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【画像242枚】ヒッチコック監督の映画をおすすめ順に10本+44本で全作品紹介

アルフレッド・ヒッチコック(Alfred Hitchcock 1899-1980)

「ある種の映画監督たちは人生の断面を映画に撮る。私はケーキの断片を映画に撮る。」

偉大なる職人、卓越した技巧。考え抜かれた洗練の極み。巧妙な演出。

観客の注意を絶対にそらすまいとする強烈な意志を持つ、この上もなく厳しい映画作家。

イギリス仕込みの愛嬌とユーモアとアイロニー。ミステリーよりはサスペンス。

ありそうもない偶然の荒唐無稽の連続によってプロットは進み、強烈な迫力でアクションとエピソードは緊密に結び付けられ、クライマックスの後、一気に緊張感は解き放たれる。

イングリット・バーグマンは、撮影の最中、「なぜ」「どうして」と監督に訴え続けた。

ヒッチコックの答えは、「イングリット、たかが映画じゃないか。」

観客の心を捉えるのは、メッセージではない。俳優じゃない。ストーリーじゃない。純粋に映画そのもの。

すぐそれとわかる強烈な文体を持った巨匠のおすすめ映画を順番に。みどころとエピソードも一緒に。

 

Alfred Hitchcock-Family Plot(1976)

 

 

北北西に進路を取れ North by Northwest(1959)

Alfred Hitchcock-North by Northwest(1959)

ヒッチコック監督の映画はきらびやか。ヒッチコック監督の映画はハラハラさせられる。次から次に目まぐるしい。展開が読めない。というより、目の前の画面に釘付けになり、他のことが考えられない。映画の始まりから終わりまで、絶対目が離せない。まず1本観てみよう。なら『北北西に進路を取れ』にはヒッチコック映画の全てがてんこ盛り!

Alfred Hitchcock-North by Northwest(1959)

ソール・バス(Saul Bass 1920-1996)の洒落たタイトルデザインにバーナード・ハーマン(Bernard Herrmann 1911-1975)の不協和音が華麗に連なり、弦楽器が、金管が、木棺が響き渡り、打楽器が不気味さを増幅させるテーマ曲に始まって、

Alfred Hitchcock-North by Northwest(1959)

主人公と相手役のブロンドヒッチコック美人は悪の一味から逃れるため、4人の大統領の顔の彫刻してある、あの、ラシュモア山から転落しそうになる。

Alfred Hitchcock-North by Northwest(1959)

「さあ、あがってくるんだ」「ダメ、出来ない」のクローズアップのあと、新婚旅行で花婿が花嫁をベッドに引き上げるシーンになり、ワイセツ極まりない、列車がトンネルに入って行くシーンでエンドロールが出ちゃう。

Alfred Hitchcock-North by Northwest(1959)

緩急自在の鮮やかさ。奇想天外のアイディアが息つく暇なく次々繰り出される。細かいエピソードの一つ一つがウィットに富み、ダンディの代名詞、ダンディが服着て動くケーリー・グラント(Cary Grant 1904-1986)が「なぜ俺が」「どうしてこんな目に」と独特のサプライズ・ルック(無垢のまなざし)で巻き込まれていく。

Alfred Hitchcock-North by Northwest(1959)

悪役も脇役もソツなく凄まじい。善良な市民が、ちょっとした偶然から、実在していないスパイとして追われる身になる。酒を飲まされ崖から落とされて殺されそうになり、殺人犯として追われる身になり、

Alfred Hitchcock-North by Northwest(1959)

かばってくれた美女に誘惑されて(必見です)、教えられていった見渡すかぎりのトウモロコシ畑と一本道。農薬をまいているはずはずの小型飛行機が襲い掛かる!(ココが一番名高いシーン)

Alfred Hitchcock-North by Northwest(1959)

やっとのことで逃げ出して、飛行機はタンクローリーに激突して爆発炎上してしまう。命からがら逃げだして美女と再会しいと思ったら悪の情婦だった。オークション会場から無事に脱出するために無茶苦茶な値段を叫び、めでたく警官の護衛で脱出。

Alfred Hitchcock-North by Northwest(1959)

二重スパイがバレて殺される美女を救いに悪の根城の別荘に侵入し、ラシュモア山の死闘のクライマックスへと。あっけらかんとも取れる洒脱な演出、随所にちりばめられるユーモア、アメリカ大陸を駆け抜けるスケールの大きさ、ファーストシーンからラストシーンまで飛ばしに飛ばす。

Alfred Hitchcock-North by Northwest(1959)

金髪美人はエヴァ・マリー・セイント(Eva Marie Saint 1924- )、悪役はジェームズ・メイソン(James Mason 1909-1984)とマーティン・ランドー(Martin Landau 1928-2017)。

 

 

めまい Vertigo(1958)

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

ヒッチコック監督の映画は、基本、ドライ。スピーディーな展開、目くるめくジェットローラーコースター状態が危うく固定観念になりそうですが、『めまい』は無茶苦茶ウエット&甘美、基本はスローテンポ。 主演のジェームズ・ステュアート(James Stewart 1908-1997)は高所恐怖症とうつ病しょってる設定。ヒッチコック監督いわく、情緒不安定な男性の視点とはゆっくりなのだ、とこと。ジェームズ・スチュアートが死んだ女に恋する出色の演技を見せ、暗い情念につつまれながらも純粋な、狂気にも似た愛は恐ろしくも美しい。

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

キム・ノヴァク(Kim Novak 1933- )はキャラクターとしてはセックスシンボルタイプ。いわゆる”ヒッチコック美人”は都会的で、美人の女教師みたいなタイプ(ただしベッドルームに入ると豹変する)タイプの女優さんが浮かんでくるのですが、キム・ノヴァクのしなやかな、雌猫のごとき身のこなしと存在感、肉感的でやわらかなボディ(ノーブラだそうです♪)、妖艶さ。

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

ひそやかでミステリアスで神秘的な美貌は圧倒的。これまた「この世ならぬ」感タップリ。演出の妙ですね。さすが!

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

トリックは大がかりなんですが、センチメンタルな語り口に幻惑されてしまい見ている我々も恍惚のエクスタシーに酔いしれてしまう。

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

愛した女は緑色の車に乗っていた。緑色のドレス姿が初対面だった。彼女を車でジリジリと追跡する静かなカーチェイスの異様な緊張。慎重かつ徐々に敵を追い詰めるようなスリルの怖さ。

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

坂の多いサンフランシスコの街でのゆったりとした追跡劇、そこに被さるバーナード・ハーマンの華麗な音楽。まだなにも事件が起こっていないにもかかわらず背筋がゾクゾクしてくる。

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

死んだ女を忘れられず、似ている女性を見かけ、幻影に偏執するジェームズ・スチュアート。

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

死んだ女と同じ服を買い与える。同じ靴を買い与える。同じブロンドに染めさせる。そしてかつて愛した女はシニヨンだった。頼むから、シニヨンに髪を結ってくれ。懇願する、ジェームズ・スチュアート。 「いいわ」と答えるキム・ノヴァクの従順さ(拒否できない理由があるからなんだけど)。 そしてホテルの窓から、緑のネオンサインが差し込み、緑色の光の中から、黄泉の世界から愛した女がよみがえってくる…。 変身後のキム・ノヴァクを見つめるジェームズ・ステュアートの目に涙を湛えた表情! 切なすぎる…。

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

彼女と熱い抱擁を交わすシーンは、ネクロフィリアとフェティシズムの極致。強烈なんですよ。とにかく。 台車などでカメラを引きながら、レンズを大きく・急激にズームアップさせる「ドリー・ズーム・ショット」。 言い替えると 鐘楼の階段を上から捉えた床が落ちるような「めまいショット」も絶対に押さえておきたい。 ヒッチコック監督が考案し、後年スティーブン・スピルバーグ(Steven Spielberg  1946- ) の『ジョーズ Jaws』(1975)『E.T. E.T. The Extra-Terrestrial』(1982)、マーティン・スコセッシ(Martin Scorsese 1942- )の「レイジング・ブル Raging Bull」(1980)、「グッドフェローズ Goodfellas」(1990)、クエンティン・タランティーノ(Quentin Tarantino 1963 - )の「パルプ・フィクション Pulp Fiction」(1994)等でも使われた伝説のショット。

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

フォッグをかけて撮影。ノスタルジックなサンフランシスコの街並みも病んだ静謐感を盛り上げる。 数多いバイオグラフィーの中、ひときわ異彩を放ち、他の作品とは一線を画しており、忘れがたい。妖しさをたたえた切ない愛のイメージにみちみちている。

公開当時はさほどヒットしなかったのですが、今や評価はうなぎ上りで、 ヒッチコック的ユーモアが皆無のかわりに、頽廃・耽美・残酷・哀切の色濃く、映画史に残る傑作中の傑作。

 

 

汚名 Notorious(1946)

Alfred Hitchcock-Notorious(1946)

『北北西に進路を取れ』が華麗できらびやかなら、『汚名』はさながら樹齢〇百年、〇千年の巨木とでも申しましょうか。骨太で、堂々としており、完成度が滅茶苦茶高い! 高すぎる! スパイの娘、イングリット・バーグマン(Ingrid Bergman 1915-1982)はFBIの調査員のケーリー・グラントの説得により、ナチのスパイの館に潜入して活動を探る。惹かれ合う2人。

Alfred Hitchcock-Notorious(1946)

スパイのリーダーはかつてバーグマンに夢中だった。求婚され、任務からいけば好都合なのだが、ケーリー・グラントは愛する女を他の男のベッドに送り込まなければならない。そして、リーダーのクロード・レインズ(Claude Rains  1889-1967)は、おそらくはケーリー・グラントより、イングリッド・バーグマンを深く深く、愛している。

Alfred Hitchcock-Notorious(1946)

スパイ合戦の映画ではなく、恋愛ドラマ。使命に縛られて、抑圧された状況のなかでの恋愛。だからものすごくドラマチックになる。ストレートでシンプルなんだけど、映画的なふくらみがたっぷり入っており、ヒッチコック映画の豊かさを堪能できること、うけあいです。

Alfred Hitchcock-Notorious(1946)

有名なのは、キスシーン。当時、「キスは3秒以上はまかりならん」との倫理コードがあった。ヒッチコック監督は、3秒以内ならいいんだな、とばかりにイングリット・バーグマンとケーリー・グラントはキスして離れ、ベランダから室内へもキスしては離れ、電話をかける間も、キスしては離れを繰りかえす。

Alfred Hitchcock-Notorious(1946)

最高のショットは、カメラがナチの館の二階から階段を降りるようにして近づいていき、イングリッド・バーグマンが手に握る鍵をアップでとらえる。鍵を画面いっぱいにとらえるまで寄っていく。ここまでワンカット! 映画のハイライト&クライマックスはここですよ! 私は声を大にして叫びたい! 

Alfred Hitchcock-Notorious(1946)

その前に、イングリッド・バーグマンがクロード・レインズのキーホルダーから地下の酒蔵の鍵をぬきとるところもドキドキ・ハラハラ…。鍵がないことに気づいたら…。こ、怖い…。

Alfred Hitchcock-Notorious(1946)

ケーリー・グラントとイングリット・バーグマンが地下の酒蔵を調べていて、ビンを割ってしまう。上ではパーティーをやっていて、シャンペンがだんだんなくなってきて、酒蔵に行かなければならない…。手に汗握る…。スパイが見つかってしまう。人妻との行動が夫に見られてしまう。

2人の行動はクロード・レインズにばれてしまう。 お母さんのベッドに行って「僕はアメリカのスパイと結婚した」と告白するシーンに思わずボルテージがあがり、クロード・レインズと母親はバーグマンを毒殺しようとする。コーヒーに少しずつ毒を入れてだんだん弱らせていく。

Alfred Hitchcock-Notorious(1946)

ラストはイングリット・バーグマンを救うためにケーリー・グラントは一人で敵の屋敷に乗り込む。クロード・レインズは切羽詰まって、感動的。2人を車で行かせてから、残されたクロード・レインズが殺されることを暗示させて映画は終わる。

Alfred Hitchcock-Notorious(1946)

一部のスキもない。

 

 

裏窓 Rear Window(1954)

Alfred Hitchcock-Rear Window(1954)

真夏のニューヨーク。脚にギブスをはめられて動けない人間の視点から展開してみせたヒッチコック芸術のひとつの頂点。 映画は本質的にサイレント芸術であって言葉なしで描くものだというヒッチコックのセオリーが完全に実践されている。原則としてすべてがジェームズ・スチュアートの視点からとらえられた、覗かれた光景。

Alfred Hitchcock-Rear Window(1954)

