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【画像50枚】ジャクリーン・ケネディが一番綺麗だったころ。

ジャクリーン・ケネディのパブリックドメインの画像を張りながら、その生涯と魅力についてお話ししていきます。

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生涯

ジャクリーン・ケネディ(Jacqueline Kennedy 1929-1994)。アメリカが最強国の威厳とエネルギーに燃えていた時代に現れた時代のシンボリックな存在。第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディ(John F Kennedy 1917-1963)の夫人であり、1961年から1963年までアメリカのファーストレディ。夫が暗殺された後、聖女として夫の喪に服すべく無言の重すぎるありとあらゆる重圧と反対をはねのけ、ギリシャの海運王、アリストテレス・ソクラテス・オナシス(Aristotle Socrates Onassis 1906-1975)との愛なき再婚。

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オナシスの死後、再び未亡人となり、生まれ故郷のニューヨークに戻り、編集の仕事にたずさわる(結婚前はワシントン・タイムズ・ヘラルド紙記者)。半年にも満たない闘病生活の後、64歳でこの世を去ります。(死因は血液のがんの一種、非ホジキンリンパ腫)。

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持ってきた写真は、ケネディ大統領夫人として、ファースト・レディとして、全世界の尊敬と憧れを一身に集めていたころのものがメイン。

 

J・F・ケネディとの結婚。光と影。

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それは、数え上げれば、きりも果てもないのです。

そもそものこの結婚は、二人が恋に落ち、命もいらぬ名もいらぬ、ただ一緒に生きていきたい。とは真逆すぎる。ケネディがジャクリーヌ・ブーヴィエを妻として選んだ理由はただ一つ。独身者がアメリカの大統領に選ばれることは難しい。大統領になるためには結婚する必要がある。大統領の座を得るために。彼女は大統領選を戦い抜くために、またとない有利な武器となる。大統領の座に上り詰めた暁には、比類なきファースト・レディとなり、己の名声を高めてくれるに違いない。の確信と燃えたぎる野望の元、選んだ女性。白羽の矢を立てた女性。あからさますぎる計算。

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ケネディと出会ったジャクリーヌ・ブーヴィエは、当時23才。フランス貴族の血を引き(曽祖父のお母さんがフランス貴族)父母とも名門の裕福な家庭に生まれ、上流階級の子女にふさわしい教育を受ける。生涯の趣味は乗馬。1949年、17才で社交界にデビューし、その年のナンバー1に輝く。美貌と気品、上流社会仕込みのセンスを兼ね備えていた。

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ヴァッサー大学に進み、パリに憧れてソルボンヌ大学に留学。フランス語を自在に操る。オスカー・ワイルド、ボードレール、ディアギレフを綴った一文はヴォーグ誌のコンテストで優勝。帰国し、ジャーナリズムを学び、女性記者として颯爽と第一線で活躍。どこまでも欠けるところがない。非の打ちどころがない。高校の卒業文集には「絶対に普通の主婦になんかならない。」と記していたのだとか。ジャクリーンの強いプライドと上昇志向がJFKと見事にかち合った。と、とれなくもない。

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そして絵になる誰もがうらやむ美男美女の結婚。時にJFK36才。ジャッキーは24才。しかしこの結婚、結果的には10年しか続かなかった。

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まず夫JFKの健康問題。もともと体が弱く、さらに第二次世界大戦で従軍中、乗っていた魚雷艇が日本の駆逐艦「天霧」の攻撃により沈没し、海上を漂流したことが決定打。生涯薬と松葉杖が手放せなかった。(松葉杖を使っている写真や映像はほとんど残されていないのは、本人が撮らせなかったから)

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そして薬の副作用なのか英雄色を好む、と言っていいのか。特異体質、病気なんだと諦めるしかないのか。一国の長に上り詰めるエネルギッシュな男性なんだし、首脳会談のとき「私は常に女性がいないとだめなんだ」といきなりカミングアウトして会談相手を仰天させた、レセプションの席では列席した高官夫人に目の色を変え側近に無理難題を言ってきかない。マリリン・モンローをはじめとするひっきりなしの絶えることのない女性の噂。

そして大統領は選挙で選ばれる。ファースト・レディはしょせん添え物。の立ち位置。ケネディにとって何よりも優先されるものは国家。自分ではない。若い妻にとっては、到底堪えがたい。

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ケネディ家はアグレッシブかつ野心に燃える一族。フランス語をあやつり、文学や芸術を愛するジャクリーンは明らかに異質。お高くとまっていること、と婚家の一族の視線は決してあたたかくはなかった。

