ひとみにカルチャーショックを。

旅行・グルメ・美容をメインに綴る女性向けの趣味ブログ

ジャクリーン・ケネディやらココ・シャネルやら見上げながら湧き上がってくるよしなしごと。

昔、ジャクリーン・ケネディの手紙がオークションにかけられたとの記事があって、
手紙の内容は、種屋さんに
「これこれの大きさのプランターに撒くポピーの苗を送っていただけませんか」と
若妻が忙しい夫のために花を育てたい、とペンをとった自筆の手紙、毒っ気ゼロ。
どこに飾っても恥ずかしくない手紙、さぞかし高値で落札されたのでしょう。

 

ジャクリーン・ケネディ・オナシス

(1929-1994・米)。愛称ジャッキー。

ジャクリーン・ケネディ・オナシスJacqueline Kennedy Onassis


手放しで「好き」と言う気にはとてもなれないけど人気は衰えない…。


キュートなファニーフェイス。良家の子女で、教養豊かで好奇心いっぱいで。パリに憧れてアメリカの大学がらフランスの大学に留学。その後女性記者になってJ・F・ケネディに見初められた。

後世の私たちはあれこれ取沙汰するけど、一緒にいれば、エレガンスあふふる素敵な女性だったのでしょうね。1950-60年代の最先端のファッションは殿堂入りで、ため息ものですけど。

わずか10年の結婚生活で流産、死産、早産を繰り返している。大統領候補の、いろんな意味でスケールの大きすぎる夫とともに生きるのはとてつもなくハードであったことは想像がつきます。

そしてわりと早く亡くなってますね。悪性リンパ腫で64才の死。神経を張り詰めどおしの一生だった。
もろく傷つきやすい魂と、迷いから抜け出ることのない生涯に見えます。

夫の浮気にいきり立ち、離婚すると言い立てるジャッキーに舅のジョセフ・P・ケネディが、「100万ドルやるから離婚しないでくれ」と言ったとかのエピソード、二度目の結婚、ギリシャの海運王、アリストテレス・ソクラテス・オナシス亡き後の泥沼の遺産相続争いなんか話を聞くと、そこまでやるのか~、なんてげんなりしてくる。


格、からいけは、

ヒラリー・クリントン

ヒラリー・ローダム・クリントンHillary Rodham Clinton

(言わずと知れた元ファーストレディー(1993-2001)。アメリカ上院議員(2001-2009)同国務長官(2009-2012)とキャリアを重ね、大統領選敗北表明のスピーチは間違いなく歴史に残る。タフな、タフなお方)

エレノア・ルーズベルト

エレノア・ルーズベルトEleanor Roosevelt

(元ファーストレディー(1933-1945)。ファーストレディー時代から黒人政策・女性政策に関心深く、積極的に政治に関与。第二次世界大戦時は、日本人の強制収容所収容対策に異を唱え、夫亡きあとは国連人権委員会委員長などを務め、今日当たり前の概念「人権」に、世界の目を開かせ、人類の固定観念を揺るがし、変革したグレイトなお方)


この二人はジャッキーをはるかに引き離して偉大であるはずなのですが。

シンプソン夫人

"ウォリス・シンプソンWallis

(3回結婚して毎回確実にステップアップ。3回目の結婚ではお相手の男性に王位を捨てさせた。もっとも、時を経て、真相はウィンザー公もシンプソン夫人もナチスドイツびいきで、王冠をかけた恋、はカムフラージュで、国運を案じた誰それが二人を体よく追い払ったのだ、との資料もあるのだそうで…)

ロスチャイルド夫人

"ナディーヌ

(しがない女工から女優を経て大富豪夫人へ。お金と権力を持った男性をこれと見込めば絶対に離さず、手に入れてしまうって、すごいなあ。。。子どもが欲しくて産み月までの何か月か、片時もベッドを離れなかったとか、「楽な生活をしたいなら公務員とでも結婚すればいい。大富豪夫人はタフでなければならない。寸暇を惜しんでやることは山のように…」の発言には思わず恐れ入ってしまった)

 

とかの話聞くとなおさらぐったりしてくるのです。


もっとも、この方々は超々一流、スーパーミラクルの上流階級の貴婦人、ひっそり一人でブログ書いてる私なんかとはすべてが違いすぎる。そして自分の道を貫く気概が、歴史に名を残す人とそうでない人との別れ目なのかもしれません。