肉眼でみたらこう見えて、カメラのレンズを通せばこう見えて、双眼鏡で見たらこう見えた。忠実にやっている。 とくに殺人犯(と思われる)の部屋にグレース・ケリー(Grace Kelly 1929-1982)が入って行くところなんて、ついカメラも向こうに行ってしまいそうだけど。やらない。じっと中庭のスチュアートの視点からとらえ続ける。

Alfred Hitchcock-Rear Window(1954)

イライラする。音もほとんどきこえない。正確に何が起こっているのか、つかめないといういらだたしさ。 ジェームズ・スチュアートは、好感度100%のハリウッド・スターで、『裏窓』ののぞき専門の役でも感じがよくて、ほほえましい。

Alfred Hitchcock-Rear Window(1954)

のぞかれた一つ一つのアパートの1人1人にレシーバーを付けさせてヒッチコックの指示どおりに動くようにした。 ジェームズ・スチュアートは退屈まぎれにあだ名をつける。ミス・グラマー(いつも恋人に囲まれているが本命の恋人は変なチビの兵隊)、ミス・ロンリー(孤独なオールドミスで、相手がいないのに食卓で乾杯したりする、みているスチュアートが合わせて乾杯する)、作曲家(パーティーでピアノを弾く音が聞こえてくる、ラストには作曲できた曲が流れる)。

Alfred Hitchcock-Rear Window(1954)

アパート全体がニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジの典型的なアパートの作りでアパートの向こうにさらに通りがあって、通りの向こうまで脇の細い路地をとおして見える。

Alfred Hitchcock-Rear Window(1954)

ミス・ロンリーが自殺を図ろうとする。 気を取られている間に、グレース・ケリーにせまる危機!手が届かない。動けない。走れない。声も出せない。すごいサスペンス。しかもユーモアたっぷり。 グレース・ケリーが一流のファッションモデルであるということも、ちょっとした小道具でその華やかさがわかる仕掛けになっている。

Alfred Hitchcock-Rear Window(1954)

帽子・バッグ、ディナーの出前を頼むレストランは「21」。1950年代のニューヨークの華。一流の芸能人や社交界の人たちなんかが行く有名レストラン。世界が違うということがわかる。

Alfred Hitchcock-Rear Window(1954)

ギブスをつけている足の指先がかゆいけど、孫の手がなかなか届かない(笑) 殺人犯(と思われる)がスチュアートの部屋に入って襲ってくる時に、スチュアートはカメラマンなので、当然持ってるし、考えつく手、すなわちフラッシュをたく。目がくらんだ殺人犯(と思われる)の効果が出る。

暗闇の中にポツンと赤く見える、殺人犯(と思われる)がタバコを吸っている時に一点だけ光る…。

Alfred Hitchcock-Rear Window(1954)

サスペンスとユーモアの巧妙な混合がヒッチコック映画の面白さ。『裏窓』はただもう、観るだけで面白くて、文句なしに素晴らしくて、言葉もないくらい。

 

 

サイコ Psycho(1960)

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

80万ドルの製作費で5千万ドルの興行収入をたたき出した、ヒッチコック監督最大最高のヒット作であり、代表作。

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

映画はシェイクスピアの芝居のように、観客のために作られる。映画は興行成績だ。観客がいなければ映画じゃない。映画は観客とともに完成する。それがヒッチコック監督の自論。

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

冒頭、アパートの窓にカメラが近づいていく、部屋の中にカメラが入る。いきなりベッド・シーン。

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

ジャネット・リー(Janet Leigh 1927-2004)が古色蒼然たるカリフォルニア・ゴシックと呼ばれる人里離れた一軒家のモーテルでシャワーを浴びていると、黒い影が忍び寄って来て、惨殺される。あまりにも有名なシーンで、この惨劇のシーンで血をいたずらに残虐に見せたくないので、ヒッチコック監督は『サイコ』をモノクロで撮った。

『サイコ』の最初の部分は、ハリウッド映画でいうところの「レッド・へリング(燻製にしん)*1」。つまり殺人の起こる瞬間が完全な不意打ちのショックとなるように、観客の注意をよそにそらしておく手法。方向を間違えさせる。

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

『サイコ』は「レッド・ヘリング」の極致。誰がみても、ジャネット・リーが公金を横領して、それがどんなふうに発覚して、どんな結末迎えるのかというサスペンス・ストーリーの運び。映画前半はそれだけでサスペンスを盛り上げていく。

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

ジャネット・リーがモーテルに行って殺されるまで。ジャネット・リーの視点ですべてがとらえられているから、観客はジャネット・リーに肩入れして、一緒に恐怖を感じる。何でもないんだけど怪しく見える。すべてが疑わしく、強迫観念のように迫ってくる。

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

モーテルのシャワーの殺人シーンでプロットは一転し、視点も変わって全く別の話がはじまる。 シャワーのシーンのあと、死体を入れた車を沈めるシーン。車がみるみる沈んでいかずに、一度止まる。…心臓に悪い…。

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

ヴェラ・マイルズ(Vera Miles 1929- )が屋敷の地下室に忍び込んだ時の恐怖。バーナード・ハーマンの音響、キュンキュンキュン…が響き渡り、裸電球が揺れる。光と影がゆらめく。絶叫がそのまま電子音楽的なメカニックの音響になる。息を呑むすごさ。

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

最後はアンソニー・パーキンス(Anthony Perkins 1932-1992)が母親になりきり「あの子は虫も殺せない」とか言ってニッと笑うと、一瞬、ミイラになりきった母親の顔になる。ほんの一瞬だけど。ギョっとさせたすぐあと、泥沼から車が引き上げられるシーンで、エンドロール。

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

恐怖映画の最高傑作であり、 テレビ番組と同じ条件で映画を作れるか、が『サイコ』の挑戦だった。超スピード撮影で撮りあげた映画には永遠の命が授けられた。

 

 

バルカン超特急 The Lady Vanishes(1938)

Alfred Hitchcock-The Lady Vanishes(1938)

ヒッチコック監督のイギリス時代の最高傑作。軽快でスピーディ。脚本がいい。1938年の映画なので、「退屈なんじゃないか」との不安はごもっとも。でも、心配ご無用! あっという間にストーリーに引き込まれてしまう。ヒッチコック監督の生涯通じてのベスト1とする人もいるくらい。若々しいエネルギーは、円熟と技巧の集大成とはまた別の、一時期だけの貴重な瞬間です。

Alfred Hitchcock-The Lady Vanishes(1938)

ヒロインのマーガレット・ロックウッド(Margaret Lockwood 1916-1990)は、ブロンドではないけれど、クールな美女。モノクロの映画なんですが、とにかく肌がキレイ! そして溌剌として、とってもチャーミング。代表作は他に『灰色の男 The Man in Grey』 (1943)『妖婦 The Wicked Lady』(1945)。

Alfred Hitchcock-The Lady Vanishes(1938)

相手役はマイケル・レッドグレーヴ(Michael Redgrave 1908-1985)。ヴァネッサ・レッドグレーヴ(Vanessa Redgrave 1937- )のお父さんで、男前で感じが良くて、女の寝室に図々しくもぐりこんでもいやらしくならない、ケーリー・グラントのタイプ。

Alfred Hitchcock-The Lady Vanishes(1938)

製作当時はナチスドイツの台頭だったので、多少の時代色はある。 東欧の架空の独裁国家からロンドンへ長距離列車で向かう途中、雪崩で列車が遅れ、乗客はホテルに1泊。ここで主役たちが紹介される。

Alfred Hitchcock-The Lady Vanishes(1938)

敵味方が入り乱れて列車に盛り込む。誰が敵で誰が味方なのかがわからない。汽車の中は危険が迫っても逃げ場がない。の中でのディテールの工夫がまた話を面白くする。 乗客の中にマジシャンがいて、マジックの大道具が陰謀に使われたり、捕まえて箱に閉じ込めても抜け穴があって逃げられたり、鳩が飛び出してきたり、マジックとドタバタコメディとスリリングなアクションがからみあう。

クリケット狂の二人組は、リアルでもお笑いコンビを組んでいた。コメディ・リリーフで、でもラストでは仲間として一緒に戦う。

Alfred Hitchcock-The Lady Vanishes(1938)

老婦人が自分の名前を「ミス・フロイ」と列車の窓に指で書く。ところが忽然と姿を消してしまい、周りは、いや、そんな人はいなかったと証言する。そうなのか…と思い始めた時に窓に書いた字が一瞬見え、列車がトンネルに入って煙や湯気で消えてしまう。ココ、有名。

Alfred Hitchcock-The Lady Vanishes(1938)

ミス・フロイはイギリスのスパイだった。ヒロインを信じてくれた青年と2人で、やっとミス・フロイを見つけ出すが、列車は突然切り離され、暴走し、待ち伏せていた敵との銃撃戦になる。

Alfred Hitchcock-The Lady Vanishes(1938)

ミス・フロイは暗号を青年に伝え、列車から逃亡。 諜報部に向かう二人。ミス・フロイとの再会で、めでたしめでたし。 伝えなければならない暗号は、ほんの短い、メロディーのみ!ばかばかしくも素晴らしい!

Alfred Hitchcock-The Lady Vanishes(1938)

ダラダラ引っ張らず、テンポよく進むストーリー。よく練られた脚本。サスペンス満載、ユーモアたっぷり、ロマンス当然。最後の最後まで飽きない、目が離せない。どれをとっても一級品。時代の古さを感じさせない秀作です。

 

 

鳥 The Birds(1963)

Alfred Hitchcock-The Birds(1963)

鳥の襲い方が一つ一つ違う。 有名な鳥の調教師を招き、ウォルト・ディズニーを特撮顧問で招いている。

最初はカモメが1羽だけ。何気ない、のどかな風景の中を、ティッピ・ヘドレン(Tippi Hedren 1930 - )がモーターボートで岸に近づいてくる。岸にはロッド。テイラーが待っている。そこへ、いきなりピューッと襲ってくる。カモメに一突きされて額に一筋の血が垂れるところがサディスティック。

Alfred Hitchcock-The Birds(1963)

2回目は、子どもの誕生パーティーで風船を割る。ゴム風船にカモメがぶつかって、そのたびにポンポン勢いよく割れる音がする。 3回目は、煙突を通って暖炉からスズメの大群が部屋に入ってくる。

4回目は、襲った跡だけを見せる。ロッド・テイラーの母親が農夫の家を訪ね、返事がないので勝手口から入ると、台所を通るときに、コーヒーカップが割られて、カップの柄だけが残っている。廊下の奥の寝室は、襲撃を物語り、散乱している。それから、目をえぐられて死んでいる農夫がだんだんアップになっていく、不安と恐怖をカットの連続で見せる。

Alfred Hitchcock-The Birds(1963)

5回目が有名なジャングルジムのシーン。ティッピ・ヘドレンが小学校の前でたばこを吸いながら待っていると、カラスが一羽、また一羽飛んできて、気が付くと校庭のジャングルジムがカラスの群れで真っ黒になっている。なかなか気づかない。やっと気が付いて、カラスの群れがワッと飛び立つと、もう子どもがワーッと逃げてくる全景。

Alfred Hitchcock-The Birds(1963)

そのあと、レストランで鳥が人間を襲う、襲わないの談義になり、 すぐ隣のガソリンスタンドの男が1羽のカモメに突かれて倒れると、ガソリンが流れていく。カメラが追う。ガソリンの流れた先で車から降りてきた男がたばこに火をつけようとする。それから一帯が火事になって、人々が逃げ場を失ったところへ、大俯瞰になって、カモメの大群が空から舞い降りるようにして襲っていく。興奮もここに極まれり。息づまるものすごいシーン。

Alfred Hitchcock-The Birds(1963)

今はCGで何でもできるけど、当時は画期的な合成技術。 続いて電話ボックスのシーン、ティッピ・ヘドレンが電話ボックスに逃げこんで、カモメが外から襲う。体当たりしてきてガラスにヒビが入る。

Alfred Hitchcock-The Birds(1963)

次は家のなか。電子音で鳥の叫び声や襲撃の音を聞かせる。 最後は屋根裏部屋。それまではカモメはカモメ、カラスはカラスで襲撃してきたのが、最後は混成軍。怖い。ティッピ・ヘドレンが徹底的に痛めつけられる。

Alfred Hitchcock-The Birds(1963)

…ブロンド美人のティッピ・ヘドレンとブルネット美人のスザンヌ・プレシェット(Suzanne Pleshette 1937-2008)との対比、ロッド・スタイガー(Rod Steiger 1925-2002)と母親役のジェシカ・タンディ(Jessica Tandy 1909-1994)との関係。

Alfred Hitchcock-The Birds(1963)

