何しろ、社畜生活が長いので。そして骨折もがんも双極性も特定慢性疾患も記憶障害もアルコール依存も。ご一緒させていただいたのはせいぜい1~2年。(相手か私かどちらかが配置転換になる)私がお勤め始めた頃は、定年まで勤めあげるのが当然との価値観が絶対だった。折角なので、時代に逆行しているとは知りつつも、完走を目指します。思い出話など。
骨折
真冬の朝。雪が降り、路面凍結・歩道凍結。つるつる…。一冬に1人2人は、必ず犠牲者が出たものです。滑って転んで、足を折ってしまう人が。
多少の骨折なら次の日から松葉杖をついて出てきそうなものですが、打ちどころがいや、折りどころ悪かった。あえなく入院になってしまった。
折しも大繁忙期。上司真っ青。入院した病院は職場の目と鼻の先。上司は朝な夕な病院に日参し、「あれ、どうすればいいんだ」とベッドの部下に指示を仰ぎ、上司が帰ると部下は残業残業の日々から打って変わってギブスこそ不自由だが三度三度のゴハンをもれなく完食し、食事が終わると眠りこける黄金の日々。
目覚めると懐かしのテレビドラマなどやっていて、同室の青年に「いいか。コイツはな、悪い奴なんだ…。」と解説してあげて、看護師さんにも優しくしてもらって、まんざらでもない様子で退院してきた。
折に触れ、楽しかった入院生活のエピソードを懐かしそうに話してくれました。
もっとも、寒くなると古傷が痛むのだそうで。歩く姿はまだちょっと、痛々しかった。
がん
最長で何日休めるんですか、と顔面蒼白で聞いてきた。乳がんでした。
こう言ってはいけませんが、がんはまだいい。治る治らないがはっきりしている。診断書どおりにキッパリ休んで、病気休暇の延期も短縮も前もって挨拶に来てくれる。
職場復帰してからも、もちろん健康第一、無理はさせられない。けど、いてくれる時はきっちり任せられる。あてにできる。
ごく初期だったから、と復帰した同僚は、ちょっとした言葉のはしばしや穏やかな表情から、ご主人にお子さんに大事にされてる様子が伝わってきた。復帰はかなった。でもやっぱり、責任を果たせないから。と復帰した年度末に退職した人もいた。
男性では、肺がんがわかってわずか2カ月で亡くなった人もいた。(見つかった時にはもう手がつけられなかったのでしょう)
職場内のWeb掲示板にはお悔やみ板があって、昔一緒だった人の奥様が47歳で、55歳で亡くなられた。なんて告知を見つけると、どうしてもしんみりしてしまう…。
双極性障害
メンタルでお休みされるのは、残された身としてもはなはだ滅入ってしまう。
がんと正反対。読めない。まず長引く。3カ月の療養を命ずる。の診断書が出れば、アルバイトさんを頼めるのです。しかし律儀に毎月1月療養要の診断書が郵送されてくる。そして復帰したかと思えば突然総てを途中で放り出し、出て来なくなってしまう…。
そして見た目もあくまでもはかなげで触れなば落ちん。の花のごとし。
躁に入ってしまうと、受け答えの手ごたえがなく、ホントに伝わってるのか、の確信が持てない…。
当の本人も、辛いのです。出たい。仕事せねば。との意気込みはあるから、1月の診断書なんでしょう。
そして百人中百人が、あの人メンタル他の人と違う。と太鼓判を押す!?大変人が、「ボクは健康だから」「どこも悪くないから」と皆勤賞で出勤し、行く先々でつむじ風のように、濁流が荒れ狂うかのように、騒ぎを巻き起こす…。定年退職して、当然再雇用を希望され、受け入れ先でもさぞ周りに気苦労をかけているのであろう。。。
トップの秘書を務め、ストレスが大きすぎたのかプツリと切れてしまい、遠くの所属に行ってしまった人もいた。
特定(慢性)疾患
特定疾患とは。厚生労働省が認める全快が難しい病気で、医療費の助成があります。病名としては若年性リューマチ、膠原病、もやもや病。ベーチェット病、クローン病など。
子どもの時に発症したのだそうで、命に別状はない。普通に大学は出た。ひとり暮らしできる。でも月に1回は病院の検診が必要。
そして体力がないので、始業時間に「2時間遅れます」2時間たつと「もう2時間遅れます」と律儀に電話が入る。午後になると出てくる時もある。月・火は休みがち。水曜日、木曜日・金曜日とやっと安定してきたかと思うと週末がやってきて、また月曜日はお休みで振り出しに戻ってしまう。
寒いとどうしても調子が悪いのだそうで、夏の暑さにも弱いのだそうで、冷房が強すぎるのもよくないのだそうで。やっぱり、突然出て来なくなってしまった。
病気休暇をある程度取ると病気休職に切り替わる。給料が出ない。それは困る。と這うようにして、それでも復帰してきました。
別の同僚は「そんなに長く生きられないんです」と就職の面接時に伝え、倒れ、一カ月だか3カ月だか半年だか、忘れてしまったのですが、眠り続け、30才で亡くなりました。お父さんは告別式の挨拶のカードに「本人も『ありがとう』と言っていることと思います」と書かれました。
記憶障害(クモ膜下出血)
40代の若さでクモ膜下出血に倒れ、生還できた。職場復帰できた。だがしかし。
倒れるまではバリバリの人で仕事もできた。出世街道をひた走っていたのだそうです。そして脳がダメージ受けてるのですから。記憶障害って、ある種認知症みたいなものですからねえ。性格まで変わってしまうのです。
私がご一緒させていただいたのは病気の後。前所属からの申し送り、それも「絶対この人に一人前の仕事させちゃダメ」の厳重注意があったのでしょう。任せられない(頼むとキッパリ断わってくる)。
穏当に事を収める職場だし、妻子しょってるんだから、と降格もさせない。
体温調節が上手くいかないらしく、顔が赤い。目つきがうつろで(コピー取りとかで)人が動くと目で追う。視線が動く。周りが仕事していても何かと話しかけてくる。朝も帰りも「おはようございます」「お先に失礼します」の言葉一つなく黙って座り、黙って帰る。一方で決して休まない。
耐え切れずパソコンを私用で使わせていただき、「クモ膜下出血 記憶障害」と検索し、原因と傾向と対策を勉強させていただきました。私だっていつこうなるかもしれないんだし…。と自分で自分をなだめる日々でした。
アルコール依存
この方も30代で亡くなってしまった。顔面がどす青黒く、やせていて朝からアルコール臭い。さあ。殺せ。の殺気がみなぎっているぞ。
歯がなくて、酒代よりもまず歯を直したらいいんじゃないか。と思わずアドバイスしてさしあげたくなってしまう。
仕事はキッチリこなし、下の者の面倒見もよく、でもなんでお昼になっても夕方になっても酒臭いんだろう…。
お医者さんももう諦めて「お酒を控えてください」とは言わなかった。
奥様とは職場結婚で、ご主人とは似ても似つかぬふくよかで穏やかなおもざしの方で、なんで結婚できたんだろう。なぜこの人が普通に家庭を持っているのだ。と素朴に不思議だった。
お嬢さんにも見守られながらこの世を去られました。好きなことやらせてもらって、幸せな人生だったのだと思いたい。
もちろん、どのエピソードも大なり小なりフェイク、入れてあります。
最後に念のため。我が職場、大多数の人間は健康です。組織は、業務はいちおう、滞りなく、進んでおります。