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子どもは2人。キャロライン・ブーヴィエ・ケネディ(英: Caroline Bouvier Kennedy、1957- )、ジョン・F・ケネディ・ジュニア(John F Kennedy, Jr., 1960-1999)。でも流産、死産、産まれたもののまもなく死亡、の子どもが3人いる。10年で子どもが5人。うち3人を失っている。ハードな日々の中の妊娠・出産は負担が大きすぎたのでしょう。

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絶え間なく人の目にさらされ、あることないこと言い立てられる。夫の目は自分に向いているとは言い難い。離婚を考えたこともあった。しかしカトリック教徒のJFKとジャクリーンにとってはありえない選択肢。なにより大統領の座を狙い、大統領の座に座ったJFKにとって、致命的なイメージダウンになってしまう。

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「普通の主婦にはなりたくない。」と臨んだ結婚。望みはかなった。しかし支払うものも負けじ劣らず大きく、そして重い。

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で、有名な浪費がはじまる。ことにジャッキーが情熱を注いだのは、室内装飾。ホワイトハウス入りして数週間で、大統領の年棒の1年分を使い果たした。

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(使いすぎではあるのですが~。でも、ホワイトハウスのどこに何があるのか、ジャッキーがホワイトハウスに入るまで、気に留めた人はいなかった。歴史的な品々がいつの間にか行方知れずに…なんてことがままあった。見る人が見れば尋常ならざる現状。今あるものをリストアップし、由来来歴を明らかにする。美術館博物館なら普通にやっていた。しかし歴史的遺構であるホワイトハウスでは、これをやっていなかったのです。

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備品リストを整えるとともに自分のセンスでアメリカを代表する家にふさわしい明るく、若く、上品な家具調度を整えた。手織りシルクのカーテンをフランスに注文したり、シャンデリアや18世紀のじゅうたんなどを買い入れ、ホワイトハウスを明るく優雅に一新させた。改装なったホワイトハウスを1962年、テレビ番組「A Tour of the White House with Mrs. John F. Kennedy」で紹介。ホステス役のジャッキーのエレガンスを改めて世界中に発信するとともに、ホワイトハウスの内部の隅々までが公開され、歴代の大統領が使った由緒ある品々をその歴史、由来とともにジャッキーが紹介していく優良番組で、その年のエミー賞を受賞しています。

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ほめたたえるべきなのか、もうちょっとなんとかならないのでしょうか、とおいさめ申し上げるべきなのか、迷ってしまう)

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そしてドレス。こちらも伝説ですね。Tシャツ1枚でもお直しして自分好みのシルエットに作り替えていたと聞きます。買って買って買いまくって、ホワイトハウスの洋服ダンスはふくれ上がる。この習癖は生涯変わらない。

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再婚相手のオナシスはなにしろ億万長者。オナシスとの結婚を決意するまでの1年間で腕時計7、首飾り18、ブレスレット23、ブローチ17、指輪20を贈った。結婚後3年で300万ドルを超える宝石を贈った。最も有名なのはジャッキー40才の誕生日に贈った40カラットのダイヤの指輪。ダース単位でドレス・靴・バッグ・下着(品定めなどせず、一気に色違いをまとめて購入されたのだそうで;;)などをパリで買いあさり、そして体は一つ。

 

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到底袖を通し切れるものではないので、そのままリサイクルショップに売ってしまうのだそうで。(リサイクルショップ云々は、オナシスとの死別後、ニューヨークに戻ってからでしょうけど)庶民の目にはまずこれが許される環境にあったことが信じがたいとともに、何不自由なく育ち、ありあまる財産を手に入れ、美しさで世界を魅了し、羨望の的であったはずの人の孤独をおもんばかるばかり。埋めがたい心の闇の深さがまざまさと胸に迫る。ジャッキーになりたいか?と聞かれたら、なりたいような、なりたくないような。(でも、やっぱり、なってみたいけど。でも私、ここまで強くなれないわ。)

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 ファッション

つい先日、アメリカのトランプ新大統領、メラニア夫人の大統領就任式のファッション、「ジャッキー」を意識したのでは?との評判しきり。(ラルフ・ローレンの水色のドレス。ジャッキーの大統領就任式のドレスも水色だった)ナタリー・ポートマン主演のジャッキーを描いた映画も公開されたばかり。

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ジャッキーを演じた女優は40人以上に上るという。くりかえしくりかえしオマージュが捧げられ、時代を超えてなお、人々の目を心をひきつけてやまないのが、ジャクリーン・ケネディのファッション。記者時代のジャッキーはつぶらな黒目がちの瞳、ほっぺふっくら。