息子が好きになった女を許せず、スザンヌ・プレシェットはかつての恋人を諦め、愛する人の家族をかばって死んでしまう。 ティッピ・ヘドレンは自分の母親が浮気をして家族を捨てた過去があり、母親全体に不信感を持っている。 ところが、クライマックスの鳥の襲撃をきっかけに、2人の間には信頼感が生まれる。との物語が並行して描かれます。

 

 

レベッカ Rebecca(1939)

Alfred Hitchcock-Rebecca(1939)

イギリスで押しも押されぬスリラー映画の名手の名をほしいままにしたヒッチコック監督の渡米第1作。結果は大成功で、その年のアカデミー最優秀作品賞と撮影賞をかっさらった。

Alfred Hitchcock-Rebecca(1939)

プロデューサーのデビット・O・セルズニック(David O. Selznick 1902-1965)はローレンス・オリヴィエ(Laurence Olivier 1907-1989)を主役に第二の『風と共に去りぬ Gone with the Wind』(1939)を狙った。できあがった作品は『嵐が丘』や『ジェーン・エア』とか、イギリス的なカラー、心理映画のカラーが強い。

Alfred Hitchcock-Rebecca(1939)

最初から最後まで、レベッカは出てこないのに、強烈にレベッカの存在を感じさせる。もうこの世に存在しない女の名前だけが映画の真のヒロインの名前のように出てくる。

Alfred Hitchcock-Rebecca(1939)

ローレンス・オリヴィエがレベッカのことを回想する。 レベッカが笑いながら近づいてきて、と語るところをカメラの動きだけで見せる。ゆったりとしていながら息づまるような移動の速度。カメラの動きだけで回想シーンにレベッカが出てきたかのごこく錯覚してしまう。実際に女優がレベッカに扮して出てくるよりも、はるかに怖い。見えない幽霊を撮っている。

Alfred Hitchcock-Rebecca(1939)

レベッカのイニシャルのRがナプキンとかハンカチーフとか枕カバーとか、あちこちに印されていて、レベッカのイメージと一緒にまだ生きている。 たまにだれかにレベッカのことを聞くと、「あれほど美しい人はみたことがない」と言う。 幽霊とか亡霊みたいな存在感で迫ってくる。

Alfred Hitchcock-Rebecca(1939)

ヒロインのジョーン・フォンテイン(Joan Fontaine 1917-2013)はナイーブで、おどおどしている。フォンテインはイングリット・バーグマンやグレース・ケリーみたいなタフな女と違って、きゃしゃで弱々しい。清楚な少女のイメージ。実際にびくびくしていたらしい。まわりはイギリスの舞台のベテラン俳優ばっかり。

Alfred Hitchcock-Rebecca(1939)

ローレンス・オリヴィエは当時の恋女房のヴィヴィアン・リー(Vivien Leigh 1913-1967)とこの映画で共演したかった。あからさまにフォンテインにいやな顔をしたらしい。ヒッチコック監督がまた、励ますどころかおどかしたらしい。フォンテインは当時はまだほとんどかけだしの無名の女優。怖くて怖くて、ビクビクしていた。

Alfred Hitchcock-Rebecca(1939)

しかし何と言ったって、一番強烈なのは、ジュディス・アンダーソン(Judith Anderson 1897-1992)のダンヴァース夫人。 逆光で立っているシルエットは光と影の微妙に使い、まるで幽霊。前の奥様を深く敬愛していた。深情け的に。亡霊と一緒に生きている。

Alfred Hitchcock-Rebecca(1939)

振り向くと、怖い顔をしてにらんで、そこにいるという怖さ。ダンヴァース夫人が窓を開けてジョーン・フォンテインに迫り、耳元で飛び降りろとささやく。めちゃめちゃコワイ。

Alfred Hitchcock-Rebecca(1939)

催眠術にかけられたかのようにその気になった途端にドーンと花火があがって、ハッと夢からさめたように正気に戻る。 上映時間2時間10分、一瞬のたるみもない。ずっと緊張が持続する。桁外れの演出力を見せつけた。

 

 

三十九夜 The 39 Steps(1935)

Alfred Hitchcock-The 39 Steps(1935)

わたし的には、ヒッチコック映画のイギリス時代のベスト1は『バルカン超特急』。ただし『三十九夜』に軍配を上げるひとも数多い。 お話は、元祖『北北西に進路を取れ』巻き込まれ型サスペンス映画。ジェットローラーコスター! イギリス時代のヒッチコック映画には、ハリウッド時代のすべての萌芽があるなあ。がとてもよくわかる。 展開も早くて一気に観られて、キッチリまとまる大団円。 有名なシーンは、美女と手錠で繋がれての逃避行ですね。(警察につかまり、逃げないように手錠をかけたのに、美女ごと連れて一緒に脱出) 美女がストッキングを脱ぐとき、手錠でつながれているからどうしても男の手が一緒に美女の脚にさわる。そこで美女は食べかけのサンドイッチを男の手に持たせる。ストッキングを脱いだとたんに男の手からサンドイッチを絶妙のタイミングで取り返す。

Alfred Hitchcock-The 39 Steps(1935)

人里離れた宿で一夜を過ごす。なまめかしくも困った!? 事態なんですがユーモアのある演出なのでいやらしくない。巧い。 スコットランドに飛び、命からがら逃げてきて土地の名士の館に逃げ込む。敵のボスである左手の小指のない男を探しているのだと説明すると、「それは左手じゃなくて右手じゃないのかね? 」と名士は右手をあげて開いてみせる…。日本の怪談噺みたい。

Alfred Hitchcock-The 39 Steps(1935)

無実の罪で警察から追われて、秘密を握ってしまったが故に敵のスパイにも追われて八方ふさがり。冒険と逃亡の末のハッピーエンド。 ディテールでは、「ミスターメモリー」。記憶力がものすごく、舞台の観客に、歴史上の日付やその他もろもろ、何でも知っている。答えられる舞台の芸人さんで、映画の最初と最後に出てくる。最後には、スパイの組織のことを聞かれ、命の危険があることを知っていても、自分のプロ意識にかけて答えなければならない…。の出色のキャラクター。

主演のロバート・ドーナット (Robert Donat 1905-1958) は端正な2枚目男優で、ただ体があまり丈夫ではなかったらしく(慢性喘息)、早死にしてしまい(53才で死去)、作品数はあまり多くない。代表作は『三十九夜』のほかには有名イギリス文学を映画化した『チップス先生さようなら Goodbye, Mr. Chips』(1939)でアカデミー主演男優賞受賞。

Alfred Hitchcock-The 39 Steps(1935)

マデリーン・キャロル(Madeleine Carroll 1906-1987)は元祖ヒッチコック美人。ブロンドで、クールで都会的な洗練された美貌のヒロインは後のヒッチコックのフィルモグラフィーに受け継がれていく。全盛期の1938年には年25万ドルを稼いで、世界で最も高給の女優だった。また、後年、第二次世界大戦でのロンドン空襲で姉を亡くし、従軍看護師として働いたり、戦後は戦災孤児救済の慈善活動を行ったことも名高い。 ヒッチコック監督作品『三十九夜』に続く『間諜最後の日』にも出演。美貌と知性と慈愛を兼ね備えた女性 でした。

 

 

ファミリー・プロット Family Plot(1976)

ヒッチコック監督の遺作。もちろん、この映画の後にも映画の構想はあったし、準備はしていたものの、ヒッチコック監督の健康がすぐれず、実現しなかった。

Alfred Hitchcock-Family Plot(1976)

遺作は、とってもキュート。とっても大胆。サスペンスよりはユーモア寄りで、ノンシャラン。美男美女ではないけれど、1970年代の時代の空気をたっぷり含んだキャスティング。 夢のようなスターの時代から、リアリズムのスターの時代への流れの嗅覚を、晩年まで失わなかった。

Alfred Hitchcock-Family Plot(1976)

映画の規制も変わる。今まではまかりならん、の裸や暴力や残酷シーンも、表現できる幅が広がった。スリラー映画監督にとっては世紀の僥倖。

Alfred Hitchcock-Family Plot(1976)

『ファミリー・プロット』の前の『フレンジー』では、意気揚々と!? 新しい殺しの手口がご披露されていた。

Alfred Hitchcock-Family Plot(1976)

タクシーの運転手といかさま霊媒師、表向きは宝石商で実は誘拐犯でダイヤ泥棒、縁もゆかりもないはずの2組のカップル話が同時進行していく。 画面が突然切り替わる。時は満ちた。ついに、突然交錯しあう! 急展開の大胆なこと。そして霊媒師役のバーバラ・ハリス(Barbara Harris 1935-2018)の可愛いこと! 大人の女なんだけど、童顔でお茶目で、コケティッシュで天真爛漫で、セックスが大好きで。

Alfred Hitchcock-Family Plot(1976)

ファーストシーン。もやもやの水晶玉。タクシー運転手の彼が情報を仕入れてくる。孫を探しているお婆さんの屋敷に行って「お孫さんをお探しですね」とか言って占いとか霊媒で商売している。 食事も、ハンバーガーにケチャップをたっぴりつけて食べている。今までのヒッチコック映画のフランス料理にワインはどこ行ったんだ、ってかんじ。リアリズムといえばリアリズム。

Alfred Hitchcock-Family Plot(1976)

名シーンは、 宝石泥棒の片割れの妻がブロンド・黒い服・黒い帽子・黒のサングラスで横断歩道を渡って行くシーン。 敵のおびき出され、待ちぼうけの間に車のブレーキ液を抜かれ、ブレーキなしの猛スピード山道を降りていくシーン。バーバラ・ハリスが車の中でさかさまになったりする。

Alfred Hitchcock-Family Plot(1976)

司教に麻酔の注射を打って誘拐する。司教を車のトランクに入れて運び、トランクを開けると司教が死んだようにダラリと落ちる。 宝石商が車庫のドアを開けたら、ちょうどそこにバーバラ・ハリスがいるのが、おかしい。なんとなく笑える。

そして、ラストシーン。インチキだとばかり思っていたのに、バーバラ・ハリスが超能力を使う。シャンデリアの中に隠されていた宝石を、神様が降りてきて足が動く、そして集めた宝石を隠してあるシャンデリアを指さす…。そして、「見つけたわ」ってスクリーンの向こうの観客に、ウインクする。

 

 

コラム① ヒッチコック監督の生涯

Alfred Hitchcock-Vertigo(1958)

アルフレッド・ヒッチコックは1899年、ロンドンの下町、レイトンストーン生まれ。家業は食料品店。お父さんを15才で亡くし、電信会社に勤めながら、美術を学ぶ。

Alfred Hitchcock-Blackmail(1929)

アメリカの映画会社がロンドンに撮影所を開くことを知り、当時の映画はサイレント。イラストをあしらった字幕を持ち込み、採用された。若者は映画が大好き、本を読むのが大好き。そして真面目で誰よりも早くスタジオにきて、落ち着いた態度で「僕がやりましょうか」と言っては何でも仕事を引き受け、力をつけていった。

Alfred Hitchcock-The Birds(1963)

脚本、助監督を経て24才で初監督作品を撮る(『快楽の園』)。当時の映画の最先端はアメリカ映画とドイツ映画。「この映画はヨーロッパ映画にまるで似ていないな。」と評された。

Alfred Hitchcock-The 39 Steps(1935)

もちろん最初からスリラー映画ばかり撮っていたのではない。
舞台劇の映画化も多い。メロドラマやコメディの合間にたまに犯罪スリラーも撮る監督だった。

それでも撮る映画は次々とヒット。『暗殺者の家』でスリラー映画の人気監督の地位を確立。『三十九夜』も大評判、『バルカン超特急』で世界をうならせ、ハリウッドに招かれた。第1作の『レベッカ』で大成功を納め、1950年代から60年代までの黄金期を経て、生涯巨匠として世界の映画界に君臨した。

Alfred Hitchcock-Under Capricorn(1949)

当時の映画界は、サスペンス・スリラー映画は、B級品扱い。偉大なる職人作家に、映画芸術の鑑の箔が加わったのは、フランス映画界のヌーヴェル・ヴァーグの功績。ヌーヴェル・ヴァーグの旗手の一人、フランソワ・トリュフォー監督はもともとは映画評論家だった。ヒッチコック監督作品に関する500項目の質問に応えた50時間に渡るインタビューをまとめた「ヒッチコック/映画術」を世に出し、徹底した技術論で惜しみなく作品論を繰り広げるヒッチコック監督の姿と、作品群の奥に潜むさらなる深みをあぶりだし、絶賛の言葉とともに世界の映画人と映画ファンに提供した。

Alfred Hitchcock-Lifeboat(1943)

家庭的には、イギリス時代のスタッフのアルマ・レヴィル(Alma Reville 1899-1982)と結婚し、生涯添い遂げた。娘が1人で、パトリシア(パット)・ヒッチコック(Patricia(Pat) Hitchcock  1928-)は女優・プロデューサー。お父さんの映画にもいくつか出演作がある。

