流し、人脈を活かしてイタリア初のディスコを開き、店でコカインが見つかるとブエノスアイレスで農家になり、晩年は自分のプレイボーイとしての経験をイタリア男らしく饒舌に語り、生涯プレイボーイを貫いた。

ブリジット・バルドーを射止めた功績!?で1968年、ニューズウィークの最重要人物に選ばれた。すごい。

 

ジャン=ノール・グリインダ (Jean-Noel Grinda 1936-)

フランス人のイケメンテニス選手。

 

スティーヴン・ボイド(Stephen Boyd 1931-1977)

イギリス人俳優。代表作は「ベン・ハー」(Ben-Hur 1959)、「ミクロの決死圏」(Fantastic Voyage 1966)、「ローマ帝国の滅亡」(The Fall of the Roman Empire 1964)など。

出世作が「ベン・ハー」なので史劇俳優のイメージも強いけど、演じた役柄は幅広く、一癖ある役の似合う渋い二枚目スター。

 

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ローレンツ・ベルゲッツ(Laurent Vergez)

ブリジット・バルドーの出演映画「ドンファン」(Don Juan ou Si Don Juan était une femme... 1973)で共演した俳優。

 

フランソワ・セベール(François Cévert 1944-1973)

フランス人の元F1ドライバー。長身ハンサムな宝石商の息子、美人のガールフレンドを複数はべらせて女の子からファンレターは殺到。ブリジット・バルドーとのロマンスは世間をお騒がせ。

レース中の事故で29歳で世を去り、「フランスのジェームス・ディーン」と呼ばれている。

 

ニノ・フェレール(Nino Ferrer 1934-1998)

イタリア生まれのフランスの人気歌手。代表作は「La rua Madureira」(1974)、「Le Sud」(1975)など。

 

ミロスラフ・ブラゼク (Miroslav Brozek)

チェコの彫刻家。1970年代後半。

 

アラン・ブーグレイン・ダブール (Allain Bougrain-Dubourg 1948- )

ジャーナリストで野生動物保護協会の会長。1980年代前半。

 

ベルナー・ドルマル(Bernard d'Ormale 1941- )

フランスの極右の政治家。1992年に4度目の結婚。BBは「私は彼と添い遂げます!」と宣言。どうか、お幸せに。

 

他にウワサとしては

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  • ルイス・ミゲル・ドミンギン(Luis Miguel Dominguín 1926-1996)
    スペインの闘牛士。
  • ルイ・マル(Louis Malle 1932-1995)
    フランスの映画監督。「死刑台のエレベーター」(Ascenseur pour l'échafaud 1958)、「恋人たち」(Les Amants 1958)、「私生活」(Vie privée 1962)など。
  • ジャン=ポール・ベルモンド(Jean-Paul Belmondo 1933- )
    フランスの俳優。「勝手にしやがれ」(À bout de souffle 1959)、「気狂いピエロ」(Pierrot le fou 1965)、「ボルサリーノ」(Borsalino 1970)など。
  • エディ・フィッシャー(Eddie Fisher 1928-2010)
    アメリカ人歌手。「エニー・タイム」(Any Time)「オー・マイ・パパ」(Oh! My Papa) 「シンキング・オブ・ユー」(Thinking Of You)など。
  • グレン・フォード(Glenn Ford 1916-2006)
    アメリカの俳優。「ギルダ」(Gilda 1946)、「暴力教室」(Blackboard Jungle 1955)、「スーパーマン」(Superman 1978)など。

 

…凡人の私には言葉が見つからない。。。。

 

 

まとめ

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ブリジット・バルドーの衝撃。世間のモラルの範疇を越え、存在自体がすさまじい説得力を持つ官能の美しさ。そして理屈をあれこれ並べたてるのは野暮な話ですよね。ことBBみたいな女性なら。

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