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結婚して、やせて(苦労が多かったんでしょう、やっぱり…)頬骨とエラがくっきりはっきりし、目と目の間が離れてちょっとファニーフェイス。細い首筋、襟元の開いた服だときゃしゃな印象がまたまたアップ。身長は170センチあり、長身といえば長身なのですが、頭がやや大きめで、脚がさほど長くなくかつ細いので、パッと見小柄に見えます。少しボーイッシュなトコもありますね。

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の自分の個性を押さえ、選ぶドレスは基本はIラインで、ふわふわ、ヒラヒラにあらず、ハリ・シャリ感ある生地や素材を見せるかっちりめのものが多く、シンプル。

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スカート丈は膝が見えるものが多く、脚を見せる。ウエストがシェイプされておらず、ストレート。ポケットの見えるデザイン、大きめのくるみボタン。1960年代の流行のラインです。

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そして小物づかい。小ぶりの帽子、手袋、パールのネックレスやスカーフ遣い、大振りのサングラスなど。世界を席巻した「ジャッキー・ルック」の仕掛け人は専属デザイナーのオレグ・カッシーニ。ファーストレディーだったころのジャッキーは30代。

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大人の女性であり、セクシーは目指さない。上流社会で身につけた天性のファッションセンスはクラシカルで品格がありながら華やか。世界を席巻した「ジャッキー・ルック」を作ったのは専属デザイナーでも、専属デザイナーを選んだのはジャッキーの決断です。

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ファーストレディはアメリカの顔なのですから、建前としてはアメリカの服を着て自国をアピールするべきですが、シャネル、ディオール、ジバンシー(ジャッキー・ルックのトレードマークの小ぶりの帽子、ピルボックスはカッシーニ発案ではなくジバンシーがその始まりなのだとか)ヴァレンティノもご贔屓だったとか。

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 ジャッキーはもともとはニューヨーカー。カジュアルスタイルも、きゃしゃな上半身を活かし(オードリー・ヘプバーンかジャッキーか、と見まごうばかりの細い!)ピッタリして体の線に沿うセーターやカットソーなど、シンプルなスタイルも撮られる姿はさりげなくもカッコ良く決まりすぎ。

 

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アリストテレス・ソクラテス・オナシスとの再婚

ファーストレディ時代は憧れを、未亡人となってからは同情を一身に集めたジャッキーのイメージは、海運王オナシスとの結婚で地に落ちた。

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新郎62才。新婦39才。当のジャッキーにしてみれば、夫を暗殺されたのですから、何よりも身の危険に備えなければならなかった。子どももまだ小さいのです。子どもを守らなければいけません。JFKの弟、ジャッキーの義弟、ロバート・ケネディ(1925-1968)は暗殺されてしまった。(そしてロバートの妻エセルは11人の子どもを産み、夫が暗殺された後もケネディ家の妻としての役割!?をまっとうした)。

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JFK大統領が暗殺された日のピンクのシャネルスーツ。弾丸を浴び、ぐらりとのけぞったJFKと、とっさに車に駆け上るジャクリーン。呆然とたちすくみ、夫の死の直後の新大統領の宣誓に立ち合い、小さな子どもの手を引いて臨んだ葬儀。悲劇の未亡人を世間はほっておかない。モナコのレーニエ大公とグレース王妃が食事に招待し、スペインの闘牛に招かれ、スイスにスキーに行く。そして最高額!?で落札したのが世界でも有数の大金持ちの海運王。

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「彼女、お金がないんじゃないの?故大統領が残した年25万ドルの生活費じゃやっていけないんじゃない?」(ルイス・オーチンクロス ジャッキーの親類)

「本当なの?あなただったらオナシスと寝る気ある?彼女本当に寝ると思う?」(ジョーン・リバース 女優)

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「あの人が威厳を持って生まれて来なかったことは誰もが知ってるわ。俗気のある人に生涯死体と暮らせと言っても無理よ」(ココ・シャネル デザイナー)

「彼女は繊細な悪化した神経の持ち主」(ノーマン・メイラー 作家)

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ジャッキーが欲しかったのは安全とお金とステイタス。オナシスが手に入れたのは世界で最も有名な女性を手に入れたという征服欲。世界中があきれ返ったと言っても過言ではない。2度目の結婚。どちらも目のつけどころが違う。あっと言わせる。差をつける。という意味での選択眼に曇りはなかった。

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そしてもう政治家の妻ではないのです。自由を手に入れた。(かわりにパパラッチに追いかけまわされ続けますが、意にも介さない。)当然派手な生活と浪費はとどまるところを知らず。仲睦まじく、いつも連れ立って…の結婚のはずもなく、パリでの病床のオナシスに付きそう気配もなく、夫の臨終の時が迫ってもニューヨークから離れる気配もなかった。そして遺産相続を争い、2,600万ドルを手に入れた。

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聖女でいろ、一生喪に服していろ。生身の女には過酷すぎる。それはわかる。それにしたって、自分の中に歯止めはなかったのですか?と凡人は、小者の私は、思うのですが。皆様は、いかが思われます?