Alfred Hitchcock-Strangers on a Train(1951)

性格は神経質で几帳面。「思ったよりも感じのいい男だが、みんなと一緒にピクニックに誘うような男じゃない。」とのデビット・O・セルズニックの書簡が残っている。少年のころから丸顔で太っており、休み時間には友達とは決して遊ばず、いつも壁に背中をピタっとつけ、仲間の少年たちが無邪気に遊びまわるのを軽蔑のまなざしで見つめ続けていたという。
巨匠となってからは、一言で言えば、超然。

映画作りは完璧主義。撮影現場ではどんなことも見逃さない。カメラに映るものを瞬時に理解し、百発百中だった。

 

 

アメリカ時代の監督作品を順番に。

海外特派員 Foreign Correspondent(1940)

Alfred Hitchcock-Foreign Correspondent(1940)

渡米第1作が超大作「レベッカ」第2作が『海外特派員』。

Alfred Hitchcock-Foreign Correspondent(1940)

アメリカではスリラー・サスペンス映画といえばB級映画の扱い。この映画に出演を打診したゲーリー・クーパー(Gary Cooper 1901-1961)には「スリラー映画には出ない」とあっさり袖にされてしまった。結果は大成功。スピーディな展開、目を奪う、釘付けになる名シーンと名ショットの連続で、ヒッチコック監督はハリウッドの大監督の一人として以後も君臨することになる。

Alfred Hitchcock-Foreign Correspondent(1940)

語り次がれるシーンは オランダが主な舞台。最初の見せ場はアムステルダムの広場を覆い尽くす群衆と傘。暗殺者が政治家を撃ち、カメラは俯瞰に切り替わり、雨の中波紋で揺れる木の葉のように動き、暗殺者は逃げ、主人公は後を追う。斬新すぎる、今までの映画にはないアイディアと実現した監督の力量、目の前のスクリーンに映し出される映像そのものの美しさに観客はショックを受ける。

Alfred Hitchcock-Foreign Correspondent(1940)

そしてオランダと言えば風車、立ち並ぶ風車の中、1つだけ、回る方向が違う。悪のアジトであることを発見。風車の中で主人公のコートが歯車に巻き込まれてしまうドキドキハラハラのシーン。

Alfred Hitchcock-Foreign Correspondent(1940)

そしてクライマックス、操縦席から見た飛行機の海上墜落シーン。飛行機が海に激突するシーン。巨大な水槽に実物大の飛行機(の部分)を突っ込むと同時に水が機内に流れ込むようにセットし、ワンシーン、ワンカットで撮った。

 

 

スミス夫妻 Mr. & Mrs. Smith(1941)

Alfred Hitchcock-Mr. & Mrs. Smith(1941)

アメリカ時代の唯一の「サスペンス映画」以外の映画。『レベッカ』を見た主演女優のキャロル・ロンバード(Carole Lombard 1908–1942)に頼まれて、監督を引き受けた。

Alfred Hitchcock-Mr. & Mrs. Smith(1941)

お話は、1940年代にハリウッドでさかんに作られた「スクリューボール・コメディ」、都会派の美男美女が丁々発止・すったもんだのやりとりを繰り広げ、紆余曲折を経て結局元の鞘または納まるトコに納まるロマンティックコメディ路線の映画。

Alfred Hitchcock-Mr. & Mrs. Smith(1941)

「とにかく脚本に書いてある通りに撮った。主人公の二人のことなどさっぱりわからなかったから。」が後日のヒッチコックのコメント。

Alfred Hitchcock-Mr. & Mrs. Smith(1941)

殺人も犯罪も出てないけど、金髪都会派お転婆美人のキャロル・ロンバードと優男のロバート・モンゴメリー(Robert Montgomery 1904-1981)のお話はソツなくまとまり、74万3千ドルの制作費で140万ドルの興行収入をあげた。

Alfred Hitchcock-Mr. & Mrs. Smith(1941)

キャロル・ロンバードのお茶目ぶりのエピソードが伝えられていますね。「俳優は家畜だ」とのヒッチコック監督の発言に対抗!? して、セットに主演俳優の名前を入れた檻を持ち込む。おきまりのヒッチコック監督のワンシーン出演を聞き込み、「(監督は)私がやる! 」と元気いっぱい。面白がって、ヒッチコック監督に次々NGを出したんだとか。

 

 

断崖 Suspicion(1941)

Alfred Hitchcock-Suspicion(1941)

『レベッカ』に続き、再びジョーン・フォンテインを主演女優に起用。フォンテインにアカデミー主演女優賞をもたらした映画。

Alfred Hitchcock-Suspicion(1941)

お話は、地味なオールドミス(←死後ですかね、もはや)と偶然出会った美男で社交的、悪い噂がついて回る調子のいい男。彼女が財産持ちの令嬢だと知るや猛アタックの末、2人は結婚する。甘い言葉をかけてくれるしいつも優しいけれど、定職にも就かず勤め先はクビになりウソの弁明と浪費を繰り返す。

Alfred Hitchcock-Suspicion(1941)

さらに借金はかさむ。夫の友人は不審な死を遂げ、自分に保険金がかけられていることを知る。夫は自分を殺そうとしているのではないか、との疑問を抱く妻。

Alfred Hitchcock-Suspicion(1941)

はかなげなジョーン・フォンティーンの募る不安と追い詰められていく様子がまたも見事。病床に伏せる妻に、心配した夫がミルク入りのコップをトレイに乗せ、階段を上ってくる。上目遣いのケーリー・グラントまなざしと、モノクロ画面にミルクの白が浮かび上がる。ミルクの中に電球を入れて光らせたのだとか。

Alfred Hitchcock-Suspicion(1941)

原作では、妻は夫の罪を知りながら、自ら毒入りのミルクを飲み干すのですが、映画は違う。

Alfred Hitchcock-Suspicion(1941)

「観客はケーリー・グラントが人殺しだということに納得しない」との理由で、結末が変わっている。

 

 

逃走迷路 Saboteur(1942)

Alfred Hitchcock-Saboteur(1942)

巻き込まれ型のサスペンスでイギリス時代にも同じ原題での映画があるが別物。

Alfred Hitchcock-Saboteur(1942)

『北北西に進路を取れ』と似た映画だと思ってもらえればまちがいない。映画の始まりはカリフォルニア。アメリカ大陸を横断し、クライマックスシーンはニューヨークの自由の女神のてっぺん(女神さまの頭飾りのあたり)での死闘! 

Alfred Hitchcock-Saboteur(1942)

犯人は女神さまのてっぺんから落ちて死んでいく…。

Alfred Hitchcock-Saboteur(1942)

軍需工場は燃え上がるし戦艦は爆破されるし、その意味スケールは『北北西に進路を取れ』を上回っている。今の目から見れば主人公の男女(ロバート・カミングス(Robert Cummings 1910-1990)とプリシラ・レイン(Priscilla Lane 1915-1995))にいまひとつ知名度がなく、他にものすごすぎる作品がいくらでもあるのでつい埋もれてしまいがちですが、

Alfred Hitchcock-Saboteur(1942)

スピード感もあり充分に見応えのある映画。 悪役のノーマン・ロイドは舞台出身の名優でこの映画がデビュー作。監督業にも進出。ヒッチコックの死まで交流は続き、104才でなお存命。

 

 

疑惑の影 Shadow of a Doubt(1943)

Alfred Hitchcock-Shadow of a Doubt(1943)

田舎町の女の子の家に、大好きな叔父さんが帰ってくる。実は叔父さん3人の未亡人を殺した殺人犯で、逃げてきた。 家に刑事がやってきて、叔父さんが殺人犯の容疑者であることを告げる。お土産にもらった指輪には被害者のイニシャルが刻まれていた。女の子はショックを受け、叔父さんを問いただすが罪を認めない。家族のために口外するなとも。

女の子は二階の裏口の階段の板が割れて足を踏み外してしまう。車庫に閉じ込められてしまい、車の排気ガスで殺されそうになる。忍び寄る恐怖。 叔父さんは町の教会に多額の寄付をして町を去る。口封じのため姪を殺そうとする叔父。しかし誤って自分が列車から転落し、死んでしまう。 叔父さんの盛大な葬儀が営まれ、女の子は恋人と一緒に葬儀を見守る。

Alfred Hitchcock-Shadow of a Doubt(1943)

叔父さんが『第三の男 The Third Man』(1949)のジョセフ・コットン(Joseph Cotten 1905-1994)。陰影のある複雑な悪役。 姪っ子がテレサ・ライト(Teresa Wright 1918-2005)。 『我等の生涯の最良の年 The Best Years of Our Lives』(1946)とともにもちろん『疑惑の影』は代表作。1940年代のハリウッドを引っ張った清楚な娘役・若妻役。

Alfred Hitchcock-Shadow of a Doubt(1943)

大好きな叔父さんは、本当に人殺しなの? でも家族の誰にも言えない。恐怖と葛藤は叔父と姪の間だけで、平穏な毎日の生活の中で誰にも知られずに進んでいく。じわじわと追い詰められていく。緊張が張り詰める。逃げ場はない。

Alfred Hitchcock-Shadow of a Doubt(1943)

叔父さんは殺人犯でありながら、もの柔らか、スマートで紳士的。 小さい出来事や小道具の積み重ねで、殺人犯であることが明らかになっていく。 姪っ子は真相を知り、一瞬で悪魔を見るような表情に変わる。 叔父さんは焦りを深めていき、最後には豹変し、姪を殺そうとする。

Alfred Hitchcock-Shadow of a Doubt(1943)

日常に入り込んでくる恐怖を静かに描き、他のヒッチコック作品にない身近な怖さを味わえる佳作。

 

 

救命艇 Lifeboat(1943)

Alfred Hitchcock-Lifeboat(1943)

ヒッチコック監督の映画テクニックへの挑戦作の一つ。

Alfred Hitchcock-Lifeboat(1943)

戦時色を生かし、第二次世界大戦中の大西洋で、Uボートに攻撃されて沈没した貨物船の乗組員が救命ボートに揃い、波間を漂う。閉じ込められた密室空間。限られた空間のなかでの密室劇。カメラのアングルも救命ボートの外に出ることはない。さらに音楽を使わない、との大胆な実験を行った。エンターテイメントに徹し、これみよがしの実験という痕跡を残さず、文句なしに面白い。

後の作品でも多様される手際のいいスピーディな導入部で、最初に状況を一気に見せる。 ヒロインのタルーラ・バンクヘッド(Tallulah Bankhead 1902–1968)の役柄はジャーナリスト・コラムニスト。迫力のある南部美人で、酒にタバコに男にクスリ、物言いも大胆で、でも大衆に愛された大物女優。活躍したのは主に舞台なので、映画出演の数はあまり多くない。

Alfred Hitchcock-Lifeboat(1943)

高慢ちきな美女が極限状態で変貌していく様子。赤ん坊を抱いて救命艇に乗った女性は子どもを亡くして水葬し、自らも海中に消えていく。同乗したドイツ軍人と連合国側の民間人との確執。また、ヒッチコック映画恒例のワンシーン・ワンカット出演。一番のお気に入りの役は、『救命艇』。

Alfred Hitchcock-Lifeboat(1943)

ダイエット薬の新聞広告。当時ヒッチコック監督はお医者様の管理のもと、150㎏の体重を100㎏に落とし、使用前・使用後の写真が写っている。ほんの一瞬ですけど。

 

 

白い恐怖 Spellbound(1945)

Alfred Hitchcock-Spellbound(1945)

1940年代を代表する美人女優、イングリッド・バーグマンを主演にすえた映画。 当時、バーグマンはハリウッドの、いえ世界の映画の究極のスタンダード、クラシック映画『カサブランカ Casablanca』(1942)に出演し、『ガス燈 Gaslight』(1944)でアカデミー主演女優賞を受賞。知的な美貌、清楚な美貌、格の高い美貌と確かな演技力で世界を制覇した絶頂期だった。

Alfred Hitchcock-Spellbound(1945)

役柄は精神科の女医さん。新しく着任した院長と愛し合う。でも彼には謎がある。白に黒のストライプの模様を見ると錯乱してしまう。 さらに、新院長は偽物であり、着任した新院長が真の院長を殺したのでは、との疑惑も浮上。

Alfred Hitchcock-Spellbound(1945)

愛する男性のため、二重・三重の謎に立ち向かう、世紀の聖女タイプの大女優、イングリット・バーグマンの美貌をお楽しみください。

Alfred Hitchcock-Spellbound(1945)