 

ポンパドゥール夫人

"ポンパドゥール夫人Madame

(才智を認められてルイ15世の愛人に。前髪をふわっとふくらませる「ポンパドール」はポンパドゥール夫人が起源。政治にも積極的に参加して諸国を相手に回し、一方主催するサロンは超超一流。哲学、芸術その他の人材が集い、夫人の元にロココの花は咲き乱れ。病弱だったらしくルイ15世より先にお亡くなりになられるところが次の寵姫デュ・バリー夫人のギロチンにかけられての死と比べ、スマートすぎて胸を打つ)

 

ヴァランチノア公妃ディアーヌ・ド・ポワチエ

"ディアーヌ・ド・ポワチエDiane

(19才年下の国王の寵愛を生涯離さなかったと聞くだけで神。60過ぎてもみずみずしい美女のままだったとか、…同じ人間だと思えない。己に厳しい女性だったんだろうな…と霊峰富士山を仰ぎ見るが如くただただため息)


愛妾と呼ばれる種類の方々もぐったりしてくることに変わりはない。のですがいかにして王様の寵愛を得たのかについては後世のシンプソン夫人やロスチャイルト夫人ほど生々しい情報が少ないため、ほめそやす逸話が先行する。
(今の天皇制あれこれ言う人がいても昔の天皇制のことは騒いでもさほど燃え上がらないのと同じかも)

 

しかしこれは、時代の常識が違うのですね。


昔の貴族の令嬢は、結婚するまでは大げさに言えば風にもあてずに育てられる。
13とか14とか15とかで結婚して、子どもを産んでしまえば、義務は果たした。残りの人生は自由なもので夫がいようが今日でいう貞操観念なんてものはなきに等しい。これが、貴族の常識、貴族の価値観だったのです。
そして上にあげた方々、ジャッキーにしろ、シンプソン夫人にしろ、ロスチャイルド夫人にしろ「だれそれの奥さん」「だれそれの思いもの」の立場。つまり太陽あっての月のようなもの。
自分の人生は自分でつかみとる、との今日ただ今の常識、価値観から見れば、何とも歯がゆいものを感じます。余計なお世話なんでしょうけど。

 

ココ・シャネル

なんかも、

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ビジネスの始まりは愛人の世話になり、帽子店を開いたのですね。で事業拡大「君におもちゃを与えたつもりだったのに、どうやら自由を与えてしまったらしい。」とため息交じりにスポンサー兼愛する男性に言わしめ、男は去っていき、そしてココ・シャネルは世界で一番の事業家になり、世界で最も稼ぐ女になった。

始まりは男あってのものだったけど。

とっかかりにして、文字通り血のにじむような努力を重ねて、自分の力で立った。第二次世界大戦中、ナチスの愛人を作り、戦後の復帰の道は平坦ではなかった。しかしその実力を前に、世界をねじ伏せた。

 

そしてやはり、今も昔も事ある毎に人々の口の端に上がり、記憶は蘇ってくる。

JFKの生涯最後の日の写真を見れば、誰だってジャッキーのピンクのドレスに目が吸い寄せられる。(現在、このシャネルならぬメイド・イン・アメリカのスーツははワシントンの国立公文書館に厳重にあり、2103年まで一般公開されないままに保管されているそうです)

ウィンザー公がシンプソン夫人に結婚記念日ごとに贈り続けた20点の宝石は2010年に競売にかけられ総額10億円以上の値がついた。

 

どなたとどなたが愛し合おうが、そのお方とそのお方の間の問題で済めばいいのですが。

よそのご主人取り返したり国を乱したりするのでは恐れながらご注進申し上げたいのはやまやまなれど。

常識が違う常識が違う常識が違う。と何百回となく唱え、

田辺聖子先生のお言葉を借りれば、「おんな商売」張っている人には華があるんだなあ。女子力と生命力に満ちて。

男性と肩を並べるカテゴリーの女性(キュリー夫人とか国会議員の誰それ先生とか)のそれより、圧倒的に一般大衆に迫ってくる、何かがある。

 

オーラのシャワーを、マイナスイオンの息吹を感じさせていただきましょう、かと。

 

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まとめ

人は過去に学ばなければならない。これホント。
そして過去に学んではいけない。これもホントです。
時代は動き、今日正しかったことが、明日もそうとは限らない。
さて、明日からの自分に、向き合うことといたしましょうか。