 

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晩年

2度の結婚は、どちらも夫の死亡、で終わりを告げた。オナシスがなくなった時、ジャッキーはまだ45歳。ジャッキーは編集者として働きはじめる。このころには、身の危険への恐怖は消えていたのでしょうか。

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ワーキングウーマンとして、ワーキングマザーとしてマンハッタンを闊歩するファーストレディー時代、大富豪夫人時代とはひと味もふた味も違うジャッキーの写真も数々、残されています。

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1988年、マイケル・ジャクソンの自伝を出版し、ベストセラーを飛ばす。恋人もできた。ベルギー出身のダイヤモンド商モーリス・テンペルズマン。利殖の腕も確かで、オナシスからの遺産を多方面に投資し、何不自由ない生活は変わらない。テンペルズマンは妻との離婚がかなわなかったため、結婚という形こそ取らなかったものの、二人はずっと一緒で、ジャッキーが病に倒れ、亡くなるまで一緒。臨終にはケネディ家の人々が最後の別れに集まり、息子、娘、テンペルズマンの見守る中、永遠の眠りにつき、最初の夫、JFKの隣に。亡くなった2人の子どもとともに、ワシントンD.Cからポトマック川を渡ってすぐ、バージニア州アーリントンにあるアーリントン国立墓地に葬られました。

 

 

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妹(リー・ラジヴィル)

ジャクリーンの妹についても少し。リー・ラジヴィル(1933- 2019)。ジャクリーンの4つ下。結婚は3度。最初の結婚は出版王の息子、マイケル・キャンフィールド。はたちそこそこの結婚で、ジャッキーはまだ独身。そして御曹司との御成婚なので、姉ジャッキーは大いに対抗意識を燃やしたとか。2度目の結婚はポーランドの亡命貴族王族、スタニスラス・ラジウィル。貴族との結婚。姉妹で大統領夫人と貴族夫人。ただただため息…。姉でファーストレディのジャッキーとイギリスやインド、パキスタンを公式訪問しており、美しくも高貴な姉妹の写真がいくつも残されています。ポーランドは当時社会主義国だったので、ラジウィルは貴族の肩書こそあれ、内実は厳しく、リーは夫公認でオナシスと付き合っていた。オナシス。そう、ジャッキーは妹の恋人を奪ったのです。(結婚している人の恋人を奪うというのもおかしいといえばおかしいのですが)ラジウィルと別れ、映画監督ハーバート・ロス(「チップス先生さようなら」1969、「愛と喝采の日々」1977など)との結婚・離婚を経て、デザイナー、ジョルジョ・アルマーニとの親交を深め、華麗な人脈を駆使してレセプションを主催したりして、ファッション界での地位を確固たるものとした。世界のファッションアイコンの重鎮だった。

 

 

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まとめ

悪女と人はいう。魔女と言う人もいる。行く先々に死を運ぶ。クレオパトラ、ナポレオン妃ジョセフィーヌ、ジャクリーン・ケネディ・オナシスなんだそうです。一方、女性誌などでは永遠のファッションリーダーとして取り上げられたりして。コインの表と裏。光と影。これほどわかりやすいひとも珍しい。そしてジャクリーンその人の生の声は、驚くほどに切れ切れで、はにかみ屋だった、人と距離を置いた、との逸話ばかりが聞こえてくるのです。

マリリン・モンローなども、生きている間は頭の弱いブロンドガール、が世間の目。通り相場だった。謎の死をとげ、つぎつぎと新たな事実が明らかになり、かつては冷ややかな視線を浴びせた女性たちは、今や「(マリリンは)可愛い女性」「優しい女性」と女性美の化身へと姿を変えた。時のヴェールは人々の心さえも変えていく。

1963年11月22日、ダラスのJFK暗殺のあの日、ジャッキーが着ていたピンクのドレスは、ジャッキーの死後、90年後まで公開しないことを条件に、前駐日アメリカ大使、ジャッキーの長女、キャロライン・ケネディにより国家に寄贈され、ワシントンD.Cの国立公文書館に、スーツの下に着ていたブラウス、ストッキング、青い靴、青いバッグは、メリーランド州にある公文書館にそれぞれ保管されています。

おそらく私たちは、この目で見ることはかなわない。ジャッキーその人も、もういない。それでも記憶は鮮やかに刻みこまれ、これからも語り継がれていくのでしょう。

 

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