また、この映画にはフロイトの精神分析が使われており、また、 精神にモヤモヤを抱えた相手役のグレゴリー・ペック(Gregory Peck 1916-2003)の夢のシーンなどに、新たなイメージを求め、20世紀のシュールレアリスムの巨匠、サルバドール・ダリ(Salvador Dalí 1904-1989)が制作に協力。 巨大な眼球とカーテン、巨大な目玉が巨大なハサミで切り裂かれるなどの幻想シーンがある。

Alfred Hitchcock-Spellbound(1945)

そして映画冒頭、メガネなどをかけていたバーグマンは、恋に目覚め、キスシーンになると、次から次へ、奥へ奥へと愛の扉が開いていく…。 などが有名なシーンです。 相手役のグレゴリー・ペックは、オードリー・ヘプバーン(Audrey Hepburn 1929-1993)の『ローマの休日 Roman Holiday』(1953)での相手役。新聞記者の役。

 

 

パラダイン夫人の恋 The Paradine Case(1947)

Alfred Hitchcock-The Paradine Case(1947)

本当はこの映画でグレタ・ガルボ(Greta Garbo 1905-1990)をカムバックさせたかった。しかしガルボは承知せず、かわりにパラダイン夫人を演じたのは、アリダ・ヴァリ(Alida Valli 1921-2006)。もともとはイタリア映画のお姫様女優・トップスターで、『パラダイン夫人の恋』はハリウッドでのデビュー作。続く『第三の男 The Third Man』(1949)』への出演で、映画史に永遠に名を残す硬質の美貌。氷の美女ですね。

Alfred Hitchcock-The Paradine Case(1947)

盲目の英雄でもある高級将校の夫殺しの疑いで逮捕されたパラダイン夫人。男を惑わせる美貌の持ち主で、若き弁護士はたちまち恋してしまい、夫人の無実を信じ、調査を始める。 パラダイン家の馬丁は「パラダイン夫人は悪魔だ」と罵る。

 

Alfred Hitchcock-The Paradine Case(1947)

馬丁は夫人との情事を法廷で告白してしまい、退廷後自殺を遂げる。 馬丁の自殺を知ったパラダイン夫人は馬丁に駆け落ちを迫ったが拒絶され、自分が夫を毒殺したと自白。

Alfred Hitchcock-The Paradine Case(1947)

若き弁護士は恥辱にまみれ、法廷を去るしかなかった。貞淑な妻は温かく夫を迎え入れた。 弁護士役は『白い恐怖』に続いてグレゴリー・ペック。裁判長役のチャールズ・ロートンも強烈。愛妻役のアン・トッドは影が薄い。 イマイチ脚本が弱く、話に感情移入できないのですが…。グレタ・ガルボだったら違ったのかな。

話題になったシーンは、 馬丁が裁判に入廷し、夫人が背中で情夫の気配を感じ取るシーン。

 

 

ロープ Rope(1948)

Alfred Hitchcock-Rope(1948)

ヒッチコック監督の自分のプロダクションでの最初の作品。

Alfred Hitchcock-Rope(1948)

ヒッチコック監督が映画全編をワンカットで撮った! もちろん、フィルムの長さは決まっている。10分くらいですか。フィルムとフィルムのつなぎ目では、カメラを暗い所に移動させたりで、工夫する。

Alfred Hitchcock-Rope(1948)

完全室内劇。長回しの演出。カメラが動いて役者が動く、スクリーンには移らないけどセットも大道具も動く。 さらに『ロープ』は、ヒッチコック監督初のカラー映画。 色調が気に食わず、まるまる撮り直したシーンもある。

Alfred Hitchcock-Rope(1948)

まだある。上映時間は81分。時間の流れと映画の時間を一致させる。 ワンカットもカラー撮影も、職人監督の面目躍如、実験精神に燃えた意欲作。

お話はマンハッタンの摩天楼を見渡せるアパートの一室。 自分たちより劣っているとの理由で人を殺す2人の青年。さらに悪趣味にも被害者の父母や婚約者、大学時代の恩師を招いてパーティーを開き、死体の入ったチェストで食事を出したり、殺人で使ったロープで本を縛って殺した青年の父親に送ったりする。 殺されてしまった青年はいつまでたっても現れない。パーティーはお開きとなるが、恩師は2人の不審なふるまいを見逃さなかった。再び部屋に戻り、悪事は明らかになる。 恩師役が”アメリカの良心”こと名優、ジェームズ・スチュアート。

 

 

山羊座のもとに Under Capricorn(1949)

Alfred Hitchcock-Under Capricorn(1949)

自身のプロダクションでの第2作であり、イングリッド・バーグマンのヒッチコック映画出演第3作目。批評も興業的にも大失敗作となり、プロダクションは解散。の痛恨の作品。ヒッチコック監督自身も、自作をケチョンケチョンにけなしているのですが、『ロープ』に引き続き、クレーンを使っての長回しのシーンなど、見どころはいくつもあり、コスチュームプレイの、バーグマン最初のカラー映画だし、今ではカルト的名作として評価は上がっている。

過酷な演出に業をにやし「なぜこんなことをしなければいけないのか」と事あるごとに言いつのったバーグマンに「イングリッド、たかが映画じゃないか」とヒッチコック監督が返したのは、この映画。

Alfred Hitchcock-Under Capricorn(1949)

延々とバーグマン演じるヒロインが真相を独白する長回しのシーンもあり、演技していると、背景のセットが撮影のために動きだしたり、バラバラになって目の前から消えていくことの繰り返し。ナーバスになるものわかる気もする。

Alfred Hitchcock-Under Capricorn(1949)

共演は『疑惑の影』に引き続き、ジョセフ・コットンと、エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor 1932-2011)の2番目のご主人のマイケル・ワイルディング(Michael Wilding 1912-1979) 。

Alfred Hitchcock-Under Capricorn(1949)

お話は19世紀、オーストラリアのシドニー。囚人あがりの夫と、夫を追ってきた妻。妻の幼なじみとの三角関係となり、『レベッカ』に同じくコワイメイドさんも出てきて、シチュエーションは二転三転。でも基本はメロドラマなので、ハッピーエンドです。

 

 

舞台恐怖症 Stage Fright(1950)

Alfred Hitchcock-Stage Fright(1950)

『山羊座のもとに』の失敗のあと、古巣イギリスに戻って作った作品。 マレーネ・ディートリッヒ(Marlene Dietrich 1901-1992)が出演! 驚くなかれ、この時、49才!!

Alfred Hitchcock-Stage Fright(1950)

もともと若き日のヒッチコック監督は、ドイツ映画の表現主義に傾倒しており、ドイツの映画人には一目置いていた。 厳しい演出もディートリッヒ相手には影を潜め、衣装・宝石・照明にも口を挟まなかった。

Alfred Hitchcock-Stage Fright(1950)

歌も2曲歌っている。コール・ポーター(Cole Porter 1891-1964)書き下ろしの、その後のディートリッヒの18番となる『I`m the Laziest in the Town』、そして『ラ・ヴィアン・ローズ(バラ色の人生) La Vie en rose』。 当時のディートリッヒの愛人のマイケル・ワイルディングも出演している。後にエリザベス・テイラーと結婚すると、愛人を取られた怒りの手紙が暴露され、当時は大騒ぎだったとか。

Alfred Hitchcock-Stage Fright(1950)

この映画も、駄作、が通り相場ですが、ディートリッヒをはじめ、女優の殺人の濡れ衣を着せられたボーイフレンドを救うべく、世話係になって潜入する演劇学校の女優志願の女の子のお話だし、見どころはたくさんある。

Alfred Hitchcock-Stage Fright(1950)

共演のジェーン・ワイマン(Jane Wyman 1917-2007)(レーガン元米大統領の元夫人)は演技派で、当時『ジョニー・ベリンダ Johnny Belinda』(1948)でアカデミー主演女優賞を獲得したばかりだった。

 

 

見知らぬ乗客 Strangers on a Train(1951)

Alfred Hitchcock-Strangers on a Train(1951)

『山羊座の下に』『舞台恐怖症』と失敗作が続いたあとの劇的なカムバック作。

Alfred Hitchcock-Strangers on a Train(1951)

交換殺人のお話。列車で偶然出会った男に、あなたの妻を殺す代わりに私の父親を殺してくれないか。ともちかけられる。

Alfred Hitchcock-Strangers on a Train(1951)

もちろん断ったのだが、相手は妻を殺してしまう。魔の手が迫る…。山場・見せ場はメリーゴーラウンドの死闘で、迫力がすごい!

Alfred Hitchcock-Strangers on a Train(1951)

主人公はテニス選手。列車、テニスコート、メリーゴーラウンドと、3つとも見せ場がある。 有名なシーンは妻を殺す。妻のメガネが落ちる。メガネに殺人のシーンが映る…。

Alfred Hitchcock-Strangers on a Train(1951)

パーティの余興で、居合わせた婦人の首を絞める。メガネをかけた女の子(ヒッチコック監督の一人娘、パトリシア・ヒッチコック)が入ってくる。妻を殺した時に流れていたメリーゴーラウンドの曲が流れてきて、つい、首を絞めすぎてしまう…。

Alfred Hitchcock-Strangers on a Train(1951)

テニスの試合を早く終わらせて、犯人のところに行かなければならない。 観客はみんなテニスのボールの動きを追って。右に左に首を振っているのに、1人だけ、視点を定めて主人公を見ている男がいる…。不気味さとユーモアが同居している。

Alfred Hitchcock-Strangers on a Train(1951)

脚本はレイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler 1888-1959)。ヒッチコック監督をボロクソに言っている。

Alfred Hitchcock-Strangers on a Train(1951)

こっちが仕事にかかろうとするとヒッチコック監督は「ジェファーソン記念碑の頂上でラブシーンを撮ろう」とか言って脱線してしまう。

Alfred Hitchcock-Strangers on a Train(1951)

ヒッチコック監督は鋭い感覚を持っているけど、映画の核心についてあまり気にかけてない、と。

チャンドラーにとって、核心とはストーリー。ヒッチコック監督にとっては、映像のイメージであることがとてもよくわかる。

 

 

私は告白する I Confess(1953)

Alfred Hitchcock-I Confess(1953)

カナダのケベックが舞台。カトリックの神父のところに懺悔にやってきた男が、殺人を告白する。懺悔された内容は、口外できない。殺人犯は僧衣を着ていた、との目撃情報があり、事件当時のアリバイがあやふやだった神父は逮捕されてしまう。 真実を知りながら口外できない。犯人の話をせずに無実を証明できるのか? そして懺悔した男は、神父が口を割ってしまうのでは、と妻ともども、恐怖に怯えている。

Alfred Hitchcock-I Confess(1953)

神父は起訴されたものの、証拠不十分で無罪となったが、大衆は納得せず、釈放された神父に罵声を浴びせる。良心の呵責に耐えかねた犯人の妻は、真実を告白しようとするが、夫に殺される。真相を知った警察と神父は犯人の元に向かう。犯人は真実を警察の面前で自白し、神父を撃とうとして射殺される…。

Alfred Hitchcock-I Confess(1953)

主演のモントゴメリー・クリフト(Montgomery Clift 1920-1966)は、出演当時、世界で最も美しい顔の男性俳優と言われていた。 演技スタイルは、メソッド演技と言って、役にじっくり入り込み、思い入れたっぷり、迫真に迫る演技。

Alfred Hitchcock-I Confess(1953)

「俳優は、何もしないでそこにいればいい(あとで編集で自分の思いのままうごかすから)」のヒッチコック監督とはソリは合わなかったものの、ほぼセリフに頼らず、感情を押し殺した表情だが目は雄弁。神父の胸の内に秘めた苦悩を表現しており、さすがの演技。

Alfred Hitchcock-I Confess(1953)

ナイーブ過ぎ、内にこもり、45才の若さで死んでしまう。 ヒッチコック監督作品としては特異なテーマであり、大ヒットこそなかったが、一部の評論家は絶賛した。

 

 

ダイヤルMを廻せ! Dial M for Murder(1954)

Alfred Hitchcock-Dial M for Murder(1954)

実は自分の映画を全部グレース・ケリー主演で撮りたかった、と言わしめたヒッチコック美人の代名詞、ヒッチコック映画の永遠のヒロインの初出演作。

当時は新人女優グレース・ケリーもそうだが3Dでの映画撮影であることも話題となった。片目赤、片目青のメガネをかけて映画を見ると、スクリーンから人が、物が、飛び出してくる!

Alfred Hitchcock-Dial M for Murder(1954)

不倫している妻と、財産家の妻に離婚されては困る夫が、殺し屋を差し向け、妻は誤って殺し屋を殺してしまうくだりまはこれでもかこれでもかとスクリーンに映るモノが飛び出してくる。中盤は一転して飛び出しは影を潜め、終盤、鍵が真犯人特定のカナメなのですが、忘れたころに鍵が一気に飛び出してくる…、とのタイミングも計算済。

Alfred Hitchcock-Dial M for Murder(1954)

犯人はわかっているので、なぜ犯罪がばれてしまうのか、アリバイやトリックが崩され暴かれ、真犯人を追い詰める過程のストーリーは、はスタンダードなサスペンス映画の王道であり、ヒッチコック監督作品だもの、洒落のきいた会話とスリリングなカメラワークは盤石、鉄板。

Alfred Hitchcock-Dial M for Murder(1954)

天下のグレース・ケリーの美貌を堪能できるだけでも大満足。 夫役のレイ・ミランド(Ray Milland 1907-1986)は『失われた週末 The Lost Weekend』(1945)でアル中の小説家を演じてアカデミー主演男優賞を獲得した名優です。

 

 

泥棒成金 To Catch a Thief(1955)

Alfred Hitchcock-To Catch a Thief(1955)

「グレース・ケリーとキスできるんだけど、出ないか?」とヒッチコック監督のオファーに乗ったのは、一旦は引退を決意したケーリーグラント。

舞台は南仏、リヴィエラ。引退した宝石泥棒「ネコ」は自分の偽物が出没したことを知り、犯人捜しに乗り出す。リヴィエラで身元を隠し、アメリカの成金の母と娘と知り合い、娘ほは彼が宝石泥棒であることを見抜く。仮面舞踏会の晩に真犯人は捕らえられ、元宝石泥棒と成金娘は結婚で大団円。

Alfred Hitchcock-To Catch a Thief(1955)

力の入ったミステリー・サスペンス・スリラー映画ではないので、肩がこらない。ヒッチコック監督にとっては、「お遊びの映画」。

Alfred Hitchcock-To Catch a Thief(1955)

かわりにありそうでありえない夢の世界。南仏のリゾート地の素晴らしい景色やしゃれた会話、ゴージャスなケーリー・グラントのダンディぶり。 グレース・ケリーのクール・ビューティの絶頂期の美貌、名高い花火をバックにしての2人のキスシーン、ハリウッドのドレスドクターと呼ばれた衣装デザイナー、イーディス・ヘッド(Edith Head 1897-1981)のドレス、贅をこらした仮面舞踏会…、と楽しめる要素が満載。

Alfred Hitchcock-To Catch a Thief(1955)

ケーリー・グラントとグレース・ケリーが2人でピクニックに行って「脚? それとも胸? 」とバスケットのチキンを見せるシーンなどが記憶に残るシーン。 ヒッチコック監督作品へのグレース・ケリーの出演は、この映画が最後。

 

 

ハリーの災難 The Trouble with Harry(1955)

Alfred Hitchcock-The Trouble with Harry(1955)

美しいアメリカのニューイングランドのの田園地帯の紅葉シーズンを舞台に、死体が主人公!? のブラック・コメディ。ユーモラスなスリラー。なのでヒッチコック監督のバイオグラフィーの中では異色であり、小品。ただしユニーク過ぎる小品。見終わって不思議かつ好感度が上がってくる映画。

Alfred Hitchcock-The Trouble with Harry(1955)

「あら、死体があるわ」的なノリで話が進むのが何ともオカシイ。

Alfred Hitchcock-The Trouble with Harry(1955)

登場人物たちは死体の周りで右往左往、その誰もがハリーと関わり合いがあり、自分が彼を殺したのではないか思ってしまう。ハリーは、死体なのになぜか恐がられず、悲しんでもらえず、引きずられ、動かされ、埋められては掘り出され、掘り出されては埋められ、洗われたりする。 死体をきっかけに恋が生まれたりする。 ヒッチコックのユーモアには、すっとぼけたトコロがある。がこの映画では一番強くわかる。

主演女優のシャーリー・マクレーン(Shirley MacLaine 1934- )のデビュー映画。ヒッチコック監督は、演技を絶賛した。 気取りのない溌剌としたくるくる変わる感情表現がずば抜けていて、キュート。ダンサー出身なので、身のこなしにも表情がある。ほかに代表作は『アパートの鍵貸します The Apartment』(1960)と『愛と喝采の日々 Terms of Endearment』(1983)など。押しも押されぬ人気女優となった。

Alfred Hitchcock-The Trouble with Harry(1955)

地味な素材の映画だし、と宣伝にも熱心で、ヒッチコック監督の初来日は『ハリーの災難』のプロモーションだった。(2度目は『サイコ』の宣伝。)

 

 

知りすぎていた男 The Man Who Knew Too Much(1956)

Alfred Hitchcock-The Man Who Knew Too Much(1956)

ヒッチコック監督のイギリス時代の大ヒット作『暗殺者の家』をリメイク。モノクロからカラーへ。ジェームズ・スチュアートとドリス・デイ(Doris Day 1922- 2019)を主演に迎え、劇中歌「ケ・セラ・セラ Que Sera, Sera」は大ヒットし、ドリス・デイの代表曲の一つになった。

Alfred Hitchcock-The Man Who Knew Too Much(1956)

設定も犯罪と謀略に巻き込まれ型、息子がさらわれ、夫と妻が息子を救うために奔走し、真相は解明される。殺人事件に巻き込まれる場所を変えたり、前作が娘が誘拐される設定を息子に変えたり、妻の設定をクレー射撃の名手から歌手に変えたり。

Alfred Hitchcock-The Man Who Knew Too Much(1956)

一番のクライマックスシーンはロンドンのロイヤルアルバート・ホールのコンサート。シンバルの音と同時に大使を狙撃することを知り、妻がコンサート会場でとっさの機転で殺人を止めるまでのシーンは、音楽の流れる時間と映画の進む時間はほぼ同じ。音楽と、カット割りだけで、つまりセリフは一つもなしに、事態は進み、観客は釣り込まれ、興奮は高まる。

Alfred Hitchcock-The Man Who Knew Too Much(1956)

ヒッチコック監督は「『暗殺者の家』は素人の名作、『知りすぎた男』はプロの作品』」と語った。

Alfred Hitchcock-The Man Who Knew Too Much(1956)

安定感と余裕を増し、より進歩し、完成されたヒッチコック芸術を堪能できる。 ま、一般的には「ドリス・デイが『ケ・セラ・セラ』を歌った映画」、で通ります。

 

 

間違えられた男 The Wrong Man(1956)

Alfred Hitchcock-The Wrong Man(1956)

冤罪をテーマにした映画であり、実話をもとにした社会派映画でもある。 もちろん、ユーモアは皆無なので、その意味ヒッチコック監督作品の中ではダントツに怖い。 『12人の怒れる男 12 Angry Men』(1957)『怒りの葡萄 The Grapes of Wrath』(1940)の名優、ヘンリー・フォンダ(Henry Fonda 1905-1982)主演。

Alfred Hitchcock-The Wrong Man(1956)

お話の内容はひたすら悲惨で救いがない。無実の罪で逮捕され、有罪判決を受け、妻は発狂。真犯人は見つかり、疑いは晴れます。だからといってハッピーエンドとはならない。妻の心は戻ってこないのだから。(映画が終わってから奥様は退院し、子どもと一緒に普通の生活に戻ったとのテロップは出る)

Alfred Hitchcock-The Wrong Man(1956)

真犯人が見つかる・見つけるにも謎解きミステリーは無縁・皆無。 顔がとてもよく似ているだけで、「あの人が犯人だ」と決めつけられてしまう。筋書きを作る警察の取調べ。誤認逮捕から流れ作業みたいに処理されていく。裁判での陪審員の無関心さ。

新聞記事と主人公の表情の対比、留置場の覗き穴をすりぬけるかのようなカメラワーク、護送車の靴の描写、小窓からのインアウト、弁護士の会話と視線の食い違い、法廷で肩に置かれる手、真犯人とのオーバーラップ、妻の夫を信じ切れず感情を爆発させ、自分さえいなければとの自責の念にさいなまれていく描写はきめ細かい。

Alfred Hitchcock-The Wrong Man(1956)

演出の見せ場は随所にあるので、それはもちろん、ただのノンフィクション映画にはない見どころは満載。

 

マーニー Marnie(1964)

Alfred Hitchcock-Marnie(1964)

『鳥』のティッピ・ヘドレンを再び起用。相手役は『007 ドクター・ノオ Dr. No』(1962)を撮り終えたばかりの男のセックスアピール溢れる色気もしたたるショーン・コネリー(Sean Connery 1930- )。

Alfred Hitchcock-Marnie(1964)

ヒッチコック監督曰く「ある種の性的フェティズムに興味を惹かれた。この物語の男は、ヒロインが泥棒女だからこそ彼女に欲望を感じる。残念ながら、この性的フェティズムは映画にはあまりよく出ていない。 『めまい』のジェームズ・スチュワートがキム・ノヴァクに感じるようなフェティッシュな性的興奮が画面から伝わってこないだろうと思う。はっきり言えば、ティッピ・ヘドレンが会社の金庫からお金を盗む現場をおさえたショーン・コネリーが、すぐその場で彼女にとびかかって強姦してしまうところを見せるべきだった」

今でいうPTSD。子どもの頃の辛い体験がトラウマとなり、自分では忘れたつもりでも心の奥底に残っていて、大人になっても支配され続けている。

Alfred Hitchcock-Marnie(1964)

のヒロインに惚れた包容力ある男性に救われる愛のストーリーであり、謎解きの過程は迫真、極致、絶品、感動します。

Alfred Hitchcock-Marnie(1964)

ただ登場人物の行動や設定に多少の無理があり、演出力でねじ伏せる極致までには至らず、観客を引っ張りきれなかったことと、ヒッチコック監督はティッピ・ヘドレンに言い寄るのだが振られてしまい、完成後の監督本人のコメントにもいま一つ精気とハリがない。 なお、ティッピ・ヘドレンの娘は『ワーキング・ガール Working Girl』(1988)のメラニー・グリフィス(Melanie Griffith 1957- )。

 

 

引き裂かれたカーテン Torn Curtain(1966)

Alfred Hitchcock-Torn Curtain(1966)

公開当時、世界は自由主義の西側(代表アメリカ)と共産主義の東側(代表ソ連)に別れ、西側では共産主義を悪者にした映画が次々作られた。むきだしのイデオロギーはもともとヒッチコック監督は苦手。

Alfred Hitchcock-Torn Curtain(1966)

この映画も西側の天才的頭脳の物理学者が東側の軍事機密を盗み出すために東側を装い、機密をつかんで西側に脱出するお話。今までのヒッチコック監督作品の冒険・逃亡劇を上回るスケールのドラマであってもおかしくない。

Alfred Hitchcock-Torn Curtain(1966)

が、往年のキレと冴えと比べ続けられるのは天才映画監督の宿命。 ヒッチコックタッチと感じられるシーンは数多い。ストーリー展開はかなり楽しめるものの「全盛期と比べれば物足りない」の評価がついて回った。

Alfred Hitchcock-Torn Curtain(1966)

主演の『ハスラー The Hustler』(1961)と『明日に向って撃て! Butch Cassidy and the Sundance Kid』(1969)のポール・ニューマン(Paul Newman 1925-2008)のスタニスラフスキー・システムに基づく思い入れタップリのメソッド演技はヒッチコック監督のお好みに合わず、 『メリー・ポピンズ Mary Poppins』(1964)と『サウンド・オブ・ミュージック The Sound of Music』(1965)でスターの座についたジュリー・アンドリュース(Julie Andrews 1935- )に至っては、家庭教師の先生のイメージが強すぎ、観客は物理学者の婚約者の役柄に入り込めなかった。

最後まで飽きずに楽しめる映画だし娯楽性も高く、面白い、素晴らしい、わかりやすいと言う人もいる。

 

 

トパーズ Topaz(1969)

Alfred Hitchcock-Topaz(1969)

駄作のほまれ高い!? 映画。

Alfred Hitchcock-Topaz(1969)

『マーニー』『引き裂かれたカーテン』『トパーズ』と3作続けて批評も興業成績もさんざんで、公開当時はさすがのヒッチコックも老いたり。かつての天才監督はこの3作を以て過去の人、との見方も大勢だった。

Alfred Hitchcock-Topaz(1969)

試写の段階で大不評で、慌ててラストシーンを撮り直しており、エンディングが3種類ある。発売されているDVDの映像特典などで見ることができる。 世界を震撼させた1962年のキューバ危機をめぐるインターナショナルな東側・西側世界をまたにかけたスパイ合戦のはず…。ヒッチコック監督向けの題材にはそもそも向かなかったのか、老いなのか。

Alfred Hitchcock-Topaz(1969)

ヒッチコック監督作品じゃないと思ってみれば悪くないし、最後まで引き込まれてみてしまう隙のない画面構成は完璧。 キャストも地味だし、リアルな、抑えた演出。 でもさすがはヒッチコックと感じるすばらいしショットはもちろんいくつもある。 大人のスパイ映画、緊迫化する東西両陣営の近代史の背後で暗躍するスパイ活動のエピソードとして充分楽しめるレベル。

Alfred Hitchcock-Topaz(1969)

よく取り上げられるのは、敵だと知った愛人を男が射殺し、女は倒れ、青いドレスを血が広がるかのように俯瞰で捕らえたシーン。

 

 

フレンジー Frenzy(1972)

Alfred Hitchcock-Frenzy(1972)

ヒッチコック監督も終わりか…とささやかれていた。『フレンジー』は巻き返しの作品となり、ヒッチコック健在、と観客をうならせた。 最後から数えて2本目の映画。 イギリスで撮った映画。カラーの色目も、濃いめというか、渋めというか。

Alfred Hitchcock-Frenzy(1972)

スターを使わない。映画がリアリズムに傾く時代の流れに敏感だった。目の覚めるような美女がさっぱり出て来ず、舌を出して白目をむいた死体の顔が出て来る。 ファーストシーンだって、ロンドンの町が俯瞰で移動していき、「テムズ川もきれいになります」と演説そているとつんざく悲鳴。全裸のネクタイを巻いた絞殺死体が流れてくる。

Alfred Hitchcock-Frenzy(1972)

見ものは殺人犯を追う警視と奥さんのやりとり。暗い陰惨なドラマがユーモラスになる。お料理に凝りに凝り、夕食は豚足、ウズラの照り焼き、魚の頭を煮込んだ地中海っスープとか。殺人犯が女の指を折るという話をしているときに奥さんは細いパンをポキッと折る。「あなた、10年も結婚していた元夫婦に相手を殺す情熱があると思う? うちは3年だけどあなたはどう?」

Alfred Hitchcock-Frenzy(1972)

女を殺し、死体を隠したはいいが、自分のネクタイピンをつかんだままだということに気づく。死体を詰め込んだジャガイモの袋を開ける。死後硬直した死体の脚がポーンと出てきて、犯人のアゴを蹴り上げる。

Alfred Hitchcock-Frenzy(1972)

ネクタイピンををしっかりつかんだまま硬直した指を追って手を開く、ポキッ、ポキッと指が折れる音がする。死体がジャガイモの袋もろとも路上に落ちる。 殺人鬼のお話なのに、どこかみずみずしい。この時、ヒッチコック監督、70才。

 

 

コラム②ヒッチコック監督の映画はなぜおもしろいのか

Alfred Hitchcock-Shadow of a Doubt(1943)

ストーリーの素晴らしさは当然として、キャスティングに魅力があって、ディテールの工夫がすばらしい。 観客をスクリーンに引きつけ、一瞬たりとも飽きさせない。息もつかせぬ面白さ。
イギリス仕込みのユーモアとアイロニー。
真顔で繰り出される。自虐の気配。時には残酷の気配、時には皮肉の気配。権力は嫌い。ブラックで時にはグロテスク、時にためらいがちに婉曲に。

脚本が練り上げられていてムダがなく、アイディアが奇抜・無限・矢継ぎ早

Alfred Hitchcock-Notorious(1946)

次に何が起こるのか? に気を取られてしまう。クライマックスまでがどんでん返しと荒唐無稽の繰り返し。
テンポが速い作品だと出世作『バルカン超特急』、『三十九夜』『見知らぬ乗客』『北北西に進路を取れ』などは息もつかせぬ展開。ゆったりした運びだと『めまい』とかですね。
忘れられないシーンがありすぎて困ってしまう。

ストーリーを映像と編集で語る

Alfred Hitchcock-Rear Window(1954)

たとえ設定に多少無理理があろうとも、見せ方が上手ければ、明確で説得力があるなら観客は引き込まれる。偶然の連続なのに「おかしいんじゃないか」などと思わせるスキがない。文句なしに説得されてしまう。
フィルムをつなぎ合わせてシーンをつくり、シーンとシーンをつなぎあわせてストーリーを語る。
ヒッチコック監督はこれが神業級。だからこそ、神様・巨匠の名をほしいままにした。
一番わかりやすい例は『知りすぎた男』のアルバートホールのシーンでしょう。セリフが一言もでてこない。

カメオ出演

Alfred Hitchcock-The Lady Vanishes(1938)

自身の映画に1カット、かならず監督自身が姿を現す。初出演はイギリス時代の『下宿人』。エキストラの数が足りなくて自分もやむを得ず出ることになった。次第に縁起をかついだり、笑いを取るためにとか、ファンに目配せのつもりで出るようになる。ヒッチコック監督は独特の太った体型のイメージが強烈だけど、監督本人がチラっと自作に出るのは、別にヒッチコック監督だけではない。

Alfred Hitchcock-The Trouble with Harry(1955)

でもヒッチコック監督のように印象的な出方をする監督はいない。ヒッチコック監督の場合は、あの体型に愛嬌があるのと、出方にいちいちアイディアがあって、観客も楽しみに待ち構えている。…のがわかると、邪魔にならないよう、最初の方に、できるだけわかりやすい出方で出るようになった。
最後の映画、『ファミリー・プロット』では、ガラスごしに映る。
シルエットで、死亡登記所のオフィスのドアのくもりガラスに。

マクガフィン

Alfred Hitchcock-The Paradine Case(1947)

「スパイが"重大なモノ"を持っている。取り返さなければ」
「〇〇の秘密を解き明かさないと自分の無実は証明できない」
的に、映画のお話の中で、登場人物を動かす理由ですね。
ヒッチコック監督はコレがたとえば、『バルカン超特急』の老婦人の歌うメロディーであったり、『汚名』ではウラニウムの瓶だったりする。あんまりあっけなすぎて、肩透かしをくらった気分。
「マクガフィン」は何もない。それでいい。暗号解読の説明を長々しくする必要がどこにある? やっとたどり着いた答えは空虚。それでいい。観客が見たいと思い感情を揺り動かされるのはマクガフィンではない。がヒッチコック監督の考え方。

Alfred Hitchcock-Dial M for Murder(1954)

以上の映画哲学は、壮大な歴史を語る、人生の悲哀を語る、恋愛の切なさを表現する。人間模様の綾を描く、の従来の映画作家のそれとはあまりにも立ち位置が違いすぎる。このため、社会的名声と観客の支持は絶大でも、ヒッチコック監督作品は長い間、映画芸術・映画マニア・映画専門家の間では不当に評価され続けた。
そのユニークさこそが偉大なのだ。の見方に変わったのは、1960年代に入ってから。くだらんことでケチをつける輩に、持久戦で、ケリをつけた。

Alfred Hitchcock-To Catch a Thief(1955)

 

 

イギリス時代の監督作品を順番に。

快楽の園 The Pleasure Garden(1925)

Alfred Hitchcock-The Pleasure Garden(1925)

ヒッチコック初監督作品。後の夫人、当時は婚約者のアルマ・レヴィルは映画のアシスタントディレクターで、イタリアやフランスでロケが行われ、フィルムは没収されるわ監督のサイフは盗まれるわ所持金は底をつくわ、撮影はてんやわんや。初作品はアメリカでも上映された。お話はコーラスガールが2人。1人は愛する男を救い、もう1人は男を裏切り、零落していく。

 

 

山鷲 The Mountain Eagle(1926)

Alfred Hitchcock-The Mountain Eagle(1926)

フィルムが散逸してしまっている。ハリウッドではルドルフ・ヴァレンティノ(Rudolph Valentino 1895-1926)との共演で知られる妖婦役のイメージの強いニタ・ナルディ(Nita Naldi 1894-1961)がなぜか女教師役、ケンタッキーが舞台なのになぜかヨーロッパで撮影、お話も女教師が悪い男につきまとわれ、逃げた先の男と愛し合う、との内容で、

ヒッチコック監督にとっては後味の悪い作品だったらしく、自作を自分でケチョンケチョンにけなしている。

 

 

下宿人  The Lodger(1927)

Alfred Hitchcock-The Lodger(1927)

最初の「ヒッチコック映画」であり、ヒッチコック監督の最初のワンシーン出演の映画でもある。映画は大ヒットし、出世作となり、高評価を得てイギリスでの監督としての地位を確立した。 怪しい男が下宿人としてやってきた。果たして彼の正体は!? ガラス張りの床の上を歩かせて「 下宿人」 の不審な行動を下から撮影し、お得意のらせん階段の俯瞰のシーンもこの映画がはじまり!

 

 

ダウンヒル Downhill(1927)

Alfred Hitchcock-Downhill(1927)

『下宿人』のアイヴァー・ノヴェロ(Ivor Novello 1893-1951)主演第2作。名門校に通う主人公は濡れ衣を着せられ、勘当され、お金目当ての結婚をして財産をだまし取られ、しまいにジゴロに身を落とす。家に帰り着き、誤解は晴れ、迎え入れられる。主人公が身を持ち崩し、転落していく描写の工夫や技巧に、後年のヒッチコック映画の源流を見ることができる。お話の内容も古めかしいし、ヒッチコック監督自身はこの作品はお好きではなかった様子。

 

 

リング The Ring(1927)

Alfred Hitchcock-The Ring(1927)

ボクシングの「リング」と指輪の「リング」をかけている。ヒッチコック監督初原案・初脚本作品。男女の三角関係の恋愛ドラマ。ヒッチコックタッチは、恋する2人が移る水面が揺れるシーン(2人の将来を暗示している)、グラスに注いだシャンパンの泡が消えていくシーン(恋人を待つ時間を示す)。ボクシングの試合の演出はスピーディでスリリング、今見てもうまさに唸ってしまう。登場人物の心理描写も文句なし。

 

 

ふしだらな女 Easy Virtue(1928)

Alfred Hitchcock-Easy Virtue(1928)

題名からお察しのとおり、お説教くさい。 夫がいるのに、不倫の恋の末、恋人は自殺してしまった。過去を伏せて別の男と結婚するが、事実は明るみに出、夫の家族からも軽蔑の視線を浴び、女は家を出て行く。都会のしゃれた男女の機微を描いた多くの作品で名高いノエル・カワード(Noël Coward 1899-1973)の原作で、主演のイザベル・ジーンズ(Isabel Jeans 1891-1985)は『汚名』のクロード・レインズと結婚していたこともあり、1940年代は同じくヒッチコック監督の『断崖』、1950年代は『恋の手ほどき Gigi』(1958)は、年に出演、晩年まで舞台出演にも精力的だった美人女優。

 

 

農夫の妻 The Farmer's Wife(1928)

Alfred Hitchcock-The Farmer's Wife(1928)

お話は、娘を嫁がせた男が、自分も再婚しよう、と女性に次々プロポーズするものの、結局献身的なメイドを妻として迎え入れる、とお話はなんてことないし、ヒッチコック監督もあまり愛着はない模様。技巧としては、求婚する女性が次から次へと据え置きの高さで正面からとらえられたイスの前に現れては消えていくシーンが初期の典型的なヒッチコック・タッチ。空間の取り方、さすがのカットワーク。コメディ仕立てなので、軽く楽しめる。

 

 

シャンパーニュ Champagne(1928)

Alfred Hitchcock-Champagne(1928)

この映画もコメディ。大金持ちのお転婆お嬢さんがパリに駆け落ち。するとパパの破産の知らせが! 働かなきゃ! と一念発起、大奮闘。サイレント映画だし、字幕を極力使わず、音楽に頼らず、カメラワークとモンタージュでストーリーを、人間関係を描いていく。俳優の演技もサイレント映画にしてはリアル。ヒッチコック・タッチを楽しむなら、船が揺れるシーン、船酔いのシーン、シャンパングラスの底にまわりの風景が映り込むシーン。

 

 

マンクスマン The Manxman(1928)

Alfred Hitchcock-The Manxman(1928)

イギリスのマン島が舞台で、「Manxman」は「マン島に住む人」の意味。男2人と女1人の三角関係のお話で、困った女に振り回されて男性が気の毒、周りは迷惑なのでは…、とさっぱり感情移入できませんが。ヒッチコック監督最後のサイレント映画であり、目立つヒッチコック・タッチはあまりなし。スタンダードに苦悩する登場人物たちのドラマを描いている。

 

 

恐喝 Blackmail(1929)

Alfred Hitchcock-Blackmail(1929)

ヒッチコック監督初のトーキー映画であり、イギリス初のトーキー映画である。些細なことから男を刺してしまった女、証拠の手袋を手に恐喝する浮浪者。 公開前から注目度が高く、後のエリザベス皇太后が撮影所見学にお見えになった。主演女優のアニー・オンドラ(Anny Ondra 1902-1987)はポーランド系で声は口パクの吹き替え。サイレント映画の終焉を、シャンデリアが悪役の顔に映り込み、一瞬ヒゲを蓄えたサイレント映画おきまりの「ヒゲの悪役」になぞらえたシーンと工夫が有名。

 

 

ジュノーと孔雀 Juno and the Paycock(1930)

Alfred Hitchcock-Juno and the Paycock(1930)

貧しい一家に突然大金が転がり込む。舞い上がった家族と取り巻く人間模様。前半はコミカルに、後半が一転して悲劇(遺産相続は間違いで夫は働かず内線で片腕を失った息子は連れ去られ殺され、娘は妊娠するが捨てられてしまう。)原作は舞台劇。発表当時、イギリスでは大絶賛された。原作者はアイルランド人でヒッチコック監督は舞台を忠実に映画化。

 

 

殺人! Murder!(1930)

Alfred Hitchcock-Murder!(1930)

女優が殺され、容疑者の女優は死刑を宣告される。女優を愛してしまった男は真犯人捜しに乗り出す。意外な犯人と、殺人の動機とは。女優が殺され、時計のアップ。悲鳴が聞こえ、ドアがノックされる。町行く人の表情が映し出される。空中ブランコのシーン、サーカスでの群衆の混乱シーン、名シーンはいくつもある。殺人の動機に時代が感じられます。

 

 

スキン・ゲーム The Skin Game(1931)

Alfred Hitchcock-The Skin Game(1931)

川端康成の『伊豆の踊子』のインスピレーションとなったと言われているイギリスの文豪ジョン・ゴールズワージー(John Galsworthy 1867-1933)の戯曲の映画化。お話は、今の海外ドラマみたい。旧家の令嬢と新興の息子が恋に落ちる。両家の確執。旧家の長男の嫁の過去が暴かれ、一気に物語は悲劇的な結末へ…。とぜんぜんヒッチコック映画っぽくない。公開当時は大人気で、ゴールズワージーと出演俳優のネームバリューで売った。そして観客の入りも良かった。

 

 

メアリー Mary(1931)

Alfred Hitchcock-Mary(1931)


近年フィルムが発見された。映画が初めて音を持ったころ、多国語に輸出する映画は、セットは同じにして英語版、ドイツ語版、フランス語版…と、役者だけ変えて撮った。録音技術が追いついていなかった。『メアリー』は『殺人!』のドイツ語版。役者が変わると映画がどう変わるのかを見るのも一興。殺人の動機もイギリス版とドイツ版では微妙に違う。時間もドイツ語版は30分短いので見比べると面白いかも。

 

 

第十七番 Number Seventeen(1932)

Alfred Hitchcock-Number Seventeen(1932)

もともとはミステリーものの舞台劇。ヒッチコック監督自身は気乗りしなかった企画。せめて自分なりの演出を、とコメディ仕立てのスリラーを目指したものの、本人も納得がいかず、批評もイマイチ。でも、ミニチュアとセットを駆使し、テンポの早い列車の暴走とバスの追跡シーンや、意味深な影のシルエットのショットや、後年の映画の1シーンを彷彿とさせるアイディアを実現したシーンは数多い。

 

 

リッチ・アンド・ストレンジ Rich and Strange(1931)

Alfred Hitchcock-Rich and Strange(1931)

ロンドンで普通に質素に暮らしている夫婦に急に大金が転がりこみ、2人は世界漫遊の旅に出る。パリを経由し、マルセイユから船出してインド洋へ、シンガポールへ…とエキゾチックな世界各地の風景。そして夫も妻も、好きな人ができてしまい、でも、すったもんだを乗り越えて、2人は元のサヤに戻ります。ジャンルはミステリー・サスペンスではないな~。世界旅行つきのロマンティック・コメディ。

 

ウィンナー・ワルツ Waltzes from Vienna(1933)

Alfred Hitchcock-Waltzes from Vienna(1933)

ワルツ王、ヨハン・シュトラウスの映画。お父さんがヨハン・シュトラウス1世、「美しき青きドナウ」の誕生秘話をドラマ仕立てで描く。父と子の対立、恋人役は当時人気のミュージカル女優。と意外すぎる内容であり、ヒッチコック監督は自作を歯牙にもかけないご様子ですけど、名工・名匠の作る映画ですから、楽しめる。上質なメロドラマ。

 

 

暗殺者の家 The Man Who Knew Too Much(1934)

Alfred Hitchcock-The Man Who Knew Too Much(1934)

ヒッチコック監督の「スリラー映画監督」の肩書はこの映画にはじまった。

Alfred Hitchcock-The Man Who Knew Too Much(1934)

大評判となった映画。イギリス時代を代表する映画のうちの1本。

Alfred Hitchcock-The Man Who Knew Too Much(1934)

旅先で暗殺団の秘密を知ってしまった夫婦。

Alfred Hitchcock-The Man Who Knew Too Much(1934)

「口外したら命はない」と子どもはさらわれてしまった。暗殺の現場はコンサートホール。シンバルの一撃の音で銃声を隠す。クライマックスシーンが近づいてくる…。

Alfred Hitchcock-The Man Who Knew Too Much(1934)

後にヒッチコック監督自身の手でリメイク版『間違えられた男』が作られた。

 

 

間諜最後の日 The Secret Agent(1936)

Alfred Hitchcock-The Secret Agent(1936)

サマセット・モーム原作の舞台劇を映画化。スパイ・諜報員ものの先駆けとなった作品で、サスペンス・スリラーもの。 スイスが舞台なのでアルプスの山々やチョコレート工場での群衆の混乱シーン、クライマックスの長距離列車。見せ場はそちこちにあるものの、結果として無実の人間を殺してしまう後味の悪いストーリーでモヤモヤしてしまう。ピーター・ローレ(Peter Lorre 1904-1964)はの不気味な・異常なキャラクターに吞まれてしまう。

 

 

サボタージュ Sabotage(1936)

Alfred Hitchcock-Sabotage(1936)

工作員の男。八百屋に扮して身辺を探る刑事。妻の弟に爆弾を運ばせるハメになり、乗り込んだバスは爆発、弟は死んでしまう。真相を知った妻は夫を刺殺してしまう。と映画中にハラハラドキドキの要素が多く、見せ場は多いものの、罪もない子どもを殺してしまうのは、後味が良くない。主人公・主人公の妻・刑事の演技・演出には文句のつけようがないんですが。

 

 

第3逃亡者 Young and Innocent(1937)

Alfred Hitchcock-Young and Innocent(1937)

お得意の巻き込まれ型サスペンス。無実の罪を着せられた青年が協力してくれる女性とともに警察を脱出! 逃亡! 犯人の特徴は「まぶたをピクピクさせる男。」 犯人を捜してパーティー会場に潜り込み、観客にだけ、クレーンを使った大がかりな超絶技巧のワンシーン・ワンカットで犯人の居場所を教える。顔を黒塗りにしたドラマー。追われていることを悟った犯人のドラムの音が乱れ始める…。と楽しめるシーンは数多い。小粒だけれど面白く見応えあり。

 

 

巌窟の野獣  Jamaica Inn(1939)

Alfred Hitchcock-Jamaica Inn(1939)

ヒッチコックのイギリス時代の最後の作品。人気作家ダフニ・デュ・モーリエ (Daphne du Maurier 1907-1989)の原作で、後にハリウッドに渡るアイルランド美人、モーリン・オハラ(Maureen O'Hara 1920-2015)のデビュー作。 ジャマイカ亭で純情な田舎娘が経験する事件と冒険。 とあまりヒッチコックっぽくない。コスチューム・プレイ(設定は19世紀)で舞台がイギリスの港町、海賊なんかも話にからんでくるのでミニチュアを使った難破船のシーン、難破船を襲撃するシーン、モーリン・オハラの美貌と悪役チャールズ・ロートン(Charles Laughton 1899-1962)などが見どころ。

 

 

コラム③ ヒッチコック監督の闇と傷み

Alfred Hitchcock-The Birds(1963)

ヒッチコック監督は映画の神様だけど、完璧な人間はいない。誤解を恐れずに言えば人格者である必要はない。ある意味偏執狂的なトコがなければ、殺人と絞殺とラブシーンはあそこまで掘り下げられない。

趣味もあんまり聞こえて来なくて、運動は生涯やらなかった。お酒と美食がお好き。アメリカに行ったばかりのころ、レストランで爆食していたところを面白おかしく書かれてしまい、その後は人のいないところでせっせとおいしいものを平らげていた。(でなければあそこまで太れない)

Alfred Hitchcock-Torn Curtain(1966)

晩年、最後の10年くらいは体調も思わしくなく、強いお酒を飲んで痛みと辛さを紛らわしていた。

最も困ったエピソードとして有名なのは、『鳥』と『マーニー』の主演女優、ティッピ・ヘドレンへのモラハラ・セクハラのエピソード。

Alfred Hitchcock-Marnie(1964)

それまでのヒッチコック美人、マデリーン・キャロル、イングリッド・バーグマン、グレース・ケリー、キム・ノヴァク、エヴァ・マリー・セイントについては、そのテの話は聞いたことはないのですが、(もっとも、ハリウッドのスキャンダルの暴露本で、グレース・ケリーは摩天楼ごしに服を脱がせるところを見せ、ヒッチコック監督が遠くから『裏窓』のジェームズ・スチュアートのごとくその様を凝視し続ける…。とのエピソードは読んだことはある。嘘か誠かまでは知りません)『鳥』のころのヒッチコック監督は60代半ば。世界的映画監督。ティッピ・ヘドレンはモデル上がりの、演技の経験の全くない、新人女優。 今までは、見ているだけ、演出しているだけだった。何かのタガが外れてしまったのでしょうか。

俺の映画に抜擢してやったんだとばかりに、『マーニー』の撮影中、ヒッチコックは、深夜、ヘドレンの部屋に押しかけてきて、
繰り返し繰り返し、関係を求め続けたという。言うことを聞かなければ、撮影中、絶対にOKを出さない、映画界から追放する、なぶりものにしてやる、破滅させる、呪い殺す…と脅しをかけたのだとか。
その気になる女性などいるはずもない。

Alfred Hitchcock-Family Plot(1976)

拒絶された以後のヒッチコック監督作品のカラーは、明らかに変わった。少なくても、女優を美しく撮ることへの興味が感じられない。
ヘドレンは、『マーニー』以後、女優としてのキャリアは急速に失速していくことになる。

イングリッド・バーグマンとは、晩年まで交友は続いたし、グレース・ケリーのころは、映画監督として一番脂の乗った時期で、気力充実していた。
マレーネ・ディートリッヒには一目おき、撮影の指示をいちいち出すディートリッヒにスタッフは驚愕したが、ディートリッヒの意向どおりに撮影は進んだ。

Alfred Hitchcock-Psycho(1960)

『北北西に進路を取れ』のあと、『サイコ』の前。オードリー・ヘップバーンにもご執心。出演を依頼したものの、オードリーは脚本を読み、拒否。強姦シーンがあるから、が理由。
(余談ですがここらへんがオードリー・ヘップバーンの映画女優としての限界。年を取っても『ローマの休日』のアン王女のイメージに固執し、出演を断った巨匠の映画は数知れず)
たいしたシーンではなかったのに、とヒッチコックはあとで弁解したけど、かなりのものだったらしい。

Alfred Hitchcock-The Wrong Man(1956)

美女へのサディズムの傾向は、確かにあって、
『三十九夜』ではロバート・ドーナットが、マデリーン・キャロルとともに、手錠で二人一緒につながれる。二人の困った様子(ことにトイレ)見たさにカギの自分のポケットに入れたままで、探せ、とスタッフを右往左往させ、何時間も放置した。

映画芸術の聖書と呼びたいインタビュー本「ヒッチコック/映画術 トリュフォー」だって、手柄は全て自分のものだと言わんばかりの口調に傷ついた人も多いであろうことは、想像にかたくない。

Alfred Hitchcock-Rope(1948)

『汚名』のクロード・レインズが「僕はアメリカのスパイと結婚した」と告白するシーン、
『レベッカ』のジョーン・フォンテインがダンヴァース夫人の不意の出現に怯える動き、
『私は告白する』で、自分の妻に自分の罪をばらさないでと頼む瞬間。
『めまい』でジェームズ・スチュアートが懸命に生きた女を死んだ女に似せようと頼むシーン。
ヒッチコック監督の心の闇と心の痛みは、伝わってくる。

 

 

Alfred Hitchcock-Family Plot(1976)

 

Alfred Hitchcock-The Mountain Eagle(1926)

1980年4月29日、逝去。遺骨はロザンゼルス沖に散骨された。

 

 

 

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*1:もともとはキツネ狩りに使った。動物愛護の人が、貴族のキツネ狩りを邪魔しようとして、燻製ニシンをキツネのいない場所にぶらさげて猟犬の臭覚を攪乱する。